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2018年10月

『マリー・アントワネット』(7)

2018.10.20(Sat.) 12:00~15:15
 帝国劇場 2階J列20番台(センターブロック)

2018.10.23(Tue.) 18:00~21:30
 帝国劇場 1階T列20番台(センターブロック)

MA再演版は、博多座3回の観劇を経て、帝劇の3・4回目。つまり通算7回目になります。

このうち、博多座1回と帝劇は全4回が玲奈マリー&昆マルグリット。
勿論、意識してチケットを取っているのですが、声の溶けあう様が、最後は心も溶け合うようで、大好きなペアです。

21日(日曜日)マチネでは劇中で咳をされていた、とのことで心配した玲奈マリーも、前後の土曜マチネと火曜ソワレはその片鱗も見せず、特に火曜ソワレは今までで一番と言っていいぐらいの熱演でした。シャルルと引き離され、全身から必死で叫ぶさまは、もはや髪が乱れ表情が分からないほど。ただただ自らの生きるよすがを奪われた”母”の叫びに圧倒され、涙なしでは見ていられないほどでした。

ただ火曜ソワレは、終演後開催されたアフタートークで玲奈ちゃん、何度か咳をされていたので、完治されているわけではなさそうで心配です。

玲奈ちゃんの過去の経験からすると、1幕冒頭の登場シーンは威厳を見せるシーンを今までされてきていないせいか、かなり調子に左右される感じ。

火曜ソワレはこのシーンがかなり良かったので、その後のシーンに期待が持てました。

直後の「わが心はあなたに」は得意のデュエットソングだし、その次は久しぶりのコミカルな、通称”お買い物ソング”なドレスの曲。聞いたことあるなぁ、と思ってたら、twitterでレスいただいて気づいたのが、『ルドルフ・ザ・ラストキス』(初演)の香寿ラリッシュ夫人とのお買い物ソングでした。あのドレスも懐かしい。玲奈ちゃんの曲と言えば、最近は歌い上げ系かデュエット系か嘆き泣き系になってしまって(爆)、でも久しぶりに楽しいコミックソングが聞けて嬉しい!

ここでの、かなみんランバル侯爵夫人との気の置けない親友ぶりもいいし(ランバルいい人すぎる)、マリーがお高く止まっているわけじゃない、という印象付けにも貢献しているかと。

ランバル侯爵夫人とマリーアントワネットの関係は今回の再演版でとっても好きな部分ですが、マリーが最後のシーンであそこまで気高くいられる理由の一つが、ランバル侯爵夫人に言われる「罪人ではない」という台詞と思えます。自らの行動故にがんじがらめになり自由もない、その原因が「罪人ではない」と無二の親友に言われたことは、マリーにとって自らの心を支える大きな要素に思えます。

そんな気高いマリーが最後に歌い上げる「真実を伝えて」って言葉は、今までずっと「マリーアントワネットが誤解され正当に評価されてこなかったことに対する『真実を伝えて』」だと思い込んでみていたのですが、何度も見ていると、これはルイのことも含んで言っているのですね。

革命を旗印に王宮に侵入する暴徒たちに対して、ルイは軍隊に発砲を許可しなかった。

故に、易々と侵入を許し、王家一家はヴェルサイユ宮殿から追われるわけですが、それはルイが「国民を思って銃を向けなかった」から。
革命裁判所で死刑を求刑されてギロチンの刃に散るけれども、マリーが言う「虫も殺さない人」であるルイが、国民を信じ国王の立場を全うしたことも「真実」に含まれていて、マリーの歌う様は日々、「国王ルイ16世の生きざま」も含めたシーンに見えてきて更に感動させられました。

この日もう一点興味深かったのはマルグリットが革命裁判所で問われる、マリーから預かった手紙が「国を裏切るような手紙だったのか」に対する否定の答えについて。

今までのマルグリットなら、即座にマリーの有罪の証拠を出すに違いないのに、マルグリットが逡巡を感じる理由。目の前で起きている革命が、人の命を奪うことを軽々しく行うことが、果たして正義にのっとったものであるのかどうか。革命に対して疑いを持ち始めているマルグリットにとって、母として息子・娘を守ろうと必死だった一人の女性、マリーを見たことで、革命が必ずしも正義を意味しない、よってマリーの企ても国賊とは断言できない、そう変わってきているように見えました。

比較論ですが、昆マルグリットはソニンマルグリットに比べて、かなり早い段階から革命に対して疑念を抱き、マリーに対して共感する部分を垣間見せているように思います。

玲奈マリーと昆マルグリットの組み合わせは両者の距離感が最後、一番近いと感じていて、マリーが「マルグリット」と話しかける様は本当に優しい言葉で、マルグリットにとってマリーが母に思えるかに思えるほどで。

ここでの昆マルグリット、玲奈マリーの手は取るものの、立ち上がるのは玲奈マリーに任せるんですね。
マルグリットがマリーに払う敬意に感動させられます。

マルグリットにとっては、マリーは自らを孤独と憎しみの連鎖から自分を解き放ってくれた心の母のような存在なのかも。

「無知」に生きたマリー、「知」に溺れたオルレアン公との間で、マルグリットは自ら「真実」を見出すことの重要性を感じたのかなと思わされました。

・・・

火曜日ソワレはアフタートーク。
この日は駒田さん司会で、下手側から順に彩吹さん、玲奈ちゃん、昆ちゃん、古川くん。

今回のMAは120回公演(博多座23回、帝国劇場63回、名古屋御園座16回、大阪梅田芸術劇場18回)で、この日が43回目(帝国劇場20回目)。
「ほぼ3分の1」ということを駒田さんが言及されていました。

気になったことをつれづれと。

彩吹さん「見に来ていただいた方によく勘違いされるんですが、駒田さんのレオナールと私の役ベルタン、夫婦じゃないんです

駒田さん「そうなんですよ。2人は今回の作品中では途中で逃亡したことになって終わりますが、ものの本ではマリーの元に戻ってきて、監獄へ服を運んでいたというものもあるそうです」

玲奈ちゃん「今回、マリー・アントワネットとして出演するというお話をいただいて、自分がやっていたこともあってマルグリットが誰かな?と気になった。ソニンと昆ちゃんって聞いて『ぴったり!』と嬉しかったです

「でも、顔も格好も(背が違うよね、的な昆ちゃんへのジェスチャー笑)似てるかなと心配だったんですが、声を合わせたら余りに合ってて納得しちゃって」

「昆ちゃんと『憎しみの二人』(笑)…(昆ちゃん『憎しみの瞳』とフォロー)、最初に声を合わせたときに笑っちゃって。あまりに声似すぎてて、録音しても分からない(笑)」

昆ちゃん「いや自分(の声)は分かるでしょ(笑)」

駒田さん「共演者の間でも2人の声は似てるって話してた」

昆ちゃん「マリーが淫売だってチラシを蒔くシーンで(そこで玲奈ちゃんを指す昆ちゃん。こら(笑))、以前は全然気づかれてなかったのに、最近は事前に振り向かれる。リピーターで来ていただいているんだなと(^^)」

「あれ、客席の皆さんから反応が少ない…真面目に言っちゃったからかな」

玲奈ちゃん「そう、昆ちゃん真面目なの珍しいよね!」←玲奈ちゃんのこういう人物評がそもそも珍しい(笑)

最近の日常について。

玲奈ちゃん「実はコタツを出しちゃいまして。もう廃人ですよね(笑)。ごみ箱とかリモコンとか周りに置いて、それこそ、コタツの上にみかんを置いて一歩も出ないヤツです(笑)」

昆ちゃん「友達と食事に行ったり。玲奈ちゃんとは夢の国に行きました

玲奈ちゃん「ねー」

駒田さん「ここ(帝国劇場)が夢の国!(笑)」

今後の目標について。

昆ちゃん「背後からの民衆のみなさんからエネルギーとパワーをもらいながら、自分自身もエネルギーを使う役なので、体調管理をしっかりしたい。」

玲奈ちゃん「とにかく体型維持をしっかりしたいです。マリーはドレスがしっかり締まっているので、太っても痩せてもダメなので(駒田さんから『痩せても?』と聞かれて『ダメです』と答える玲奈ちゃん)、特に気をつけます」

アフトクはそんな感じでした。

最後に玲奈ちゃんからPR

「255年前の出来事ということで、昔のようで昔ではなくて、色々な資料も残っているので、調べてから見るとまた面白いです。私と昆ちゃんはWキャストなので、キャストによっても全然印象が違うそうなので、ぜひまた観ていただけたら嬉しいです。私の回じゃなくていいので(笑)」

という言葉で締めていただいたのでした。

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『生きる』

2018.10.14(Sun.) 12:30~15:10
2018.10.19(Fri.) 13:00~16:50
赤坂ACTシアター
(14日はK列30番台<上手側>、19日はG列20番台<センターブロック>)

タイトルを最初見たときに「えっ」と驚いた作品。もちろん黒澤監督の作品としては有名ですが、それをミュージカルにすることと、タイトルをそのままにしたことに驚き。

開幕してみると、「思ったより暗くない」という上々の評判の中、劇場としては立地・内部ともにあまり得意ではない赤坂ACTシアターへ(青年館同様、導線が苦手で)。

今回、主演の渡辺勘治役は市村さんと鹿賀さんのWキャスト。この他ストーリーテラーを兼ねる小説家役もWで、市村さんに小西さん、鹿賀さんに新納さん。

そしてこの次が衝撃のWキャストで、唯月ふうかちゃんとMay'nさんがWですが、何と市村さん回か鹿賀さん回かで役が違う、2役のWキャスト。つまり2人のファンだと回数が多くなるという何という鬼(笑)。

市村さん回はふうかちゃんが市村さん息子(市原隼人さんが演じます)の若奥様・一枝(かずえ)、May'nさんが元部下のとよ役。鹿賀さん回は逆で、May'nさんが一枝役、ふうかちゃんがとよ役です。

定年間近の市民課長・渡辺勘治が胃がんを(実質的に)宣告され、残されたわずかな時で何を残すかに苦悩する中、大きく彼を動かすのが元自身の部下で、役所に嫌気がさして辞めた、とよ。市村さん回ではMay'nさん、鹿賀さん回ではふうかちゃんが演じています。ふうかちゃんがこの日のアフタートークで話されていましたが「とにかく太陽のような子」。

とよはふうかちゃんの方がしっくりきて、まっすぐな様がとても魅力的で、勘治が惹かれるのもわかります。とよは勘治と心理的に近い役なので、市村さんとふうかちゃんは父娘経験がある(『屋根の上のヴァイオリン弾き』の三女・チャヴァ役)ので避けたのかなと邪推します。

翻ってMay'nさんのとよも振り回し方がなかなか良くて、市村さんとのバランス良。

逆に一枝役の方が役としては難しいのかな。ふうかちゃんは若奥様ぽさが良かったけど、少しく我が儘になりきれない上品さがあって。そこはMay'nさんの方がしっくりきます。

2人は服装のカラーがあって、とよはオレンジで一枝は赤(ワインレッド)。カーテンコールの場所も違って、とよは小説家の向かって右(上手)、一枝は勘治の息子の向かって左(下手)。

ふうかちゃんとMay'nさん、舞台終わりでハイタッチして「役チェンジ!」ってやってるそうです(アフタートーク談)。可愛いですな(笑)

とよからの「何か作ってみたら」という問いかけに自分の思い出を思い返して公園を作ろうと動き出す勘治。息子に病気のことを明かせば自由に動けなくなる…。

ストーリーテラー役の小説家は物語を進める役でもありますが、勘治のことを後から小説形で語るという枠組みになっていて、アフタートークでの新納さん曰く「勘治と直接関わっている頃より、小説家として小説で描いているときの方が成長している、そうなるように演じている」とのこと。ここは映画版と大きく違うところだそうです。

高度成長期の役所という、前例にがちがちに縛られた世界で自分を出さずに生きてきた勘治の唯一の「夢」という物語ゆえか、男性客が凄く多いのがこの作品の特徴。

実際に組織で働いていると「サラリーマンあるある」だらけなので(笑)、実際に市村さん、鹿賀さんの熱量に、物語の進行に涙することも何度も。それでいて最後は胸が温かくなる素敵な作品。

最初にも書きましたがこの題材を「生きる」という原題のままにした意気込みにも感服しますし、個人的には亜門さんの演出って奇をてらう印象があったのに対して、今作はそういった面も弱く、とても感動しました。

・・

この日はアフタートーク。

司会がプロデューサーの梶山さん。以前どこかでも拝見しているかもしれないのですが、進行力抜群で、キャストも作品も客席も置いていかない進行がすばらしいです。

May'nさん、ふうかちゃんの受け答えが素晴らしくて、笑いのオチに新納さんを使いすぎなきらいはありましたが(笑)、まぁ新納さんのことですから役割を察知して盛り上げに回るわけです、流石。

特にふうかちゃんの受け答えに関しては、新納さんは「完璧ですね。ホリプロさんいい教育されていますね(笑)」とまで申されていた次第(爆)

ふうかちゃんのコメントから1つ
「カーテンコールで声が上がるのって珍しくて、『アイドルみたい!』って思いました(ニコニコ)
に「かわいー」の感想があがる午後。

May'nさんからのコメントから1つ
「ウォーミングアップで二重縄跳びするんですが、一枝ととよで登場タイミングが違うので、切り上げるタイミングが違います」
「内緒でやってたんですが、新納さんに見つかって(twitterで)拡散されました(笑)」
→新納さん「だってびゅんびゅん音がするから何かと思うじゃん(笑)」

お3方のすきな曲(シーン)

ふうかちゃん→「青空に祈って」。
公園予定地で勘治さんと小説家さんと聞く曲で「鹿賀さんー」ってうるうる。

May'nさん→「あなたの心が見えない」。
市原さん演じる旦那さんを思う曲で、”悪い人にならないで演じないでほしい”という一枝役へのオーダーの中、いろいろ感じながら歌っている曲。

新納さん→「二度目の誕生日」。
1幕ラストの鹿賀さんの姿に(おっさんばかりの)男性楽屋一同感動してる。鹿賀さんに対する愛は僕はもちろん(ラカージュ以来なので10年来)、皆が鹿賀さんを愛してる、そんな稽古場の雰囲気がチームを形作ってきて、それは今の本番のいい雰囲気に繋がっている

…と仰っていました。

新納さんも仰っていましたが、日本発のミュージカルをこの規模の劇場でやれること、そしてお客様の反応がダイレクトに感じ取れることの意味に言及されておられて、その熱さが作品と出演者のみなさんとスタッフさんから心地良く伝わってくる好作です。「暗そう」というイメージにとらわれずぜひお勧めします。

10月25日まで、赤坂ACTシアターにて。

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『マリー・アントワネット』(6)

2018.10.13(Sat.) 17:00~20:00
帝国劇場 2階F列30番台(センターブロック)

MA帝劇最初の週末、4日ぶりの玲奈ちゃんマリー&昆ちゃんマルグリット。
この自分の一推しペアは博多も含めると早くも3回目となります。

とにかく声の相性が良くて、再演から追加された新曲「憎しみの瞳」のマリーとマルグリットの対決は言葉もないほど惹きつけられます(周囲ではすっかりMAの「バルジャベソング」という呼称が定着しました爆)。マルグリットが「持たざる者」で、マリーが「持つ者」であり、マルグリットはマリーを「恵まれた立場」として憎むけれど、マリーにしてみればその立場は「生まれながらに持ったもの」を多分に含んでいて、「自分にはどうしようもないことを憎まれる」ことこそ、マリーにとっては困惑するもの。むしろマリーにしてみれば「自由を持つ」マルグリットが羨ましくさえある。

マリーは贅沢を謳歌していても、自由があるわけじゃない
マルグリットは貧乏にあえぐけれども、自由はある

お互いが自分しか見ない、正に鏡のような2人のMA。

この2人が時を共有してから、マリーはほぼ一貫して自ら持っていたもの、大切にしていたものを失っていくのですが、特に玲奈マリーの場合は1幕の豪華なドレスを纏っていた時より、2幕での質素なドレスになった時の方が、より意思が強く、より凛々しく見えます。

真摯に仕えてくれた人を失い、夫も、息子も失ってただ泣き叫ぶさまは壮絶で。全身で我が子を守ろうとするマリーの姿に触れてマルグリットが明らかに心を動かされていく様が、玲奈昆ペアだとはっきりと見えます。

この日の玲奈マリー&昆マルグリットは、対決シーンで昆マルグリットがヒートアップして、玲奈マリーの鼻先数センチまで昆マルグリットの指が来てて鳥肌でした。一歩も引かないで戦う玲奈マリーも絶品。

昆マルグリットで、この日とても印象的だったのが、エベールとオルレアンとの契約書を意識的に自分のものにしているように見えたこと。というのも、昆マルグリットはオルレアンに対して、早い段階から疑いの目で見ていたように見えたんです。肌感覚での疑念といいますか。

自分が求める革命と、実は違うのではないかという、胸の奥にたゆたう思いのようなものがずっとあって、全身で我が子を守ろうとするマリーの姿と見比べたときに、「人間として本当に正しいのはどちらなのか」をずっと考え続けていたように見えたんです。

マルグリットはそもそも、人間として扱われず、革命の中でも利用され続けてきた存在。その中でマルグリットにとって自分を人間として接してくれた相手は、実はマリーとフェルセンしかいないんですね。マリーは前回書きましたが、「人を信じすぎる」と自虐しながらも、信じる相手は選んでいて、マリーにとって、マルグリットは信じるべき相手に入っていることが驚きです。「ラブレター」と呼称してマルグリットを試したマリーですが、玲奈マリーの役作り故なのか、マルグリットの「女性であること」を利用してフェルセンへ手紙を通そうとした策が、卑怯に見えないのが不思議です。

2幕の玲奈マリーは、女性として自立した様を一貫して持って、それでいて心の優しさも強さも持っていて、かなみさん演じるランバル侯爵夫人がマリーを支える様がとても自然で、ランバル侯爵夫人が言う「(あなたは)罪人ではない」の言葉が心の支えだったんだろうなと。

マリーは革命側からの裁判で、一貫して全方向から攻撃される中、毅然と振る舞いますが、このシーンに既視感があると思ったら、玲奈ちゃんが『ジャンヌ』でジャンヌ=ダルクとして異端裁判(宗教裁判)に掛けられたときがこれにそっくりだったのです。

かつては国を挙げて迎え入れられた未来の王妃(マリー・アントワネット)は、国家財政の破綻、革命の波の中で、国家という攻撃すべき対象の象徴として指弾される。
かつては国の英雄として名声を得た革命の戦士(ジャンヌ=ダルク)は、革命の渦の中、その存在を危険視され指弾される。

自らが望んだわけではない立場に祭り上げられ、都合が悪くなったことで退場を余儀されなくされたという点でこの2人の登場人物に類似点を感じますし、その場面で玲奈ちゃんの佇まいが実に似て、ただまっすぐに自らの正当性と責任を主張し、いかにして生きる意味と死ぬ意味を自分の「死」に篭めるか、その凄さが伝わってきて、ただただ圧倒されました。

・・・

玲奈ちゃんの同作品での役替わりは今回が3回目。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』のチャヴァ→ホーデル、『ジキル&ハイド』のエマ→ルーシー、そして今回『マリー・アントワネット(初演は『MA』)』のマルグリット・アルノー→マリー・アントワネット。

今振り返っても、この3作品6役を同じ女優さんがされるなんて到底想像がつかないのですが、それをできるだけの経験を踏んできたのだなぁと感慨深かったですし、帝劇が開幕して1週間、思った以上に帝劇で主演することの大きさを改めて感じます。若い頃なら「気が強い」になりかねなかった振る舞いも、今の玲奈ちゃんでは「地が強い」ことが伝わってきます。今マリーで見られることに感謝です。

・・・

この日はおけぴ観劇会ということで、玲奈ちゃん・昆ちゃんからご挨拶。

玲奈ちゃんご挨拶
「何を話そうとしていたのか忘れちゃって(笑)…初演はマルグリット、今回は地位が高くなってマリー。どう演じればいいのかと思っていましたが、キャストの皆さまのおかげで自然にマリーとして呼吸でき感謝しています」

「光夫さんは強面ですけど、実は優しくて。稽古中のシーンで私が苦しくなってしまったとき、気を使っていただいて、私がいつも使っている水筒を持ってきてくださって。水筒の中身は空だったんですけど(会場内爆笑)」

昆ちゃんご挨拶
「舞台を見た後の醍醐味は一人で振り返ったり、感想をSNSに書いたり、食事しながらお互い議論したり、いろいろあると思います。今日はおけぴさんのペーパーがあります!」

光夫さんが奪おうとして「告発文じゃないから大丈夫」と昆ちゃんジェスチャー(笑)
「このペーパー見て振り返っていただいてまたぜひ見ていただければ。その時はチケットはおけぴさんで!」と流石の締めでした。

・・・

MAを今回見て思うのは、初演と再演の違いは同じ題材であってもたくさんあって、本当の真実は結局分からなくて、「どう見せるか」の違いで、それを真実であるかのように受け止めることは危険、と感じています。存命当時は偏って評価されたマリー・アントワネットを、当時の様に偏って見ることも正当ではないし、再評価を全面的に賛辞することにも違和感はあります。

ただ、初演に比べてマリーの物語が強まった中で、玲奈ちゃんがマリーを演じてくれていて、そして上手くパワー分散をして乗り切ろうとしている様は心強く嬉しくて。そしてそこに正面からぶつかってくれる昆ちゃんの存在は更に嬉しくて、そしてソニンちゃんとはまた違ったぶつかり方が見られることが嬉しくて。
そして3人のキム経験者の奮闘は絶対的な柱として花總さんがいらしてこそで。

吉原さん、坂元さんはじめ所謂”悪役”が引き立つ様もわくわくさせられ、これからの帝劇公演での進化がとても楽しみです。

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『さらだやんライブ「音の葉*7まいめ」』

さらだやんライブ「音の葉*7まいめ」

2018.10.13(Sat.) 12:30~14:00
四谷 Sound Creek Doppo

池谷祐子さん&岡村さやかさんの企画ユニット「さらだやん」
今回が7回目の開催です。
開催場所は最近恒例となっている四谷のDoppoさん。

ではセットリストです。

【Act.1】
1.恒例ご挨拶ソング
2.Don't wanna cry/安室奈美恵
3.Can You Cerebrate?/安室奈美恵
4.You’ve Got a Friend/Beautiful
5.Friendship/エニシング・ゴーズ
6.星に願いを/ピノキオ
7.ラ・マンチャの男/ラ・マンチャの男

【Act.2】
8.ギュッとミュージカル「エリザベート」
 ・我ら息絶えし者ども
 ・計画通り
 ・最後のダンス
 ・キッチュ
 ・私が踊る時
 ・ママ、何処なの?
 ・闇が広がる
 ・夜のボート
 ・私だけに

【アンコール】
EN-1.時には昔の話を

Act.1は歌謡曲、ミュージカル曲混ぜ混ぜの構成。

元々、お2方のこのユニットの前身は、一時期四季に行かれていた本井亜弥さんと3人でのユニット「Galaribbon」。Galaribbonがミュージカル中心でライブをやるコンセプトだったので、「さらだやん」はミュージカルに限らずに広く「歌」を歌うコンセプトで、とのことでやってきた旨、やんさん(池谷さん)から話がありました。(それでもミュージカルをやらない、というわけではない、と)

M4はミュージカル曲にしてありますが実際にはキャロル・キングさんの曲ですね(作品自体が自伝系なので)。

ソロだろうが何だろうが「絶対に2人で歌う」がさらだやんのコンセプトだそうで、何しろAct.1にもともとデュエットな曲が1曲もない(笑)というあたりが噴きます。さやかさん、やんさんどちらも可愛い系・カッコいい系を両立される方なので、曲毎に(下手をするとパート毎に)変わる感じがとても面白いです。

さやかさんがカッコいい系を担当されるときはやんさんが嬉しそうに可愛い系やりますし、やんさんがカッコいい系を担当されるときは、さやかさんが存分に恋する女の子になりますからね。

MCでも以前はさやかさんが喋ることが多かったそうですが、最近はすっかりやんさんのMC回しが高度化され(爆)、滑らかに喋る喋る(笑)。

さやかさんのやんさんへの愛が凄くて、やんさんから返事がないと「あれ、公開プロポーズは片思いですか」とかぶっ込むさやかさん(笑)。「やんさんを掴まえられて私はラッキー」とまで仰っていました(爆)。

第1部ラストの「ラマンチャの男」は聖子さんverと歌詞がむっちゃ違ったので、聞き込んでいる当方としては違和感大でしたが、迫力は流石の一言!

第1部、さやかさんは白系の衣装、やんさんは黒系の衣装でしたが、第2部の「エリザベート」特集はお2方とも黒ドレスにお召し替え。これでもか!な歌い上げ曲を2人でほぼノンストップで歌い継ぐ様は圧倒的すぎます。物語をギュッと縮めて、無駄なく無理なくまとめ上げ、無茶して歌い続ける(爆)様に痺れます。
場所が大きくないとはいえ、この2方をしてアンサンブルさんということに改めて驚かされます。

エリザベートは本編の観劇歴が多くない(1回だけ)なこともあって、そこまで物語への思い入れがないのですが、それでも闇との親和性の高さだったりは、今帝劇で公演中のMAとのシンクロも感じてみたりで興味深かったです。

さらだやん、2年ぶりの開催でしたが、ちょうどこのタイミングが2人の公演の合間。やんさんがちょうど『レベッカ』の稽古に入るタイミングということで、言われてみればプレビューのシアター1010での開幕まであと1カ月半しかないんですよね。そうなると次は来年になるわけですが、半年スパンぐらいで定期的に観たいライブなのでした。

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『マリー・アントワネット』(5)

2018.10.9(Tue.) 18:00~21:00
帝国劇場 1階C列10番台(下手側)

帝劇公演2日目。
笹本玲奈さん、2003年8月の『レ・ミゼラブル』エポニーヌ役での帝劇デビュー以来、実に15年2ヶ月を経ての帝劇初タイトルロール。その初日を見てきました。

博多座で再演版を見ているだけに、心落ち着いて拝見できたのは何よりでしたが、舞台サイズの変更もさほどの違和感は感じず。

初演版を振り返りながら再演版を見ると、初演版は「マルグリット視点の物語」なのに対して、再演版は「マリー視点の物語」なことを感じます。

初演は「マルグリット」側の正義を重点に描いていて、それが利用されたことに対する虚無という観劇後の感想だったのに対して、再演は「マリー」側の正義を重点に描いていて、マルグリットが自分の気持ちを「「革命」に利用されたことで、マリーの貫いた正義の意味と大切さを感じ取る」、そんな違いに感じました。

フランス革命への見方が恐らく全く違うのだと思っていて、それこそ直前の『1789』だったりが前者なのに対して、フランス革命への見方が懐疑的なのが今回の再演版の描き方の特徴なのかと思います。
『1789』に続けて本作に出演されているソニンさんが実際驚いたと仰っていますしね。

帝劇0番に立つ玲奈ちゃんに感慨深い思いを抱きながらも、博多座との違いを感じながら拝見しますが、まずは共通点として、玲奈ちゃんの演技って、鏡みたいだなと改めて思います。以前から、相手の役者さんとの呼吸で日々の演技が全く違うタイプの女優さんですが、感情ぶつかり合うMAではとりわけその印象を強く感じます。

この日のマルグリット、昆ちゃんとは『レ・ミゼラブル』エポニーヌ、『ミス・サイゴン』キムで同時期同役を演じた先輩後輩の関係。玲奈ちゃんのマルグリットを帝劇の客席から見ていた(ご自身談な)昆ちゃんが、今度は玲奈マリーと昆マルグリットとして対峙しているわけで、2人の歩みを知っている自分なんかからすると、ただ無条件に感動してしまうのですが、もう一つ印象的なのは、玲奈マリーも、昆マルグリットも、遠慮というものがないということ。

玲奈ちゃんも昆ちゃんも、女優さんとしては「遠慮」をされるタイプの女優さんだと感じていて、でも今回、この2人は全くと言っていいほど遠慮を感じずに、真っ直ぐにぶつかっているのが本当に清々しい。

昆マルグリットの直情的な攻撃を、真正面から受け止める玲奈マリー。

玲奈ちゃん自身は「以前マルグリットだったことを意識していない」と仰っていますが、見る方からしますと、あの勝気なマリーはマルグリットだった過去を確実に含んでいます(笑)。まさに「戦うマリー」。

マリーとマルグリットが、声を重ねるシーンが初演ではほとんどありませんでしたが、2幕に対決デュエット(待望!)もあり、それ以上に1幕ラストで同じキーワード「我慢などしない」を同時に歌うのがとても印象的。立場は違えど、同じマグマを持った「2人のMA」ぶりを感じます。

玲奈マリーはとにかく勝ち気で、1幕後半、はっきりと敵を自覚してからのシフトチェンジが凄くてですね、あの原田ルイさえ慄かせる、手の付けられない直情ぶり。

誰に何を言われようともオルレアンを信じない、大司教を信じないあの徹底ぶりは凄い。マリーは自分のことを「人を信じすぎる」と言っていますが、全編を通して見ると、信じるべき人を信じて、信じるべきでない人は信じていなくて、マリーの人の見る目は実はしっかりしていることを、再演版で特に感じます。

それにも増して、玲奈ちゃんの女優さんとしての演じ方が「目には目を、歯には歯を」なので(爆)、マルグリットからのまっすぐの敵意にはまっすぐの敵意を返すし、オルレアンに対してもロアン大司教に対しても同じ(特にオルレアンとの対決は『ルドルフ・ザ・ラストキス』の岡ターフェとの血たぎる対決と似た印象を受けました)。

そして、フェルセンからのまっすぐの誠意にはまっすぐの誠意を。この日は万里生フェルセンでしたが、万里生フェルセンに対しては「愛には愛を」という感じ。庭で泣きそうな玲奈マリーの背中を優しそうにさする万里生フェルセンがもう、それはそれは王子様過ぎて素晴らしすぎました。
そして、古川フェルセンに対しては「恋には恋を」という感じがしました。

ただ、そんな玲奈ちゃんの女優さんとしての特徴、「相手の演技との空気感で演技を作り出す」だけだと、タイトルロールが務まらないのもこれまた一面で、そこは博多座と違った居ずまいでした。玲奈ちゃん単独で場をもたせられるように努力されている様が伝わってきて、花總さんの居ずまいをだいぶ参考にされたように思えました。

・・・

玲奈マリーの特徴と言えば「母」であることですが、この日新鮮な発見が。

マルグリットは私生児ということもあって、「母」との思い出がない、わけなのですが、マリーの監視役としてもぐりこんだ先で、革命同志たちの横暴に嫌悪を抱き、マリーの子供であるシャルルやテレーズを庇うようになる。ただ、その後、息子を必死で守ろうとしたマリーが、それを果たせず息子と引き裂かれ、マリーが絶望しているシーンの背後にいたマルグリットの居ずまいが、何だかいつもと違って見えて。

玲奈マリーが必死に息子・娘を守ろうとしている様を見て、マルグリットが自分は持っていない「母」というものの存在を知って、なんだかマルグリットはマリーを「母」として憧れの目で見たようにさえ見えました。玲奈ちゃんと昆ちゃんを姉妹として見えたことは何度もあったけど、母娘として見える日が来るとは思わなかったな。

そして、マルグリットはマリーと対峙した時のことを思い出したのではないかと思えて。「守るものがありすぎて身動きが取れないマリー」と「守るものがなさすぎて羨むことしかできないマルグリット」が、お互い「私のことを知らないくせに」と対峙しあうさま。

2人のMAを無理くりにそこまでつなげる設定にしなくても良かったと思うけれども、マリーはマリーで自らの罪を知って、マルグリットはマルグリットで自らの罪を知って、その上でお互いが心通じ合って結びつく形に描かれた再演版MAが好きです。

・・・

12年前の初演で2回目に見たときに自分はこんな感想をblogに書いていました。
再演を見てから見直して驚いた文です。

<ここから>---------------------------------------------------
憎しみは何も生まないし
自らが信じてきた革命は仲間と信じていていた人々によって汚されて
正義なんてどこにもないかもしれないけど
それでも何かを信じないと生きていけないのが人間じゃないかと思う

マルグリットはマリーアントワネットの存在により何か信じるものを得られたのか
何かが変わったのか、それが読み取れなかったからマリーアントワネットの存在が無に見えた
マリーアントワネットは悪ではあっても無知としての悪であったのだと思うから、その存在がもう一人のMAであるマルグリットに受け継がれていて欲しかった

<ここまで>----------------------------------------------------

私が初演で心につっかえていたこと、それは「マリーアントワネットが生きた意味がマルグリットに引き継がれていてほしかった、そうでないと2人のMAの意味がない」ということ。

マリーは自らの「無知」の罪を認め、恨み憎しみがなくなる世界を願い、自ら断頭台に向かっていった。
ドレスに着飾っていたかりそめの姿より、ドレスを失ってから輝く様こそが、玲奈マリーの真骨頂。
自らの「革命」への純粋な気持ちを汚され、女としての誇りも踏みにじられたマルグリットにとって、マリーは尊敬すべき存在に変わった。
だからこそ、マルグリットは自分ができる、すべきことをした。

マリーが孤独の中で生きてきたことを知り、自分も孤独の中を生きてきたことを思い、「2人のMA」は「孤独」という点で思いを共にしたように思えました。

集団の狂気の中で「革命」という言葉の名のもとに、出口のない殺戮に向かったとき。
フランス革命の見方がこういう観点から描かれた作品も珍しいと思いますし、好みが分かれる部分かもしれません。

・・・

終演後は、玲奈ちゃんからのご挨拶。

「9月に博多座で幕を開けました、新生『マリーアントワネット』、昨日帝劇初日を迎え、今日は私、昆さん、田代さん、原田さん、そして子役の2人が初日を迎えました」

そこで光夫さんが「俺」と指さすと、すかさず玲奈ちゃん「俺?俺は昨日出てたでしょ(会場内笑)」

…え、玲奈ちゃん、光夫さんスルースキルいつ貯めたの(笑)

「この作品は12年前、帝国劇場で誕生した作品なんですけれども、そのときは私はマルグリットアルノーを演じておりまして(昆ちゃんを手振りで紹介しながら)、毎日『王妃を倒せ!』と叫んでいたんですが、12年の時を経て、王妃へと成り上がり(笑)、この作品に戻ってくることができ、とても幸せに思っています」

「私の母も宝塚在団当時マリーアントワネットを演じていて、ご縁のある役と感じています。」

「このミュージカル『マリーアントワネット』は皆さまそれぞれが違った印象を持たれる作品かと思います」

「お客様みなさまに何か一つでも心に残っていたければ(カンパニー)一同嬉しく思います。リピーターチケットとかもありますので、ぜひまた劇場に足をお運びください」

会場中からの大拍手で幕。
カーテンコールラストはドレスな玲奈ちゃん&使用人風に振る舞う昆ちゃんという、ナイスな出し物で幕となりました。

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『タイタニック』

2018.10.6(Sat.) 17:30~20:10
日本青年館ホール 1階1H列30番台(センターブロック)

初演で見逃して今回の再演が初見なこの作品。
有名すぎるほど有名な、タイタニック号沈没(遭難)をテーマにしたミュージカルで、正式タイトルは『タイタニック the musical』。

史実として”沈没した”という事実はある物語をどう膨らませるのか、初演当時の評判を耳にしてはいました。
実際に見てみると初演の評判の意味も分かりますし、自分自身、見ていて不意に涙する瞬間が何か所も。

トム・サザーランド氏の演出はリアル過ぎず、それでいて表層的ではもちろんなくて、自分自身の感覚では正直『パジャマゲーム』ではしっくりこなかったのですが、『タイタニック』では色々と腑に落ちました。

史実を元にした物語って、すべてが事実のように見えてしまうけれども、当然のことながらそうではないわけで。船の中で起こった物語も、乗客の3分の2以上が亡くなり、残された人たちも当時の心の傷を抱きながら生きて、何が事実なのか今となっては証明のしようもないし、演劇は”事実だけを表現する”ものではないわけで。作者なり演出家なりが、何を主題にして見せようとするか、そこに演劇の存在する意味があると思っていて。

タイタニック号の物語としてこの作品を見ていて最も印象的だったのは、”完全な船”という定義。

処女航海で沈没したこの船は、後言いで言えば色々言えるけれども、作る側からすれば”完全な船”、つまるところ”沈むはずのない船”という理解。

この作品の主人公が、運行の総責任者であった船長ではなく、物語上大きな負の方向を放ったオーナー(簡単に言えば「無理をさせた」)でもなく、加藤和樹氏演じる「設計士」だったことが最も印象的でした。

というのも、船長よりもオーナーよりも設計者が上位ということは、「タイタニック」という「完全な船」を「作る」ことに主眼が置かれてると見たからで、そして「完全な船を人間が作れる」という概念自体が、ある意味「神への挑戦」ではないのか、つまるところ人間の傲慢さなのではないかと思えて。

一つの船の中で「運命を共にする」はずの2200人は、「生き残った」人と「亡くなった」人に分かれて、生き残った人は亡くなった人の分まで生きていく、という構成は私の好きな舞台作品『SHIROH』(2004年、東宝&新感線)でも同じですが、その作品で主人公の一人である、益田四郎時貞(上川隆也さんが演じました)が言う言葉に、「神を試すものは必ず神によって裁かれる」と語る言葉があって。

大きい船だから沈まない、完璧な船だから沈まない-タイタニック号沈没からこの作品は「人智を越えたことへの報い」を見せているように見えて仕方ありませんでした。

オーナーは到着地ニューヨークへ早く着くべく、船長に速度を上げるよう命令する。船長は危険を感じつつも結局は押し切られる。
氷山の発見情報も他の船舶から受け取っていながら、その危険は最終的に共有されることなく、氷山に衝突。
そうなってから、船長とオーナーと設計士はそれぞれがそれぞれを責めるわけだけれども、当然、それで何かが解決するはずもなく。

偉い人とはどこの世も無理しか言わないものだなぁと思うし(苦笑)、実直なら神は救って下さるとは限らないし、誠実であればそれで全てが成功するわけでもない。

人がそもそも掌握できる範囲には限界があって、それを越えたものを作れると思うのも傲慢だし、作れたとしても成功するかはただの運である、そんなことを感じずにはいられませんでした。

タイタニック号に夢を求め、新天地を夢見る乗客たち。
乗員も、新天地としてタイタニック号に自らの夢を求めたけれども、結局何も変わりはしなくて。
藤岡正明さんが演じた機関士・バレットは実直の極みな人物で、上からの命令に反発の思いを抱きながらも、結局は自分の運命を自分で決めることはできなくて。

7月の氏のライブで聞いた「バレットソング」はライブで単体で聞いても凄い迫力だったけれど、この日作品で通して聞いた曲はその何倍も凄くて。もともと芝居歌な藤岡氏だからというのもあると思いますが、タイタニック号の良心を見せたかのような姿は、深く印象付けられました。

この作品では悪人的な立場で描かれているオーナーにしても、タイタニック号に夢を求めたのは間違いなくて、夢を求めること自体は間違いではないけれども、現実に背を向けるのも正しくないし、かといって現実に終始するのも後退なのだなとは思わされます。

この作品において「等級」という事柄が歴然とした格差として存在し、1等、2等、3等の客は全く別の扱いをされています。

3等の女性キャスト3人の中で最もアグレッシブに動くケイト・マクゴーワンを演じたのは小南満佑子ちゃん。アメリカに自分の夢を求め、愛する彼にも真っ直ぐぶつかっていく様が存在感抜群で素敵でした。興味深かったのは、3等の女性キャストは別のシーンでは何と1等のお客さんを演じているんですよね。

「等級」という格差が存在しながらも、実のところそれを揶揄するかのような見せ方が興味深かったです。

この3等の女性キャストは役名が全部ケイトで、満佑子ちゃんが演じたケイトは初演では則松亜海さん(今年の『1789』東宝版で準プリンシパルのリュシル役)、そして今回屋比久(知奈)ちゃんが演じたケイトは初演では菊地美香ちゃんが演じていたのですが、美香ちゃんは今回、正に昇格で3等客から2等客に転じてキャロライン役に。こちら初演は未来優希さんで、役柄的には美香ちゃんだとちょっと元気に見えちゃうところはありましたが、全体的には好演。

満佑子ちゃんと美香ちゃんはどちらもコゼット、『SHOCK』のリカ役経験者ですが、今回のキャラはどっちも積極的な生き方で、おぉ、コゼットがどっちも積極的(笑)と思っておりました。

美香ちゃんの役替わりでも思いますが、きっとキャストが変わっていっても、軸になる人たちが受け継いでいく。
その様を見せようとしている作品に思えて。
作品の熱量を肌で感じられた、得難い体験になりました。

東京公演は13日(土)まで。その後大阪公演が梅田芸術劇場で上演されます。

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