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『ダディ・ロング・レッグス』(8)

2017.11.11(Sat.) 12:30~15:10
シアタークリエ 14列10番台(下手側)

2017.11.18(Sat.) 12:30~15:10
シアタークリエ 12列1桁番台(上手側)

ダディ4演、my初日&my楽日です。

「2回目」って結構好きな回数で、1回目ほど不安にならないし、3回目ほど小慣れてもいない。
1回目で気づけなかったことを気づけるという意味で好きなのです。

話には聞いていたものの、私も好きだった2曲が新曲になっていて、特に1回目は相当戸惑いましたが、2回見てみると、なるほどこれもありなのかと思わされます。

4演目ということで、気にせずネタバレで参りますので、ご注意ください。

今回一番印象的だった言葉は、「義務」と「愛」の対比です。

ジャーヴィスは名家のペンドルトン家の一員として、みなし児たちへの支援をすることを「義務」と認識し
て実行している。いつもは男の子に対してだけしているそのことを、なぜか女の子であるジルーシャに対して行なう。ジルーシャがしたためた文章に対して「類まれなる才能」を認めて。

ジャーヴィスは自ら作った”(自らの既成概念からの)完璧な9箇条計画”によって、自分を安全地帯に置いてジルーシャを眺めていようとしたのに、ジルーシャの好奇心はその壁を越えようとする。ジルーシャの生き生きとした手紙に、段々興味を抑えられなくなるジャーヴィス。

元々本好きだったと思われるジャーヴィスにとって、でもジルーシャの手紙によって「今までの自分の見えていなかった部分」があることを知るんですね。ジルーシャの手紙を読んで「読み返そう」と思うジャーヴィスの変化が興味深いです。

ある時、ジルーシャは「追伸」で『愛』について触れます。ここは4演で大きなシフトチェンジになっていて、1幕の新曲はここで歌われることになるのですが、ここでのジャーヴィスの狼狽えようもさることながら、印象的なのは先ほど書いた「義務」と「愛」についての対比。

ジャーヴィスにとってのジルーシャへの援助は「義務」であって、「愛」によるものではない。そして見返りに「愛」を求めたわけじゃない。なのに、ジルーシャは自分に対して手紙の上であるとはいえ「愛」という言葉に触れている。ここでのジルーシャの「愛」はまだ本当の「愛」になっていなかったとは思うのですが、しみじみ思ったのは、ジャーヴィスもジルーシャも「義務」に生きてきた2人なんだなと。

名家のペンドルトン家に生まれ、家にはなじめずに浮いているジャーヴィスにとって、せめてもの自分の役割として「援助する」という「義務」をすることで何とか自分の存在意義を保ってきた。

孤児となり孤児院で長い期間を過ごし、一番年上となるまで自分の苦しみを横においてでも年下の孤児たちの面倒を見てきたジルーシャは、その「義務」を果たすことが自分にできるすべてで、”自分”という存在に関心を持ってくれた人もいなかった。

ジャーヴィスがジルーシャに高等教育をプレゼントしたことで、まずはジルーシャが変わっていく様がとてもドラスティックで。元々感受性が豊かな彼女が、高等教育という教養、周囲の人たちの(好きではない人とも)かかわりを持つことで世界が広がり、他者に対する”興味”を表に出すようになっていく。

「義務」は自分の心を拘束して、自分の身を縛るけれども、
「愛」は自分の心を開放して、自分の身を動かす

それでいてこの物語の素敵なところは、「それ」を意図したわけではない、ところですよね。
ジャーヴィスはジルーシャが自分のことを思ってくれるなんて、夢にも思っていない。
むしろ迷惑に思っている(笑)。
何しろ、思われることには慣れていない、と吐露しているぐらいですからね。

ジルーシャも、手紙の先がまさか当の本人とは思っていませんから、言いたい放題・書きたい放題(笑)なわけですが、ウィットに富んでいて嫌味がないから、客席から見ていても応援したくなる。演じられている真綾さん自身が形容された「愛あるブラック」の表現が膝を打ちます。

初演当時から絶妙な距離感でこの物語を演じ続けてきた井上芳雄さん(ジャーヴィス役)と坂本真綾さん(ジルーシャ)の関係性は、円熟しながらも新鮮さを保ち続けて、初演以来5年間の歳月を感じさせません。

芳雄氏のこの作品特有の、(最近見なくなった)自信なさげな振る舞いは「あぁ、ダディだなぁ」と思うし、舞台作品では基本この作品だけで拝見できる真綾さんの”気の強さを上品のオブラートで隠す”(わざとちょっと隠さないのが彼女ぽい)様も「あぁ、ダディだなぁ」と思えて、何だかとってもホッとしてしまうのです。

ジルーシャは本心をずっと言っていて、ジャーヴィスは本心をずっと言えていなくて、それでもジルーシャは最後は許す、その理由を考えるに、ジルーシャに”計算”がゼロとは思わないにせよ、「悪意」が存在しないことが大きいのかなと、拝見するたびに思います。

ジャーヴィスの行動は子供ぽい嫉妬からで、自分が気にしていたことは、既に相手に伝わっていたことから、”自分も壁を作っていたこと”を知るからなのだろうなと。

”どちらからも登れない壁”を「チャリティー」は作り出す、とジャーヴィスは言っていますが、ジルーシャにとってジャーヴィスの問いかけに首を縦に触れなかったのは、自分の過去(孤児院にいた自分が、名家に嫁ぐことはあり得ない)ため。

自分の過去にこだわっていた自分が、「自分から壁を作っていた」。

だからこそジャーヴィスが正直に真実を告げたときに、「自分の罪」と「ジャーヴィスが自ら認めた罪」をちょうど消し合う形で、「自分も壁を取り払ってこの人と未来を歩みだそう」と思えたのだろうな、と感じられて、そのラストが素敵でした。

ただ、何より大好きだった「卒業式」の曲が消えてしまったのはやはり悲しくて、確かにジルーシャにとって願いが叶わなかったから「卒業式」が悲しい場になってしまったのは分かるけど、来てくれると信じている間の表現は今までのあの曲を残しておいて、その落差を見せるようにしても良かったんじゃないかなぁ、とは思いました。

ともあれ、シアタークリエが生んだウェルメイドな作品を今回も拝見でき、心温まる時間を過ごせたことは何よりの幸せでした。

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コメント

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投稿: Johnd574 | 2017/12/18 00:51

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