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2018年9月

『ブルックリン』

2018.9.22(Sat.) 12:00~13:55 Westチーム
2018.9.24(Mon.) 12:00~13:55 Eastチーム
上野ストアハウス
West:D列通路際(下手側)
East:I列通路際(下手側)

久しぶりのScoreプロデュース作品、2チームを観劇です。

本当のところは、初日である9月19日夜公演(Eastチーム)も観劇予定だったのですが、直前にシステム障害で待機を余儀なくされて断念。

2チーム制の場合、ご贔屓さんのチーム→逆チーム→ご贔屓さんのチーム、というのが自分の中の鉄則になっていまして、初見はまっさらで第一印象を受け取りたい、最後の記憶はお気に入りのチームにしたい、それでいてもう一方とも比較したい・・・となれば、この順番しか採れないのですが、今回は突発的な事情でやむなく1チーム1回ずつの観劇となりました。

楽を迎えましたので、ネタばれモードで参ります。気になされる方は回れ右でお願いします。



作品の舞台はニューヨーク・ブルックリン。ブルックリン生まれの男性・テイラーがフランス旅行中に出会った女性・フェイスと恋に落ちるが、テイラーはベトナム戦争に召集され、フェイスが身ごもったことも知らずに旅立つ。生まれた娘には父親の出身地である「ブルックリン」の名が付けられる。

やがてブルックリンは母親・フェイスを喪い、自らの原点、真実を求めにニューヨーク・ブルックリンへ向かい、新進気鋭の歌い手として脚光を浴びる。しかし、そこにはブルックリン生まれの野心の塊、R&Bの女王であるパラダイスがいた。パラダイスからの挑戦を受けたブルックリン、ステージ上で父親との再会を実現させると公言したのだが・・・

といった物語。

日本では2007年に東京芸術劇場中ホールほかで初上演、2016年にミュージカル座で上演され、小劇場での上演は今回が初。

今回は2チーム制のキャスト固定での上演。主演ブルックリンはEastチームがRiRiKAさん、Westチームが青野紗穂さん。ライバル・パラダイスはEastチームが塚本直さん、Westチームがエリアンナさん。

この作品の上演とキャスティングが発表されたときに、役柄的にはブルックリンは青野さんの方が合っているかも、と思っていました。RENTでミミもされた方ですし、音楽的にはR&Bの方向の作品という印象を持っていましたので。

Westのブルックリン・青野紗穂さんは、期待通りのソウルフルな歌声と、演技の繊細さが印象的。演技の世界に引っ張った恩師が藤田俊太郎さん(『ジャージー・ボーイズ』演出)なのもなるほどと納得します。パラダイス・エリアンナさんは、こちらも期待通りのパフォーマンスで会場を湧かせますが、やりたい放題なところも無きにしも非ず(笑)。

Westは思った以上に歌の力、歌声の力で進める方向性で、ぐいぐいと物語を前に進めるライブ感が凄いです。パラダイスなエリアンナさんがあえて会場内の悪役感を買って出ているようなところが強く見えすぎて、ブルックリンに対する半官びいきみたいな印象を持ちました。Westチームのブルックリンからパラダイスに対しては、自身の成功を奪った敵としての側面を最後まで引きずった印象を受けました。

Westの父母は、父親・テイラーが高橋卓士さん、母親・フェイスが尹嬉淑さん。特にテイラーの高橋さんの慟哭が印象に刻まれました。高橋さんは2016年のミュージカル座版でもこの役を演じられていますね。

この作品のストーリーテラー的な立ち位置はストリートシンガー役の役者が務めます。もともとこの作品自体がブルックリンで生きている仲間たちが、劇中劇としてこの作品を演じるという枠組みなので、ストリートシンガー役の役者は彼らのリーダー的な存在でもあり、劇中劇のストーリーテラーでもあります。

Westは長尾哲平さんが務めましたが、正直驚きました。氏は以前『王家の紋章』等でも拝見しており、どちらかというと濃いキャラクターの方に印象を引きずられていましたが、思った以上の美声と頼りがいのあるストリートシンガー役として、Westの物語の幹としてしっかりと存在していました。

Eastのブルックリン・RiRiKAさんはいつも出演されている作品とはかなり違う役どころなれど、本人が「どうしても演じたい」とオーディションを受けた、という執念が随所に感じられて圧倒されます。“綺麗に歌う”ということではなく、“歌を心で歌う”、“役を通して歌う”ことをRiRiKAさんの歌声でここまで感じさせられたことはなかったように思います。対するパラダイス・塚本直さんは、カーテンコールの挨拶で言及されていたのですが、演技はほぼ初の経験で、今までは歌手活動が中心だったのですね。なのにもかかわらず堂々とした存在感。

Eastで感じ取れたことで印象的だったのが、ブルックリンとパラダイスの関係性。

この2人は「ライバル」であるわけですが、Eastではこの2人の間にはっきりとした心のつながりを感じたのですね。パラダイスはとにかく成功したい、ブルックリンを蹴落としたい、その観点はWestでもEastでも同じだったわけですが、Eastの場合、ブルックリンが発した言葉が、パラダイスに伝わったように見えたのですね。

ブルックリンは「こんな対決止めよう」とパラダイスに言う。
「私はあなたの本当に欲しいものを知ってる」という言葉に、(自分の殻に閉じこもってこざるを得なかった)パラダイスの心が動いたように見えた。

ブルックリンがパラダイスに「父親はどこにいるの」と問いかけたところに、パラダイスは父親をずっと探していたけれど、「知らない方が良いこともある」とブルックリンに吐露する。

パラダイスはその後、ブルックリンが掲げた「父親と再会する」目的を阻止するために、父親であるテイラーの元へ出向き、彼の心を揺さぶり、彼を楽屋から放逐することに成功する・・・のだけれど、それは「マスコミという好奇の視線から彼を守る」、つまるところ「ブルックリンの父親を好奇の目に晒すことから避ける」ことでもあったわけですね。

で、それはパラダイス自身が最も欲しいもの、それを得られない代わりに得たい“成功”と、ブルックリンが最も欲しいものを得るための正しい方法でもあったのかと。

パラダイスは愛を求められずに成功を得て、
ブルックリンは成功をつかめなかった代わりに愛を得て。

2人は出会った意味を知って先に進んでいけるのかと思うと、自分はEastチームの方が芝居の通りがしっくりくるものを感じました。
(パラダイスが自らを「黒いカラス」と呼び、ブルックリンを「白いカモメ」と呼んでいた自虐が印象的でした。)

Eastチームの父親・テイラーは染谷洸太さん、母親・フェイスは香月彩里さん。どちらの役者さんも過去別作品で何度も拝見している安心のお2人です。染谷テイラーの苦悩は深くて重くて、一面的でなくて、娘であるRiRiKAブルックリンが、これなら最後は父を恨まずにいるよなぁ、な説得力が凄かったです。香月フェイスは踊りも華麗で、母親としても愛に溢れ、あぁRiRiKAブルックリンは確実に母親の血を引いているなぁ、を強く感じる存在感でした。

Eastのストーリーテラーは吉田純也さん。RiRiKAさんとはライブで共演したのを拝見していますが、相変わらず抜群の相性。ブルックリンとストーリーテラーの相性はこの物語の重要なキーですが、余すことなく疑うことなく絶品の相性過ぎて感謝感動です。

・・・

物語として面白いなぁと思ったのが、ブルックリンとパラダイスの対決について。

パラダイスって、いわゆる「アメリカ的なもの」の象徴で、ブルックリンは「アメリカにやってきたもの」の象徴でもあるんですよね。パラダイスは対決の前に「ここにきてアメリカが私を裏切るなら」と言っていることにも象徴されていますが、元からある「アメリカ的なもの」と「(移民として)アメリカにやってきたもの」との選択であり、前者が勝利したと。

それでいて、後者に対して配慮とでも言うかのような、“果実”を渡しているのが、アメリカの良心を感じるようで、興味深かったです。

・・・

物語に対してではないですが、今回の公演に関することとして個人的な覚書。

今回、ブルックリン役はWキャストだったわけですが、RiRiKAさんと青野さんは年齢が1回り以上離れています。そして、今回、インタビューをいくつか拝聴した限り、RiRiKAさんが青野さんのことを「ちゃん」付けで呼んだことは一度もなくて、それが何より嬉しかったこと。

参考インタビュー(カンフェティさん)

同じ役を演じる同志として、そして実際のところRiRiKAさんがにっぽん丸ツアー中の代役をずっと青野さんがされていた、つまりたくさん助けていただいたということも含めて、(年齢的には下であっても)同役をきちんと「さん」と呼ばれていたことがとても嬉しくて。

これは現在、博多座で公演されている『マリーアントワネット』での花總さんが、Wキャストの笹本さんにもまったく同じことをされて感動したのですが、つまるところ、Wキャストがお互いにリスペクトし合い、勝ち負けでなく別々の高みを目指すことが、どれほど清々しいことなのか、を体感できたことが、何よりこの作品で得た感動なのでした。

集客面では苦戦していた感じも否めず、本音を言えば2週間やって欲しかったこの作品も、実際のところは今回の6日間が限界だったのだとは思いますが、エネルギーとパワーに溢れたこの作品が、また再び拝見でき、より多くの方に見ていただける機会ができますことを願っています。

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『マイ・フェア・レディ』

2018.9.22(Sat.) 17:00~20:25
東急シアターオーブ

16日に初日を迎えた同公演。そのタイミングはMAで博多遠征中だったため、今期my初日兼楽日がこの日。

この週末は、この日マチネを観劇したscoreさんの『BKLYN(ブルックリン)』とクリエの『ジャージーボーイズ』がぶつかり、あっちを立てればこっちが立たずの状態。普通、3作品も重なればどれかがチケット入手がしやすかったりするものですが、嬉しい悲鳴で3作品とも人気公演で、結局当初の予定から全く動かせず、この日は別作品マチソワです。
(『BKLYN(ブルックリン)』はEASTチームを楽公演で見るので、それから書きます)

不朽の名作、でありつつも私自身は初見。

こういった有名な作品を見てないという話をすると意外がられるのですが、ミュージカル見始めて15年ぐらい、作品選択も出演者優先、となると縁がない作品も出てくるわけで、今回は神田沙也加さん(さーや)がご自身念願のイライザ役ということでの初見です。

イライザ役は長いこと大地真央さんがされてきて(この日観劇されていたそうです)、今回もWキャストは元宝塚男役の朝夏さん。そこにWキャストで宝塚出身ではないさーやが入るのは新鮮。

去年の『キューティーブロンド』で座長は経験されていますが、大劇場の主役は初めて。
MAのタイトルロールも今回、元宝塚娘役の花總さんとWキャストで宝塚出身ではない玲奈ちゃんですから、西も東も、宝塚出身者と非宝塚出身者のWキャストで幕を開けたのは興味深いところです。

マイフェアといえば、どちらかと言えば日生劇場のイメージで、シアターオーブでの上演は今回が初めて。
従来は海外招聘作品を専門にしていましたが、今年から海外作品の日本人キャスト作品も上演されることになった(皮切りになったのが『メリーポピンズ』)ということでの今回のマイフェアの上演。

基本的に縦に空間が高い劇場なので、この作品にとっては少し空間が広すぎる印象もあり、日生の様に奥まって奥行きがある方が合う気がします。3階から見下ろしましたがフォーメーションはとても綺麗です。

今回、イライザとヒギンズ教授のペアは固定で、さーやは別所さんと。時期こそずれていますが、コゼットとバルジャンですね。それこそ親子ほど歳は離れているものの、それほどの違和感は感じず、さーや得意の蓮っ葉なところが面白すぎます。ガラの悪さが上手いといいますか(褒めてます念のため)、それでいてドレスになっても無理してドレスに着せられてる感じがないのが意外です。

役柄的にはレディになってからの気の強さがちょっと一本調子な感じがして、少し単調に思えます。
わり合い、地で出来る方向性な気もしますが(爆)、ヒギンズ氏に対する感情の変化にもう少し濃淡が付けば良くなるような気がしました。

後、これは前からだと思いますが、1幕が少し間延びするというか、以前の作品のペースというかでゆっくり目。新しいことが全ていいわけではないですが、もう少し整理してテンポアップした方が良いように思われました。

物語の展開的にはこの作品からスピンオフして行っている『ミー&マイガール』を見ているので、似た印象を感じるわけで、男のドンカンなところとか、女性のクレバーなところとか、頑張って辿りついた先で見たものとか、『ダディ・ロング・レッグス』に近いところも感じたりしますが、時系列的には逆な訳で。

男性が女性に教えていたはずが、女性は男性の予想を高く超えて変わっていって、最後は男性の子供っぽさを、出来た女性が赦す方向、そのストーリーの原風景のようなものが見られたことは興味深かったですし、何よりこの作品の主役を堂々とさーやが演じられている姿が立派で、じわっと伝わるものがありました。

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『マリー・アントワネット』(4)

博多座
2018.9.15(Sat.) 17:00~20:05
 1階E列(最前列)20番台(センターブロック)
 Wキャスト:笹本・昆・原田

2018.9.16(Sun.) 12:00~15:05
 3階B列40番台(上手側)
 Wキャスト:花總・昆・原田

2018.9.16(Sun.) 17:00~20:05
 3階A列20番台(センターブロック)
 Wキャスト:笹本・ソニン・佐藤

2006年に世界初演して以来、日本では12年ぶりの上演。
今年のシリーズは博多座が最初の上演となり、9月14日に初日を迎えた同公演を3公演、見てきました。

2006年の世界初演時は、マリーアントワネットは涼風真世さん。物語の軸となる「2人のMA」のもう片方の役、マルグリット・アルノー役が新妻聖子さん、笹本玲奈さんのWキャストでした。

今回は、マリーアントワネットが花總まりさんと笹本玲奈さんのWキャスト。玲奈さんは初演時のマルグリットからマリーへの役代わりとなります。マルグリット・アルノー役はソニンさんと昆夏美さんのWキャストです。

・・・

私は普段、blogの感想に厳しいことを書かないようにしているのですが、実はこの作品の初演の時は、今でも覚えているほど厳しい言葉を書きました。無論、役者さんに対してではなく、主にミュージカル作品への演出、そして演出から役者への見方、という観点で「MA」に対して相当厳しいことを書きました。

この作品が世界初演以後の凱旋公演を経て、ドイツ・ブレーメン公演を行った後、新演出版の韓国版が上演されていたことは知ってはいましたが、初演当時のもやもやした気持ちが心に残り続けていて、ずっと接することなくここまで来ました。

そんな中、発表された新演出版のキャスト、驚いたことに初演ではマルグリットを演じていた玲奈さんが、花總さんとWでマリーを演じるということで、相当の覚悟をもってして博多にやってきたのでした。

いつものとおり、ラストのネタバレはいたしませんが、初演との比較等、今回の新演出版で初めてお知りになりたい事柄もあると思いますので、まっさらな気持ちでご覧になりたい方は回れ右をお願いします。

ただ、私見ですが、初演でもやもやした気持ちをお持ちになった方にも、ある意味、別物の作品としてご覧になれると思います、とは申し上げたいと思います。






では、参ります。

先ほどは「もやもやした気持ち」という大人な書き方をしましたが、本音を言うならば「トラウマ」に近いものを初演に対して持っています。クンツェ・リーヴァイ作品で、曲はとても良いのですが、ミュージカル作品としては意味なく暗く、意味なく残虐だったことで、積極的に再び拝見する気にはならない作品でした。

ゆえに、相当の覚悟を持って今回の新演出版2日目(玲奈マリー初日)を見に行ったのですが、正直言ってミュージカル作品として相当良くできている、というのが実感です。

初演の自分の引っかかりは、「マリーアントワネットという女性、そしてそれを演じる役者さんへのリスペクトに欠ける」というその一点に集約されました。遠藤周作先生の原作どおりな部分はあるとしても、演出が栗山民也氏ということもあってか、あえてミュージカル的な手法を用いずにミュージカルを作ったとしか思えないようにも感じました。マリーアントワネットという実在した人物をテーマにしながら、そして物語を全身全霊で務め上げた役者を、カーテンコールで晒し者にするような方法を「演出」と認めることは、今でも自分にはできません。

マリーアントワネットという人物への評価が、ここ数年で変わっているところも、今回の新演出版を導き出せた一面だとは思っていて、いわゆる「世界三大悪女」と言われていたのが初演当時の主な評価ですが、それもずいぶん変わったのかなと。

初演当時は幕開きしょっぱなから、客席に向けて「この女は悪女だ、さぁ思いっきり嫌うがいい」みたいな演出(比喩です)でしたから、今回の新演出版ではそこはニュートラルに演出していて、世間知らずな面はあっても、「愛される女性」(マリーアントワネットも最初から全方位に忌み嫌われてばかりいたわけではない)として描かれて新鮮です。

「マリーアントワネットという題材の女性への評価の正否はともかく、その人物へのリスペクトはしっかりされている」という点で、私は新演出版に対する安心感を感じます。

作品の全体の流れとしては、初演に比べると、曲それぞれに拍手が入るパートがあるという意味で、ミュージカル的であり、にもかかわらず物語としては初演よりスムーズに物語が進行します。

曲もかなりの部分が変わっており、残った曲でもタイトルが変わったり(「心の声」が「決して許さない」に、など)しているほか、登場人物が整理された結果、歌う人が変わっている曲さえあります。初演に出ていた役のうち、修道女アニエス、錬金術師カリオストロ、劇作家ボーマルシェは今回登場していないため、あの曲がこんな風に再構成されている!と新鮮な驚きに満ちます。

マリーアントワネット役には制作発表で玲奈さんが歌われた「孤独のドレス」が追加になり、初演ではなかったマリーアントワネットとマルグリットが対峙する曲が2幕に追加されています。

全体的には1幕がほとんど新作といっていいぐらいの再構成をされていますが、役としてはなくなってしまったアニエスの曲があんな形で残るとは、涙が出るほど嬉しかったです。2幕はセットが変わったりしたものの、ほぼ構成は初演と似ていますが、唯一ラストだけがある意味とび抜けてクンツェ・リーヴァイ的なシーンになっていて、ちょっといきなり感があったかなと思います。でも初演の違和感に比べれば、ぜんぜん無問題。

「2人のMA」のマリーアントワネットとマルグリットアルノー双方の人物に一つ筋が通ったことが印象的。初演の時はマリーアントワネットの存在が演出的に薄くて、マルグリットアルノーの存在感が強く記憶に残っているのですが、今回は、両者がっぷり四つに組み、それぞれの役が存在する意味を見せていて、とても良かったです。

・・・

キャスト別の感想を参りましょう。

まずは、マリーアントワネット役から。

花總まりさん。理屈ではなく「マリーアントワネット」であることを見せる、その空気感たるや絶品。愛嬌に溢れ、邪気を持たない愛されぶり。だからこそ状況が悪くなったときに、何が起きたのか素でわからなかったのではという印象。戦闘モードに自覚的に入ったように見えた玲奈マリーに比べると、無自覚に自己防衛本能を働かせた感じも受けます。”幼い”マリーという印象。

笹本玲奈さん。「女性」であることと、「母親」であることを前面に強く出し、子供たちを守るために闘う強さが印象的。プライドに生きた王妃の姿はすばらしくて、マリーアントワネットとして一つしっかりと筋が通った姿が壮絶でした。”敵”をはっきりと見分ける特性を持ったマリーに見えます。”若い”マリーという印象。

マルグリットアルノー役。

ソニンさん。前作『1789』から引き続いての扇動者役ですが、「決して許さない」の尋常でないエネルギーに圧倒されます。それ故、特に1幕の登場シーンは意外なほどに抑制気味で、”静かな怒り”に満ちているのが意外です。どんな感じで変わっていくのか楽しみ。初演の(新妻)聖子さん系のマルグリットな印象。

昆夏美さん。正直、期待以上でした。Wキムの玲奈さんとの組み合わせで初見だったのもあるのか、遠慮することなくマリーにぶつかっていく強さが印象的。2幕後半の革命に迷うシーンのお芝居が繊細で素敵です。マリーとの心の動きのキャッチボールが濃くて大拍手。初演の(笹本)玲奈さん系のマルグリットな印象。

玲奈マリーの初日は昆マルグリットとでしたが、玲奈ちゃんも昆ちゃんも乗り越えてきたものがあったからこそ、この日があって。
昆ちゃんが(サイゴンで)辛い思いをした間、玲奈ちゃん(とキムスハちゃん)が支えた分、玲奈マリーの初日を昆ちゃんがマルグリットとしてこれ以上ない本気のぶつかり方をしてくれたことが、涙が出るほど嬉しかったです(今回泣いてばっかり笑)。

フェルセン役。今回はストーリーテラー的な役割も担っているので、出番は大幅に増えています。

田代万里生さん。実直にマリーを心配する様がニンにぴったり。愛するマリーのためなら、マリーへの直言をも厭わない、心底マリーを心配する姿が頼もしくて。今回は玲奈マリーとしか拝見できませんでしたが、今までの共演経験があるせいか、離れようにも離れられないもどかしさが絶妙でした。

古川雄大さん。玲奈マリーと組むと愛人というより恋人という距離感になりますが、それ故「触れられそうで触れられない高貴な方」な空気感が絶品です。花總マリーと組むと、少し「任務」寄りになるような感じがしました。こちらも今までの共演経験ゆえでしょうか。

ルイ16世役。

原田優一さん。普段はもっとはきはきした役が多いだけに、優柔不断なこの役は珍しくて新鮮です。特に玲奈マリーと組むと、本来は頼りない役柄なはずのこの役で、ルイ16世が頼りがいがあるような空気になりそうになります。ただ今回、初演と違ってマリーがルイ16世のことを軽く見ていない印象があって、それも最近の研究で見えてきた方向性でもあるようですね。「もしも鍛冶屋なら」は絶品です。

佐藤隆紀さん。原田氏と逆で、ザ・優柔不断のイメージ(笑)。マリーに押し切られつつ、反乱軍の前に銃を向けられない、と言ったときのマリーの反応が「それじゃ困るのよ!」「優しいあなたならそうよね」が、ないまぜになっているのが笑えました(爆)。

オルレアン役。今回はカリオストロのポジションも含んでの役です。

吉原光夫さん。端的に言ってやりたい放題(爆)。中悪党ぶりにマリーも一目置く、”ザ・悪役”のカッコよさ。マリーは自分のことを「人のことを信じてしまう」と言っていますが、オルレアンとロアン大司教だけは違うんですよね。特に玲奈マリーの「決して許さない」様は手の施しようもないほど。玲奈マリーは過去のマルグリット体験を気にしていない、とご本人おっしゃりつつも、ターゲットロックオンしたときの攻撃性の強さは、花總マリーよりも感じます。

ランバル公爵夫人。

彩乃かなみさん。『1789』ではマリーの傍にいたのはポリニャック夫人でしたが、彼女がどちらかというと打算的に傍にいた面が見えたのに対して、ランバル公爵夫人はマリーへの忠誠心にまっすぐ。魑魅魍魎な王宮の中で彼女の存在がマリーにとってどれだけ大きかったことかと思うと、2幕のとあるシーンの存在の大きさにたまらなくなります。玲奈マリーとは『ミー&マイガール』のサリー役を演じた同士(彩乃さんは宝塚月組トップ娘役の退団作品でした)で相性も抜群です。

・・・

今回の新演出版のテーマは、まだ始まったばかりではありますので、次見る帝劇で改めて考えてみたいとは思いますが、一つの大きなキーワードは「許し」であるように思います。あとは「2人のMA」のシンクロ。

マリーアントワネットが生きた意味、マルグリットが生きた意味、そして2人が出会った意味、なかなか掘り下げるに面白いテーマだと思います。

個人的には、ずっとマルグリット的な役を演じるのかと思ってきた玲奈ちゃんが、ようやくキャリアチェンジできて、頼もしい後輩、ソニンちゃんと昆ちゃんの馬力を得つつ、偉大な先輩な花總さんとWで演じられることに、ただただ感慨深い思いでいっぱいです。

今月9月末まで博多座、そのあと帝劇、名古屋(御園座)、大阪が来年1月に大楽です。
どんな進化をしていくのか、心から楽しみです。

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『マンザナ、わが町』(5)

2018.9.9(Sun.) 13:30~16:30
紀伊國屋ホール B列10番台(センターブロック)

こまつ座さんの作品、2015年以来3年ぶりの再演です。
前回は18年ぶりの再演でしたので、異例の早期再演です。

出演者5人全員が女性。戦時下のアメリカ・カリフォルニア州、日系人を収容したマンザナ強制収容所が舞台の作品で、劇場に入ると否が応でも目に入る、鉄条網の存在が、そこが不自由な空間であることを知らしめてくれます。

5人の女性キャストのうち、4人までが続投。

唯一、歌手のリリアン竹内役が、前回は笹本玲奈ちゃんだったのが、今回は北川理恵ちゃんにバトンタッチ。
その変化がどんな化学反応になるのかがいちばんの注目ポイントでしたが、理恵ちゃんのリリアンを見て分かった玲奈ちゃんのリリアンの特徴があって。

リリアンはアメリカ人に憧れ、歌手を目指す少女なわけですが、玲奈ちゃんのリリアンって思った以上にアメリカ的なリリアンだったんだなと。「God Bless America」の滑らかさ、きらきらとした派手な輝きって、玲奈ちゃんだからこそだったんだなと。

その反面、理恵ちゃんは日本語歌詞の確かさと、芝居の落ち着きがあって、いわば日本的。
アメリカ人になりたいのに、なかなかそうなれない焦りを感じて、彼女の気の強さも相まって印象的です。年齢的には前回の玲奈ちゃんより今回の理恵ちゃんの方が3歳も若いのに(30歳と27歳)、今回の理恵ちゃんの方が落ち着いて感じます。

というのも、リリアンは玲奈ちゃんにとっては「若い」というポジションでやったほぼ最後の新役と言っても良くて(その後の新役は2016年の『熱海五郎一座』ぐらい)。

今回は『MA』のマリーアントワネット役と時期が被ったこともあって出演できなかったわけですが、玲奈ちゃんの最近のマリーの映像とかを見ていると、むしろ今の玲奈ちゃんは、(吉沢)梨絵さんが演じた映画女優・ジョイスの方がしっくりくる気がします。

玲奈ちゃんはずっと「若い」役に縛られてきたきらいがなきにしもあらずだったけれど、今回、別作品とちょうどぶつかったこともあって、芝居心もある若い理恵ちゃんに自然に引き継げたのはとてもいいなと思って。

その意味で、前回玲奈ちゃんがやった意味も、今回玲奈ちゃんがやらなかった意味もあるように思えました。この作品は受け継ぐことに大きな意味があると思うので。

・・・

物語に分け入ります。

この作品の登場人物5人は、いずれもがアメリカ合衆国にとって”都合の悪い”人たち。
現体制にいかなる形でも刃向かったことをもってして、5人部屋という同じ場所に押し込まれる。
住む場所も財産も、共同体も奪われ、縁もゆかりもない人と同じ時を過ごす。
過去を断ち切られ、未来を奪われ、希望のないまま、ただ今を生きることしかできない5人。

大なり小なり、アメリカという、”理想郷”を求めてきたはずの5人が、日系人だからという理由だけで辛酸を舐めざるを得ない現実。ある意味立場を同じくすることで、個性がぶつかり合いながらも、今を受け入れ、お互いを受け入れて少しずつ「他人を害さない自分の居場所」を得ていくさまは、したたかで、頼もしくて。

アメリカにいてさえ、むしろアメリカにいるからこそ、日本人としての誇りを持つことをもってしてこそ、強く生きられたさま。

みなが「アメリカ的なもの」へ憧れるものの、実のところ「アメリカ的なもの」というものはむしろなくて(インディアンからのものを除けば)、西洋からの輸入で形作られている、という評も意味深。多民族故に自らのレゾンテール(存在意義)を確保するために、常に外に向かって攻撃的であらざるを得ない、というアメリカへの見方が一面されているのも興味深いです。

戦時中の日系人への人権侵害に対してアメリカ政府が謝罪をした1988年(昭和63年)、それに比べてきちんと謝罪をしない日本とは、という問題提起がありつつも、それでも「日本的なもの」が確かに存在することへの有難さも表現されていたりして。

アメリカに一面的に拍手を送るばかりでなく、日本を一面的に批判するわけでもない、そのバランスの確からしさを感じられるさまがとても心地よく。

「移民」という、我が国から遠く離れるからこそ、日本人であることを大切にして生きることこそ、生きる支えになる。その心を日本で生きる日本人も強く意識すべき、というメッセージは、もっと若い年齢層の人たちにこそ、広く見てもらうべき物語だと、改めて感じさせられたのでした。

そう、conceptさんのカルチケみたいに、学生さんに無料か安価で見て感じてもらえるとかが、もっと広がるといいなぁ、と思うのです。こういう作品だからこそ。

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『いつも月夜に米の飯』

2018.9.8(Sat.) 12:30~14:45
新宿シネマカリテ
B列1桁番台(センターブロック)

この日が公開初日、2回目上映で上演前に舞台挨拶があるということで、いそいそと出かけます。

舞台挨拶は1回目終映後と2回目上映前というよくあるパターンですが、終映後だとネタバレ爆発できますが、上映前だとどうしても無難に終始せざるを得ないわけで、かゆいところに手が届かない系ではあるわけですが、日程の都合上、これがどうしても限界でした。

この作品を見ることにしたのは主人公の母親・麗子役に高橋由美子さんが出演されていたから。

諸々あって芸能活動が休止状態な由美子さんにとっては、もしかすると最後の作品になるかもしれない作品。舞台挨拶で加藤綾佳監督が話されていたのですが、撮影自体は2年前に新潟県内で撮られたとのことでしたので、この時期になったのは結果論ということだそうです。

主人公の少女・千代里を演じる山田愛奈さん、撮影時はまだ18歳で、ちょっと前に20歳になったばかり。
物語は母・麗子が経営する小料理屋から失踪し、千代里が帰郷して、店に残った料理人(和田聰宏さん)と店を切り盛りするところから始まります。

ぶっきらぼうで上手く地元の人と溶け合えない千代里が、次第に「料理」というものを通じて心を通わせていく…と思いきや、母・麗子さんがひょいと帰ってきたあたりから、物語は大きく「二回転も三回転も」(舞台挨拶での愛花さん談)動いていきます。

とりわけ娘が最も分かり合えない母、そして表面的に取り繕った母と娘、そして料理人との関係は、最悪の形での結末を迎え…。

シーン自体はネタバレになるので語りませんが、あぁいうシーンを容赦なく描けるのは加藤監督が女性監督であるからこそなのだろうなと思いました。男性監督ではやっぱりどこまで描いていいものなのかもわからないでしょうし、無意識にブレーキをかけるのでしょうし。

娘にとって「母と似ている」なんて言われるのは、少なくとも千代里にとっては心外な言葉ではあるんでしょうが、まぁ正直、「きれいごとを言わない」ってことに関して、母と娘はそっくりですからね(笑)

娘にとっては自由気ままに生きている母が、「本当は自分もしたいのに」羨ましくて、それを裏返せば憎たらしくてしょうがない。母にしてみれば、「母としてどう生きたらいいのか、どう娘と接したらいいのか」が分からないでいる。

母にしても自由気ままに生きていても、「分かっていない」わけじゃない。むしろ「分かってるけどどうにもできない」風を漂わせる由美子さんの立ち位置は流石。

『四月の永い夢』でも一言の重さが凄かったけど、正直このままフェードアウトされていくのはもったいないなぁと感じてしまいます。
いやまぁ、自由気ままに生きた結果なのかもしれないけど(ぼそ)。

閑話休題。

この日、昼間にこの作品を見てから向かったのは日比谷・シアタークリエの『ジャージーボーイズ』。
ここでも同じテーマ、「母と娘のすれ違い」がありまして。

主人公、フランキー・ヴァリが父、そしてその奥さん・メアリー(綿引さやかさん)が母、で2人の娘・フランシーヌ(まりゑさん)。
シンガーとして売れて家にほとんど戻らない父。イタリア系移民として、「家族」として根を下ろしたかったのに、どう家族を作っていけばいいか分からずに、酒に溺れる母。父の贔屓目が含まれているとはいえ歌手を目指す才能を持つ娘。

初演では母と娘の間に心の繋がりがあったように見えたのですが、再演では母と娘の心は繋がっていないように見えたのが強く印象に残って、それは「産んだから母親になれるわけではない」ということでもあるし、「一緒に住んでいるから家族になれるわけじゃない」という冷徹な現実。

・・・

『いつも月夜に米の飯』の話に戻ると、母と娘が直接対話する場面は凄く少なくて、それそのものが問題な気もしてくるけれども、ただただ母を赦していなかった娘が、母がふと漏らした後悔へ、娘が言葉をかけていて、その一言に救われた気がしました。

「家族」を形作るものは、一緒に暮らした時間の長さではないのかもしれない、そう感じさせてくれる作品。
「料理」というキーワードとともに、「分かり合えるもの」「分かり合えないもの」を考えさせてくれます。

男性の視点から見ると、「女性」の”底力”(←言葉選んでます笑)を感じさせられる、ホームドラマぽくて全くホームドラマではない、なかなかスリル溢れる作品でありました(←言葉選んでます笑)

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『ジャージーボーイズ』(3)

2018.9.7(Fri.) 19:00~22:05
シアタークリエ 19列10番台(センターブロック)
WHITEチーム

2年前、シアタークリエ初演の大楽。

本編のいたずらっぽさを引きずるようにあっきーが言い出した「また、見られるんです」という言葉から始まった再演発表、東宝さん命名の”狂喜乱舞の大熱狂”から769日目。シアタークリエにあの熱狂が戻ってきました(と、説明的に笑)。

初演はWHITEチームとREDチームでしたが、今回の再演はWHITEはメインメンバーは変わらず、REDは一部キャスト変更でBLUEチームになっており、この日はWHITEチームの初日。

キャスト変更がないWHITEチームということで、安定度に円熟味が加わり、より隙のない構成になった反面、演出的にはお遊びを随所に入れる余裕ができた感じで、福井さん演じるニックが「ニャンニャン」とかふざけて笑いを取ったり、全般的にメリハリがあった印象。アンサンブルさんも、警察官があり得ないほどのデフォルメした方言で笑いを取りに行ったりしてました。

若干のネタバレ入りますので、ご注意ください!



あっきーのフランキー・ヴァリは奇跡の歌声に更に磨きがかかり、自在にフランキーを泳ぐかような様が印象的。海宝氏のボブはクレバー一直線でただ者じゃない様を随所に漂わせます。2人が組むと特に福井氏演じるニックの疎外感もむべなるかなで、その上、自分をリーダーと思っていたい、中河内氏演じるトミーの焦燥感も手に取るように分かります。

フランキーにも悪気はないし、もちろんボブも悪気はない。ビジネスとして振る舞っているだけ。
でも、悪気がないからそれで許されるわけでもなく、むしろ悪気がないからこそ受け手にとってはやり場のない怒りや、実力に届かない自分のもどかしさに焦ったりするのかと思えて、その関係性が円熟のWHITEチームは流石の完成度でした。

フランキーに悪気がないと言えば、びびちゃん(綿引さやかさん)演じるメアリーに対しても、悪気があるわけでは全然なくて。フランキーにとって、初めて心を奪われたにも関わらず、初めて自分から心を遠ざけたのがメアリー。むしろ「関わらず」ではなくて「心を奪われたからこそ」だったのかもしれません。

メアリーは初演に比べて髪型が大幅に変わり、受ける印象がドラスティックに変わりました。移民ということでアメリカ社会に溶け込めない、”地に足が付いていない様”を派手目の髪型で見せて、それでいて単なる”タイプA”(←見たことがある人は分かります)でない様、をも見せているのが新鮮です。初演では、るんさん(遠藤瑠美子さん)と似た印象になることもありましたが、今回はかなりはっきりと違いが分かります。

心の安住の地を求めたフランキーとメアリーが辿りついたはずの交点は、いつしかずれ始めて、フランキーの成功とともに、メアリーは自分の存在が求められていないことを痛感させられ。
ヒット曲「シェリー」のテレビを眺めながら、やるせなく酒に溺れる様が、初演以上にリアルでした。

フランキーは「family」を求めたけれども、不器用な彼が求められた「family」は「Four Seasons」のただ一つ。それを手放したくなくて、それ以外の沢山の物を失わざるを得なかったんだろうなと。

出会った時のメアリーは、フランキーに対して、「ヴァリ」の名前の最後のスペルは「i」にすべき、と言うのですね。あなたは「自分」というものをしっかり持つべきだと。それが母音である「i」を選ぶべきことにつながる、と。
それでいてフランキーに別れを告げる時は「あなたの名前の最後は「y」よ」と叫ぶわけです。あなたには「自分」というものがないと。その叫びが、ただただ一方通行で、悲しく思えたのでした。

が、その後のフランキーが歌い始める「君の瞳に恋してる」は、再演では、直前のメアリーからの思いを受けているかのように「メアリーの瞳に恋してる」かのように歌詞が伝わってきて、泣けそうになるほど嬉しかったりしました。

メアリーが苦しんだ意味は、フランキーにきちんと伝わっていたんだなと。

再演で面白いのは、前回とさほど変わっていないシーンでさえ、受ける印象が変わったりすること。
これは演じる側も演出する側も年をとって、そして観客側も年をとっている故に、心惹かれるポイントが変わったりするのだなと改めて感じました。

そういえば、フランキーとメアリーの娘、フランシーヌはまりゑちゃんが演じていますが、実のところ、母役のびびちゃんより、娘役のまりゑちゃんの方が実年齢は1歳年上なんですよね。
舞台で姉妹や兄弟を演じる役者さんが年齢逆転することはたまにありますが、さすがに母娘で年齢逆転しているのは稀有な例。
2人が母娘として一緒に並ぶことは1シーンもないのですが、女優さんさすがですとしみじみ感じたのでした(爆)。

フランキーがメアリーの元から去った後、フランキーは小此木まりちゃん演じるロレインの元に行きますが、2段構造になった舞台の上方にメアリーが一人無口に佇み、下段ではフランキーにロレインが厳しい言葉を投げつける。あなたといても楽しくない、あなたには何もない、というかのように責める様は、メアリーがフランキーに本当は言いたかったことかも、とも思えて、何だか切なくもなるのでした。ここ、初演ではなかった演出ですよね。フランキーは結局誰にも心を開けなかったのかなぁと。

・・・

『ジャージーボーイズ』という作品は、ボーイズも、もちろんガールズも、悪人がどこにも出てこない(遊び人は結構いる笑)。けれども、みんな嫉妬や悪意と無縁ではいられない。有名になっても、いや有名になってこそ、人間は弱く脆いものなのだと思えて。それでいて、金貸しにだって五分の情けはあって、ボブのビジネスライクが際立つほどに、情に溢れた世界なのだなと。

殿堂入りはお金で得たものではなく、市井の人々の熱狂によって成し遂げられたもの、という言葉は、『ジャージーボーイズ』名言の一つにもなっている『観客役のみなさま』という言葉とも大きくリンクします。

初演千穐楽、びびちゃんがご挨拶で発された『観客役のみなさま』という言葉は、『ジャージーボーイズ』の舞台と客席を一体化する魔法の言葉として、再演でも、より輝きをもって受け止めることとなって。

ジャージーボーイズペンライト(売店で販売)をカーテンコール(カテコのみ発光可です)で揺り動かしながら、シアタークリエをライブハウスであるかのように熱狂する秋がやってきたことを喜びながら、再演での変化をまた楽しんでいきたいです。

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『マリーゴールド』

2018.8.28(Tue.) 19:00~21:25
 ライブビューイング
 TOHOシネマズ日比谷

2018.9.1(Sat.) 18:00~20:25
 サンシャイン劇場 1階22列1桁番台(下手側)

TRUMPシリーズの初見は先日、CS(日テレプラス)で放送された『グランギニョル』。

今回の『マリーゴールド』にも出演しているあゆっち(愛加あゆちゃん)が出ていて、上演(2017年)時も気になっていた作品を見てその独特の空気感が印象的で。

どことなく退廃的で、どことなく一筋縄でいかない感じが深く印象に残っていました。

『マリーゴールド』もすっかりチケットを取り損ねていたのですが、ライブビューイングだけは取っていて、見たらまんまと嵌って(笑)、土曜日の当日券を無事ゲットして、生で見てきました。

この作品、ネタバレ禁のオンパレードなわけですので、この後の東京公演、大阪公演をまっさらでご覧になりたい方は、回れ右でお願いします。




よろしいですね?

では参ります。

物語の中心は壮さん演じるアナベル(作家)と、田村さん演じるガーベラとの母娘の関係と、アナベルとあゆっち演じるエリカとの姉妹の関係、そして吉野さん演じるガーベラの主治医・ヘンルーダとの関係、また東さん演じるアナベルの担当編集・コリウスとの関係をメインにまずは進みます。

一言で言ってしまうと愛憎が関係性ごとにできてしまっている状態で、アナベルを好きなエリカとヘンルーダとコリウス、ガーベラ命なアナベルの関係は両立しなくて。というのも、ガーベラは人間と吸血鬼の間にできた、皆に忌み嫌われる存在であるダンピールであるからで。

愛するゆえに相手を傷つけ、愛するゆえに相手を苦しめていく様は見ていて胸が苦しくなるほど。
ガーベラが産まれたことでアナベル・ヘンルーダとの3人の関係が壊れてしまったことで、ガーベラを恨む、エリカの叫びはとりわけ重くて。

壮さんとあゆっちは宝塚雪組のトップコンビで今回、退団後初共演ですが(在団当時は「えりあゆ」コンビと呼ばれていました)、生でお2人の組む様を拝見するのは初めて。妹のエリカ(あゆっち)が姉のアナベル(壮さん)と思いの丈をぶつけ合うデュエット(M8「時は戻らない」)は凄かった。

宝塚のトップコンビのデュエットは、男役の方に娘役の方が寄り添うデュエットが多いので、娘役あゆっちがご自身も尊敬している男役の壮さんに正面からぶつかっていく様に痺れまくりました。

姉妹は両親をすでに亡くしているので、アナベルもエリカのことを大事な妹と思っているけれど、アナベルとしてはガーベラを守ることを第一に考えざるを得ない、その抱え込む様が好対照。アナベルがガーベラを守るために、ただひたすらに孤独を選ぶ様が心に残ります。

この物語でひとつの大きなキーワードが「孤独」
アナベルも孤独だし、エリカもヘンルーダもコリウスも、そしてもちろんもっともガーベラが孤独。

その上、物語を大きく動かす存在である「TRUMP」。
この存在そのものが、「永遠の命を持つ、それゆえに孤独な存在」

この「TRUMP」が執拗にガーベラを手元に置こうとする。
あたかも、今まで自ら辿ってきた「永遠」を、これからも辿っていく運命の自分にとって、無二の同志として引き込むかのように。

アナベルにとってガーベラが全てであったと同じく、ガーベラにとってアナベルは全てで。
「TRUMP」がガーベラの心の孤独に入り込み、ガーベラとアナベルとの心のつながりを裂こうとする様は見ていられないほど辛かったです。

ガーベラが自ら”決断”をした様は実は「TRUMP」が望んだ方向ではなくて。ガーベラを愛したアナベルの望んだ方向ですらなくて。
ガーベラが自身の思いをもって決断できたこと、それはアナベルとの関係性あってこそ。それはアナベルにとってもガーベラにとっても、「(ガーベラが)生まれてきて良かった」ことでもあるのでしょう。

それにしてもガーベラを誰よりも愛したアナベルが、望まなかった結論を出したガーベラ。
でも、それが最終的にガーベラの幸せでもあり、アナベルの幸せでもあったという最終結論が面白い。
愛は思いが強いからといって、全てを正しくするものでもないのだなと。

ガーベラにとって自らが生まれてくるべき存在ではなかったと自問する末に、自分を愛してくれようとするエリカをも拒絶しようとする。当初は本心からの愛ではなかったエリカの愛。でもエリカが思い直した思いが伝わったのか、エリカから差し伸べてくれた手を離さないガーベラに救われる思いがしました。それにしてもあゆっち、また命を全うできないのね・・・(王家に続き)。

数え切れないほどの人が亡くなるこの作品ですが、作品全体に流れる空気は、「死がすぐそこにあるからこそ、生きることは誰にも奪われるべきではない権利」。それでも、「大切な人の命が奪われたら、奪った者の命を奪うことにはなんらの躊躇いもない」こととの矛盾は、簡単に答えを出せないことなのかもしれません。

作品の特徴として、もうひとつ感じたのは、”「絵に描いたハッピーエンド」を意識して排除している”ように思えたこと。

表面的な幸せより、内面的な幸せを描こうとしているように感じて。
そんなところが”目が離せない”物語のひとつの要因を構成しているように思われました。

・・・・

キャストさんでは、やはり、えりあゆコンビの絶妙なバランス。実際にも9学年差だった2人が「9歳差」の姉妹設定だったり、エリカなあゆっちがもうひとつの「えりあゆ」になっててみたり、脚本的に意識してやっているんだと思いますが(笑)、退団しても容赦なく高めあえる関係ってとてもいいなと。

ガーベラの田村芽実ちゃんも生では初見ですが、評判に違わぬ存在感で今後に期待大です。

吉野さんのとっても「吉野さんらしくない」役柄も意表を突かれましたが、そういえば某「モラルもルールもまっぴら」な役って意味では「吉野さんらしい」役柄だったのですね(爆)。

いつもと違う空気感を感じられた観劇になって興味深かったです。

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