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2020年3月

『星の大地に降る涙』

2020.3.20(Fri.) 14:00~17:00
舞浜アンフィシアター 22列10番台(下手側)

初日公演です。

元々は3月10日(火)開幕を予定していたこの作品でしたが、新型コロナウィルスに伴う大規模イベントの自粛要請を受けて2回にわたって開幕を延期し、この日が初日になりました。

舞台関係は概ねこの日からの再開が多く、前日19日に政府専門家会議からの「主催者がしかるべき対応をとる前提で一律の自粛要請としない」主旨と捉えたものと思われます。

そして個人的な私のことを言ってしまうと、この作品のもともとの初日・10日は観劇予定でお休みを取ってましたが流れ、そしてこの20日・21日は梅芸で『ボディーガード』を観劇するために遠征の予定でした。

ところが、状況を鑑みて3日前に遠征中止。
JR東海ツアーズ様、東横イン様、梅田芸術劇場様のお蔭ですべて無手数料取消となり、まだこの段階では公演予定があったため、若干の心残りはあったのですが、20日午前2時台に3月20日~22日の公演中止が発表され、あのまま強行することにすればどうなっていたか…。

大阪行きがなくなったため、前日に急遽舞浜の20日のチケットを取りました。
今回、仮に公演中止になっても、また万が一体調不良で自ら止めても払い戻しがされるためリスクは低いと判断しました。

今回、主催者の方の配慮で公演を行う場合にも払い戻し可というケースが多いですが、公演のリスク低減のためにも必要な策と思います。払い戻しがないと無理して来ちゃう人もいるでしょうから。

ともあれ、会場の舞浜アンフィシアターは実は初めて来ました。
東京ディズニーリゾートが営業休止中のため、休館中のイクスピアリでしたが、舞浜アンフィシアターへの最短ルートになる関係で、開演2時間前~終演2時間後までチケットを提示しての通行が可能です。

この日朝には、急遽『SHOCK』の当日休演が発表されて、びくびくしながら会場に向かい、開演しそうとわかるまでは結構不安でした。

会場では入り口でアルコール手指消毒があり、係員の方がハンディサーモグラフィーを持って熱を計測。
物販はパンフレットのみで、パンフレット以外はweb(アスマート)のみでの扱いとなり、自販機も販売中止、ペットボトルのみ販売。

滞留しないよう随時声かけが入るのと、退場時の分散退場(ブロックごと)ぐらいが変わったところでしょうか。
特に分散退場は滞留防止にかなり効果があったので、事前告知の上で(帰りが急ぐ方もいるでしょうから)、他でも有効活用できればいいなと思います。

考えられうる最大限の対策を取った感じです。

・・・

作品の話にようやく移行しますが、この作品は「地球ゴージャス25周年記念祝祭公演」と銘打たれ、今まで再演がなかった地球ゴージャスで初めての再演作品となります。

海に投げ出され、島に流れ着いた一人の男を演じるは新田真剣佑さん。
部族・タバラ族が暮らすその島で彼を優しく介抱するのはタバラ族の女神・ステラ、演じるは笹本玲奈さん。
その男を運んできたシャチにあやかり、とっさにその男を「シャチ」と名付けるあたり、ステラはなかなかの天然キャラでもあります(笑)。

タバラ族の女神として、自然に女神として崇められるに相応しい存在感と歌声。
誰にも優しく振る舞い、それでいてその天然さから、お高く止まっていない様を見せる。しかもそれを計算高さを一切見せずにいる様は、「演じている」ようにまったく見えなくて、玲奈ちゃん当てがきですか、ぐらいな嬉しい驚きです。

脚本は再演にあたって岸谷さんが変えているそうで、岸谷さんには玲奈ちゃんの天然さんは見抜かれているようなので(笑)、その辺りがとってもしっくり。

真剣佑さんのシャチが不器用ながらもまっすぐで、心が折れてしまいそうになるとき。
タバラ族と人間(和人)が争うことを止められず、大切な人を次々失ってしまうとき。

それでも、玲奈ちゃんが見せるステラは、人を信じること、人を愛することを決して諦めないんですね。
この人は、本当に人を恨むことも憎むこともしないんだろうか、そんな不思議さにかられるほどのまっすぐな心を感じさせる存在。

母となってから演じるからこそ、自ら子供を育てることのリアルさ、温かさを感じるし、本当の強さも伝わってきて、女性の偉大さをすごく感じます。

この作品は地球ゴージャス唯一の再演作品となり、企画時点では「初演段階で願っていた『反戦』がいまだなくなっていない」ことに慄然としながら決めた再演だったと聞いています。

ところが、もちろん反戦へのメッセージはダイレクトに伝わってくるものの、この日10日遅れでようやく初日の幕を開けられた中で感じたこの作品のメッセージは、「コロナ前」の「戦いというものの無意味さ」だけでなく、今の「コロナ中」の「戦いというものがいつでも発生しうる社会の脆さ」をも同時に伝わってきて。

幕を開けたいと必死に思うだけではどうにもならなくて、そもそも敵がウィルスではなくて人間なんじゃないかと思うような日常の中、人が視野が狭くなると、自分のことしか考えられないようになってしまいかねない極限状態、それを目の前で見せられているような気がして。

だからこそ、「それでも分かり合うことが大切」と説く玲奈ちゃんのステラは、眩いほどに神々しくて。そして、お母様になった玲奈ちゃんだからこそ、いや、玲奈ちゃんでしか出せないオーラで、今この『星の大地に降る涙』のステラ役で拝見できたことの嬉しさに涙が出ました。

元々こういう事態になることを予想だにしていなかったのに、ここに女神そのものの玲奈ちゃんがいてくれる心強さ。
「ウェスト・サイド・ストーリー」のSeason1のマリアシングルキャスト13連投といい、最近の玲奈ちゃんのハイパーぶり凄い…。

カーテンコールでは、客席からの拍手が本当に長くて、いつまでも鳴り止まなくて、舞台上の皆さんもみんな涙を流されていて。本当は泣き虫の玲奈ちゃんは最後は涙涙でした。

そんな中、岸谷さんからのご挨拶も涙涙。
長い長い初日への日々でした。
 世界中がこのような状況の中、この劇場においでくださったお客様1人1人に本当に感謝します。ありがとうございました。また皆さまにごらんいただける機会があることを願っています」

本来なら満席で埋まるであろう舞浜アンフィシアター(1900席)もこの日は6割の入り。それでも、舞台に立った皆さまは客席からの拍手が何よりのエネルギーになったと思いますし、お客さんみんなの拍手は、初日を見届けられ、また明日への一歩が踏み出せる喜びに溢れていて、とても温かい時間になったのでした。

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『ロザリー』(3)

2020.3.8(Sun.) 13:00~16:00 J列10番台 月組前楽
2020.3.8(Sun.) 18:00~21:00 A列1桁番台 月組楽
2020.3.9(Mon.) 18:00~21:00 K列10番台 星組楽

六行会ホール(新馬場)

月組前楽、月組楽で観劇を終わるはずが、昨今の時勢で部署単位の強制での時差出勤(1時間前倒し)の結果、まさかの追加公演(星組楽/大楽)に間に合うことに。

というわけで、合計4回の観劇と相成りました。
月組2回、星組2回ですが、土日のジャンヌ・ベメールは入れ替わりだったので、ジャンヌは岡村さやかさん3回、井坂茜さん1回でした。もちろん分かってやったのですが。

久しぶりにパート割りして「ロザリー」の作品を
語りたいと思います。

●キーとなる「ジャンヌ」の存在
フランス革命、マリーアントワネットをテーマにしたミュージカルは多くありますが、『ロザリー』で特徴的なのは、マリーアントワネットの権威を失墜させたことで知られる「ジャンヌの首飾り事件」の主謀者の1人であるジャンヌが、物語を進めるかなり主要な位置にいることです。

今回は月組が井坂茜さん、星組が岡村さやかさん。

岡村さやかジャンヌは生きるテクニックに秀でた女性、井坂茜ジャンヌは生き残るエネルギーに溢れた女性、という印象を受けます。

「自分の生き残りやすいように動いてください」と言われて道が違うような、そんな感じ。

強烈な輝きを放つことでは同じなのですが、岡村さやかジャンヌが魅惑的なのに対して、井坂ジャンヌが魅力的。月と太陽のような好対照でした。

ジャンヌのセリフで印象的だったのが、
「頭の良い方が勝つのよ。私は負けたくない」という言葉。

貧民街で娼婦として生き、何としてでも生き残りたいと思ったこの時代の女性の、生命力を一心に集めた「誰もがなりたいけどなれない」あこがれの女性でありながら、成功者として嫉妬の渦の中に巻き込まれ、最後は裏切られて去っていく。

●フランス革命の勝者とは
かつては「民衆の勝利」と言われたフランス革命も、その後の恐怖政治とのセットで語られるようになってからは、この作品内でも語られるように「革命前の方が言いたいことが言えた」と言われるほど。

「昨日のヒーローが今日は罪人」と言われ、疑心暗鬼渦巻く世界は、同じ時代を描いた『ひかりふる道~マキシミリアン・ロベスピエール~』(宝塚雪組現トップコンビのお披露目公演)をも思い出させます。

誰もが羨むマリーアントワネット。
その権威が失墜した中、誰が勝利者か
…絶対的な勝者がいないとき。

その時代を描くときに、ただの少女の『ロザリー』をタイトルロールにしていることに、深い意味を感じます。

飢饉で父を失い、母を失い、何のために生きているのかわからない少女。絶望し、セーヌ川に身を投げながら、それでも生き残っている女性。
生き延びたいと生に固執するのではなく、脆く弱いながらも、生きる意味を見つけていく姿。

ロザリーは、何も持っていなかったかもしれない。
でも、愛だけはずっと持っていた。

マリーアントワネットは、
すべてを手に入れたかもしれない。
でも、愛だけはずっと持てなかった。

マリーアントワネットが最期を迎える前に出会った人生の最後のピースであるロザリー。
マリーアントワネットが自分の生きた意味を感じられた理由。

マリーアントワネットを演じた尾川詩帆さんは、その外見からどことなく冷たい印象を思わせるところがあります。その「誤解されそうな」ところがマリーアントワネットにどんぴしゃり。

対して、自ら役の上で辛すぎる運命を経験しながらも、他者への愛はずっと絶やさない、ロザリー役の綿引さやかさん。

2つの役と2人の役者が、これほどないほどにお互いを必要とし合った姿を拝見できたことは、何より幸せでした。

そして、ジャンヌとも併せて考えると、フランス革命の荒波の中、「勝つか負けるか」という主軸としてジャンヌを存在させ、対比してロザリーとマリーアントワネットとの関係が決して勝ち負けではない」不可分の関係として描いていたことを、とても印象的に感じました。

●ロザリーがついた一つの嘘
ロザリーという女性は、自分の気持ちに嘘を付かないことに関しては最初から最後まで首尾一貫していて、だからこそヒロインとして清々しいわけですが、ただ一点、ロザリーの言葉に「嘘」を感じる言葉があります。

最後のシーン、マリーアントワネットに対して言う
「あなたに罪はない」の言葉。

あえて言うなら、これはロザリーからマリーアントワネットに対する「優しい嘘」なのかと思うのです。

無実と無罪というのは用語として全く違う言葉で、貴族社会やフランス社会の中でスケープゴートにされた感のあるマリーアントワネットが「無実」だとして、では無実だから無罪かというと、必ずしもそうとは言えない。

しかも、マリーは自らのことを罪人としている。
「自分を愛せなかった」と告白した様は、「自分を愛せなかったのだから、フランス王妃として国民を愛せたなかった、だから私には罪がある」と言っているようにも見えて。

でも。
ロザリーにとってはマリーアントワネットが自らを罪人と思うかどうかには、関心がないのかと思いますし、少なくとも以前は憎しみでしかなかったマリーアントワネットへの感情が、「罪人として咎める必要は全くない」には変わっている。

同じ村で育ち、兄のように慕ってきたアランは投獄され死刑となったけれど、処刑される前に「自分の行なったことは間違っていない」と言い、「今はまだ社会が未成熟、まだよちよち歩きな社会が大人になるには、たくさんの犠牲が必要とされる」と。

マリーアントワネットが根拠のない裁判で死刑になる様を見ていても、いや見ているからこそ、ロザリーの感情も表情も民衆とともにはない。

民衆が我を失い、マリーアントワネットをスケープゴートにすることで、民衆たちは自分を恐怖から遠ざけようとしている…ように見えたのではないかと。

「こうあらねばならない」
…そんな強迫観念に迫られて意志なく決断するのではなく、自分が正しいと思う道を選ぶことこそ、ロザリーが示した道。

持って生まれた立場からは逃れようもない。
それはマリーアントワネットとロザリー唯一の共通点。
マリーアントワネットが逃げずに自分を貫いたからこそ、生き残ったロザリーが大事にしていくのは、どう生きるかということ
それを観客に問いかけているように思います。

・・・

「この時期に公演をすることの是非」は、きっと沢山問われただろうけれども、生きるために最善を尽くし、初日を開け、楽日まで走り抜けたこと、それはこの作品のテーマとも相まって、何だか奇跡のようなものに感じられました。

出演者の皆さま、スタッフの皆さまそれぞれが、抱える思いとともに公演前の期間、公演の期間を送られたのだと思います。そのご尽力に敬意を表しますとともに、とりわけ、久しぶりの主演で作品の幹、笑顔の核として存在し続けたロザリー役、綿引さやかさんの素晴らしさを改めて感じた公演になりました。

月組千秋楽、星組千秋楽の、正に魂を感じさせる思いの強さ。そこには執念すら感じるほど。

それは、今このとき、舞台をできていることの喜びであり、また、いま、舞台をできていない仲間へのエールに他ならないとも感じましたし、だからこそ、大楽カーテンコールでの涙ぐんだ姿は、重圧からの解放だったんだろうなと、心からじんとしました。

それでいて、涙ぐむ、びびちゃんを見つけ、(田中)利花さん、(今泉)りえさんやら、皆様がよってたかって(大笑)びびちゃんを笑わせにかかり(笑)、笑顔になって幕が下ろせるという、何というステキなカンパニー。

思えば、たくさんの舞台が中止になる中、2月いっぱいの千秋楽まで走りきった『Island Song』、そして舞台を開けることを決断されたこの『ロザリー』。楽日のこの日9日には、大規模劇場では初の再開となる『アナスタシア』(シアターオーブ)、そして宝塚大劇場(星組千秋楽)も再開。

バトンを渡した感のある、素敵な千秋楽になりました。
元々は完売公演だったこの作品、願わくば今回の事態が落ち着いたら、またこのカンパニーで拝見したいと、強く強く願っています。

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『ロザリー』(2)

2020.3.4(Wed.) 18:30~21:25
六行会ホール(新馬場)
C列10番台(センターブロック)

『ロザリー』3演目の初日、行ってきました。

先月後半以来の新型コロナウィルスの影響により、次々と公演が中止(切り上げ、開演延期)になる中、ミュージカル座さんは対策を講じての開幕を決断されました。

具体的にはマスク着用(持参できない場合は主催者が準備とのことでしたが、おおむね来場者持参だったように見えました。)と劇場内ロビー設置のアルコール消毒液による手洗い奨励の実施。500人クラスの六行会ホールだったからこそできたという考え方もありますが、現状を鑑みると一つの考え方として納得して向かいました。

同作品は2演目の2016年10月、同じ六行会ホールで拝見しており今回が2回目。その時はロザリーが浦壁多恵さん、マリーアントワネットは清水彩花さん。

今回はロザリーが綿引さやかさん(びびちゃん)、マリーアントワネットが尾川詩帆さん。詩帆さんがパンフレットでも(期待通り)触れられていますが、びびちゃんと詩帆さんは小中高の先輩後輩で今回が初共演になります。(ちなみにびびちゃんの先輩が声優の高垣彩陽さん)

「ロザリー」といってもミュージカル好きの方でないとどんな方か分からない感もあるかと思いますが、フランス王妃・マリーアントワネットが死刑執行になる直前まで収容されていたコンシェルジュリー監獄の牢番とされている実在の女性。

とはいえ、東宝版MAに通い詰めた身からすると(爆)MA再演を経て見た『ロザリー』は、MA再演にかなり似ていて(時系列逆ですが)、マリーアントワネットをただ愚かな女性としてだけで描いていないのが現代的。

共通点がまるでないはずのロザリーとマリーアントワネット。貧しい農家に産まれ、大切な人を次々と失い、自分の大切なものも失ったロザリー。ハプスブルク家から自らの意思がないままにフランス王家に嫁ぎ、表面的には栄華を謳歌した末に、全てを失ったマリーアントワネット。生きることに絶望しながらも生きてきたロザリー。そして、生きることに何の疑問もなく生きてきたマリーアントワネットは自らの死を前に自分の人生が何だったのか、その虚無に直面している。

出会うはずのない2人が、出会ったことで結びつき、「お互いの人生が意味のないものではなかった」と思い合う姿を見られたことは、びびちゃん&詩帆ちゃんペアだったこともあって、何だかとても重く深いものに感じました。2人の歌声を重ね合うパートが欲しかったなぁ。「憎しみの瞳」ほどぶつかり合わなくてもいいけど(爆)。

役者さんで印象的だったのは男性では木暮さん。実質的なロザリーの想い人にあたる方ですが、まっすぐを貫き通した結果、ロザリーが革命に対して疑念を抱くようになるピースとしてとっても光ってました。

(坂口)湧久くんも縦横無尽の大活躍。新聞売りの先導役が水を得た魚状態で怖いです(笑)。

そして水を得た魚状態といえば、かの有名なジャンヌは、月組は井坂茜さん。もう反則級の飛び道具で、あの時代を生き抜くための強かな生命力と小悪党感が最高です(←一応ですが褒めてますw)

マリーアントワネットの尾川詩帆さん。AWARDでもひめゆりでも拝見しているので初めてではないですが、先にびびちゃん主演が発表されたときに、予想&期待いずれもから挙げたのが詩帆さんだったので、今回拝見できて嬉しい。
未熟ゆえに貴族社会で孤立し、時代の波の中、フランス国中から孤立していく様は、滑稽な様を含めて、説得力をもって伝わってきました。

そして久しぶりの主演、ロザリーの綿引さやかさん。本来の持ち味のお嬢様的なポジションから一転して、革命を鼓舞するエネルギッシュな役回りをしっかりとこなされていて流石です。良い意味でそれぞれの登場人物と物語をしっかり作れる方なので、一人のパートでもう一段エネルギーが前面に出るともっと良くなるかなと思いました。

とはいえ、特別な思いで迎えたであろうこの日のカーテンコール、詩帆ちゃんとひしっと抱き合い、カンパニーみんなで手をつなぎ、舞台0番で笑顔でお辞儀をされたびびちゃん。そしてカンパニーの皆さまを見られて、本当に舞台初日が開けられて良かったなぁ、と心から胸をなで下ろしたのでした。

振り返ると、公演前日にびびちゃんが「みんなの笑顔が増えてきた」と呟いていたのもとても頼もしくて。
主演として、カンパニーをしっかり見れてるんだなと。

大変なときにみんなをまとめることができるのは、中心にいる人の笑顔と自信と存在感
それが、今この作品を続行できる原動力の一つだと実感できたのは嬉しかったです。

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