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『氷雪の門』

2014.8.20(Wed.)19:00~20:55
八幡山ワーサルシアター 1列目(上手側)

見たかったけれど、チケットを取ってなかった作品。当日券での観劇です。

この週はけっこう多忙な週で、月曜日・金曜日が送別会、木曜日・日曜日が水谷美月さんの誕生日会、土曜日がサイゴンマチソワということで、火曜日・水曜日しかこの作品を観るチャンスがなくて。

火曜日のチャンスを逃し、この日がノー残業デーと言うことでめでたく観劇に漕ぎ着けたわけですが。

本当に観て良かった。

この作品のテーマとなった真岡郵便電信局女子通信員集団自決事件というのは、以前から話としては知っていて。栃木県にある「真岡」を「もおか」と呼ぶのに対して、南樺太の「真岡」は「まおか」と呼ぶのが印象に残って、南樺太の郵便史の本を読みふけったりしました。

その時の本の記述が淡々と「殉職」「服毒自決」と書いてあったことが、ずっと脳裏に焼き付いていたのかもしれないなと、この日舞台を見て感じたりしました。

ネタバレあります




文字にすればただ2字「殉職」という言葉であっても、それに至るまでの経緯や感情といったものは当然あるわけで、そして戦時中の極限状態の感情は、平時の感覚でどうこう言うべき部分ではないという気持ちも観る側としてはあって。

だからこそ「(殉職という)結論に至るまでの流れ」をどう描いてくれるかに興味はあって、その点からすると期待以上に圧倒されました。凄かった。

正直なことを言ってしまえば、自決した9名・救助された3名を演じた女優さんには台詞回しや動きに拙さを感じた方もいらっしゃって、メイン級の方々とそうでない方々とでは、ちょっと落差があったかなとは思うのですが、作品全体の迫力が勝るという感じ。

本でわからず舞台で感じられたことといえば、「電話交換手」という職業だからこその点。
「日本は負けるはずがない」と思い込まされていた時代にあって、「情報」が集まる「電話交換」という職業。

「樺太の生命線」という言葉は決して誇張でも何でもないんですね。昭和20年8月8日にソ連が日ソ中立条約を破棄して樺太に攻め込んでくるまで、樺太は本土からの疎開先、それこそ「天国」とまで言われた地であったゆえに、軍備も手薄であり、ソ連の侵攻をいち早く察知して逃れることにしか、手はなかったわけですから。

人間、自分が苦しくなるとどうしても逃げに入るじゃないですか。
「そうならないといい」という夢物語に逃れて、自分自身束の間の心の安らぎを得る。
それでこそ精神の安定は保たれる。

でも彼女たちはそうじゃない。「情報」というものと常に対峙している彼女たちは、「現実」といち早く向き合わざるを得ない立場に置かれる。平川めぐみさん演じる郁代がいみじくも言った「戦時法上、ソ連は軍事行動なしでは日本の財産を奪えない。だからソ連は軍事行動を起こしてくる」という分析は、結果からして正しくて。「終戦したのだからソ連は攻撃してこないはず」という夢物語に甘んじることを許してもらえない。

”なぜ自決したのか”を平和な今の物差しで理解するのはそれは無理な話で、でも、本で分からなくて舞台で感じられたのは、「自決したのも無理はない」と思わせる、彼女たちの立場のあまりの過酷さにあったように思えて。

彼女たちが守ったプロとしてのプライドからして、職場を放棄して引き上げる選択肢はありえなくて。

「自分達の代わりに中学生男子を通信員として急遽養成する」という話は、彼女たちの身を守るための上層部の常識的な温情だったはずだけれど、「私たちの仕事は中学生男子にすぐ代えられるような仕事ではない」という反発を受けます。当然の話。(当時の電話交換はアナログの業務で、管内のすべての回線の番号を覚えていて、ただちに回線を繋ぐ必要があったそうです)

その上「通信の秘密」というものがあって、これが彼女たちを更に苦しめるわけです。業務上知り得た情報は、たとえ家族であっても口外してはならない・・・実際にはこの作品内で何回か破られてはいますが・・・結局のところ自分達が知る情報は、「現状が家族が想像する以上に厳しい状況」であることを示すに過ぎず、それを口にすることは自分がこの職に残ることを難しくするだけであるという・・・この職にとどまる=この地に残る=には、真実は口にできないという・・・

・・・・

この作品を観てとても印象に残ったのが、全編に亘ってある意味淡々と流れる音楽。

「8月20日朝」に向かって止まらない時の流れ、そしてやってくるその時。

「守ってあげられなくてごめんなさい」と言う言葉は、実は違和感があって聞こえて。

確かに、8月15日以前の日常なら、班長や副班長が統制している姿は見えていたけれども、極限に至ったとき、部下である交換手たちは、確かにそれぞれの信念でそこに立っていて。
班長や副班長は確かに役割上はそうであっても、一人一人が一人一人として職に、自らに殉じた姿は、それぞれ皆が凛としていて。
自分の命は自分で決めたのだと思わせる「強さ」が、確かに皆にあったことに感動させられました。

それであればこそ、「生きたかった」という訴えが胸を突きます。
自分のプライドは、ここで死しか選ばせない。でも、死にたくて死ぬわけじゃない、生きる選択肢があればそれを選びたかった・・・公務殉職として祀られると、他者からは忘れられがちな思い。その思いを感じられたことが、観劇での何よりの宝物でした。

・・・

この作品の観劇のきっかけとなったのは、「ウレシパモシリ」でポールと聖の2役を好演された平川めぐみさん。今回の作品では実質的なナンバー3、後輩の面倒見もいい先輩交換手を、さすがの気っ風の良さで好演されていました。まさか歌うとは(笑)。恋人に新調のスカートのことを気づいてもらえなくて、ぷんすかしているあたりもイメージぴったり(笑)

班長・片山咲子役(清家とも子さん)、副班長・山谷サヤ役(神崎ゆいさん)のバランスもとても良く、鞭と飴(役名順・・・笑)が上手いこと行ったり来たりでテンポも良かったです。

この作品を観ていてふと途中で気づいたのが、この日が「8月20日」だったこと・・・
69年前のこの日起きたことなのだと思うと、観る側からも覚悟が試されるかのような不思議な気持ちになりました。
観劇がこの日になったのは本当に偶然なのですが、この作品に惹かれた気持ちが「8月20日」を選んでくれたかもしれません

今回の上演は8月24日(日)まで。
来年の再演が決まっており、2015年7月27日から8月2日まで、今回と同じく八幡山ワーサルシアターにて。

もう一つの「ひめゆり」、ぜひご覧いただきたいです。

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