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『マリー・アントワネット』(11)

2019.1.13(Sun.) 13:00~16:00
 2階5列30番台(センターブロック)

2019.1.14(Mon.) 12:00~15:00
 3階7列30番台(センターブロック上手側)

2019.1.14(Mon.) 17:00~20:20
 1階6列40番台(上手側)

梅田芸術劇場メインホール

新演出版『マリー・アントワネット』ついに終演です。

去年の9月14日、新演出版MA2日目から始まった旅も、大楽1月15日の前日で幕を閉じました。
玲奈マリー、昆マルグリットで始まり、玲奈マリー、昆マルグリットで終わった新演出版MAとのmy旅路。名古屋・御園座以外の全劇場で拝見でき、進化を目の当たりにできたこと、本当に嬉しかったです。

今回、梅芸遠征は最初から想定していましたが、日程と旅程選択に多少迷いまして。日曜マチネが玲奈ちゃん楽というのが今までのパターンだったかと思うのですが、今回は玲奈ちゃん楽が祝日"ソワレ"。翌日が出勤なので帰りが夜行バスしか選べず、ツアーも組めなくなったので、割り切って行きも夜行バスにしての強行軍。

玲奈ちゃん2回見るのなら、花總さんも見ておきたいということで、マチネ+マチソワのMAのみツアーになりました。(後で考えたらFGOのソワレを見る選択肢もあったのですが、当日券が間に合わないと判断して回避しました。)

全期間通すと、玲奈マリーが16回、花總マリーが3回。

玲奈マリーを見続けると、それが玲奈マリーだけの個性なのか、演出プランなのかが分からなくなる瞬間が出てきて、その度に花總マリーを拝見して、自分の中で腑に落ちる…を繰り返しました。花總マリーは当初は博多と梅芸だけの予定でしたが、帝劇も拝見したので3回に。

最後のマチソワ、14日のマチネで花總さん、ソワレで玲奈ちゃんを見て印象的だったのが、2幕マリー・アントワネットの裁判のシーンでの印象の違い。

直角90度にまっすぐ前を見る玲奈マリーと、心なし下を向く花總マリー。
1幕の王妃としての姿が、花總マリーが直角90度、心なし下を向く玲奈マリーと好対照です。
そして、マリーが語った言葉、

「答える『価値』もない」

という言葉を聞いたときに、2人の違いに驚きました。

母としての居ずまいを全身に滾らせた玲奈マリーは、自らに浴びせかけられた言われもない罵声に対して、「全ての母親への冒涜」であり、「自分が王妃であるかどうかではなく、母親の一人として」、はっきりと「答える『価値』もない」と、自らの正当性を主張していて。

この場面、花總マリーだと、言葉こそ「答える『価値』もない」なのですが、

「答える『義務』もない」

という言葉を発されるかのように感じたのです。花總さんの纏う空気が。

というのも、マリーアントワネットの今までの作品の描かれ方からすると、ここは「義務」だと思うんです。王妃というプライドに生きた女性は、言われもない罵声に対して、反論する義務さえ感じない、むしろそういう描かれ方のマリーアントワネットを演じられてきた花總さんを拝見すると、自然に滲み出てきた感情のように思えたんです。

この物語の裁判のシーンはマリーアントワネットが「王妃」という「仮面」を剥がされた時。

”ただの女性”として民衆の前に引きずり出された時、

玲奈マリーは自身が「母」であることをよすがにして、
花總マリーは自身が「王妃として生きてきた人生」をよすがにしたように見えて

その違いと、またその違いをある意味許容した演出の懐の広さを感じもしました。

花總マリーと玲奈マリーは同じ役かというのが信じられないぐらい随所に違いがあって、それがこの作品の面白さにもつながっていて。
もう一つ印象的だったのは、危機に気づくタイミングと、スタンスの違い。

花總マリーは王妃という「存在」に自らの価値を置いているので、自らの危機に気づくのは、王が王権を剥奪されて平民となった時。コンシェルジュリーの監獄にルイが連れて行かれた時、初めて「自らが王妃でなくなること」を知って恐怖する。「憎しみの瞳」でマルグリットと対峙する時も、マルグリットが自らの運命を握っているなど考えもしない、絶対的な王妃としての自信に溢れている。だからこそ特にソニンちゃんマルグリットと組むと、余りに相手にもされないからソニンマルグリットの激高に拍車がかかるんですが(笑)。

王と引き離され、息子娘と取り残されて急激に老け込んだ彼女は、マルグリットに対してはっきりと罵声を浴びせますが、ここで初めて「マルグリットという『存在』」をそこに認めるように見えて。マリーアントワネットとして、「自分の周囲には王と使用人しかいない」というかのように生きてきた先にあった、「この女性こそが自分の命運を握っている」ことに、愕然とするしかないさま。だからこそ、マリーが「憎しみなどせぬよう」と言えるほどまでに、悟ることはできていなかったのではないかなと思えて、そこは花總マリーが「今までのマリーアントワネット像」を無意識に引きずっていた部分だったのではないか、とそう思えたりしました。

反面、玲奈マリーは王妃という「役割」に自らの価値を置いているので、自らの危機に気づくのは、首飾り事件でロアン大司教に無罪判決が出た時、つまりかなり早いタイミングなんですよね。14歳で異国から単身、政略結婚で「フランス」に嫁ぎ、「皇太子」を「フランス」に捧げ、「愛されるよう務めてきた」マリーにとって、「よそ者の王妃」とマルグリットに断じられることは何よりの屈辱であり、だからこそその言葉に激高し我を忘れ、オルレアンの策謀に足を掬われる。

王と引き離され、息子娘と取り残されて急激に老け込んだ彼女は、マルグリットに対して全くその存在を認めていない。マルグリットを責める時に、一切マルグリットを見ないんです。「憎しみの瞳」ではっきりとマルグリットを自らの脅威と認めて直接衝突していたときとは真逆で、「マルグリットがいたから自分がこうなったわけではない」ことを本能的に認めているかのような、悟りを感じて。

自らの境遇ゆえ、マルグリットを責めてはいるものの、自らが至らなかった、ある意味必然であるかのような悟りも見せながらも、自らの生きざま、そして王の生きざまのためにまっすぐと前を見つめる様がマリーにとっての生きた証だったのかと思います。

王妃という仮面があった故、愛する人・フェルセンと生きることも許されず、決められたレールの上を進むことしかできないマリー。義務に縛られ、自由もないマリーにとってみれば、自由という言葉の元に義務を全く果たしていないマルグリットは「恥知らず」な女性以外の何物でもない。だから、2人の対決である「憎しみの瞳」は、お互いが一理はあるものの、理と理がぶつかっても何も解決しないし、ましてや憎しみと憎しみがぶつかっても解決どころか事態を悪化させるだけ。

愛されることをずっと願ってきたマルグリットは、なのに愛された記憶がない。それなのに「あの女」は愛される。マリーを追い落とそうと考えているオルレアン公さえ、「(マリーを)嫌っているわけではない」と言う。マルグリットを人としてきちんと認めるフェルセンも、当たり前のことながらマリーは彼にとって唯一無二の存在であり、「マルグリットよりマリーを選ぶ」ことが自明であるから、マルグリットのみじめさを助長する存在にしかならない。

ならばと自らの憎しみをきわめてマリーを追い落とし、部屋係として潜入してみたら、そこにいたマリーは、夫や息子、娘への愛に溢れた女性。「仮面」を剥いだはずが、いざ「仮面」を剥がしてみたら、そこにいた憎しみの相手が、信じられないほどに愛情に溢れていて、マルグリットは自分が貫いてきた正義が何なのか分からなくなり、迷い始める。マリーの「仮面」を剥がしてマルグリットは自分の正義を失って、そこから自分の正義が何なのかを自分で見つけなければならないことを知るわけです。

マリーが「王妃」という「仮面」を奪われても、むしろ奪われたからこそ、人間として、女性として持つ本当の力で全身全霊で生きる姿。

玲奈マリー楽の14日ソワレはまさにその集大成。今まで演じてきた役で、ともすれば”綺麗に演じる”ことが多かった玲奈ちゃんではあまり見ることのなかった、感情が入って歌えなくなる寸前の渾身の生きざま。涙声で歌いながら「泣かないわ」の瞬間に涙を止めて、古川フェルセンに笑顔を向けて別れてた姿に圧倒されました。

そんなパッションの玲奈マリーに対して、エネルギッシュ全開の昆マルグリット。こちらも「majiで壊れる5秒前」の如くなギリギリの感情で、玲奈ちゃん同様、ともすれば”綺麗に演じる”ことが多かった昆ちゃんではあまり見ることのなかった、小さい身体全体でぶつかっていく姿は、頼りがいがある、素晴らしい女優魂でした。

玲奈マリーと昆マルグリットは声質が似ていることもあって、4ペアの中では一番シンクロ感が強いので、異母姉妹としての説得力も抜群。たぶん声だけ聞いたら舞踏会でマリーとマルグリットを間違える可能性が高い(笑)。マリーとマルグリットがお互い必要なことを理解しあっていながらも、分かり合えるタイミングを探している、そんなペア。

玲奈マリーとソニンマルグリットは役者的に一番近いと思われるペアで、年齢も一番近いだけあって、恐らく目指す高みを共有してたペアじゃないかと思う。マリーとマルグリットとして、馴れあわないことこそこの役に求められるものと思っていたように見えて、戦友感が最高。だからこそ、2人の「憎しみの瞳」は、絶対に油断を見せられない殺し合い一歩手前のようなスリルがたまらなかったです(笑)。4ペア中、唯一お互いを名前(呼び捨て)で呼び合うペアですね。

花總マリー3回のうち、昆マルグリットは博多座で1回、ソニンマルグリットは帝劇1回・梅芸1回。
花總さんの特徴はマルグリットが誰でも動じないところですよね。印象が全く変わらない。むしろマルグリットを歯牙にもかけないところにこそ真髄があるので、特に無視されるとより激高するソニンマルグリットとだと、ソニンちゃんのエンジンが空噴き直前まで回転数が上がる(笑)という感じでした。

そして、花總さんと玲奈ちゃん。
花總さんがマリーとしてまっすぐ立っていただき、そして、いつでも玲奈ちゃんを支えてくださり、そしてWキャストとして信じ続けてくださいましたこと、本当に感謝しています。花總さんの役者としての、人としての大きさに、玲奈ちゃんは沢山支えられたことと思います。玲奈ちゃんのファンとして、素晴らしい方と競演させていただけたことに、ただただ感謝です。

東京公演を以ってクリスティーヌの元に行ってしまわれた万里生くんのフェルセンにも、そして最後の日まで支えてくださった古川くんのフェルセンにも感謝の気持ちでいっぱいです。大楽のご挨拶で仰ったそうな「花總さんと笹本さんの大変さは想像もつかない。頼もしい背中を拝見して心強かった」というお言葉は、「褒め言葉ということでいいのよね」と王妃様にツッコまれそうですよね(笑)

本当は一緒にゴールテープを切りたかった原田優一くんにもたくさん優しさをいただきましたし、もちろんシュガーさんの癒し力は流石の一言。コワモテで敵役だったけど、誰よりも王妃様を気遣っていただいた吉原光夫さんにも大感謝です。

前楽となった1月14日ソワレは客席にカメラが入っていました。恐らくDVDの特典映像として使われることと思います。

玲奈ちゃんご挨拶
「本日はご観劇いただきありがとうございました。初演ではマルグリットを演じさせていただき、それからも『貧しい担当役者』(笑)となることが多かった私にとって、王妃の役をいただけたことは光栄でした。自身も母親として考えさせられることが多く、決して楽な毎日ではありませんでした。ですが、頼りになる、対しているだけで情景が浮かんでくるキャストの皆さまに支えていただき、今日まで務めることができました。そして日々いただくお客様からの拍手、笑顔に助けていただきました。本当にありがとうございました。マリーを演じた経験を活かして、明日からも強く生きていこうと思います(笑)」

昆ちゃんご挨拶
「本日はご観劇いただきありがとうございました。8月に稽古に入った時に、この役を1月までずっとやるのかと絶望したのですが(笑)、今日この日を迎えられました。キャストの皆さん、裏では本当に明るく優しい方ばかりで、沢山支えていただきました。またお客様からいただく応援でここまで来ることが出来ました。マルグリットという役は役者昆夏美にとって、今通るべき試練だったと感じています。この作品は明日の大千穐楽まで続きます。最後まで完走できますよう、皆さまの応援をよろしくお願いします」

全体的には玲奈ちゃんがいっぱいいっぱいなご挨拶で、ご自身も「いっぱい考えていたんですが全部飛んでしまいまして」と仰っていた分、この日は昆ちゃんが冷静にアシスト。「あれ言ってないよこれ言ってないよ」とジェスチャーでフォローする(吉原)光夫さんのツッコミを漏れなく拾い上げるのは流石「男7人分の価値がある」王妃の部屋係でございました(笑)。

そして、MA大千穐楽で、アンサンブルとして長年東宝ミュージカルを支えてこられた、杉山有大さんと真記子さんが役者業を卒業されることに。この作品でも重要なポジションに配役され、まさに余人に代えがたいお2方が卒業されることは残念至極ですが、ご自身の意志で向かわれる先に幸多きことを祈念申し上げます。

これにて『マリー・アントワネット』新演出版(2018-2019)は終演。
初演で持ち続けたもやもやを、12年経ってこれ以上ない形で回収できた至福を噛みしめ、またこの作品を見られる日が来ることを願ってやみません。

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