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『ルドルフ』(7)

2012.7.26(Thu.) 18:30~21:25
帝国劇場2階K列10番台(下手側)

再演ルドルフ、my楽でした。

初演ほどには感情の昂ぶりはなかったけれども、それでも3回、素敵な作品でした。

●タイトルの話。
つぶやいたら妙に評判が良かったタイトル話。

初演は「ルドルフ~純愛編~」
再演は「ルドルフ~使命編~」

2人が恋愛感情で結ばれた初演、
2人が共通の目的で結ばれた再演、
という印象が強かったのでした。

もう一つ。

初演は「Rudolf The Last Kiss~最後のキスは私に」
再演は「Rudolf The Last Time~最後の時は私と」

初演は、悲運の皇太子・ルドルフがただ一人心を許した相手・マリー・ヴェッツェラとの愛の逃避行、という側面が大きかったと思うのですが、再演は夢破れたルドルフが、ただ一人最後の時を一緒に過ごしたかったのがマリー・ヴェッツェラだった、という印象が強くて。

初演は「マリーともに破滅へひた走った」のに対すると、再演は「破滅して求めた相手がマリーだった」という印象。

●マリーの違い。
演出も違うし、役者さんも違うので、ある意味別者として認識しやすいのではと思うのですが、

初演の玲奈マリーは「感情がピュア」だったのに対して、
再演の和音マリーは「意思がピュア」だったように思う。

これは作品の色でもあると思うのですが、初演版はとにかく「ロマンチック・ラブ・ストーリー」だったと思うのです。それに比べると再演版は「ドラマチック・リアル・ストーリー」だと思います。

個人的には初演版が大好きで、かつ演出家が手に負えなくなって放り投げ(たとしか思えない状態を)、主演ペアの井上君・玲奈ちゃんがとにかく毎日ギリギリのところで押し上げていった、その真剣勝負さがたまらなく好きだったんです。

それからすると再演版は、とにかく演出家のルヴォーの世界から、極論1cmもはみ出せない。無論物語は整理されて、すっきりはしたんだけれども、ある意味毎回似たところに収斂せざるをえないところはあって。

好みではあると思うんですが、初演では千秋楽が抽選になったぐらい、後半はもの凄く盛り上がった公演だったのですが、今の帝劇は正直あっさりとした反応。個人的には、帝劇ミュージカルは、幻想と言われようとも、夢を見せた方勝ちというか、そういう客層なように思えるんですけどね。

私の本音ですか・・・夢が見られない舞台なら見に行くつもりないです・・・

●マリーの違い(その2)
もう一点、初演版と再演版のマリーの違いで興味深いのが、

初演版は「見えなすぎた悲劇」
再演版は「見えすぎた悲劇」

初演版は何しろ「恋に恋する少女のオーバラン物語」でありましたので、ルドルフの皇太子としての立場も、マリーは考えているようにも思えなかったし、かつルドルフもマリーに傾倒するあまり「マリーとの子供を正統な皇位継承者にしたい」とまでトンデモ発言してるわけで、ある意味「自分たちの影響力の大きさにあまりに無防備だった」ことによる悲劇に思えます。

それに比べて再演版は、ルドルフの皇太子としての利用価値を正確に認識した上で、マリーはルドルフをけしかけているようにさえ思えます。「ルドルフが匿名を使って世の中に自らの考えをアピールしている、そのことをもって『ルドルフがルドルフらしくあれるように』マリーはルドルフに対して問いかける」わけなのですが、こうなるともはやルドルフの意思なのかマリーの意思なのか、もう分からないのですね。ある意味、再演マリーは「策士策に溺れる」のようなところが、共感を得にくいキャラクターにつながっているように思うのです。

ルドルフを励ましてるマリー、自信喪失のルドルフにやる気を出させるための心理カウンセラーか、はたまた母親(シシィ)なのかと思っちゃいました(苦笑)。

初演版マリーが「一人の男性としての自信」を取り戻させようとしたのに対して、
再演版マリーは「ルドルフとしての自信」を取り戻させたように思えます。

それ即ち、先ほど言った「感情にピュア」、「意思にピュア」ともリンクするのですが、
再演版マリーが共感されにくい最大の要因は、「愛が先なのか、利用することが先なのか」がどちらとも取れるところではないかと思うのです。

ルドルフに共感する観客にとって、ルドルフを利用しようとする人物は敵なわけで、それは前回も書いたのですが、再演版ではルドルフを利用しようとしてる人ばかりですからね。一番利用してないのはラリッシュかな。

●英雄の指すもの
この日見ていて印象に残った曲、意外だったのですが2幕でラリッシュが歌う「英雄だけが」。

ルドルフが博覧会の席で「皇太子のまねごとでなく、本当に皇太子になるべく」民衆を鼓舞する「明日への道」を見ていたラリッシュが、ルドルフの危うさに対して歌う曲。

キャラクターとしてラリッシュは初演版の香寿さん大好きなのですが、でもこの日の一路さんは伝わってくるものが今までとがらりと違って。

「英雄だけが輝くの」

「英雄だけが愛するの」

これを聞いた時にはっとしまして。

ここの「英雄」って誰だろうと。

無論、ルドルフを指していることは当たり前なのですが、読みようにとっては実はマリーもラリッシュにとっては「英雄」なんだということなんですね。

ルドルフと過去訳ありなラリッシュが、マリーに対して思っている感情。

「(自分ではできなかった)ルドルフを愛する、支えることが出来るマリーこそが『英雄』なのだ」と。

だからこそ、

「一瞬だけは輝くの」

といった嘆きが胸を突くわけです。

ルドルフの進歩性は、実はラリッシュは十分に分かっていたように思われて、でもルドルフが自由主義を指向すればするほど、ハプスブルグ家、そして帝国の先行きは不安定になる。そんな矛盾した位置にあるルドルフに対して、「焚きつけないように支える」ラリッシュの姿は、それはそれで「愛する」姿なんだと思うんです。

ラリッシュは自分のそんな姿に決して満足しているわけでもないけれども、マリーのようにもなれない。
そしてマリーはラリッシュが心配したそのものの方向にルドルフを引っ張って行ってしまう。

同じ目的を持ってしまったルドルフとマリーは、ラリッシュにとってもはや止めようもない存在。
でも、実は羨ましくもある。だからこその「英雄」という表現なのかと思う。

「一瞬も輝かない人生と、一瞬でも輝く人生どちらがいいのか」

を匕首(あいくち)に突きつけられているようにも思えます。

●ただのロマンスじゃない

初演版と再演版、同じメロディーでありながら詞も随所で違うこの作品。
受ける印象が大きく違うのはやはりこの曲でしょう。

ここの印象の違いをつらつらと考えていたのですが、

初演版
全てをなげうってもルドルフが求めた愛、
(全てを捨てても手にしたかったからこそ)ただのロマンスじゃない」

再演版
全てを失ったルドルフが、「ただ愛すればいいんだ」と思った、
「(多くの紆余曲折を経てたどり着いたからこそ)ただのロマンスじゃない」

という印象。

いずれにしても「ただのロマンスと思われたくない」という意味合いとしては同じだとは思うのですが、初演版と再演版はプロセスが違うので受ける印象が違う。

原因と結果の違いと申しますか、

初演版は「ただのロマンスじゃないから」全てをなげうってでもルドルフはその愛に殉じたい

再演版は全てを失ったルドルフだからこそ「ただのロマンスじゃない」相手と殉じたい

という感じでしょうか。

それにしても、再演版3回観劇。

初演版に出演していたご贔屓さんがいなくなったのに、それでも3回見るという珍しい体験でもありました。
いや、井上君好きだけれども(変な意味ではありません・・・爆)。

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コメント

>「ロマンチック・ラブストーリー」と「ドラマティック・リアルストーリー」
こちらも言いえて妙ですね!
私自身は宮本版もルヴォー版も「万人受けはしないだろうけど私は好き」な作品でした。
男性の方がロマンティストなのかも。(マリー目線で見るか、ルドルフ目線で見るかの違いでしょうか?)

「見えなすぎた悲劇と見えすぎた悲劇」
これ、同じことがルドルフにも言えるような気がしました。
前回は恋に溺れたトンデモ男でしたけど、今回はどうなるかすべて承知した上で
行動を起こしているように見えて。
ルドルフの感情の流れや行動の理由は、ルヴォー版の方がすっと腑に落ちました。


「英雄だけが」の考察、面白かったです。
マリーに対する羨望と裏表に、自分に対する嫌悪みたいな感情も、一路ラリッシュのどこかにはあるのかもしれないですね。
(初演では、マリーとの関係性の違いもあって「英雄」は明らかにルドルフを指してるし、ラリッシュのルドルフへの感情もあまり表立っては表現されていなかったような記憶があります)。

投稿: judy | 2012/07/27 22:19

judyさん>

コメントありがとうございます。

全ての男性がロマンティストなのかは分からないのですが、今回の「ルドルフ」(と「サイゴン」)を見て、自分自身は芝居に夢を求めに行っていて、現実を求めているのではないんだな、というのが分かりました(苦笑)。

「ルドルフ」の初演と再演の共通点は、「ルドルフとマリーは鏡、表裏一体の関係」という点かなと。

初演は「見えていない同士」の「燃え上がる恋」、
再演は「見えている同士」の「燃え上がる野望」みたいな感じで。

再演版は、”意思を持った男”ルドルフを、守旧に引っ張ろうとするステファニー(+フランツ、ターフェ)と、改革に引っ張ろうとするマリーとの綱引きという感じでもありましたし。

初演版では「ルドルフが『生きていれば20世紀を変えたと言われた男』なんて信じられない」って面があったように思うのですが(苦笑)、再演版ではそこに説得力が強くあったように思えます。

再演ラリッシュの感情って、今まで伝わってこなかったんですが、仰るとおりで「私ってなんてちっぽけな人間なの」ってことを全身で表現された一路さんにちょっと胸を突かれました。

初演版のルドルフに比べると再演版は女遊びも激しいみたいですし、初演版の香寿さんも「ラリッシュってルドルフともわけありなはずなんだけどどっかいっちゃった」って当時語ってましたから、再演版の方が本来の姿なんでしょうね。

ラリッシュも実際のところルドルフと運命をともにできずに、ルドルフの死後に責められて国外逃亡を余儀なくされたという話ですから、二重に切ないですよね。

投稿: ひろき | 2012/07/28 01:43

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