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2019年4月

『レ・ミゼラブル』(24)

2019.4.15(Mon.) 18:15~21:10
 2階K列40番台
2019.4.20(Sat.) 12:00~14:55
 2階L列50番台
2019.4.20(Sat.) 17:00~19:55
 2階J列10番台

帝国劇場

2019年レミゼ、始まりました。
プレビュー初日(15日)ではどうもしっくりこなかった自分も、本公演2日目の19日マチソワでようやく、「私の2019レミゼが始まった、そんな感じ♪」になれました。3回の観劇でプリンシパル27人中25人まで見られる効率は我ながら流石です(爆)。

演出面の大きな変更はなく、舞台が多少明るくなったと感じる程度。細かいところでは、結婚式でコゼットに上げる指輪をマリウスが容易く見つけてしまうところと、エポニーヌが撃たれた後に帽子を手放してしまう(その帽子は、天に召された後にガブローシュからマリウスに手渡される)ところぐらいでしょうか。

ただ、個人的に感じた一番大きな変化は、エポニーヌの立ち位置。
制作側の意思として、はっきりと「幼い少女」であることが再設定されたのかと思います。

笹本玲奈ちゃん(1985年生まれ)がエポニーヌをやったのが2003年8月(18歳)、それ以来、2015年8月に30歳で卒業するまで、つまり今回の2期前まで演じていたわけですが、その期間、玲奈エポニーヌの年齢を重ねるごとに、全体的にエポニーヌの年齢設定はだんだんと上がってきて、玲奈ちゃんの1歳下のびびちゃん(綿引さやかさん/1986年生まれ)が2013(27歳)-2015(29歳)で演じられたのもその流れ。2017年の松原凜子さんのエポニーヌもその流れ、つまるところ「きれいなお姉さん」の傾向が一つはあったように思います。(そして私はその路線が大好きでした。)

その松原さんが今回のレミには出られない(はっきりとオーディションで選ばれなかったことをご本人が言及されていました)ことから、違和感を感じていたのですが、プレビュー初日の(屋比久)知奈エポ、my本公演初日の(唯月)ふうかエポ、(昆)夏美エポを見て、「あ、これはもうそういう路線なんだな」と理解することになりました。

マリウスから見て、はっきりと「恋の対象にならない」エポニーヌ。

破れかぶれな面が強い昆エポ、ボーイッシュが一番強いふうかエポ、野性っぽさが特徴的な知奈エポ。
それぞれ「らしく」て魅力的ではあるのですが(特にふうかエポ)、でも、「お姉さん的なエポ」がいなくなった現実は、やはり自分の中でのレミが一つ区切りがついたのだと、そう感じざるを得なかったです。
意図してかわかりませんが、今回、初日の会見写真にもエポはいませんしね。(ディズニー映画のメインヒロインをやった人が2人もいるのにかかわらずです。)

それと対になり、三人三様で素敵なのがコゼット。

とりわけ、2015年からコゼットを演じている小南満佑子コゼットのパパ大好きコゼットの安定感たるや、絶品です。
歴代のパパ大好きコゼット(河野由佳さん→青山郁代さん→清水彩花さん)が大好きな自分にとって、パパに対して愛情たっぷりのまゆコゼの輝きは何物にも代えられません。

2017年に観劇してた時、「生田コゼットは愛のコゼット、彩花コゼットは愛情のコゼット、小南コゼットは愛嬌のコゼット」と評したのですが、2年年齢を重ねた分、まゆちゃんには包容力が加わって、彩花ちゃんの残してくれた空気をしっかりと継いでくれているのが嬉しくて。

そして最大の泣きポイントは、1幕ラスト、バルジャン(パパ)が「明日は」と言ったとたんに悲しそうな顔をするまゆコゼ。

「(パパ以外を)愛することを初めて知ったのに、ようやく(愛する人と)会えたのに、明日の戦いで愛する人と永遠に別れるかもしれない」、そのやるせなさが表情に現れていて素晴らしかったです。

史上最年少、歴代唯一の10代コゼットの熊谷彩春(いろは)コゼット。2003年以降で10代プリンシパルは(笹本)玲奈ちゃんのエポニーヌ(1985年6月生まれ、2003年8月デビュー、18歳1ヶ月)に次いで2人目(2000年3月生まれ、2019年4月デビュー、19歳1ケ月)。
若さに溢れ、逆に言うと、感情に素直な反抗期コゼット(笑)。この日のパパこと吉原バルジャンが娘をどうしていいか分からないおろおろぶりが新鮮です(爆)。

生田コゼットもグレコメ(1月公演)を経て安定感も増して安心してみていられます。アイドルと兼業のハードスケジュールだけが心配で、そろそろ1本に絞られた方がよいのではと気にかかります。

他キャストで印象的なキャストも多々いらっしゃいますが、一番印象的だったのは伊礼ジャベール。
期待以上の存在感で流石でしたが、とりわけ神に祈るさま、そして自分こそが神に愛されていると信じる姿が印象的。

どん底の環境で生まれ、法を守らせることのみが自分のレゾンテール(存在意義)である警部のジャベールが、「絶対的な悪」とみなすバルジャン。バルジャンが、罪を償った後に真心を尽くし、皆に信頼されるようになっていく姿は、自分がなくなってしまうほどの衝撃だったのだと、その感情が伝わってきて圧倒されました。

仕事の都合で、GW中は一切のレミ観劇の予定がなく、次は5月12日になります。結果的に少し時間が空くことで、どういう変化が出てくるのか楽しみです。

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『いつか~one fine day~』(2)

2019.4.19(Fri.) 19:00~21:00
シアタートラム B列10番台(上手側)

どうしてももう一度見たくて、定時退勤日なのになぜか全く帰ろうとしない同僚達の中、退勤。
隣の方を一切気にしない地下鉄(←見た人は分かる話。)、東京メトロ半蔵門線から東急田園都市線で三軒茶屋へ。

劇場受取でチケットを受け取ってみたら、まさかの最前列。
しかもエミの母・和田清香さんが慟哭するポジションが完全に目の前で、その圧に圧倒され涙しました。

さて、今回は前回以上にネタバレです。
これからご覧になりたい方、回れ右をよろしくお願いします。



よろしいですね?

舞台というものは、同じ作品を見ても全く同じ感情を持つとは限らないもの。

というのは、リピートしていると気づくことでもありますが、舞台の上での空気、役者の皆さんの空気そして熱量、客層、そして何より自分の気持ちが舞台を見ている時の感情を左右します。

全て人間が作り出すものなので、全く同じ回はありえないわけで、この「いつか」も、やはり前回と全く違う感情を持って拝見することになりました。

前回、「『いつかできるようになりたい』、人間はそういう思いがあってこそ生きられる」というベクトルを感じて実際にそう書いたのですが、この日感じた感情は全くの真逆。

「『いつかこの苦しみから抜け出せる日は来るだろうか』、人間はそれでも生きていかなければならない」という感情。

最愛の人・マキを喪い、失意の中にいる主人公・テル。生きてはいるけれど、毎日が無事に終わる事だけを祈る日々。何を目標に、何を支えに生きていけばいいかわからない、「死んでるように生きている」ようなさま。

翻って、テルが仕事で関わることになる、植物状態にある女性・エミ。ベットにつながれ、自ら動くことも意思表示もできない。
テルが「気持ちが死んでるように生きている」のなら、
エミは「身体が死んでるように生きている」

そんなエミの姿が、なぜかテルにだけは見えてしまう。
混乱するテルが、エミの奔放さに振り回されながらも、エミの底抜けの明るさの影にある思いに触れて、「仕事」(損害保険会社の担当者として、彼女の代理人に対して当件の示談を獲得することを厳命されている)と全く違うベクトルに引きずられていく。

この作品のフライヤーにある「本当の彼女の笑顔を、まだ知らない」の意味。

植物状態にある彼女の本名、「エミ」

つまり、「本当の彼女の『笑み』」を見せることができない、エミにとっての”心残り”。今このまま死んでは死にきれないという思い。最愛の人・マキの思いを満たせなかったテルは、エミにとって、「自分の気持ちを心から理解してくれる人」。

エミにとっては、自分の進むべき道を照らしてくれる、「テル」が「光」であってほしかったのだろうなと。
仕事の枠をいつのまにか越え、エミの本当の支えになっていくテルの姿。その姿に、最初はけんもほろろだったエミの親友、マドカもその心を開いていく。エミとマドカは同じ児童養護施設で育ち、つまりどちらも親に捨てられた心の傷を持ちながら、エミにとってマドカはいつも姉で、いつも母で、いつも支えだった…という思いで歌われるエミとマドカのデュエットが、まず第一の号泣ポイント。

エミ(皆本麻帆さん)がマドカ(佃井皆美さん)の結婚式に歌う、エミからマドカへの真っ直ぐな気持ち。そしてその感情は一方通行ではなく、マドカにとっても心を許した、大切な親友であることが感じられるその歌の温かさは感動的。

そしてテルの本気は、エミの「母を探したい」という難題もクリアするが、かつてエミを捨てた母は、エミに会うことを拒絶する。
エミの母には母なりの思いがあったから。

かつてとある本で読んだ言葉で好きな言葉があるのですが、

「人には、他人にはどうしようもない事情があるもの」

という言葉。

舞台で客観的に登場人物を眺めると、「こうした方が良いのに!」「こうすればよかったのに!」とつい思ってしまいがちなもの。
でも、人間の心の動きはコントロールできるものでもないし、人間は常に最善の手を選べるわけでもない(感覚的に言って、短期的にはマイナスとなる行動をとるケースが多いように思います)。それぞれの人にはそれぞれの事情があり、属するコミュニティ(家族だったり社会だったり)があり、それは他人が行動を強制できるものでも、他人と共有しきれるものでもない。

でも、「人間はそれぞれの存在として尊重されるべきで、社会的マイノリティーであってもそれは同じ、だからこそ人間は愛おしい」というメッセージに溢れたのが板垣さんの脚本であり演出であり、登場人物に対する視線が感じられて好きです。

事象を俯瞰する「視点」と、事象を表現する「視線」が上手に混じり合うからこその心地よさなのかもしれません。前者が重すぎると大上段な作品に見えて、後者が重すぎると感情過多になる気がするので。

・・・・

前回も今回も、1年分ぐらいの涙を流して、要は2回で2年分ぐらいの涙を流したことになりますが(笑)、「涙」といえば、自分にとって違和感がある歌詞があって、それが「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞(『Tomorrow』)。

自分の感覚としては、「涙の数だけ弱くなれる」方が大事だと思っていて。

世の中で生きていくには、(特に男性である自分にとっては)強く生きていかなきゃいけない、そう思って生きてはいるけれども、それこそ、この作品で小林タカ鹿さん演じる上司・クサナギさんがいみじくも語っているように「夢や未来で生きていけるほど現実は楽じゃない」と言った言葉に強く同調するところがあります。

強く生きていかなきゃいけなければいけないほど、時には弱くなれないと、人間って脆いもので、ポキッと折れてしまう。

私も父を亡くした経験があるので分かる部分もありますが、本当に悲しい時って涙も流れなくなるもので、「感情」というものがなくなってしまうのですね。つまり、「自分が生きているか死んでいるかもわからない感覚」であること自体が自覚できないんです。上司のクサナギ氏が、テルを心から心配して「大丈夫か」と掛ける言葉が、まさに「テルが”生きている”かわからない」危険な状態であることを察知しているから。

だから「涙を流せる」ことが「感情を持って生きている」ことの一つのバロメーターだと自分は思っているので、強がって生きるだけじゃなく、人間にとっては弱くなれるときがあるべきと思っていて、そこに自分は芝居を観る意味の一つがあるように感じています。

物語に戻りますと、テルにとって、最愛の人・マキの思いを遂げさせられずに喪ったことが、自身の生きる意味の喪失につながっていて、その思いがあるからこそ、エミはテルを信頼する。そしてマドカもテルを信頼する。肩ひじ張って頑張ることしかできなかったマドカが、信頼できた数少ない相手。

人生において、「他人にはどうしようもない事情がある」と先ほど書きましたが、逆の面として「自分ではどうにもならないこともある」もこれまた真実で。

人間それぞれ、自分が辿ってきた道というのは、往々にして自分の行動を束縛するもので、よほどの例外的な方でない限り、そうそう自分の既成概念から飛び抜けた行動を出来る人はいないもの。だからこそ人間にとって「他者」と関わる事って大事で、それでこそ世界が広がっていくのだ、と感じられるのでした。

・・・・

登場人物は皆魅力的で、特に女性陣の多士済々さが素晴らしかったです。

エミの母親、和田清香さんの慟哭。この日は最前列で至近距離で拝見したこともあり、より凄まじく伝わってきましたが、「母親の事情」を強く表面に出すことなく、エミを拒絶することにもきちんとした理由があって、でもエミの幸せを誰よりも願っていて、な様がとても素敵。理容室のチャキチャキな感じもエミの(皆本)麻帆ちゃんと母娘らしくて流石でした。先日まで『Tokyo Disney Resort Happiest Celebaration In Concert』で拝見していたのとは全く違う姿で新鮮でした。

エミの皆本麻帆さんのおどけ顔の裏にある本当の気持ち。テルには本心を告げてはいなくても、なんか「のせられてみたい」と思わせるチャーミングさとテンポの良さが観ていてワクワクしました。「ほら、私ってカワイイし」が壮絶にハマってて(爆)。

マドカの佃井皆美ちゃんのエミとの本当の友情。『リンダリンダ』での鴻上さんの目に留まったときから芝居力があることは知ってはいましたが(本業はジャパン・アクション・エンタープライズ所属のアクション女優さん)、外見のカッコよさと内面のカッコよさが両立する彼女の魅力を再認識。テルから告げられた時の、目力の対決からの信認は素晴らしかったです。取って付けたようなアクションシーンに噴きましたが(爆)

そして、テルの気持ちを引き出したのも奥様/マキ役・入来茉里さんのハートがあってこそ。エミと違うキャラクターでの明るさで、テルが本当に惹かれた相手としての説得力が抜群で、テルとマキの空気がきちっと作られていたからこそかと思います。

男性陣は何といってもテル・藤岡正明氏。誠実力を見せるならそうそう右に出る人はいない適役。
この作品には「芝居に嘘がある」人は1人もいないけれども、メンバーの中で群を抜いて嘘がないのがマサ氏。だからこそこの物語は締まったのだと思います。

仕事をする立場からすると、上司・クサナギの小林タカ鹿氏の存在は身に染みます。組織の中で責任ある立場として振る舞う上での、それこそ「弱みを見せられない立場」での人間味って、組織を引っ張る一つの必要要素だったりするんですよね。

テルの後輩、豊役の内海氏。お初に拝見しましたが、百戦錬磨の共演者の中では少し弱いかなと思いつつ、だんだんこなれてきていたので次に期待です。

マキの友人、トモヒコ役の荒田至法氏。ホント芸達者だよなぁと思います。軽く見せながら実は硬派という役回りを自然に見せているのも経験あってこそ。安心して見られました。

・・・

公演は今週末、21日(日)まで。劇場も三軒茶屋、そして大作祭りの4月で集客的には厳しい面もあったかと思いますが、残り2日間、一人でも多くの方にこの作品が届きますことを願い、いつの日か更なる進化を遂げたこの作品が再び拝見できることを願っています。

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『いつか~one fine day』(1)

2019.4.14(Sun.) 16:30~19:00
 シアタートラム F列10番台(下手側)

Conseptさんの新作。
上階の世田谷パブリックシアターは何度も行っていますが、シアタートラムは初めて。入ってみると奥行きこそ違いますが、去年のConseptさんの『In This House~最後の夜、最初の朝~』を上演された池袋・東京芸術劇場シアターイーストとも空気感が似ています。

韓国映画『one day』を元敷きにエンディングを少し変えている作品ということですが、幸か不幸か映画は未見なので、まっさらな気持ちで見られるのはありがたいです。(ちなみに、この回はトークショー付きの回だったため、映画を見たことある方を聞いたらだいたい3割ぐらいだったようです)

まず、ただただ素晴らしかったと、そう申し上げたいです。

昼に日生で『笑う男』を見て涙を流したばかりというのに、『いつか』はスイッチ入ってからずっと涙を流していました。この1日で1年分の涙を流したんじゃないかと思うほど(笑)、間違いなく1回の観劇で流した涙の量は過去最高です。

主人公は藤岡正明氏演じる保険会社社員・テル。少し前に妻・マキ(入来茉里さん)を亡くし、仕事復帰して最初に上司・クサナギ(小林タカ鹿さん)から割り当てられた仕事は、交通事故で植物状態にある盲目の女性・エミ(皆本麻帆さん)の案件で示談を勝ち取ること。ところがエミの友人にして代理人のマドカ(佃井皆美さん)と友人のトモ(荒田至法さん)からは、けんもほろろ。とりつく島もない始末。ところが、八方ふさがりのテルが酔ってエミの病室で一晩過ごし、起きてみると、テルだけはエミと話ができるようになっていた。奔放なエミに振り回されるテルだが、次第にテルにも気持ちの変化が現れ始める。

....という導入部。

えと、なるべくネタバレは避けるようにはしますが、まっさらでご覧になりたい方のために、ここからはネタバレが含まれるパートに入りますので、ご注意くださいませ。



よろしいですね?

この作品の前半部は、比較的予想できる物語の展開というか、「感動の方程式」に則ったような展開になっていて、正直言って、「こことここを組み合わせるようにしてるからあぁなるほど感動するよね」みたいに思っていたんですが、8人の登場人物の人物造形が出終わって、それぞれの人物の心が動き出してから、一気に感情のさざなみが押し寄せます。

テルにとってわだかまっているマキへの後悔、それゆえにどう対応していいかわからないエミへの気持ち。
エミと同じく児童福祉施設育ちで、姉のような存在のマドカの、保険会社社員に対するぴりぴりした反応。

テルにとっては最初は業務命令である「示談を勝ち取る」ことに対しても熱心ではなく、自分からしか見えないエミからの強烈なプッシュにも戸惑うだけで、マドカに対しても形通りの説得をしているだけに過ぎないんですね。

当然、その様をマドカに見透かされてまともに相手をしてもらえない。マドカは大好きなエミが、なんでこんなことになったのか真実が知りたいだけ。でもマドカにしてみても、植物人間状態にあるエミから聞きだせるわけもなく、ただ立ちすくんでいるだけでもある。

閉塞状態を動かすキーが、本来はありえない「エミの意思表示」。これがテルだけには見える。最愛の人を亡くした経験を持つテルだけに。エミはただ自分の思いを知ってほしかった、自分のやりたいことをやれるようにしてほしかった。エミに振り回されるだけのテルだったけれども、ただ、流されている間に、すべてに消極的だったテルの心にも光が宿ってくる様が感動的。エミの願いを聞くことは、自分の願いを整理することでもあって。

今回の作品のタイトルになっている「いつか」という言葉。

「いつかエミは目覚めるかもしれない」とマドカは思い
「いつかマキへの思いは整理できるかもしれない」とテルは思っているけれど、それは他人頼みの願いでしかない。

「いつかこうしたい」
そういう思いを持って、先に進もうと努力することでしか未来は開けない
できないことも、いつかできるようになりたい、それが生きる意味。

死を目の前にしたエミが、「いつか」なんて悠長なことを言っていられないほど追い詰められたとき、助けを求めることができた唯一の存在がテル。

テルは、エミの願いを聞いているうちに、いつしかエミの願いを叶えることこそ自分の生きている意味だと感じるようになる。素直な麻帆ちゃんのエミ、実直な藤岡氏のテルだからこそ、物語が前に進む。

エミの出生の秘密が明らかになることでさらに物語が動く。エミの母親を演じるのは和田清香さん。
かつてエミを捨てた母親だけれども、実年齢は麻帆ちゃんとは4歳違い(爆)。でも堂々とした母親で、むしろ若いからこそエミの母親としていられなかったという風にも思えて、とっても良かったです。清香さんの歌の叫び、とりわけ響きました。

舞台として眺めると「誰が良い、誰が悪い」って言いたくなってしまうけれども、実際はそれは違って、それぞれの人にそれぞれの事情があって、「誰が良い、誰が悪い」ではない。相手を思えば言わないことが正しいこともあるし、言うことが正しいこともある。全員にとっての正解なんてないし、全員にとっての不正解もない。

期せずしてこの日のトークショーでも藤岡さんが仰っていましたが、「答えを提示する作品ではなくて問いかけをする作品」というのがぴったり。

そんなこの作品作りの現場は、演出の板垣さん曰く「みんな小学生かってぐらいにぎやか」で、「通しげいこで初めて静かになった(笑)」そう。でも出演者みんな口々に「こんなに笑いが起きる現場はない」と言っていて、藤岡さん曰く「板(垣)さんは、ある人が出すぎていると上手く収めて、しり込みしていると上手く自信をつけさせる」と褒め、板垣さんは「仕事ですから(笑)」と言いつつ嬉しそう。

今回の作品の出演を決めた決め手は、入来さんが「資料が送られてきてほぼ即決」と言われていて、板垣さんがびっくりされていましたが「去年5月にワークショップ(霞が関ビルでやってた)が楽しかったので板垣さんなら大丈夫だと安心して」と答えていて、同じ場で共演された和田さんも、ほぼ同じことを仰っていました。ちなみに和田さん、出演を依頼するプロデューサーからの連絡が「お母さま役なのですが…」って”とても恐縮そうに”送られてきたことに大層悩まれたそうで(笑)、最終的には麻帆ちゃんと去年同じ役をやっており、気が合ったこともあって今回決断されたと仰っていました。

この作品自体はプロデューサーの宋さんから板垣さんに依頼があった時、「これできないよ」と言われたそうなのですが(笑)、脚本を板垣さんご自身が書かれたということもあり、演出はスムーズに進んだそう。

板垣さん曰く「役者さんには自由に動くことを奨励する演出家なので、毎回毎回感情が変わることも楽しんでほしい」と仰っていたこの作品。

最初から全部余白を埋めきらず、最後のピースを観客に委ねてくれるからこそ、清々しい気持ちで劇場を後に出来るように思えてなりません。

公演は21日まで、三軒茶屋駅前・シアタートラムにて。

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『笑う男』

2019.4.13(Sat.) 13:00~15:50
 日生劇場 2階F列10番台(下手側)

『レ・ミゼラブル』と同じヴィクトル・ユゴーの作品で、音楽はフランク・ワイルドホーン氏。
韓国でミュージカル化されて大ヒット、という基礎知識のみで拝見してまいりました『笑う男』。

TipTap主宰でお馴染み、上田一豪さん(東宝演劇部所属)演出です。音楽監督は小澤時史氏で、2月クリエ・3月全国ツアー公演の『キューティ・ブロンド』と同じコンビですね。(音楽スーパーヴァイザーに塩田氏が入られています)

山口祐一郎氏演じるウルシュスに拾われた子供・グウィンプレン(浦井さん)はその時既に顔に傷を持ち、まるで笑っているかのように見える子供だった。その時、グウィンプレンが抱えていた幼い娘・デア(夢咲ねねさん・衛藤さんのWキャスト)は生まれつき盲目な少女。ウルシュスが指揮を取る見世物小屋で、グウィンプレンは「笑う男」として、デアとともに興行の出し物として人気を博していく。

いつしかグウィンプレンはデアを愛し、デアもグウィンプレンを愛していく。
しかし運命の歯車は2人の間の関係を変えていく…

という物語。

グウィンプレンは見た目で笑われ、見世物になるという時をずっと過ごしてきた。でもデアは盲目なのでグリウィンプレンの見た目の醜さは見えない。でも醜いことを見えないからデアはグウィンプレンを愛せているわけでは決してない。

この日のデアは夢咲ねねさん。
制作発表で「デアは目が見えないけど、目が見える人が見えないものが見えている」と仰っていて、その時点でデアの本質をはっきり見抜いていたからこその素晴らしい佇まい。

脆くて儚くて、でも強い。全く両立しないはずの3つの要素を自然に切り替えられるのが、ねねちゃんの技術であり魅力。

ウルシュスとグウィンプレンの愛情をたっぷり注がれ、一座の仲間、ヴィーナスやフィービーにも大切にされ、周囲からも大切にされる様は、デアの優しさあってこそ。

流石に一度、グウィンプレンが朝夏さん演じるジョシアナに誘惑されてから帰ってきた時のデアは怒りを隠せず(苦笑)。実は、ねねみさとも「最初は許さない」って思ってるけど、演出の(上田)一豪さんは「最初から許そうとしていてほしい」って言ってて、受ける浦井さんは「最初は許さなくていい」って言ってるあたりが、とってもそれぞれ「らしくて」ツボに入りました(爆)。

浦井くんとねねちゃんのペアは『ビック・フィッシュ』で夫婦役として共演して以来2度目ということもあり、抜群の空気感。ねねちゃんは宝塚娘役当時から相手役に委ねるのが上手な方だと思っているのですが、とりわけ浦井くんに対する心からの委ね方が凄くて、疑うことを欠片もしないデア。
でもグウィンプレンが戻って来ないことを一座のみんなが取り繕う様を淋しそうに、でもみんなを慮って「もう無理しなくていいよ」と言う様は、ただただ壮絶でした。

ねねちゃんの役者としての魅力って「邪気がない」ことだと思っていて、心のままありのまま、気持ちをストレートにぶつけるからこそ、相手役にそのハートが突き刺さる。浦井くんのグウィンプレンも、祐一郎さんのウルシュスも、ねねちゃんデアのハートだからこその慟哭の揺れが伝わってきて。

貴族と民衆がはっきり分かれていた時代のイギリスの物語で、金持ちと貧乏人は一生交わらない中、金持ちは貧乏人を笑う自由を謳歌し、それを権利だと思い込んでいる。グウィンプレンは金持ちに「笑われる男」としてその屈辱を表に見せないけれども、黙って耐えることで「笑う男」を嘲笑っているようにも見えて。

自分を「笑う男」を「嗤う男」みたいに思えて印象的でした。

出演者で印象的だったのは、一座の看板娘・ヴィーナスを演じた清水彩花ちゃん。デアととっても気持ちが近い場所にいて、デアとハートが伝わっている感じがとっても良くて。華やかさもあって優しさもあって、先日ねねちゃんが演じてた『ラブ・ネバー・ダイ』のメグ・ジリーを彷彿とさせる華やかさで、是非やって欲しいなぁと思いましたです。

東京・日生劇場公演は4月29日まで。その後、5月いっぱい地方公演となります。
重厚で素敵な作品でした。

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