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『二都物語』(1)

2013.7.21(Sun.) 12:30~15:35
帝国劇場2階K列20番台(センターブロック)

小劇場から大劇場まで、いくつもの劇場で舞台を見てきていて、小劇場の演出の難しさも感じつつも、「帝劇でミュージカルを作る」ということがどれだけ難しいかということは、肌で感じていて。何となくですが、劇場が倍広くなるたびに難しさが2の2乗、4倍になるような印象があります。

ということを前提にして今回の「二都物語」を見ると、帝劇でここまでのミュージカルを見ることができるとはと、感動することしきりです。

シーンごとに見てみると、「牢獄で17年」と言われると、それを言っているルーシーパパが今井清隆さんなこともあって、「レ・ミゼラブル」バルジャン役とのシンクロを感じることになるし、同じく懐から時計をかすめ取ってる役柄(福井貴一さん)を見ているとテナルディエみたいにも見えるし、娘を嫁に出す相手との会話は何だかバルジャンとマリウスみたいだし。

で、ラストのカートンとお針子さんのシーンはどことなく「ルドルフ・ザ・ラストキス」のラストシーンを思わせるし、濱田めぐみさんが民衆を煽る辺りはMAのマルグリットそっくりだし、正直言ってデジャブ感満載。

なのに、満足感はそれのトータルを合わせた足し算。それが何より嬉しかったりします。帝劇のサイズに負けてない、むしろ帝劇のサイズに合わせた作品作り。そこまで目立ったソングチューンがあるわけでもなく、でもトータルで「良かった」と思える作品。

帝劇で今まで見た作品の中では大好きだった「ルドルフ・ザ・ラストキス」初演(宮本亜門さん)がそれをやろうとして途中でエネルギー切れした印象がありました。

・・・

作品の好きなところはいくつもあれど、一番好きなのはラストシーン。
ほとんどの演出家さんはあのシーンの後にエピローグ的なものを入れたがると思うんです。
それでないと、カートンが本当に報われたのか分からないと。でも何となく見ている時に予感めいたものはあって、あ、鵜山さんはここで終えるだろうな、それならいいな、と思っていたんです。それが叶ったときのカタルシスが何より良かったです。

つまるところカートンは自分の決断に対して、他人からの評価なり感謝を過剰に必要としていないのではないかと。愛する相手に、愛する相手にしか分からない形でメッセージを伝えることが、”生きることに自堕落だった自分に、光を与えてくれた相手”に対する、最大限の感謝なのだと。

正直、カートンとルーシーの気持ちの通じ合いが、芝居として深め切れて伝わりきったかどうかは、ちょっと弱いところがあって、ルーシーがあの方だったらよかったのに、あの方だったらよかったのに・・・と思うのですが(個人名はいずれも自粛)、でもあのすらりとした長身ドレス姿の佇まいは、台詞遣い(海外帰りということもありイントネーションがちょっと違和感)と歌(でも製作発表ほどひどくない)を横に置くなら、あれもありでありかなと。

というか、ヒロインであるルーシーの存在感を無理に強めていないから、その割り切りがとてもありがたい。
見たいときは見て、そうじゃないときは視界から外していられるという便利感。
変な言い方ですが、この作品はヒロインを無理に必要としていないんですね。むしろ必要感として存在するヒロインといえば濱田めぐみさんが演じるマダム・ド・ファルジュの方がずっと必要。

この人の執念は本当に凄かった。家族を根絶やしにされ、貴族を怨み続ける。その怨念の強さは背筋が寒くなるほど。役柄としてはMAのマルグリット役に非常に近くて、先頭に立って民衆を煽るけれども、一つでも妥協すると、そこから一気に崩れ落ちておきそうな脆さも合わせ持っていて。いつもはもっと前に前にいくタイプな、夫役の橋本さとしさんが止める立場にいるのが新鮮。カートンにとってのルーシーへの愛が「無償の愛」であるように、この夫婦の夫から妻への愛も、これまた「無償の愛」であるように思えて。

その意味で、「無償の愛」が”時代に翻弄された不幸の鎖”を切り離した一つの救いだったのかな、と思えて。

この作品を観ていて、チャールズとルーシーで”お似合い”だなと思ったのは、実体とのあまりの乖離。
パンフレットにもいみじくも触れられているのですが、チャールズは貴族にあって自分の財産なり立場を全て投げ捨てイギリスに渡りながら、”貴族の中で育ったという現実認識の薄さ”ゆえに、マグマのように貴族への不満が鬱屈するフランスへ戻るという選択をし、危機に陥る。そこには”浮世離れ”を感じるのですが、ルーシーにも同じくの”浮世離れ”を感じて。

いわゆる「本当のお嬢様」であるがゆえに、自分が、そして自分の愛する人たちが、憎まれることがあることを露ほども思っていないからこそ、憎まれたときに”なぜ憎まれるのかが分からない”。悪意を向けられたことがない人が悪意に気づいた時に、どうしていいかわからない感情。そこがなぜ彼女に上手くはまったかは・・・まぁみなまで言わないことにします(苦笑)。

興味深かったのは、チャールズとルーシーという”浮世離れ”カップルから、どうしてあぁいう娘が生まれたのか。
カートンにあそこまでなつくのは印象的。子供がなつくことでカートンの人となりを表現している気がして。
子供って本質的に信頼できる人を選びますからね。カートンは”自分には何のとりえもない”と思っていながら、でも実は本気になるものを見つけられていなかった人というだけで。「弁護士」というからには「誰かを助けたい」と思ってその仕事を選んだのでしょうし。

カートンに関してみれば、救う「相手」が見えなかったことが、酒に溺れるきっかけだったのかなと。ルーシーと出会い、チャールズを知り、そして最後にはもう一人の”同志”を救えたこと。

自分が救う”相手”が「確かなリアル」だったのだと思えたことが、カートンにとって何より自分にとっての「救い」だったんだろうなと思えて、とても救われた気持ちになりました。

・・・

カーテンコール、全員登場の2回のあとは、主人公カップル(爆)な井上カートンと浦井チャールズが登場。

浦井氏(次男)が足を高く上げてくるっと一回り。会場内から大拍手をもらって、井上氏(長男)に促すと、なぜかただお礼をして終えて皆をすかしておきながら、実は下手に捌けていくときにちゃんとやる長男が流石。

もう1回出てきたら、次男が両手を頭の上で合わせて座り込んでいく(一部に「にょろにょろシーン」という呼び名があるらしい)。律儀にそれに付き合う長男がこれまた律儀。

メイン2人の持ち味がちょっとずつ違って、カートンにはチャールズが必要で、チャールズにもカートンが必要だったという流れがとても心地好かったです。

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