『ボディガード』(1)
2022.1.29(Sat.) 12:00~14:25
梅田芸術劇場メインホール
3階2列10番台(下手側)
2022.1.29(Sat.) 17:00~19:25
梅田芸術劇場メインホール
2階3列30番台(センターブロック)
梅田芸術劇場制作のこの作品、当初は2020年3月に大阪・梅田芸術劇場で公演、4月には東京で公演が予定されていましたが、結局2020年3月の大阪の5公演のみが上演されたにとどまりました。
自分も大阪の2日目の公演(新妻聖子さんレイチェルの初日でした)を予約していましたが、緊急事態宣言の発出で遠征を断念、結局は公演中止になったこともあり、見れずじまいで終わっていました。
今回の再演も梅芸スタートで2月に東京国際フォーラム(ホールC)公演が予定されていますが、何しろ東京国際フォーラムは、ほぼ都の施設(あまり記憶されていませんが、平成3年まで丸の内に都庁があった場所の跡地にあるホールなので都の外郭団体の管理)で、昨今の感染者数急増でリスクが大きいと判断しました。
前日までに仕事の調整を必死にして、前日22時近くに新幹線からホテルからチケットまで予約するという綱渡りでの観劇。
昼は今回の初キャスト、May J.さんがレイチェル・マロン役(通称「メイチェル」)、夜は新妻聖子さんがレイチェル・マロン役(通称「セイチェル」)です。
メイチェルは舞台出演が2作目(1作目は『ウェストサイド物語』の2st、アニタ役)で今回が初主演。
作品名は「ボディガード」で大谷さんを指してますが、実質の主演はレイチェル・マロンです。
メイチェルを最初に見た感想は「若いころの聖子さんぽい」が第一印象。この印象は実は終演後まで変わりませんでした。いい意味で、歌に全力。歌が役と作品の空気を作ってる。だから歌っている場面ではイキイキするけれども、芝居のシーンになるとたどたどしくもなったりして、ボディガードのフランクとの恋愛場面ではそれも有効に出る場面もありますが、全般的にぎこちない感じ。
姉のニッキー役を元宝塚のAKANE LIVさん(マロンの3人のキャストのあと1人、柚希さんと同期)がされていますが、歌声も雰囲気もとても素敵で、「姉が妹の才能の『影』になっている」というよりかは、May J.さん相手だと同じポジションぐらいに見えて、ちょっと「妹」感が強く出ちゃってた感じがあるメイチェル。
レイチェルはスターなので、我を通すのが当たり前のようなキャラで、そこはメイチェルも上手く出せてて、歌手出身のポジションとしては十二分な存在感ですが、正直言ってしまうと、役としての気持ちの流れは「頭ではわかっているけど、表現できていない」感じなのかなと思えて、そこはまさに舞台デビューしたての聖子さんにそっくりで、今後、経験や年齢を重ねることで出てくる味なのかなと思います。
というのも、セイチェルは3人のレイチェルの中で「歌」を大きな特徴にしている方ではあるけれど、実は、若いころの聖子さんは「バズーカ」という言葉で揶揄されていたことが多いように、直線的な歌い方、鋭く突くような歌い方が多かったんですね。『マリー・アントワネット』のマルグリット役が一番特徴的かと。
では、今回のセイチェルが直線的な歌い方かというと、全然そんなことはなくて、鋭い歌い方と、結婚されて以降の特徴である「暖かい歌い方」をすごく自然に切り替えて歌われている。そして歌と芝居がとっても自然に繋がっていて、時に母親、時に恋人、時に妹というポジションを切り替わる感じなく進めていく、その成熟した力量が存分に発揮されていました。梅芸は流石の音響の良さで、センターにこだわって2階席にはなったのですがこれが大正解!
ちょうどメイチェルを見たときに「聖子さんの若いころ」を感じたのは、聖子さんの歌い方もずいぶん変わったんだなぁ、と改めて感じられたからなんですね。いい意味でもそうでない意味でも、まっすぐ突っ走ることしかできなかった若いころに比べて、今は強く押すことも、感情を込めて歌い上げることも、見守るかのように包み込むように歌うこともできる。そこに聖子さんの経験の積み重ねと、今この時にレイチェル・マロンと聖子さんが出会えた奇跡に感謝しました。
シングルマザーとして他人を信じることもできず生きてきたセイチェルが、フランクのボディガードとしてのプロの矜持に触れ、心を動かされていくさまはとっても自然で、ぎこちなく誘うところに上手いこと客席を惹きこむコメディエンヌさも、さすがは百戦錬磨の若きベテランの経験あってこそ。初々しさと成熟をここまでしなやかに切り替えられる女優さんもなかなかいなくて、約20年間ミュージカル女優の第一線で活躍してきたことによる厚みをしっかりと感じられます。(そういえば約20年間…のくだりでパンフレットに載っている聖子さんのコメントに爆笑できます。是非ご覧ください)
セイチェルは歌も芝居も行間が凄く分厚くて、フランクに対する疑心暗鬼からの、信頼そして愛情に向かうさまの、心の動きが「こうなってるからこう感じるんだな」が凄く自然で、歌声と演技それぞれの意味が繋がっている。だから、ひと時たりとも目が離せなく魅力的なのと同時に、物語が自然に前に進んでいくんですね。メイチェルと同じ日に見たからこそ感じた違いでもありました。
特に1幕ラスト「I Have Nothing」は聖子さん自身も「好き」と仰っていますが、とにかくまっすぐにフランクに対してハートを伝えている。「何も気にせず気持ちを伝えてごらん」と言われなくても、セイチェルならそうすると思うのですが(笑)、フランクにとってとても大切な「母親」という存在を補完するかのような、セイチェルの「母親かのような、フランクが身を預けられる歌い方」も興味深くて。歌も演技も、ポジションを自由自在に行き来できる「気力体力ともに充実してる」今のセイチェルだからこそできる表現だったなと。
メイチェルが若さからくる余裕のなさがピリピリとしたさまを感じられた反面、セイチェルは経験ゆえに上手く余裕のあるときと、余裕のない時を使い分けてて、「強気スイッチ」と「弱気スイッチ」を上手く切り替えて波乗りしている感じ。これ、聖子さん無茶苦茶楽しいだろうなぁと思ったら案の定、カーテンコールではアイドル張りの歌い踊るシーンで生き生きとした末、カテコでは完全に座長の立ち姿。
生演奏のバンドメンバーを最前列に出るよう促して挨拶してもらい、今度はアンサンブルさんを前に出して挨拶してもらい、そんな中その状況についていけず前列にとどまりがちな大谷さんのことを「もう何やってんのー」みたいに腕でつんつんしてたのが、やりたい放題ニイヅマセイコって感じで大笑いしました(笑)。投げキスも久しぶりだったなー。
こんなご機嫌な、ニイヅマセイコの歌唱全開の作品もなかなかないので、東京で公演ができますことを心の底から願っています。
そして、ちょいとネタバレ
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そういえば本編ラスト、「I Will Always Love You」でメイチェルとセイチェルで印象が違ったのも印象的。メイチェルは、フランクとの別れに正直未練があって、引きずる感じ満々だったけれど、セイチェルは愛するからこそ別れる、それが愛する人との思い出を素敵な形で残すための形、と本心で納得していたように見えて、そこが人生経験と女優経験の違いなのかな、と感じたのでした。