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『くるくると死と嫉妬』(2)

2014.12.11(Thu.) 18:00~20:25
東池袋・あうるすぽっと D列10番台(センターブロック)

見る度に発見があり、見る度に混乱する作品。
12月でなければもっとリピートしたかったところでしたが、2回が限界。
あとは来年春発売予定のDVDにて補完することにします。

この作品の上で大きな位置を占めるのが築山万有美さんが演じる「女」役。
物語の核の一つにもなっている恋人関係、友哉(丸尾丸一郎さん)と春香(新垣里沙さん)に「不老不死の薬」を渡す女性ですが、実は彼女自身も「不老不死の薬」を飲んだことでこの世に存在しているんですね。

この世、というのは若干表現が微妙ですが、恐らくこの女性がずっと生き続け、沢山の人たちの人間関係(基本的に全部ペアになっている)の運命を俯瞰したり、時には「プレゼント」なるものにて、ある意味介入をしていく。

ラスト近くでこの女性は「10月20日」という日付にこだわり、1年、2年・・・62年・・・とどんどん時の時計を進めていきます。映像的に見せるならあたかも時が高速回転しているかのように。「10月20日」ということに対して何も言及されていませんでしたが、恐らくは女性にとって大事な人の日、想像するに夫の命日なのではないかなと。

この女性の渡す「プレゼント」はある人間関係を破綻に追い込んでいくわけですが、「プレゼントはそれを受け取る側の心の持ち方次第」と言わんばかりの冷酷さは、見ていて背筋が寒くなります。

この女性にしてみれば「永遠の愛」と友哉と春香の関係だったり、「救える命なら救った方がいい」と臆面もなく言える希歩(吉川友さん)の存在は、青臭い以外の何物でもないのでしょう。

この女性と他の登場人物の違いって、「死ねること」なんですよね。

1回見たときに腑に落ちなかったのは、何でこのタイトルでこの女性なんだろう、という思いだったのですが、この女性は死ねないわけで、つまりこの女性は他の登場人物が「死ねることに嫉妬」しているんじゃないかと

この女性の前で繰り広げられる沢山の人たちの出現、そして退場。
そこに与える「プレゼント」は、登場人物たちを試しているようにしか見えなくて。
欲しいものを与えても、恐らく使いこなせず、その存在故に苦しむことを予測しているかのような立ち位置は、登場人物に対する嫉妬ゆえの、試練のように見えてきます。

恐らくは無数の生と死を見てきて、目の前の登場人物たちに感情も持てなくなった女性。
が、希歩から「プレゼント」に対して「ありがとう」と言われたときの女性の動揺が、とても印象的でした。

自分にとって目の前の登場人物は、ただのピースでしか無く、プレゼントは悪意も含めた”試す”要素でしかない。当然、それに対して感謝されたことなどついぞない。むしろ嫌われて然るべき。なのに希歩からお礼を言われる。意味が分からない。「希歩」という名前も印象的ですよね。『希』望をもって『歩』くという意味でしょうし。

前後して友哉と春香から受け取った言葉も、女性の心を少なからず動かしたのかと思うし。
「人を”試す”」というこの女性の中での感情の輪廻(「くるくる」)に対して、友哉と、友哉を取り巻く2人の女性(春香、希歩)が与えた影響は、負のスパイラルからの脱却であったのかと。

・・・

この作品の舞台の大部分である「病院」、今回はカンパニーの構成員の分布として、病院側がとても若く、患者さんも若く、取り巻く家族が比較的年輩というバランス。

薮田医師(中村龍介さん)も馬場婦長(青山郁代さん)も若手のやり手という位置付けで、物語の動きをスピーディーに見せてくれます。お2人は同い年(学年は中村さんの方が1年上)ということで、2人のバランスがとても良かったです。

夜中騒ぎまくっているところで馬場婦長が介入したとき、初日以上にものすごく薮田医師が馬場婦長の頭を鷲掴みにしてぐわんぐわん振り回した後、何と上手側まで馬場婦長を吹っ飛ばした(笑)。その後の馬場婦長の怒りたるや・・・「ぼんっ!」と音が響くほど一度目蹴り上げた後、二度目に至っては何と回転を付けて身体を回して蹴り上げ、馬場婦長は勢い余ってさらに半回転してました(笑)

2人の関係はビジネスライク以上のことはないわけですが、薮田医師に関して言えば、職務の緊張感を冗談で隠しているのかなと。本当は「闘魂注入」の直前ぐらいにいつもびくびくしているんじゃないかと。
「運ばれてくるうち8人は自分が何もしなくても助かる、5人は自分が何をしても助からない。無力感を感じる」という言葉は掛け値なしの本音かと。

病棟を預かる馬場婦長も新任研修医の希歩に対して機関銃のような病棟説明を加え、「婦長」という職務に対して必死でこなそうとしている。そんな婦長にとって希歩が「自分の判断で急患を受け入れた」などというのは厄介ごとを増やしたこと以外の何物でもなく、でもそうなってしまったからには自分の立場で全力を尽くそうとするわけで、格好いいなと。

希歩のように感情のまま突き進むのは、婦長にとってみれば困ったものではあるけれども、でも実は、婦長も感情を持っていない訳じゃない。希歩から「兄のお見舞いに行きたい」(兄は同病棟に入院していて植物状態)と言われたときに「1分だけ」といいながら許しているところはぐっときました。

薮田医師と馬場婦長の組合せで印象的だったシーンが二つ。

一つは、薮田医師が「不幸な巡り合わせで肝臓を失ってしまった患者さんの」と言ったときの馬場婦長の即突っ込みが、あぁ、中の人の大阪人ぽいなと(笑)←医療ミスで誤って肝臓も摘出してしまった

もう一つは、臓器移植を承認してくれた患者の奥さんへの「自分が言える立場ではないですが、立派なことと思います」という薮田医師の言葉。「自分が言える立場ではない」には2つの意味を感じて。一つは「自分の医療ミスだから」という点ですが、もう一点、「医師として感情を出してはならない」という点があったんじゃないかと思うんです。

この言葉が薮田医師から出た時に、馬場婦長の表情が変わったんですね。「普段は感情を出せない医師なのに、一歩踏み出している」ことへの感動を感じて、だからこその、怯む薮田医師への、心からの闘魂注入かと思うと、「自分が変われば相手が変わる、相手が変われば自分も変わる」という、感情の輪廻(「くるくる」)なのかなと思わされて、印象的でした。

・・・

心に残る言葉は沢山あったけれど、「遠くの人にやさしい人は、本当にやさしい人です」が一番印象的かな。

「いい人だから助ける、悪い人だから助けないなんて面倒臭いじゃん」と語った友哉、
「誰のお墓か分からないけど、誰かの思いは自分につながっている」と語った春香は、
「遠くの人にやさしい」ということにおいて似たもの同士の素敵なカップルだったと思う。
そしてだからこそ「友哉の意思(人の役に立ちたい)」を結果的に叶えることが出来た希歩は自分の人生を一歩先に進められたと思うし、そうでこそいがみ合っていた希実子(友哉の妻)からも煎餅を分けてもらえるという”認められ”方をしたのかなと。

人が人を思えば、人と人とはもっと繋がれるというメッセージを感じる素敵な作品、次はDVDで拝見できるのを心待ちにしています。

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