« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

『青空!』(4)

2013.8.24(Sat.) 14:00~15:25
両国・シアターX(しあたーかい)C列1桁番台(下手側)

東京千穐楽、というかご本人いわくの「大千穐楽」となったこの日の公演。
初演2回、再演3回目の観劇となったのですが、この日の白眉はラストの「青空」の歌唱。

聖子さんがただ歌い上げるだけでなくこの歌を歌う姿に、3年という月日の重さを感じずにはいられなくて。

この「青空」の曲は幸い、聖子さんご自身がblogに歌詞をアップしていただいているのでこちら(これを載せているということはある意味ご自身の中で気持ちの整理が付いたのか・・・)、その時の様をはっきりと思い出すのですが、この曲は五月が人生に迷って、防空壕の中でお婆ちゃんとの対話でふたたび歩き出そうとする・・という過程を1曲で振り返っている曲。

物語の中でずっと語られてくることは「五月の」物語であるけれども、「迷って歩く」みんなに対する問いかけであるわけで、だからこそこの曲の歌詞は「誰か」や「僕ら」といった汎用的な言葉になっているのですね。

初演に比べて、再演の五月は少なくとも「いい子」ではなく、「いい子」を演じているわけで。
防空壕に来た理由が前作の「生きる道に迷って」レベルの可愛い話ではなく、実は半ば「思い通りに行かない全てにやつあたり」しているだけだったりするのですが、それがぎりぎりまで明らかにならないのは教育的配慮なのか(爆)。

ただ、お婆ちゃんとしては初演はともかく再演の五月を放っぽって天国には行けないだろうからなぁ(苦笑)。
防空壕の主となろうかと呟く五月をきつく叱っているところ以外、基本は五月の自主性に任せていますからね。辛抱強い。

再演の五月は「自分が変わってしまった」ことを認めたくないのだろうなと思えて。
五月はお婆ちゃんに嘘を付いて、自分を正当化していたけど、結局それでは何も変わらないことを五月は悟ったのだろうと思うのですが、そこのきっかけがはっきり見えなかったかな。

昔のお婆ちゃんと同化してタイムスリップして過去に行って、「本当の戦い」を見て(それは賛辞すべきものではないとしても)、ひるがえって自分を振り返ったときに自分が胸を張って「正しい」と言えるかが分からなくなったからかなとは思えたのですが。

東京初日にもちょっと感じたことですが、「青空」の歌詞にある「父さん、母さん、好きだった」という台詞と、母さんとの電話を、極めて煩わしくあしらっているところのコントラストが印象的で。前回も書きましたが「澄み切った心(=青空)」こそが、自分が忘れてしまったもの・・・だったのかなと。

「夢が朽ち果て」という台詞も歌詞もありますが、「教師」という夢を叶えた五月にとって、「自分の思うようにいく」ことが自分の理想だったのに、物事は理想どおりには進まない。
いくら花が咲かないからといって、芽が出ることもなしに花が咲くわけなくて、それを花を植えることで解決しようとした五月は・・・安易ではあったのだろうなと。

”昔の自分を見ているかのようにおっとり”というその生徒への評は、どう聞いても否定的な要素を感じてしまうし。

その生徒からの「”私が嘘を付いていた。五月先生に申し訳ない”」という”嘘”は五月への挑戦であるわけですよね。
実際には五月は嘘を付いていた、つまり「学校に来なくていい」と言ったこと自体が事実だったわけですから。
それを今になって翻す。それは五月にとって「残酷」そのものだと。

たしかにそれは残酷かもしれないけれども、逃げていては何も始まらないと覚悟したことで、五月はお婆ちゃん離れできて、お婆ちゃんも安心して空に飛び立てたのだろうなと思う。

それにしても、初演では聖子さんと被る部分もずいぶん多かった「青空!」が、再演ではこれがリアルの聖子さんと被るようでは・・・という展開になったことにちょっぴり苦笑。
「一区切り」というご本人の表現の理由に、聖子さんと五月の感情の距離の変化を感じてしまうのは、邪推なのでしょうか。

・・・・・

この日のカーテンコールは東京初日の涙声とはうって変わってのご機嫌バージョン。
フォロワーさんが言ってましたが、楽のカテコであそこまでしゃべる人いませんって(笑)

客席に「初演見た人!」と聞いて、意外に多くなかった(半分いなかった)中、「印象変わりました?」と聞いて「あまり変わらなかった」という返事を聞いて「え、ずいぶん変わったんだけどなー」とか答えている自由っぷり(笑)。「台本半分変わったんですよー」ってぼやいてました(爆)。そういや「(客席に向けて)キリコに座ります-?」とか問われてもハイとは言い出せない(笑)

再演で一番大きかったのは「私にはお婆ちゃんが見えるようになったんです」だそうで(別にオカルトな意味じゃないようです)、逆に「キリコは変わったんですよねって聞かれるんですけど、一つも変わっていません(笑)」だそうです。

あれ、初演で尻尾あった記憶ないんだけどな-。余裕あったから「尻尾いじる余裕があった」という話かも(少なくとも初演は尻尾を「いじる」ことはなかった)。

「元気でいられればまたどこかでお会いできる」という言葉はたしか初日でも聞いたけど、素敵な締めでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『青空!』(3)

2013.7.23(Fri) 16:00~17:20
新百合ヶ丘・川崎市アートセンター 4列目センターブロック

2013.8.20(Tue) 19:00~20:20
両国・シアターX(しあたーかい)B列10番台後半(上手側)

2011年に赤坂REDシアターで初演の新妻聖子さん一人芝居
「青空」。劇場が変わっての再演です。

今回、関西ツアーは演劇鑑賞会公演ということで一般発売・FC発売はなく、実質東京4日間(5日間のうち1日は貸切)というレアな公演。ツアー公演に先立ってゲネプロ公開があり、7月中に「new version」の「青空」を見られたのは気持ち的にずいぶんと楽でした。

両国は当初楽日だけ観劇の予定でしたが、ギリギリになって仕事が妙に空き気味になったので、前日予約で劇場へ飛び込み。
そしてこの日も新百合ヶ丘で見ている安心感もあって気持ちに余裕を持って見ることができました。

ネタバレありますお気をつけて~回れ右お願いします~




今回は「new version」と銘打っているだけあって、新妻さん演じる五月(さつき)の役柄が大きく変わっています。「防空壕の中でお婆ちゃんとの対話」という点は同じといえ、五月が防空壕に来る状況が変わっています。

理由は同じといえば同じで「自分の仕事の先行きへの行き詰まり」ではあるのですが、初演は雑誌の編集者だった五月の職業が、再演では小学校の先生に変わっていて、少し印象が違います。

雑誌の編集者を辞めたところで、よほどの親友じゃない限り同僚はドライな心配しかしないでしょうが、小学校の先生、しかも担任を受け持っていたとなると、そこには生身の人間である生徒が存在するわけで、「五月の苦しみ」は一段階上に上がった感があります。
そういえばその生徒さんの名前が、まさかあのお名前を使うとは・・・新百合ヶ丘で会った知人と苦笑いしちゃいました。そうか、トロいか・・・(当該ご本人(本日お誕生日。)には到底言えないw)

初演の時には五月が防空壕に来ることには、それなりに同情できる面があったように思うのですね。落ち込むのもそりゃわかるよ、というようなところが。
再演の五月は初演に比べると遥かにダークといいますが(そもそも再演の台詞で自称「ダーク」って言ってますけどw)自分を守るために愛するお婆ちゃんをも欺くかのような面も合わせ持っている。

とはいえお婆ちゃんにはそんなのお見通しなわけで、「澱んだ気持ちを綺麗にして、前へと歩き出す力を与える」という物語展開には大きな変化はありません。

初演は1月だったため厚着気味だった衣装(今回のポスターは初演時の写真なので、エプロンつけーの、服は冬服)も、今回は軽やか衣装になっています。
また、物語の上では大きいですが、反戦のテーマが含まれているため、今回8月に上演するというのは合っているのかもしれません。

この作品では、お婆ちゃんの”反戦への戦い”に触れていて、それは「現実から逃げている五月」を”戦わせる”原動力にもなるのですが、どれも「戦い」じゃないのかなぁ・・・とふと感じてしまったりします。

進行としては新百合ヶ丘よりずっと両国の方がスムーズになっていた感じ。当たり前でしょうけど。
ただスムーズになった分、笑いは挟まりにくかったというか、両国の方が客席が遥かに硬いという印象は受けました。
あと劇のラストで歌われる「青空」が見る度に聖子さんの歌が丁寧になっていくのがとても好きだったりします。

「父さん母さん好きだった、あの日の青空探す」

「青空」とは”自分の澄み切った心”のことなんだなと思うと、お婆ちゃんが孫に「青空」を取り戻させようと、それを自分自身で取り戻してもらおうと頑張った気持ちが伝わってくる気がします。

・・・

新百合ヶ丘も両国も、「むちゃくちゃ緊張した」というご挨拶、第一声。

両国に至っては半べそかいている聖子様。うれし涙でうるっときているぐらいは今までありましたけど、「緊張しすぎて無事に終われて嬉しくて」で半べそ状態なんて初めて。
「鼻かんだあとに(同じティッシュで)涙拭くもんじゃないよね」とか言って笑い取りつつ、「あんまり恥ずかしいから冷蔵庫入ります」で冷蔵庫入ろうとしたり、自由人満開。
(ちなみにいくら小さいからといっても入れません(笑))

地方公演終了から1週間、緊張がもの凄かったようで、「携帯も開かないし(笑)」というハプニングもあり、「お婆ちゃんが出てきてから(当然1人2役)はとても落ち着いた」という表現が印象的。

この日の客席へ感謝の気持ちを表現されていましたが、日本語としては微妙な2字でしたが、英語では「Precious」だったので何よりでした。

「共演者には感謝しています。おばあちゃん、キリンのキリコ(笑)、そしてお客さま。
私1人しか出ない一人芝居を見に来ていただいたお客さまはpreciousなお客さまです。
本当にありがとうございました。」・・・でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『巴御前 女武者伝説』

2013.8.18(Sun.) 15:30~17:45
明治座 1階右上段1列17番

明治座8月公演は『「源平盛衰記」異聞』と銘打った「巴御前」。
行くかどうか迷っていた作品でしたが、フォロワーさんからの評価がとても良かったので観劇を決めました。

明治座のインターネット予約「席とりくん」には”見切れ席”の設定があって、1階席のS席は1万円超えのところ、見切れ席はほぼ半額の5千円台。2階席のA席は5千円台が見切れだと2千円台という大変ありがたい設定になっています。

今回は上手側の1階見切れ席を選びましたが、座席表で意識して舞台側が通路になる席を選んだところ、これが大正解。

見切れといっても実際見切れるのは上から張り出した2階席の屋根部分だけで、席自体がちょっと前より1段上がっている(東京グローブ座の1階後方席がこんな感じでした)ので、ストレスなく観劇。ただ、音響だけはいかんともし難かったですね。全般的に台詞が通らない印象。センターじゃないから仕方ないとはいえ。

ネタバレ入ります、回り右お願いします・・・・




主演の巴御前は黒木メイサ。平成17年の明治座史上最年少座長(当時16歳、現在も継続中の記録)の「あずみ」も見ていて、その時の印象は正に鮮烈でした。世の中にこんなに動ける人がいるのかと思ったのを今でも覚えています。
6年ぶりの彼女はその時の勢いそのままで、懐かしさとともに嬉しさを感じたり。

フォロワーさんに指摘されて気づいたんですが、なぜか彼女には敬称を付けない自分。なんか、「敬称を付けないのが敬称」ってイメージがあるんです。
カーテンコールの時の紹介が生アナウンスで、その時「文句があるならかかってこいや」ってキャプチャーが付いてて、あまりのハマリ振りに絶句してしまったのですが、うん、イメージぴったり。

彼女が演じるは現世では陸上自衛隊三佐、しかしタイムスリップして源平の戦いの世に放り込まれ、「巴御前」として活躍するという物語。たぶん歴史が専門な方からすればツッコミどころ満載なのでしょうけど、自分は歴史よりも地理派なのでこねくり回してもあまり気にならないのがこれ幸い。

というか、演出の岡村さん自ら「つじつまがあっていないとお客さまからお叱りを受けることも、あえて構わないと思うことにした」とまで書いているので、確信犯ですよね(笑)

黒木メイサの巴御前は本当に青い。良い意味でとてつもなく青い。
理想を突き進もうとする姿が眩しくて、「小娘」と言われながらの存在感の凄さが半端じゃない。この作品では理想的に描かれている木曽義仲(的場浩司さんが演じています)との考え方のベクトルのシンクロ振りが凄い。

西岡徳馬さん演じる源頼朝をとことん悪役に描いているから、木曽義仲(源義仲)が本当にここまで良心的な武将だったかはちょっと信じがたいものがあるのですが、まぁそれはこの作品に必要な色づけなのでしょうね。

巴(現世では自衛官の朝陽)は未来から来ているため、当然未来のことを知っていて、権力者はよってたかってその力を利用しようとするのですが、義仲はそれを表だって利用しようとはしない。一の家臣に取り立てて一任しているから、実は利用しているんですけど、それを言っちゃ興ざめですね(爆)

この役を見ていて思ったのが、島原・天草の乱を描いた少女漫画「AMAKUSA 1637」の夏月とのシンクロ。女子高生がタイムスリップし、島原・天草の乱の世に自らの殺陣で自らを神格化(天草四郎となる)する物語と印象が被りまくって。その作品では軍師は日本一の頭脳という設定の英理がいましたが、今回の巴御前の場合は戦士と軍師を一人で背負って立ってるような感じです。そりゃ現世で三佐ならそうなんでしょうが。

それもあってか「SHIROH」にも似た印象を持ちましたこの作品。英理が寿庵に被るので頼朝は松平伊豆守信綱に印象が被り。そりゃ好きな方向性なはずですね。

メイサのアクションだけで見た甲斐はあるし、腹の底から絞り出す魂の叫びは、さすがつかさんから舞台を始めただけのことはあって、涸れ気味の声ということもあって、ガンガンに心情が伝わってくる・・・ことに比べると、ほとんど男性ばかりのこの作品、男全員束になっても彼女に敵わないのは正しいのかもしれないけどちょっと物足りない。台詞で対等に向かい合えてるのは西岡さんと、かろうじて的場さんって感じじゃないかなぁ・・・

それにしても「男はみんな嫉妬深い」は深いなぁと思った。巴御前(朝陽)にとってみれば、男性は束になってかかってはこれないとも読めるわけで、それでこその泰然ぶりなのかなと思ったり。

もう一人の女性を演じたのは元宝塚娘役の愛原実花さん。彼女は2役を演じますが、まぁなんというかこの2役を同じ人がやると、そりゃ巴御前も混乱するよなという配役。現世では自らの部下だった男性と、こちらでは源義経も2役なんですが、よりによってこの2役×2を2人で演じるのは、単純に巴御前を混乱させ平常心をなくさせようとする魂胆にしか思えない(爆)。

静御前が静かじゃないのもびっくりでした(笑)

エンターテイメントとして上質な出来だとは思うのですが、あえて言うなら結論が薄い気がしました。

こうなって欲しいという方向に物事は収斂して、カタルシスは充分にあるのでエンターテイメントとしての力は充分にあると思うし、演出の岡村さんいわくの「メイサをふたたび華やかに登場させるための舞台」としての効果は充分に果たしているとは思うのですが、最後のオチが少し薄くて。

ちょっと涙が引っ込んでしまったと言いますか、まぁその後いきなりダンスが始まったんでびっくりしたというのもあるんだとは思いますが・・・(苦笑)

中盤が良すぎるんですよね。

「命を粗末にするな、命より大事なものがあるはずだ」と言う巴に対して、「命より大事なものがあると言えるのは、お前が生きる世界が幸せだからだ。この世は命を賭けないといけないものがごまんとある」と答えた義仲が格好良すぎて。

この作品に生きる義仲は本当に理想に生きていて、巴は実はそこに何の因果か飛び込んできて、あえて言えば勝手に言い、勝手に動いているだけの存在。同じことを言っていても、バックボーンがまるで違う。極論してしまえば義仲には責任があるけど、巴には責任がない

巴はそこに圧倒されたんじゃないかと思うんですね。理想よりも自分の名誉や地位を優先する存在として、方や頼朝、方や後白河上皇、方や平家が描かれ、「理想だけでは生きていけなかったはずの世界」で、「理想を目指す青き武士」である義仲の存在がどれだけ輝いて見えるかと。

「他者を守っている実感がなかった」朝陽が、タイムスリップして源平の世で義仲の”理想”と出会い、「理想の未来を作ることの本当の意味と、自らがなすべきことの認識」を得て現世に帰っていく様は感動的だったし、後半の流れの軸がもう少し太ければ、もっと感動できたんじゃないかなと思ったりしました(1幕でも2幕でも泣いちゃいましたが)。

・・・

カーテンコールの生アナウンス(出演者が出演者を紹介してる)のは新鮮で面白かったです。
プリンシパルクラスはキャプチャーが付いてたんですが、破壊力が凄かったのは的場氏を紹介するときの「スイーツ男子」でした(笑)。5分前とイメージ違いすぎる(爆)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ずっと二人で歩いてきた』

2013.8.17(Sat.) 19:00~20:45
サンシャイン劇場 2階4列10番台(下手側)

「雨と夢のあとに」姉妹作。2階のいつもは通路なところまでびっしりパイプ椅子が置かれるという、キャラメルボックスのサンシャイン劇場公演では自分は見かけたことがない光景。前説で坂口さんが語って初めて知ったのですが、この日が東京千秋楽だったのですね。

この作品は1ヶ月ほど前に大阪公演も発表されましたが、それまではこの日が大楽だったわけで、満員御礼もむべなるかなと。
ちなみに大阪公演が行われるのは森ノ宮ピロティホール。後説で多田さんが語っていわく「ホール名は可愛いんですけど、客席数が暴力的」だそうです(笑)。興味がある方はぜひ。

「雨と夢のあとに」は明日が東京千秋楽の作品感想→こちらで、ヒロインの雨の5年後を描いたのが今回の新作「ずっと二人で歩いてきた」。

雨は大学入学(ちなみに早稲田なのは成井さんの趣味か)と同時に上京し一人暮らしを始める。演じるはこの作品初めてキャラメルボックスの団員が雨を務めることになった原田樹里ちゃん。そして、そこにいるのは5年前と似ても似つかない(笑)ほっくん、演じるのは筒井俊作さん。もはや別人(爆)。

そして隣の部屋にいる男性・雅俊は多田直人さんが演じます。大学院1年生の23歳、つまり雨より5つ年上。

最初は正直、雨夢の続編である必要性を感じなかったこの作品。でも雅俊には兄・優作がいて、雨には見えない、雅俊にしか見えない・・・というあたりから、雨夢とリンクし始めます。

えーとここからねたばれという領域に入りますので、回避の方は回れ右してくださいませ




多田さん演じる弟(雅俊)は、亡くなった兄(優作)を頼りにしていて、むしろ年齢いくつですかというぐらいに兄離れ出来ていない。
同じアパートで貧血を起こしていた雅俊を見て、雨は雨だからこそその不自然さに気づくんですね。

「雨と夢のあとに」の設定にあった「亡くなった人がいつまでも生きている人の横にいると、生きる力を吸い取ってしまう」という設定。もしかすると・・・ということから雨は雅俊に過剰なまでにアプローチを試みます。

雨ちゃんのキャラがものすごく突進系ですが、これ、初演の福田麻由子ちゃんがそのまま年齢重ねると、そうなりそうな感じがとてもします(笑)。あのキャンキャンした感じが。もっと言っちゃうと、母親のマリア演じるももこさん(岡田さつきさん)のキャラともかぶる(笑)。そういう意味で、「これはありかも」と思いはしました。

ほっくんがどっかんどっかんネタを放り込んでいくんで、客席は笑いの渦なんですが、自分は正直その辺には少し乗れなくて居住まいが微妙だったのですが(あ、でも雨のクロスチョップは良かったw)、「雨がどうして一人暮らしを始めたか」の核心に入ったあたりから俄然興味深く。

「世界一幸せになれとパパは私に言ったけど、幸せは自分でつかみ取るものだと思う。でもそれをどうすればいいかわからないから、一人で歩いてみたい」と言う雨。

「一人で歩き出したい」と思っていた分だけ、雨は雅俊よりも一歩だけ先を歩いていて。

「ずっと二人で歩いてきた」ってタイトルが色んな形に見えてきて。

一番のメインは雨と朝晴。朝晴はいないけど、雨の心の中にはいつも朝晴がいて、「ずっと二人で歩いてきた」からこそ、「このままじゃいけない」と思ったんですよね、雨は。

もう一つが雅俊と優作。優作が5年前に亡くなってから、「ずっと二人で歩いてきた」。雅俊にはずっと優作がいて、優作を見て歩んできた。

5年間、朝晴がいなくなって平気じゃないのに、それでもみんなに見守られて歩いてきた雨。
5年間、優作がいなくなってもずっと優作に見守られてきて、それでいいと思い込んでいた雅俊。

雨という女の子は強がって周囲を心配させまいとしながら、実は弱い存在・・・というのは確かに今回も受け継がれていて、たとえば(渡邊)安理ちゃんが雨をやったらこういう印象にならないだろうなというか、(原田)樹里ちゃんだから良かったなと。なんかカラッとしてる印象が。

それにしても最後のオチが面白すぎて笑ってしまった。
あの仁王立ち、雨ちゃん、それはキャラが壊れすぎてる(笑)



この日は東京千秋楽ということで役者一言挨拶。

筒井さん「皆さんのおっしゃりたいことは充分分かってます。言わないで下さい!。『何で自分がこの役を?』と一番思っているのはこの僕です!(客席内爆笑)」

樹里ちゃん「『ずっと二人で歩いてきた』の次は、「雨が今度こそちゃんと付き合えるかどうか」の話か「ほっくんの5年間に何があったのか」のどっちかだと思います(客席内爆笑)。その時はまた雨をやりたいです」

の2人が出色。

最後は本当に久しぶりに拝見する締め職人筒井氏のご発声。
「2013サマーツアープレミアム、ウルトラマンフェスティバル・・・(←客席内爆笑)」

(※注:サンシャイン劇場の向かいでは「ウルトラマンフェスティバル」をやっています。ちなみに坂口さんは前日、ウルトラマンに握手して貰って、いたく感激し、しかもその姿勢の良さに感動していた←前説)

もとい、
「2013サマーツアープレミアム、『ずっと二人で歩いてきた』東京千秋楽を祝しまして3本締めで参りたいと思います」との音頭取りで無事幕・・・のはずが、筒井氏がウルトラマンのお面をかぶって光線を発射しようとした決めのシーンでまさかの多田さんと衝突・・・・(笑)

客演の兄役、加治さんから「あんなに練習してたのに」とバラされて満場の笑いを取っていました(笑)

「ずっと二人で~」はもう1回見たかったな・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ジャンヌ』(2)

2013.8.17(Sat.) 12:30~13:40
世田谷文化生活情報センター ワークショップルームB

定員50人限定の、「ジャンヌ」東京公演チケット購入者対象抽選のプレトークイベント。
札幌も豊橋も100人なのに、一番対象者が多い東京が50人。メイン出演者3人が唯一集まる機会ということで、激戦だったようです。

クリエで使わなかった運が残っていたみたいで無事当選。
そして会場前で知り合いとお会いする。最近はいつもの出来事(笑)。

カメラも入っていたので、レポートは上がるとは思います。。

というわけでネタバレ回避の方は回れ右でお願いします・・・・




壇上には5つの椅子。下手側から、司会進行役・今回の「ジャンヌ」のプロデューサー(女性)、演出の鵜山仁さん、ジャンヌ役の笹本玲奈さん、イギリスの貴族・ウォリック役の今井朋彦さん、フランス軍の戦闘指揮官・デュノア役の伊礼彼方さん。
客席は男性:女性は1:4ぐらいでしょうか。

まずは物語の解説から、ということで司会のP氏が振って鵜山さんの独壇場に。

鵜山さん「オルレアンとニューオーリンズはどちらも(敵に)包囲された街で共通しているんですが。そして自分はどっちにも行ったことがあるんですが」
伊礼さん「自慢ですか(客席笑)」
鵜山さん「右から左に川が流れていて(客席笑、舞台上みんな笑)・・・東から西に川が流れていて←訂正w)

という空気でスタートするという。

伊礼さんが後で言ってましたが「こう見えてしゃべりは得意じゃないんです。チャチャ入れるのが得意なんですよ(笑)」だそうで、この日も伊礼氏の突っ込みでずいぶん和やかになっていました。

笹本さん「今井さんと話していたんですけど、稽古場では色んな鵜山さんが見られる。
『鵜山さん』と『ひとしくん』と『スーパーひとしくん』と(客席笑)。今日は『スーパーひとしくん』だね、とか今日は『ブラック鵜山さん』だね、とか(笑)」

・・・玲奈ちゃん飛ばしまくってます。

そんな笹本さんを鵜山さんはどう見ているかから話は広がり。

鵜山さん「とにかくびっくりするぐらい突撃型で驚いた。前へ前へ出てくるので自分初めみんなが引っ張られる。そして色んな声が出せるのがいい」
伊礼さん「彼女(笹本さん)がジャンヌになった理由はよく分かりますね」
笹本さん「自分以外が全部自分を取り囲んでいるとかすごい重くて。特に最後の方になると仲間だったデュノアまで自分を取り囲む方に回るんですよ。『伊礼くん、友達だったじゃん』って(笑)」
伊礼さん「いやだからデュノアだって(笑)」

笹本さん「鵜山さんの話されている言葉はとっても素敵で、お風呂入っているときも寝る直前も鵜山さんの言葉が耳の側で囁くんですよ。(取り囲まれるシーンは)追い詰められますけど、心地好い疲れですね(笑)」

そのシーンの言葉のやりとりとか呼吸が見ていただきたいポイントだとか。

そういえばここの話だったかと思いますが、稽古場でも紅一点な笹本さん。
彼女の動きでみんなが変わるという話に引きずられて。

鵜山さん「ね、親父殺しでしょ(笑)」
伊礼さん「何嬉しそうに言ってるんですか。照れ隠しですかそれ(笑)」

というのが絶妙すぎて笑いました。

そして鵜山さんの伊礼さん評。

鵜山さん「彼は色々な事をはっきりさせようとしますね。分からないことをはっきり分からないと聞くのが印象的」

伊礼さん「だって聞かなきゃ分からないじゃないですか。笹本さんに『色んな声出して』って鵜山さんが頼めば、彼女は忖度して色んな声出すかもしれないですけど、僕は『どういう声が欲しいんですか』って聞いちゃいます。だってわからないまま演じるのは客席にも失礼だし、役者として分かった上で演じないのはもったいないと思うし」

・・・ここは伊礼さんらしいコメントだなぁと思いましたね。

それへの鵜山さんのコメントが「言葉に出来ないものを作っているんだから(説明できなくても)しょうがない」でしたけど(笑)

ちなみに伊礼さんのご自身の役への印象ですが、「役としてずいぶんくせ者だなぁと。役への入り込みで言えばまだよちよち歩きを始めたばかり、あと2週間で何とか仕上げたい」と話されていました。

今井さんは文学座研究生時代からの鵜山さんとの関係性ということでかえって何を言えばいいのか困っている様が面白かったです。
ジャンヌはフランス側の女性なので実質ほとんど絡まないということもあるのでしょうね。小難しい肩書きが自分にはよくつく、とおっしゃっていて、「今回もそういう役ではありますけど、台詞をどう自分の身体から自然に出せるようにできるかが課題かと思っています」とおっしゃっていました。

70分のトークの30分近くは鵜山さんのトークのはずですが、印象的な言葉をいくつか。

「人は死んで初めて人の役に立つ」

「愛は自分のためのものか、相手のためのものかを最近よく考える」

「死ぬと分かっているのになぜ生きるのか」

といった珠玉の言葉がぽんぽん出てくるから耳が離せないんですよね。

それについては、こんな話も。

伊礼さん「稽古の時間中、午後1時から9時までずっと話しているんですよ、鵜山さん(笑)、いつ食事しているんですか」
笹本さん「え、知らないの? いつも12時30分頃に下で買ってきたお寿司とかお弁当食べてますよ」
伊礼さん「いや僕なんかは途中途中(※どうも明確に休憩が入らないらしい←先週の新宿談)目を盗んで食べてます(笑)」

・・・

最後20分は質疑応答。

1問目は自分が質問させていただきました。

「バーナード・ショーは『ジャンヌの行動は計算されてた』と書いてますが、演じるお3方、ジャンヌの笹本さんは『計算を感じて演じていますか』、取り巻くお2人、今井さん、伊礼さんは『計算を感じますか』、そして演出の鵜山さんは『計算を意識して演出されていますか』」

笹本さん「それは私が計算しているかってことですか?(笑)」
伊礼さん「いや『ジャンヌが』計算しているかってことです」

・・・予想通りの展開ですそれ(爆)

この質問について笹本さんからは過分なお褒めをいただいたのですが、「そこまで考えて演じてない、もっと考えて演じなきゃ」とおっしゃっていました。
「計算はしている『自覚』は少なくともない」という感覚、それこそがジャンヌな気がしたのでそういうご返事がいただけて自分は満足です。

今井さん「受け取る側の立場の違いもあって、片面から見れば『ジャンヌは計算してる』という感想になるし、もう一面では『ジャンヌは純粋だ』になるしという点はあるでしょうね」

伊礼さん「バーナード・ショーの立ち位置も関係しているかもしれませんね。それからするとキリスト教に直結する心情というものが自分には身に染み付いているわけではないので、そこの役作りは今の課題でもありますね」

鵜山さんにもお答えいただきましたが、そのお答えを聞いて思ったのは『計算しなかったのが計算』だったのかなと思えたりしました。

3つ目の質問で「たった2年間で亡くなったジャンヌのことをどう思うか」がありまして、笹本さんは「まだ死んでいないので分からないのですが」といいつつ、鵜山さんが引き継いで「ジャンヌが死んでまわりがどう思ったのかが一つのポイント」ともおっしゃっていました。

そういえばこの3つめの質問をされる瞬間、伊礼さんが2つ目の質問を引きずってしまった瞬間があったのですが、その時と、退場される時にいずれともにその方にお詫びをされていてとても好印象でした。

この日も14時から稽古ということで、一言ずつ話して(鵜山さんは一言ではありませんでしたがw)ご退出されました。
プロデューサーさんいわく「エンタテイメント性もある舞台作品となっていますのでぜひおいでください」との言葉があり、公演が楽しみです。・・・えーと、読み直そう原作。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『二都物語』(2)

2013.8.11(Sat.) 12:30~15:40
帝国劇場2階M列(最後列)40番台後半(上手側)

初見から2週間、原作もひとまず流し読みしてここ2週間の変化も含めて観に来ました帝国劇場。

2階席最後列から見下ろすと、赤い色が目立つのはちょっと淋しかったりしますけれど。
B席最後列が2桁近い空きがあるのは久しぶりに見ました。

一度見た時に「次は原作を読んでから見ないともったいない」と思ったのは当たりで、改めて見ると話の進行がとても分かりやすい。

・・・・でネタバレ発動、回れ右よろしゅうです・・・




原作を見てから見て、一番印象的だったのは、ルーシーパパが「私の手紙は悪用されたんだ」と言ったくだり。
初回は分からなかったんですが、なるほどドファルジュ一味が鬼畜過ぎる。

貴族に最も悪意を持った瞬間の手紙を牢獄奥深くに隠し、その手紙が発見され窮地に陥るというのは・・・一度は貴族に怨みを持った事実があるだけに、反論は難しいところですね。改心して市長にまでなったバルジャンが仮出獄許可証当時の話をいつまでもほじくり返されるようなものか・・・

今回見て印象的だったのが、とある2人の人物の類似性。

1人は、岡さん演じるサン・テヴレモンド侯爵。
もう1人は、濱田さん演じるマダム・ド・ファルジュ。

この2人の共通点というのが「終わりがない」ということ。

侯爵はスパイを配し手当たり次第、無実の人をも牢獄に叩き込み、名ばかりの裁判の後に葬っていく。
マダムは愛する家族を皆殺しにされた怨みから、テヴレモンド一族を根絶やしにしようとする。

この2者の間には何一つの妥協もなく、何一つの共感もないはずなのに、本質的には何の違いもないように思うのですね。
どちらから仕掛けたかという問題はあるにせよ(=テヴレモンド側から)。

その両者ともに、「何かが壊れている」ことを感じて。

侯爵の過剰なほどの振る舞いは、自分の立場に対する危機を常に感じているから、というか放っておくと自分が反撃されるから、という小心者感を感じます。岡さんの演じるこの手の役=といっても浮かぶのは「ルドルフ・ザ・ラストキス」(初演)のターフェ首相が一番印象強いです=は、なぜだか他者に対しての過剰な警戒というか、「実は内心びびっている」感じが見えて、実は結構好きな役作りだったりします。

翻ってマダムは自分の愛する家族を皆殺しにされて、復讐の念でしか自分を支えられないという、別のベクトルではあると思うのですが、「最後っていつだ」と夫に聞かれて答えられない。「それが分かるぐらいならこんなに苦しまない」というのが本音なのでしょう。

そして、サン・テヴレモンド侯爵には甥にあたるチャールズ・ダーニー(改名後)がいて、マダム・ド・ファルジュにはド・ファルジュがいる。前者は喧嘩別れ、後者は最後まで寄り添うという違いはあれ、それぞれの相手に対して反旗を翻していることが共通していて。

前者は喧嘩別れ故にその反旗(ある意味軌道修正のチャンス)が実らなかった故の最期、後者は最期まで寄り添う故に愛する妻を永遠の生き地獄から解放したとも言えるのかなと思えたりしました。

この物語において「本当の”悪”は何なのか」は実は「貴族」ではないように思えているんですね。

ちょうど前日に「ジャンヌ」の事前講座を聴いて、そのまま夜に「ウィキッド」を見ているものですから、「表面的な”悪”は小物な悪だ」という思いが消えなくて。

この3作品、「『民衆』なり『とりまく人々』がよってたかって特定の”悪”に対して責め立てる」という点で共通するコアを持つように思うのですが、思うに、「他者を『悪』とすることで自分を安全な位置に置く」ことが実は何より悪なのではないかと。それが絶対的に悪いという意味ではなくて、その『自覚』は持つべきなのではないかと、そう思えて。

この「二都物語」で言えば、皆が『何か』に乗っかろうとしているように思えるんですね。一つは”貴族の権威”であり、もう一つは”民衆の怨念”であり、言葉は悪いですがそこに”ただ乗り”しようとする「無自覚」は「罪」なのかなと思えて。

ド・ファルジュが皆を止めることに、実はいつも腑に落ちるものを感じていたのは、なんか「民衆」というものに対するもやもやした気持ちだったように思えます。

始まりはピュアでも、それを利用しようとする悪意はどこにでも存在するのでしょうから。

「マリー・アントワネット」のマルグリットにそれを感じたなぁ・・・



話は変わって、シドニー・カートンの存在感について、この日感じたことを。

シドニーは弁護士という上流階級にあって、庶民の居酒屋にも出入りするフレキシブルさ。

それを見ていて思ったのは、「彼は誰に対してもフラット」ということ。
同僚に対してさえ、ペテン師に対してさえ。
彼にとって「特定の誰か」を意味する人というのはいなかったんじゃないかと思わされて。

その殻を打ち破ったのがルーシー。シドニーにとっては「自分を-他の誰でもない-自分として認識してくれた初めての存在」だったのではないかと。

最後のシーンの直前、ロリーから「あなたを誤解していたかもしれない」と言われ、「いやあなたは正しかった」とシドニーが答えることが印象的で。

ロリーが最初に出会ったシドニーは「誰も信じず、誰も頼らない孤独な人」だったけれども、ロリーが別れるときのシドニーは「誰かのために生きることを知った人」だったわけで、シドニーにとっては「自分が変わった」ということなのだろうなと。



重いシーンが続くこの作品にあって、ひとときの安らぎがシドニーがリトルルーシーの尻に敷かれる場面(爆)。
リトルルーシーがおちゃめにおしゃまに、日替わりネタを出すんですが、シドニーがしっかりそれに乗っかる(笑)。
この日も、ベッドの上で両手広げて酔っぱらいのカートンの真似をしてて、それを受けてシドニー、「僕の物真似はやめてくれ」(笑)

リトルルーシーの寝かせ役がシドニーで、「これだけろくなニュースがない」(直前の居間の会話)の中で、リトルルーシーがシドニーのお話しを楽しみにしているということは、きっと明るい話をユーモア混ぜてやっているんだろうなと思うと、そしてシドニーが昼間「今日は何を話そうか」うんうん唸っているであろうことを想像したりするとちょっと面白い(笑)

さっきのシドニーの「彼は誰に対してもフラット」というのはリトルルーシーに対しても「一人の人間」として対しているのが印象的で。リトルルーシーがシドニーにそこまで懐いているのは、自分を子ども扱いしないことについてじゃないかなと思えたりします。リトルルーシーにとっては間違いなく初恋の相手ですよね、シドニーは。



土曜日の「ジャンヌ」事前講座でもご一緒したフォロワーさんと話していて気づいた言葉に「揺れる」という言葉があって。

「ジャンヌ」の講座で鵜山さんが「男は(この歳になっても)揺れている」とおっしゃっていたのですが、前週の札幌で伊礼さんと話されたときに「出来上がっているものをそのままなぞってもやる意味がない。お互い(演出家なり演者なり)が影響し合いながら芝居を作り上げていくことに意味がある」という趣旨のことをおっしゃっていて。

その観点から見ると、シドニー・カートンは最初は「自分の人生の生き甲斐がわからずに『揺れていた』」存在だったと思うのです。それが、初めて「自分を自分として認識してくれた」ルーシーに自分の気持ちを『揺らされ』、そのルーシーが愛するチャールズが危機に陥った時に、自分が何をすべきか、自分の人生の意味に気づいて。
自分の人生の意味に気づいたからこそ、どんな障害にも『揺るがず』最後を「前を向いて」迎えられたのかなと。

シドニーはラストシーンで、お針子さんと出会う、そのシーンは感動的ですが、そこでお針子さんはエヴレモンドに語りかけるわけですが、そこに思いも掛けぬ人を認めるわけです。(ここ、最初に見た時から台詞が減っていて凄く良かった。最初の時は正直ちょっと過剰に説明しすぎだと思ってたので。)

・・・エヴレモンドの死は、残された人にしてみればある人は納得するだろうし、ある人は憤慨するだろうし。
・・・お針子の死は、残された人にしてみればある人は納得するだろうし、ある人は憤慨するだろうし。

それが納得のいくものなのか、そうでないのかによって、それらの「死」はその時点で生きている人の感情をどう「揺らす」かに影響するのでは、と思わされたのでした。

同じ年代の作品ということもあり、このあたりの話は「ジャンヌ」とも密接にリンクすることもあるので、また「ジャンヌ」を見た後に考えてみたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ウィキッド』(1)

2013.8.10(Sat.)17:30~20:35
電通四季劇場・海 2階9列センターブロック

1週間で2度目の四季観劇。

しかも「リトルマーメイド」→「ウィキッド」という人気作品をはしごできる幸運。
こちらは四季の会会員のフォロワーさんにお願いさせていただき、2階後方とはいえ、どセンターで堪能しました。

人気者の”良い魔女”グリンダと、内気な損な性格の”悪い魔女”エルファバの物語。

1幕ラストの「Defying Gravity」は既に本キャスト以外で3人も聞いているのですが、CDで聞いていた「グリンダ、一緒にきてくれないの?」の意味をようやく知りました(笑)。CDで聞いていたこの声は、今はマダム・ド・ファルジュ(@二都物語)ですね・・・

反目し合っていた2人が理解し合うきっかけになる、エルファバのトレードマークになる長帽子。見ていた時になんであそこまで打ち解けるのかと思ったら、エルファバが「誰かから最初に貰ったプレゼント」があの長帽子なのですね(パンフレット参照)。

・・・えーと、ねたばれ行きますね




パンフレットのあらすじを開演前にざらーっと流し読み。「オズの魔法使い」を真面目に読んだことのない自分なので、どこがスピンオフと言われると分からなかったりするんですが、ひとまず「白」と「緑」の区別だけ意識することにして観劇突入。

グリンダの”頭の中に花が咲いているかのようなバカっぽさ”がたまらない(笑)。キャラ的にはやっぱり白じゃないかなR嬢・・・。手を挙げて嫌なヤツ(=緑の人)と相部屋になっちゃうあたりとか、あの辺のテンポが良くて気楽に見ていられます。

翻ってエルファバを見てると、ただひたすらに「正しい」人だなと。グリンダが余りに地に足が付いていないことに比べると、全編通してどんな相手に対しても「正しい」人。だからこそ疎まれ避けられ、更になまじ強い魔力を持っていただけに利用されそうになり逃げ出す・・・

どちらが魅力的かというと2幕ほとんど最後直前まで自分はエルファバ派かな。
エルファバに成長させられてからのグリンダはプリンセスに相応しい魅力だと思う。

ただ、エルファバが気の毒なのは、「正しいことが正しいとは限らない」というところなんですよね(S嬢に通じるものがある気がする)。「正しければ誰が何を言おうと気にしない」というスタンスは、本当に勇気がないとできないよな、と思う。でも損するというのも分かるし、自分を受け入れてくれないことに納得がいかないのも分かる。

1幕最後で、グリンダとエルファバの道は分かれて、グリンダは「現実」の道を行って、エルファバは「理想」の道を行く。
この作品を観ていて思ったのですが、この2人の道は決して交わらないかというとそうじゃなくて。

グリンダが「現実」の道を進みながら「理想」を取り込もうとして。
エルファバが「理想」の道を進みながら「現実」を取り込もうとして。

そうすれば2人はどこかで出会える。出会った時に「現実が100%」なことも「理想が100%」なことも、不十分であったことを知るのだろうなって。

印象的だったのはほとんど正しかったエルファバが最後だけ間違っていて。

「自分とフィエロのことを、グリンダには知っていて欲しい」

これをフィエロは止めるんですが、これはエルファバが間違っているよなと。
知っていて何になるんだと、グリンダが責任を感じるだけじゃないかと思ったので、エルファバが間違ったときに、止めるフィエロがいることが嬉しかった。

前半のグリンダはお世辞にも共感できるキャラクターじゃなかったな。

エルファバに花を付けてあげているのを、フィエロが「グリンダみたいだな」って言ってて、エルファバは何かを分かったようにその花を外すんですが、グリンダがエルファバに花を付けたのが、なんだか「同じ土俵なら自分が上」と無意識にやっているような気がして、なんかちょっと「うーん」と感じるところがあった。
周囲のみんなに囃し立てられている時のグリンダより、エルファバと分かり合えてからのグリンダの方が”生身の人間”というか、ハートを感じて好き。

「悪い魔女」と擬されるエルファバですが、ポジションとしていかにもスケープゴートで、分かりやすい悪役に仕立て上げられていますが、「本当の悪は表に出ないもの」であって、エルファバの本当の気持ちを分かっている人がその時々で助けてくれて。エルファバが持ってた魔法呪文の本を、エルファバが居なくなった後に以前助けた猿さんがグリンダに渡すところにはじーんときた。

「良い魔女」と「悪い魔女」の分け方自体にそもそもに違和感を感じずにいられないわけですが、何しろ「悪い魔女」に仕立て上げれば、本当の「悪」は隠れていられる

そしてその「悪」というのはもしかすると他者を「悪い魔女」に仕立て上げれば”自分を守れる”と考える、周囲の人々全てなのかなと。
周囲からよってたかって「悪い」と罵られるほど、エルファバが悪くなんてなかったということは、グリンダや、エルファバに救われた動物たちが知っていて。

「清濁併せ呑む」とは良く言いますが、グリンダはエルファバを見送って、エルファバの持っていたものも「責任」として負ったからこそ、とても魅力的に見えるのかと自分には思えて。
エルファバの魂は確かにグリンダが持っていて。

最後の最後、とある2人に対する”決断”が「今までのグリンダ」”らしくなくて”、感動させられたのでした。

音楽も物語も素敵な作品で、しかもそれを2作連続。たまにはこういう機会もいいなぁと思わされたのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ジャンヌ』(1)

2013.8.10(Sat.) 13:30~15:10
朝日カルチャーセンター7階セミナールーム

世田谷パブリックシアター9月公演「ジャンヌ~ノーベル賞作家が暴く聖女ジャンヌ・ダルクの真実~」の事前講座『生きている「ジャンヌ」を』に行ってきました。

登壇されたのは、上手側から鵜山仁氏(演出)、笹本玲奈さん(主演:ジャンヌ役)、小田島雄志氏(翻訳)のお3方。

当初予定の90分は、前半45分が小田島先生による講義、その後25分がお3方の対談形式のトーク、最後20分が客席からの質疑応答、という構成でした。

小田島先生の講義にあたっては事前にA4が1枚のレジュメが配られ、それに沿って進行する構成。
そこも含めて、レポ形式で書いていきます。
とはいえ、ネタバレが気になる方は回れ右です!




◇作者について
今回の作品の戯曲の原作「聖女ジョウン」(1923年)を書いたバーナード・ショーはアイルランドの首都・ダブリンの生まれ。「アイルランドとイギリスは敵、イギリスとフランスは敵、という時代背景なのでショーの作品はイギリスよりフランスで先に受け入れられた」という説明があり、なるほど納得。なにしろ「ジャンヌ・ダルク」自身がフランスでは英雄ですが、イギリスでは憎き敵なわけですからね。

なお、バーナード・ショーは1925年にこの「聖女ジョウン」でノーベル文学賞を受賞しています。
ですから舞台版のサブタイトル「ノーベル賞作家が暴く」のは、実は時系列が逆で、「暴いたからこそのノーベル賞」だったのでした。

◇ジャンヌの美人性
小田島先生のレジュメで一番面白かったのは、序論(白水社版にはなく、福田氏訳にのみある)の抜粋であるところの「ジャンヌを美人と評しているような書物は、それだけで即座に作り話と断定してよい」のくだり。

これ、先週鵜山氏と伊礼さんが札幌で対談された際に質疑応答で出ていた問いで、「ジャンヌは美人とはされていないけれど、可愛い玲奈ちゃんが演じることに何か意識するところはあるか」の一環で、最後の質疑応答で自分も触れさせていただいたのですが・・・

鵜山さんは先週札幌でジャンヌのことを「男とも女ともつかない存在」と触れられ、ジャンヌの味方側で近い立場になる指揮官・デュノア役の伊礼さんが「触れてはいけない存在、でもこの人がいることで自分は頑張れるという存在」と触れていたこととの整理をしたくてお聞きしたのですが、この日の講義本編の中でもその欠片は数カ所にちりばめられていて。

「ジャンヌが美人だから男が集まったわけでもなく、女性だから男が集まったわけでもなく、ジャンヌは男たちを動かすものを持っていたのだろう」というのが、回り巡った自分の見解です。

ところで、ジャンヌの存在について笹本さんが実に興味深いことを話していて、「確かに勇敢で強い女性だけど、戦いに行く前に怯えるような可愛いところもある。まだそういった可愛い面の本質を、演じる上で掴みきってはいないけど、そういう可愛いところは演じる前は知らなかった部分」と。

舞台上で笹本さんは紅一点ということがあり、それがジャンヌの存在感とシンクロしていて良い、とは鵜山さん談。
笹本さんの動きで周囲が変わっていく、そこは毎日稽古していていつも感じることだけど、既に2回軽く最初から最後まで通して、とてもいい感じとおっしゃっていました。

そういえば、鵜山さんに「笹本さんの良いところ」という質問がされていましたが「声」を挙げられていました。
低い声から高い声、怖い声から優しい声、そんな(感情が入っていることが前提ですが、の補足付きで)声だけでいい、とおっしゃっていたのが印象的で、しきりに笹本さんは恐縮されていました。

◇ジャンヌと笹本さんの共通点
この質問、実は今年のガブローシュ役、松井月杜くんから発せられた質問でした(この日も最前列にお母さまといらっしゃいました)。ひとしきり考えた後「頑固!」と宣言した笹本さん。きっとその通りです。

その後のトークの膨らませで、小田島先生が「エポニーヌ役もある意味『頑固』だよね」と評した言葉を、「『頑固』というより『一途』ですね」ときちんと訂正できていたあたり、やっぱり「頑固」なんだなと(笑)。

鵜山さんからは「ピーターパンとジャンヌは似ているよね」という発言が。「大人になんてなりたくない、大人になんてなれないといったところが似てるね」という言葉に、玲奈ちゃん含め会場一同「へぇーーー」と。

確かにそうなんですよね。ジャンヌは3年間フランスを率いて、最後は火あぶりに処せられますが、19歳で亡くなったことはある意味その面があるのかもしれないと。というのはジャンヌの周囲の人たちは実は全員が全員ジャンヌの処刑を望んでいたわけではなくて、処刑を回避しようとした男も複数いた。実は終身禁固刑と火あぶりどちらかを選ぶか、最後は選択肢があったそうなのですね。

「だから最後は自分の意思で死を選んでいる」鵜山さん談。

ジャンヌといえばキリスト教、プロテスタントと切り離せませんが、ここについて小田島先生から笹本さんに「宗教との関わりは」との質問があり、笹本さんいわく「小学校から高校までカトリック系の学校にいたので、聖書とか賛美歌とは常に隣り合っていました」とのお答え。

「キリスト教の世界だと『死後の世界』というものがあるわけなので、ジャンヌにとっても「死を選んだ=先に進むものがはっきり見えたのではないか」という会話を笹本さんと鵜山さんがしていたのが印象的でした。

このやりとりを聞いていて自分なりに感じたことですが、ジャンヌは最後は自分の先行きが見えなかったのではないかなと思えて。3年間自軍を率いて、英雄と擬せられてきたけれども、先は見えない。

鵜山さんがこの日いみじくも取り上げられた「大人になるとは、後ろめたいことをすることだ」との言葉は、実に年齢を重ねると味わい深いもので(ちなみに客席に「皆さま思い当たる節はあるかと思いますが」と振って会場内笑・・・でした)、ジャンヌは後ろめたいことを出来ない少女だったのかなと。

笹本さんの言葉を借りると「ただ純粋な少女で、読み書きも出来ない少女」なジャンヌの行き詰まり。
鵜山さんの言葉を借りると「理想だけでは生きていけないことがある。行き詰まったときにどうするか」それに対する答えなのかなと思えて。

ジャンヌの最期は、それそのものだけを描くわけではなく、周囲の男性の存在もまたはっきりと明らかにする、という小田島先生、鵜山さんの言ですが、それ故に小田島先生が序文の抜粋として触れている「最初のプロテスタント殉教者」だからこそ、ジャンヌはここまで聖人として語り継がれることになったのかと。

ちなみにこれについては笹本さんが爆弾を投下されまして・・・

笹本さん「死なないと有名になれないと思ったんですかね」(会場内爆笑)

鵜山さん「(たじろいで)そういう思いがなかったというわけではないだろうけど、きっかけではないだろうなと。ジャンヌの死は周囲の残された人間に大きな影響を与えたことからして、ただ死ぬだけではないものをジャンヌは自分なりに捉えたのかもしれないと。誰かのために死ぬことは、ただ死ぬよりも意味があることなのかなと

・・・最後のくだりは二都物語のシドニーにも通じるものがあるな、と思いながら聞いていました。

◇演出家マジック
質疑応答で「鵜山さんの演出で面白いところと怖いところはありますか」との問いに鵜山さん撃沈
笹本さんがお答えになったのですが、「面白いところと怖いところは紙一重」とのこと。

某シーンで『ここは笹本玲奈の見せ場だから』って言われて困っちゃいました(笑)とのこと。

なんか喩えが相変わらずすごいらしく、伊礼さん(←現時点でも笹本さんからの呼び名はこちらです)に『高校の文化祭に来た野球だっけ、サッカーだっけの部活の人みたいに』って言われてみんなわからなかった(笑)

ちなみに『高校の文化祭に来た体育会系の人』というのが原文で、それからキャスト陣の間で「野球とサッカーはどう違うんだろう」という議論百出になったらしいんですが、笹本さん、最初からオチまで一気にネタばらしでした(笑)

◇生きている
この日の講座タイトルに入っている「生きている」は小田島先生が付けられたそうなのですが、話を聞いていてとても深いタイトルだなと。原作を読んだとき、ジャンヌの死後についても触れられていてとても好きなパートだったのですが、この日改めて「生きている」と付いている意味を感じさせられて、とても意義深いひとときでした。

先日の時にはまだ役が入ってなかった感じがしましたが、さすがに稽古が入り始めてくるとここまで変わるんだな、ということが感じられたことで、公演がますます楽しみになりました。順調さが窺えて何よりでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『雨と夢のあとに』

2013.8.9(Fri.) 19:00~20:55
サンシャイン劇場 1階20列1桁番台(下手側)

演劇集団キャラメルボックス、7年ぶりの再演になる「雨と夢のあとに」。
この作品との出会いは、キャラメルボックスの演出・成井さん、真柴さんがドラマの脚本を書いた2005年。

テレビ版ではヒロインの雨を黒川智花ちゃん、父親の朝晴(ともはる)を、今や堂上総合病院の院長の座を虎視眈々と狙う(爆)、エロ男爵卒業直後の沢村一樹さんが演じていました。この大好きな作品に出会ったきっかけは、そういや第3話に雨の偽母親役として高橋由美子さんが出るからだったんだよなぁ、懐かしい。

その翌年には舞台版としてキャラメルボックスで上演。この時の雨役は当時小学校6年生だった福田麻由子ちゃん。この方の演技はもう衝撃でした。回数を重ねるごとにどんどん進化していく様が凄くて、振り返ってみるとこの時4回も見ていました。普段はキャラメルボックス作品はリピートしないんですが、多分4回って最多だな。
父親役の岡田達也氏との相性と、そしてキーパーソンとなる暁子役の岡内美喜子さんとの関係性も大好きでした。

そしてそれから7年。大好きな作品の再演は、メイン2人をがらりと代えて、雨は吉田里琴(りこ)ちゃん、そして朝陽は大内厚雄さん。暁子役は変わらず岡内美喜子さん。

・・・ネタバレも含みますので以下ご覧の際にはご注意くださいね・・・

・・・

・・・

芝居を見続けて長くなると、「お気に入りの作品の再演」というのは、宿命のようにやってきます。そしてよほどの当たり役でない限り、キャストの変化は避けられません。ゆえに、好きであればあるほど次のキャストは気になるわけで。

今回の雨役、里琴ちゃん、悪くはないんです。決して。
ピュアな佇まいで、父親大好き、その軸は崩していないのですが、7年経っても初演の福田麻由子ちゃんの印象はいまだに消えてなくて。簡単に印象を言ってしまうと、綺麗すぎてガツンと来ない、というところが物足りないかな。

初演の麻由子ちゃんの雨はガンガンに攻めまくるキャラクターで、とにかくアクが強くて強くて、でもそれが全く嫌な印象にならないという稀有な役作りで。最初見た時はテレビ版の智花ちゃんとの余りの違いにしっくり来てなかったんですが、見続ける度にいきいきしてきた麻由子ちゃんの雨にどんどん惹き込まれていって。

それはきっと年齢設定のせいもあるんだと思うんです。

もともと、雨の年齢設定は中学2年生。それが、舞台版では麻由子ちゃんの実年齢に合わせて小学6年生の設定になっていたのですが、何しろ彼女はこまっしゃくれているところに関しては右に出るものはいない人でしたから(笑)それ故に朝晴に、そして客席に飛び込んでくるパワーが並大抵じゃない+「小学生がここまでできるのか!」という驚きが間違いなくあって。

テレビ版の智花ちゃんは当時16歳(高校2年生)で、役柄的には少し上。舞台初演版で麻由子ちゃんが当時12歳(小学6年生)で、今回の舞台再演版の里琴ちゃんが13歳(中学2年生)。

そしてこの作品のスピンオフとして「5年後の雨」をテーマにサンシャイン劇場で同時上演されているのが「ずっと二人で歩いてきた」。この作品群でキャラメルボックス団員初の雨を演じるのが原田樹里さんで、役柄設定は18歳(大学1年生)。

そうなると、「雨」という役を「高校生」「小学生」「中学生」「大学生」と4回見ることになるのですね。

その年代別の位置付けを見てみると、

小学生版(麻由子ちゃん)・・・大人のような子ども
中学生版(里琴ちゃん)・・・・・子どものような大人
高校生版(智花ちゃん)・・・・・大人のような大人

って印象。(大学生版は未見)

麻由子ちゃんと里琴ちゃんの違いを見いだすとするなら、”麻由子ちゃんの雨”には「迷い」がなかった。
でも、里琴ちゃんの雨には「迷い」を感じた。

これ、2つの側面を感じたのですが、まず一つのポイントとしては「2歳年齢が違う」ということ。
小学6年生、ある意味怖い物なしに走っている年代と、中学2年生、これからが不安になりだす年代との違い。

それは女優として、2歳の年齢差がリアルにそれを表現していた面が一面。
単純に言って、女優として小学6年生の女優さんより、中学2年生の女優さんの方がより心配事が多いように感じて。
だから麻由子ちゃんでさえ中学2年生で雨を演じたら、多分小学6年生の時と違った印象を受けたのではと想像したりします。

でもう一面。
この作品は、”雨が朝晴をどう見送るか”がテーマなわけですが、「小学6年生の雨が置いて行かれる」ことと「中学2年生の雨が置いて行かれる」ことにはずいぶん印象の違いがあって。

麻由子ちゃんの雨は小学6年生の雨だからこそ、「大丈夫」と言えた。「大丈夫」といったことの重大さは、もしかすると本当の意味で知るのは後なのかもしれないなと。

反面、里琴ちゃんの雨は中学2年生の雨だからこそ、「大丈夫」ということの重さを分かりかけてる。自分が置いて行かれることが、小学6年生の雨よりも、よりリアルに感じているように思えて。普通で考えれば、中学2年生で置いて行かれるより小学6年生で置いて行かれる方が、端から見ると心配に感じそうですが、逆に感じたのは、「麻由子ちゃんが一人で生きて行けそうなキャラクターだから(笑)」だけじゃないものがありそうだなって。

もう一点、テレビ版の智花ちゃんの雨は高校2年生の雨だからこそ、「大丈夫」には「覚悟」を感じた。自分で生きていくことも重大さは分かっていて、それでも父を見送る健気さが好きで。

だからそれぞれの雨ちゃんの魅力は

小学生版(麻由子ちゃん)・・・無邪気な佇まい
中学生版(里琴ちゃん)・・・・・不安そうな気持ち
高校生版(智花ちゃん)・・・・・覚悟の重さ

なのかなと思う。

・・・

他キャストについてもいくつか。

出色なのが再演で早川役の岡田達也氏。初演では雨の父親役で、麻由子ちゃんと抜群の相性を見せていて、正直あれだけのものを見せたおかたつ氏が、再演で何を見せるんだろうと、期待半分不安半分だったのですが、すんごく良いです。
あのアウトローっぽさがたまらない(笑)奥様役の楠見さんとの相性がgood。

「前科者でないことだけが誇りだったのに」

って台詞には腹抱えて笑っちゃいました(爆)

雨を取り巻く2人の女性。

雨のいい相談相手となる、実は○○な方、暁子役は岡内美喜子さん。
雨の実は○な、マリア役は岡田さつきさん。

このお2人ががっちりと固めているから強い強い。

2人とも続投組ですが、暁子さん、”デスラー総統(三浦剛さん演じた高柴)を片手で持ち上げる女”と初演で言われていましたが、良い意味でリミッターが外れていて怖すぎます・・・

結局なんだかんだ言っても好きな作品が観られて良かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「木村花代15周年コンサート・8月7日は花代の日」

2013.8.7(Wed.) 19:30~21:40
六本木・STB139 センターブロック中盤

木村花代さん15周年コンサート、ゲストが笹本玲奈さんということで行ってきました六本木STB139。
ライブハウスとして超有名なここで、花代さん自身もここでライブをするのが夢だったとか。

300人収容のライブハウスが当日券もないほどびっしり。
玲奈さん方面で見かけるお知り合いも両手じゃ収まらないぐらいいらして(笑)びっくり。

このライブハウスで来年1月、東京ヴァイオリン(*)がワンマンライブやるんですよね。大丈夫なんだろか。

(*)新妻さんのライブのバックバンドのヴァイオリン・コーラス担当の水谷美月さんがメンバーな女性ヴァイオリニストグループです。

さてセットリストからですが、知人の力をお借りしました。いつもありがとうございます。

<Act-1>
1.I Got Rhythm/Crazy for you
2.Embraceable You/Crazy for you
3.お洒落は私の切り札/アイーダ
4.Part of your world/The little mermaid
5.Think of me/オペラ座の怪人
6.Nessun dorma/トゥーランドット
7.ポピュラー(関西弁バージョン)/ウィキッド

<Act-2>
1.Miss Saigon Medley(Instromental)
2.Wedding/ミス・サイゴン
3.I Still Believe/ミス・サイゴン
(エレン:木村花代、キム:笹本玲奈)
4.May be/ミス・サイゴン
5.On My Own/レ・ミゼラブル
 (エポニーヌ:笹本玲奈)
6.私だけに/エリザベート
7.ラストダンスは私に/越路吹雪
8.Time To Say goodbye

<Encole>
1.しあわせのカケラ
 (作詞作曲:新妻由佳子)
2.For Good/ウィキッド
 (グリンダ:木村花代、エルファバ:笹本玲奈)

1幕は花代さんエンジン全開モード。

M1では踊りまくって(花代さんは元々ダンサーで四季に入ったそうです)息を切らせて(←本人がネタにして)いましたが、あれだけ踊れるのは凄いです。
この日のゲスト、玲奈ちゃんもダンスの名手なわけで、準備期間さえあれば、ぜひ2人で踊りまくって欲しかったです。それにしてもドレス姿じゃない花代さんは新鮮。・・・と思っていたら「ドレスが無駄に似合う」と自虐ネタに走っていましたが(笑)

M4はなぜだかここ1ヶ月で3人の人魚姫を聞いているわけですが、その役を演じたことのない方と、演じていてもどうしても現在の所属劇団の枠からはみ出せない方と、所属劇団の枠関係なく歌える方と、どの方が一番光って聞こえるかというと・・・結果は見えていますね・・・。

M5が圧巻過ぎて絶句。もはやライブハウスの歌唱ではない声量と、微に亘り細に亘り張り巡らされた、繊細かつ大胆な歌声に惹き込まれます。伝説のクリスティーヌが見られて既にお腹いっぱい気味。というかここまで凄いものが最初に来ると、ゲスト枠大丈夫だろうかと本気で心配してしまったり。

花代さんの歌い手としての場を拝聴するのはこの日が初めてだったので、その凄さに圧倒されて一幕は終わりました。

幕間にお知り合いと話したのですが、この1幕の空気に対してどうやって玲奈ちゃんが絡めるのかが想像できなくて、むしろこれなら某歌姫さん連れてきてガチンコ対決見てみたいという議論が(爆)

と、心配して始まった2幕でしたが、どうしてどうしてとっても素敵なひとときに。

サイゴンのインストロメンタルメドレーに浸った後、リアルキム&エレンな「I Still Believe」。
この曲が始まったときに印象深かったことを。

1幕のエンジンフルスロットルそのままに、花代エレンが上からキムをがつんと抑えに行く様に、玲奈キムは最初押されていたように見えたのですが。でも歌っていくにつれて身体に染み付いたキムの本能が反撃に転じ・・・

「このままじゃエレンに負ける!そんなの許せない!」

というオーラが全身から発せられてきて鳥肌立ちまくり。

花代さんの本気ぶりにミュージカルプリンセスの血がたぎった瞬間を見られたのが、この日一番の収穫。

ここのところストレート舞台「ジャンヌ」の稽古で、「歌」とは離れていた玲奈ちゃん。

だからこそ、このタイミングで、オフでも心通じ合っている花代さんと正面からぶつかれる機会があったこと。
そして玲奈ちゃんの心にふたたび光が、より濃く宿ったであろうことがとても嬉しくて。

この曲はクリスを取り合うライバル関係の曲で、そして直後の「May be」もキムが不在の中で叩きつけられるように歌われる歌だし、そもそもその直前は「がーっと言って、だーっと行っちゃうだけですもんね」(←玲奈ちゃん発言ほぼそのままw)という・・・

とかいう、2人のトークは本当に仲良しそのもので、聞いているこちらも微笑ましくなってしまいます。
主として「ミス・サイゴン」中の2人行動話が中心でしたが、

花代さん「温泉、ボーリングの繰り返しだったよね」
玲奈ちゃん「ちゃんと公演もやってましたよ(笑)」

花代さん「そういえば広島だっけ、玲奈ちゃんが夜の階段で一人宝塚始めたよね」
玲奈ちゃん「仙台ですね。『あーいーそれはー』と(一人ベルバラをここでも始める)
花代さん「(そんな玲奈ちゃんの暴走をその夜同様に生温かく見守る)

・・・がツボに入りまくりました(笑)

花代さん「去年も8月7日は一緒にいたんだよ」
玲奈ちゃん「え、そうでしたっけ。サイゴン中ですよね。そうでしたっけ・・・」
花代さん「玲奈ちゃん結構覚えてないよね(笑)。千葉マリン行った日だよ」
玲奈ちゃん「あ、あの日ですか!事前にルールブック買って勉強したんですけど」
花代さん「(ルールを)覚えてなかったよね(笑)飲み物やら食べ物やら買いに行って」
玲奈ちゃん「なんか色々買いに行ってました(笑)」

・・・

そして、この日の白眉はラストに控えていました。
玲奈ちゃんの出番はもう終わったと思っていたその時、花代さんが玲奈ちゃんを呼んで・・・

花代さん「今回のテーマは『夢を叶える』ということで、玲奈ちゃんの夢も叶えて貰おうと」
玲奈ちゃん「はい」
花代さん「『ウィキッド』でどっち歌いたい?って聞いたら玲奈ちゃん、『緑の方』って(会場内笑)」

というわけで、「ウィキッド」は花代グリンダ&玲奈エルファバという、夢なんだか現なんだか分からないほどすんばらしいものを聞かせていただきました。

まさかの「ウィキッド」予習となったという(笑)(←今週末に観劇予定)

アンコールのラストは噂に聞いていた、新妻さんのお姉さま作詞作曲の「しあわせのカケラ」。
この日発売のCDのタイトルにもなっていますが、お姉さまらしい曲だなぁと、なるほど花代さんにフィットする理由が分かる気がしました。

花代さんの素敵さも十分に感じられて、玲奈ちゃんの素敵さも再認識できて、その2つは”お互いがいたから”増幅されたこともあって、とっても素敵な”ゲスト出演”だったことに感謝。ある意味「奇跡」を見たかのような夜でした。

それにしても花代さんの15周年の輝き、過去の自身に誇りを持って、そして「まだスタートラインに立ったところ」という姿勢で未来を見つめる様が眩しくて、とっても羨ましくて。沢山の人が「この人のためなら」と思ってくれることが一番の財産なんだろうな、この世界。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『リトルマーメイド』(1)

2013.8.4(Sun.) 13:00~15:35
四季劇場・夏(大井町)2階8列1桁番台(下手側)

自分の観劇経験20年にして、初めての劇団四季観劇。

今までも惹かれる作品がなかったわけではなかったのですが、なぜか自分の中で踏ん切りが付かなくて。
この作品はポスターを見たその日から、とても見たくなった作品で(TDSにはめっきり行かない人なので、そっちでやってるのは知らなかった)、大人気作品ながら運良く日曜日公演が取れて、実家から直接、大井町の四季劇場入り。

普段通っている劇場に比べるとカップルの多さはさすがだし、ディズニー作品ということで家族連れがいっぱい。
ま、お陰さまで劇中、がつんがつんと背中から座席蹴りまくられましたけどね・・・

ファミリーミュージカルの宿命と申しますか、「ピーターパン」での記憶がまざまざと蘇り、そういや「アニー」でも似たようなことがあったなぁ・・・とちょっぴり集中できなかったところもありましたが。

作品は期待どおり、とっても素敵でした。

海の王・トリトンの末娘、アリエルが地上の王子・エリックに恋をし、その意思を貫こうとする物語。

えーっと、ネタバレありますご注意を!








2階席ということもあり、上から見下ろすカラフルな衣装、滑らかなフライング(お父様なトリトン王までもがフライングするのはびっくり。ま、当たり前ですがあれハーネスきついんだろうなぁ・・・)、意外にお茶目なサブキャラ(特に音楽の先生のカニさんことセバスチャンが面白い)がいいアクセント。

曲も全体的に「海をたゆたう」という感じの柔らかな曲が多くて、正に海の中に迷い込んだよう(酸素マスク不要)
メインチューンの1つ、「Part Of Your World」はとある理由で初聴でなかったので、なるほど舞台に乗って作品の中ではこう歌われるのね、と納得。脳内でちょっと変換して聞いてみたりして(爆)。

ヒロインのアリエルがとってもチャーミング。最初はただのお転婆で身勝手な”小娘”(魔女談)に見えたけど、自分が欲しいものを求めてただまっすぐに突っ走ったものの、利用されて周囲の仲間や父親を苦しめてしまう・・・

その魔女は深海に住む魔女アースラといい、トリトンの姉にあたり、トリトンによって幽閉されたことを怨み、アリエルの”恋”を利用してトリトンに復讐しようとすると。

「いつも憎悪よりは、愛情の方がはるかに力強いに決っている」

とは、今、帝劇で上演中の「二都物語」の原作(新潮文庫訳)の下巻の一節なのでありますが、この作品もまさにそれそのもので、まさかシンクロするとは(驚)。

ただそうはいっても、それぞれが「利己」と「純粋」に分けられるような気がして。

”利己の愛情”に、”純粋な憎悪”は勝ちそうな気がするけれども、アリエルが見せた「純粋な愛情」に敵うものは、世の中にはないんだな、と思わせてくれる物語。

ヒロインと父親の間の行き違いも、ヒロインに片思いする幼なじみの思いも、良い形で解決して進んでいく。
その点で言えばトリトンとアースラも行き違いではあるんですけど、さすがにそれは解決せんかったか。

鳥さんが歌う歌が良かったなぁ。
一度は他者への心を閉ざして、魔女に利用されたアリエルが、その歌に癒され、励まされて、何度も転びながらも立ち上がるのは感動的。

これぞディズニー作品のヒロイン、というキャラクターは四季以外ではなかなか見られないわけで、羨ましいなぁと思わざるを得ません。

それにしても、「たった1日でお屋敷にまで入ってるなんて甘く見てた」と呟くアースラがなんか面白い。
悪役がコミカルなのは、なんか某社の日曜朝の特撮みたいだよなぁ(その年によりますが)。

今回印象的だったのはアリエルの父親でもあるトリトン王。
アリエルのことを溺愛してて、でも心が通じ合えなくて悩んでいて、娘の気持ちを尊重してはあげたいけど上手く気持ちを表現できない・・・という様がとっても印象的。父親役に感情移入するようになったら歳をとった証拠だろうなぁ、という自覚はせざるを得ません(笑)

今まで食わず嫌いしていた四季作品でしたが、作品として前から好きなものは前からあったので、これから深入りしない程度に見ていきたいなと。
と言ってるそばから今週末に「Wicked」見るんですが(爆)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »