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『ヒトミ』

2014.3.15(Sat.) 13:00~15:10
サンシャイン劇場 19列10番台後半(センターブロック)

演劇集団キャラメルボックス2014アコースティックシアター2本立てのうち『ヒトミ』を観劇してきました。

3演目になるこの作品、作品タイトルだけは知っていた、いわゆる「名作」でしたが、今回初見です。

主人公はピアノ教師で交通事故で頸髄を損傷した女性・ヒトミ。3演目の今回は実川貴美子さんが演じています。(そういえば、いつの間に表記が「實川」から「実川」になっていますね)
脳からの指令が首以下の身体に通らなくなった、そんな彼女に振って湧いた「ハーネス」という器具を取り付けるという話。
この器具を付けると、脳からの指令は首以下の身体、つまり上半身も下半身も動かすことができるという。
しかしその「ハーネス」はあくまで「試作品」であり、彼女はある意味「実験の被験者」であり・・・

という物語。

ネタバレありますご注意ください




今回、まず「おおっ」と思ったのはオープニングのダンス。
正直言ってしまうと、キャラメルボックスのオープニングのダンスって、自分的にはいつも違和感を感じるんです。
いや、その・・・踊らなくていいんじゃないかなぁって、いつも思ってしまうんです(本音)。

今回印象的だったのは、ダンスがこの作品上必要だったことをはっきり感じられたこと。ハーネスを取り付けられたヒトミが立ち上がるという重要なシーン、ここでよろけるヒトミに対して、誰もが「手を差し伸べはしない」のです。
正しくは「手を差し伸べようとはするが、実際に手を差し伸べないことが手を差し伸べることである」という点。

つまり、ここはヒトミにとって「(ハーネスの力を借りているとはいえ)絶対に自分の力で立ち上がらなければならない」場面だから、周囲は手を差し伸べないことこそ最善であると。

今回の作品は、場面が時系列では進まずに、時を行ったり来たりします。「クロノス」シリーズのように「時を飛ぶ」作品でないのにかかわらず、前後のシーンが入れ替わってみたりと、いわゆる「演劇的な演出」があるわけですが、それがそれほど違和感を感じません。「あぁなるほど」と後でストレスなく繋がる、流石練られた作品なんだと思います。

実質的にこの作品は「ヒトミの一番長い一年」の中の更に「ヒトミの一番長い一日」が作品の大部分を占めています。

ハーネスを付けられた後、ヒトミは長く厳しいリハビリを続けていて、泣き言一つ言わなかった。
けれども、ヒトミの不眠が発覚し、その原因を調べていく過程で、ハーネスがヒトミに強いダメージを与えていることが判明して、ハーネスは取り外されることになる。
そんな夜、ヒトミは思い出の街・下田へ向かってもらうよう友人・小沢(多田直人さん)に頼む。
親友・典子(渡邊安理さん)が事故に遭ったという嘘まで使って・・・

ヒトミはことハーネスを取り外されることから逃げる点については、綺麗事なんて構ってられない。嘘だってつく。本当に自分を心配してくれている周囲の人たちの「心配」が彼女には通じていない。彼女は自分自身、孤独だと信じて疑わない。

ハーネスの「欠陥」と言われる部分は、はっきりとこの作品で言葉にされていませんが、自分なりに感じたことを。

たしかにハーネスは「機能」として身体を動かすことはできるかもしれない。そのこと自体は周囲を喜ばせるかもしれない。
でも被験者にとっては、ハーネスを取り外されることという恐怖の前には、ハーネスを付け続ける選択肢しかない。
ゆえに、自らの異変や違和感について発露する選択肢を持たない。

ハーネスを開発した医師はヒトミを被験者に選んだ理由を明確に話してはいませんが、言葉の端々に現れるものを総合すれば「ピアニストであるヒトミが再びピアノを弾けるようになれば、ハーネスの成功するアピールに極めて有力な要素となる」ことであることは明白です。
つい「ピアノを弾かないのであれば、彼女をハーネスの被験者にした意味はない」と言っていますし。

そしてヒトミはその状況を受け入れる以外にない。ある意味牢獄の中で暮らすようなもの。

だからといってこの医師の発言をただエゴとして見れるかと思えば、「一年間も彼女を見守ってきたんだ、助けたいと思っているに決まっているだろう」と言われてしまうと、なんかもう、リアルすぎて泣ける。
プロとして仕事としてやるからには、エゴがゼロじゃないけど、ピュアさがゼロなわけがないということが、とても印象的。

・・・

ヒトミはピアノを弾くことを最後まで拒み続けますが、ついにピアノにたどり着きます。
その背中を押したのは親友である典子の言葉。

「このピアノはずっとヒトミを待ってた。
このピアノはヒトミを拒まないよ」

今回の作品でヒトミに次いで印象的だったのが、実は相手役の小沢以上に、親友の典子でした。

典子はヒトミの限界に気づいていて。

「自分が拒まれたら自分の存在意義はなくなる」と思い詰めているヒトミの、
そして最後の砦がピアノであると。

ピアノにさえ拒絶されたら、自分が生きている意味はないと。

典子のヒトミへの励ましも、実はヒトミには届いていないことを、典子は分かっていて。

でもヒトミには分かって欲しかった。
周囲は本当にヒトミを心配していることを。
ヒトミが頑なな気持ちを緩めて、皆の心に飛び込んでくれることを。

典子自身さえヒトミに本当の意味では受け入れてもらえなくなっていて。

だからこそ典子にとっても賭けだったかなと。

ピアノを使ってヒトミの心を溶かした典子も流石でしたが、相手役の小沢も流石。
ももこさん(岡田さつきさん)が演じた掃除婦さんが言っていた「男の価値はここぞという時に優しくなれるかだよ」ということを正に体現した存在。

小沢は「砂浜の風」の存在を使ってヒトミの心を溶かす。
「何も感じなくなった」と悲観するヒトミに対して、「砂浜の風には何も感じなかったのか」と問う。
そしてヒトミは気づく。
何もしなくても感じられるものだってある、だからこそ何かしないと感じられないものもあると。

あのシーン、ヒトミにとって「何もしなくても感じられるもの」に小沢はなれたのかな、と思うとなんだかじーんと来るものがありましたし、ヒトミにとっての「壁」は「周囲を信じようとする勇気」だったのかなと。その壁を壊せたときに、ヒトミは本当の意味でリスタートできたのかと思います。

・・・

役者さんの話を。

ヒトミ役の実川貴美子さん。主役では久しぶりに拝見しますが、難しい役どころをしっかりとこなしていらっしゃいました。中に気持ちを溜めてしまう役どころに説得力がありました。何というか、困り事を他人に打ち明けられないタイプというのか。イメージですけど。

そのヒトミへのいいツッコミ役だったのが典子役の渡邊安理さん。ホテルの支配人としてはいささか軽量級ですが(爆)、カラっとしていてそれでいて親友の内面まできっちり見抜いているという役どころはどストライク。この人のツッコミは鋭いのに暖かいんだよねぇ。

ツッコミ役としてほぼ核弾頭並みの破壊力を持つのが掃除婦役の岡田さつきさん。「家政婦は見た!」がとっても似合いそうなんですが(笑)今回も好き勝手泳いでおりました。今回、ヒトミの母親役の坂口理恵さん(初代のヒトミ)が遊べない役だったので、遊びはほぼももこさんが持って行っていました。あれだけ遊んで舞台一切壊さないんだから凄い。

精神科の医師役の岡内美喜子さんも患者のために矢面に立つ医師を好演。ポジション的にはヒロイン役は減ったけれど、このあたりのポジションになってから岡内さんは変な力みが消えて良くなったと思う。「雨と夢のあとに」の暁子役、「君の心臓の鼓動が聞こえる場所」の真知子役といった「ヒロインを陰で支える」役が似合うようになって。

と書いてくると分かるのですが、真柴さん作品ということもあって女性のキャラクターが立ってた印象。小沢役の多田直人さんの格好良さとかギターさすがとか、フロントマネージャーの左東さんさすがだなぁとかあるけど、総じて女性の魅力が前面に出た作品だったように思います。

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