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『ミス・サイゴン』(11)

2012.8.30(Thu.) 18:15~21:00
青山劇場2階B列20番台(センターブロック)

というかもろにセンターです。
A席なのに、FCさんありがたう。

てな訳で、新演出版4.75回目(前回の遅刻分を0.25回減算)。
玲奈キム2回、そしてこの日で新妻キムが3回目(小数点以下四捨五入)。

青山公演で全編見るのはこの日が初めてですが、
とにもかくにも、新妻キムがキムすぎる。

聖子さんと言えば、基本的な演技プランは特攻型、突っ走り型で、2004キムも2008キムもそうだったかに記憶しているのですが、少なくともこの日のキムは今まで見たどんなキムよりも弱かった。
支えがないと折れてしまいそうなほど弱いのに、感情は勢いよく刺さってくるのが凄い。

1幕最後、エンジニアの隠れ家に駆け込んでくる新妻キムは、まさに「命からがら飛び込んでくる」という表現が相応しく、恥も外聞もなくエンジニアに頼りにいって、エンジニアに「俺たち3人仲間だ」と言われても反応する余力さえない。

これ、厚木初日とか青山初日はまだ反応してたはずなのですが、この日はまったく身じろぎもせず、全く余裕もない状態。にもかかわらず、そこからタムに命をあげようとする一幕ラスト。命を上げてそのままエネルギー使い切っちゃうんじゃないかという一幕の新妻キムでした。

で、そこから一気に歌いきるのですが、苦しみながらも力をふりしぼって捧げる「無償の愛」が素晴らしかったです。
弱々しさから強さを見せる、という感じだと印象としては2008年の玲奈キムがそういう方向性だった気がします。

んで2幕は好き過ぎるシーンのオンパレードで、その中でもナイトメアの新妻キムの魂の叫び(=歌)はもうこれあったら何でもいいよってぐらい身体全体を閃光で貫いて。2幕と言えばラストシーンが特に印象的。
タムを引き離されて、そのまま自分で自分を抱き抱えないとどうにかなってしまいそうに、前のめりになるって動きは新鮮。

「自分の決断ではあるけれど、でもいざタムを奪われたら、自分はどうにかなりそうだった」けれど、自分には最後の仕事があるんだと思い直して、しっかと自分の足でベッドに向かっていく・・・切なかったなぁ。

この日、身体全体を閃光が貫いたシーンがもう一つあって、それが2幕「ムーラン・ルージュ」でジョンが自分を訪ねてくるシーン。ここ、聞き間違えだと困ると思って次に玲奈キムを見る1日ソワレまで待とうかと思ったのですが、印象的だったので書いてしまいます。

自分の記憶が正しければ、再演まで「生き甲斐はクリス、信じたから」だったのが、この日は「生きてきたクリス、信じたから」になっていたのでした。

新演出版を見てもう5回目ですが、ずっと感じ続けている違和感があって、新演出版のキムにとってのクリスは、実はとっても小さい存在なんじゃないかと、思っていたりするんです。

ここの歌詞も、以前は「キムにとっての『生き甲斐』がクリス」だったけど、今は「キムが必死で生きてきたのはクリスを信じたから」であって、「キムにとっての『生き甲斐』がクリス」なわけじゃない。

むしろ、新演出版(かつ青山)から変わった「ジョン、分かってよ『タム』が生き甲斐なのよ。夜は彼だけを私は思う」の歌詞と考え合わせ、1幕の「生きてきたそのわけを見せるわ今」とトゥイにタムを見せることを考えると・・・

「キムにとっての『生き甲斐』がタム」という点に整理されたのが新演出版の最大の特徴ではないかということに思い至るのです。

「タムにとっての人生(アメリカに渡る)のためには、キムは自分の存在が邪魔になる」というストーリーは前から同じ訳ですが、その点から考えると、キムにとって「1にタム、2にタム、3・4がなくて5にクリス」みたいな(苦笑)点では、キムのポジショニングがずいぶんはっきりした感じがあります(演出としてそれを明確に目立たせていない気がしますが)。

新演出版のキムはある意味割り切ったところがあって、クリスに対してもトゥイに対してと同様、「自分の一番苦しかった時にそばにいてくれなかった」ことを気にしていることを匂わせるような空気があって、今までの旧演出では感じなかった、「キムはタムのためだけに、クリスが迎えに来てくれることを信じた」というのがある気がして。

今までのキムって、聖人君子的なところがあったと思うんです。クリスに置き去りにされても、タムの未来のために自分の身を投げだしてでも、ということで美化された面があったかと思うんですが、今回新演出版を見ていると、キムはそこまで綺麗には描かれていない気がするんですね。キムは相応に、というか普通以上に傷つき、誰も信じずに、ただ「タムのために」計算をする女性、でさえあるように思えるんです。

一度は愛した、その男性に置いて行かれ、自分一人で子供を育て、いずれは子供をアメリカに渡らせることを夢見る。
かつてはクラブで愛を売り、人間の汚い面もさんざん見たであろうキムという女性が、他人にそこまで寛容で素晴らしい女性かといえば、観客側が思う「ヒロインは感情移入しうる性格・位置づけであって欲しい」というものの反映でしかないのだろうなと。

だからそこを外して考えると、実は今回のキムは思っている以上に現実主義者で、思っている以上に愛を信じていなくて・・・という、極限下であれば当たり前の人物造型像が見えてくる気がしたのでした。

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