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『ジキル&ハイド』(4)

2012.3.27(Tue.) 18:30~21:25
日生劇場GC階A列10番台前半(上手側)

ジキハイ、当初は3回の予定だったのですが結局6回。

3人の歌の魔力に取り憑かれ、作品の熱さに持って行かれ、そしてGC階のあまりの良さに虜になり・・・というわけで追加分は全てGC階。2回連続下手側だったので、今回はとある表情を見ることを目的に上手側を選択。

席に着いた途端分かったのですが、正直、上手側はオススメしません。下手側より劇場がずいぶん窮屈に感じます。
音響もずいぶんと下手側に寄っているようで、正直なところ、そこは不満が残るmy楽ではありました。

が、色んな意味で「記憶の補完」にはもってこいな、「今までと違うアングル」。

あ、今日もネタバレ満載ですよー




エマ登場シーン、エマは満面の笑顔(推定。上手からは見えません)で「私の味方はあなただけよ」と向かっていくジョン・・・
なんですかその膝付き両手広げの壮大な英国紳士ジェントルマンポーズは(笑)。

結局会期中に読心術を習わなかったので何話してるのかわからずじまいで、今までのジキハイがどうだったか分からないのですが、エマとジョンの気持ちの通じ合い方がハンパなくて。”信頼し合う同志”としてヘンリーを支えるという形なので、本来は同じ人を好きになる、エマとルーシーとジキルの三角関係、なはずなのがいつのまにかうやむや(爆)。

濱田めぐみさんの歌は素晴らしいのですが、お芝居となるとちょっと埋もれてしまっているような感じがするのは、吉野さんのジョンと玲奈ちゃんのエマの仲が鉄壁過ぎるからだと思う。

だからこそ最後のシーンの衝撃は、ヘンリーそっちのけなぐらいで・・・無論、2人とも「すべてはヘンリーのために」なのですけれども。

エマが本当の笑顔を向けるのは実はジョンに対してだけなんですよね。気を許した人だけに向ける笑顔。
ヘンリーはエマにとっては守る対象で、自分が守られる対象じゃない。だからエマがヘンリーに向ける笑顔は、ヘンリーを心安らげる笑顔であって、本当の笑顔とはちょっと違ったりするように思えて。
それにしたところで、自分は守ってもらいたくないからこそ、ヘンリーを相手に選んだとさえ思えます。

エマはエマパパに対して「大好きだけど、もう旅立ちたい」って歌っているわけですが、それはエマにとって「自由になりたい」という願望であり渇望。自ら自立して、愛される実感を抱きつつも、彼の夢を追いかける姿が自分の夢。
自分の意思として、エマはヘンリーをアシストするというかプロデュースするというか。

前回も書いたのですが、ヘンリーは人格として完璧じゃないからこそ、エマもジョンもヘンリーを放っておけない。

「あの社交性さえあれば自分ももっと成功できるはずなのに」とヘンリーはエマに愚痴をこぼしていて、でもエマはそんなヘンリーを「あなたはあなたのままでいればいい」と言ってる。

ヘンリーの魅力はその不器用さにあって、だからこそエマもジョンもそばにいる、ってことなんだろうなと思う。
今回のジキハイの石丸さんが私的には初めてのジキル&ハイドキャストなのですが、自分的には不完全な不器用さという意味で石丸さんのイメージととてもフィットしていたりします。

●ハイドの本心
ジキルから人格分離薬で生まれ、しまいにはジキルの意思を無視して殺戮を繰り返すハイド。

・・・という刷り込みがあったので気にしていなかったのですが、ハイドが殺めた人は、実は1人を除いて全ての人が「ジキルが恨んだ相手」ということにこの日、初めて気づきました。

自らが人生を捧げた研究成果を、最後のハードルで却下した理事会メンバー(エマパパは棄権してるから例外)は、一人残らずハイドが葬っているわけですが、それって”ハイドの本心”というより、むしろ”ジキルの本心”なんじゃないかと。

人間って人を憎むと「殺したいぐらい憎んでる」って言葉を使ったりしますが(往来で言うと警察呼ばれますが)、じゃぁそれすなわち全て殺しにつながるかというとそうじゃない。

この作品におけるハイドは「殺人鬼」みたいな位置づけだけれども、ジキルの意思を外れてはいないことに、違和感を感じたのですが、逆に言うとジキルがハイドを動かしたような図式じゃないかと思うんです。普通のイメージは逆ですよね。ハイドがジキルを乗っ取ったようになってますが、よく見るとジキルがストッパー外れたからハイドの殺戮なんであって、「ジキルが殺したいと思わなかった人物」にはハイドは危害を加えようとはしていないんですよね。

・・・と書いてきて気づくラスト、え、違うじゃん、という。

ストライドまでは確かにその法則だけど、実は例外が2人います。

それがルーシーとエマ(エマは未遂ですが)。

理事会メンバーへの攻撃は「ジキルの意思が、ハイドの身体で」やっているのに対して、
ルーシーとエマへの危害は「ハイドの意思が、ジキルの身体で」やったことに見えます。

この作品でジキルは「不器用な世渡り下手」というポジションにいるけれども、その実、ジキルが自らを汚さずにハイドになって自分の意思を実現したんじゃないか、だからこそハイドはその仕返しにと、ジキルが大事にしたルーシー、エマを手に掛ける。ジキルにとってルーシーはただの行きずりの相手だけれども、エマはそうじゃない。愛し合った女性であり、婚約者。

だからこそ「ヘンリーが私を傷つけられるはずないわ」というエマの言葉が生きてくると思うんです。
ずっと、「エマはハイドの存在を理解していない、だから本当の怖さを知らない」って意味に捉えていたんですが、ちょっと違和感を感じていて。
エマにとっては、自分を傷つけようとしている存在は、ヘンリーでしかなかったんじゃないかと。

ジョンはハイドの存在を知っていたから、「ハイドは悪だ」という刷り込みが存在していて、だからこそそこに拳銃をすぐ構えるわけです。ハイドはヘンリーだとしても、それは滅するべき対象であると。

ここに、ジョンとエマの間の、ヘンリーに対する思いの少しだけの違いを感じます。
端的に言ってしまえば友情の限界と、愛情の力なのでしょうが・・・

エマがハイドと対峙しているとき、なんだか「ヘンリー」と対峙しているようにずっと見えていたのですが、「これらは実はヘンリーの罪なのだ」ということを、エマが分かっていたからのように思うのです。「ヘンリーは自分を傷つけられるはずがない。もしヘンリーが自分を傷つけようとするなら、それはヘンリーであってヘンリーじゃない。それをヘンリーは気づかなければいけない」と言っているように思えて・・・

今回、上手側で見た一番の目的は、ラストのエマからジョンへの表情でした。

下手側からは、ともすれば責め立てるような表情に見えたエマの表情がどう見えるのかが、一番の目的でした。
端的に言えば、いままで妙に違和感があったのですその表情に。

その日その日で芝居が動くタイプの玲奈ちゃんですから、回ごとに印象が違うのも確かではあったのですが、この日表情から感じた感情は、「やるせなさ」でした。

誰もが幸せになれないこの作品で、それでもこの作品に救いを求められるとすれば、エマの表情でしかないと思うので、エマにはヘンリーもハイドも、そしてヘンリーのことを大事に思っていたジョンをも、包み込む存在であって欲しくて。

この日の玲奈ちゃんのエマは、今まで見てきてのもやもやとした気持ちを綺麗に取り去ってくれる、まさにマリア様のような荘厳さであったことが、何より嬉しく、そしてぞくぞくしたのでした。

●ハイドらしいハイド
この日は、大きなハプニングがありました。

理事会メンバーの最後の1人、ストライドに向かっていくハイド。
畠中さん演じるストライド、いつもある意味華麗に階段を飛び越えるのですが、実はその手にはハイドに抵抗しようとしたワイン瓶があり、それをハイドが取り上げ・・・がいつものパターンですが、何とこの日、ワイン瓶はストライドの手を離れ、ハイドからさえ1m近く離れた階段直下にころころと転がっていき・・・・。

その瓶はハイドが「良い物を見つけた」かのような動きで拾いに行き、いつも通りの空間に再合流。

さすが舞台慣れされてる方は当たり前の如くそういう動きをされますね。

ある意味、とても「ハイドらしいハイド」だったのでした。正に猛獣。


この日の「その目に」も素晴らしかった。最初、どこか夢見がちな少女として歌う玲奈エマ、それがすっくと自分の足で立ち、ヘンリーを自ら支えるべく立ち向かっていく姿。片や同じ人を愛していながら、思うことしかできないめぐルーシーの切なさ。2人の交錯する音が見事な相乗効果のハーモニーを奏で、ものすごいことになっていました。

ここ数回、高音が厳しくなっていた石丸さんも、この日は久しぶりに1幕最後の「ALIVE」の上げがわずかとはいえ復活。
2幕の「罪な遊戯」でははまめぐさんのフォローがあったものの、それ以外は流石の出来でした。


はまめぐさん出迎えの笑顔も見られたし(ホント仲いいこと)、大満足の「ジキハイ」my楽。
胸のつかえが取れて思い残すこともございません。

あ、思い残すことあった。
2パターン目の舞台写真・・・(まだ言うか・・・笑)

●追記(2012/3/30)
今週放送の「GOLD~カミーユとロダン~」を見返していて思ったこと。

「ジキル&ハイド」の中で、ヘンリーはこう語っています。

人には2つの顔がある。
「善」と「悪」。

ヘンリーの見落とした物は何だろう、と思っていて気づいたのですが。
ヘンリーは人には2つの顔「しかない」と思ったことじゃないかと。

つまり、人は少なくとも3つ、「善」と「悪」と、「偽善」を持つ。

この「善」と「悪」の間を揺れ動く感情であり、また表面的には「善」でありながら内面的に「悪」も含有する面を持つ「偽善」という立場。
この言葉、実はこの「ジキル&ハイド」と、先日テレビ放送された「GOLD~カミーユとロダン~」との共通のキーワードでもありました。

「偽善」を糾弾すること、それこそが「善」と信じるジキル。
「偽善」を糾弾すること、それこそが「善」と信じるカミーユ。

「偽善」を糾弾し、自らが「善」と思い込むことでしか生きられない、不器用さ。
その不器用さが、自らを破滅に導いてしまったのかと思うと、何だかすとんと腑に落ちるものがあります。

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