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『マリー・アントワネット』(6)

2018.10.13(Sat.) 17:00~20:00
帝国劇場 2階F列30番台(センターブロック)

MA帝劇最初の週末、4日ぶりの玲奈ちゃんマリー&昆ちゃんマルグリット。
この自分の一推しペアは博多も含めると早くも3回目となります。

とにかく声の相性が良くて、再演から追加された新曲「憎しみの瞳」のマリーとマルグリットの対決は言葉もないほど惹きつけられます(周囲ではすっかりMAの「バルジャベソング」という呼称が定着しました爆)。マルグリットが「持たざる者」で、マリーが「持つ者」であり、マルグリットはマリーを「恵まれた立場」として憎むけれど、マリーにしてみればその立場は「生まれながらに持ったもの」を多分に含んでいて、「自分にはどうしようもないことを憎まれる」ことこそ、マリーにとっては困惑するもの。むしろマリーにしてみれば「自由を持つ」マルグリットが羨ましくさえある。

マリーは贅沢を謳歌していても、自由があるわけじゃない
マルグリットは貧乏にあえぐけれども、自由はある

お互いが自分しか見ない、正に鏡のような2人のMA。

この2人が時を共有してから、マリーはほぼ一貫して自ら持っていたもの、大切にしていたものを失っていくのですが、特に玲奈マリーの場合は1幕の豪華なドレスを纏っていた時より、2幕での質素なドレスになった時の方が、より意思が強く、より凛々しく見えます。

真摯に仕えてくれた人を失い、夫も、息子も失ってただ泣き叫ぶさまは壮絶で。全身で我が子を守ろうとするマリーの姿に触れてマルグリットが明らかに心を動かされていく様が、玲奈昆ペアだとはっきりと見えます。

この日の玲奈マリー&昆マルグリットは、対決シーンで昆マルグリットがヒートアップして、玲奈マリーの鼻先数センチまで昆マルグリットの指が来てて鳥肌でした。一歩も引かないで戦う玲奈マリーも絶品。

昆マルグリットで、この日とても印象的だったのが、エベールとオルレアンとの契約書を意識的に自分のものにしているように見えたこと。というのも、昆マルグリットはオルレアンに対して、早い段階から疑いの目で見ていたように見えたんです。肌感覚での疑念といいますか。

自分が求める革命と、実は違うのではないかという、胸の奥にたゆたう思いのようなものがずっとあって、全身で我が子を守ろうとするマリーの姿と見比べたときに、「人間として本当に正しいのはどちらなのか」をずっと考え続けていたように見えたんです。

マルグリットはそもそも、人間として扱われず、革命の中でも利用され続けてきた存在。その中でマルグリットにとって自分を人間として接してくれた相手は、実はマリーとフェルセンしかいないんですね。マリーは前回書きましたが、「人を信じすぎる」と自虐しながらも、信じる相手は選んでいて、マリーにとって、マルグリットは信じるべき相手に入っていることが驚きです。「ラブレター」と呼称してマルグリットを試したマリーですが、玲奈マリーの役作り故なのか、マルグリットの「女性であること」を利用してフェルセンへ手紙を通そうとした策が、卑怯に見えないのが不思議です。

2幕の玲奈マリーは、女性として自立した様を一貫して持って、それでいて心の優しさも強さも持っていて、かなみさん演じるランバル侯爵夫人がマリーを支える様がとても自然で、ランバル侯爵夫人が言う「(あなたは)罪人ではない」の言葉が心の支えだったんだろうなと。

マリーは革命側からの裁判で、一貫して全方向から攻撃される中、毅然と振る舞いますが、このシーンに既視感があると思ったら、玲奈ちゃんが『ジャンヌ』でジャンヌ=ダルクとして異端裁判(宗教裁判)に掛けられたときがこれにそっくりだったのです。

かつては国を挙げて迎え入れられた未来の王妃(マリー・アントワネット)は、国家財政の破綻、革命の波の中で、国家という攻撃すべき対象の象徴として指弾される。
かつては国の英雄として名声を得た革命の戦士(ジャンヌ=ダルク)は、革命の渦の中、その存在を危険視され指弾される。

自らが望んだわけではない立場に祭り上げられ、都合が悪くなったことで退場を余儀されなくされたという点でこの2人の登場人物に類似点を感じますし、その場面で玲奈ちゃんの佇まいが実に似て、ただまっすぐに自らの正当性と責任を主張し、いかにして生きる意味と死ぬ意味を自分の「死」に篭めるか、その凄さが伝わってきて、ただただ圧倒されました。

・・・

玲奈ちゃんの同作品での役替わりは今回が3回目。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』のチャヴァ→ホーデル、『ジキル&ハイド』のエマ→ルーシー、そして今回『マリー・アントワネット(初演は『MA』)』のマルグリット・アルノー→マリー・アントワネット。

今振り返っても、この3作品6役を同じ女優さんがされるなんて到底想像がつかないのですが、それをできるだけの経験を踏んできたのだなぁと感慨深かったですし、帝劇が開幕して1週間、思った以上に帝劇で主演することの大きさを改めて感じます。若い頃なら「気が強い」になりかねなかった振る舞いも、今の玲奈ちゃんでは「地が強い」ことが伝わってきます。今マリーで見られることに感謝です。

・・・

この日はおけぴ観劇会ということで、玲奈ちゃん・昆ちゃんからご挨拶。

玲奈ちゃんご挨拶
「何を話そうとしていたのか忘れちゃって(笑)…初演はマルグリット、今回は地位が高くなってマリー。どう演じればいいのかと思っていましたが、キャストの皆さまのおかげで自然にマリーとして呼吸でき感謝しています」

「光夫さんは強面ですけど、実は優しくて。稽古中のシーンで私が苦しくなってしまったとき、気を使っていただいて、私がいつも使っている水筒を持ってきてくださって。水筒の中身は空だったんですけど(会場内爆笑)」

昆ちゃんご挨拶
「舞台を見た後の醍醐味は一人で振り返ったり、感想をSNSに書いたり、食事しながらお互い議論したり、いろいろあると思います。今日はおけぴさんのペーパーがあります!」

光夫さんが奪おうとして「告発文じゃないから大丈夫」と昆ちゃんジェスチャー(笑)
「このペーパー見て振り返っていただいてまたぜひ見ていただければ。その時はチケットはおけぴさんで!」と流石の締めでした。

・・・

MAを今回見て思うのは、初演と再演の違いは同じ題材であってもたくさんあって、本当の真実は結局分からなくて、「どう見せるか」の違いで、それを真実であるかのように受け止めることは危険、と感じています。存命当時は偏って評価されたマリー・アントワネットを、当時の様に偏って見ることも正当ではないし、再評価を全面的に賛辞することにも違和感はあります。

ただ、初演に比べてマリーの物語が強まった中で、玲奈ちゃんがマリーを演じてくれていて、そして上手くパワー分散をして乗り切ろうとしている様は心強く嬉しくて。そしてそこに正面からぶつかってくれる昆ちゃんの存在は更に嬉しくて、そしてソニンちゃんとはまた違ったぶつかり方が見られることが嬉しくて。
そして3人のキム経験者の奮闘は絶対的な柱として花總さんがいらしてこそで。

吉原さん、坂元さんはじめ所謂”悪役”が引き立つ様もわくわくさせられ、これからの帝劇公演での進化がとても楽しみです。

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