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『ショーシャンクの空に』(2)

2013.11.4(Mon.) 14:00~17:15
サンシャイン劇場 1階10列10番台(センターブロック)

中1日空けて、ふたたび刑務所へ(仲間内ではこの呼び方をしていますが普通にお天道様の下で出来ない会話です(笑))

初日がやっぱりバタバタだったんだなということを思わされる、良い意味の落ち着きがみられました。

自分としても、中1日のうちに原作(『ゴールデンボーイ/恐怖の四季 夏冬編』(新潮文庫)所載「刑務所のリタ・ヘイワース」)を読んだこともあり、新鮮な発見も多くあり。

今回の舞台版、映画よりは原作に近いという話を知り合いから聞いたので、映画より先にまずは原作を読みましたが、舞台の作りの巧みさに舌を巻きます。

映画はまだ未見ですが、舞台版は原作の美味しいところを上手く再構成して、舞台の立体感を上手く活かしたものになっていると思います。

えと、やっぱりネタバレしないとつまらないんで、お気になさる方は回れ右お願いします。




●演出センスの巧みさ
この日一番おおっ、と思ったのは2幕のピンナップガール、新良エツ子さん演じるマリリンモンローの有名なアングル、あのスカートがめくれるシーンにモンローが言った一言、

「すきま風」

にえぇぇぇっとびっくり。

舞台版でも原作でも、アンディーが脱獄するという話の流れは同じですが、ここ、原作では「ほぼ独房だったアンディーが、ただ1年だけ別の受刑者と共にした、その受刑者いわく『あの部屋はすきま風がひどくて』と言っていた」となっているんですね。
それはつまり、アンディーが穴を掘っていたからに他ならないわけですが、それをモンローのあのアングルに繋げるセンスが素晴らしい。膝をぽんと突いちゃいました。

3幕、宇野まり絵さんが演じるピンナップガール、ウェルチのポスターが、脱獄が発覚したときに、ちょっと下側が風でふわっとめくれて(恐らく数cmのレベルで)その芸の細かさがさすがだなと。

そういやウェルチのまり絵ちゃん、降りてくる独房の扉に置いて行かれそうになって慌てて上から降りてくる扉を手で押さえたのに笑っちゃいました。ハプニング過ぎる(笑)。

●アンディーはいつ「それ」を決めたのか
これは、1回目で気づかなかった点だったのですが、原作を読んで見た2回目であぁなるほどと膝を打ったシーン。

アンディーは「自分はやっていない」とその被疑を認めず、結果このショーシャンク刑務所(殺人・強盗といった重罪人が入ると言われる刑務所)に収監された当初は、アンディーは「希望」を失っていたと思えて。

アンディーはそんな中ブルックスが鳩に餌をやっている様を見掛けて、「こんな所でも楽しみを見つけられるんだ」ということを知り、「自分も趣味を再開したい」と調達屋のレッドを紹介して貰い、あるものを調達してもらうようお願いする・・・流れまでは、アンディーの中には「脱獄」という文字はなかったように思うのです。

レッドはアンディーの頼みを聞くときに「脱獄なんて考えてるんじゃないだろうな」と聞きます。
その言葉をアンディーに聞いた時、アンディーが答えるまでには少しの間があって。

ここをどう捉えるかだと思うのですが、実は初見では「最初から脱獄を考えていて、それをレッドが見抜いたことに驚いた」だったのですが、原作も読んで2回目見て、「そういえば脱獄にも使えることに『気づかされた』」のではないかと思うのです。

というのも、アンディーがレッドに頼んだ段階では、「希望」は失っているし、ブルックスの様に、わずかばかりの「この塀の中での楽しみ」への”細い蜘蛛の糸”を見つけたばかりなはずだから。

この作品はレッドがアンディーを語る物語、という構成になっていますが、レッドにとってアンディーは「希望」そのものだった。正確には「刑務所の皆にとって」アンディーは「希望」そのものだったと。

じゃぁアンディーにとってレッドはどんな存在だったか。それは「恩人」だったと思うのです。
人として信頼できる、それはもちろん前提にあったでしょうが、それだけじゃないのではと。

レッドは「希望」を与えるアンディーに賛辞を送るけれど、アンディーにとってはそれはブルックスが種を蒔き、レッドが拾い集め、アンディーに手渡したものではなかったかと。

レッドは自ら犯した罪故に、自分に対して過剰に卑屈になっていたけれども、レッドにとってアンディーが希望であったように、アンディーにとってレッドは大切な恩人。

と考えてくるとブルックスの存在は実に切ない。

アンディーはブルックスのその後を知らないからまだいいけれど、レッドがブルックスのその後を知ったときの動揺・・・益岡さんの演技も相まってあれはもう涙無しでは見られません。

ブルックスは収監40年で仮釈放、それは原作には「社会の有用な一部分になる見込みがなくなったのを、じっくり見越して出所させた」とあって、原作で実は一番戦慄した一文でもありました。

ブルックスがレッドの回想シーンに出てきて「自由を求めて、ブルックス」と呟き、部屋(部屋だけではない)から去っていく様は、「あの時代に高等教育を受けた」ことが仇になってしまっているかのような、なんか無情さを感じて。

この作品のレッドは、ブルックスの「無情」とアンディーの「希望」との間を行き来する存在なんですよね。

アンディーの物語を書き終えたレッドは、自分の人生の意味を消費しきったような気持ちになりますが、そこからのクライマックスへの盛り上がりが何とも神がかっていますよね。あれは小説では見せられない、舞台ならではの光景。
暗がりから一気に明るくなる様は、客席からも「一緒にトンネルを抜けた」気持ちにさせられます。

レッドの語りを通じて、アンディーの物語を一緒に見てきた客席は、「自由って何だろう、希望って何だろう」という気持ちを持ち続けてきて、そこで一気に開放される気がして。

「刑務所」という極端な場所を題材にしているこの作品ですが、「閉塞感」に対して「希望」を持つことの大切さを見せようとしているのではないかと思えてきます。

●ピンナップガール、多士済々
3人のピンナップガールはこの作品で1幕ずつを進行役として担当しますが、元はと言えばこの作品の原作は「刑務所のリタ・ヘイワース」。つまり1幕で高橋由美子さんが担当したリタ・ヘイワースが刑務所の中におけるヒロイン。

別の言葉で言えば「刑務所の中の『希望』」で、表面的にはリタだけど、内実的にはアンディーなんですよね。

リタにしてもモンローにしてもウェルチにしても、最初は「つまらない男」だと思っているけど、彼のしていることを実は自分たちだけが知っていて。
刑務所の中で他の囚人がだれも持っていないものを彼は持っている。
希望であり前向きさであり反骨心であり、それでいて狡猾さを持ちながら、それを決して表に出すことなく、その日を迎える。

3人が登場する3幕、競って「我こそアンディーの真のヒロイン」を主張しあっている様はなんだか面白い。
前回書いたのですが、レッドのヒロインはリタで、アンディーのヒロインはウェルチな気がします。

モンローのポジションがなんだかちょっと中途半端に思えたのは、組む相手がいないからかなと。レッドにはなんだか避けられてるし、結構報われないポジションだなぁと。

この3人、実は3役ずつやっているんですよね。由美子さんの3役が「リタ・ヘイワース」「リンダ・デュフレーン」「リンダ・ヘイワース」な3つなのに笑ってしまいました。芸がないのかあるのか(笑)。

・・・

この作品、舞台右上側に年号が表示され(1桁ずつ着脱可能式で、看守役の人が差し替える)、「1977」とか「1978」となっているのはレッドが仮釈放後、レッドは38年牢獄で暮らし、その10年目前後でアンディーが入ってきたので「1947」あたりからが、レッドが回想をしている対象の刑務所内の様子。最初見た時は色々混乱して見ていましたが、ようやく2度目で落ち着いて見られるようになりました。

この回は満足行く出来だったのか、2回目にしてカーテンコールで由美子さんの笑顔も見られたし、成河さんと由美子さんがお互い笑い合って手をつなぎ、緊張しているまり絵ちゃんに由美子さんが手を出して繋いでの、皆さんでの万歳カーテンコールが見られて。
気持ちの上ではようやく初日が明けた気がしました。なんだかとてもほっとしました。

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