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2014年1月

『プロパガンダ・コクピット』

2014.1.25(Sat.)18:30~21:25
光が丘IMAホール 9列目1桁番台(下手側)

藤倉梓さん作品はオリジナルでは初めての観劇。去年10月のScore Produce『Ordinary Days』(翻訳、演出)と含めると2作品目。
思っていたより早くチケットが捌けていったので、土曜のこの日をおさえられるか心配で、ひとまずほっ。

テーマからして朝鮮半島の非武装地帯からインスパイアって時点で、恐らくはほぼ賑やか時々毒ないしスパイス、って感じで想像していたのでだいたい予想通り・・・ではありますが、あのはっちゃけ方、あの人数をちゃんと見られる物にするって凄いなぁ。

1幕で張りまくってた伏線を、2幕で文字通り回収していく様は、なんかその「アイディア」自体がネタというか。
どこまで行くのかと思ったら恐ろしいところまで行きましたが(笑)、途中から「ネタのためのネタ」になってしまった部分もあって、ちょっと間延びした部分も感じて。

物語は、ドンパチやってる西の国と東の国、その真ん中にある非武装中立地帯、通称「プロパガンダ・コクピット」を舞台に進行します。西から東に亡命しようとするトリオ(田村良太さん)、東から西に亡命しようとするセンパイ(鎌田誠樹さん)、そしてプロパガンダ・コクピット内のアイドル、通信傍受担当のユズ(神田沙也加さん)の3人がメイン。

トリオとセンパイが鉢合わせでプロパガンダ・コクピット内のあれやこれやに巻き込まれていく・・・なんですが、なんか最初、トリオとセンパイが同じ部隊の後輩先輩かと勘違いしました(爆)。

話が進行するにつれ、「束の間の均衡状態」が保たれていた「プロパガンダ・コクピット」が、西のプロパガンダ(宣伝)と東のプロパガンダ間の板挟みになっていくのですが、「プロパガンダ・コクピット」の中にいる人々にとって、西が正解だろうが東が正解だろうが関係ないんですね。幸せで暮らして行ければそれでいいと。

でも亡命者2人はそうはいかなくて、自分が向かおうとする国に自分が達することが自分の幸せと信じて疑わない。
そして「国」を代表する2人も、自分の国が相手の国に勝利することこそ自分たちの幸せと信じている。

その3者を見ていると、後者の2つはずいぶん不確かなんだなということを感じたり。
パンフレットでとある俳優さんが「自分は自分にプロパガンダ(思い込み)をかけて生きている」って書いていたけど、特に亡命者2人と「国」にはその要素を強く感じたかな。しかも強迫観念に似た、「それにすがらないと生きられない」脆さみたいなものが。

「プロパガンダ・コクピット」内の人々は”笑うことで自分達の今の不安定な状態から逃避している”点はなくはないだろうけど、双方から狙われたときに中間地帯だからこそできること-ある意味「プロパガンダ」を「コントロール」する「コクピット」たりえたのかと。

どことなくふわふわした西側の「プロパガンダ」は怪しさを含むし、東側の「プロパガンダ」は実現性を危ぶまれるし、でも「プロパガンダ・コクピット」の中で外側の通信を傍受する”籠の中の鳥”の象徴であるユズは、東西の「プロパガンダ」を超える「プロパガンダ」を提示できたんですよね。
だからこそトリオもセンパイも最後の一歩を踏み出せた。なんか羨ましいおまけも付いていたけど(笑)。

見ていて印象的だったのは、やっぱりそのユズかな。この公演を見に行く最後の決め手が彼女だったから当たり前なんですが、いやま正直、もっと弾けまくると思ってたから、M19「プリンセスロード」は実はあれでさえ物足りなかった(笑)けど・・・

「あれはプロパガンダだ、知識ではない」というユズの言葉は重いよなぁ。
自分の身は自由にならず、放送だけで知る外の世界。
いくら聞いても聞いても、それは本当の意味の「知識」じゃない。
いつか本当にその「知識」に触れられることを信じて・・・というのは彼女のポジションとなんかリンクしてしまう気がして、何かあの役に彼女が選ばれた理由が、分かるような気がしました。

その両隣、鎌田氏も田村氏も格好良かったし、その2人含めたM16「空」のレミ4人勢揃い(川口氏、神田氏も)は壮観でしたね。藤倉組皆勤だそうな田宮華苗さん(タレント役)もキャラ立ってたし、「屋根の上のヴァイオリン弾き」から出てきたかのような(笑)奈良坂氏の「ウルグアイ式洗濯の歌」もわろた(というか「洗濯担当」という役だったのですね)。
『Ordinary Days』で拝見してた小松春佳さんも出られてたわけですが気づかなかったなぁ(後でパンフ見て気づいた)・・・と書いたら教えていただきました。西からのスパイ役・・・あ、思い出しましたw

理屈抜きで楽しんでも面白いけど、押しつけがましくないメッセージ物って気軽に見られて気軽に考えられて嬉しいですね。

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『シャーロック・ホームズ~アンダーソン家の秘密』

2014.1.25(Sat.) 12:30~15:20
東京芸術劇場プレイハウス 2階B列30番台後半(上手側)

先週、大阪で幕を開けたこの作品。
評判がとても良く、何とか日程を調整してこの日に観劇。とても良かったです。

推理物ですから当然ネタバレ厳禁になってしまうわけで、ちょっと開けてスタートします。
迷われている方、ぜひ観劇をお勧めします。


ネタバレ開始前に、終演後のカーテンコールで橋本さとしさんがおっしゃってたご挨拶があまりにお上手だったので書いておきます。

「『最大の凶器は愛』って書いてますけど、僕たちは『皆さんからいただいた愛を最大の武器』に頑張ります!」

さとっさん、さすがとしか。

さて、ネタバレ込みで感想スタートです。


・・・・

さて、行きます

ネタバレを完全に封印していてかつ、初見の1幕と2幕の間って一番ワクワクするんですよね。
1幕で最近のテイストとグレードが想像ついて、2幕はそれを伸ばす方向に進むのか、違う方向に進むのか、どっちに行くのか想像するだけで楽しい。1幕の出来が良ければなおさら2幕の期待感は増すわけで、この作品はまさにそういう作品。

アンダーソン家の双子の兄弟、兄のアダムが跡継ぎ(アンダーソングループ会長)で、双子の弟がエリック、この2人はいずれも浦井くんが演じています。そして叔父のボビー(同グループ副会長)は野心家…ですが、その役は野心家を演じさせればこの人の右に出る人はいない(爆)大澄賢也さん。

ホームズ役は橋本さとしさん、助手のワトソンはなんと女性!で一路真輝さん。
この2人のバランスが抜群。

推理しか頭にないホームズ、お金にしか目がないワトソン(笑)...いやもとい、ワトソンはホームズに惚れてる感じ満々でしたね。それを見せる一路さんと、全く関知しない(気にも止めない)さとしさんのバランスがとっても面白い。一路さんお茶目さんですしね。するっと躱されてしょげるところの可憐さがとっても魅力的。

そしてこのお2人、「軽妙な掛け合い」というものそのままの軽やかさ。すいっすいっと解決してしまうホームズの推理のスピード感と、同じスピードで走るワトソンの絶妙なフォローっぷり。お互い頼りすぎない信頼感がとっても心地良いです。

その重量感を感じさせない2人と対象的なのが、ヒロイン・ルーシーを間にした浦井君の2役、アダムとエリックとの関係。
重く、深く、暗く、そしてウェット。1幕終了時に「一番いい人の顔してる人が黒幕なんだろうな」と思っていてそれはエリックで、まぁそれはある意味当たってはいたのですが(その先を想像できないのが私の限界かw)ぎりぎりを生きている感じが、いつ犯罪が起きてもおかしくない空気感を漂わせ、その緊迫感たるやもの凄い。

軽やかvs湿っぽさ、でもその両者ともが自分達の立場ごとで苦しんでいる。シャーロックホームズといえば普通は軽やかに推理を解決するイメージでしかないのに、この作品のホームズは「真実を明らかにする」ことに対して苦しみもするし、そんな迷い方が実にさとしさんに合ってる。無機質を騙っても、自分の人格は裏切れない、みたいな。他者に対する人間的な優しい目線が確かにありますよね。だからこそワトソンもホームズに対して惚れてるみたいなところが見えてとっても好き。探偵物ではコナン君に同じような空気を感じたりしますね。

浦井君がらみの2人3役で印象的だったのは「ルーシー」の存在。昆ちゃんも堂々としたヒロインぶりで素敵でしたが、やっぱり浦井君にこの役名の女性が絡めば『二都物語』を感じずにはいられません。しかもエリックが選択した生き方は、ある意味あの作品でシドニー・カートンの生き方と瓜二つで。

「シドニーの取った選択を誰かが覚えていてくれたら」という井上君の言葉を、一番肌で感じただろう浦井君、彼の演じた今回の役が、まさにそのものに感じて・・・ロビーで売られていた「StarSメモリアルブック」を読みながら、そんなことを感情としてリンクしてみたり。

・・・

今回、ハードカバー上製本のパンフレット(1,800円)が凄く良くて、実に沢山の示唆に富む内容が書かれているのですが、作詞家の森雪之丞さんが語ってる「韓国と日本の曲が情感的に似ている」というのは、この作品を観たときの違和感の少なさと一番大きく関係している気がします。翻訳ミュージカルであることを思わせない進行。もちろんナイスキャスティングの賜物ではあるのでしょうが、とっても「やりやすそう」「見やすそう」な気がするんですよね。難易度は別の話としても。

そういえばナイスキャスティングといえば、自称「エコ女優」な宇野まり絵さん、『ショーシャンクの空に』に引き続いて拝見しますが、客席から見ると「一路さん(ワトソン)と昆ちゃん(ルーシー)以外の女性はみんなまり絵さん」という驚愕の事実に気づきます(笑)

男性では石井さん、竹下さんがそれぞれ4役ですが、まり絵ちゃんは何と6役。

ラクエル・ウェルチ張りのドレス姿な女優・ベラ(ちなみにラクエルより露出が高かったそうですw)と女性秘書が印象的な2強かな。いやはや、6役もやってblogもやって宣伝担当も買って出て・・・本当に何というエコ女優(笑)。

一路さんのユーモア&格好良さ、昆ちゃんの可憐さ&芯の強さ、そしてそれ以外全てを担当するまり絵嬢。「3人が持ち味を食い合わない」と言えばそういえば『ショーシャンクの空に』もそうでした。まり絵ちゃんのバランスの取り方の上手さはさすがです。

演出の板垣さんがパンフレットの前書きで触れている「ハッピーエンドの新定義」もとても納得。
色々な意味で、見られてとても良かった作品でした。

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『売らいでか!』

2014.1.24(Fri.) 15:30~18:25
シアター1010(北千住) 1階4列20番台(上手側)

時間帯的には完全にマチネの時間ですが、この日2回目の公演ということでソワレとも言えます(ソワレはフランス語で「夕方・日の暮れた後」の意味ですが、この時間は冬とはいえまだ陽が落ちる気配さえないですけどw)。

東京公演わずか2日間3公演で、はせ参じることが可能なのはこの回だけ。
青山郁代ちゃんが出演ということで行ってまいりました。

喜劇の名作ということでこの後の大阪・新歌舞伎座公演中に通算500回を迎える予定のこの作品。
浜木綿子さんの当たり役ということを知識では知っていましたが、郁代ちゃんが出演しないなら見なかったであろう作品(笑)。

この時間ですので、メインの客層はいわゆるシニア層の皆さま。
それもあってか、2幕制の1幕はテンポがそうとうにスロー。午前中に1日分の仕事を上げるためにスピードアップした自分にとっては、とっても試練です(爆)。

浜木綿子さん演じる役・なつ枝は、ダメ亭主と意地悪姑に挟まれて黙々と内職をする女性ですが、亭主のとある事情を知って激上し、亭主と姑を売り飛ばすという物語。

全般的に言って女性がとっても強いです。舞台が三重の伊賀上野、終戦後11年ですから昭和31年、それなのにここまで「女性の自立」をメインに描いているのってすごい。(まぁ実際のところ、原作はもっと格調高くて舞台になったら似ても似つかぬ喜劇になったそうなのですが)

その反面、男性はそうとうにだらしない。でもだらしないのが可愛い

変に威張り腐っていれば女性からは相手にされない、散々抜けていてもチャーミングならしっかりした女性でさえ(むしろしっかりした女性ですら)放っておかない。これ、実際に今のシニアのコミュニティってこんな感じなんだそうですね。会社員時代に偉くなった人ほど、その態度のまま接するから孤立しがちなんだとか(苦笑)。

この舞台のチャーミング筆頭が左とん平さんですね。氏は今はなき新宿コマ劇場の「星屑の街」で拝見して以来ですが、まぁなんというか、アバウトさがこれほどまでにチャーミングな方もそうそういない。セリフが抜けようがぐだぐだになろうが、それも含めて味になる。結構みなさん自由にやらかしちゃってるわけですが、それも含めて舞台上で遊びまくってて、それがちゃんと絵になる。やることやってそのうえで自由に生きてるプロの方って本当に輝いてますよね。

グダグダになってもギリギリまでお互いに手を出さないのも笑っちゃいます。
そこも長い歴史に支えられた信頼感こそなんでしょうね。

そういう舞台と対する客席も、本当に舞台と客席がフラットなんですね、雰囲気が。「いつ笑っちゃいけない」とか説明なんていらなくて、「いつ笑っても大歓迎」って迎えてくれる懐の深さ。舞台上からも客席を信じてるし、客席からも舞台を信じてる。

この種の舞台をそう多くは見ていないけれど、それこそ新宿コマ劇場とか明治座とか、いわゆる喜劇に合う劇場のこういう雰囲気って実は好き。自分から積極的に見に行く機会はそんなにないけど、行くからにはやっぱりそういう場でしか得られないものを感じたくて、心が疲れた身にはとってもいい題材でした(爆)ので、東京2日間だけなのが本当に残念。

再演がすでに決まっていて、同じシアター1010で10月に4日間上演されますが、その時に郁代ちゃんは『ミス・サイゴン』とかぶってしまい、敬子役は元々演じられていた遠藤久美子さん(エンクミさん)が演じられます。

で、話は戻して、郁代ちゃんが演じた敬子役。一部の作品解説に「校長先生の娘(?)」と書いてあった時点で訳あり風がぷんぷんしますが、期待以上の面白いポジションで、メインどころ一番の若手ということで思ったより目立って嬉しい。

1幕はどうしても設定的におさえざるを得ないからか、押しが少し弱い気がして心配したけど(みなさんマイクを付けていないっぽいから舞台上のセットマイクで拾っている感じ)、2幕はイキイキとやりたいようにやってて嬉しい限り。

去年来、コゼット(レ・ミゼラブル)⇒歌手(Second Of Life)⇒敬子(売らいでか!)と拝見してきましたが、郁代ちゃんって「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ、こうしなきゃダメ」って言われると、途端に萎縮しちゃうタイプなのかなと。
うちのご贔屓さんだと、そういう制約の中で絶対はみ出さないように演じるのが玲奈ちゃんで、隙付いてはみ出そうとするのが由美子さんと聖子さん(笑)。

そういう制約がなくて自由にやっちゃっていいよと言われると、郁代ちゃんはさすがは大阪人ということもあるのか、血がたぎってるのがよく分かる(笑)。ちなみに「自由にやって」って言われると、由美子さんと聖子さんタイプはどうしていいかわからなくなる傾向があるみたいですが(爆)

今回の敬子役に郁代ちゃんを配役して、それプラス「自由にやっていいよ」って言ってくれたのって、両方ともすごいと思うのが、きっとそれが彼女の一番の活かし方…ってことをわかっているってことなんですよね。

長く続いてきた作品は、きっとそういうものも全部暖かく見守る力があるのだろうし、選んだからには一番いいものを見せてくれると、周囲が信じてる。そんな場に選ばれて、それでいてベテランさんがこれだけ集まった場に、上手いこと嵌る様がとっても自然。なんか、郁代ちゃんが懇親会の席でナチュラルに席も温まる暇もないまま、お酒を注いで回ってる姿が、その場にいなくても想像がつく(笑)

…1幕のスローさとは打って変って2幕はびっくりするぐらいハイテンポ。それでいてただ笑わせるだけじゃなくて、なつ枝だけを持ち上げるわけでもなく、亭主・姑を責めつづけるわけでもなく、それのキーになるのは娘さんなんですよね。子役(Wキャスト)のエネルギーたるや。いくら大人が打算で動こうと、子供のピュアさは大人の軌道を元に戻す力があるんだなと思うと、なるほどこの作品がずっと続いてきている意味が分かる気がしたのでした。

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『ウィキッド』(2)

2014.1.12(Sun.)17:30~20:20
四季劇場・海(汐留)2階7列20番台(センターブロック)

2014年の観劇初めは、自分自身も予想だにしなかった四季作品になりました。

去年8月に見たきりのこの作品ですが、苫田さんグリンダの評判を聞き、ぜひ苫田さんのうちにと急遽押さえたこの公演。

幸運にも2階のセンターブロックが残っており、目の前が手摺りというネックはありつつも、素晴らしい音響で楽しみました。

まずは苫田さんのグリンダ。この役って可愛らしいヒロインじゃなかったんだろうか(笑)と心配になるぐらいのお転婆の数々。エルフィーのなんちゃってダンスを忠実に模倣するところとか、なんだか妙にがぶり寄りに見栄切るところとか、色々面白いです。

グリンダって、女の子であることを最大限利用してるところがあると思いますが、その辺りを嫌味になりすぎないようにわざわざドス声に変えて笑いにするあたり、なるほど、さすがはこれだけの評判を得るだけのことはあるなぁと。

苫田さんも初見ならエルファバ役の岡村美南さんも初めて。本当に驚きました。この作品が2回目だから感じるのか、岡村さんが素晴らしいからそう感じるのかが分からないのですが、凄く魅力的。初見当時も、自分自身グリンダよりもエルファバ派だったのですが、エルファバの不器用なところが随所に感じられて共感しましたし、生真面目故に間違ったことを許せない、そういう思いがダイレクトに伝わってきて、「自由を求めて」はものすごいパワーが押し寄せてきました。

グリンダ、エルファバ二人ともが素晴らしかったので、二人の友情も喧嘩も、全てが全力でとても清々しい。言葉にも行動にも嘘がない。エルファバは元々そうで最後までそうだけど、むしろグリンダがそんなエルファバによって大きく変わっていったのが凄くよく分かる。エルファバも良い意味で柔らかくなっていったのはグリンダのおかげでしょうけれども。

グリンダが色々と自由なので(やりすぎなほどに(笑))、「実は彼女も殻を破りたがっている」みたいにも見えますし、エルファバも頑なとはいえ、新しい自分を見つけたいと心の底で欲しているようにも見えたり。お互いがお互いの「出したいけど自分では出せない部分」を意識しないうちに引っ張り出したことで、お互いがかけがえのない相手になれたのかなと。

この作品のテーマの一つが「自我の開放」でもあるのでしょうし、ただこの作品のいいなぁと思うのは、自我の主張に対するリスクはグリンダもエルファバも負っているんですよね。

グリンダは愛する人(フィエロ)も大切な友人(エルファバ)も失っているし、エルファバも愛する人(ネッサローズ)も大切な友人(グリンダ)も失っているし。

大切なものを失わなければ、本当に大切なものは得られない、ところが好きなんですよね。
徹底徹尾ファンタジーもそれはそれでいいんですが、あまりに絵空事で進むと、えっ、そんなに上手くいくもんなの?と。

特にグリンダが女王へ一直線、しかもみんなに愛される女王、って話だと、「いやいや可愛くてもそこまで上手くはいかないでしょ」と(笑)。

グリンダとエルファバ、この作品では対極的に描かれますが、「自分の気持ちに素直じゃない」点についてはどっこいどっこいなわけで(笑)、ただ実際のところ踏ん切ると勢いがあるのはエルファバで、グリンダは意外なことにうじうじ型。
「ポピュラー」が意外なことにエルフィーに対して”自信いっぱい”な感じに感じなくて。

この曲、グリンダのお花畑ソングと申しますか、「無責任だなこのヒト」って思ってたんですが(笑)、苫田グリンダを見ているとそういう要素もありながらも、「エルファバにちょっとでも好かれたい」みたいな、「グリンダちゃん実は寂しがり屋です」な要素が感じられて新鮮。岡村エルファバもそれを何となく感づいているかのように茶々入れる様が微笑ましくてgood。
一方的にグリンダが押しているわけじゃなくて、エルファバがちょこちょこ反撃してるのが面白いですこのペア。

2幕、お尋ね者になったエルファバをおびき出すために、グリンダはネッサローズのことを口にしますよね。
その直後、気分が悪くなってグリンダは奥に下がりますが、あれは自分の嫌な部分が出てしまった事への嫌悪なのかなと。

大切な親友であるエルファバの、それも一番愛する人である妹・ネッサローズのことを口に出したということは、それを餌にエルファバがおびき出されることは想像に難くないわけですし・・・
それは、エルファバにとって自分が一番になりたかったという、グリンダの寂しさの表れなのかなと思えて。

グリンダが最後に女王の責任として国を守っていくことを宣言しますが、実際、グリンダは皆に囲まれていても、「本当に愛されることはない」わけで。
その中でも国を守っていくことは、親友のエルファバに対する贖罪の気持ちもあるのだろうなと。

エルファバを「悪い魔女」として忌み嫌うシーンでのグリンダの表情がまたこれが・・・表向きの立場としてエルファバを弾劾しないといけないけれども、「エルファバもそんな私を許してくれる」と信じてその立場に徹するグリンダが、正に女王様の責任の取り方だなぁと。

グリンダがお花畑なまま女王様になったらエルファバも浮かばれなかったろうし。
確かにグリンダは変わったし、グリンダの中にたしかにエルファバは生きている・・・だからこそ、物語が終わった後の2人の再会(のカーテンコール)が、「本当に心が通じ合った2人の再会」に思えて、とっても嬉しかったのでした。

観劇初めに良い作品&素敵な出来に出会えて良かったです。

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