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2018年11月

『マリー・アントワネット』(10)

2018.11.23(Fri.) 13:00~16:00
帝国劇場 2階M列50番台(上手側)

2018.11.25(Sun.) 12:00~15:20
帝国劇場 1階C列30番台(センターブロック)

帝劇公演千穐楽、終わってしまいました。
とにかく、何もかもが凄かった回でした。座らせていただいた席は、ラスト、昆マルグリットと玲奈マリーがまっすぐ視線上にある、最上の席だったこともあるとしても、帝劇楽に相応しい、素晴らしい公演でした。

前回まで10回連続玲奈マリーだったこともあり、帝劇楽前に改めて(博多座以来)で見ておきたかった花總マリーも拝見でき、マリーそれぞれの違いも改めて感じられて、とても刺激的でした。

対比するなら、花總マリーは「孤高の王妃」、玲奈マリーは「孤独の王妃」という印象。

花總マリーの王妃としての佇まいは理屈でなくて、全編に亘り「王妃としての存在」が自らを支えていて、「生まれながらの王妃」というさま。

玲奈マリーは「民間から嫁入りした王妃」という印象で、「王妃としてのプライド」が自らを支えている感じ。

花總マリーは「王妃として生きること」が自らにとっての存在意義で、玲奈マリーは「王妃という役割を果たすこと」が自らにとっての存在意義に感じます。

そしてマリーにとってのマルグリットの位置づけも違って、花總マリーにとってのマルグリットは自分の存在を脅かす脅威と感じられないけど、玲奈マリーにとってマルグリットははっきりと自分の存在を脅かす脅威。
空想に生きる王妃(花總マリー)と、空想に生きたいのに現実が分かってしまう王妃(玲奈マリー)、の違いとも言える気がします。

「憎しみの瞳」の後も、花總マリーはマルグリットに「出て行ってちょうだい」と言っていて、単に事務的にマルグリットをあしらっているのに対して、玲奈マリーはマルグリットに「出ていきなさい」と強く高圧的に言うのですね。

見るに、花總マリーはマルグリットに対して脅威といった意識をそれほど感じていない風ですが、玲奈マリーはマルグリットに隙を見せることは自らに対する危険と感じていることがはっきり見えて、だからこそ高圧的にマルグリットに当たるように見えます。

帝劇千穐楽のマルグリットは昆マルグリットでしたが、高圧的に玲奈マリーに当たられた後、はっきりと不快感を見せるかのように靴音を激しく立てて退出していって。王妃の部屋係として潜入しながら、マリーに従わざるを得ない悔しさが滲み出ていて。これ、両マルグリットとも、今まで拝見したことがない表現で、こんな表現があるのかと、昆マルグリットの入り込みに脱帽でした。

マリーの対比で興味深かったのは2幕、マリーが全てを失い白髪になりマルグリットを責めるシーンで花總マリーはマルグリットをはっきり見て責めるのに対して、玲奈マリーはマルグリットについて一瞥もくれず、ただマルグリットを責めるんですね。玲奈マリーはマルグリットに向かい合う力さえない、というようにも思えますが、マルグリットにとっては自分と向き合ってさえもらえない、責める価値がないと思えるように見えて、玲奈マリーからの責めの方がダメージ大きいのでは、と感じさせられました。

そして面白かったのは、マリーによって怒り方が違うということ。花總マリーは宝石商に渡された偽造の手紙をルイの顔先に突き付け、「私の言っていることは正しいでしょ!」と言うかのような怒りですし、ロアン大司教の無実を報じる書類を投げ捨てる激しさを持っていますが、むしろ勝気なイメージは玲奈マリーの方が(印象としては)あったので、玲奈マリーがやりそうな様だったことを、花總マリーがされていたことが意外です。

とはいえ、実は玲奈マリーは私の拝見した11回中唯一1回、帝劇千穐楽で花總マリー同様に、優一ルイに対して顔先の突き付けをやられまして、驚愕。ただ、思い返すと、玲奈マリーは当初からするとずいぶん王妃らしくなられて、また逆に花總マリーは当初からするとずいぶん感情を露わにされるようになった印象を受けました。

そしてここからは帝劇千穐楽の話を。

玲奈マリーはずっと見続けてきましたが、観る側にとって「以前はマルグリットとして戦った」ことは、どうしても初演観劇者として持ち続けざるを得ない固定観念であったことを改めて感じて。玲奈ちゃん本人が「かつてのマルグリットとしてのことは忘れた」と仰っていても、どこか「マルグリットとして戦った要素が、戦うマリーに受け継がれている」と思い込んでみているところがあったんですね。

でも、玲奈マリーは帝劇後半に進むにつれ、確実に「王妃としての振る舞い」を増してきて、帝劇千穐楽ではたしかに「王妃としての闘い」に見えて。

嫁入りして、必死の思いで王妃として認められようと努力してきた様が見えて、その上でルイの執務室でオルレアンの手紙を見つけたときの怒りを見ていると、なるほどと思える部分があって。

勿論、きっかけは自らの軽はずみな行い(仮面舞踏会でフェルセンとずっと踊っていた)とはいえ、王妃として国王・ルイに必死に寄り添ってきた絆を断ち切ろうとする、オルレアンの手紙を見て、はっきりと彼を敵と認識するのですね。王と王妃に亀裂を生じさせようとするオルレアンの陰謀は、自らの「王妃としてあろうとしたさま」に対する反逆であり、だからこそ激高し我を失うのだというのが見えて。

だからこそ、その浅はかな行い(激高してロアンを逮捕させる)ことが事態を悪化させる様の説得力が凄くて。
「マリーにとって正しい」と思うことを突っ走る、それほどに精神的に幼いからこそ、オルレアンにとっても「与しやすい相手」であり、「足を掬いやすい相手」なのだということ。

それ故、自ら突っ走りフェルセンの言うことも聞かなかったゆえ、「身動きできなくなり」フェルセンに対して後悔の手紙を送る、その一連の流れが一貫していてとても分かりやすくて流石でした。

・・・

帝劇千穐楽でもう一つ印象的だったのは、昆マルグリットの凄味。

玲奈マリーがシャルルを奪われ、身体丸ごとの絶叫で泣き叫ぶ様を見て、昆マルグリットは心揺さぶられていて。かつての同志がまさに蛮行と言えるほどの行為で、シャルルをマリーから奪っていったとき、閉ざされた扉を激しく叩き抗議していて。

玲奈マリーの嗚咽ともいえる叫び声を目の当たりにして、両手で顔を覆った昆マルグリットが受けた衝撃が伝わってきて、続いて引き出されたマリーの裁判の席では、落ち着き払ったマリーに対して、マルグリットが激しく動揺し、革命裁判所の追及にまさに今泣かんとするかのようなギリギリの状態で問いに答える様は凄かったです。

処刑直前、刑場に現れ、マルグリットは目の前に倒れた玲奈マリーに近づくけれど、「あなたに合わせる顔がない」かのように顔を伏せる昆マルグリット。その時、玲奈マリーは昆マルグリットをしっかり見つめて「ありがとう」と伝える。それは何よりの救いだったと思う。

玲奈マリーを見送り、まさに懺悔するかのように頭を地面に擦り付ける昆マルグリット。彼女の後悔が現れたかのような凄い風景。それでも彼女の処刑を見ないと前には進めない…。必死で身体を起こす姿に胸を打たれました。

自分の手で女性の命を奪ってしまった、十字架の中で、マルグリットがなすべきことは何であるのか。

侮蔑し続けた女性への償いとして、自らが取るべき術が何であるのか、それをはっきり見せたこの日の昆マルグリットは凄まじくて。だからこそ、ラストで昆マルグリットに天上から降り注ぐかのような、玲奈マリーの癒しの歌声は何よりの救いに見えて、涙が止まりませんでした。

マルグリットからマリーへの憎しみの瞳は、マリーからマルグリットへの赦しの声によって癒されたことを感じさせられて、感動しました。

・・・・

帝劇千穐楽は、東京公演のみの出演となった田代万里生フェルセンの大楽でもありました。
マリーの玲奈ちゃんとは、『スクルージ』、『ジキル&ハイド』、『ウーマン・イン・ホワイト』等共演を重ねてきていますが、今回ほどに万里生氏の頼もしさを実感させられることはなくて、本当にありがたかったです。

カーテンコールでは玲奈ちゃんに「クリスティーヌの元に行っちゃうのよね?」と責められてましたが(笑)、また頼もしいパートナーとして再会できますことを心から願っております。

・・・・

カーテンコールの司会は玲奈ちゃんが担当(前日の花總さん東京楽の時も司会は花總さんだったので、今回はマリーが司会ということで統一されたようです)。話されているうちに感情が溢れ、泣き声になりそうになったところは心配しましたが、無事任務を果たされて安堵しました。

とりわけ、カーテンコール後半で万里生くんを後に舞台に残された玲奈ちゃんの行いは正しかったことと思いますし、普段は上段に行かれるアンサンブルキャストの皆さんを率先して下に呼ばれて、前方に押し出されて拍手を受けられるようにされていて。もちろんタイトルロールとしては当たり前のことではあるのですが感動させられました。

玲奈ちゃんと万里生くんがぎゅっと抱擁されていたら、その真後ろに優ちゃんが待機していて、万里生くんが「おおぅ」と驚くという小芝居(爆)の末、今度は玲奈ちゃんと優ちゃんとでぎゅっと抱擁という、これ以上ない大団円なカーテンコールに大満足な帝劇千穐楽でした。

あ、玲奈ちゃんと昆ちゃんのぎゅっと抱擁するシーンだけなかった(笑)けど、それはまたの機会を楽しみにしたいと思います。

地方公演、この後は12月10日から名古屋・御園座で、その後は来年1月1日の大阪・梅田芸術劇場メインホールでの上演となります。

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『In Japanese,PLEASE』

2018.11.24(Sat.) 16:00~17:35
2018.11.24(Sat.) 19:30~21:10
原宿ストロボカフェ

「日本未上演のミュージカルや、未ミュージカル化の曲を紹介する」コンセプトで今年7月に初開催されたライブの2回目。前回の会場は四谷のDoppoでしたが、発売直後に完売の人気ぶり。前回に引き続き、田村良太氏は引き続き。女性ボーカルは前回の千田阿紗子さんから今回は綿引さやかさんに。企画の西村淳さんと3人のライブになります。引き続きな田村氏のことを綿引さん(びびちゃん)は夕方の部は「田村先生」、夜の部は「田村良太大先生」と弄ってました(笑)。

今回のびびちゃんへのお声がけは以前、どうしても歌いたい曲があって、デュエットがしたい、ということでびびちゃんから西村さんをお呼びしたことがあったそう(2011年12月のクリスマスコンサート)で、その時以来のご縁で西村さんからお声がけされたとのこと。

今回は夕方、夜との2回公演ですが、2曲のみ別曲です。

びびちゃん、昼はオレンジのドレスで、夜はピンクのドレス。
特に夜はソロで登場された瞬間、会場中から「可愛いー!」の声が上がる(しかも客席は9割女性)、それも納得な装いでした。

では、セットリストです。

●セットリスト
1.Just Me/Six(綿引)
2.Waving through a window
 /DEAR EVAN HANSEN(田村)
3.Falling Slowly/ONCE(田村・綿引)
4.NeverLand
 /Finding NeverLand(田村)
5.Beyond The Nightmare
 /make me bad(西村)
6.I just can't stop
 /make me bad(西村・綿引)

【夕方(16時)回】
7.You'll be back
 /ハミルトン(田村・西村・綿引)
8.I'd rather be me/mean girls(綿引)

【夜(19時30分)回】
7.Dear Lucy/Circle(田村)
8.Dear Tom/Circle(綿引)

9.The other side
 /The Greatest Showman
 (田村・西村)
10.Get out and stay out
 /nine to five(綿引)
11.only us/DEAR EVAN HANSEN
 (田村・綿引)

【アンコール】
12.Come Alive
 /The Greatest Showman
 (田村・西村・綿引)

曲調としてロックな曲調が多い、とびびちゃんが仰っていたのですが、これは西村さんの好みだそうで(笑)、特段今のNYの方向性がこう、というわけではないそうですが、それでも「クラシカルなミュージカルらしい曲ばかりでなく、所謂ミュージカルらしくない曲もミュージカルに入ってきている」のが最近の傾向ではあるそう。

田村さんとびびちゃんは2013年・2015年のレミゼでマリウスとエポニーヌとして共演した関係(びびちゃんはプリンシパル初、田村さんもミュージカル初、ということで一緒に残って自主練することが多かったそうです)で、その後のネパールライブ(2人と三森千愛さん、杉山有大さんの4人)も一緒だったそうですが、夕方の部ではその時のエピソードをびびちゃんが。

田村さんは大の飛行機嫌いで、福岡さえ新幹線で行くそうなのですが、ネパールに行った帰り、現地でご一緒したお医者様方が心配されて、軽い睡眠導入剤をいただいたのだそう。で、機上ですぐ飲めばよかったのに、遅れて飲んだものだから効き始めたのが帰国後、飛行機降りてから。他のメンバーが帰国でハイテンションになっているのに、一人で帰れるのか周囲が心配になるほど。
その時、財布を落として「普通だったら取りに帰るはずなのに」(びびちゃん談)、「なぜか家に帰ったら(財布がある)と思ってたんで帰ろうとしちゃった」(田村さん談)という話が(笑)

…な、天然な田村さんに対して、びびちゃんも天然で対決(対決じゃない笑)

びびちゃん「みなさん、今日『原宿』ストロボカフェにまっすぐ来れました?」

会場「(笑)」←何かを察する

びびちゃん「私は『北参道』ストロボカフェに行きました(笑)」

 「着いたら既に音楽流れてて、まずいっ!と思ってドアを勢いよく開けたら、アイドルの方がライブしていらして(爆)[注:13時30分開演]、そっとドアを閉めまして、そして皆さんに『どこにいるんですかー』って連絡したら『原宿だよ』と(笑)」

夜の部では「私は原宿にちゃんと来ました」とわざわざ言ってびびちゃんを絶句(「そこわざわざまたツッコむかー」的な表情に)させた田村先生がいらっしゃいました(爆)

とにかく田村&綿引ペアのMCの”噛み合わなさ”と来たら天才的で、そこが面白すぎるわけですが、夜の部のMCで印象的だったのは「ラブレター/手紙」についての話。

びびちゃんからの「ラブレター書いたことあります?」という中々な剛速球で始まったMCパート。
田村くんも書いたことないそうで、西村さんも書いたことがないそう。西村さん曰く「言葉で誤解されかねないものは書かないことにしていて、直接話すようにしている」と仰っていてなるほど、でしたが、

びびちゃん「手紙って直筆で書いていただいているので、
  書いていただいている方の思いが伝わりますよね。
  筆圧とかで気持ちが伝わって。
田村さん「(手紙の)この”文字の詰めて書いてるさま”
  にどんな意味があるのかなとか
(会場内大笑)」
びびちゃん「(返しに茫然)いやいや女性の皆さま
  どう思いますかこの返し
(大笑)」
田村さん「絵文字これ使ってるのどうしてなんだろう?
  とか思うじゃない」
びびちゃん「絵文字はそれはそうですけど(苦笑)」

…いやはや、田村氏の「そこかぁ!」な鈍感力はまさにマリウスで、びびちゃんの「伝わらないなー」的な反応はエポニーヌ以外の何物でもない、と納得させられるものがありました(笑)

今回、日本初上陸の曲が多数ということで、特にびびちゃんが歌った曲はびびちゃん的にはほとんど聞いたことのない曲調が多く、新鮮です。そもそもM1をびびちゃんソロで始めること自体が(ソロコンサート以外では)ほとんどなく、ポジティブさ溢れる、歌詞にもある「いかにもなNY」での前向きさが素敵。

M1に関してはNY滞在時のエピソードを夕方の部で話されていて、「観光で行くなら気にせず楽しめる街だけど、いざ目的を持って(NYに)いると、自分以上にエネルギッシュで志がある人たちのパワーの前に委縮してしまって、その”時の流れの早さ”に孤独を感じた」と仰っていたのが印象的。

曲調ではびびちゃんのソロとしてはあまりお目にかからない、M10のようなロック風のハイテンションな曲だったり(ちなみに歌詞は「元カレなんて構いやしない、私は私の道を行くのよ」的な曲なので、なおさら、いつもは選ばれようがない笑)、こういう機会でもないと聞けない曲がたくさんでとても嬉しい。

M5の西村さんソロからの流れのM5&M6のデュエットも面白い。西村さん演じる役が連続殺人犯で、びびちゃん演じる女性が住む街にやってくる、彼女はその街で虐げられて生きてきたが、彼になぜか心惹かれてしまう、なストーリーと曲構成も新鮮。夕方の部のM8も「スクールカーストの下位にいる女の子が、一念発起、自分に目覚める」シチュエーションと、そのエネルギッシュな様を拝見できたことは新鮮です。
(受けるイメージは『Wicked』の「Defying Gravity」)

びびちゃんは元々、曲の求める世界観や役柄から歌を作り上げるタイプの方だと思うので、そこをある意味省略して歌われることになった今回の経験は、ハードルが高かったとは思いますが、ある意味「いつもはないアプローチから生まれる新たな世界」だったように見えて、そう取り組まれた体験はとても有意義に思いましたし、その様を拝見できたことはとても嬉しく思いました。

そして、得意な分野は流石のお2人。とりわけ夜の部のM7とM8、手紙をお互いやり取りして結果的に両思いになる詞だったのですが、相手からの手紙の言葉の中に自分の心が動かされ、心惹かれていく様を丁寧に演じて(歌って、というより本当に「演じて」)おられて、さすが役者さんだと思うことしきりです。
MCではあれほどまでにすれ違い(もしくは正面衝突)しているのに、歌や演技ではここまで噛み合うのが不思議でなりません(爆)。

M11のデュエットも素敵でした。心がだんだん通じ合っていく、ストーリー性のある曲だけに歌声以上の何かがそこにあるんですよね。それが何より田村&綿引ペアの魅力。曲と作品の中で光るペアだけに、曲を単独で持ってくる今回の企画には中々ハードルが高かったのかもしれない、と思いはしましたが、チャレンジという側面も含めて2人のペアで今回の曲群を聞けたのが、何より至福な時間でした。

MCで話をされていた中で興味深かったのが、今回全曲訳詞をされた西村さんへの「訳詞はどうやるか」の話で、「人により千差万別ですが」と前置きされたうえで氏のやり方をお話しされていました。

「まず原曲を聞いて大意をつかむ、子音や母音の構成を見て、日本語にしても同じような構成になるように組む。だから原曲と言っていることの順番が変わったりするのが自分の特徴。ただ、ライブと舞台だと同じ訳詞にはならないことがあって、ライブだと1曲で成立するようにしなければならないけど、舞台だと演出家の方と方向性を合わせなければならなかったりするので、結果別の歌詞になったりする」とのこと。

以前は時間をかけて訳詞されていたそうですが、今だと15曲1作で10日間で初稿(ちなみに『Last Five Years』だったそうです)ということもあり、早ければ1曲1時間とかもあるのだそうです(会場内驚愕の声)。

そしてMCでもう一つ印象的だったこと。
夕方の部でびびちゃんが韓国の小劇場街の話をされていて、「(韓国では)5つとか6つとかの小劇場が軒を連ねていて、映画を観るような気軽さで舞台が見られる。そんな場所が日本でも、日比谷のようなおしゃれな街にできるといいな」と仰っていたのがとても素敵で。

今回は曲単独のライブではありましたが、実際に今回のようなオフブロードウェイの曲が作品として、もっと多くの劇場で気軽に楽しめる空間ができることを願って、そして舞台好きとしてそういったことを実現できるよう”草の根”から広げていければ…そう感じられた刺激的なひとときでした。

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『マリー・アントワネット』(9)

2018.11.4(Sun.) 13:00~16:00 2階M列50番台
2018.11.14(Wed.) 13:00~16:00 1階W列30番台
2018.11.17(Sat.) 17:00~20:00 2階I列50番台
2018.11.20(Thu.) 18:00~21:00 1階中列20番台
帝国劇場

帝劇MAもあれよあれよという間に最後の週末に突入、考えてみるとblogではすっかりご無沙汰していたことに気づきました。たっぷり通っております(笑)。

11月4日から14日までは、『ジャージーボーイズ』の神奈川凱旋公演があったこともあり、自称「MA休暇」を取っておりました。MAを観るために休暇を取るのではなく、MAを観るのを休むという意味で(笑)。

そういった風に適度に間を置いてみているせいか、変わりつつある作品の空気を新鮮に感じながら見られるのはありがたいものです。

博多座から10回連続観劇での玲奈マリー。これだけの重い役を、日々感じさせ方が違う形で見せているのは贔屓目で見ていることを加味しても凄いの一言。長期間の公演をペースを保って演じることはなかなかできることではないと思っていて、驚かされます。

玲奈マリーに大きな変化を感じるのが「王妃らしさ」
玲奈マリーの元々の持ち味はいい意味での庶民らしさというか、民間から王家に嫁入りしたようなところなので、実際のマリーとは異なるところがあるわけですが(オーストリア王家からフランス王家への政略結婚ですからね)、「お高く止まっている」ところを出し始めたように見えるんですね。

ともすれば、玲奈ちゃんの役作りって、今まではどことなく綺麗に作ってしまうというか、標準的なところに納まってしまうきらいがあったように思うのですが、前作『ジキル&ハイド』のルーシーといい、今回のマリー・アントワネットといい、突き抜けた存在感を怖がらないようになられたかのような、頼りがいを感じます。帝劇タイトルロールの立場にプレッシャーを感じるよりずっと、「マリー・アントワネットとして存在する」ことを追求しているように見えて、頼もしい限りです。

とりわけ22日ソワレは、玲奈マリーの一つの到達点と感じられるかのような凄味。
理屈じゃない何かが降りてきていたように思います。マルグリットのソニンちゃんとは東京千穐楽で、お互いの持ち味を分かり合ったからこその対決はまさに横綱相撲。玲奈&ソニンの組み合わせは、マリー&マルグリットの4組み合わせ中、プライベートで唯一呼び捨て同士で呼ぶ間柄ということもあり、プライベートで近い分、役としてぶつかると正面衝突の破壊力が半端ない。何というか、お互いの立場を「分かり合えないことを分かり合っている」、そんな感じ。

玲奈マリーはソニンマルグリットとぶつかると意識的に上から抑えかかろうとしているように見えて、かつ、少しでも隙を見せればすぐ攻め込まれることを分かっているかのよう。玲奈マリーは自らの危うさに自覚的なマリーなので、特にソニンマルグリットに対しては絶対に弱みを見せられない。だから直接対決で疲労困憊になったところに救いの人、フェルセンが現れたときの、万里生フェルセンへの「息も絶え絶え、命からがら飛び込む」様が本当に素敵で。玲奈ちゃんが一番光るのは、ぎりぎりの恋愛のがけっぷちにいる様というのは私の持論です←『ルドルフ・ザ・ラストキス』のマリー・ヴェッツエラ男爵令嬢大好き(爆)

ソニンちゃんは1幕がどんどん生気がなくなっていって驚くばかり。

ある意味、玲奈ソニの特徴ってお互い「祭り上げられる立場」ってことだと思うのですが、民衆のリーダーとして祭り上げられていく様がソニンマルグリットの特徴で、昆ちゃんマルグリットだともっと自覚的・戦略的にその立場を利用していく感じに見えるんですね(開幕前は逆のイメージだったので今となっては意外です)。昆マルグリットが革命に対して「志」が見えるのに対して、ソニンマルグリットは王妃への憎しみしか見えていなくて、ある意味「虚無」に見えて。それなのに、いや、だからこそ、王妃として以上に、「人間として、母として」生き様をはっきりと示した玲奈マリーに触れたときに、生きる道標を見つけたかのように、眼に光が宿る様が素敵でした。

2人は終演後、通常のカーテンコール後に拍手が再び贈られる中、2人だけで登場。強く強く抱き合うハグに、心からの拍手を贈れたことが何より嬉しかったです。

・・・

この日驚いた変化の一つに、「玲奈マリーは自覚的なマリー」ということへの補足にもなるシーンとして1つ。2幕、ヴェルサイユ宮殿に迫る民衆の歩みの中、お暇を取らせようとしたランバル侯爵夫人にマリーが説得されるシーンでマリーに歌われる「罪人ではない、私たちは」。ここで、玲奈マリーはゆっくりと首を横に振ったのです。正直、驚きを禁じ得ませんでした。

今までのマリー・アントワネットのイメージって「理不尽に裁かれ、不本意の中で断頭台の雫と消えた」ものでしかなかったと思うのですが、玲奈マリーはこの時点で既に自らの罪を自覚している、というのが驚きです。このシーンは観客として見ていると、「マリーの心を支えたのはランバル侯爵夫人からの『罪人ではない』という言葉」だと思って見ていたのですが(実際に少し前ではそう書いています)、そこに変化がみられるように思えます。

「罪人ではない」と言ってくれていることそのものがランバル侯爵夫人の優しさで、苦しい中にも無二の親友が支えてくれることこそマリーにとっての救いで。ただ、この日の玲奈マリーの凄味は、ここで「罪人ではない」を否定してからの流れが「罪人ではあっても、自らの尊厳、王家の尊厳、母としての尊厳を傷つける、罪のでっち上げに対しては真正面から闘う」に繋がっていて、それが凄かった。

王妃ゆえ愛する人・フェルセンとは結ばれず、守ろうとした家族も王・ルイは先に断頭台の雫と消え、息子も連れ去られ、何も残っていないように見えたマリーだったけれども、マリーにとってのコア、守るべきものは「王妃としての誇り」そのもの。

最後まで自分を思ってくれたフェルセンに対しての姿も印象的。この日の万里生フェルセンは、マリーが「一人では出て行かない」ことを予測していたように見えましたが、それでも実際に玲奈マリーに拒否された時のショックが露わで。古川フェルセンだとマリーが拒否することは万が一の予測の中にもなかったように見えて、拒否された時に一気に少年に戻るような様が強い分、マリーからの「泣かないで」の精神年齢逆転は古川フェルセンの方が強かった感じがしました。

フェルセンと言えば、氏の大局観として興味深いシーンが1つ。

1幕、マリーが大司教を告発した後、マリーとフェルセンが会うシーンですが、フェルセンは「大司教への告発を取り下げてください、無罪判決が出たら終わり」と説得し、マリーは「大司教が無実ですって?」と反発しているんですが、言葉として「無実」と「無罪」はイコールではないんですね。

事実関係が何もないことが「無実」であり
罪に問う結果とならないことが「無罪」なので、

仮に事実関係があったとしても、それを罪に問わないのであれば判決は「無罪」になる。

マリーは自分のプライドのために大司教が謀ったことを認めさせたいが、フェルセンはマリーの手前「大司教が無実」かどうかには目をつむって、でも「無罪判決」が出たら終わり、と説得しているんですね。

この首飾り事件は史実ではマリーへの評価を地に落としたこととして有名ですが、フェルセンとしては「大司教がマリーの名誉を傷つけたか」の”事実関係”がどうかではなく、「罪にならないことをマリーがでっち上げた」と判断される”無罪判決”がマリー、ひいては王家の存在意義に対して致命的と判断してるわけで、フェルセンにしては正しくて。

というのも、フェルセンの大局観は他の場面では多少なりとも怪しいところがあって、そもそもマルグリットが牢獄に投げ込まれるのをフェルセンが放っておいたらどうなったんだろうとか思うわけですよ(笑)

マルグリットはフェルセンに救ってもらったのに悪態(笑)つくわけですが、

万里生フェルセンは「軽蔑してるんだな」
古川フェルセンは「軽蔑してるのか」

…回違いなのかもしれないけどニュアンスの違いを感じます。万里生フェルセンは自虐的なところがあって、古川フェルセンは無自覚的なところがある気がして、万里生フェルセンは玲奈マリーと同調感があって、古川フェルセンは花總マリーと同調感があるように思えてきます。

・・・

2幕の台詞で上手いなぁと思うのは、ジャコバン党の尋問下で、単に「手紙を受け取ったか」ならマルグリットが答えないのは不義だけど、「国に反逆するような手紙を受け取ったか」ならマルグリットは否定する余地があるところ。マリーの手紙は革命への反逆であって国への反逆かどうかは微妙なんですよね。

マルグリットはそこであえて「国への反逆」という前提を外して「手紙を受け取っていない」と答えている。後で詰め寄られたときの余地を残してるのはさすが賢い。

マリーにしたところで宮殿の旧弊を片っ端から無視した政治力は母親(マリア=テレジア)譲り。誤算は自らの意向が市民までには及ばなかったことかと思います。

玲奈マリーは特に政治的な要素が強くて、あの「助言もしない」あたりは、そう言いつつ、普通にしそうですもんね(笑)

オルレアンやロアン大司教が、彼女が嫁入りしたころには「あんな海の者とも山の者ともわからないような小娘がなにができるんだ」と軽んじたであろうこと、そしてそれをいつまでも覚えていそうなところを玲奈マリーには感じます(あくまでイメージです念のため爆)

マリーの政治力で非主流派になった貴族が市民と手を組み、王家打倒に走る、といった流れが見えてくるのも玲奈マリーの政治性あってこそ。そんな空気も想像できる玲奈マリーの勝気さがツボだったりします(爆)。

帝劇公演もいよいよ週末で終了。明日は久しぶりの花總マリーを見てから、東京楽の玲奈マリー楽を見届けます。ここにきての両マリーでどう違う印象を受けるのか楽しみです。

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『恋におちたシェイクスピア』

2018.11.8(Thu.) 18:30~21:30
 自由劇場 13列10番台(センターブロック)

2018.11.18(Sun.) 13:00~16:00
 自由劇場 15列1桁番台(下手側)

劇団四季さんでストレートプレイを拝見するのは初めて。
もともと劇団四季さんは結団当初ストレートプレイで始まったというお話は『ソング&ダンス65』でもお聞きしていましたが、実際にストレートプレイを拝見できる機会がなかなかなくて。

11/6から、ヒロインのヴァイオラ・ド・レセップス役に磯貝レイナさんが登板ということもあり、見に行ってきました。

劇作家であるシェイクスピア(ウィル)と、彼を取り巻く芝居に関わる人々の熱さを見せ、そして彼にとってのミューズ、エネルギー源ともなるヒロイン、ヴァイオラが劇中劇『ロミオとジュリエット』では男装してロミオを演じる(役者名はトマス・ケント)という構造。

ヒロインのヴァイオラは資産家のお嬢様で、芝居好き。貧乏貴族のヴェセックスから結婚を申し込まれ、逃れようのない立場の中、男装してロミオを演じることでウィルとの距離を縮めていき、ウィルとヴァイオラはお互いへの恋におちていく…、そんな導入部。

作品の元敷きは『ロミオとジュリエット』なので、ロミジュリを見ていればある程度、物語の構成は分かります。ロミオを演じる時の男装役、ケントの凛々しさも、お嬢様としての勝気な様も、レイナちゃんのキャラクターはこれでもかというぐらいにぴったり。彼女はレミのコゼットの時もそうでしたが、恋する役どころが一番光る女優さんなので、恋に恋しながら、でも実のところとてもしっかり者なところがとても良いです。

演出側の要望らしくコミカルさを抑えているので、ヴァイオラが資産家の娘ならそうなってもおかしくない、我がままな様には見えないのが良くて、自分の果たすべき役割は分かりはしながらも、許される範囲で自由奔放に振る舞う様がとっても魅力的で、応援せずにいられない、そんな素敵なヒロインでした。

エンディングに向けて、ウィルがどんどんヴァイオラに惹かれていって、全てを自分にささげようとする姿を見て、でもヴァイオラは全く自分の取るべき道に対しての迷いなく、ウィルを導く様が本当に凛々しくて、強くて。

愛しい人(ウィル)の本当の幸せを思うこと、それは彼を縛り付けることではなくて、彼を解き放つこと。

なぜなら、ヴァイオラはウィルのおかげで「自由」になれたから。

自分の未来は結婚相手と共にすることしかなくても、芝居を演じたことで、”心を開放して得た「自由」、「真実の愛」”を感じ取れたことで、ヴァイオラの心の中にウィルがずっと生き続けていけるし、ウィルにとってもヴァイオラが「理想の女性、ミューズ」として生き続け、劇作家としての大切なピースであり続けられるから。

ウィルと本当の妻との関係が冷え続け、ヴァイオラと本当の夫との関係は事実上の政略結婚で、お互い「結婚」というものがかりそめな中、ウィルとヴァイオラの中には確かに「真実の愛」があり続ける、そんなラストがとても素敵でした。

ヒロインのヴァイオラ・ド・レセップスを演じた磯貝レイナちゃん。
思えば2015年10月に四季に入団されてからちょうど3年。
『リトルマーメイド』のアンサンブルキャスト(アリエルのお姉さま、次女・アンドリーナ役)はじめ、いくつかの役を演じられてきましたが、プリンシパルキャストは初めて。

しっかりとした芝居心で堂々とした姿を拝見できたのがとても嬉しく、今度はミュージカルでのプリンシパルキャストでも見てみたいと思わされました。

東京公演は今月25日まで、その後福岡・キャナルシティ劇場が12月から1月、年越し公演となります。

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『ジャージーボーイズ』(4)

2018.11.10(Sat.) 13:00~16:30
 神奈川県民ホール 3階4列30番台
  (センターブロック)

2018.11.10(Sat.) 18:00~21:00
 神奈川県民ホール 3階4列1桁番台(下手側)

2018.11.11(Sun.) 13:00~16:45
 神奈川県民ホール 1階3列10番台(下手側)

ジャージーボーイズ再演、終わってしまいました。
クリエで5回、神奈川凱旋公演で3回、計8回の観劇。
その割にはブログを書いていなくて、実は初日の次が楽日、という不思議なジャージーストーリー。

クリエ前楽ぶりに見た神奈川初日が、whiteチームの楽。
初演からの日本オリジナルキャストで、言及はされていないけれども、恐らくこの4人が揃うのは最後であろうことを、舞台上も客席も阿吽の呼吸で感じているからか、物凄い熱気でした。この回は3階4列、といえ実は、最下手と最上手を除いては、この劇場の3階最前列。そしてコンサートホールということもあって音響が抜群。遮るものもなく、クリエではほとんど見えなかった、1幕ラスト前「Dawn」でびびちゃんが2階楽屋からひょっと身体を出して歌ってる姿も見られて嬉しかったり。クリエだと照明がまぶしくて見えなかったんですよね。

土曜夜公演は9月30日夜公演が台風で中止になったことに伴う代替公演で、キャパが違いすぎるため、残席は追加公演として販売されたため、観ることが出来ました。とはいえ、告知が十分だったかはいささか怪しくて、私の周囲でさえ「販売あるの?」という声を聞きましたし、実際に劇場ではそれなりに空席があった(クリエ公演返金分の座席は販売したかどうかわからないので1F中央部は分かりませんが、3Fはそれなりに空いていました)のは残念だったところ。クリエと神奈川ではチケット価格が違うため、差額返金がない代わりに、日付入りのタオルがお詫び品として配られており、カーテンコールで伊礼氏がタオルを広げて上下逆であることをびびちゃん&るんちゃんに指摘され(笑)、最後はspiさんの首に巻き付けて終わる、という面白い光景が見られました(笑)。

日曜公演は2018年大千穐楽で、その名に相応しいblueの楽でした。正直、前日のblue前楽が内容的には腑に落ちないところがあったのに比べると、新生ジャージーボーイズの楽として十二分な完成度を見せていて、カーテンコールで矢崎ボブが胸を張って仰っていたのも納得の素晴らしさ。やっぱり2018年ジャージーボーイズはblueで終わってこそ意味がある、と感じさせられました。

ちなみに、神奈川凱旋公演は全国公演発表後に後追いで発表されましたが、その前の久留米公演のラストもblueでしたので、その基本線に則ったものだったのでしょう。初演からの流れのwhiteと、初演のred、そして再演で新たに登場したblueで次に受け継ぐという意味だったかと。

・・・・

神奈川公演を見ていて一番印象的だったのは、太田ボブが放った「アイディンティティ・クライシス」という台詞。4人のメンバーが集まってはいるものの、まだヒットの端緒を掴めていない場面でプロデューサーから放たれるこの一言。For Seasonsにとって、「前」と「後」を区切るかのようなこの言葉は、「作り手として何を訴えたいか、誰に訴えたいか」が”ない”ことを指摘していて。

つまるところ、それがないグループには存在意義がなくて、それがないグループからヒットが生まれない、ということを暗示しているわけですね。

舞台の冒頭、トミーは「ここ(ニュージャージー)から抜け出すには3つしかない。」と言っていて、その一つに「スターになる」があるわけですが、それはつまり「自分が何物であるか、他の誰でもない自分であること」を確立する必要があるということ。

『ジャージーボーイズ』における4人、For Seasonsは、ニュージャージーから抜け出して”成功”した4人の物語で、それは「他の誰でもない自分」を確立できたからこそのパフォーマーとしての”成功”なのだということを、白青それぞれの今季完成形から感じさせられました。

ただそれはあくまでパフォーマーとしてのことであって、万有引力で引き寄せられるリアルな家族では幸せを掴めなかったフランキーとメアリー。ここのシーンが大楽で一気に変わっててびっくり。

フランシーヌから電話がかかってきたシーンでフランキーが冷静になれず、フランシーヌが電話を切る流れですが、びびちゃんメアリーが「やってくれたわね、パパ」とフランキーを責める、はずのシーンなのにもかかわらず、大楽は感じが違いました。

このシーン、観る側としてはずっと「フランキーは家庭をないがしろにして、メアリーは苦しんでいる」という先入観で見ていましたし、実際に今までのびびちゃんメアリーの演技はそうだったと思うのですが、大楽はフランキーの苦しみに寄り添っているように見えて。

本当の家族にどう向き合っていいのか分からない、そんな不器用なフランキーが、必死の思いでパパとしてフランシーヌと向き合おうとした姿に対して、結果としてこの時は上手くいかなかったかもしれないけれども、その思いは汲んであげるべきだ、からの「やってくれたわね、パパ」に聞こえて、むしろ『パパとして認めた』ように思えて、とても感動しました。

一面的に「メアリーとの悪夢」と他人は言うけれども、フランキーとメアリー、その2人の間の感情は2人にしかわからないわけで、周囲がどうこういう問題でも無くて。

メアリーとしては「自分が他の何物でもない」ことを証明し、「抜け出せるただ一つのキー」であったフランキーに対して、強く自分の思いを伝えられなかったこそ、すれ違ったまま終わったのかとも思いますが、この物語はあくまでFor Seasons4人の「光」に照準を当てた物語なので、それで正解なのではないかと。

大楽のカーテンコールでびびちゃんは「メアリーとして」と言い出されたのに、「家族として寄り添ってほしかった」とは”言わずに”、「For Seasonsの4人が、血が繋がっていないのに本当の家族のようにいる姿を見て、感動した」と仰っていたこと、メアリーとしては、フランキーの、そしてフランキーを含めた4人を影で支えたことこそ「自分が他の何物でない」姿だったのかと感じて。芝居心で『ジャージーボーイズ』とあっきーを支えたびびちゃんに拍手です。

振り返ると、「ジャージーボーイズ」という作品は「優しさ」で包まれていたんだなぁと。
音楽も無意味に先鋭的にはならずに、優しく温かく客席を包み込み、物語でも皆が皆をそれぞれ支え合い、一番大変なあっきーがいちばん周囲に気を配り、だからこそ「あたたかい」空気で最後まで完走されたと思うと、テーマである「愛」とのシンクロが印象的。

ただ、フランキーに関して言うと、特定の人に対して「愛」を与えることに不得手だったのかなと。

一番近くて一番遠い存在だったメアリーに特にそれを感じます。フランシーヌとはかろうじて分かり合えた感じですが、ボブとはビジネスパートナーだし、トミーとは再結成で会いはするものの、心を許し合った関係ではないし、ニックとは友人としての壁があったし(とはいえ、ニックが亡くなったことで初めて分かり合えるあたりがフランキーの不器用さの現れですよね)。

歌い手として「不特定多数の”誰か”」に対しては全力で愛を届けられるあたりが、フランキーだなぁと感じます(爆)。

・・・・

カーテンコールはwhite楽で30分、blue楽(大楽)で45分。

いずれも動画が出ているので正確なところはそちらにお任せしますが、white楽のあっきーのご挨拶は本当に素敵で。

要約すると、こんな感じ。

「whiteは初演から同じメンバーで楽しさも苦しみも一緒にやってきて、劇中にある『4人が声を合わせたとき、ただそこにあるのは音楽だけだった。それこそが最高だった』を正に昨日の舞台上で実感したのがwhiteだった。本当に嬉しいです」

「この場を最高の場にしていただいたのは、カンパニーの皆さん、スタッフの皆さん、初演から見ていただいているお客さま、再演からご覧いただいたお客さま、すべての皆さまのおかげです。そして僕をフランキーヴァリに選んでくれてありがとう(天を見上げて)」

座組は座長の人となりで決まるとよく言いますが、今のあっきーだからこそ、JBがこれだけの盛り上がりとまとまりで上演されていると実感させられるご挨拶でした。

大楽の最初では演出の藤田俊太郎さんが登壇。

「ここにいる15人と(whiteの)3人、その18人をこれからも守っていきたい、そういう演出家でいたい」の言葉に感涙。

JG(ジャージーガールズ)は4人4様。最初から涙声のるんちゃん(びびちゃんが背中さすってましたね)、真面目モードを貫いたまりちゃん、普通に話してたのに最後はとうとう感極まって涙声になっちゃったびびちゃん(男性の掛け声できなくてごめんなさい。修行が足りないです笑)、ひたすら笑いを突き進み、まだ挨拶残ってるのに一本締めやろうとするまりゑちゃん、とそれぞれの個性全開で面白すぎました。

・・・

一通りのご挨拶の後の何度目かのカーテンコール呼び出し。

あっきー「爆弾落としていいですか?」

で会場中に走る緊張感といったらない(笑)

あっきーの落とす爆弾の規模が全く読めないからですよね(笑)

からの、CD発売発表!

2500人、今回のJB最大会場が揺れに揺れ、歓声に包まれました。

その場を共有できた幸運に感謝と、キャストの皆さまも仰っていましたが、この作品がこれからも演じ続けていかれる作品になりますよう祈っております。

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『マリー・アントワネット』(8)

2018.10.31(Wed.) 13:00~17:00
 帝国劇場 2階L列10番台(下手側)

2018.11.1(Thu.) 18:00~21:00
 帝国劇場 1階T列30番台(センターブロック)

博多座3回の観劇を経ての帝劇5、6回目。
この2回は博多座以来の玲奈マリー&ソニンマルグリット。
玲奈マリー&昆マルグリットの声の溶け合いが好きで、ずっと玲奈昆で見てきましたが、この2日間は小休止しての玲奈ソニンMA。

10月30日にDVD発売が発表され、MバージョンとAバージョンのうち、玲奈ソニンペアがAバージョン。つまりこの2回はMAはDVDキャストなばかりか、11月1日ソワレに至っては他キャストも一緒で、撮影カメラも入っていました。既に収録はされていると聞いていましたが、同キャストでの予備日か、この日が本収録ではと思いますが、DVDにしてほしい!という素晴らしい出来でした。

10月31日はトークショーはむっちゃ面白かった(後述)ですが、本編はそこまで強い印象がなく、それに比べると、11月1日ソワレは素晴らしかったです。玲奈マリーの第一声からして、「ここにピークを合わせてきた」的な走り出し。玲奈ちゃんの役作りって今まで謙虚が持ち味みたいなところがあったのですが、マリーはいい意味で傲岸不遜な感じが新鮮です。

玲奈ソニンペアは命名するに「激情バージョン」。感情が正面から激突して昇華するかのさまが凄い。玲奈マリーの演技がいつも以上に丁寧で、でもパワフル。ソニンちゃんだからか、直接対決のぶつかり方への王妃様オーラが凄かった。昆ちゃんだと少しかわすようなところも見せるのに、ソニンちゃん相手だと1mmの隙も見せられない感じ。昆ちゃん相手よりも更に強くプレッシャーをかける玲奈マリー、待ってましたとばかりに反撃に掛かるソニンマルグリットの対決は本当に息もつかせぬ緊張感。

ソニンマルグリットを見ていて興味深かったのは、マルグリットにとって仮想敵がマリーなんですよね。
自らの存在意義が、マリーの否定そのもの。だから当初は、マリーを認めることは自分がなくなることを意味しているように見えて。特にこの回は玲奈マリーが尋常じゃなく強く当たってたから、玲奈マリーのパワーに呑みこまれまいと押されているソニンちゃんマルグリットがとても新鮮。

異質だと思いたいのに、同質だと思い知らされるけど、マリーが処刑される前のマリーの生きざまから、マリーの生きざまこそが正しく感じさせられる。けど、それは自らの「負け」を意味するものではなくて、マルグリット自身が取るべき行動を取れば、それも正しいもの。マリーに対する敗北感、憎しみだけで生きてきたマルグリットが、マリーを認めたさまに感動。

というのも、2人を見ていて気付いたのが、「同情」というキーワード。
マルグリットが父を知らないことを知ったマリーが「お気の毒ね」とマルグリットに声をかけますが、マルグリットは「同情なんてして欲しくない」と答えます。が、その後、マリーの最期を見届けたマルグリットはふと歌うのですね。「(マリーは)同情なんていらないはずよ」と。

これを聞いたときに、あぁ、2人のMAは2人とも、同情なんてしてほしくなかったんだろうなと。
ただ自分のことを分かってほしかったんだと思う。

マルグリットは、マリーのことをそう思えたから、初めて救われた、自分と同じ思いをした人がいたということを心の支えにしていけるんじゃないかと思えた。

そしてマリーも、マルグリットがいてくれたからこそ「本当の自分を知ってくれた人が1人でもいた」という思いで旅立つことができたんじゃないかなと思えて、なんだかもう涙でした。

玲奈マリー&古川フェルセンの恋愛モードも癖になるんですよね。マリーが心ぼろぼろになっても、ただ自分を信じてくれたフェルセンがいたから自分を保てたんだろうなと。フェルセンに飛び込む玲奈マリー、本当に切羽詰まってた。でも、子供を見捨てるか究極の判断を迫られて、フェルセンには別れを告げるとき、そこで玲奈&古川ペアが母&息子になるのは今日もそうだった。自分の誇りはフェルセンを傷つけないことでもあるよなぁと。

玲奈マリー&万里生フェルセンは恋愛未満、使命以上の忠臣モード。自制する万里生フェルセンと、積極的な玲奈マリーの距離が絶妙。それでいて長いお付き合い的なところも見えるのが興味深いです。

10/31マチネ終演後はトークショー。帝劇MAでは4回ですが、そのうち2回(玲奈ちゃん登場回)を拝見。前回は正直平凡な内容でしたが今回は面白かった!

駒田さん「本編よりトークショーで喋っている時間が長い駒田です(笑)」

に始まり、

シュガー(佐藤氏)が座り場所を勘違いして駒田さんの椅子に座ってしまい椅子取りゲームに。
まぁ、これはシュガー氏が勘違いしても仕方なくて、実はドレスな玲奈ちゃんは座る時にスタッフさんが丸椅子を持ってくるので、玲奈ちゃんの椅子が存在しないんです最初。だからシュガー氏は災難だっただけです(笑)

トークショーだと借りてきた猫になる例が多い玲奈ちゃんですが、この日は頑張ってた!(笑)
何しろ「質問なんでしたっけ?」を2度も聞き返すソニンちゃん。普段からは考えられない(笑)ですが、そこに玲奈ちゃん「(作品から)帰ってきてー」とツッコんでて可愛かったです。

万里生くんのツッコミは愛があるから安心して笑える、そんな話から。

1幕最初のデュエット、「帝劇入ってから『ラスト伸ばせるだけ伸ばして』とリーヴァイさんからのオーダーがあって、玲奈ちゃんが思いっきり身体を踏ん張ってるから近づけない(笑)。僕のこと嫌いなのかなって思う(笑)」に爆笑、玲奈ちゃん撃沈(笑)

玲奈ちゃん「『孤独のドレス』を舞台稽古中に歌ってるときにドレスが落ちて、演出家さんに『あ、落ちたね』と言われて恥ずかしかった(笑)。製作発表でも同じところでベルトが飛んで、東宝さんに『お願いですなんとか(ry)』と平身低頭お願いしたら、リーヴァイさんのピアノ弾いてるシーンにしてくれた」

万里生くん「玲奈ちゃんからLINEでそのベルト飛んだシーンだけが動画で送られてきました(笑)」

…バラす万里生くんやっぱり鬼(笑)
そして玲奈ちゃんたまらず恥ずかしそうに顔を伏せる(爆)

玲奈ちゃん「(出演が決まったころ)ソニンとLINEで話してたときに『マリーアントワネットよろしくね』って言ってたらなんか話がおかしくて。ソニンからは『マリー誰だろうね』って返ってきて。私もマリーやるって思ってなかったけど、みんなそうなんだなって」…とっても興味深いお言葉。

そんな玲奈ソニンバトルペアのエピソード。

「悲しみの瞳」で玲奈ちゃんにDVみたいになったことがあったそう。
ソニンちゃん曰く「玲奈ちゃんが座ってる椅子に手が当たっちゃったことがあって」
それを受けて玲奈ちゃん「めちゃくちゃ怖かった」
ソニンちゃん「偶然で(汗)」

駒田さん「そういえばサカケンさんにもそんなことあったよね」

ソニンちゃん「(革命裁判所の後のシーンで)腹に手が思いっきり入ってみたいで(汗)。マルグリットは目から殺人ビーム出すようなイメージですが(笑)、”手は出しちゃいけない"なポリシーなので気をつけます(笑)」

そういえば初演と再演の違わない話。

駒田さん「ご存じの方も多いと思うんですが玲奈ちゃんは12年前はマルグリットを演じていて(劇場内からは「へー」という空気が上がってたので意外に知られていないよう)」

玲奈ちゃん「最初の登場シーンでのシャンパンって、初演ではマリーにマルグリットがかけられてたんです。今回はマルグリットにマリーがかけられているので、私、この作品でシャンパンかけられてばかりで(会場大笑)」

ソニンちゃん「シャンパンかけるの楽しいよ(笑)」

玲奈ちゃん「(苦笑)」

駒田さん「長期公演になると感覚がおかしくなってきて、マンション帰ってきてエレベーターのボタン、帝劇の楽屋の階押してて、あれここどこだ?ってよくある(笑)」

玲奈ちゃん「駒田さん、『あれ』とか『それ』とか『これ』とか多くなりますよね(笑)」

…おぉ、まさか玲奈ちゃんが駒田さんにツッコむ日が来るとは(笑)と感慨深かったです。

・・・・

情報です。

帝劇MAのリピーターチケット、11月1日から従来の写真6種類に加えて、ポストカード3種類が追加となりました。マリーアントワネット1種類(花總さん&玲奈ちゃん)、マルグリット1種類(ソニンちゃん&昆ちゃん)、フェルセン(万里生くん&古川くん)&オルレアン(光夫さん)1種類の合計3種類。

従来と同様、観劇当日の幕間もしくは終演後に当日チケット持参にて、S席・1F補助席・A席購入者対象にポストカードがいただけます。よろしければ是非。

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