« 『レベッカ』(5) | トップページ | 『キューティ・ブロンド』(4) »

『ラブ・ネバー・ダイ』(4)

2019.2.3(Sun.) 17:30~19:55
 日生劇場 2階K列20番台(下手側)

初演は5年前(2014年3月~4月)、今回と同じ日生劇場でした。

今回の再演は既に開幕から2週間が経過していて、普段ここまでmy初日が開くことはないのですが、チケット入手難なことと、当初入れていた回は、玲奈ちゃんがいっくんのコンサート(大阪)に出るということで遠征とぶつかったので、結局この回がmy初回。

マチネの「レベッカ」のマンダレイから、5分歩いて「ラブ・ネバー・ダイ」のコニーアイランドへ。交通アクセス抜群です(違)。

パンフレットを見ていると初演から結構細かい変更が入っているようですが、全体的な空気感はそれほど変化を感じませんでした。豪華なセットと、セットが豪華なだけに人間模様が異様なほどに禍々(まがまが)しい。最後はやり切れないんだったと思い出しました。

自分にとってこの作品はメグで見始めている作品なので、視点はメグと母親のマダムに集中します。
初演のメグは(笹本)玲奈ちゃんと(彩吹)真央さん、今回の再演のメグは(夢咲)ねねちゃんと、(咲妃)みゆちゃん。
この日はねねメグです。

ネタバレあります注意!





ねねメグは期待どおり!

コニーアイランドで、精いっぱいにスターとなろうと頑張っているいっぱいいっぱいさがぴったりだし、そこにやってくるクリスティーヌを憎もうにも憎めない人の好さも出てて。実際にはクリスティーヌに自分が敵うわけないと思っているから、心の中にたくさんの不安を貯めていくんですよね。あと、水着の美女が玲奈ちゃんと並び立つほどチャーミングで素敵でした。

自分がファントムに認められていないことを知る時、ファントムのせいなんだけど、ファントムをただ責める訳じゃないのがねねちゃんらしいかな。だからこそファントムも心動かされるのかも。

初演の玲奈メグが脳裏に焼き付いている自分としては、玲奈メグは闇の中の闇をさまよう感じで、ねねメグは霧の中の闇をさまよう感じかな。まだ、ねねメグの方が救われる可能性を感じる。

というのも、玲奈メグは現時点でファントムに選ばれてない時点で全ては手遅れなのに対して、ねねメグはファントムがこれから手をさしのべれば間に合いそうな感じがして。

玲奈ちゃんは当時、銃を使う役が3作品目で個人的には殿堂(爆)入り(『ミス・サイゴン』『ジキル&ハイド』そして『ラブ・ネバー・ダイ』)に対して、ねねちゃんは今回で2作品目、あと1作で殿堂入り(『1789~バスティーユの恋人たち』そして『ラブ・ネバー・ダイ』)ですが、1789でもさーやが完全にスナイパーモード全開(抹殺率100%)に比べればねねちゃんオランプは脅し要素強かったもんなー。

玲奈メグの銃は「無意識下での事故」って感じでしたが、ねねメグの銃は「偶発的な事故」に感じたかも。

今回感じたのは母親/マダム・ジリー役のたーたん(香寿さん)の変化。

玲奈メグの母の時には、ステージママ全開で、メグが花開けないのを常に叱咤しているような印象があったのですが、ねねメグの母の時には、メグの限界を知っていて、無理をさせていることへの罪悪感を感じて。

生きるために娘のメグを光らせなければならないけれど、クリスティーヌが現れたときに、「敵わない」と白旗を上げるのは、再演の方が強かったように感じます。

初演は「母」としての思いをあえて完全に呑みこんでいたのに対して、再演は「母」として「娘」を幸せにしてあげたい思いがより強く伝わってきて、虚を突かれました。

母娘も、クリスティーヌも、ラウルも、「ただ幸せになりたかった」だけじゃないかと思うと、この作品を見ていて感じるのは、表面的な華やかさとは裏腹の、「何も得られない」虚無感。ファントムは歌姫を得ることはできなかったけれど、愛は得ている。

ただ、それはいみじくもマダム・ジリーが言ったように「私と娘の幸せを奪ってまで得る価値のあるものか」に対する答えは出せていないのも事実で。

感覚的に感じる、「作者のクリスティーヌに対する縁切り状」な側面を肯定的に見るか否かで、この作品に対する評価は変わってくるのかも、と初演同様に感じたのでした。

|

« 『レベッカ』(5) | トップページ | 『キューティ・ブロンド』(4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ラブ・ネバー・ダイ』(4):

« 『レベッカ』(5) | トップページ | 『キューティ・ブロンド』(4) »