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2012年7月

『リンダリンダ』(7)

2012.7.29(Sun.) 13:00~16:15
大阪・森ノ宮ピロティホール
1階U列10番台(下手側)

東京7回、大阪2回で9回。my楽に到達です。

東京初日に見たとき、「由美子さんの歌は堪能できるけど、これで大阪行くほどかなぁ・・・」と大阪のチケット(実はどちらも微妙席)を眺めていた日が嘘のような、充実した大阪遠征でした。

土曜ソワレでは「芝居の到達系」を見せてもらった感じで、東京で見続けても分からなかったことが、感じられたこともあったし、では日曜マチネはというと、芝居としては意外に普通。東京バージョンとさほど変わらない感じ。

「ラブレター」の最後の由美子さんの笑顔、本当に好き。
東京では2回しかできなかった拍手も、大阪は2回とも入れられたし。

この日うっと思ったのは、ケンとカオリの別れのプロローグ。
話している間にケンにかかってきた電話、そのケンの様子を眺めるカオリの表情がもう哀しげで哀しげで。
「私たちの関係はもう終わりなのね」と何より表情が語っているんですね。

土曜ソワレでは下手端だったこともあって、ケンとカオリの表情がまっすぐに並ぶという、通称「プライド」某シーン状態のような戦慄な瞬間があって、それでなおさら印象深かったかも。

自分とはもうない親しげな会話の相手がミキだと知ったとき、カオリはポップに「おぉ、ミキちゃんかぁ」と言っているけど、あれはカオリの強がりなんだよね。

この日のケンとカオリのやりとり、あえて前日の思いを引きずらないように見たから、前日ほど「ケンがカオリを思ってる」ことが分からなかったんですが、それでも「誰にも邪魔させない、二人のことを」の歌詞にはうるっと。



ストーリー中、「一番言いたくないことを言うね」とカオリが言うシーンがあるんですが、正直あそこで言ってることよりずっと、「ケンのやろうとしていることは、だから意味がないのよ。」って言葉の方が言いたくない言葉なはずなんですけどね。

ケンは自分がもう後戻りできないし、爆弾でしか自分の存在を正当化できなくなってる。
だからこそあそこで正面からぶつかってきたカオリとの別れを選ぶしかなかったわけだけれども。

でも。

封鎖壁の前で権八に言われた言葉は、実はカオリとまったく同じ言葉なわけですね。
カオリとケンは本当にカップルなのか不思議なほど言ってることが違いますが(笑)、カオリと権八は言ってること瓜二つ。

権八が言った「迷惑なんだよ。夢も青春も終わったんだよ」という言葉は、ケンより一足早く現実を見つめたからこそ出てくる言葉なわけですが、カオリが救われるとするなら、権八がケンに言った言葉、その言葉でケンが自分を見直すであろうこと。

カオリが本当の意味でケンを心配して、手を尽くしてくれていたことをきちんと認識できるだろうこと。

カオリは自分では割り切っているから自分から行くことはないだろうけど、ケンがこのことを正しく認識できるなら、カオリとよりを戻すのもなくはないのかな、と思ってみたりはする。



この日のカーテンコール直前「終わらない歌」での由美子さんの小道具はまさかの鉄パイプ。

物語上一番ありえない小道具なんですが(大笑)、鉄パイプで後ろに出てくる歌詞を指すという、即席歌唱指導でした(笑)。

そしてここから「リンダリンダ」で弾けて終わり・・・・なはずが。



上手側から出た「アンコール」の声が導火線になり、会場中が大拍手状態。
座長の松岡君含め、”誰にも止められない”

東京では1回、「みんな『ぱんいち』になっちゃってるから」と言ってコメントで済ませてましたがここは大阪、そんなんで許してもらえるわけもなく(笑)。

松岡氏も途中からもう諦めてみんなを拍手しながら手招き(笑)。

さすがに男性陣はそこそこ早く出てくるのですが、男性陣ラストは大高さん。完全に私服に着替えてましたが、アロハシャツみたいなものごっつう派手なシャツで、むちゃくちゃ恥ずかしがって伊礼君の後ろに隠れてました(笑)。

女性陣は、佃井皆美ちゃんがパープルジャージで最速登場。さすが早い!
ちょっと立ってから大杉さほりちゃん。そして星野真里ちゃんと高橋由美子さんが同時に登場(上手側)。

皆美ちゃんとさほりちゃんは劇中衣装そのままだけど、真里ちゃんは赤のジャケット脱いでるから印象が違うし、由美子さんも白のブラウス脱いでるから水玉ワンピースでご登場。それさえ着替え始めようとしていたのか、舞台上でファスナーを自分で上げるあたりが、まぁなんと言うか相変わらずの漢前(爆)。

そんな感じで真里ちゃんと一緒にゴーゴーダンス踊ってました由美子さん。
最後は息が切れてた感じでしたが、一緒に両手上げて歌えてうれしかったなー。

そういや、大高さん用のギターがなかなか出てこなくて、

由美子さん「おかしいなぁ、何やってるんだろ」

危うくスタスタとギター探しに行っちゃいそうな感じでした(笑)

このアンコール、もはやなんでもありで、「歩く花」メンバーの客席下りがあって、節度のあるもみくちゃ(爆)でたいそう盛り上がりました(いつものルートのみなので後方席からは見ているだけでしたけども)。

・・・で、これで大阪楽でさえなく大楽ではもちろんないってどういう・・・

あととうとう3公演ですね。自分は行けませんが、素敵なエンディングになりますようにー。

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『リンダリンダ』(6)

2012.7.28(Sat.) 18:00~21:10
大阪・森ノ宮ピロティホール
K列1桁番台(下手端)

東京で7回観劇し、この日の大阪で8回目。
それだけ見た中でも、この回の満足度は群を抜いていました。

席は下手端で、見切れるシーン続出なうえ、前列の男性の座高が高く、いままでで最悪レベルの席でしたが、物語としては一番しっくりきました。

今回のキーはなんと言ってもケン(伊礼彼方さん)とカオリ(高橋由美子さん)が本気でぶつかり合う別れの場面。

このシーン、今まではただひたすら「カオリかわいそう」と男なのに(笑)カオリに同情していたのですが、正直カオリが由美子さんでなければ、男性としてはケンの気持ちをもっと早くわかっていたんだろうなと。

カオリはできた女性ですが、正直踏み込みすぎるところがあるんですね。
それは年齢的な焦りもないわけではないのでしょうが、男性にしてみるとすべての逃げ道が閉じられている息苦しさって確かにあるんです。

カオリは別にケンを拘束しようとしているわけではなく、むしろ今まではかなりケンの意思に任せていた部分があったでしょうし、ただ、この作品で描かれている部分は、「カオリの焦り」と「ケンの焦り」が平行線をたどった、という時期の内容。

カオリの言っていることは間違いなく正しくて、逆に間違いがないからこそ、ケンにとっては受け入れられない面がある。
面と向かってケンの人生を否定するような言葉を投げつけるのも、「ケンのためを思って」と「自分にとっての賭け」の両面があって。

もともと男という生き物は、正しいことを言われると否定したくなる生き物で(笑)、それが自分が目を背けたい部分に関する自分に対する言葉であれば、更にムキになるんですね(爆)。

ただでさえ冷静さを失っているケンだから、今のカオリの正論は「みーみーにとどかなーい」(爆)だと思い込んでいたんですが、この日の芝居の自分の感じ方はちょっと違いました。

ケンは、自分がどうしようもないところに入り込んでいることを自覚してる。

自分の音楽的才能に限界があることはとうにわかっている(「ライブ」に熱するあまり、ミキに問い詰められるまで音楽活動のことを忘れていたのもその一面かと)。

そんな時カオリに突きつけられた最後通牒を、ケンはなぜあれほどまでに強く拒絶したのか。

ここが今まで見ていたときは感じなかった部分だったのですが、まずケンのことを一番わかっていたのは間違いなくカオリだと思うのですね。ミキじゃなく。自分のことをカオリに100%言い当てられて、ケンはどう思ったか。

この回で見たケンは、「自分のことを一番よくわかっているカオリだからこそ、そして自分が一番愛している女性だからこそ、自分の愚行によって人生を狂わせたくはない」「自分が悪者になって別れを告げれば、カオリもこれ以上苦しまなくて済む」だからこそ激しい声で罵倒して追い出した。

・・・・

というのを、すべて受け止めたように思えたんですカオリが。

ケンに対してケンを思って言った言葉が、自分たちの関係の終焉を導くであろうことは、当然カオリだって予測していたはず。
当然、自分の言葉に対する責任を取る覚悟もある女性。

そしてケンから返ってきた予想以上の拒絶。

これは理屈じゃなくてそのときの空気なのでなんとも形容したがたいのですが、「ケンはカオリが本当に自分のことを心配してくれているのは身にしみてわかっていた。だからこそカオリを巻き込みたくないから自分から遠ざけた。カオリはケンが自分のことを思って(自分が悪者になって身を引く)くれたことがわかったから、そこで身を引くしかなかった」という空気が完全に共有されていて。

それがどういう意味を持つかというと、由美子さん(カオリ)がなぜ「ラブレター」を歌うのか、という部分につながると思うんです。
この曲、ケンに拒絶されたカオリが歌う曲にしては、歌詞はおかしいんですよね。
「あなたよ、あなたよ、幸せになれ」って・・・

ここ、東京公演からうすうす感じてはいたのが、「カオリはケンの悲鳴を受け止めたんじゃないかな」という点。
本当の意味でケンを思って身を引いたからこそ、「あなたの幸せを祈る」ってことが成立する。

この回は、その前のやり取りも含めてひとつの物語になっていて、とても素敵な空気だったのです。



由美子さんが自身の芝居をどう評価しているかは、カーテンコールでわかるんですが(リトマス試験紙みたいでわかりやすいことこの上ない)、この日のはじけ方がハンパなかった(笑)。

「リンダリンダ」で白帽子かぶってハンドルもってやってきて「運転手さんそのバスに僕を乗っけてくれないか」の運転手さんになって遊びまくってる(爆)

乗客に(佃井)皆美ちゃんと(大杉)さほりちゃんがいたのにも笑った・・・

カーテンコール前の「終わらない歌」のときも満足そうな笑顔だったし、いつにも増してお得な回でした。



この回の小ネタ

1)「そういうことはちゃんとインターネットに書いておいてほしいよな、そうだよね?」

 と1階A列20番台のお客様に聞く某バンドリーダー(笑)

2)バンドのドラマーに吹っ飛ばされて起き上がったときに脳震盪起こしたかのような反応の鈍さを見せる某バンドリーダー

3)舞台上に上がれずにもたついたのを1階A列のお客様に笑われてしまう豹柄の人

4)客席に「カエルがいっぱいいる」と某シーンで言ったのをラストカテコで謝る破目になった豹柄の人

5)鼻に紙ふぶきがついているのを(うちのご贔屓さんに)取ってもらってたマネージャーな人

いずれにしても仲が良さそうなカンパニーで何よりであります。

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『ルドルフ』(7)

2012.7.26(Thu.) 18:30~21:25
帝国劇場2階K列10番台(下手側)

再演ルドルフ、my楽でした。

初演ほどには感情の昂ぶりはなかったけれども、それでも3回、素敵な作品でした。

●タイトルの話。
つぶやいたら妙に評判が良かったタイトル話。

初演は「ルドルフ~純愛編~」
再演は「ルドルフ~使命編~」

2人が恋愛感情で結ばれた初演、
2人が共通の目的で結ばれた再演、
という印象が強かったのでした。

もう一つ。

初演は「Rudolf The Last Kiss~最後のキスは私に」
再演は「Rudolf The Last Time~最後の時は私と」

初演は、悲運の皇太子・ルドルフがただ一人心を許した相手・マリー・ヴェッツェラとの愛の逃避行、という側面が大きかったと思うのですが、再演は夢破れたルドルフが、ただ一人最後の時を一緒に過ごしたかったのがマリー・ヴェッツェラだった、という印象が強くて。

初演は「マリーともに破滅へひた走った」のに対すると、再演は「破滅して求めた相手がマリーだった」という印象。

●マリーの違い。
演出も違うし、役者さんも違うので、ある意味別者として認識しやすいのではと思うのですが、

初演の玲奈マリーは「感情がピュア」だったのに対して、
再演の和音マリーは「意思がピュア」だったように思う。

これは作品の色でもあると思うのですが、初演版はとにかく「ロマンチック・ラブ・ストーリー」だったと思うのです。それに比べると再演版は「ドラマチック・リアル・ストーリー」だと思います。

個人的には初演版が大好きで、かつ演出家が手に負えなくなって放り投げ(たとしか思えない状態を)、主演ペアの井上君・玲奈ちゃんがとにかく毎日ギリギリのところで押し上げていった、その真剣勝負さがたまらなく好きだったんです。

それからすると再演版は、とにかく演出家のルヴォーの世界から、極論1cmもはみ出せない。無論物語は整理されて、すっきりはしたんだけれども、ある意味毎回似たところに収斂せざるをえないところはあって。

好みではあると思うんですが、初演では千秋楽が抽選になったぐらい、後半はもの凄く盛り上がった公演だったのですが、今の帝劇は正直あっさりとした反応。個人的には、帝劇ミュージカルは、幻想と言われようとも、夢を見せた方勝ちというか、そういう客層なように思えるんですけどね。

私の本音ですか・・・夢が見られない舞台なら見に行くつもりないです・・・

●マリーの違い(その2)
もう一点、初演版と再演版のマリーの違いで興味深いのが、

初演版は「見えなすぎた悲劇」
再演版は「見えすぎた悲劇」

初演版は何しろ「恋に恋する少女のオーバラン物語」でありましたので、ルドルフの皇太子としての立場も、マリーは考えているようにも思えなかったし、かつルドルフもマリーに傾倒するあまり「マリーとの子供を正統な皇位継承者にしたい」とまでトンデモ発言してるわけで、ある意味「自分たちの影響力の大きさにあまりに無防備だった」ことによる悲劇に思えます。

それに比べて再演版は、ルドルフの皇太子としての利用価値を正確に認識した上で、マリーはルドルフをけしかけているようにさえ思えます。「ルドルフが匿名を使って世の中に自らの考えをアピールしている、そのことをもって『ルドルフがルドルフらしくあれるように』マリーはルドルフに対して問いかける」わけなのですが、こうなるともはやルドルフの意思なのかマリーの意思なのか、もう分からないのですね。ある意味、再演マリーは「策士策に溺れる」のようなところが、共感を得にくいキャラクターにつながっているように思うのです。

ルドルフを励ましてるマリー、自信喪失のルドルフにやる気を出させるための心理カウンセラーか、はたまた母親(シシィ)なのかと思っちゃいました(苦笑)。

初演版マリーが「一人の男性としての自信」を取り戻させようとしたのに対して、
再演版マリーは「ルドルフとしての自信」を取り戻させたように思えます。

それ即ち、先ほど言った「感情にピュア」、「意思にピュア」ともリンクするのですが、
再演版マリーが共感されにくい最大の要因は、「愛が先なのか、利用することが先なのか」がどちらとも取れるところではないかと思うのです。

ルドルフに共感する観客にとって、ルドルフを利用しようとする人物は敵なわけで、それは前回も書いたのですが、再演版ではルドルフを利用しようとしてる人ばかりですからね。一番利用してないのはラリッシュかな。

●英雄の指すもの
この日見ていて印象に残った曲、意外だったのですが2幕でラリッシュが歌う「英雄だけが」。

ルドルフが博覧会の席で「皇太子のまねごとでなく、本当に皇太子になるべく」民衆を鼓舞する「明日への道」を見ていたラリッシュが、ルドルフの危うさに対して歌う曲。

キャラクターとしてラリッシュは初演版の香寿さん大好きなのですが、でもこの日の一路さんは伝わってくるものが今までとがらりと違って。

「英雄だけが輝くの」

「英雄だけが愛するの」

これを聞いた時にはっとしまして。

ここの「英雄」って誰だろうと。

無論、ルドルフを指していることは当たり前なのですが、読みようにとっては実はマリーもラリッシュにとっては「英雄」なんだということなんですね。

ルドルフと過去訳ありなラリッシュが、マリーに対して思っている感情。

「(自分ではできなかった)ルドルフを愛する、支えることが出来るマリーこそが『英雄』なのだ」と。

だからこそ、

「一瞬だけは輝くの」

といった嘆きが胸を突くわけです。

ルドルフの進歩性は、実はラリッシュは十分に分かっていたように思われて、でもルドルフが自由主義を指向すればするほど、ハプスブルグ家、そして帝国の先行きは不安定になる。そんな矛盾した位置にあるルドルフに対して、「焚きつけないように支える」ラリッシュの姿は、それはそれで「愛する」姿なんだと思うんです。

ラリッシュは自分のそんな姿に決して満足しているわけでもないけれども、マリーのようにもなれない。
そしてマリーはラリッシュが心配したそのものの方向にルドルフを引っ張って行ってしまう。

同じ目的を持ってしまったルドルフとマリーは、ラリッシュにとってもはや止めようもない存在。
でも、実は羨ましくもある。だからこその「英雄」という表現なのかと思う。

「一瞬も輝かない人生と、一瞬でも輝く人生どちらがいいのか」

を匕首(あいくち)に突きつけられているようにも思えます。

●ただのロマンスじゃない

初演版と再演版、同じメロディーでありながら詞も随所で違うこの作品。
受ける印象が大きく違うのはやはりこの曲でしょう。

ここの印象の違いをつらつらと考えていたのですが、

初演版
全てをなげうってもルドルフが求めた愛、
(全てを捨てても手にしたかったからこそ)ただのロマンスじゃない」

再演版
全てを失ったルドルフが、「ただ愛すればいいんだ」と思った、
「(多くの紆余曲折を経てたどり着いたからこそ)ただのロマンスじゃない」

という印象。

いずれにしても「ただのロマンスと思われたくない」という意味合いとしては同じだとは思うのですが、初演版と再演版はプロセスが違うので受ける印象が違う。

原因と結果の違いと申しますか、

初演版は「ただのロマンスじゃないから」全てをなげうってでもルドルフはその愛に殉じたい

再演版は全てを失ったルドルフだからこそ「ただのロマンスじゃない」相手と殉じたい

という感じでしょうか。

それにしても、再演版3回観劇。

初演版に出演していたご贔屓さんがいなくなったのに、それでも3回見るという珍しい体験でもありました。
いや、井上君好きだけれども(変な意味ではありません・・・爆)。

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『リンダリンダ』(5)

2012.7.14(Sat.) 13:30~16:20 18列10番台(センター)
2012.7.19(Thu.) 18:30~21:30 18列1桁番台(センター)
2012.7.22(Sun.) 13:30~16:50 9列10番台(センター)

※紀伊國屋サザンシアター公演

東京公演35公演、無事に幕を下ろしました音楽劇「リンダリンダ」。
結局、35公演中7公演ということは、5回に1回は見ていたことになります。

物語的には突っ込みどころ満載のこの作品ではありますが、由美子さんの歌も堪能できるし、座長松岡氏いわく「明日を笑顔に出来る舞台」というそのままの作品。演劇というより、ライブな側面があっただけに、公演期間中その辺のギャップが、集客に繋がらないジレンマになったのかもしれません。

楽日は、キャスト一同、お客一同のテンションがいちいち変(笑)。
ネジ一つずつ外れているじゃないかというテンションが、完全にお祭りモード全開でした。

特に伊礼君の変顔百連発みたいなのが、全部覚えていられないぐらい変でした(爆)。

無茶苦茶笑って、後で何一つ覚えていないみたいなラフさがこの作品の魅力(大笑)。

楽日の挨拶で松岡氏が言っていた「登場人物何一つ解決していない、この後どうなるかわからない、それはキャスト・お客さんそれぞれでその後を想像して欲しい」という言葉が、この作品の一面を確かに言い表しているように思います。

・・・

楽日記念、キャスト別感想参ります。

○松岡充さん/ロックバンド「クール・パルチザン」ベース・マサオ役、子供劇団「歩く花」楽曲・ボーカル

初見だと思っていて申し訳ない限りです(初見はル・テアトル銀座「ナイン THE MUSICAL」)。
正に男が惚れる男ですね。
「リンダリンダ」のパッションを体現する、でも熱さはちょっとケンに譲っての、伊礼君の相棒バランスが絶妙でした。

「チェインギャング」は後半になればなるほど凄さを増してきて、毎回最後までの客席へのコメントも、いつも素敵でした。
「この人のためなら一肌脱ぎたい」と鴻上さん自身も思ったんじゃないかと思う、素敵な座長でした。

○伊礼彼方さん/ロックバンド「クール・パルチザン」リーダー・ケン役

「リタルダンド」「GOLD~カミーユとロダン~」と来て一年間で3作品目。そんなにうちのご贔屓さんと組み合わせやすいですか・・・(苦笑)。
3作目で初めて、他人を振り回している伊礼君の役を見ました(笑)。もう生き生きしてて、基本Sなんですね(笑)。
「スリル・ミー」の「彼」やってください(爆)

たっぷりおバカなケンなんだけど、それを周囲は放っておけない、マサオとはまた違ったパッション。

楽のご挨拶、「最初の道とは違うけれど、結局この場にたどり着けたことに感謝。夢を諦めないことが大事、でもたまには立ち止まって休むのも大事」・・・えーと、そのコメントは芸術家の元お姉さんに言ってあげてください・・・

○高橋由美子さん/ケンの恋人・カオリ役

ある意味、この作品のリードボーカル役でしたが(笑)、本領発揮の最たるもので、この手の曲では絶対外さないよなぁと、ただただ、ぶれない歌と演技に、すぅーっと浸れました。誰かが言ってましたが「ボーカルいないならクール・パルチザンのボーカルはカオリでいいじゃん、と(笑)」

ストーリー的には「えっ?」と思うストーリーに対するただ一人の常識的なポジション。カオリのことをどう思うかで、この作品に対するお客さんの立ち位置が変わるのかもしれません。

楽日の「ラブレター」はちょっと入り遅れたような感じもありましたけど、直前のケンの勢いに気圧されて・・・という感じで、この曲は日々進化してきていましたが、この日の由美子さんはなんか憑依してるぐらい凄かったです。
音からぎりぎり外れないように感情を吐露するあたり、感情と技術の壮絶なハーモニー、といった感でした。

それにしても・・・

「私ももうすぐ30だし」
「えっ?(楽しそうに返すケン)」
「私ももうすぐ34だし(泣きモード30%増量)」
「えっ?(楽しそうに返すケン)」
「私ももうすぐ大きな声じゃ言えない歳だし(泣きモード80%増量)」
(楽日の挨拶)「高橋由美子、38歳です。ありがとうございました。」という
4段オチが高度でした(爆笑)。

○星野真里さん/ロックバンド「クール・パルチザン」マネージャー・ミキ役

由美子さんとの背の相性がここまで抜群だった共演者はいまだかつていません(笑)。予想以上に小さくて、でもパワフルという、どこか数年前の由美子さんを思わせる佇まい。この作品にポップさを根付かせていた立役者。

一緒に闘って両手腰に当て「ばんばんばばん」とかやってるとことか、鉄パイプ振り回して、当たって喜んでいるところとかキュートで、実は超ツボでした。

楽日の挨拶が「私、友達とか少ないんですけど、今回仲間っていいなって思いました」って何気にカミングアウトしてたのにびっくり。
で、その結果がこういう写真→こちら

何をやっているんだか、うちのご贔屓さんは・・・(笑)
後半になってblogでも由美子さんの話を取り上げてくれて嬉しかったです。大阪・福岡もよろしくー。

○大高洋夫さん/ロックバンド「クール・パルチザン」ギター(サポートメンバー)、元過激派・荒川役

ケンの荒唐無稽さを支える芝居の軸。爆弾作るくだりの「このメンバーじゃ無理かもしれない」とか言って引き締めを図るあたりとか、バンドで生きてきただけの若者にゃ太刀打ちできるはずもありませんわな。

鉄パイプを持ったときの身のこなしの素晴らしさにいつも惚れ惚れ。
そりゃ、役として惚れ惚れしちゃおかしい役ですけど(爆)。

○丸尾丸一郎さん/ロックバンド「クール・パルチザン」ドラム、警官・大場役

笑わせ屋ですね(爆)。いかにもなコミック的なキャラですが、何というか強くやっても弱くやってもスベりそうな微妙な位置の役を、飄々とこなしていて感動しました。

そういや、楽日に風船のくだりでなんか失敗してて笑いを取ってましたが、何やってたんでしょ。

うちのご贔屓さんとカテコでじゃれ合ってることが多かったことから、結構な回数呑んでいたと思われます(笑)。

○佃井皆美さん/子供劇団「歩く花」代表・ナナミ役

今回の舞台のサプライズでしたね。アクション出身ということで、とにかく身体のキレが素晴らしいです。
1幕2曲目「チェルノブイリ」で、下手側にいる彼女のダンスに惚れ惚れ。
シンメトリーになる虚構の劇団・大杉さほりさんも素敵なのですが、やっぱりダンスとなると皆美さん。
「歩く花」の衣装もすらりとしてて素敵でしたし、「青空」のインディアン役も素敵。

うちのご贔屓さんが2役目として一升瓶持って登場する「ネオンサイン」で、下手上段の舞台で華麗にダンスする姿を見るに、うん、前方席じゃ両方見えません(爆)。

○大杉さほりさん/子供劇団「歩く花」サークルメンバー ほか

「歩く花」の前のシーンで、左右に手出して準備運動するところがなぜかツボ(笑)。
そしてなぜだか衣装のスカートが妙に広がっているのがもっとツボ(爆)。
ニコニコ動画の松岡座長の番組に虚構の劇団3人で出てたときの真摯なトークがとっても素敵でした。
良かったです。

福島から帰ってきました」のtweetについてフォローツイート入れたら喜んでくれて嬉しかったです(笑)。

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『ルドルフ』(6)

2012.7.16(Mon) 13:30~17:00
帝国劇場2階最後列50番台(上手側)

なぜか再演ルドルフ、今年2度目の帝劇です。

新眼鏡は帝劇2階最後列でさえそれなりに見えて、時たまオペラグラスが必要になる程度。
やっぱり早く眼鏡市場に行っておくべきだった・・・。

再演版の「ルドルフ」は何しろ舞台構造丸々使っての舞台なので、2階向きな作品。
多分前方だと色々と見えないものが多いんじゃないかと思う。

例えば最初の劇場シーン、マリーとラリッシュは実は下手上側のバルコニー席(クリエのボックス席というと分かりやすいですが)にいるとか、前方だと見えないんじゃないかと。あのシーン、自害した女性に駆け寄っていくマリー、そこでルドルフと出会っていますが、え、2階のバルコニー席からどだだだだだ(←音は勝手に想像)と降りて舞台上にまで登るマリー、と考えるとどんだけ行動的な女性かがよく分かります。

初演と再演のマリーの違いは前回も書いていますが、初演のマリーとルドルフが「運命」の出会いなのだとしたら、再演のマリーとルドルフは「宿命」の出会いなのかなと。

初演は2人の間は「一目惚れ」をきっかけにした「愛」がメインテーマだったと思うのですが、再演は2人の間は「同じ自由」を求めた「夢」がメインテーマのように思います。故に、初演は「運命」、再演は「宿命」。
時代が2人を結びつけたかのように、ふと再演版は思ったのでした。

初演版と再演版の好みの分かれる点だと思うのですが、初演版のマリーは、ルドルフにとって唯一の安らぎだったと思うのです。あえて言うなら責任はじめ全ての人から追い詰められるルドルフにとって、無条件で自分を愛してくれる存在がマリー。

それに比べると再演版のマリーは、マリーさえルドルフを追い詰めるわけです(爆)。
マリーにとっては、ルドルフは自分の夢を叶えるための駒でしかないんじゃないか、とさえ思えることがあって。

再演版ではその癒しを求める相手がマリーじゃなくて初演にはいなかった娼婦のミッツィー(演:樺島麻美さん)だったりしますが、でも、ルドルフはマリーの前だからってミッツィー(たち)のことを「彼女たちは何の意味もない」って言ってたりする酷い男だったりもしますけどね・・・

その意味では、初演のマリーは「愛に生きた少女」で、再演のマリーは「夢に生きた少女」のように思えるのですが、そこで興味深いのがラリッシュの存在。

初演のラリッシュ(演:香寿たつきさん)はマリーのことを「愛でなく夢に生きるならまだ許せるのに」と言っているように見えて、
再演のラリッシュ(一路さん)はマリーのことを「夢でなく愛に生きるならまだ許せるのに」と言っているように見えて、
なんだかそのすれ違いぶりが興味深かったです。

途中まで、「(再演の)マリーはルドルフを利用しているだけじゃないか?」と思って見ていたのですが、2回目に見ておおっと思ったのは、マリーは、夢に破れたルドルフをちゃんと受け入れているのですね。
「皇太子のまねごとではなく皇太子として生きろ」とけしかけ、それでルドルフが敗れた時、全てを失ったルドルフを受け入れるのですね。つまり、「戦った彼のことを認め、戦って負けたからには、その責任は自分が取る」という・・・ある意味、「お前の亡骸は俺が拾ってやる」属性でしょうか(爆)。

自分の夢のために戦ってくれたルドルフのことを、マリーは愛したのだと思うと、再演の初回を見たときにちょっと釈然としていなかった部分がちょっと回収できてほっとしました。なんか再演のマリーって計算高すぎて・・・(苦笑)。

1幕最後、初演は「愛してる、それだけ」だった歌詞に「私を抱きしめて」がありますが、再演は「二人を信じて」になって「自由を抱きしめて」に変わっていて、マリーにとってもルドルフに向ける感情が完全に別なのがよく分かります。

再演版では、マリーはルドルフに愛されることを別に望んでいたわけではないのですね。


そういえば、初演と再演で大きく位置づけが違うターフェですが、初演の岡ターフェが「大物であることを隠しもしない」に対して、再演のサカケンターフェが「小物であることを隠せようもない」となっているのがとても興味深く(笑)。

役作りの違いでもあるのでしょうが、ある意味時代に対する危機感という意味では、実は似ていたのかもしれません。
所詮時代の流れに逆らえないと、あえて細々と動くサカケンターフェと、何とかしようとしたいがために却って自分のちっぽけさに恐れをなして、大きく出ようとする岡ターフェと、その意味では対照的なのかなと。
登場人物としてどっちも小物という意味では似たりよったりというか。


この日印象的だったのがステファニー。ハプスブルク家の墓でマリーと対峙し言う言葉に「ハプスブルク家の者にも心があったことを知るために私はここに来る」という言葉があるのですが、再演版で一番印象的な台詞これかもしれない、というぐらい私は印象的でした。

ステファニーは自分の意でハプスブルグ家に嫁いできたわけでもない(政略結婚)ですが、それでも自分の役割を全うしようと徹している。ルドルフはそれが息苦しいわけだけれども、ステファニーは自分が壊れないように必死に生きているんだなと思えて。初演版のステファニーはただ叫んでるだけの印象しかなかったんで(苦笑)、キーキーどなられてルドルフも気の毒だなぁ、ぐらいに思ってたんですが、今回はもう、「ルドルフ、あんたが間違ってる」ぐらいになってる(爆)。

ラリッシュとステファニーは、ルドルフを「守旧」で生きて欲しいと願っている点で運命共同体なんですよね。
でもルドルフは自分の生きる意味を、「自由」という名の未来をマリーとともに目指すことに賭けたと。


この日は終演後トークショー(正味20分)。
司会は東宝演劇部宣伝室の若手男性(アライさん)。舞台向かって左側から、アライさん、和音さん、井上さん、吉沢さんで4人。司会氏が劇場内アンケートを読む形で進行します。

結論から言っちゃうと、正直司会進行を経験がない人にやらせるのは止めた方が良いと思います(※)。

(※)ちなみに、エリザトークショーで何度か登板しているらしいです。え、それであの仕切り・・・?

最初ありえない程盛り上がらなくてどうするのかと心配になったぐらい。

素直に井上君に司会進行やってもらえば本人嬉々としてやるだろうし(笑)、他に司会適任者がサカケンとか松澤さんとか、塩田さんさえありがたいってぐらい・・・(苦笑)。

3人が口々に言ってたのは、この日が5連投(土日×マチネ+この日のマチネ)のラストで、
「とにかくほっとしている」と言ってたこと。

井上君「お客さまには全く関係ないことでしょうけど(笑)」

司会氏「アイススケートとか階段を背中から降りるとか大変なシーンが多いですが、一番大変なシーンは」
井上君「アイススケートという名のローラーブレイドですね(笑)」
井上君「ルヴォーは素晴らしい演出家ですけどこのシーンだけ
    は・・・・(文句いっぱいw)
    初演だと実は自分とマリーは滑ってなかったんですよ。
     でもルヴォーはやれと。
    稽古終わってから『アイススケートに出る方は居残りです』
    って言われて1時間とか、
    『明日はアイススケートの方は早出です』と言われて1時間
    とか。」
和音嬢「しかも靴履くときに舞台上で履きますし」
井上君「そうなんですよ、舞台袖に捌けることも赦してくれない
    んですよ(笑)」
井上君「主役特権でアイススケートシーンを無くせないのとか
    思ったんですけど(爆)、ダメで」
和音嬢「終わるとほっとします」

以下順不同で。

司会氏「フランク・ワイルドホーン氏の音楽は歌っていてどうですか」
井上君「ワイルドホーン氏の音楽を歌っているという印象が
    今回あまりなかったです」
吉沢嬢「歌稽古って感じもあまりなかったですよね」
和音嬢「演技と歌が一体という感じで、歌ってるという感じは
    なかったです」
吉沢嬢「2人(井上君と和音嬢)の歌を聞いてるとほんとうっとりで。
    素敵な曲だなぁと」
司会氏「吉沢さんはご自身の曲ではどんな感じですか」
吉沢嬢「私の場合、1曲歌い上げって感じなのですけど、
    あの曲を稽古の都合上4回とか歌って、
    さすがに最後はヘロヘロでした」
井上君「しかもあの曲、最後はベッドに倒れ込みますが・・・」
吉沢嬢「稽古場ではあれ、板だったんですよ(笑)。
    痛くて大変でした」

井上君「演技と歌が一体と言えば、マリーの1幕最後の曲、
    歌っているマリーを持ち上げるじゃないですか。
    あんなこと普通ないですよ(笑)
    最初言われたとき冗談かと思いましたもん(笑)
    あぁいう時って女優さん、『歌っている私に触らないで!』
    って感じの方多いんですよ。
    マックス緊張してますから。
    『私のポジショニングそこだから!』みたいな」

・・・なんか脳内で特定の人が想像付いたけど、あえて名前は挙げないでおこう(帝劇内で同志多数と想像)

司会氏「和音さんはその辺は何ともなかったんですか」
和音嬢「何ともなかったですね。先ほども話が出たんですが
    演技と歌が一体って感じなので特に違和感なくて。
    こんなに高いところで歌うことないなーとか(笑)」
井上君「下から歌っている人見上げるとか普通ないですよ(笑)」

司会氏「和音さんと吉沢さんお互いで共感できるところ
    とかありましたか」
吉沢嬢「やっぱり(2人が直接対峙する)お墓のシーンですね。
    あそこのシーンはある意味、『ルドルフのことをよろしく』
    って面もありますからね」
和音嬢「私的にはあのシーンは
    『絶対ステファニー』なんですけど(笑)
    だから気持ちがすごく分かりますね」

井上君「そういえば、ルヴォーに演出付けてもらう前に、
    とある曲で、帝劇の舞台いっぱいに動きながら歌った
    んですよ。『この動きで帝劇の舞台を埋めてやる!』
    って思ったら、見た後のルヴォーの反応は『わかった。
    じゃ、動かないでやってみてくれ』
    ・・・・えぇぇ?みたいな(笑)」



とにかく司会氏が慣れてなさすぎるので、井上君が孤軍奮闘でなんとか形になった印象。
ちなみに本編のルドルフに関して井上君いわく

「ルドルフは孤独な人だと思われがちだけど、(劇中に出てきた娼婦の)ミッツィーにも、そしてステファニーにも、(関係があった)ラリッシュにも実は愛されていて、『なんだそれで良かったんじゃん』みたいに思った(笑)」

というのが結局印象的でした(爆)。

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『リンダリンダ』(4)

2012.7.7(Sat.) 18:30~21:30
紀伊國屋サザンシアター 4列目10番台(センターブロック)

先週も「会期中一番の良席」とか言ってた割に、この日も東京楽もこの席。
あまりにど真ん前に松岡君がいるもんで、最後には目が合いました(笑)

カテコで松岡君いわく、「何度も来ていただいているのは分かっています。顔も大体覚えました」だそうです(笑)が、そこ、男の私も入っているんでしょう(笑)。座長の格好良さは男でも惚れますな(←そういう趣味はありません)



客の入りは苦戦しているらしく、それでいてプライスダウンという選択肢はないようなので(リピーターチケットは会場内のみ発売で1000円引き)、なんかそれってクール・パルチザンの「世の中に媚びない」空気を身に纏っているかのような。

前方席でもお知り合いか演劇関係か?ってタイプの方がいて、そういう人は観劇するときに足を組んだり、チラシをチェックしたりしだすからよく分かる。どういう種類の人たちか分からないけれど、どういう芝居であれ目の前の演者を前にそういうことをして平然としている様というのが、自分には理解できなかったりする。

実は日曜日の帝劇も隣が足組みのおじさん(業界人じゃない感じ)だったりしたし、何かとても悲しいものを感じたりする昨今。

舞台から客席を見た体験はないけれど、そういう空気には人一倍敏感な役者という職業で、この日の様をどのように感じたかは推し量る術はないのだけれど、初日以来見てきてこの日凄いと思ったのが、松岡君の「チェインギャング」。

初日はここまで凄くなかったよね?というぐらいな入り込み方。まさに魂の歌。松岡君なりマサオなりの不器用さで、だからこそ刺さるまっすぐな歌。公演最初は伊礼君が飛ばしていた感じもあって、松岡君が少しおさえていた感じがあったけど、ここに来てバランスが取れてきたというか、役割分担がきれいに分かれた印象。

そして伊礼君はもう芝居がとんでもないこと(褒め言葉)になっていた。いやぁ、相手が由美子さんだから120%でぶつかっていいのは前から分かってると思うんですが、全力でカオリを拒絶するところがもう・・・離れたくもなかったし別れたくもなかったんだけど、でも触れられたくないところに触れられたら、やっぱり男ってそうなっちゃうよな、とは思う。

由美子さん演じるカオリはやっぱり正しい。とにかく正しい。出演者中、間違いなく一番真っ当。なのに一番幸せになれてない(苦笑)。
女性3人みんな「耐える女」と由美子さん自身が言ってるけど、ミキとナナミが最後の一皮を残したのに、カオリはそれを残さなかった。7年という重みの違いもあるんだろうけど、やっぱりやることやって後悔はない、ってことなんだろうな。

前回気にかかっていて今回確かめたかったことをようやく回収。

やっぱり権八に連絡を取ったのはカオリだけだった。で恐らく大場に情報を伝えたのもカオリなはず。
じゃないとあぁはならない。

それをケンは望んでいないのは分かる。けれどもカオリのバランス感覚がケン始めバンドを救ったのだと思うと、それをケンが知る瞬間はいつまでも来ないと分かっていても、それで振り向いてもらえないなら、そりゃしょうがないよねと。

権八はケンにも連絡したが喧嘩別れ、ミキにも話が通じず。
ここで権八からカオリにじゃなくて、カオリが権八に連絡してるのが自分的にはうるうるポイント。

この日はマチソワということもあって、由美子さんの歌も少し荒れていた感じもあったけれど、やっぱり持っていくところは持っていく。「私ももうすぐ30だし・・・」とか裸エプロンとか、どうにも「それはやっぱり無理があるんじゃ・・・」みたいなところはあるんですが(泣)、歌では由美子さん、台詞では大高さんがとにかく安心感を醸し出します。絶対ぶれないですからね。
(ここまで聞き慣れてると半音ずれたのは分かったりしますけど、それは言わない(笑))

舞台女優として絶対に外さないことには全幅の信頼がありますが、この先のことも考えると、+αを考えなきゃいけない時期に明らかに来ていると思えます。歌に酔いしれながらも、「本当にこのままでいいの?」とまさしく問いかけられているかのような役な気がします。
与えられたものに応えるだけだと、新たな物は生まれなくて、無理をしてでも自分で次のビジョンを作っていかなければならないと思うのです。

この日、午前中から仕事に追われてきりをつけて紀伊國屋サザンシアター、翌日は帝劇。

自分自身の立場と重ねつつ、作品を見ながらご贔屓さん見ながら考えつつ。

「一歩踏み出す勇気」こそが未来を作るんじゃないか、そう思えた土日でした。

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『ルドルフ』(5)

2012.7.8(Sun.) 13:30~16:20
帝国劇場 2階H列20番台後半(センターブロック)

こちらも新演出版、「ルドルフ・ザ・ラストキス」。

初演版の井上&笹本ペアが好き過ぎて通い詰めた初演からもう4年。

先日のめぐろの「ミス・サイゴン」といい、”新演出版”流行りで、個人的にはまだサイゴンの新演出版に乗り切れていないので、果たしてこちらはどうかなと思って帝劇へ。

もともと初見は16日マチネ(たまたまトークショーの回)の予定だったのですが、日比谷シャンテで開かれているパネル展が10日までということを知りまして。日比谷に行く用事がないなぁと思っていたら、だいたいの評判も聞こえてきたし、何となく自分好みぽいし・・・ということで、日が回ってからナビザをぽちっとな。

本当は「B席が残っていたら行こう」と心に決めてナビザを見たのですが、B席がなくて、A席がセンターで残ってるの見たら理性が消えまして(笑)

おかしいなー、ご贔屓さんがいない公演に行くのは程々にしないと、とか誓い立てたばかりじゃなかったっけ、というかルドルフ既に2回見る予定じゃん、つかこれで回数ベースで去年の観劇回数超えるの確定(苦笑)。

そんな心の声はいいとして(爆)

演出家のルヴォー氏がことあるごとに「セクシー」を連発していて、で、主演ペアがどうしてもそういうイメージとは失礼ながらフィットしなかったので心配してはいたのですが、意外や意外、今回の新演出版、とてもしっくり来ました。初演版といい意味で”別物”とはっきり認識できるせいかもしれません。

舞台全体が「赤」で統一された舞台装置。
初演版ではマリーだけが「赤」だった印象があるのですが、再演版は「ルドルフ」という作品そのものが「赤」。むしろ、再演版のマリーは「白」の印象が強いです。

黒い舞台に輝く赤、が初演のルドルフという作品に対するマリーのポジションだとすれば、
赤い舞台に光る白、が再演のルドルフという作品に対するマリーのポジション。

どちらも”異質”な存在としてあることには変わりはないのですが。

ルドルフ役の井上芳雄氏はさすが鉄板で揺らぐことがなく、ただ再演版は演出のゆえか、へたれ度増というか。

初演(分からなくなりそうですが本稿のルドルフは彼のデビュー作の「エリザ」のルドルフではなく、「ルドルフ・ザ・ラストキス」の初演ルドルフのことです)のルドルフが使命に生き、挫折の心をマリーによって満たされたのに対すると、再演版のルドルフとマリーは、優柔に生き、マリーに尻を叩かれたと申しますか・・・(苦笑)。

マリーに関しては初演が「男爵令嬢」で再演が「革命闘士」という(大苦笑)。

いやはや再演のマリー、和音美桜さんがもう強い強い。
初演のマリー、笹本玲奈さんも強かったのですが、明らかに初演と再演で強くなれる理由が違うと言いますか。
初演版は明らかに「愛のためなら強くなれる」だったと思うのですが、再演版は「夢のためなら強くなれる」だなと。

再演版のマリーはルドルフと同じ夢を追い求める”同志”のような関係で、だからこそ心が折れかけるルドルフを鼓舞するのですが、初演版のマリーはむしろルドルフに対する癒しだったし、ルドルフにとっての逃げでもあったように思うのです。
その点、初演版が好きな人がここをどう取るか、確かに好みの分かれるところかもしれません。

そのルドルフとマリーの関係を取り巻く人々ですが、再演版がはっきりいいと言えるのが、ルドルフの正妻であるステファニー。元劇団四季の吉沢梨絵さん(初見)が演じていますが、この方が実に良い。

村井さん(初演は壌さん)演じる父・フランツの「守旧」と同様に、「伝統」を重んじ役割に生きようとするステファニー。初演版は知念ちゃんでしたが、初演版ではかすかにだけ感じた「(観客から見て)あなたが一番正しい」というステファニーの空気を、吉沢さんは実にきっちり演じておられました。うちのご贔屓さんと同世代、上手な人ってやっぱりまだまだいるんだなぁ・・・

吉沢ステファニーの何がいいって、不必要なほどには狂っていないってところかなと。理性で追い詰めるからこそ、ルドルフも息苦しくなる。初演のマリーとステファニーはタイプが似通いすぎてて(今同じ役やってるわけだから当たり前かぁ・・・)、「なんでマリーなら良くてステファニーはダメなの?」みたいな感想を普通に持ちかねなかったのですが(爆)、今回は完全にキャラが違って、二択が分かりやすい。

「守旧」のステファニーを選ぶか、「改革」のマリーを選ぶかという二択なので、そのどちらにも愛がないと言われちゃうと身も蓋もないんですが・・・

再演版で弱いなぁと思うのがマリーの親友・ラリッシュと、首相のターフェ。

どちらも初演版が濃すぎたのでその印象が強すぎるのは分かってはいるのですが、ラリッシュに関しては再演のマリーがあまりに世の中を知っているので「世の中のことを教えてあげる」という役割が実質的にほとんど要らなくなってしまっていて、位置づけがかなり中途半端。それに一路さんは演技がふわっとしたところに魅力があるように思うのですが、ラリッシュに関しては初演の香寿さんがいい意味でどっしりしていたので、その印象から逃れるほどのインパクトをもって伝わってこなかったのが、ちょっと残念かなと(今回の演出だとどうしようもありませんが)。

で、ターフェに関しては・・・何というか、かんというか、あの初演の玲奈マリーと岡ターフェの本気の”殺し合い直前”みたいな空気が大が10個以上付くぐらい好きな自分にとっては、もうあれが見られないかと思うと寂しくて寂しくて。

再演のマリーも気の強いところに関しては初演マリーとタメを張りますが、ここと絡めて考えると、やっぱり先ほども書いた「愛の違い」が関わってきます。

初演のマリーの場合は無鉄砲向こう見ず、一目惚れのルドルフのために自らが楯となってターフェと対峙するのですが、再演のマリーはルドルフのために対峙するんじゃなくて、自分の夢のために対峙するんですね。

ある意味、再演のルドルフは初演以上に「記号」であり「機関」なんじゃないかと、この場面を見て思ったのです。

「ルドルフ」というオーストリア・ハプスブルグ家の皇太子である彼の人格というものは求められていない、それが再演版でははっきりしているのかなと。マリーでさえ、ルドルフへの思いは、「自由を皆の手に渡すためにルドルフを利用する」という側面が大部分を占めている。マリーでさえそうなのだから、他の取り巻く人々は言わずもがな。

初演のマリーは、「ルドルフの孤独を理解し、ルドルフの人としての寂しさ、哀しみをただ一人分かっている女性」として描かれていたかと思うので、その意味で完全に別の物語。

マリーさえもその役回りに回した事への是非ということが、再演版への好みに現れるのかと思います。

自分自身の正直な気持ちを言えば、愛情に殉じたマリーは玲奈ちゃんとともに去っていって、使命に生きるマリーがたっちんとして現れたのと思えて、気持ちの整理が付いて楽でした(苦笑)。

玲奈マリーが歌い上げていた「愛してる、それだけ」の照明が上書きされなかったのも個人的にはほっと・・・あれがこういう使われ方の曲になるとはなぁ(曲名も変わって「二人を信じて」に)。

ここからちょっとねたばれ




歌詞もずいぶん変わっていて、一番びっくりしたのが「ただのロマンスじゃない、夢でもない」と歌われる、初演版「ただ君のために」。ここ、初演では「ずっとこんな日を待ってた」だったのですが、再演では「ずっとこんな日を恐れた」になってるんです。愛に溺れるの、いやだったんですか、マリー革命闘士・・・(苦笑)。

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『ミス・サイゴン』(8)

2012.7.2(Mon.) 18:15~21:15
めぐろパーシモンホール 8列20番台後半

プレビュー公演2日目、笹本玲奈嬢のキムの初日ということもあり、会社からはちと遠い、都立大学駅近くのめぐろパーシモンホールへ。

朝早いのは辛いけど、こういう時だけサマータイムに大感謝。

新演出版の初日が前日(知念キム)で、なるべく情報をシャットアウトしつつも、少し聞こえてくる作品の印象。
8列といえど、実は前5列をオーケストラピットで潰しているこのホール。8列は実は3列目なのです。

新演出版は正直何を言ってもネタバレになるのが困ったところですが、まっさらな気持ちでご覧になりたい方は、早めに回れ右を推奨です。



よろしいですね?



いきますよ?



「ミス・サイゴン」という作品は、元々東宝ミュージカルの中でもかなり異質な作品だと思うのです。あえて言ってしまうのなら、「救いのない、身も蓋もない」ランキングのぶっちぎりトップと申しますか(苦笑)、もともと「綺麗事じゃない」ことを描く作品なのだとは思います。

再演時(2004年)に出会って以来、再々演(2008年)と見続け、オリジナル版が幕を下ろし、今回が新演出版。

新演出版はヘリコプターの実物も出てきませんし(CGです)、セットが小振りになるといった外観的なところばかり気になってはいたのですが、実際に見た印象は、むしろその辺りは全然違和感はなく(ヘリコプターのCGさえ違和感なく)、それより何よりすごいのは、作品全編に流れている「リアリズム」の濃さ。

ただでさえ作品テーマ的に「綺麗事じゃない」ことを扱っている上に、それを増長するかのようにさらに「綺麗事じゃなくリアルに」描こうとしているものだから、正直言って一幕は心の底まで疲れました。初回ということもあってか、心地よい疲れというよりは、本当にどっと押し寄せる疲れ。

イメージとしては最初から辛い担々麺に唐辛子入れまくるような感じですか(←ちなみに私はやりません)。

再演版が素敵な音楽を流すことで、とても重大な話を、ともすれば音楽で流してしまうような面がなかったといえば嘘になるとは思いますけれども、ここまで無理にリアルにこだわることまでしなくても良かったんじゃないかなぁ、というのが正直な感想です。

新演出版で自分が好きなのは、台詞の充実さですね。お互いの人物像を際だたせるのに貢献している印象。

そんな新演出版ですが、キャストは皆さん本当に素晴らしかったです。

何と言ってもキム役・笹本玲奈さんはまさに円熟のキム。

彼女が演じた今までのどんな役よりも汚れた服を着て、彼女が演じた今までのどんな役よりも長く髪を伸ばして、そして彼女が演じたどの役も凌駕するかのような存在感と歌唱。

新演出版が客席に与える衝撃は、キャストにも同じようにかかっているように思われて。

新演出版を見るまでは、「何で今年のキムは3人とも続投なんだろう」という思いは少しはあったんです(ご贔屓さんが2人含まれていることはとりあえず横に置いて)。

でも、実際見ると、再演版より新演出版の方が、キャストにかかる重しがものすごい。
これは初役でやるのはまず無理だと思います。

ただでさえキムはミュージカルアスリート役のトップに君臨するであろう役ですが、新演出版は心理的ダメージやら肉体的ダメージやらがこれでもかというぐらい押し寄せて、生半可な力量では明らかに乗り切れないと思わざるを得なくて、なるほどと納得せざるを得ないなと。

いくら賛辞を送っても足りないぐらい、玲奈キム、流石の出来です。

バンコクのクラブの自分の部屋で、不意打ちでタムにほっぺにキスされた時の笑顔が素敵でした。


今回、演出は大きく変わっていますが、音楽的には大きな変更があったのはエレンのみ。
エレンの「今、彼女に会った」が「Maybe」という曲に変わっています。

キムがホテルに来た後、彼女を見送った後にエレンが歌う曲ががらりと変わったことで、このシーンの印象はかなり変わっています。エレン役の木村花代さん、初見ですが噂どおりの素晴らしい歌唱力。とはいえエレンとしてはもう少し演技に厚みがあってもいいような気がしました(原体験が演技が濃いエレンだったのでそう思うのは当たり前なのですが・・・)

その他、一部歌詞が変わった曲がありますが(「ブイドイ」の一部の歌詞が変更)、全体的には「あぁ、サイゴンだなぁ」と感じられる素敵な音楽。この日のキム・笹本玲奈さん、クリス・山崎育三郎さん、ジョン・上原理生さんという、初日トリオ3人はそれぞれ役にフィット。理生君が上官シーンのところでちょっと違和感があったぐらい。

それにしても今回の新演出版、ジョンの露骨な遊び人ぶりとかは実はちょっとイメージ違ったりして。
リアリティってエロスなのかなー(苦笑)。ドリームランドも実際はあのぐらい「物扱い」だったんでしょうが、実際に目にするとやっぱりもやもやしたものは残りますね。

自分の感覚ではクリスは「精神的な幼さ」、ジョンは「偽善」がポイントなので、育三郎クリスはイメージとフィット。どことなくカズさんのクリスと印象がかぶったので、新妻キムと合いそうな気がする。上原ジョンはちょっと立ち位置に迷いがあるような感じでなんか萎縮している印象。




1幕の衝撃に比べると、2幕はずっとナチュラル。

玲奈キムのなんだか女王様みたいな衣装が微妙だったけど(爆)、ラストシーン以外はそれほどまでに違和感を感じず。
もともと2幕は再演版でも、それなりに露骨に作られていたような気がします。

でもキムが土下座してエレンにタム引き取ってよ、はちょっと違うと思うんだけどな。



この日は鳴り止まない拍手の中、何度も何度もカーテンコール。
玲奈ちゃんは時にタムを抱き上げて手を振っていましたが、さすがに4回目とかなるとかなり辛そうではありました。

新演出版1回見て心配なのは、「この作品マチソワ無謀でしょ」ということ。
厚木(8月18日)、青山(9月8日)、浜松(12月22日)と3回予定しているのですが、今から戦々恐々としています。

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『骨唄』(2)

2012.7.1(Sun.) 14:00~15:55
あうるすぽっと D列1桁番台(センター)

あっという間に東京千秋楽。

劇中、「あじさいの花は何であんなにきれいなのか」を問いかける栞に、”花の人生は短いからこそ美しい”と答える父の様が、まるで作品と重なるかのように、この作品は再演、再々演と窮屈なスケジュールで上演されることが宿命であるかのよう。(再演の本多劇場もわずか4日間の公演でした。)

それを言ってしまうと齢20年足らずで自ら天に召された栞の人生も、「短いからこそ美しい」と思えてしまいそうで、それは切なすぎるのですが。

舞台にびっしりと敷き詰められたあまたの風車。再演時の本多劇場より明らかに広いあうるすぽっと。恐らく再演の5割増ぐらいの風車は作られたのでしょうが、圧巻なのがラストシーンの紙吹雪。なんか後片付けが大変そうなというか、マチソワの日に、どうやってあの紙吹雪千枚(以上)を漏れなく片付けるんだろうというのが、実はちょっとした疑問でした(苦笑)。

舞台中央の物見櫓で、新妻さん演じる栞がいくつかのシーンを演じますが、この劇場のウィークポイントは、実は席によってはものすごい高さな物見櫓のシーンが、特に下手側からは見えないことが多いらしいこと。
たまたま私の場合は大丈夫だったんですが、物見櫓の下手側に大きめの箱があって、死角になっていたのが少し残念でした。

とはいえ、この日の席はセンターだったので、物見櫓シーンで見上げることがあっても、視線上の不満はまるでなく、作品の世界観を堪能しました。

再々演ということもあり、3人の芝居の掛け合いは凄いことになっていて、栞ちゃんのいたずらっぽさ暴走中。
物見櫓に昇った姉を追っかけて、はしごを揺らしていたずらしてました。
お姉さん、本気で「ちょっとやめてよー」って泣き入ってましたな。

この日見て印象的だったのは「狭いところは嫌い」という栞の魂の叫び。
「病院に行きたくない、狭いところは嫌い」と言った叫びを聞いていると、栞を変えてしまったのは、左耳が聞こえなくなった”事故”そのものではなくて、それを治すための治療の方にあったのでしょうね。

目の前で世話をしているウサギ、そしてエミューを無意識の間に逃がす栞は、その瞬間に自分と動物をシンクロさせてしまっていたのでしょう。

自分がその狭い場所に戻るぐらいなら・・・という結末はやるせなくもあるけれども、栞の満ち足りた表情を見ると、「それしかないんだよね」と思ってしまう自分がいたりして。

その反面、栞がいなくなって抜け殻になったかのような父の様もすごく分かる。

「子供にとって最大の親不孝は、親より先に逝くこと」という言葉はよく聞かれる話ですが、父を演じた高橋長英さんの様を見ていると、それが実感を持って伝わってきます。
ある意味、自分の人生の意味が確実に一部分削られる心情なのですね。

父が栞の姉にかけた「おいより長く生きろ」って言葉は、言葉下手な父にとっても最大限の言葉なのだなと。
その言葉は、この田舎の地をある意味憎んで逃げたであろう姉にもきちんと伝わったのかなと。

栞を通じて「伝統を守る」気持ちは伝わったのだと信じられるからこそ、そして「伝統を守る」ということがただの懐古だけではないということが表現されているからこそ、この作品の最後は温かいのかなと思えます。



東京千秋楽ということもあり、新妻さん・冨樫さんが促して高橋長英さんがご挨拶。

「短い公演ではございましたが無事東京公演を終えることができました。この後、相模原・横浜と6公演(※注:演劇鑑賞会公演で一般発売はありません)やりまして今回の『骨唄』は終わりとなりますが、またいつの日かお会いできればと思っています。ありがとうございました。」

今回の公演、栞役の新妻さんは聞いているこちらが耳にたこができるぐらい(爆)「ラスト」を強調していますが、あれ?(笑)

彼女が「ラスト」を強調するときは、役柄に深い思い入れがある時なので(「ミス・サイゴン」キム役、「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役)、サイゴンの例からすると(2008年の博多座公演で「完全燃焼」を宣言しながら、本年8月から再登板)、またとんでもないスケジュールでやりそうな予感。

6月20日発売の「池袋15」のインタビューで唯一「ラスト『かも』しれない」と表現していた彼女の言葉に、ちょっとだけ変化を感じたりしました(笑)。

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『リンダリンダ』(3)

2012.6.30(Sat.) 13:30~16:35
紀伊國屋サザンシアター 4列目10番台(センターブロック)

いつのまにか休憩込み上演時間が2時間45分から3時間5分に伸びてました。

会期中一番の良席がこの日。

間違いなくセンターという場所なので(席番が分かっちゃいますね)、この作品の楽しみの一つ、通路際のハイタッチがないのですが、由美子さんの通路降りはないので、別にいいや、みたいな(笑)。

2幕後半の「ラブレター」の歌い出し、舞台に座って歌うシーンが結果的にベストポジション。
たまたま前列が空席で視界が開けているので、由美子さんのぶれない歌に浸る至福。

この曲、愛していた彼の幸せを願うように歌うカオリ役の由美子さんですが、この日は最後、なんだか安心したようにふっと微笑むのが、意外。

カオリはケンと別れてどう思ったのかって初回・2回目でちょっと分からない部分もあったのですが、携帯ばかり気にしていた彼女が、ラスト曲で手帳開いてたから、多分振り切っているんだろうなと思ってはいました。

今回、このシーンの笑顔を見て、彼女はケンのために自分が思ったことをしたわけで、そこで後悔するような女性じゃなかったのは、ちょっと納得したかも。

そういえば前方席、噂の由美子さんの一升瓶役(←こら)を発見。え、あんな上方から来てたとは全く思わずびっくり。
何だか日常な感じでしたが(爆)。



この回のハプニングはまたもや伊礼氏。

爆破実験の時、ポケットから何やら「どたっ」と落として、マサオから「大丈夫か?」と心配されてましたが、落としたのはスマホだったらしい。結構大きい音がしてました。



さて、ネタバレ始まります



今回見ていてちょっと思ったこと。

ヴォーカルが引き抜かれたことをきっかけにバンド生活に別れを告げて田舎・福島に戻ったドラマーの権八(ごんぱち)。

権八がつい漏らした「警戒区域内の牛を救いたい」という”願い”を真に受けて「自分たちが本当のロックバンドになる道はこれだ」と突き進む、伊礼君演じるリーダー・ケン。

皆が全ての準備を終えて現地に到着したとき、そこにはなぜか権八がいて。

なぜ計画が漏れたのかいぶかしがる皆に、権八は答えるのですね。「カオリちゃんが教えてくれた」と。

権八「迷惑なんだよ」

ケン「牛を救いたいって言ったじゃないか」

その時の田鍋さん演じる権八の表情が絶妙でしたね。

「あぁ、こいつは真に受けるヤツだった」

「言うんじゃなかったな、無駄なんだから」

「そういや、そんなリーダーだから10年間付いてきたんだったな」

・・・という(苦笑)。

権八は田舎に帰ってから、昔のバンドのメンバーとの接触を断つためにか、携帯番号を変えているのですね。

リーダーのケンは暴走するけれども、実は「権八の意思」を簡単に確認出来ないからこそケンの言うことが通るわけで。

権八が脱退後、権八と会話したのは3人いて、ケンとミキ、カオリの3人中、権八に自分から連絡を取れたのはどうもカオリだけのようなのですね(ミキがはっきりしないのですが、権八からミキに連絡が入ったらしい。ケンへの権八からの電話は公衆電話ということはわかっている)。

カオリは「権八さんに連絡を取った」と自分で言っているので、携帯番号を知っているか、もしくは何らかの方法で権八とアクセスしたわけで、むろんそれはケンのためであるわけですが、よく考えるとそれは凄いなと。

当初、「権八はカオリにだけは新しい携帯番号を教えていた」とも想像したけれどもちょっとその話はできすぎているし、そうなるとカオリがケンに拒否された後、「やれるだけのことはやった」という思いの理由が分かるような気がします。

ケンは頭に血が上っているから気づかないけれど、実はカオリがさらりと言ったその一言に込められた想いを考えると、胸に迫るものがあります。言いたいこと全部言ったように見えるけど、ご本人の言うとおり「耐える女」なんですよね、やっぱり。

カオリがケンに想いを伝えるシーンとか予想どおり溜めがむちゃくちゃ長くなってて、役の立ち位置の中途半端さを何とか演技で工夫しようとしている感じがありありですが、そこでできることは限られているわけで、どうしてももやもやするところはあります。



それにしても、この倦怠期カップル(爆)、色々面白くなってました。

1幕最初の由美子さんのしたポーズを伊礼君が真似したりじゃれてましたが、一番面白かったのは、晩酌のシーン。
ケンはカオリにビールを注ぐのですが、ケンは手酌(爆笑)。

食器片付けるのがケンなのは気づいていたのですが、何というか芸が細かい・・・。

この日のカテコ。

伊礼君が「ソワレはケンとマサオが入れ替わります」って言い出して、「だってあのシーン(ちなみに某下ネタシーン)やりたいんだもん」と実演付きで言ったらすかさず由美子さん「そのシーンだけやりたいの?」と突っ込んで笑いを取ってました(爆)。

そういえば伊礼君、松岡氏にキスしてました。なんか彼のマイブームらしい(笑)。
さすがに松岡氏は逃げてましたが、結局逃げ切れなくなってました。

次回は7日ソワレです。



舞台そのものの話ではありませんが、ちょっと印象的だった出来事を。

舞台作品を見ていると、ご贔屓の出演者が演出家からどう思われているかというのは実は気になることですが、今回、演出家の鴻上さんが由美子さんについて、「週刊SPA!」で触れていることを知りました。

鴻上さん「アイドルがやがては女優になりたいと言っていることをどう思うか?」

由美子さん「女優になるってこと、女優を続けるということは、本当にしぶとくないとできないと思うよ」
 「私はソロだったから、今、まがりなりにも女優をやれてるんだと思うんだよね」

・・・これを知って、なんだかとても感動したんですね。

この話を上げてくれた鴻上さんから由美子さんへの評価は疑うまでもなく、由美子さんの答えもまた絶妙だなと。

今のアイドルブームという状況に対して、何らの明確な含意を含んでいないんですね。
「今のアイドルが女優になれるか」に対してyesともnoとも判断していないという上手さ。
自分のたどってきた道に対して何ら恥じることなく、無用な貶めもしていないという点も嬉しい。

常に言葉で表現できるかどうかはともかくとして(←基本的に不器用で、誤解されることに割り切りがありすぎる)、本質的に「頭が良くないとできない仕事」なんだなと改めて実感。

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