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『ルドルフ』(5)

2012.7.8(Sun.) 13:30~16:20
帝国劇場 2階H列20番台後半(センターブロック)

こちらも新演出版、「ルドルフ・ザ・ラストキス」。

初演版の井上&笹本ペアが好き過ぎて通い詰めた初演からもう4年。

先日のめぐろの「ミス・サイゴン」といい、”新演出版”流行りで、個人的にはまだサイゴンの新演出版に乗り切れていないので、果たしてこちらはどうかなと思って帝劇へ。

もともと初見は16日マチネ(たまたまトークショーの回)の予定だったのですが、日比谷シャンテで開かれているパネル展が10日までということを知りまして。日比谷に行く用事がないなぁと思っていたら、だいたいの評判も聞こえてきたし、何となく自分好みぽいし・・・ということで、日が回ってからナビザをぽちっとな。

本当は「B席が残っていたら行こう」と心に決めてナビザを見たのですが、B席がなくて、A席がセンターで残ってるの見たら理性が消えまして(笑)

おかしいなー、ご贔屓さんがいない公演に行くのは程々にしないと、とか誓い立てたばかりじゃなかったっけ、というかルドルフ既に2回見る予定じゃん、つかこれで回数ベースで去年の観劇回数超えるの確定(苦笑)。

そんな心の声はいいとして(爆)

演出家のルヴォー氏がことあるごとに「セクシー」を連発していて、で、主演ペアがどうしてもそういうイメージとは失礼ながらフィットしなかったので心配してはいたのですが、意外や意外、今回の新演出版、とてもしっくり来ました。初演版といい意味で”別物”とはっきり認識できるせいかもしれません。

舞台全体が「赤」で統一された舞台装置。
初演版ではマリーだけが「赤」だった印象があるのですが、再演版は「ルドルフ」という作品そのものが「赤」。むしろ、再演版のマリーは「白」の印象が強いです。

黒い舞台に輝く赤、が初演のルドルフという作品に対するマリーのポジションだとすれば、
赤い舞台に光る白、が再演のルドルフという作品に対するマリーのポジション。

どちらも”異質”な存在としてあることには変わりはないのですが。

ルドルフ役の井上芳雄氏はさすが鉄板で揺らぐことがなく、ただ再演版は演出のゆえか、へたれ度増というか。

初演(分からなくなりそうですが本稿のルドルフは彼のデビュー作の「エリザ」のルドルフではなく、「ルドルフ・ザ・ラストキス」の初演ルドルフのことです)のルドルフが使命に生き、挫折の心をマリーによって満たされたのに対すると、再演版のルドルフとマリーは、優柔に生き、マリーに尻を叩かれたと申しますか・・・(苦笑)。

マリーに関しては初演が「男爵令嬢」で再演が「革命闘士」という(大苦笑)。

いやはや再演のマリー、和音美桜さんがもう強い強い。
初演のマリー、笹本玲奈さんも強かったのですが、明らかに初演と再演で強くなれる理由が違うと言いますか。
初演版は明らかに「愛のためなら強くなれる」だったと思うのですが、再演版は「夢のためなら強くなれる」だなと。

再演版のマリーはルドルフと同じ夢を追い求める”同志”のような関係で、だからこそ心が折れかけるルドルフを鼓舞するのですが、初演版のマリーはむしろルドルフに対する癒しだったし、ルドルフにとっての逃げでもあったように思うのです。
その点、初演版が好きな人がここをどう取るか、確かに好みの分かれるところかもしれません。

そのルドルフとマリーの関係を取り巻く人々ですが、再演版がはっきりいいと言えるのが、ルドルフの正妻であるステファニー。元劇団四季の吉沢梨絵さん(初見)が演じていますが、この方が実に良い。

村井さん(初演は壌さん)演じる父・フランツの「守旧」と同様に、「伝統」を重んじ役割に生きようとするステファニー。初演版は知念ちゃんでしたが、初演版ではかすかにだけ感じた「(観客から見て)あなたが一番正しい」というステファニーの空気を、吉沢さんは実にきっちり演じておられました。うちのご贔屓さんと同世代、上手な人ってやっぱりまだまだいるんだなぁ・・・

吉沢ステファニーの何がいいって、不必要なほどには狂っていないってところかなと。理性で追い詰めるからこそ、ルドルフも息苦しくなる。初演のマリーとステファニーはタイプが似通いすぎてて(今同じ役やってるわけだから当たり前かぁ・・・)、「なんでマリーなら良くてステファニーはダメなの?」みたいな感想を普通に持ちかねなかったのですが(爆)、今回は完全にキャラが違って、二択が分かりやすい。

「守旧」のステファニーを選ぶか、「改革」のマリーを選ぶかという二択なので、そのどちらにも愛がないと言われちゃうと身も蓋もないんですが・・・

再演版で弱いなぁと思うのがマリーの親友・ラリッシュと、首相のターフェ。

どちらも初演版が濃すぎたのでその印象が強すぎるのは分かってはいるのですが、ラリッシュに関しては再演のマリーがあまりに世の中を知っているので「世の中のことを教えてあげる」という役割が実質的にほとんど要らなくなってしまっていて、位置づけがかなり中途半端。それに一路さんは演技がふわっとしたところに魅力があるように思うのですが、ラリッシュに関しては初演の香寿さんがいい意味でどっしりしていたので、その印象から逃れるほどのインパクトをもって伝わってこなかったのが、ちょっと残念かなと(今回の演出だとどうしようもありませんが)。

で、ターフェに関しては・・・何というか、かんというか、あの初演の玲奈マリーと岡ターフェの本気の”殺し合い直前”みたいな空気が大が10個以上付くぐらい好きな自分にとっては、もうあれが見られないかと思うと寂しくて寂しくて。

再演のマリーも気の強いところに関しては初演マリーとタメを張りますが、ここと絡めて考えると、やっぱり先ほども書いた「愛の違い」が関わってきます。

初演のマリーの場合は無鉄砲向こう見ず、一目惚れのルドルフのために自らが楯となってターフェと対峙するのですが、再演のマリーはルドルフのために対峙するんじゃなくて、自分の夢のために対峙するんですね。

ある意味、再演のルドルフは初演以上に「記号」であり「機関」なんじゃないかと、この場面を見て思ったのです。

「ルドルフ」というオーストリア・ハプスブルグ家の皇太子である彼の人格というものは求められていない、それが再演版でははっきりしているのかなと。マリーでさえ、ルドルフへの思いは、「自由を皆の手に渡すためにルドルフを利用する」という側面が大部分を占めている。マリーでさえそうなのだから、他の取り巻く人々は言わずもがな。

初演のマリーは、「ルドルフの孤独を理解し、ルドルフの人としての寂しさ、哀しみをただ一人分かっている女性」として描かれていたかと思うので、その意味で完全に別の物語。

マリーさえもその役回りに回した事への是非ということが、再演版への好みに現れるのかと思います。

自分自身の正直な気持ちを言えば、愛情に殉じたマリーは玲奈ちゃんとともに去っていって、使命に生きるマリーがたっちんとして現れたのと思えて、気持ちの整理が付いて楽でした(苦笑)。

玲奈マリーが歌い上げていた「愛してる、それだけ」の照明が上書きされなかったのも個人的にはほっと・・・あれがこういう使われ方の曲になるとはなぁ(曲名も変わって「二人を信じて」に)。

ここからちょっとねたばれ




歌詞もずいぶん変わっていて、一番びっくりしたのが「ただのロマンスじゃない、夢でもない」と歌われる、初演版「ただ君のために」。ここ、初演では「ずっとこんな日を待ってた」だったのですが、再演では「ずっとこんな日を恐れた」になってるんです。愛に溺れるの、いやだったんですか、マリー革命闘士・・・(苦笑)。

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