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『悟らずの空2015』(2)

2015.11.23(Mon.) 19:00~21:15
池袋シアターグリーン BIG TREE THEATER
A列1桁番台

ダブルキャスト(天チーム、空チーム)だったこの作品ですが、日程上の都合上で空チームの観劇は叶わず。初日とこの日のソワレ、両方とも天チームでの拝見。しかも座席が2回とも1mmも動かない全くの同一席。
つまり、座席の前後左右による印象の違いが全くないということになります。

初日、特にびびちゃん(綿引さやかさん)に感じた緊張感はこの日はかなり自然になっていて、この物語として三蔵法師がいる、というのが違和感なく感じられました。

初日に見たときは、三蔵法師としてのびびちゃんは「自分が引っ張らなきゃ」という思いが強かったように思いましたが、この日は無理に引っ張っていこうとはせず、「三蔵法師としてそこにいる」ことに集中していたように見えました。
結果、3人衆はじめ周囲が三蔵を上手く回しているような感じになっていて、作品としてのバランスがとてもよくなったように思います。

というのも、この物語は三蔵の成長物語であるともに、三蔵を取り巻く人たちとの関係性の変化の物語でもあるからで。
三蔵に仕えし3人衆は神から遣わされし3人であるがゆえに、「ついて行けと言われたからついて行っている」という面もある。
三蔵は都合が悪くなれば上から目線で怒鳴り付け言うことを聞かせる。お付きのものはそこに従うしかない。それは主従関係そのもの。

もうあと1回(空チーム)しかないのでネタバレしますが、それらの関係を大きく動かしたのが、とある妖怪がとある理由で三蔵に申し入れてきた弟子入り願い。

その時、その妖怪が「人を食っている」と知った三蔵は、それを理由にその妖怪の弟子入りを断ります。
「あなたのような妖怪を弟子にする気はありません」

でもそこに引っ掛かりを感じたのは3人衆。
というのも、こちらも妖怪だから。
「今まで身体張ってやってきたのにそれはないんじゃない」と。

「あなたたちは違う」と言う三蔵だけれども、本当にそうなのか迷いが生じる。

妖怪である3人を従えながら、新たに妖怪からの弟子入りを拒む自分はいったい何なのか。
そんな折、3人衆の一人、沙悟浄もかつて人、しかも坊主を殺していたことが発覚し、三蔵は沙悟浄に破門を申し付ける…。

三蔵にしてみれば、「人を食らう」ことなど言語道断。
…ではあるものの、それは思考停止でもあることに気づくんじゃないかと。

条件反射のように結論を出せば、実態には目を向けずにいられる。

天竺に向かう有名な僧侶として、理想を唱えていれば、
そしてそれに疑問を持たなければ、それでやってはいける。

でも三蔵は自ら矛盾を認識したときに、自らの限界に気づくのですね。
目の前にいる少年の、まっすぐで強い思い。
村長のそこで生きる者の必死の叫び。
そして過去の業ゆえに自分に許されようもない立場にいる弟子。
自分はその誰をも救うことができない。

3人衆の一人である孫悟空は三蔵に言うのですね。
「今まで誰も殺してきてない人なんていない。
一度でも誤った道を進んだ者や、我々妖怪は救われる権利もないんですかね」

自分の狭い価値観に籠り、自分の想いや正義感だけでは、どうにも突破できなくなったときに、三蔵は周囲を見回すんですね。
そこで初めて知る周囲からの想い、強さ。

「見たいものだけ見ていた」ときから、「見なければいけないものまで見る」ようになれたときに、三蔵は一つ階段を登ったと思うし、天竺への旅の理由も改めて認識できたんだろうなって。

この日の三蔵役のびびちゃん、初日から比べての変化としては、「迷うことを恐れなく」なってたように見えました。
何度も通したからなのだとは思いますが、始まる時から到達点を意識できていたような気がして、最初の歌は凄く違って聞こえました。あの曲、前回も書きましたが全編を予告してる歌なので、「これから演じる天竺への道」を感じさせながら歌っていてとても良かったです。

この作品、三蔵一行のバランスも良かったですが、それぞれ対立する関係になる妖怪それぞれもたっぷりキャラが立っていて見ていてとても分かりやすかったです。

三蔵一行で言えば、孫悟空(程嶋しづマさん)の皮肉屋ながらも三蔵を想って行動にも移しているところに感動したし、猪八戒(浅野泰徳さん/作・演出)の隙間を埋めまくる存在感も良かったし、沙悟浄(桜田航成さん)のただものじゃないやり手ぶりに痺れました。

妖怪陣では何といっても火焔大王(町田誠也さん)のパワーと、意表を突くキャラクターのバランスが絶品です。そして女神の名は伊達じゃなかった、水玲仙女(梅宮万紗子さん)の威厳が素敵でした。

この2人が絡み、沙悟浄が仕掛け、三蔵が自ら「自分のできること」をして出来上がったラストは鳥肌物でした。どれかが欠けても成立しなかった”想い”の集合体を見せられた気がして。
このシーンで火焔大王と水玲仙女から目を背けないことに、三蔵の進化を感じさせられて。

この物語のタイトルを聞いたときに、初見前での印象は「悟りよりも大事なものを見つける」のかなと思っていました。見終わって思うことは、
「悟りは『目的』ではなくて『手段』である」と。

『悟りを開く』ことを目的にしていたから迷っていたけれど、本当の目的は『一人でも多くの人や物を救う』。『悟り』という言葉で自らの視野に閉じこもるぐらいなら、『悟らず』(悟りに逃げることなく)自分の目で見つめることこそ、天竺に向かう自分の本当の意義であると、三蔵は感じたように思います。

びびちゃんの初めてのストレートプレイということで見ることにしたこの作品・この劇団でしたが、20年続くには続くだけの理由があるというのを改めて感じました。

”伝えたいもの”があって、それをどのように伝えれば伝わるかを知っている、それが20年という歴史を経た団体だからこそできることなのだと思いましたし、そんな作品・カンパニーの中でびびちゃんが生き生きと歌い演じている姿を見られたことは、何より嬉しかったです。

DVDが2016年6月発売予定。観られなかった空チームはDVDで拝見する予定。楽しみです。

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