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『In This House』(2)

2018.4.7(Sat.) 17:30~19:00
2018.4.8(Sun.) 16:30~18:50
東京芸術劇場シアターイースト
土曜はB列10番台後半(センターブロック)
日曜はB列1桁番台(下手側)

「In This House」(勝手に略してITH)、2回目・3回目です。

回数を見て見えてきたものもあり、分からなくなるところもあり、作品の奥深さに酔いしれる日々です。

何というか、ついつい「物語を理解しよう」という視点で観劇する癖が付いていると、「あぁなるほど!」と思う、謎的要素があったりするわけですが、「何かわからないけど良かったなぁ」と思う観劇もいいんじゃないか、そう思える作品です。

といいつつも、やっぱり物語の整理はしておきたいわけで、そして今回はプレイビル的なペーパーはあるものの、パンフレットがないので、恐らく映像化もないわけですから記憶にしか残らない、ということで今時点の感想や気づいたところを、今回は書き留めておきたいと思う次第です。

というわけで、もちろん今回もネタバレです。
前回以上にかなり危ないネタバレまで行きますので、ご注意ください!

前回紹介した「カルチケ」(実質は学生無料チケットですが、正しくは「耕すチケット」という意味の「カルチベイト・チケット」の略です。作品を応援する方がした積み立てで、若い方に作品を見てもらおうという企画)も、毎回、用意された枚数が全部は出ていないようです(今のところ1回10枚)ので、興味を持たれた学生の方はぜひご覧になっていただきたいです。そして学生ではない方も、ぜひ見ていただきたい作品です。




では、ネタバレパートスタートです。

よろしいですね?




●「時の共有」
この物語の最大のポイントは、登場する4人の時が、実は重なっていないところ。

ヘンリーとルイーサの大人ペアと、ジョニーとアニーの若手ペア、この2組×2人がヘンリーとルイーサの旧宅で出会うことでこの物語は始まっていますが、実は大人ペアは若手ペアと同じ時代に生きていないんですね。

日曜日のトークショーで演出の板垣さんが仰っていましたが、ご覧になった方も意外に気づいていないのだとか。確かに劇中では、岸さん演じるヘンリーが言う「俺たちが埋葬された墓が崩れかけた場所にある」というところが一番明確です。

ここ、「生前墓かなと思った」とびびちゃん(綿引さん)が仰っていて、確かに今のご時世からするとそれもあり得るなと思いつつ、もう2つほどポイントがあって、ヘンリーの活躍していた野球チームが20世紀初頭のチームだったり、「AP通信」をルイーサが知らなかったり(ただしAP通信自体は19世紀に出来ていますので、少し時系列がおかしいです)、自家製醸造酒(通称「ウィスキーみたいなもの」)は禁酒法(20世紀前半)当時の名残というのが公式さんの豆知識に書かれていますね。

若手ペアからすれば大人ペアは要するに幽霊、なんですが、大人ペアの間にも「時」の分離があるように見えます。過去は夫婦だったヘンリーとルイーサは、自分の想像ですがルイーサの方が先に亡くなり、ヘンリーが年を重ねた後亡くなって、過去のすれ違いをヘンリーが埋めたくて、旧家にやってきている、ように見えます。

若手ペアのすれ違いを通して、ヘンリーがルイーサとの過去のすれ違いを埋めようとしている様はとてもいじらしくて岸さんとってもチャーミングです。

●カップが4つでなくて3つな理由
4人が出会った夜に、アニーが持ってきていたインスタントコーヒーで乾杯するシーン。ここにカップが4つなくて3つしかない理由が涙を誘います。つまり、ヘンリーとルイーサとその娘さん、この家には3人しか人がいたことがないんですね。だから4つ目のカップがない。

でも悲しいのはその先のルイーサの独白。「4つ目のカップを出したかったがなかった。それを皆が気づかないのでそのままにしていた。それは自分の存在が気づかれていないかのようだった」というところの入絵さんの淋しそうな表情にいつも強く惹きつけられます。

ルイーサは後述しますが、自分の人生が何か意味があるものだったのかを確認できなかったかのように見えて、だからこそこの独白と、そのルイーサの様をよそに3人が楽しそうに振る舞う様とのコントラストに胸が痛いです。

●大晦日は記念日
この4人の共通点と言えば大晦日。もちろん2ペアが出会ったのが大晦日の夜だったことは前提ですが、大人ペアにとっては2人の心が離れたきっかけの日。ヘンリーが酒に酔い家に帰らず、娘が高熱を出してルイーサが一晩中看病し、翌朝ヘンリーが医者を探しに走ったが間に合わず、一週間後に2人は娘を失った…

ルイーサの思い込みの中では、ヘンリーの雄姿を奪ってまで(*)自分のために得たかすがいだっただけに、娘を失ったことは自分の生きてきた意味も失ったのではと思えてなりませんでした。

(*)ヘンリーはマイナーリーグで野球をやっていたが、ルイーサが子供ができたと告げたことで街に帰ってきたため、ルイーサは自分の言ったことで彼の夢を奪ってしまった、と思い込んでいる

片や若手ペアはといえば、2人が出会った名実ともに記念日。アニーが速度違反でジョニーに捕まったのが2年前の大晦日。だからこそジョニーはこの日に「自分が信じる最高のプラン」でアニーに告白しようとしたのですね。その後来るすれ違いを想像もせずに。

●保守と革新
この物語では大人ペアと若手ペアという組み方で分けるのが一般的ですが、実のところ、保守ペアと革新ペアという分け方も可能かと。保守ペアはルイーサとジョニー。ルイーサは敬虔なクリスチャンで「伝統」を重んじる女性。ジョニーは「伝統的な家族」にこだわりをもつ男性。

翻ってヘンリーとアニーは革新ペア。ヘンリーはルイーサの伝統にこだわる姿勢に辟易している以外の面を見せてはいませんが、アニーは「家族」という概念に極端なほどの抵抗感を持つあたり、かなり革新的。ユダヤ系だからといって家族を軽視するわけではないと思いますが(作品は違いますが『屋根の上のヴァイオリン弾き』ではむしろユダヤ人だからこそ家族の結びつきを重視する描かれ方)、考え方はルイーサとアニーは全く合わないんですよね。実際にはかなり派手に議論を吹っかけようとしてますからね、アニー。

●アニーとジョニーの通じ合うところ
この物語の最大の不思議と言えば、なぜあれだけ自立したアニーという女性が、ジョニーのことを思い、好きなのか(爆)。この日のトークショーで法月氏が愚痴っていたのですが、「(ファンの方から)お手紙をいただくんですが、(女性の)みなさん全員アニーの味方なんですよね(苦笑)」という(爆)。

アニーを演じたびびちゃん(綿引さん)もそれに答えて、「自分自身の年齢とも近くて、結婚や人生に対して感じる迷いといったことについて、同世代の女性の皆さんの中にも通じるところが多くあると思いますし、自分もそれを感じながらやっている」と仰られていました。

劇中では「あなたと一緒になりたい、あなたの奥さんになりたいという思いも一面としてある」と言いながらも、結婚に対しての外堀を埋められたからなのか、当たり前のように子供を求められたからなのか、「フェアじゃなかったことについて謝る」と言いはしつつも、「どこが問題だったのか」は明言されていない印象です。

アニーがトリアージナースだったことが、ここのストーリーに大きくかかわるという話もあったはずですが、そこの話が少し飛躍しているように感じます。戦場や非常事態の場に多く接し、命に対する儚さを知っているだけに、軽々しく命を生み出す行為に「ただあなたが子供を作りたいという理由だけでは応じられない」という理論構成なのかなと、今のところ想像していますが。

ジョニーは自ら言っていることとして、出来のいい兄たちに比べて、家族では立場がないと。だからこそ家族を作ることで両親に対して胸を張りたい、それをしなきゃという焦りからこそ、アニーの同意も取らずに突っ走ったのかと思いますが、アニーのどの逆鱗に触れたのか、そこが少し丁寧ではない描かれ方に思えます。

アニーはジョニーの文才を世に出したくて本人に無断でAP通信や出版社に売り込んだりしているのですが、アニーにとってはジョニーが「家族という制約の中で自分の可能性を狭めている」ことに対して、ジョニーらしい良さを出して、今まで育ってきた家族の枠内ではなく生きていこうとして欲しがっているわけですよね。

両親に評価してもらいたい、じゃなくて自分がこう生きていきたいから、そこに一緒にいるのはアニーでいてほしいと。

もう一面として、自立した女性であるアニーにとって、自分が今までやってきたこととの整合性もあるのかなと。今まで命を削ってきたことが意味があったことと思うためには、ジョニーと生きる未来が、それ以上に意味があるものでなくては、自分が一歩踏み出す意味がなくて、だからこそ「ただ家族になる」「ただ子供を産む」だけでは、アニーが変わるきっかけとしては弱かったのかなと。

ただ、それはアニーの立場の思いでしかなかったことが「フェアじゃなかった」なのかなと、そう感じました。
(自分の思いだけ押し付けて、ジョニーの思いを無視したことが)

トークショーでは板垣さんが「アニーのあの(機関銃のような)指摘を理解できるのは男性でも200人に1人いるかいないかじゃないかと思う。自分は無理(笑)」と仰って会場の笑いを誘っていましたが、理解しても寄り添える人はさらにその200分の1じゃないかと思います(苦笑)。

その話を聞いていてふと思ったのですが、舞台観劇客に男性が少ないのはなんでかという話が繰り返し色々なところで議論されてきていると思うのですが、舞台の世界で更に現実と向き合うのは辛いからじゃないか、とふと思った次第です(爆)。

・・・

日曜日終演後は約20分のトークショー。

若手ペアからは「今この作品に出逢えてよかった」との感想が法くん、びびちゃん双方から。
法くんからは「ど素人から素人になれたかなと思うぐらい」
びびちゃんからは「ここまで身を削ってやった芝居もいままでなかったというぐらい」

びびちゃんから「板垣先生にここまで丁寧に教えていただいて」と言ったが早いか、板垣先生から「授業料は後ほど」って言われてました(笑)

法くんが天然で突っ走り、びびちゃんが優等生的にフォロー、加奈子さんの光速のツッコミが随所に差し込まれ、岸さんが上手くまとめるという感じ(笑)。が、板垣さんもツッコミ激しいですからね。

加奈子さん曰くの「始まったら終わっちゃうから始まらないで欲しかった」という言葉が印象的。

また板垣さんからプロデューサーの宋さんの話として「この作品の規模なら1週間で終わるものだけど、『良かった』という頃には終わっちゃうのは淋しい、だからどうしても2週間やりたい」という思いでこの日程になったとのこと。

その話を聞いて思いましたが、宋さんの熱さも、板垣さんの熱さも、そしてキャスト皆さんの熱さも、演奏の皆さんの熱さも、それぞれ違う熱さなんですよね。良い舞台を作りたいという思いが伝わってくる素敵な作品が、あと1週間、更に多くの皆さまの心に届くよう、願っています。

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