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『スリル・ミー』

2014.11.16(Sun.) 12:00~13:40
天王洲銀河劇場 3階A列1桁番台(下手側)

5回目の上演となるこの作品。
2012年シーズン、ここ天王洲銀河劇場に場所を移して上演された時、私役が田代万里生さん、彼役が新納慎也さん、いわゆる「にろまり」ペアで見て以来2度目。

この回は私役は同じく田代万里生さん。彼役は伊礼彼方さん。
伊礼さんは個人的に彼役で見てみたかった役者さんだったので、このペアを選びました。

自らの完璧性を証明するために完全犯罪を成功させようとする、「頭脳は明晰だが精神は子供」な「彼」の暴走を止められない「私」。しかし完全犯罪の綻びは2人の運命を暗転させる。そんな2人の物語。

もう上演5回目ですし、ネタバレという話でもないかと思いますので、結論以外はそれなりのネタバレ有りで参ります。




では。

伊礼氏の「彼」に振り回される田代氏の「私」ですが、前の田代氏の「私」は「彼」にもっと振り回されて慌てまくるキャラクターだった印象があります。振り回されるのもお付き合いのうちと割り切っている感じが見えるというか、「今は耐える時期」ということでエネルギーを溜めているように見えて。でいて、伊礼氏の「彼」は思ったよりは少し俺様モードが控え目。「私」に主導権・発言権がないのは変わってもいないんだけれども、「耳だけは傾けてやろうかな」というムードを感じる。そんなペア。

この作品を男性視点で見ていると、何というかまとわりつく空気を振り払いたくなるような作品というか。

男性のタイプには「私」タイプと「彼」タイプがあるように思うのですが、いずれにしても「勝ち誇りたい願望」があるというか(笑)、先手を取って逃げ切るような「彼」タイプと、隙を突いてひっくり返すような「私」のタイプと、どっちもわかる気がして、なんだか身につまされて居心地が妙な気持ちになります、この作品(爆)。

「私」も「彼」も”狂っている”のは間違いないわけで(時差有り)、これを正常と見なさないにしろ、肯定するような空気には、やはり距離を取りたい願望があって。意識して距離を取ってこの作品を観ているところがあるような気がします。
テーマからして観る側を飲み込んでしまうような強い流れのようなものを感じずにはいられなくて。
で、その流れにはいつも抗っていたい気持ちがあるうちは、まだ正常なのかな、と。
それを再認識するために見に行く作品というか。

物語に引きずり込まれそうになる時に客席から抗う訳なので、見ている疲れが生半可じゃないという(苦笑)。

この物語のタイトル「スリル・ミー」は直訳すると「俺をぞくぞくさせてくれ」な訳ですが、物語前半では俺=彼であり、物語後半では俺=私であり。前半では罪の意識なくあたかもゲームのように完全犯罪に突き進むことで、「彼」自身が興奮している。後半の後半ではすべてをコントロールしていたのが実は彼ではなかったことを示せたことで、「私」自身が興奮している。

実のところ、このペアでは、いつもは俺様キャラな伊礼氏が、後半の後半で事象を自らのコントロール下に置けていないことを認識したときに、一敗地にまみれたのごとく悔しがる表情を見るのを楽しみにしていたのですが(←こういうことを書いている時点で私もそうとう歪んでる自覚はありますw)・・・確かにその側面はあったにしろ、思ったよりはそれほどそれが強くなかったのが意外でした。
むしろ、そうなることを自ら望んでいたかのような、「自分(彼)を止められるのは『私』しかいない」ことを信じ、それが成就したことに安堵したかのような感じも受けて新鮮でした。

「私」が勝ち誇ってるけど、「彼」はただ負けてるわけじゃないよね、もしや「負けたふりして『彼』が勝ってる」ように見えなくないのがこのペアならではの特徴な気がしました。

結局のところ、客席の一員として、「俺をぞくぞくさせてくれ」と思っていたのも事実なわけで(笑)この作品にどっぷり浸かるためには、きちんと理性の自立をしておきなさいよ、と釘を刺されたような気がする観劇であったのでした。

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