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『マリーアントワネット』(13)

2021.2.14(Sun.) 12:00~15:10
 東急シアターオーブ 3階5列30番台(上手側)

2021.2.14(Sun.) 17:00~20:10
 東急シアターオーブ 3階1列10番台(センターブロック)

2021.2.21(Sun.) 13:00~16:20
 東急シアターオーブ 1階14列40番台(上手側)

『マリーアントワネット』2021年東京公演、東急シアターオーブ公演も無事に全公演を完走し終演。
楽のご挨拶で玲奈ちゃんが涙ぐみながらお話しされる様に、凄まじいプレッシャーがあったのだろうなと改めて感じさせられる東京楽でした。

緊急事態宣言中ということもあり、前週まではおおむね収容人数の50%制限になっていた客席も、この日は容赦なく入っていて、客席は80%以上の入り。今回は緊急事態宣言発出時点ですでに売れていた客席はそのまま適用可能で、東京楽はその時点でほとんど売れていたから故と思われ、久しぶりに人でごった返すシアターオーブのロビーが、なんだか嬉しいです。

前週にマチソワで玲奈マリー・花總マリーを両方見られたのもあって、改めて玲奈マリーを見返すことができたこの日の東京楽。

花總マリーが「存在」としての王妃を貫くのに対して、「王妃」としての「役割」を貫くのが玲奈マリー。
その「王妃」という立場を守ろうとする1幕、「家族」を守ろうとする2幕前半、「王家の誇り」を守ろうとする2幕後半というストーリーが、新演出版MAの流れにしっくり。

1幕は意識的に軽はずみなように見せているのか、今まで以上に子供っぽく見えて、更にフェルセンが甲斐フェルセンとなると、万里生フェルセンよりはるかに甘えているように見えて新鮮です。片や万里生フェルセンには無条件で「委ねて」いるように見えます。

今まで見ていて少し違和感を感じていたのが、マリーが乱入したマルグリットにシャンパンをかけられ、マリーが「許す」ところ。

マリーはこの後のシーンでは、ロアン大司教を過去の出来事に遡ってまで憎み、オルレアンに対しても激しい怒りを持ちます。なぜ1幕のマルグリットには欠片の憤りも見せず、ロアン大司教やオルレアンに対しては全く許すことを考えもしないのか。

そこに玲奈マリーの「役割」という立ち位置が上手くかかわっているように思うのですね。


マリーアントワネットは他国(オーストリア)から、自らの意思ではなく輿入れし、旧態依然とした王室の中で戦ってきたと言われ、「自らの立場を侵すものに対しては戦う」ということがおそらく自然だったと思われます。

1幕のマルグリットは、マリーのことを憎みはしていても「王妃」としては認めていて(望ましい王妃となれているかは別として)、マリーにとって「王妃」という「役割」を侵す相手ではないから、余裕を見せて許すことが、「王妃」としてのふさわしい立場だと理解して行動しているわけですね。

半面、ロアン大司教やオルレアンは、明確に「マリーが王妃であることを認めていない」もしくは「マリーが王妃であることを覆そうとしている」わけなので、マリーにとっては自らの「王妃」という「役割」を侵す存在として、戦う対象になるのだと、そう理解できます。

…時が経ち、2幕でマリーとマルグリットは再会し、お互いの立場を理解することなく「憎しみの瞳」をぶつけ合いますが、マリーが言う「なぜあんなことを」を、ずっと「シャンパンをかけた」ことだけを指していたのだと思っていたのですが、1幕ラス前、マリア様の生誕を祝う場で浴びせかけられた「よそ者の王妃」という言葉にありありとショックを受ける(特に)玲奈マリーを見て、「あんなこと」は、むしろこちらの方が大きいということを感じさせられます。

「フランスに人生と王太子を捧げた」マリーアントワネットにとって、「皆に心から(わがフランスの)王妃」と思ってもらえることこそ、ずっと願ってきたこと。そのために尽くしてきた自らの半生をすべて否定される「よそ者の王妃」という言葉によって、マリーアントワネットにとってマルグリットは確実に敵となるわけです。

「存在」が王妃たる花總マリーを見ていると、そもそもマルグリットが自らの立場を傷つけるなど、あり得るはずもない、だからこそ、自分がなぜここまで追い詰められていくのか分からない様が紡がれているように感じますが、「役割」が王妃たる玲奈マリーを見ていると、マルグリットの存在は明確に脅威であり、絶対に許しようもない相手。

…なのにもかかわらず、玲奈マリーの歌う「明日は幸せ」を聞いて、それまで鬼の形相だった昆マルグリットが本当に嬉しそうな顔で歌声に浸って、そこから歌い始めて玲奈マリー衝撃…って流れが本当に絵のように綺麗で印象的でした。

マリーとマルグリットに共通して感じるのは「母親の不在」なんですよね。母親に対する感情が、無視もしくは忌避。マリーは母親のことを一言も口にしませんし、マルグリットに至っては母親のことを吐き捨てる始末です。マリーが口うるさい母親(マリア・テレジア)が嫌いだったのは有名ですが、それゆえ父親の歌に感情を委ねる様がシンクロするのが興味深くて、「優しさ」をなかなか得られなかった2人の人生を感じるようで胸に詰まります。

マリーとマルグリットがお互いに「心に鎧を着て」生きてきたさまがだんだん変わっていく。
押されっぱなしだったマリーは、王を失い、王太子を失ったのに、マルグリットを責める様の破壊力が凄い。革命に疑念を持ち始めたマルグリットの傷を確実に抉り、「あなたの信じる革命は、こんなものなの」と責める様は、戦いに生きてきた玲奈マリーだからこそのメッセージの強さ。だからこそ、裁判で認めるべきは認め、否定すべきは否定するマリーの強さにマルグリットの心は揺らぐのですね。

玲奈マリーの特徴は、最後の裁判シーンの「真実を伝えて」で、明らかに後をマルグリットに託すんですよね。託されたマルグリットは、明らかに抱えきれず呆然とするソニンマルグリットと、静かに受け入れる昆マルグリットとで好対照。今回は特に昆マルグリットが、自らの行いをかなり早く認識していたように感じられ、マリーのメッセージを受け継ぐことに、躊躇いが少ないように感じられました。

・・・

この作品のカーテンコールは、タイトルロールのマリーアントワネットと、もう1人のMA、マルグリットの2人。この規模の作品でご挨拶がお2方とも女性というのは非常に珍しく印象的でした。

涙ぐみながらご挨拶された玲奈ちゃん。

「見に来ていただけた方に心の健康を、見に来ていただけなかった方に私たちの思いが届けば嬉しいです」

という言葉は、この緊急事態宣言の中で、舞台を上演し続けたキャスト・スタッフすべての思いを乗せたように思えて、心に温かいものが残りました。

特にこの日は、玲奈ちゃん含めて若いメンバーがプリンシパルを固めて、今まで玲奈ちゃんとともに舞台を作ってきた人たちがたくさん。後輩だけど同じような大変さを感じてきたであろう「デキる同志」な昆ちゃん、心が通じ合った優ちゃん、何気に共演歴むっちゃ長い龍ちゃん。ベテランでは東宝初舞台からずっと見守ってくれてる駒さん…みんなが玲奈ちゃんを見守って、タイトルロールとして頑張る玲奈ちゃんを支えてくれていた空間が、本当に温かくて、嬉しいという言葉だけでは言い尽くせない時間だったのでした。

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