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『いつか~one fine day~』(2)

2019.4.19(Fri.) 19:00~21:00
シアタートラム B列10番台(上手側)

どうしてももう一度見たくて、定時退勤日なのになぜか全く帰ろうとしない同僚達の中、退勤。
隣の方を一切気にしない地下鉄(←見た人は分かる話。)、東京メトロ半蔵門線から東急田園都市線で三軒茶屋へ。

劇場受取でチケットを受け取ってみたら、まさかの最前列。
しかもエミの母・和田清香さんが慟哭するポジションが完全に目の前で、その圧に圧倒され涙しました。

さて、今回は前回以上にネタバレです。
これからご覧になりたい方、回れ右をよろしくお願いします。



よろしいですね?

舞台というものは、同じ作品を見ても全く同じ感情を持つとは限らないもの。

というのは、リピートしていると気づくことでもありますが、舞台の上での空気、役者の皆さんの空気そして熱量、客層、そして何より自分の気持ちが舞台を見ている時の感情を左右します。

全て人間が作り出すものなので、全く同じ回はありえないわけで、この「いつか」も、やはり前回と全く違う感情を持って拝見することになりました。

前回、「『いつかできるようになりたい』、人間はそういう思いがあってこそ生きられる」というベクトルを感じて実際にそう書いたのですが、この日感じた感情は全くの真逆。

「『いつかこの苦しみから抜け出せる日は来るだろうか』、人間はそれでも生きていかなければならない」という感情。

最愛の人・マキを喪い、失意の中にいる主人公・テル。生きてはいるけれど、毎日が無事に終わる事だけを祈る日々。何を目標に、何を支えに生きていけばいいかわからない、「死んでるように生きている」ようなさま。

翻って、テルが仕事で関わることになる、植物状態にある女性・エミ。ベットにつながれ、自ら動くことも意思表示もできない。
テルが「気持ちが死んでるように生きている」のなら、
エミは「身体が死んでるように生きている」

そんなエミの姿が、なぜかテルにだけは見えてしまう。
混乱するテルが、エミの奔放さに振り回されながらも、エミの底抜けの明るさの影にある思いに触れて、「仕事」(損害保険会社の担当者として、彼女の代理人に対して当件の示談を獲得することを厳命されている)と全く違うベクトルに引きずられていく。

この作品のフライヤーにある「本当の彼女の笑顔を、まだ知らない」の意味。

植物状態にある彼女の本名、「エミ」

つまり、「本当の彼女の『笑み』」を見せることができない、エミにとっての”心残り”。今このまま死んでは死にきれないという思い。最愛の人・マキの思いを満たせなかったテルは、エミにとって、「自分の気持ちを心から理解してくれる人」。

エミにとっては、自分の進むべき道を照らしてくれる、「テル」が「光」であってほしかったのだろうなと。
仕事の枠をいつのまにか越え、エミの本当の支えになっていくテルの姿。その姿に、最初はけんもほろろだったエミの親友、マドカもその心を開いていく。エミとマドカは同じ児童養護施設で育ち、つまりどちらも親に捨てられた心の傷を持ちながら、エミにとってマドカはいつも姉で、いつも母で、いつも支えだった…という思いで歌われるエミとマドカのデュエットが、まず第一の号泣ポイント。

エミ(皆本麻帆さん)がマドカ(佃井皆美さん)の結婚式に歌う、エミからマドカへの真っ直ぐな気持ち。そしてその感情は一方通行ではなく、マドカにとっても心を許した、大切な親友であることが感じられるその歌の温かさは感動的。

そしてテルの本気は、エミの「母を探したい」という難題もクリアするが、かつてエミを捨てた母は、エミに会うことを拒絶する。
エミの母には母なりの思いがあったから。

かつてとある本で読んだ言葉で好きな言葉があるのですが、

「人には、他人にはどうしようもない事情があるもの」

という言葉。

舞台で客観的に登場人物を眺めると、「こうした方が良いのに!」「こうすればよかったのに!」とつい思ってしまいがちなもの。
でも、人間の心の動きはコントロールできるものでもないし、人間は常に最善の手を選べるわけでもない(感覚的に言って、短期的にはマイナスとなる行動をとるケースが多いように思います)。それぞれの人にはそれぞれの事情があり、属するコミュニティ(家族だったり社会だったり)があり、それは他人が行動を強制できるものでも、他人と共有しきれるものでもない。

でも、「人間はそれぞれの存在として尊重されるべきで、社会的マイノリティーであってもそれは同じ、だからこそ人間は愛おしい」というメッセージに溢れたのが板垣さんの脚本であり演出であり、登場人物に対する視線が感じられて好きです。

事象を俯瞰する「視点」と、事象を表現する「視線」が上手に混じり合うからこその心地よさなのかもしれません。前者が重すぎると大上段な作品に見えて、後者が重すぎると感情過多になる気がするので。

・・・・

前回も今回も、1年分ぐらいの涙を流して、要は2回で2年分ぐらいの涙を流したことになりますが(笑)、「涙」といえば、自分にとって違和感がある歌詞があって、それが「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞(『Tomorrow』)。

自分の感覚としては、「涙の数だけ弱くなれる」方が大事だと思っていて。

世の中で生きていくには、(特に男性である自分にとっては)強く生きていかなきゃいけない、そう思って生きてはいるけれども、それこそ、この作品で小林タカ鹿さん演じる上司・クサナギさんがいみじくも語っているように「夢や未来で生きていけるほど現実は楽じゃない」と言った言葉に強く同調するところがあります。

強く生きていかなきゃいけなければいけないほど、時には弱くなれないと、人間って脆いもので、ポキッと折れてしまう。

私も父を亡くした経験があるので分かる部分もありますが、本当に悲しい時って涙も流れなくなるもので、「感情」というものがなくなってしまうのですね。つまり、「自分が生きているか死んでいるかもわからない感覚」であること自体が自覚できないんです。上司のクサナギ氏が、テルを心から心配して「大丈夫か」と掛ける言葉が、まさに「テルが”生きている”かわからない」危険な状態であることを察知しているから。

だから「涙を流せる」ことが「感情を持って生きている」ことの一つのバロメーターだと自分は思っているので、強がって生きるだけじゃなく、人間にとっては弱くなれるときがあるべきと思っていて、そこに自分は芝居を観る意味の一つがあるように感じています。

物語に戻りますと、テルにとって、最愛の人・マキの思いを遂げさせられずに喪ったことが、自身の生きる意味の喪失につながっていて、その思いがあるからこそ、エミはテルを信頼する。そしてマドカもテルを信頼する。肩ひじ張って頑張ることしかできなかったマドカが、信頼できた数少ない相手。

人生において、「他人にはどうしようもない事情がある」と先ほど書きましたが、逆の面として「自分ではどうにもならないこともある」もこれまた真実で。

人間それぞれ、自分が辿ってきた道というのは、往々にして自分の行動を束縛するもので、よほどの例外的な方でない限り、そうそう自分の既成概念から飛び抜けた行動を出来る人はいないもの。だからこそ人間にとって「他者」と関わる事って大事で、それでこそ世界が広がっていくのだ、と感じられるのでした。

・・・・

登場人物は皆魅力的で、特に女性陣の多士済々さが素晴らしかったです。

エミの母親、和田清香さんの慟哭。この日は最前列で至近距離で拝見したこともあり、より凄まじく伝わってきましたが、「母親の事情」を強く表面に出すことなく、エミを拒絶することにもきちんとした理由があって、でもエミの幸せを誰よりも願っていて、な様がとても素敵。理容室のチャキチャキな感じもエミの(皆本)麻帆ちゃんと母娘らしくて流石でした。先日まで『Tokyo Disney Resort Happiest Celebaration In Concert』で拝見していたのとは全く違う姿で新鮮でした。

エミの皆本麻帆さんのおどけ顔の裏にある本当の気持ち。テルには本心を告げてはいなくても、なんか「のせられてみたい」と思わせるチャーミングさとテンポの良さが観ていてワクワクしました。「ほら、私ってカワイイし」が壮絶にハマってて(爆)。

マドカの佃井皆美ちゃんのエミとの本当の友情。『リンダリンダ』での鴻上さんの目に留まったときから芝居力があることは知ってはいましたが(本業はジャパン・アクション・エンタープライズ所属のアクション女優さん)、外見のカッコよさと内面のカッコよさが両立する彼女の魅力を再認識。テルから告げられた時の、目力の対決からの信認は素晴らしかったです。取って付けたようなアクションシーンに噴きましたが(爆)

そして、テルの気持ちを引き出したのも奥様/マキ役・入来茉里さんのハートがあってこそ。エミと違うキャラクターでの明るさで、テルが本当に惹かれた相手としての説得力が抜群で、テルとマキの空気がきちっと作られていたからこそかと思います。

男性陣は何といってもテル・藤岡正明氏。誠実力を見せるならそうそう右に出る人はいない適役。
この作品には「芝居に嘘がある」人は1人もいないけれども、メンバーの中で群を抜いて嘘がないのがマサ氏。だからこそこの物語は締まったのだと思います。

仕事をする立場からすると、上司・クサナギの小林タカ鹿氏の存在は身に染みます。組織の中で責任ある立場として振る舞う上での、それこそ「弱みを見せられない立場」での人間味って、組織を引っ張る一つの必要要素だったりするんですよね。

テルの後輩、豊役の内海氏。お初に拝見しましたが、百戦錬磨の共演者の中では少し弱いかなと思いつつ、だんだんこなれてきていたので次に期待です。

マキの友人、トモヒコ役の荒田至法氏。ホント芸達者だよなぁと思います。軽く見せながら実は硬派という役回りを自然に見せているのも経験あってこそ。安心して見られました。

・・・

公演は今週末、21日(日)まで。劇場も三軒茶屋、そして大作祭りの4月で集客的には厳しい面もあったかと思いますが、残り2日間、一人でも多くの方にこの作品が届きますことを願い、いつの日か更なる進化を遂げたこの作品が再び拝見できることを願っています。

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