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2020年9月

『時子さんのトキ』(2)

2020.9.20(Sun.) 13:00~14:45
よみうり大手町ホール 7列10番台(センターブロック)

2020.9.21(Mon.) 13:00~14:45
よみうり大手町ホール 9列1桁番台(センターブロック)

『時子さんのトキ』2回目と3回目。
1回目に見て少なからず混乱した時系列と2役の関係性もようやく整理されて見えるようになった2回目。この日は当日引換券でしたが、なぜだか前回よりも席が良くて(爆)、ちょうど通路のすぐ後ろという絶好席で拝見しました。この日からかなり涼しくなったのにかかわらず、空調はガンガンに効いていたのでちょっと体調がおかしくなったのは残念でしたが…

東京楽(3回目)は当日券キャンセル待ちで参戦しましたが、幸いにも8席キャンセル待ちが出て、無事入場できました。本来なら楽のキャンセル待ちは絶対しないのですが(見られないとずっと引きずるので)、この作品はこの後動画配信も控えているので、いざ外れてもそのダメージが回避できると読んで賭けましたが、さすがに3回見てしっくり来たので、ぎりぎりで3回見られてよかったです。

そして、東京公演も今日終わったので、ネタバレ全開で物語語ります


*よろしいですかー*


*よろしいですかー*


*よろしいですねー*(柏木さん風に)


では、参ります。

この物語は時系列が行ったり来たりで分かりにくい、というのは初見で思ったことですが、2010年で始まって2020年までを描いている物語。2シーン目でいきなり今の2020年(9月)のスナックのシーンが来ているのでわかりにくいのですが、ここを除くと、ほぼ時系列で進行しています。

ただ、時子さんから見た二人の人物、翔真との時と、登喜との時が平行して走るので、少なからず混乱しますが、何度か見ることで収斂していって、「こことここが繋がっているのか!」と分かるのは演劇的なカタルシスですね。

一つ印象的なのが、時子さんと関係する2人、翔真と登喜は、鈴木(拡樹)さんが2役で演じているのに、実はこの2人が外見が似ているといった表現はどこにも描かれていなくて、そこはこのホンの好きなところです。時子さんが「翔真には登喜の面影を感じる」とか言った日には、時子さんの思いそのものが陳腐になってしまう。「時子さんが翔真を支えようとしたのは、登喜の代わりではない」という面は、この作品の一つのコアだったように思います。

・・・

登場時間が長いので、どうしても翔真との時に印象が引きずられてしまいますが、実際は、時子の息子である登喜との関係で時系列を見た方が分かりやすいです。

登喜は2020年のシーンで成人していますので、おそらくは2000年生まれ。そうなると10歳(小学4年)の時から物語が始まり、11歳(小学5年)で離婚が成立し登喜は父親を選んだことで、時子さんには心の空白が生まれる。その後も登喜とは定期的に会ってはいたものの、次第に話題が続かなくなり、12歳(中学1年)の時に登喜がサッカー部に入部したことで、会う時間が少なくなる。そんな時に時子さんが公園で出会ったのが演奏をしていた翔真、ということで、ここが2013年あたり、という時系列になります。

音楽活動の足しになればと、時子さんは翔真に求められるまでもなく、次々とお金を貸し、2016年の台風で翔真の実家(農業)が壊滅的な打撃を受けたことへの多額の援助(750万円)をきっかけに金額はさらに拡大し、とうとう2020年には彼の収入元であるバイトが、昨今の事情でできなくなったこともあり、収入に困窮し、別の女性からの借り入れ(豊原江理佳さん演じる女性)への返済トラブルから事態が露見する、ということになります。

時子さんにしてみれば、翔真の音楽は好きではあっても、音楽で成功すると信じているわけではなかったろうけれども、息子の登喜との距離が離れ、空いてしまった心の隙間を、翔真を支えることで「自分が存在している意味」を見出しているかのように見えました。
時子さんと翔真のその「歪んだ関係」に周囲がどう責めようとも、頑なに翔真を支える正当性を言い続けるのは、そうでないと自分が何者でもなくなってしまうのではないか、そう思えていたように思えます。

この作品は時子さん演じる由美子さんのモノローグでほぼ全編ぶっ続けですが、時々時子さんが核心を突く言葉を入れてきます。その中でとりわけ印象的だったのは中盤、「翔真を支えることで自分が他の誰かの中にいることを実感できる」といった言葉があります。

今回の物語は「今」の2020年から逆算して10年間を見ているので、「今」はまさに今の出来事を見せていて、カラオケスナックでの検温とか、37.5度越えとか、マスクとか、まさに「今では当たり前になってしまった風景」を見せているわけですが、この作品について語られる、作者の田村さんだったり、主演の由美子さんだったり、鈴木さんのインタビューを聞いていると、「今演劇をやることの意味」とリンクしていたように思えます。

というのも、昨今の皆が共有する寂しさって「生で会えない」ってことだと思うんですね。
そもそも出かけられない、出かけてもマスク越しでしか話せない、一緒に食事ができない、気持ちが萎縮しているように感じる。そんな誰もが持っている、「誰が悪い」とも言えないまま受け入れざるを得ない「新しい生活様式」の中で、もやもやとした気持ちを増やして生きている。技術の進歩でオンラインで会話することはできたりはするけれども、気持ちの壁ができてしまうことはどうしても否めないし、それについていけない人はさらに孤立感を持たざるを得ない。

2020年に上演されるこの作品で時子さんに「自分が他の誰かの中にいることを実感できる」と語らせることの意味、それがこの作品が今上演された意味だと思っていて。

心が触れ合えないから自分が他者と心でつながりにくい、そうなることで自分の存在意義まで疑うようになってしまう…2012年から続いた翔真との、他者から見たら「歪んだ関係」は、「時子さんにとって『自分が他の誰かの中にいることを実感できる』一つの出来事」だったけれども、2020年の今、心が触れ合いにくい事態になったこの時、実は誰もが『自分が他の誰かの中にいることを実感できる』ことを欲していて、誰もが「時子さん」になる可能性を持っているのではないか、そう言っているように感じられたのでした。

・・・

この作品を見てまさに思うのが「時が動き出す」という言葉で、登喜との関係が上手くいかなくなり、翔真との関係に没頭していく時子さんと時を同じくするように、場である公園の時計も小便小僧も動きを止めるのですが、翔真との事態の破綻を経た2020年、ようやく向かい合えた登喜との復活した会話をもって、公園の時計も小便小僧も動き始めます。

公園の時計は時子さんのトキ
公園の小便小僧は登喜の心

と捉えると、2010年から2020年の間の時系列がすっきり整理されて、「時と心が動き出す」様が感動的でした。

DVで別れた元夫も、登喜の父親として登喜の思春期を支え、翔真との世界に籠る時子に対して「登喜と話をしなさすぎだ」と断ずる姿は、時子さんの弱さ脆さを知っていたからこその愛情に感じられてなんだかじんわりきました。

時子さんは翔真との世界に入り込むことで、「自分だけの理屈」に拘り、他者からの介入を拒むわけです。

「私と彼(翔真)が納得している。それでいいじゃない」と。

でも、実際には彼へ貸したお金の大部分はスナックの常連であるオーナーから借り、その連帯保証人には本人の承諾なく別れた夫を立てている(離婚後のことでしょうから元夫が反訴すれば連帯保証人が解消されて時子さんが即時全額返済の義務を負う可能性もあるでしょうね)わけだから、他に迷惑をかけていないわけじゃない。
それに、他人から時子さんへの心配も、スナックのママにしても、本心からの心配もちゃんと含まれている。

結局、人が人として生きる以上、自分だけの理屈だけでもいいはずだけれど、他者との関係なしでは生きられないし、自分が全部正しいとも限らず、だからといって他者が全部正しいわけでもない。

・・・

ここからは個人的な心情も含みます。

この「時子さんのトキ」は作の田村さん曰く、「当て書き」と仰っていて、時子さん演じる高橋由美子さんは「当初は自分に似てないと思ってたけど、稽古するごとに「似ているところもあるな」と思ってきた」と仰っていて。

時子さんが2010年から2020年の10年間に、翔真との世界に籠ったトキがあったように、由美子さんをファンとしてみてきた自分からすると、2016年から2019年というのは由美子さんがご自身の中に籠ったトキだと思っていて。
舞台でいえば好評を博した2016年『寝取られ宗介』から、復帰作の2019年『怪人と探偵』までの期間は、週刊誌報道(2018年)も含め、激動の時期でしたが、正直言って、舞台に臨むプロとして拝見する限り、いささか覇気を感じないというか、熱量を感じない面もあり、物足りなさを感じていました。もっとできるはずの人なのに、と忸怩たる思いで舞台を見ていたことを思い出します。

「自分は与えられた役をこなしているんだから、それ以外は放っておいてほしい」、そう感じたことは一度や二度ではなくて、そんな印象を行動から受けるたびに、大丈夫かなと心配していたら、最悪の結果として出たのが、あの報道だったと認識しています。

これまで、このことについてblogで書くことは控えてきましたが、結局、「人が人として生きる以上、自分だけの理屈だけでもいいはずだけれど、他者との関係なしでは生きられない」という、まさにこの作品のテーマそのものに帰着するのだと、今は思います。

舞台の復活に皆が苦戦する中、500人収容のよみうり大手町ホールを半数しか使えない状態の中、それでも全公演全席が埋まり、東京公演が終了するという「成功」に、思いもかけず由美子さんが「主演」で戻ってきてくれて、堂々と演じ切ってくれたこと。

鈴木拡樹さんとの抜群の距離感で、お互いの魅力が大きく光ったこと。山口さん、伊藤さん、矢部さん、豊原さんという素敵な共演者にも恵まれて、座長として東京公演を完走できたこと。

舞台の外でも、デビュー30周年ということでアイドル時代のレコード会社であったビクターが中心に30周年プロジェクトを立ち上げていただき、ベストアルバムの発売も決定(10月)し、おそらく来年以降にはライブも視野に入れていただいていること。公演中の9月12日には20年ぶりにテレビの歌番組にも出演し、日向坂さんの力も借りて、歌で輝きを見せられたこと。

ご本人も今回インタビューで語っていますが、「たくさんの人に支えられていたことを実感して、ご迷惑をおかけした方皆さんにお詫びして再スタートした」と仰っていたこともリンクして。

今回の共演者は鈴木さんはじめ、皆さまに主演として立てていただいて、鈴木さんにも仰っていただいた「器の大きさ」という言葉はファンとしても本当に嬉しくて、他人のことは遠慮なくコアを射抜くのに、自分のことは照れ臭いのか触れたがらない由美子さんって、まんま時子さんだったんじゃないかと思うんですが(笑)皆さんに頼り頼られ、控え目に、でも堂々と0番に立つ姿が見られたことは、この世のことではないかのような幸せでありました。

それは、由美子さんがご自身思われていても、なかなか言葉にしてこなかった、周囲への「感謝」を出されるようになったからこそかな、と感じています。

・・・

共演者の方のことも。

鈴木拡樹さん。3月の『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』で拝見できなかったので、初見でした。
芝居心とバランス力がある方だなと感じました。心の開き方とが上手というか、全部を見せない、その「見せない率」が上手いという感じ。また拝見したい役者さんです。

伊藤修子さん。初見ですが、おばさん色強い2役を濃く演じていただいたおかげで、時子さんが比較的若く見えるという不思議な現象が出現(爆)。スーパーマーケットのパートさんの勢力争い、あるあるですな(笑)

矢部太郎さん。あの独特のトーンは癖になりますが、最後の最後で豊原さん演じる女性に「嫌い」って言われてて笑います。伊藤さんじゃないけど「わーかーるー(笑)」

山口森広さん。時子さんと冷えた夫婦役ではありましたが、後半の「本当は時子のことを思ってたんだな」と思わせるくだりは大好きでした。ポカリ飲んで0.5度も体温落ちるかは謎でしたが(爆)

豊原江理佳さん。実は由美子さん以外唯一、舞台上で拝見したことがあるのが豊原さん。今年2月、草月ホールで綿引さやかさんと『W FACE Musical Concert 2020』で共演されているので初ではなく。今回、スナック常連のオーナーさんの奥様(おばあさん)で「アメイジンググレイス」で美声を響かせていたり、関西出身を生かしての押しの強いヤンキー風を演じていたり、色々な面を見せていただいて楽しかったです。

・・・

東京千秋楽のトリプルアンコールは客席スタンディング。
予想外だったらしく、どうしようか困る役者陣(笑)
由美子さんが鈴木さんを促してご挨拶。

鈴木さん「舞台を開けて見に来ていただけることが当たり前じゃないと知った。東京が開けられて嬉しかった。大阪も頑張りたい」といった趣旨のご挨拶。

そして挨拶が終わった鈴木さんは由美子さんに振るも、頑なに手で「×」を作るあたりが相変わらず由美子さん(笑)

そして鈴木さんと客席の圧に気圧され(笑)

由美子さん「声がもうないです(笑)。本日はご来場ありがとうございました!」

で客席中の拍手を受けられ、最後は定番となった由美子さん・鈴木さんお2人の礼を以って終演となりました。

東京公演は終了しましたが、大阪公演は今週末9月26日(土)と27日(日)。
また、動画配信も10月2日~4日に行われますので、ご興味を持たれたら是非。
(販売は10月3日(土)まで こちら

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『ハゥ・トゥ・サクシード』(1)

2020.9.12(Sat.) 18:30~20:50
東急シアターオーブ 3階1列10番台

初日は4日に開けてすでに1週間以上経っていますが、日程調整が上手くいかなかったのとチケット難とで、my初日兼my楽日がこの日になりました。

日本上演、今回の1回前は13年前(2007年)、フィンチは西川貴教さん、ローズマリーは大塚ちひろちゃん。
今回のフィンチはNEWSの増田さん、ローズマリーは笹本玲奈ちゃん。

驚くべきは、ローズマリーの前演のちーちゃんと、今回の玲奈ちゃんはなんと同学年(しかも年齢は玲奈ちゃんが半年上)ということですね(爆)。ちーちゃんが1986年3月、玲奈ちゃんが1985年6月生まれです。

しかしそこはプロのミュージカル女優の玲奈ちゃん。
全くの違和感ゼロで得意の妄想系女子を全力でむっちゃチャーミングで疾走していて、見られてよかったです。
思えば、前作の『ウェスト・サイド・ストーリー』のマリアも似ていて、年齢的には回ってくるとは到底思っていなかった役にも関わらず、今までのキャリアを硬軟取り混ぜて、相手役をサポートするところ。
妄想に突っ走るのに、なぜか全く痛々しくないところ、それでいて同性の仲間から一目置かれることに何の違和感もないところ。
それらが、マリアとローズマリーはとっても似ています。

ローズマリーは恋する少女、狙いを定めたら一直線。
ということで「出世するかどうかとは関係なく」フィンチにロックオンしますが、そんなお花畑の様にも、秘書仲間の女子陣から浮きすぎることもなく、皆を味方につけるところの空気の作り方、玲奈ちゃんがとっても上手い。親友のスミティが上手く仲を取り持ってくれるところもありますけどね。スミティの林愛夏ちゃん、お芝居で拝見するのは初めてですが、玲奈ちゃんとの相性抜群です。(2007年の時はなんと入絵加奈子さんが演じてました)

というところでは存分に楽しめたものの、「この作品がいったい何の理由で今公演しようと思ったのか」は見終わっても全く分からすで(苦笑)。

上演自体は今の事情より以前に決まっていたのでしょうが、いまや「出世」の意味が問われているようなこのご時世に、従来の和訳である「努力せずに『出世』する方法」をテーマにした物語を上演して、それをポジティブな意味で見せるのか、ネガティブな意味で見せるのかもはっきり見えなくて。

企画に対して好意的に見るなら「努力せずに『成功』する方法」を今風に探す、「出世以外のあり方」を見せた方が良かったように思います。もう一つのテーマである「努力(の仕方)も人それぞれ」というところはフィンチのアクロバティックな行動で表現されていたようには思えますが。

まぁ、いわゆる「考えるより楽しむ」系の作品かと思うので、楽しんだ方勝ちではあるのでしょうね。
ラストはしっくりなハッピーエンドだったので、死を纏うことが多い玲奈ちゃんにしては、笑顔で終われるカーテンコールはとっても幸せでした。

何しろ、前作も次作もギロチンで首を刎ねられてしまうのですから…(苦笑)
というか、次はそれこそここシアターオーブでしたね。

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『時子さんのトキ』(1)

2020.9.11(Fri.) 18:30~20:15
よみうり大手町ホール 11列20番台(上手側)

高橋由美子さん主演舞台の初日。

由美子さんは舞台経験が長い(初舞台は1988年。歌手デビューの2年前)ですが、主演舞台は過去1作(2004年『真昼のビッチ』)だけなので、実に16年ぶりの主演舞台ということになります。

昨年の諸々もあり、舞台に戻ってこれるかも心配していたぐらいだったので、主演舞台と聞いて良い意味で大変驚いたことを覚えています。

普段は収容人数500人強のよみうり大手町ホールも、今般の対応で中1席空けの250人前後での開演ですが、ほぼ女性で満員。男性は数えるほどです(多分スタッフの男性の方が多い)。

由美子さんが演じる時子は、道すがらであったストリートミュージシャン、鈴木拡樹さん演じる翔真の演奏する姿に目を惹かれ、彼の活動をサポートするようになります。ボイトレの費用、ライブハウスへの交通費、その他諸々。「必ず(お金は)返すよ」と言う翔真、「いいのよ」と言う時子。
時子は納得して、翔真はそれに甘える日々だけれども、その「歪んだ関係」はいつしか周囲に露見し、時子も翔真もその”歪んだ”関係を抗弁することになる…

全編で100分近い作品ですが、ストーリーテラーを由美子さん演じる時子が行っている関係上、とにかく由美子さんの台詞量が驚くほど多く、出番にしてもほぼ出ずっぱり。由美子さんの台詞の声は特徴的に低いですが、それゆえ時子の心情が覚悟を持って伝わってくるようで。演出の田村さんが由美子さん演じる「時子」を「あて書き」と仰っていて、稽古前・突入直後ぐらいは「あて書きじゃないでしょー」と言ってた由美子さんが、稽古後半・パンフでは「これあて書きですね」って言ってたのに笑います。

寂しがりやで強がりで不器用なさまは、由美子さんに感じるイメージと時子さんは本当に瓜二つで、自分の殻の中に強く閉じこもるきらいがあった、かつての由美子さんにすごく通じるものを感じます。

*少しネタバレ入りますー*


*よろしいですかー*


*よろしいですねー(柏木さん風に)*


「私が翔真にいいと思ってやっていることを他人がなぜ口を出すの」という時子の叫びは、「それでしか寂しさを満たせない自分にとっての唯一の生き方」で、それについては誰も慮ってくれなかったのに、と言うようにも聞こえて、なんだか胸が詰まります。

周囲が無責任に責め立てる中、言葉がまっすぐ伝わってきたのは元旦那の一言。
時子はこの旦那と離婚しており、その時に一人息子(登喜)は自分の元を離れてしまったことが、時子の心を凍らせてしまったことが分かってきます。この息子を鈴木さんが2役で演じていますが、この2役と時子の関係が絶妙で、時子と翔真は姉と弟みたいな関係に見えるのに、時子と登喜(とき)はちゃんと母と息子に見える。

前者がその後、ビジネス的な関係になるのに対して、後者はやっぱり親子なんだなぁという関係になる。
とくに後者の関係では、由美子さん演じる時子さんが、もうただの由美子さんじゃないだろうか的な、心から安心した一言を言うシーンがすんごく印象的で嬉しくて。

久しぶりの舞台主演でプレッシャーもあったと思うのですが、共演の鈴木拡樹さんとの絶品のコンビネーションをはじめ、その他の共演者の皆さんとの、緊張感と一体感を併せ持った取り回しは、さすが舞台人生30年のベテランだからこその味でありました。

この作品の中で、時子さんが本当に客席から共感してもらえるだろうか、主演としてこの舞台をまわせるだろうか、それらの不安に対して、山を越えたように、その一言を聞いたときに感じて。とても胸が温かくなったのでした。

・・・

カーテンコール、最初の回は由美子さん1人でお辞儀して幕。
2回目も同じく由美子さんだけが残ることになりそうだったのを、鈴木さんの裾を引っ張って止めて、2人でお辞儀して幕。
3回目は鈴木さんもわかっていたていで、「はいはい分かりました」みたいな反応で、腕組んで幕。

由美子さん、さすが分かってますね(爆)。

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『Violet』

2020.9.5(Sat.) 18:30~20:30
東京芸術劇場プレイハウス 2階B列30番台

3日間の奇跡、何とか見ることができました。

思えば波瀾万丈な作品。

梅田芸術劇場劇場とイギリスのチャリングクロス劇場との共同プロデュース事業の第1回作品で、日本版で演出をされている藤田俊太郎さんが、イギリスに渡って演出されたのが昨年(2019年1月~4月)。NHKで密着番組が放送されていましたが、さすがの藤田さんも本場の様に苦戦されていた様が印象的でした。

その逆輸入版ということで2020年4月の東京、大阪公演が発表されたものの、舞台を客席で四方から囲む演出プランを実現できる劇場がないという理由で梅芸主催公演にも関わらず大阪公演が中止。
そのあと、コロナ禍に伴い2020年4月の東京公演も中止という、あらゆる荒波を被ってきたのではないか、という作品です。

その作品がこの9月、3日間だけの奇跡の再出発。

それを聞いた時には、嬉しい思いとともに、まさかそこまでするとは、という驚きが先に立ちました。
客席は半分での稼働を余儀なくされている現在、そんな短期間の公演では費用が全くペイできないだろうに「それでもやる」という執念、その熱さは、作品作りに確実に熱を与えていました。

ヴァイオレットはWキャストで、この日は唯月ふうかちゃん。

*ネタバレ入ります*


*よろしいですね?*

藤田さんとふうかちゃんといえば新演出版『ピーターパン』で接点はありますが、ヴァイオレット役をふうかちゃんで上演する、と聞いたときに意外な気がしました。どちらかといえば「人を信じる」役を多くやってきたふうかちゃん、それからすると事故とはいえ父親に端を発した自らの顔への大きな傷ゆえに、自らに向けられる好奇の目にさらされ、「人を信じられない」人生を生きていくヴァイオレットは、ふうかちゃん『らしくない』役だなぁと、そう思ったのが見る前の印象でした。

今回Wの、シンガーソングライター・優河さんのヴァイオレットは拝見できなかったのですが、どちらかといえば彼女の方がこの役にはイメージとしてあっている気がします。というのは、「自らの顔の傷故に触るもの皆傷つける」ヴァイオレットの痛々しさが、ふうかちゃんの役者としての持ち味とフィットしない痛々しさと、二重に見えてしまう気がして。なんというか、無理して強がるという感じがして。

自らの顔を治してもらうために、お金を貯めてバスに乗る。評判の伝道師になら、自分の顔を治してもらえるのではと思いバスに乗り込むが、バスで出会う人、降り立った街でのどの人とも、ヴァイオレットは壁を作り自分から遠ざけようとする。傷のある顔を好奇で見つめる人には慣れているけれど、傷つくのは嫌。

「顔を治さない限りは、自分は誰にも認めてもらえない」-その思いは凄く伝わってきたのが、ふうかちゃんのバイオレット。
頭が切れて、出会うものすべてを取り込んでいく彼女だけれど、実は自分の見えている世界が狭いということを、”全く気付いていない”のが、ふうかヴァイオレットの特徴でもあり、強みでもあるように思えました。

顔の傷を嘲笑され、傷つけられることの痛みは誰よりも分かっているはずの自分が、肌の色(黒人)故に非難や攻撃にさらされるフリックに対してかけてしまう無神経な言葉。それが、自分にかけられる言葉と何ら変わらない罪をもったものと理解できないさま。

聡明で優しかったであろう少女が、顔の傷への中傷ゆえに誰のことも信じることができず、だれにも頼れず生きるようになってしまった痛々しさ。それはいつしか、モンティとフリックという2人との出会いによって少しずつ変わっていく。2人ともヴァイオレットを手に入れたいと思うのだけれど、プロセスは全く違って、しかもそれがモンティ(成河さん)とフリック(光夫さん)の役者としての色とも相まって、あまりに違いすぎて、それでいて、ふうかヴァイオレットのあの気の強さのままじゃ、どっちも成功しないと思えてしまうところが何だか面白い(笑)。

この作品の舞台は1964年。同じ軍人であるモンティとフリックだけれど、片や白人のモンティはベトナムへ、片や黒人ゆえにフリックはアメリカに残る。黒人ゆえに差別され続けたフリックはベトナムに行くことにならず、優秀ということもあってベトナムに送り込まれるモンティ、という皮肉。

そして一度は心が通じたように思えたモンティとヴァイオレットだったけれども、ヴァイオレットが最後に自分をゆだねられたのはフリック。

この作品の後半で、回想シーンとして語られる、父親とヴァイオレットとの対話も印象的。
自らの顔を傷つけた故に、今まで父親に対して抱いていた「許せない」という気持ちと、自分のことを思ってくれていた父親の思いと接したことによる、今までの自分の気持ちとの折り合いの付け方。

ここがふうかちゃんは流石だな、と思いました。
強がることには慣れてないけど、折り合いをつけることには慣れているタイプに思えるふうかちゃん。

父親の本当の気持ちを知った時の、湧き上がる父親への感謝の気持ち。
他者に傷つけられることに慣れざるを得なかった、フリックとの共通点。
その共通点を踏まえたからこそ、フリックからかけられる、「ヴァイオレットを分かっている」言葉の温かさ。

それらが重なり合ったときに、ふうかヴァイオレットは初めて、何重にも重ね着をしていたかのような”他者への鎧”を脱ぐことができ、自分の足で歩きだすようになれたのかな、と感じました。

・・・

そういえば、ヴァイオレットは、ふうかちゃんとしては珍しい役だと思ったけれど、なんだか既視感があって、振り返ってみるとちーちゃん(大塚千弘さん)がシアタークリエで演じた『この森で、天使はバスを降りた』のパーシー役とイメージがかぶるんですね。聡明な少女なのに、意識的に強がって周囲にぶつかっていく様が、なんだかリフレインしました。

物語としても、「赦すことは癒し」といった面は、両作品、強く被っているように感じました。

自身に闇を抱えて、他者に心を開くことができず、でも他者との交流を通じて自分の価値観が絶対ではないことを知って、過去の自分と折り合いを付けながら、傷を受け入れて未来に対して歩きだせるようになる、そんな作品の役は、若い伸び盛りの女優さんが、一度は経てほしい役と改めて感じます。

『この森で、天使はバスを降りた』で心に闇を抱えたパーシーにとって、「森」が癒しになったように、

『ヴァイオレット』で心に傷を抱えたヴァイオレットにとって、「旅」が癒しになったように感じました。

・・・

ヴァイオレットの唯月ふうかちゃん。
最初にも書きましたが、今までのふうかちゃんらしくない役ではありましたが、挑戦という意味も含めて、今のふうかちゃんが演じるべき役だったのかな、と思います。
声が高いだけに、他者を責めるときに厳しめに感じてしまうのは、次回作『生きる』初演の渡辺一枝役でも感じたことなんですよね。声質的にはポップにはじけるもう1役、とよの役がしっくりくるのはそんなところもあるのかもしれません。

モンティの成河さん。
激しく跳ねるイメージがとっても成河さん(笑)。拝見するのは本当に久しぶりでしたが、縦横無尽な動きといい意味で役者としてのポリシーを見せない(役にストンと落とす)佇まいが素敵です。なんというのでしょう、あの「誰にも嫌われなくない」と思っているモンティが、成河さんそのものだと思わせてしまう見せ方の巧みさが、変わらず流石でした。

フリックの吉原光夫さん。
やっぱり持って行くんだなぁ、というのが感想です(笑)。強気で引っ張るモンティに比べて、弱点を正確に突くフリックと申しますか、ヴァイオレットへの最後のアプローチがもうね、ずるいですあれ(笑)。
役者としての「無条件の説得力」を持っているって強いなぁ、と実感します。

島田歌穂さん。
3役を演じてましたが、さすがとても素晴らしくて、エポニーヌの先輩としてふうかちゃんを見つめる姿は、12年前に『ベガーズ・オペラ』で(笹本)玲奈ちゃんを見つめていたさまと、何だか印象がかぶりました。
これから伸びていく若手女優さんを、まるで母のように見つめる様が本当に有難く感じました。

・・・

わずか11人で演じられたこの作品。

終演時のカーテンコールでは、幻となった、舞台四方を取り囲む客席があったかのように、四方にお辞儀をする役者の皆さま。

「3日だけでも、今上演することに意味がある」ことを強く感じた上演でした。

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