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『ジキル&ハイド』(8)

2018.3.17(Sat.) 18:30~21:25
2階13列20番台(センターブロック)

2018.3.18(Sun.) 13:30~16:35
2階10列(最前列)30番台(上手側)

東京国際フォーラムホールC

東京千穐楽、終わってしまいました。
今年のジキハイはこの後、名古屋・大阪公演と続きますが、私的には日程等々の都合があり、この日がmy楽です。

前日の東京前楽はリピーターチケットでの追加回で、当日の幕間に引き換えた特典写真の玲奈ルーシーは今回提供された写真中、史上最強の色気に改めて衝撃。

東京前楽・楽と、1幕最初の『嘘の仮面』でマイクトラブル多発。特に、新聞売りの(麻田)キョウヤさんのシーンは2回とも音響さんマイク入れ損ねで大変残念。聞いたら他の日もキョウヤさんのパートはマイク入りが良くないことが多いらしく、素人じゃないんだから…と残念な気持ちです。

2階最前列は普通に座るとオケは見えず、ぎりぎり舞台際が見える状態。先だって3階最前列(2列、A席)にも座りましたが、そちらは舞台際が見切れる状態だったので、これがS席とA席の差なのかとちょっとだけ納得(笑)しましたが、後列の方が見えにくくなっていないか心配になってしまったりするので、精神衛生上&体勢上なかなか辛いものがあります。

本編の話に入りますが、病院の理事会、ジキルが言及する「遊びじゃない」という言葉が、この日は印象に残って。いやいや、遊びじゃないから問題なんですが(爆)、ジキルは「科学の発展」に対して露程の疑いもない、ピュアな人物。自分がどれだけ危険なことを言っているかについて無頓着。普通の図式で言えば、病院の理事会という「守旧派」は、権力であり悪である、ということになると思うのですが、ここでの理事会メンバーの判断はかなりのレベルで全うであるということが、興味深いです。

というのが、ハイドが病院の理事会を1人ずつ亡き者にしていきますが、この正当性はどこにあるのかと。
普通、「ヒーロー」であるならば、滅ぼす相手こそが悪であり、ヒーローが善でなければ成立しない。最近のヒーローものは必ずしもそれが成立しなくて、「善と悪をそこまで簡単に判断できるのか」というのが主流ですが、それを横に置いておくとしても、実のところ『ジキル&ハイド』のハイドの行為は、「科学の進化を妨害する悪を成敗する」というよりも、「ジキルが自らの意思を通せなかったことへの私恨」だったりするんですよね。

ジキル博士の踏み出そうとしている領域が、科学でなく哲学の領域であり(@ダンヴァース卿)、神を冒涜する行為(@大司教)であればこそ、ジキルが神に対して貴方の下僕と語ったところで、最後は神からの庇護を受けられない、愛するエマに対して見せたくない部分を見せてしまう…そう考えると、この作品って意外なことにヒーロー物じゃないんだな、と思えたりします。

そんなジキル&ハイドを取り巻く2人の女性、エマとルーシーは今回、2人ともが新役。
石丸さんシリーズ(2012年・2016年)ではエマだった笹本玲奈さんが今回ルーシーに役替わりし、エマには宮澤エマちゃんが入られたわけですが、回を増すごとに元々2人ともこの役だったんじゃないかと思うほどに嵌っていき、実に新鮮に拝見できました。

エマ役は当初どうしても玲奈ちゃんの面影を感じずにはいられませんでしたが、玲奈エマとエマエマの違いと言えば、玲奈エマは「生粋のお嬢様で、芯の強い女性」、エマエマは「最近飛ぶ鳥を落とす勢いの家のお嬢様で、気の強い女性」という違いでしょうか。設定上はダンヴァース家は旧家ではなく、一代限りの貴族という設定のようなので、エマエマの方が本来の設定に近いのでしょうね。

今回、御父上も今井清隆さんから福井貴一さんに変わり、社交界のポジションの違いを感じます。というのも、エマちゃんのエマは社交界に上手く溶け込んでいない(溶け込めていない)感じで、「能力と社交性は両立しないんですよ」とまりおアターソンがヘンリーに対して言ったときに、福井パパがエマエマを見て「そうだよなぁ…」って呟いていて、エマエマが不本意そうに俯くのが毎回ツボでして(笑)。

ヴィーコンズフィールド侯爵夫人がヘンリーを腐したときに、強い皮肉を返したときに、親エマ派の御婦人方(真記子さんと森実さんでしょうか)が「エマ凄いわよねぇ」って感じで返してましたが、そういう方は少数派。ここのシーン、玲奈エマで見たときにはそこまで孤立している感じはしなくて、社交界で結構上手いこと上品に振る舞っていた記憶があるので、たぶん今回の役どころの変更点でもあったのかと思います。

「エマ少しは聞きなさい」って福井パパがエマエマに言ってますが、まぁ本当にいつも聞かないんだろうな(笑)と思わせる役どころで、玲奈エマは同じことを言われても「え、そんなに頑ななの?」って印象が残ってます。

最後のシーンの印象もかなり違って、ジョンがした行為に対する反応がずいぶん違う。

玲奈エマの時は、ジョンに対してこれでもかというぐらいに鋭く憎しみの表情で睨み付けた後(『どうしてこの人を○したの!』って感じ)、他の人たちに対しては正直無関心でしかなかった記憶があるのに対して、エマエマはジョンに対して哀しみの感情(『仕方なかったかもしれないわね』って感じ)を見せたのに対して、他の人たちに対してはこれでもかという憎悪を向けていたんですね。(『あなたたちがヘンリーを追い詰めたのよ』と。)

玲奈エマは理性のエマだったけど、最後の最後で感情を露わにしていたからこそ、「エマは最愛の人も、最高の友人も同時に亡くした」という印象が強く、誰も信じられなくなった玲奈エマは出家して修道院に行きそうなイメージ
エマエマは感情のエマだったけど、最後の最後で理性で判断した感じ。ジョンの行為にも納得した上で、第二のヘンリーを出さないためにエマエマは一念発起して政治家になりそうなイメージがあります(爆)。

どっちも面白く、どっちも興味深い、キャラクターが違ったエマが見られたのも今回の醍醐味。

玲奈ちゃんファンとしては、エマちゃんがちゃんとエマとして存在してくれたからこそ、玲奈ちゃんがルーシーに100%以上全力投球できたと実感していて。エマちゃんはクレバーなだけに、考えすぎる印象があって、特に今回前任の玲奈ちゃんが目の前にいることでとてつもないプレッシャーがあったかと思いますが、玲奈ちゃんも上手いことエマちゃんがやりやすいように振る舞って(『エマのときのことはすっかり忘れました。そういう性格で良かったです』とまで言ってたのが、ある意味凄い笑)とってもいい関係性になりましたよね。東京楽のカーテンコールでエマちゃんから玲奈ちゃんの首筋にキスしに行ったのは、エマちゃんから玲奈ちゃんへの最大の感謝の気持ちを拝見できたようで、嬉しかったです。

そして、エマちゃんにエマをお任せして、玲奈ちゃんが挑んだのが、前回まで濱めぐさんだったルーシー。
めぐさんのルーシーはパワフルで圧倒的な存在感で、玲奈ちゃんはキャラが違うから同じ道は歩めないと心配をしていましたが、出産後わずか4カ月でこの完成度。めぐさんのルーシーと全く違う姿を見せてもらえたことにただただ感激。

振り返れば、めぐさんのルーシーは「魔力」のルーシー。圧倒的なオーラで男を引き寄せる感じなのに対して、玲奈ちゃんのルーシーは「魅力」のルーシー。ピュアな空気感で男を引き寄せる感じ。お2人の役者としてのポジションも反映していますよね。めぐさんは「女王」で、玲奈ちゃんは「お姫さま」。
めぐさんルーシーはアグレッシブで、どん底から自分で這い上がれるようなパワフルさがあったけど、玲奈ちゃんはどん底でジキルと出会って、ささやかな夢を持つ、そんな少女な感じがルーシーをよりピュアに見せていました。

どん底で夢も持たずに生きてきて、何の出口もない日々に突然現れた出会いに救われるルーシー。
その中でもとりわけ「愛を知らない、恥ずかしい、恥晒し」という歌詞が胸に深く刺さりました。

愛を知らない自分は、社会の中で生きていく場所もない、そう自分自身を蔑まずにいられない。
文字も読めて、恐らくは元々は良家で育ったであろう少女が、若くして身をおとして夢も希望も持たずにいた少女が、ヘンリーと出会って、「恋をしていい、夢を持っていい」と思い歌う『あんなひとが』を見ていると、今までの玲奈ちゃんの歩みとシンクロしてきて、なんだか泣けちゃうほどに嬉しい。七瀬りりこちゃんが抱えてる乳飲み子を愛おし気に見つめる様も、今の玲奈ちゃんで見るとただのシーンに全く思えないミラクル。

『新しい生活』もどんどんピュアになってきて、玲奈ルーシーの無防備感が、まりおアターソンならずとも心配になるぐらい。「すぐにこの街を出るんだ」と言われて「どうして?」と素で返してて、「歌ってないで逃げて!!!」って客席中からツッコまれながら(爆)歌う『新しい生活』が、客席みんなルーシー応援隊(笑)

ここでのハイドとルーシーのやり取りも印象的。

ハイドって、基本的に気に入らない人間をぶった切ってますから、ストライドまでは動機がありますが、実はルーシーに手を掛けた理由って、明らかにストライドまでの動機と違うんですよね。

思うに、ハイドにとってのルーシーって、ただ一人の同志だったんじゃないかって。

同情・愛情・貞操感。その3要素を共有できる存在だったと思っていたけれど、ルーシーの思いはもうそこから離れようとしていた。だからこそ「何を言っているのか分からないわ」とルーシーが答える。
「もうそこに自分はいたいと思わない。同情されて、愛情もなく、貞操感なしに生きることから抜け出したい。大切なあの人が開いてくれた「新しい生活」のために「ここ」から出よう」と。

ジキル博士が手紙で書いた「そこから抜け出して」は物理的な「どん底」ということだけじゃなくて、「(本当の)自分らしくない生活」から抜け出すということでもあるわけですからね。

「孤独」の中でただ一人仲間だと思っていたルーシーに、一番触れられたくない自分の弱点を射抜かれて、発作的に行動したハイド。ルーシーは自分の身と引き換えに、ジキルを我に返らせられたのだと思うと、あの衝撃的なシーンもなんだか腑に落ちるものがありました。

・・・

この日は東京千穐楽ということで石丸さんが代表してご挨拶。

「3月3日、ひな祭りの日からみんなで走ってきた『ジキル&ハイド2018』も東京公演はこれで終了です。毎日日々違う形になってきて、最初と今とではずいぶん違ったものをお見せできているのではないかと思います。これから名古屋、大阪と参りますがもっと進化していくと思います。見たいでしょ?(いきなりのフレンドリーモードに舞台上も客席も笑)。お時間のおありな方はぜひご覧にいらしてください」

カーテンコールで出てきた時、玲奈ちゃんがうるっと来てましたが、すぐ持ち直して笑顔でお辞儀されていたのが印象的。前述しましたが、ラストカテコでエマちゃんが上手側、玲奈ちゃんが下手側から出てきた時に、エマちゃんから玲奈ちゃんの首筋にキスをしに行った姿は本当に色々な思いを感じられて、後方からその2人を優しそうに見つめる石丸さんの姿も含め、とっても素敵な東京楽になったのでした。

名古屋は3月24日(土)と25日(日)に愛知県芸術劇場大ホール、大阪は3月30日(金)から4月1日(日)まで梅田芸術劇場大ホールにて上演されます。

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