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『国民の映画』(3)

2014.2.16(Sun.) 13:00~16:20
PARCO劇場B列10番台後半(センターブロック)

2011年初演の作品の再演。
見終わった感想は、あらゆる意味で「再演」だなぁとつくづく。
プロモーションの時点で、三谷氏が仰っていたのを聞いていたので、「初演から大きく変えない再演になる」というのは分かってはいたのですが、受ける印象もほとんど変わらないほどの再演。

そんな中で一番大きいのは、やはりキャストの変更です。

初演で新進女優・エルザ・フェーゼンマイヤー(エルザ・リッター)を演じた吉田羊さんがマグダ役(ナチス宣伝大臣・ゲッペルズ(小日向文世さん)の妻)に変わり、エルザ役は元AKB48の秋元才加さんに。ゲーリング元帥が初演の白井晃さんから、今回は渡辺徹さんに変わっています。

この中で一番、再演がしっくりきたのはマグダが吉田羊さんになったこと。実際、ご本人も「初演は10歳以上年下の役(エルザ)だったので辛かった」とパンフレットで話っていらっしゃっていますが、今回のマグダがあまりにしっくりきていて・・・

そもそもエルザをやるぐらいだからもっと若い方かと思っていまして(苦笑)。なんだか収まりが凄く良い。初演のエルザは新進女優なのにベテランの風格をちょこちょこ見せていた感じがありましたし(爆)。

あと、新妻さん演じる映画監督/レニ・リーフェンシュタールと、マグダは友人(見たところかなり親友に近い)という関係性ですが、再演で新妻さん自身の余裕もあるせいかもしれませんし、また羊さんと実際仲が良いらしいという二点から、仲良し具合がとっても自然。

今回から遡って考えると、前回はエルザ役の適任者がいなかったのかも、と思わせるぐらい、初演の石田ゆり子さんのマグダと再演の吉田羊さんのマグダは受ける印象が似ています。ちょっと違うとすれば、ゆり子さんのマグダは夫側に少し寄っていたのに対して、羊さんのマグダはケストナー側に少し寄っていた印象を受けたりしました。ケストナーに対するマグダの気持ちは、羊さんだったせいか、初演のエルザ→ゲッペルズ以上に凄くて、2人切りになれたときに、まさかマグダがケストナーにジャンピング抱擁するとは思ってませんでした(笑)。

あと面白かったのはケストナーがマグダとの出会いを覚えてなくて落ち込むときのマグダが、落ち込みマックスって感じで、通称「風と共に去りぬ階段」で顔を階段にぴたっとはめて身じろぎもせずにはまって、レニが「マグダ何やってるのよ?」って感じでびっくりしてた(ように見えた)様に笑いました(笑)。

どちらにしろ、マグダは随分と行動的になった感じで、「良妻賢母」からはまた遠ざかったかと(笑)。

そして、今回のエルザ役は秋元才加さん。赤いドレスが映えるとても素敵な女優さんです。すらりと背が高く、ゲッペルズさえ見下ろす天然ぶり(普通は膝ぐらい曲げる気がしますが、役作りの指示的にそうなっているんでしょうね)がぴったり。彼女は去年2月のシアターオーブ「ロックオペラ・モーツァルト」のコンスタンツェ役で拝見して以来2度目ですが、役柄的にも「新進女優として場違いなことをわかりつつも、ずかずかっ♪と入っていく感じがイメージ通りでした。

新顔もう一方は渡辺徹さん演じるゲーリング元帥。何というか太りすぎが身体にダメージ与えてるという役設定に無限の説得力と申しますか(爆)、ただ全般的に言って白井さんがちょっと遊びすぎてた部分を元に戻したオーソドックスな演技プランで、安心して見ていられます。

翻って続投キャスト。

新妻聖子さん演じるレニ・リーフェンシュタールはご本人が「より人間ぽくなっている」と事前に語っていたとおり、「鉄の女」の要素は初演比で薄れています。最後の決断で初演の時は「私がこの選択をするのは当たり前」と疑問を差し挟む間もないかのように演じていたのに比べると、再演の時は「迷った上で自分はこの選択をする」というぐらいには変わっていました。

全般的にツンケンした感じが随分薄れた感じで、ヤニングスとのライバル関係も、初演は肩肘張って強がっていた感じでしたが、再演は「自分が上」であることの自信があるのか、余裕な感じで。

ヤニングスが平岳大さん演じるグスタフへのお仕置きとして劇中劇をやるときに、ヤニングスはレニに助監督をさせますが、助監督をさせられたレニは、初演ではむちゃくちゃ不機嫌そうだったんですよ(笑)。「なんで私があなたの助監督をしなきゃならないのよ」って感じで(爆)。それが今回は「面白いことが始まるわね」って感じで余裕を感じます。

その分、「映画はテクニカルだ」と語るレニと、「映画は人間だよ」とヤニングスの対比は、初演に比べるとちょっと薄くなった感じ。

初演ではレニはとにかく「鉄の女」でしたし、フリッツに対して「あなたのお陰で沢山の才能がある映画人が救われてる。これからも彼らのために頑張ってね」と頼む姿に、ヤニングスが「驚いた。お前もいっぱしの映画人なんだな」と語るシチュエーションに説得力があったんですね。

再演はレニが人間味を持った分、比較論としてはそれはヤニングスに比べれば人間味が薄いところがあるのだとしても、レニがフリッツに対してそういうことを言っても不思議じゃなくなっちゃって。そこは難しいところなんだなぁと。

個人的な好みを言ってしまうのだとすれば、「鉄の女」であればこそ、レニは聖子さんが演じる意味があったけれど、人間味を持ったらそれは別の人が演じても良い役じゃないかなと、実は思ってしまったりして。

迷い悩む姿を見せることが、彼女の役者としての魅力を減じているような気がしてしまうんですよね。端的に言ってしまうと突っぱねてこそなんぼ、迷い悩むなんてらしくない、みたいな(苦笑)。

ツァラ役のシルビア・グラブさん。もしやこの作品の初演以来拝見していなかったり?なお久しぶりでしたが、あの歌声は健在。聖子さんとの重唱の耳福ぶりは変わらず。カーテンコールラストで聖子さんがシルビアさんの肩に首ちょこんと乗せてとっても安心していた(笑)のが印象的。今回の続投女性陣3人は、聖子さんを挟んで3人とも仲良しですよね。
エルザと別の意味で空気を読めないのも、相変わらずこの方に合っています(笑)

・・・

今回この作品のパンフレットは初演に比べてとってもコンパクトになり、何とA5判。それでいて出来は素晴らしくて、正直言っちゃうと今回の再演舞台見ない人でも初演を見た人には見て欲しい、というぐらいに充実の内容。
時代背景の解説は読み応えがあるし、出演者陣の鼎談を4グループに分けており、その分け方が絶妙。

ナチス男性グループ(小日向さん、段田さん、渡辺さん)、映画人男性グループ(風間さん、小林勝也さん、今井さん、平さん)、女性グループ(羊さん、シルビアさん、新妻さん、秋元さん)、傍観者グループ(小林隆さん、荻野さん)の分け方で、それぞれ良い具合に議論が収斂して読み応えたっぷり。なんだかグループミーティング見てるみたいな感じです(爆)。

その辺りの鼎談も踏まえてのこの作品についての感想なのですが、行き着くところこの作品では「極限状態の覚悟」を見る側に問いかけているわけですよね。ナチスに協力するかを問いかけられた時に、映画人がそれぞれどういう考えのもとにどういう決断をするか。

権力に最も忠誠を誓うであろうことが最初から見当が付くレニと、最も忠誠を誓わないであろうことが最初から見込まれているケストナーだけがゲッペルズの元に残り、それ以外の映画人はことごとく去っていく、そのことの意味。

最後のフリッツの語りが印象的で。

戦後いくら非難されようと映画を撮り続け、101歳で天寿を全うしたレニ、戦後はドイツ文学界の主要メンバーとして文壇をリードしたケストナーと対比すると、他の登場人物はヤニングスやグスタフを筆頭に、不遇さがつきまといます。別に権力におもねることが正しいという結論を導くつもりもないのですが、是非はともかくレニとケストナーは自らの決断に命を賭けたようには見えたんですね。聖子さんがいみじくもパンフレットで語っていますが、「決断には責任が伴う」という言葉はまさにそれ。

登場人物中、「自らの決断に命を賭けた」順に生き延びたのではないかと思うと、何だかこの作品の問いかけるメッセージが浮かんでくる気がしています。

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