« 『大和田美帆トークがほとんどのトーク&ライブ』 | トップページ | 『須藤香菜 トーク&ライブ』 »

『レ・ミゼラブル』(19)

2015.5.6(Wed.) 13:00~16:10
 1階E列40番台(上手側)

2015.5.10(Sun.) 13:00~16:10
 2階K列10番台(センター)

2015.5.23(Sat.) 12:00~15:10
 2階L列30番台(センター)

2015.5.27(Wed.) 18:15~21:25
 1階中列30番台(センター)

2015.5.30(Sat.) 13:00~16:10
 2階I列40番台(上手側)

2015.5.31(Sun.) 17:00~20:10
 1階C列10番台(下手側)

ずっとblogには書いていなかったのですが、結局帝劇にこれだけ通っていました(笑)。プレビューから含めて、実は10回。抑えたはずなのにこの回数。とはいえ、個人的には帝劇レミ史上最長インターバルの中11日というのがあったので、妙に前半と後半に集中、特に最後の1週間の「なんだかわからない切羽詰まった『もう終わり』感が半端なかったです。

帝劇公演を振り返ると、2013年以来続いてきた客層の入れ替わりがずいぶんと進行したことを実感します。今まで以上に学生団体を入れていたのも勿論のこと(びびちゃんの誕生日公演が貸切になったのは寂しかったです)、何しろ宴会乞食でよほどのことがない限り手拍子がない!というのは印象的でした(さすがに帝劇前楽はありましたが)。トークショーでも「バルジャン以外はみんなアンサンブルパートがあって別の役をやってる」という話が”驚きをもって迎えられていたことを、キャストの皆さんが何より驚かれていた”という話が印象的で、いい意味で「ミュージカルへの入り口」としてこの作品が機能し始めていることが嬉しいなと。

レミゼって、知らなくても印象には残る作品だと思うんですね。「なんだか暗い作品」「人がいっぱい死ぬ作品」ということであっても、心にひっかかる何かを残せる作品。そこから関心を持って調べていくと、知ったら知ったなりの楽しみが見いだせる作品。初心者でも玄人でも、それぞれに楽しめる間口の広さは、この作品の知名度ゆえのものだと思うので。

新演出という意味では2013年もそうなわけですが、2013年は春についてはそもそも落ち着いて舞台が見られなくて、何しろ劇場に行ってキャストが変わっているということの繰り返しでしたし(劇場まで行って、怒りで見ないで帰ったのは後にも先にも2013年4月の1回だけです)、出演者が「またも演出の○○か!」みたいな状態になっていて、とても窮屈そうに演じられていたことを感じずにはいられませんでしたし。

でもその後、2013年帝劇凱旋ではその空気はかなり減って、キャスト毎の個性がちゃんと表に出るようになってきて、満を持しての今年2015年は、根底に流れる空気は共有しながらも、各キャストがそれぞれの思いで演じていることを感じられるようになって、それが何より安心しました。今回、演出家さんが本番直前の来日で、演出補さんがほぼ管轄されていたことが理由じゃないかと邪推してるんですけど(爆)

●エポについて、語り残したことをつれづれと。
レミといえば私にとって大きな比重を占めるのはやはりエポニーヌ(歴代ではファンテーヌの時もありましたが)。
今回は10回の内訳はびびエポ(綿引エポ)が5回、玲奈エポが4回、昆エポが1回ということで、これだけ見ていて綾エポがないのは単純に巡りあわせです。

帝劇公演70回のうち、登場回数はびびエポだけ10回で、他エポが20回なわけなので、びびエポは2回に1回見てることになりますし、玲奈エポも5回に1回見ていることになって、必然的に記憶の主体はこのお2人ということになります。

ハプニングがついて回るのもこのお2方の特徴で、

・びびエポ、本を良太マリウスに掴まれ大慌て(10日マチネ)
・玲奈エポ、オンマイオウンの歌い終わりで帽子を落とし拾えず(23日マチネ)
・びびエポ、登場シーンでナイフを落とし見失いかける(27日ソワレ)
・玲奈エポ、撃たれて回転したら帽子吹っ飛ぶ(31日ソワレ)

と印象的なものだけで4つ思いつきます。

何か起こった時に玲奈エポが上手なのは、もはやそれが最初からの予定だったかのように組み込み直すこと(笑)。特に31日ソワレの帽子が吹っ飛んだシーンなぞ、ほとんど芸術的というか、それほどまでに激しくマリウスを守ろうとした、という動きに持っていって、マリウスの海宝くんをも飲み込んで”エポニーヌを生きていた”もので、初見だとあれが普通だと思えるぐらいに自然でした。

今まで玲奈エポは数えきれないほど見ているけど、何か起きた時の動きは、たぶん理屈じゃなくて反応なんだろうなと思う節があって。玲奈ちゃんの呼吸とエポニーヌの呼吸がたぶん合ってるんですよね。だからこそここまで続いてきているのだと。あと何か起きたらまず逆らわずに流してから後のことをやるという特徴があります。

翻ってびびエポの場合は、おそらくかなり意識的に動くところがあって、何かあると一拍考えてから動くところが玲奈ちゃんとの違い。一瞬我に返るというか、止まっちゃうところが玲奈ちゃんとの違いかなと。今後、ここをどう流せるかなんでしょうね。ハプニング以外にも、その日の演技プランを考えて臨んでいるように見えて、日々はっきりと動きが違うことが飽きない理由かなと。登場シーンでマリウスの背後に回り込むのも、実は田村マリウスに対してだけとかだったり。

このお2人で印象的な違いといえば、「駄賃」に対するとらえ方の違い。

玲奈エポは、少なくとも今期はマリウスからの駄賃を投げ捨てませんし、バルジャンからの駄賃も一度は断りながらも受け取り、そしてそれは投げません。イメージとしては、「自分にとっての大事な宝物」という理解かなと。それは”貨幣”ではないのですね。盗賊の時には渇望して追い求める”お金”と、見た目は同じでも意味が違うと。

びびエポは、マリウスからの駄賃を投げ捨てますし、バルジャンが差し出す駄賃に至っては、触れることもしたくないかのように、なんと帽子で払い除けるのです。これはすごい印象的だったのですが、びびエポにとってはこれは”貨幣”なんだろうなと。自分のマリウスを思う気持ちを”お金”で解決されようとすることに対する感覚的な嫌悪感というのか。”恋する気持ち”が前面に出るエポだけに、自分の恋が色褪せてしまうことに対する抵抗感があるのかなと思えます。

そしてこのお2人、実は共演することが多い組み合わせで、玲奈ちゃんの帝劇20回のうち、12回まで、鳩役がびびちゃん。ラブリィレィディでエポと鳩はバルコニーにいるのですが、この2人があんなことこんなこと…というのが見ていて実はツボで(笑)。
後半に進むにつれて玲奈ちゃんががっつり積極的になっていったのもツボでした(笑)

ちなみにエポがびびちゃんのときは小南さんというパターンが多かったですが、この時はびびちゃんががっつり積極的で(爆)小南さんが呑まれていく感じでした。

そして、玲奈ちゃんがエポニーヌとして初めて登場したのは2003年8月(18歳)。この日のご挨拶で「2003年からエポニーヌを12年演じています。というと『お前何歳だよ』って思われるでしょうが(笑)ぎりぎり20代です」と仰っていて、最近の玲奈ちゃんのこういうラフな感じ、とっても好きなのですが、振り返ると、2003年からのエポニーヌは全部で8人(SPキャストの歌穂さんと美奈子さんは除く)。

それでいて、実は玲奈ちゃんと同い年のエポニーヌというのはびびちゃんが史上初なんです(今年の5月20日から6月14日まで)。玲奈ちゃんを基準にすると年上は9年上のANZAさん、5年上の真綾さんと聖子さん、年下は6年下の昆ちゃん。一番近いのが2011年のJenniferさんでしたが、それでも1年半下だったので、”同い年”になったことは一度もないんです。

12年間続けてきて、稽古場に制服で通っていた(駒田さん(レミ同期2003年組)談)玲奈ちゃんが、エポコゼ最年長になって4年。同い年のエポが現れるなんて思ってなかっただろうなと思うと、それって実は結構大きなことなんじゃないかと思ったり。同期と同い年って、また違った重さがありますよね。

そんな玲奈ちゃんも、中日劇場公演のうち6月16日からは未踏の領域である30代エポニーヌへ(SPキャスト以外では、2003年以降初)進むことになります。ちなみにコゼットは同じく2003年以降で30代コゼットは中山エミリさん(2011年、33歳)お1人だけです。今期の若井さんも、富山楽時点ではまだ20代なので。

そういえばエポニーヌについて、どれだけ彼女が一筋縄ではいかないかの話。

パリでジャベールとともにバルジャン&コゼットを取り逃がし、盗賊団はみんなで「娘の家を探せ!」と探しにかかるわけです。が、盗賊団が束になってかかって見つけたプリュメ街の邸宅に、ほぼ同タイミングでエポニーヌがいる。…つまり、盗賊団ほかのメンバー5人分が、エポニーヌ一人。それだけやり手ってことです(笑)

だからこそ、テナルディエは「エポニーヌお前なしでここはやれる」というわけですよね。娘だからという話以前に、実は自分の手先としてエポニーヌの力量を買っている。

31日ソワレ、ここでの玲奈エポニーヌがすごくてですね、盗賊団の一味の前に立ちはだかりますよね。扉の前に立って。そこで玲奈エポニーヌ、なんと左手挙げて「よぉっ」って感じであいさつ。上から目線過ぎて爆笑です(笑)。

さすが玲奈エポニーヌ、漢前すぎです。

●”私”と”私以外”のこと
先日参加したネパール大地震チャリティーライブ「Love For Nepal」。
この日、メンバーの一人、マリウス役の田村良太さんが『レ・ミゼラブル』から「彼を帰して」を歌われました。
その曲を歌う前、良太氏はこう言われたんです。

「この曲は、『レ・ミゼラブル』で唯一、他人を思って歌う曲なんです」

と。

冷静に考えると、ご自身の『カフェソング』は同志の友人たちを失い、彼らを思って歌う曲じゃないのかと思ってしまうのですが、でも、なぜだかこの言葉は自分にすごく深く突き刺さりました。

『レ・ミゼラブル』って、”私”で埋め尽くされている物語じゃないのか、って。

コゼットがパパをなじるのも、「”私”の過去を知りたい」だし、エポニーヌだって『また”私”一人』だし。工場にいる女工たちだって、ガレー船にいる囚人だって、パリに生きる人々だって、みんな”私”についてしか語っていない。
それは当たり前の話で、あの時代のフランスで、他人を慮って生きる余裕のある人なんておそらく一握りの存在だったと思われるわけで。自分の身を守ることだけで精一杯、そういった人たちの物語であるわけで。

でもこの物語はそれだけじゃなくて、もう一面として、”私”ではない”私以外”に対する思いが増幅してくるという面を持っている。

バルジャンがコゼットを思う。
バルジャンがマリウスを思う。
ファンテーヌがコゼットを思う。
エポニーヌがマリウスを思う。
学生たちが市民を思う。
コゼットがマリウスを思う。
マリウスがコゼットを思う。

”誰かを愛することは、神様のおそばにいることだ”で終わる『レ・ミゼラブル』。

「自分のことだけで精いっぱいで生きている環境でも、人は誰かを愛することで、幸せになれる」物語なのだなと。

そういった面から考えると、エポニーヌがマリウスに頼まれて手紙を届けるシーンについて考えさせられます。

マリウスからの手紙を持ったエポニーヌ、それを渡せというバルジャン。
ここ、不思議なシーンなんですよ。

エポニーヌがバルジャンに手紙を渡す。
そこに当事者のマリウスもコゼットもいない。

そして、コゼットにまで渡ってしまえば、バルジャンとエポニーヌは、2人ともが愛する人への思いが叶わないことになるんです。

エポニーヌはマリウスへの思いは叶わない。
バルジャンはコゼットを失う。

だから、バルジャンとエポニーヌの”利益”ということで言えば、実は「この手紙をなかったことにする」のが、2人にとっての最大利益なはずなんです。

でも、2人ともそうはしない。そうすべきではない。
それを一番わかっているのはエポニーヌ。

特に30日ソワレのびびエポの迫力は凄かった。

いつもマリウスからの手紙を前にぎゅっと抱きしめていたびびエポ、この日は手紙をとっさに背中に隠して、「俺に渡せ」といたバルジャンをいつも以上に激しく睨み付けたんですね。

その時のバルジャンの様は、エポニーヌにとって大切な手紙を渡せる相手ではなかった。…マリウスからの大事な気持ちの詰まった手紙を、エポニーヌはどんな気持ちで持ってきたか…。自分がマリウスに気持ちを伝えるには、この手紙はいつ捨ててもおかしくない手紙なのに、自分の愛するマリウスの気持ちを粗末にすることはエポニーヌにとって許せることではなかった。でも、その気持ちを、この男はちゃんとわかっているのか。コゼットを愛するこの男にとって、それこそ手紙を握り潰すことも十二分にありえる。それではせっかく自分が胸を締め付けられるような気持ちで運んできたこの手紙が何の意味も持たない。

その時のエポニーヌの気迫は、「今の貴方に手紙は渡せない」と全身で語っていて。

そのエポニーヌの視線の真剣さをバルジャンは認めて、そしてエポニーヌを一人の女性として接するようになる。…その流れがすごく良くて。

エピローグで、バルジャンを迎えに来るのはファンテーヌとエポニーヌ。
ファンテーヌに迎えられることはわかるわけですが、なぜエポニーヌなのか。

それは、「自分を捨てて愛する人のために生きた」ことを、エポニーヌから手紙を渡された時に、バルジャンは
理解した。つまり、「誰かのために自分を投げ出す」という点でバルジャンとエポニーヌは”同志”であったと。だからこそ、バルジャンは強く強く、エポニーヌの手を上からぎゅっと握るのだと思うと、エピローグのもう一つの物語が強く胸に迫って来るのでした。

…帝劇公演もあっという間に終わり、これから地方公演になります。

帝劇前楽、吉原さんのご挨拶もとても印象的で。

「自分が生きること、そして自分の愛する人が生きていること、それは実は当たり前のことではなくて。いつ何時お互いいなくなるかわからない。だからこそ自分の人生を大事にし、自分の愛する人を大切にし、自分のしたいことをして、自分のすべきことをして生きることこそ大事なことであると、この作品からいつも教えられている」

その言葉は、『レ・ミゼラブル』を形作る大黒柱に相応しい言葉で、今の自分にはとても深く深く突き刺さる言葉だったのでした。

|

« 『大和田美帆トークがほとんどのトーク&ライブ』 | トップページ | 『須藤香菜 トーク&ライブ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74093/61681594

この記事へのトラックバック一覧です: 『レ・ミゼラブル』(19):

« 『大和田美帆トークがほとんどのトーク&ライブ』 | トップページ | 『須藤香菜 トーク&ライブ』 »