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『レ・ミゼラブル』(11)

2013.6.15(Sat.) 17:00~20:15
帝国劇場 1階G列30番台中盤(センターブロック上手側)

この日はエポニーヌ役・笹本玲奈さんの誕生日にあたり、特段特別なことがあったわけではありませんが、帝劇に玲奈ファンが大集合な日。

彼女の誕生日公演は恐らく2006年6月15日(木)のミーマイ以来2回目のはず(2009年の時は6月15日が月曜日で休演だったので、前日にサプライズお祝いがあって、7月公演の「ダンス・オブ・ヴァンパイア」稽古中の泉見洋平氏と浦井健治氏が稽古場から劇場に降りてきて2氏が一緒にランベスウォークを歌った記憶)。

それとは全く関係なしに本編ですが、3週間ぶりに拝見する玲奈エポ。まごうことなく光っていました。
前回見たときに、「幼すぎてわざとらしい」と思った1幕の不自然さが完全に消えていて、エポそのもの。
新演出版の1幕は綾エポの方が好きだったのですが、何となく綾エポのエッセンスが入ってきたかのような演技プランに見えました。過不足なき「恋する少女」って感じ。

それでいて新演出版としての「ただ者でないエポニーヌ」の色はきっちり残っていて、嫌々ながらコンビを組まされるモンパルナスを勢いよく振り払うさまが華麗すぎる。モンパルナスがエポニーヌに気があるからこそエポニーヌは嫌悪を抱くんでしょうけど。

この日いいなぁと思ったのが、マリウスに子供扱いされるところの、「本を逆さに持っていたのを直されちゃいました」のところで、直された後にごくわずか、ほんの1秒ほどだと思うんですが、玲奈エポは動きが止まったんですね。
「恥ずかしい」という赤面する気持ちと、マリウスが自分を気に留めてくれたことにちょっとだけでも浸っていたい・・・
「あ、なんか彼女っぽい」byエポニーヌ、みたいな感じかなって。

新演出版では、エポニーヌが届けに行ったコゼットからの手紙をバルジャンが読むシーンで、エポニーヌは立ち聞きしませんよね。旧演出版では途中まで聞いていたエポニーヌが、途中で自分に望みがないことを悟って去っていって「オン・マイ・オウン」に繋がっていきますが、新演出版では「コゼットへの手紙を自分に託す」時点で自分に望みがないことを分かっていて。いやむしろそれよりずっと前、それこそ「彼女と行くか、仲間と行くか、2つに1つ」とマリウスが語ったシーンの時点でそもそもわかっていたんでしょうから。

この日のマリウスはお初な田村マリウス。コゼットが目に入ってからのありえないほどの浮かれっぷりが、とても新鮮。
歴代では泉見マリウスとか岡田浩暉マリウスとかの系統かという印象で、「僕は飛ぶよ虹の空へ♪あははは♪」みたいな感じが(笑)

玲奈エポと田村マリウスは相性がどうかなと思っていたんですが、「浮かれすぎてエポニーヌが落胆する(=エポニーヌにとっては自分が視界の外)」という新境地が見られて、結構楽しく拝見しました(笑)。

マリウスがそこまで浮かれるもんだから、ABCカフェで学生みなさんのマリウスへの視線が冷たいこと(笑)
でも、マリウスに一通り浮かれさせて、それでアンジョが突っ込む辺りから、マリウスはふたたび革命の意義に染まっていって。
この日の田村マリウスで特に強く感じたのですが、ずいぶんと「染まりやすい」マリウスだなって。

コゼットへの想いに頭がいっぱいになるのもすぐ。
革命への想いに頭がいっぱいになるのもすぐ。

確固たる意思を持ったというよりむしろ、流されやすく染まりやすく、でも進む様は誰よりも真摯、といったマリウスの人物造型は正直に言って意外でした。

自分にとってのマリウスは、もっと「自分の意思を持った人」というイメージだったんですね。むしろそういうマリウスな役者さんが好きというか。マイオリジナルマリウスが山本耕史さんなせいもあるんでしょうけど。

でも何となくなのですが、この日の田村マリウスを見て、「実はマリウスって本当はこっちの人なんじゃないか」と思えて。
確固たる自分を持たず、ふわふわと生きてきて(原作では「親が弁護士で、跡取りとして何不自由なく生きて」みたいな記述があったかと)、でも、コゼットが去り、自分を救ってくれたエポニーヌを失い、何もなくなった(と思い込んだ)マリウスが、バルジャンから「生きる意味」を与えられ、コゼットとともに皆の希望として、未来として生きていく・・・という方が正しい物語なのかな、と思えたりしたのは、新鮮な体験でした。

ただそれは旧演出版と新演出版の違いでもあるのかなと。
旧演出版はマリウスが自分の意思を持ち、そこにコゼットが寄り添う感じだけど、新演出版はマリウスが自分の意思を強く持たずに、そこにコゼットが後押し役として存在する、という感じなのかと。

お初なキャストで印象的だったのはコゼット役の若井久美子さん。
出過ぎず強すぎず、コゼットとしての佇まいで物語に存在されていたのが魅力的なコゼットでした。
郁代コゼットほど情熱的でなく、レイナコゼットほど行動的でない感じはしましたが、バルジャンとマリウスとの間の立ち位置は一番オーソドックスに作られていた感じ。レイナコゼットはマリウス寄り、郁代コゼットはバルジャン寄りの立ち位置な気がするので。

ちょっと残念だったのは知念ファンテーヌ。お迎えのシーンはいいのですが、1幕の特に歌の部分が、なぜかとてもぎくしゃく。何か役に芯が通っていないというか、役をこなすことにいっぱいいっぱいになっているように思えて、らしくないなと思ってしまいました。

プレビューの時に最前列で見て以来の前方席(というかS席自体がその時以来)ということで、オペラグラスをあまり使うことなく表情が見られたのはありがたかったです。エポニーヌのアンサンブルシーンを時たま見失う自分は、何を見ているんだろうなとは思うんですが(苦笑)。

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