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『ちっぽけなタイヨウ』

2014.11.15(Sat.) 19:00~20:20
日暮里d-倉庫 最前列中央部

初の陽なたPresentsの作品。去年の秋の新百合ヶ丘は評判を聞いて動こうとしたら千秋楽で涙を飲んだんでした。

すっかり日暮里d-倉庫への道も感覚で覚え(笑)、自由席ということで開場時間に合わせて到着、無事最前列を確保。

今日(11月16日)が千秋楽ですが、前評判通り心温まる泣ける作品。理屈より感情を押してくる感じが、この劇場のスケールと「80分休憩なし」の規模感とぴったりフィットしています。

主人公は1人の男性(Aチームはひのあらたさん)。妻(河野由佳さん)と息子(松本拓海くん)を事故で亡くし、自殺しようとしたが死神(死神1は岡幸二郎さん、死神2は土倉有貴さん)に追い返される。途方に暮れる彼の前に、少年(松井月杜くん)が現れて、亡き息子の面影を少年に感じ、次第に心を開いていく・・・という物語。
(ここまで公式どおり)

他の登場人物は、少年の母親(野田久美子さん)、義母(つまり妻の母)(高谷あゆみさん)。

さて、明日が千秋楽ですのでネタバレ全開で参ります。

よろしいですか?




よろしいですね?


では。

この物語の根底にある思想は、死神1が言及していますが「人の人生の終わりは決まっている」ということ。
それを乱すのが「自殺」であり、死神は自殺を止めなければならない立場にあると。

「死神」といえば言葉のイメージからして”良くない人”でさえあるかのように印象を受けてしまいますが、少なくともこの作品においては「神の名のもとに死を司る」、ある意味司教のような存在になっていて、とても冷静で、ともすれば何と情がある。

男が心を開いた少年は、実は母親の誕生日の翌日に・・・なる運命だった。
でも彼は(口にはしないまでも)学校で恐らくは虐められ、家では嘘ばかりつく困った少年。

でも男と少年は出会ったことで、お互いがお互いにいい作用をしていくんですね。
妻と息子、つまり由佳さんと拓海くんは、夫(父)が気持ちが沈んでいるうちは意図的にかどうか、顔を出さないんです。
まるで、夫(父)が立ち直るのを、顔を出さずに願っているかのように。
「まだ自分達が見守る時じゃない」という行動が、かつては近い関係だからこそとても重く感じます。
夫(父)が立ち直ってくると、ようやく2人も顔を出しますが(当然見えませんが)、「自分たち2人は事故で天に召されたけれど、だからこそあなたは生きて生きる意味を見つけて欲しい」という気持ちが由佳さん、拓海くんから伝わってきてとても優しい気持ちになれます。

もう一方の少年の家庭は今度は父親が不在で、母親が一手に少年の面倒をみているけれども、働きに出ているので実際のところは鍵っ子状態。そんな彼も、男と出会ったことで勇気を出すことの大切さを知り、どんどん変わっていく。

少年が行ってしまってから、男と少年の母親は、少年が誕生日プレゼントとしてくれたオルゴールの音色を聞きながら話すのですが、今度は少年の母親が生きる意味を失っている。
「あの子がいなければ私が生きている意味なんてない」と。こう語るところの野田さんの表情には胸を突かれて、不意にうるっときました。

でも、その時の男の言葉で少年の母親は我に返るんですね。少年にも生きる意味ができたひととき。
自分がそうなることを分かってはいたのに、それでも明るく接していた少年の言葉を心に残していくことが自分にとっての生きる意味だと。

この作品では登場人物それぞれが、立場や時空や、時に現世と天国を隔ててまで、お互いがお互いに生きる意味を与え合っていて、それなしでは生きることも死ぬこともできないことを訴えかけているように思えて。

それでいて、苦しみは相手にすべてぶつけているわけではないことが伝わってきて。

少年の母親が男に対して投げつける言葉は、男にとっては実は地獄の苦しみなわけだけれど、それを男は口には出さない。
「自分も最愛の人を亡くしている」という言葉を言ってしまえば、少年の母親はもう何も言えなくなってしまう。こういう場面は通常「同じ悲しみを共有する」という方面の作品が多い中、あえて男はそれを受け止めるのが格好いいなぁと思うし、それこそが妻と息子にとっては「死ぬ意味」なのかなと思えて。

自分がすべてを明らかにすれば自分は楽になれるけど相手は楽になれない。
自分の苦しみを自分で受け止めて立ち上がることをもってしか、大人として生きることはできなくて。
そしてそれは「まだ生きている期間」だと神から授けられている期間においては必要なことで。
生きたくても生きられなかった人のために、生きる人には責任があるんだと感じられて、とても素敵でした。

男が少年と心を通わせた「キャッチボール」は、ある意味、人と人とのキャッチボール心と心のキャッチボールで人は生きているんだよと言っているように見えて。

人が生きていく上で、死んで行く上で、心の中にちっぽけでも「タイヨウ」という温かいものがあれば、それぞれの世界で人はその道を進んでいけるのかなと思えて、とても暖かい気持ちになりました。

役者のみなさま。

ひのあらたさん。格好良かった-。この方、前回は「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」で女装のCAを見ているんですが、同一人物なんですかまったく(笑)。少年役の月杜くんの予測不能な動きに上手いこと(アドリブなのか)茶々入れてて面白かったです。

松井月杜くん。自由を身に纏って生きている(笑)。いやぁ、やりたい放題すぎて笑いました。死神2のつっくんとのやりとりも噴きました。内気でいじめられて不器用なあたり、母親(のだくみさん)の息子だなぁと(笑)

松本拓海くん。月杜くんに負けず劣らず自由です。母親(由佳さん)とじゃれているところなんか抜群のテンポの良さでした。

野田久美子さん。本当泣かされました。女手一人で息子を育てて、でも働かないとやっていけないから息子を家に置いていざるを得なくて・・・という苦しさが伝わってきました。息子とのお別れが笑顔だったことを気づけたときの表情が素晴らしかったです。

河野由佳さん。由佳さんがd-倉庫といえば安定の泣かせ役です(前回は『Ordinary Days』のクレア役)。叱っているようで実質的に息子に聞き流されている様とか、でも実は締めるところは締めているところがさすがリアルお母さま。地かと思ったぐらい(笑)。その利発さは確実に息子に受け継がれている(笑)ナイスなテンポでした。

高谷あゆみさん。由佳さんが演じた妻の母、ですが、こちらも利発さが母から娘に受け継がれている(笑)。娘の死後、心配しにきているけれど、反応があったときの嬉しそうな顔はじーんときたなぁ。娘のために彼には立ち直って欲しいという思いがあるだろうなぁ。

岡幸二郎さん。ラスボス感満載(爆)。それでいて死神2のつっくんから突っ込まれるツンデレ風味も健在(爆)。
あるべき道を追求している客観的な存在が頼りがいがあって素敵でした。正直「死神」のイメージが変わりました(笑)

土倉有貴さん。かき回しぶりが堂に入っていますが、ちょうどいい存在感というか、距離感があって名助手ぶりでした。

・・・

6日間の公演会期も今日で終わり。d-倉庫作品はいつも思いますが、「もう1回見たい!」と思って会期が終わるんですよね。今回もご多分に漏れずそういう感想だったのでした。

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