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2015年9月

『レ・ミゼラブル』(20)

2015.9.23(Wed.) 17:00~20:05
静岡市清水文化会館マリナート大ホール
1階13列40番台(上手端)

2015年レミゼツアーの前楽。
翌日の大楽で、2017年の日本上演30周年記念公演(5月~10月、地方公演を含む)としての再演が発表されましたので、レミにはまた会えるわけですが、自分にとっては2015年レミゼツアーの最終公演。

連休の明けの平日(24日)に休めるわけもなく、またご贔屓さんの最終公演もこの前楽に集中していたので、結果としてはいい塩梅になりました。

朝1の新宿発の高速バスで清水入りしたものの、マチソワはせず、観光&グルメに明け暮れた午後。会場入りしたのは開場ちょっと経った頃。たまたま懐の準備が危ないかと出向いたコンビニで観劇友とばったり出くわすというびっくりな偶然も経ての会場入りです。

「清水駅直結」との言葉は全く偽りでなく、地上に降りずとも高架の屋根付き連絡通路でそのまま劇場入りが可能。写真で見た限りはレミの前公演地、富山のオーバードホールに似た印象を受けます(未訪ですが)。

2015年レミゼツアーは全部で189公演(帝劇70・中日31・博多38・梅田33・富山5・清水12)。
そのうち自分が観劇したのは13公演(帝劇10・梅田2・清水1)でしたので、以前に比べたらずいぶん押さえたなと(笑)。

マリナート大ホールの座席数は1,513席。帝劇に比べたら400席ほど少なく、舞台は上下に長く左右が短い印象。今回、主催の新聞社の先行にしては超端席でしたが、音響面のストレスはそれほど感じなかったので良かったです。エポソロ(「コゼット、思い出す…」)もちゃんと見えましたが、真横から見るこのパートというのはかえって新鮮でした。

劇場にはトリコロール新聞の最終号が置かれており、「オーバードホール&マリナート 最終号」と銘打たれた割に、その実、2015年レミカンパニー全員のコメントが集められ、A4で3ページびっしりと活字で埋まっています。まさに「新聞」の面目躍如。大阪公演途中で楽を迎えた玲奈ちゃんのコメントも掲載されていました。

・・・

この回のエポはびびちゃん(綿引さやかさん)。
楽にして更にエネルギッシュに仕掛けてくる様は、楽と言うことも相まって、ひとときも目が離せません(笑)。
登場シーンからして、田村マリウスに向かってダッシュして、ジャンピングアタックするかのような飛び掛かりぶり。本を絶対に取られないようにマリウス翻弄するあたりは精度がずいぶん上がってます。びびエポは手を存分に伸ばして絶対届かなくしてましたが、あれで取ろうとしたら、マリウスのことだから真正面から行くでしょうからエポ抱きかかえることになりますもんね。どっちにしてもエポ得(爆)。本投げもそれはそれは綺麗に上達されていました。

そういえばマリウス登場前のモンパルナスとのシーン、びびエポがびっくりするぐらい敏捷に動いて、モンパルナスの関節外れたんじゃないかぐらいなアングルになってびっくり。モンパが「いってー」みたいにやってたのもナイス。当初はここ、ナイフ投げてましたけどナイフ投げやめて渡すようになりましたね。正直見てて怖かったので渡す方が安心です。どうせ返すんだし。

翻ってマリウスとの関係ではびびエポと田村マリウスの相性抜群で、一番じゃれあいが自然なコンビな感。
回を経るごとにどんどん「友達以上恋人未満」の空気感が出てきて、「この関係が壊れないなら、今のまま行きたい」とエポが思ってしまった”油断”が感じられてしまう感じが好き。そこをコゼットにかっさらわれてしまうわけですし。

エポコゼの関係も、2015年ツアーの一番好きな組み合わせはこの回のびびエポ&あやかコゼ(清水彩花ちゃん)。
なんだか、2人が「エポニーヌ」の領域と、「コゼット」の領域をどっちも侵さない感じが好きだったりします。

びびエポの魅力である”可愛さ”って、「エポニーヌとしての可愛さ」だと思うんですね。びびちゃん自身の可愛さとも少し違って、あくまで「エポニーヌ」としての「恋する女の子」としてのどストレート感。
帝劇公演中わずかながら同い年だった玲奈エポには”大学生エポ”という雰囲気を感じるのに対して、びびエポは”高校生エポ”の雰囲気を感じます。

翻って彩花コゼの”可愛さ”は「コゼットとしての可愛さ」。自身が愛に溢れていて、他の人に愛を注ぐことをどれだけしても十分じゃないという思いに溢れていて。

そしてこの2人の共通しているのは、いつも「何か足りない」と思いながら作品の中に生きていることじゃないかと思うんですね。コゼットは「いつも何か探していた私の人生」と歌いますが、その「自身に何かが欠けている自覚」というものを体現されていたのが、彩花コゼの一番の魅力だったんじゃないかと思うんです。

それはびびエポにも言えて、というのが印象的だったのが、この2人がプリュメ街で出会うと、恐ろしいほど見つめ合う時間が長く感じるんです。たぶん、実際のところストップウォッチで測っているわけではないのですが、体感的にはすごく長いです。
この日は、倒れこんでいるエポを覗き込んだコゼ…のパートで長く見つめ合った上に、さらに扉を閉めてからも扉越しにぎりぎりまで2人は見つめ合っていて。

その”長い濃厚な時間”を見ていて感じたのは、コゼットにとってのエポニーヌ、エポニーヌにとってのコゼットは、「自分の過去を知ることができる唯一のよすが」なのだろうなと。

自分の過去を教えてくれない父(バルジャン)を前にコゼットは自分の過去を知ることができずにいる。

そして、コゼットにとってのエポニーヌは「会ったことがある記憶がある女性であり、自分の過去を教えてくれる可能性のある女性」であるのに対して、エポニーヌにとってのコゼットは「自分がこうなってしまった理由を知ることができる可能性のある女性」なのではないかと。

もう一面として、エポニーヌとしては「過去の消し方を教えてほしい」のかもしれないなと。一緒に育ったはずなのに、なぜあなたはそうなって、私はこうなのと・・・。
それを敵対心を持たずに思うところがびびエポの魅力の一つですね。
(今回はみんなエポからコゼへの敵対心は薄いですが。新演出の好きなところの一つです)

「恵みの雨」でなぜエポニーヌはあれほどまでに幸せにいられるのかということを思うに至り。
もちろん、最愛の人を助けられ、最愛の人の腕の中で死んでいけるという面はあるとは思いますが、あそこで「雨が洗い流す」ものは何なのかと…。

それは「過去の自分」じゃないかと思うんです。

新演出版でエポニーヌは、盗賊団の一員としての表現もされるようになり「女だてらにパリを生き延びた1人」としての面が出てはきましたが、それは当然のことながら自分の本意ではなかったはず。必要に迫られたからであって、少なくとも胸を張る行いではなかったはず。

エポニーヌがマリウスにまっすぐ向き合えなかったのは、自分への引け目もあったように思えてならなくて。

でも、エポニーヌがマリウスを救いに行ったとっさの行動は、打算でも利害でもなく、ただ自分の感情のままに、「救いたいから飛び出していた」ことに一かけらの曇りもなくて。

「消したくてたまらなかった、自分にこびりついていた『過去』を(雨に)洗い流された自分自身だからこそ」
マリウスの中で心残りなく息絶えていける。だからこその、充実した表情なのだと思えてきます。

それ以前に、エポはコゼットとマリウスの出会いをいくらでも邪魔できたところをそれはしていない。
それも自分の過去への後ろめたさじゃないかと思えてきます。
あのコゼットを前に、自分がマリウスと結ばれる権利など持っていないと…。
コゼットの邪魔をしても、ますます自分がみじめになるだけだと…。

翻ってコゼットでこの日印象的だったのは、父に「お前、寂しい子だ」と言われて首を横に振ったのが凄く印象的で。

「いいえ、パパのおかげで私は寂しくなんてないわ」

という仕草に見えて感動的でした。見ている側にコゼットの心の動きを想像させてくれる仕草が豊富なのが彩花コゼの強みなのではと思います。たぶん無意識に。

決まった台詞、決まった音階、決まった段取り。

その中でも見ている側の感情を動かすのは、ふとした動きだったり、ふとした表情だったり。

意識してだけでは生まれえない自然の感情が見えたとき、それがレミゼの物語を深く、厚くしているものだと思えてなりません。そのことを、びびエポ&彩花コゼのペアで再確認できたことが、何よりこの回を見た意味に思えました。

エポニーヌがコゼットに求めた「欠けたピース」、
コゼットがエポニーヌに求めた「欠けたピース」。

お互いがお互いを必要としあった姿が、びびちゃん&彩花ちゃんのレミへの想いと相まって、より増幅されて表現されていたように感じられたのでした。

2015年レミの特徴の一つだった、「エポニーヌとコゼットが、敵対せずにレミの中で共に生きる」姿が、この日の公演には凝縮されていたように思えました。

清水駅前には、はためく多くの幟り。「静岡にレミゼを!」の旗振りのもと、全公演満員となった静岡・清水公演。
ホール向かいの清水河岸の市のお店でもレミゼ様様とおっしゃっておられましたが、レミが望まれて招かれて、そして受け入れられている様に、劇場外でもハートが温かくなれたことが、何より嬉しかったです。

大楽ではプリンシパルキャストからのご挨拶はありましたが、前楽はなし。とはいえ劇場中のスタンディングオベーションの中、にこにこ笑顔の彩花ちゃんと、いまだ見たことがない、びびちゃんのうるうる顔という、とても対照的な2人を拝見して、それも含めて、いい終わり方ができたことを神に感謝。

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『Little Women~若草物語~』

2015.9.20(Sun.) 13:00~15:35
日暮里d-倉庫 C列1桁番台(下手側)

scoreさんの再演作品、Lilyチームで拝見です。

南北戦争の時代のアメリカを舞台に、4姉妹の成長と、彼女たちを取り巻く人たちを描いた物語。
主役は次女のジョーですが、「4姉妹」をテーマにしているだけに「Woman」ではなくて「Women」(複数形)なわけですね。

これだけ有名な作品なのに原作含めて読んだことがなく、この日が初見ですが、最近はいくら有名な作品でも事前に原作は読まないことの方が多くなりました。時間の都合もあるのですが、いっそ知らないなら知らないで見たときの感動の方を大事にしたくて。複数回観劇の時は一度見終わってから原作を読んで次に見る、という形が理想かなと。

Lilyチームの次女・ジョーを演じるのはダンドイ舞莉花さん。初見ですが、お名前は存じ上げていまして。というのも去年(2014年)春にKAATで上演された『イン・ザ・ハイツ』のヴァネッサ(本役は大塚千弘ちゃん)の稽古場代役だったんですよね。

なるほど拝見していると、ジョーの男勝りなところとか、なんかちーちゃんと被る面を感じて興味深いです。「小説家になるんだ!」と根拠のない自信で突っ走る様はパワフルでエネルギッシュで。
でも何というか男勝りが粗雑に見えるところはちょっと残念。Rose組の島田彩ちゃんだとTipTap『Count Down My Life』の弟役が鮮明に思い出されるから、想像がつくのですが。

1幕のジョーはそんな感じでちょっと感情移入できなかったのですが、辛さを乗り越えて一回り大人になってからの2幕のジョーはとても魅力的。
「自立心」だけしか見えていなかった少女が、「自立心」を軸にした女性になっていったさまがとても良かったです。

次女のジョーを見守る長女・メグを演じるのはRiRiKAさん。
舞台作品では今年1月の『TRAILS』に次いで2度目です。最近はテレビのカラオケ番組で超高得点(99点台)をたたき出すことですっかり有名になった彼女ですが、それもあって「歌先」の印象がある方なので、今回どんな感じなのかとても興味がありました。

今回、メグの衣装がとてもぴったりで。ブラウン系の落ち着いた感じで、いかにも「長女」という存在感を出しながらも、その実、情熱的なところもあったりで、期待通りの役柄でした。
4姉妹の取りまとめ方もとっても自然で、母はメグを頼りにしているんだろうなぁ、と思わせる佇まい。
ジョーのことを応援して、ベスのことも愛して、エイミーのことも忘れていない。それでいて自分の幸せも忘れていなくて、ちゃっかり乗っかっちゃうあたりがなんとなくRiRiKAちゃんぽい(笑)。

妹を思う姉、といえば「ウーマン・イン・ホワイト」で妹・ローラのことを思い続けて自分の幸せは置いてきぼりにしちゃったマリアン(笹本玲奈さん)を思い出しますが、自分のことを忘れないあたりがメグ、さすがです。

三女のベスを演じるのは水野貴以さん。今年に入っては『ひめゆり』に続き2作目です。
アクティブな役柄が多い印象がある貴以ちゃんですが、今回はとても落ち着いた女の子。
ピアノを弾くのが好きで、弾いているとひょんなところから隣家のローレンス卿に声をかけられ、本気でびくびくしている様が可愛い。
それでいて、踏み出した勇気がローレンス卿との壁を取り去って行って、素敵な笑顔でした。

役柄的にはジョーを演じた方がすっきりしそうな貴以ちゃん(現にRoseチームのベス、北川理恵ちゃんは初演のジョー)ですが、ジョーが外側に感情を突き上げるのとちょうど逆に、内側に感情をとどめるという意味で「ジョーはベスになりたかったのかもしれない」と、2幕のとあるシーンで思えて。

ジョーにしてみれば、メグには一目置いてたし、エイミーには敵愾心は多少あったとしても姉妹であることは「理解」していたし。でもジョーからベスへの想いは「理屈」じゃなくて「自然な感情」だったのではと思えました。

四女のエイミーは梅原早紀さん。意識して拝見するのは今回が初ですが、PGC(プロパガンダ・コクピット)で兵士役で出られていたとのことで、2回目と言えば2回目。
末っ子属性全開で、特にベスに対する敵愾心をあらわにして、『おさがりじゃなくて自分だけのものが欲しい』と叫ぶさまは、4人もいて、しかも特段裕福な家庭じゃなければ、そうなるよねと思うことしきり。でもこのエイミーは、マーチ叔母と一緒に過ごすことにより大人の女性にまさに「変貌」していきます。

マーチ叔母も4姉妹に対しては厳しく当たりますが、実はちゃっかりしているところもあって「自分を支えてくれる方には敬わなければなりませんよ。自分が手綱を取って歩いていけるようになるまでには」と言ってたりして。これ、逆に言えば「自分が手綱を取れるようになれば」そうじゃなくなるということなんですよね(笑)。「女性の強さ、しなやかさ」をじんわりと味わえるセリフですが、それを体現できているエイミーが凄いなと(爆)

その4人を束ねる母・マーチ夫人は木村花代さん。もともと花代さんって「歌」の方だと思うのですが、今年拝見している3作品、『ひめゆり』の上原婦長役、『アニー』のグレース役、そして今回のマーチ夫人役と、どれも”ハートの温かさと、時には厳しさ”を体現されるようになって、なんだかとても安心して見られるようになっています。
カンパニーにとってもベテランすぎず駆け出しでもなく、時に母として、時に姉として存在される様がとてもほっとします。

男性陣で出色なのはローリー(ローレンス3世)の染谷洸太さん。ある意味大立ち回りの妄想パートも、いやらしさぎりぎり未満のところで止めて、ただひたすらにカッコいい存在感。エンディングへの流れは意外なようでもあり、自然なようでもあり。ジョーもあの時からは大人になったし、エイミーもあの時より大人になっている。そして彼が何より「大人」になっている。彼が軸になれたことでジョーの変化もエイミーの変化も見えて、とても良かったです。

あとベア教授の菊地まさはるさんもチャーミングすぎて最高です。ジョーに振り回されてどうにかなりそうな教授が可愛すぎる。2幕のラストに向けてのあの可愛さは何なんだと(笑)。ただ、あのシーンは勢いに見えて、実はそうではないんですよね。

ジョーが大切なベスのために持っていたものと、ベア教授がジョーを思って手に入れたものが同じものだったというのは2人の先を暗示するに十分でしたね。世間一般で言われる「価値観の一致」なのでしょうね。あれが。

今回、ジョーが書いた作品を劇中劇として2幕最初で上演するのですが、物語のセンターにいる主人公はメグ。姫属性全開でぴったりすぎで笑えます。なんであんなに「あ~れ~」が似合うのか(笑)。ジョーは出演を渋るメグにとびっきりのいい役を充てて「メグにしかできない役なんだから、やってよ!」とか言われてまんざらでもなさそうな感じが浮かびます(笑)。

それ以上にすごいのがマーチ夫人の魔女(笑)。いやぁ花代さん楽しみすぎでしょあれ。長身で見栄えがするのもそうなのだと思いますが、マントが似合いすぎてて、それこそジョーに「お母さんにどうしてもやってほしいの、お願い」とか言われて「いやよこんな役」とか返しておきながら、当日は誰よりも楽しそう、みたいな(笑)。メグの油断ならない敏捷な短剣とか超似合ってましたねー。

この作品を見終わって思ったのは、『完璧なる大団円』ということ。

登場人物それぞれが、少しずつでも前に進む努力をしたからこそ、それぞれが自分自身にとっての「幸せ」を掴んでいる。

失ったものも得たものもあるけれど、過去より現在、現在より未来が自分にとっていいものであろうと努力した人たちだけが持つ輝きを、確かに舞台上に立っていた方々は感じさせてくれて。

他人からの評価だけに振り回されるのではなく、「自分にとって」どう生きるのか。
それに対する歩みの大切さを感じさせてくれる作品でした。観られて良かったです。

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『サウンド・オブ・ミュージック』

2015.9.12(Sat.) 13:00~15:25
四季劇場・秋 2階8列20番台(上手側)

久しぶりの四季観劇です。
四季劇場の春と秋が隣り合っていることさえ劇場に行って初めて知ったぐらいの四季初心者です(笑)。

8月に東京で開幕した同作品、マリア役に平田愛咲さんが配役。
当初、8月29日(土)のマチネを押さえたのですが、8月の愛咲マリアの登板は23日(日)をもって終了。
月が変わって、9月8日(火)からの再登板が発表されたため、この日のマチネを押さえました。

この日はマチネ・ソワレとも公演がある日でしたが、当日になってキャスト変更。ソワレはマリア役が鳥原さんになったので、マチネを選択した自分の幸運にびっくり。

この作品は映画では見ていますが(新妻さんがマリア役をあてたテレビ東京版)、舞台では初見です。

そして愛咲ちゃんを舞台で見るのは新妻さんの出演していたシアタークリエ『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』以来という、不思議な巡りあわせです(厳密には母上の玄海椿さんの幕間ゲストで出ていた時に拝見しています)。

かつてはレミでエポニーヌをやったとはいえ、東宝関係の舞台ではアンサンブルだった愛咲ちゃん。その愛咲ちゃんの歌声が舞台のセンターから聞こえてくる様に感慨に耽りながら、伸びやかな歌声と、それが確かに愛咲ちゃんの声という事実を体感します。

修道院から派遣されてトラップ大佐の館に家庭教師としてやってくるマリア。
意外や意外、”自由奔放さ”は少し抑え気味に思えます。愛咲ちゃんがリアルにやると自由奔放すぎるからかもしれない(笑)。

役柄としてぴったりだなぁと思ったのが、子供たちの懐き方。長女のリーズルを除いては、あっという間にマリアに懐いていますが、トラップ大佐の厳格さに閉口していたとはいえ、実に自然に子供たちを味方につけていて、そのしっくり感にびっくり。

たしか史上最年少マリアだったかと思いますが、もっと無理して背伸びして初めて子供たちを味方につけられると予想していたので、いい意味で意外でした。

もっと意外だったのが、マリアがトラップ大佐への気持ちが分からなくなって修道院に逃げ帰ったあたりの「恋に慣れていない」感じが不思議にしっくりきていないという(笑)。

歌声がマリアのイメージにぴったりの声だけに、トラップ大佐への気持ちの揺れが見せられればもっと良かったなと。

というのも、2幕の奥さん、お母さんになってからの存在も1幕以上にしっくりきていて。
なんかもはや愛咲ちゃんが何歳かわからなくなってくる(笑)(ちなみに24歳)という。
トラップ大佐が心惹かれたのもわかる自然な存在感。
「考え方の違いで婚約を解消」したエルザとの対比がしっかりきていました。

マリアをずっと見ていて人生の羅針盤となる修道院長(秋山知子さん)も素敵。

今回の愛咲ちゃんマリアで驚いたのが、子供たち、トラップ大佐(深水彰彦さん)、修道院長といった、自分を取り巻く人たちの距離感の自然さ。実のところ、もっと不自然に感じる部分が多いと思い込んでいて。

というのが、東宝時代の愛咲ちゃんはそこまで巧みな役者さんという印象は感じていなくて。しかも「プリンシパルとして舞台の中心に立つ」種類のエネルギーを持っている役者さんという印象はそこまで感じていなくて。

でも、何というのか、四季の水が合っているのか、センターに立つのが自然に見える存在感。物語をつつがなく進めていた様に感動しきりです。若さもあって、これからいくつものヒロインを演じていけそうなことが想像できて、嬉しい限りでした。

出演者の皆さんの中で印象的だったのはトラップ家の長女・リーズル役の吉良淑乃さん。可愛いです。
リーズルはポジション的に屋根ヴァのホーデル(ちなみにこちらは次女)みたいなポジションで、「しっかり者なのに恋には不器用」ってキャラクターは個人的にとってもストライクなポジションで(笑)、しかも恋愛に関しては1幕のマリアよりもよっぽど進んでるという(爆)。でもマリアはトラップ大佐との心の通じ方を通じて、リーズルにアドバイスできるようになってて良かったなぁと(笑)。マリアも面目保てたなと(爆)。

この日のカーテンコールは実に6回。最後のカーテンコールでトラップ大佐の深水さんと一緒に下手側に捌けていく愛咲ちゃん。最後の最後、捌けていくときに、手をひらひらっとお茶目に振って会場から笑いが。
マリアと愛咲ちゃんは予想以上に一体化しているシーンが多かったけれど、カテコのそのシーンを見ていて、当たり前だけれども、愛咲ちゃんのリアルともそれなりに違うんだな、と改めて感じたのでした。

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『はかた恋人形/石川さゆりオンステージ』

2015.9.5(Sat.)12:30~15:45 3階A列40番台
2015.9.6(Sun.)11:30~14:45 1階F列20番台

博多座2015年9月特別公演、石川さゆりさん主演公演、1日目と2日目を観劇してきました。

博多座に来るのは2005年11月30日の『MOZART!』大楽以来ですから、実に10年ぶり。
10年経ったんだっけ?と不思議になるほどに、街の空気が変わっていないのが不思議です。

今回の作品は博多座制作の作品ということで、現状では博多座以外の上演予定はありませんので、見たいとなると、必然的に博多座遠征ということになります。ほぼ1ヶ月間上演してはいるものの、やはり早期に見てどういったもとか知っておきたいのが心情で、ほぼ迷うことなくこの期間の遠征を決めました。

今回は九州(熊本)出身の石川さゆりさんの公演、というのが最初に決まり、テーマは実は後から決まったそうです。
「博多といえば」という話で最初は「博多めんたい」という案が上がったもの、それはさすがにということで(すでに3月公演が『めんたいぴりり』でした)、「博多人形」をテーマにしようと決めたのだそうで。博多人形の職人として有名な小島与一さんを岡本健一さんが演じ、その奥様・ひろ子(かつては芸者・梅丸)を石川さゆりさんが演じます。

その2人の関係に大きく影響を与える鉄鉱王・井筒伝五郎を西岡徳馬さんが演じ、その妻・令子を高橋由美子さんが演じます。

ここ4人の関係を中心に、博多に生きる人々の生活を描くのが1幕です。

腕利きとはいえ一介の人形師でしかなかった与一が、芸者でしかも売れっ子だった梅丸を、なぜ奥さんにすることができたのか、それを回想で描いていく形になっています。

結末以外のネタバレを多少含みますので、NGの方は回れ右をお願いします。




梅丸を贔屓にしていた伝五郎の座敷に、与一が石を投げ入れ、伝五郎は立腹するが、上に上がってきて直接話をしろと迫る。
あがってきた与一を前に、伝五郎は「俺は石炭で人を暖かくできる、国を豊かにできる。人形師であるお前に何ができる」と。
答えられない与一の前で、梅丸が代わって言う。「この人の人形は心を豊かにしてくれる」と。
面目をつぶされた伝五郎がまたもや言葉責めにかかろうとするところに響く、

「それぐらいになさってはいかがですか」

・・・天下の鉄鉱王、井筒伝五郎を前にこの言葉を言える女性、それが妻である令子。由美子さんが演じた役どころです。

何しろ演出のG2さん曰く、「西岡さん演じる伝五郎にも怖いものがある、それが妻、という形で由美子さんの役どころを決めたら物語がしっくりきた」と。

実は初日開演前にパンフレットでこのあたりをみたので、あぁなるほどなと合点がいきまして。

令子は実に巧妙に夫の泣き所を突きながら、上手いことプライドをくすぐって、夫の権力も上手く使って、「品評会での勝負」を持ちかけます。あの辺の逃げ道のふさぎ方が由美子さんがイキイキしすぎてて噴き出します(笑)。

それを受けて、伝五郎が言うには、「1位になれたら2人の仲を認める、1位になれなかったら俺が梅丸を身請けする」と。

・・・目の前でこれ言われて、一度は呆れつつもそれを認める令子さんかっこいいです。

ここのくだりで、「1位以外は負けなのですか」という梅丸の問いに「当たり前でしょう。あなたはさっき、この方(与一)を博多一、九州一、日本一と言ったじゃありませんか。」と答える令子はさすがです。異議も甘えも差し挟ませようとはしません。



時は流れ、品評会の結果発表から、ラストにいたるまでの流れは実に滑らかで、見ていて気持ちがよかったのですが、結局のところ、この物語で表現されている「一等の価値」とは、「一等にふさわしい存在であるか」なんですよね。

博多人形に”命を懸ける”と言っていた与一が、結果が発表されてからの言動がどうであったか。
与一に言葉を投げかける梅丸の姿は、与一の人形への真摯な思いを知っていたからこそ。
変節してしまったかのような与一に対する憤りは、梅丸の「まっすぐ」さを印象的に映し出してとても素敵です。

その後に来る訪問者、伝五郎と令子が2人に何をもたらすか。

与一が作ったことさえ覚えていなかった人形の存在(この人形は実は1幕前半に言及されています。街中のおばあさんを見てすぐ帰ってきた与一が瞬く間に作り上げた人形)がもたらした伝五郎の心の揺れ。

そしてその人形の存在をめぐり、与一と伝五郎という男共は知らないけれども、梅丸と令子という女たちの「言葉では語られない共有感情」。

男だけでは解決を見出せない、腹の据わった女同士がいてこそ、大団円を迎えるこの作品。
G2さんらしい仕上げ方だなぁと印象的で感動的でした。

「あるべき方向性に向けてどうピースを組み立てるか」みたいなところを感じるので、なるほどなぁと。


小島与一役、岡本健一さん。今回初見ですが、ただ向こう見ずなところから、人形師のプロとしての生き様を見せられるようになるまでを自然体で演じられていました。ひろ子を見送るシーンにより深みが出ればもっといいかなと。

梅丸・小島ひろこ役、石川さゆりさん。第2幕の歌謡ショーの絶対的な存在感に比べれば、恐る恐るされているようにも見えるにせよ、腹の据わり方が実にさゆりさんらしい佇まいでした。凛とした女性、素敵です。

井筒伝五郎役、西岡徳馬さん。前回拝見したときは新妻さんの父親役でしたが(「GOLD~カミーユとロダン」)、今回は威厳を纏う実業家を素敵に見せていました。威張っても頭を下げても、全てがカッコいい。流石です。

井筒令子役、高橋由美子さん。どの年齢の男性相手でも絶妙な距離で妻を演じきるマジックは今回も健在でした。相変わらず男を上手くコントロールする役の上手いこと(笑)。箱を上手く開ける特訓だけお願いします(そこだけが心配)。


2幕は石川さゆりさんの歌謡ショー。小学生のときに町内の喉自慢大会で『津軽海峡冬景色』を歌ったことがある自分にとって、初めて聞く生の『津軽海峡冬景色』は鳥肌が立つぐらい感動しました。『天城越え』も聞けて、やはりさゆりさんの曲の中でもこの2曲は別格だなぁと。『ウイスキーがお好きでしょ』も艶っぽくて良かったです。

2幕だけを収録したDVDが11月18日に発売予定、劇場で予約受付中です。
また、劇場窓口のみで発売される「ショーのみチケット」(定価の半額)も毎日発売されます(劇場販売のみ、1幕開演後から発売)。

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『君よ生きて』

2015.8.30(Sun.) 12:30~15:15
神奈川県県民共済みらいホール
9列10番台(センターブロック)

望月龍平氏作の作品を拝見するのは実は今回が初めて。
この『君よ生きて』自体もこの日が初見です。

以前から作品の存在は知っていたのですが、今まで拝見する機会がなく、せっかくなのでチズ・ミユを平川めぐみさんが演じる回を、と思っていたら2015年シリーズで拝見できるのは横浜のこの1回のみ。
結果として初見が2015年全国ツアーの最終日(前楽)となりました(10月の板橋は追加公演)。

第二次世界大戦後、日本が敗戦してから満州在の日本人がシベリアに抑留され、帰還するまでを描いた物語。実際にシベリア抑留を体験した大川善吉(ぜんきち)の曾孫にあたるトモキが主人公。トモキは大学を出ながら就職した会社に馴染めず退社。恋人のミユにも見限られ、傷心の旅行へ。小樽から新日本海フェリーで着いた舞鶴で、”実は(トモキには)今まで見えていた”善吉の企みで、「現代の若者が抑留を体験する」ことに…

というプロローグ。

戦後の混乱期を描くにも関わらず、シベリア抑留の厳しさを描くにも関わらず、どことなくいい意味での「陽」の空気があるのは、善吉さんのポジティブさのためか。小西のりゆきさん、初見なのですが大変いい味出しております。”お茶目ながきんちょ”という感じ。抑留時のグループの中でも「いつも笑顔とユーモア」でグループを和ませていた、というのをトモキは体験して知ることになります。

実際には務めて明るく過ごしていても、実際には同じグループの中には脱落するものもでてきて、支えあった同志とも、いつまでも一緒にいられたわけじゃない。それでも明るく生きようとしなければ、気持ちが保てなかったのかもしれないなと。

善吉の心の支えは、満州で”日本へ向けて帰れるようにと別れた妻と子が、無事日本に生きてたどり着いてくれている”ことを信じること。その妻(ハルエ)と子は、青森の実家から、引揚げ船がいつ来るか知れず、舞鶴へやってきて、引揚げ船を出迎えるメンバーのチズと出会う。

引揚げ船の出来事を淡々と語る姿、そこには不思議にも”怒り”や”憤り”はなくて、むしろ話を聞いているチズの方が憤っている。「船内で病にかかり亡くなった人は日本に連れて帰るわけにはいかない。だから船から海に投げて弔う。『お魚と遊べてよかったね』と言って手を合わせる母がいた」という言葉を聞いて、不意に涙がこぼれました。

この作品を全編通じて感じることですが、決して興味本位で派手には作っていないんですね。この物語のもう一つの対になる、トモキの母親(朝子)は新聞社の記者で、引揚げをテーマにして記事にしようとしている。けれども『60万どおりのドラマ』といった安易な表現で取り上げることはどうにもしっくりきていないと、後輩の記者(さとみ)に吐露していて、彼女(朝子)は引揚げの実際を知るために舞鶴にやってくる。

このパートを併せて見ていて感じたのは、「安易な表現でなく地に足をつけた形でこのテーマで作品を作る」というのは、このテーマを舞台にする時のスタンスでもあったのではないかと。

脚本として感情に任せず、むしろ淡々とさせる中に、音楽や演技で感情を表現させていることで、より伝えるべきことがはっきりと浮かび上がっている気がしました。派手じゃないからこそ伝わるものというものが。

善吉はトモキに対して『お前は大丈夫だ』と、本編最初と最後で言っています。
同じ言葉だし、同じ言い方なのに、でもそれは全く違って聞こえる。それはトモキがたしかに得たものの大きさ故だったのだろうと。
過去と現在をつなぐ「思い」の絆が、自分を支えていることを自覚した故だったのだろうと。

役者さんでは、何といっても善吉さんを演じられた小西のりゆきさん。軽妙ながらも重厚、それなのに深く伝わる歌と演技と存在感。絶妙な笑いのテンポで、この作品をいい塩梅の重さに持っていく流石さでした。次に10月に染谷さんと綿引さんとのライブで拝見できるのが楽しみです。

母親役、伊東えりさんも初見。この方もいままで機会がなくて拝見できなかったのですが、腹の括り方といい、これはなるほど母親(トモキからは祖母、引揚げ者)からの肝の据わり方を引き継いでいるのだろうなと納得。

その母親・朝子とほぼテンポが同じマシンガントークで勝気な、トモキの彼女・ミユをこの回は平川めぐみさんが演じていましたが、いやまぁ期待通りのツンツンさん(笑)。ひとまずトモキを見放しはするものの、ほっとけない属性がぴったりはまっています。

もう一役のチズは先述したとおり舞鶴港での引揚者のお出迎え役。彼女の聞き上手のポジションがこちらもぴったりはまっていて。

善吉が舞鶴に降り立ち、大きな不安に苛まれている時にかけられる「奥様と息子はご無事です」という言葉はどんなに嬉しかっただろうと。善吉にとってはチズは女神だったでしょうね。

引揚げという取り上げるには難しいテーマにもかかわらず、事実を淡々と積み上げて作り上げられている物語。初めに感動ありきでないからこそ、見終わった時に感動が生まれる、そんな物語を拝見できた幸運に感謝。

どことなく「思いを伝える」ことに『ウレシパモシリ』と似たものを感じて。
この夏は、初夏の6月19日、平川めぐみさんは唄2の初日で拝見して、この8月30日のチズ・ミユで夏の終わり。
個人的には、前日の岡村さやかさんも、同じく6月19日に唄1の初日で拝見して、8月29日のエイミーで夏の終わり。

”想い”で始まって、”想い”で締めた夏だったのかなとも個人的には思えました。

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