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『王家の紋章』(2)

2016.8.21(Sun.) 12:30~15:45
帝国劇場 2階F列30番台(センターブロック)

王家2回目の観劇ですが、早くもmy楽です。
先週日曜日の観劇は仕事で見られず、3回の予定が2回になってしまい、消化不良な面もありますが、2回見られてひとまず腑に落ちたところはあったので、まぁ納得です。

この日はおけぴさんと三菱UFJニコスさんの合同貸切公演。
おけぴさんは恒例のまくあいマップが配布されていました。

さて、懲りずに今日もネタバレ参ります。お気になさる方は回れ右でお願いします。



この日見て一番印象的だったのは、メンフィスの変化。
前回観たときは、乱暴さを強調しなければいけないところに、浦井氏の生来持った優しさというかが災いしているように見えて、「わざと乱暴に見せている」ところが違和感があって。

でもこの日はエジプトの王として、「そう振る舞うことしか知らない」ことと「そう振る舞うことしかできない」、”王としての未熟さ”が見えて、「若き王」としての脆さも見せていて魅力的です。

いきなり古代に吹っ飛ばされて、考古学好きとはいえ古代で生きるつもりなんか元々欠片もないキャロルが、”未熟な”メンフィスに自らの所有物のように扱われ、「私はあなたの奴隷じゃない」と叫ぶ姿は、そりゃそうだよなと。

メンフィスは自らの命を狙われる境遇であるとはいえ、自分の思うように権勢を振るえる立場。
なのにキャロルは自分の言うことに従わず反論してくる。メンフィスにとっては初めて現れた「自分の想い通りにいかない相手」だったのでしょうし、だからこそその存在は興味深くもある。

最初は「自分が唯一手に入れられないもの」だから「手に入れたい」、ただそれだけの存在だったのに、メンフィスにとっては次第に「他の何物にも代えられれない存在」になっていく。異母姉弟であるアイシスからの求婚を断ってほどに。

翻ってキャロル。古代遺跡の発見現場でその美少年さに魅せられていようとも、いざ古代エジプトに行ってみれば、その少年の実際の姿は自分に完全服従を強いるオレ様な王。

メンフィスに反抗し続けたキャロルが、本当にメンフィスを救いたいと思った時。
未来の知識を使って、歴史を変えていいか苦悩する場面。

なぜ、と言えばそれは「責任」故と思うのですね。

メンフィスはただ横暴に振る舞っているわけじゃない。エジプトの民のために、度重なる危険から不死鳥のように蘇る。そこにあるのはエジプトの民への責任、エジプトへの責任。

キャロルも向う見ずに見えて、自分の責任にはとても敏感。
だからこそ「責任」を背負ったメンフィスの姿を見たときに、それを支えるのが自分の「責任」だと感じたんじゃないかと。

王を愛するということは、王妃として国を共に支えるということですからね。

宰相イムホテップはキャロルを見て、手放しの賛辞を送ります。「未来が見通せる、ナイルの女神」であると。でも本意は、「キャロルはメンフィスを変えられる存在である」ということじゃないかと思うのです。

メンフィスはある意味、すべてを自分の意のままに動かせる存在。だけれども、それだけで済まない場面も出てくる。

はっきりそれが出るのが、ヒッタイト王国との戦いの場面。
キャロルを敵に奪われ、打ち手を制限されるエジプト軍。
敵の奥深く入り込んだウナスの働きによって、メンフィスはキャロルとの再会を果たすわけですが、戦況上、どうしてもキャロルを連れて戻れない状況にある。もちろんメンフィスはキャロルを今にでも連れて帰りたいが、部下たちは「危険」と進言する。メンフィスとキャロルの心は通じ合っていることを、部下たちはわかっている上で。

それまでのメンフィスなら正面突破したろうに、その時、メンフィスは部下の進言を聞き入れ、一旦は体勢を立て直す。キャロルは自らの利用価値を最大限利用すべく、自ら囮になって敵をひきつける。

このとき、メンフィスは自分の無力さを知ったと思うんです。
浦井氏のメンフィスは、一幕で「なかなか言うことを聞かないキャロル」に対して、いわばおもちゃかのように扱っていたのに、この時、キャロルを救えない自分に対して、全身で「無力という悔しさ」を表現していました。

ずっと自らの力を絶対的に誇示してきたメンフィスが、初めて見せた「無力感」。
でも、自分にとってかけがえのない存在になったキャロルを、取り戻すことを諦めたわけじゃない。

無力を感じたうえで、自分がどうすればいいかを考える、それが若き王メンフィスが、一回りも二回りも大きくなる試練だったんじゃないかって。
それがメンフィスにとって必要である、つまりそれにはキャロルが必要なことを、宰相イムホテップは見抜いていたのではないかと。

本当に大切なものを守りたいと思えること、それによって王として一段上のステージに登ること。

聖子さんのキャロルは、揺るぎのない「自らの責任の果たし方、戦い方」を全身に漲らせていて、メンフィスにとって本当に大事な存在であることを表現されていて、本当に素晴らしかったです。つまるところ、愛によって強くなる存在。

この作品では濱田めぐみさん演じるアイシスの存在感も素晴らしいです。
が、彼女のオーラにより役がぐんと大きくなっていることを横に置けば、宰相イムホテップ曰くの「(アイシスは)あれほどの女性であっても、愛は人をこんなにも愚かにするものか」ということからして、愛によって弱くなる存在なんですよね。
結局は、メンフィスが選んだキャロルのために、「エジプトの勝利を願う女神」という機能面での制約から(メンフィスと結ばれるという)夢がやぶれざるを得ない。

劇中の最後、キャロルは歌うのですが、バックには今までの登場人物が登場して。

「2択のどちらかを選ばなければ、始めることもできず、終わることもできない」と。

それを見ていて強く感じたのは、聖子さんとキャロルとの共通項。

「考えに考えて、必ず何らかの結論を出す」

「どの結論を選ぶかより、結論を出すことが大事」

「結論を出したら、後悔することなく前を向く」

…この作品の登場人物すべてを代弁するかのようなラストの歌は、聖子さんをしても全員の想いをしょい込むには大きすぎたような気がして、キャロルの歌い出しから皆の歌い上げに持って行った方がよいような気がしましたが、それでもこの『王家の紋章』のメインテーマの明らかに大きい部分がここにあって。

最後をキャロルが締めたのは、キャロルだからこそ。
メンフィスが、そして皆が求めたナイルの女神だったからこそと思えて、物語の締まりを感じさせて、腑に落ちたところがあったのでした。

仕事の都合もあって、2回しか見られなかったのは心残りではありますが、ひとまずの気持ちの区切りは付けられて、来年の再演を待てる気持ちになったのは何よりでした。

再演、よりスケールの大きい、分厚い作品になって凱旋されることを、心から願っています。

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