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『GOLD~カミーユとロダン~』(4)

2011.12.23(Fri.) 13:00~16:00
シアタークリエ 19列センターブロック下手側

2回続けての観劇。

観劇4回目です。
後方席ですが、センターブロックということもあり、また前列が女性ということもあり、視界が開けて仲々の席。

カミーユ役・新妻聖子さんは昨日に引き続き良いのですが、1幕を中心に少し抑えている感じもあり、声質と役が合っているとはいえ、テクニックを駆使してやりくりしている印象も受けます。
それでさえこれだけ客席の魂を持って行かれてしまうのですから流石の一言。

この芝居を男性がリピートするのはかなり難儀と申しますか、基本的に新妻さんファン以外はそんなことやらないと思うわけですが(爆)、男性としてどの役になりたいかと聞かれるとやっぱり弟君・ポール氏ですね。

自分は姉がいない長男なので、姉に遊ばれる経験というのは無条件でいいなと思ってしまうと申しますか、まぁ要するにそんなにヴォルフガングやポールになりたいんかって話ですが(苦笑)。

2幕で狂ったカミーユがポールだけは家に迎え入れて、「私の味方はあなただけ」と言ってもらうのに憧れると申しますか(苦笑)。ある程度の確率で、弟にとって姉は最初の恋人ですからね。

ポールにとって、「演劇的である自分が」外面的には外交官として”親の誇りとして”生きる反面、晩年において文学でその才を見せたことが、「全て姉のお陰」と言うことも含めて、姉の奔放さを羨ましく思っていた面は確かにあると思いますし。ポールはカミーユの暴走を止めることはできなかったけれども、「自分ができなかったことを成し遂げた」姉を実は誇りに思っていたように思うし、そんな姉に「唯一の味方」と言ってもらえる自分というのは、何物にも代え難い宝物であったでしょうし。

カミーユにとってロダンは深くシンクロしすぎた故に、近づくほどに傷つけ合った存在で、お互いを愛すること以外全てを成し遂げられたからこそ、愛し合うことだけは出来なくて。愛し合うとカミーユはカミーユでなくなってしまう、だからこそカミーユはロダンから離れたのだと思うし。

愛することを知らない2人が、愛し合おうとしてしまったからこその悲劇なのだろうなと思うのです。

その過ちに気づいた2人が歌う2幕「もしも」でカミーユがロダンを遠ざけたこと、それはカミーユがカミーユであるために必要なことだったのかなと。

ロダンが羨ましくないかといえば、そりゃ膝枕は羨ましいですが(爆)、あれはどんな男性の願望でもある、と思われてしまうとさすがに違うと申しますか。
この芝居が男性からの受けがものすごく悪い(ように見受けられる)というのも、よく分かります。

この舞台での男性は役割分担がされていて、ロダンが「本能」、ポールが「理性」、クローデル氏が「理解」を表現しているんですね。男性にとってロダン的側面もポール的側面もクローデル氏的側面も持っているけれども、男は本能的な表現を見せられると不快感を持つ生き物と申しますか、「そうしたいけどそうできない現実」に対して憤りを感じるものなのかなと。

そう考えるとカミーユ役への女性の見方も気になってくると申しますか、カミーユとロダンは表裏一体というかまさに同床異夢みたいなところがあって、「似たもの同士は上手くいかない」の典型なわけです。

女性にとってもカミーユは、男性にとってのロダン同様、「そうしたいけどそうできない現実」を見せているように思うのですが、それでも男性にとってのロダンよりずっと、女性にとってもカミーユは共感される要素を持っているように思えます。「女性が彫刻家として認められなかった時代」の過去は、現在にも通ずるところがあるからというか(ここに新妻さんがblogで触れていたのは相変わらずチャレンジャーだと思いましたが)。

今回、見ていてとても興味深かったのは、母親(根岸季衣さん)が1幕で歌う「世界にはぐれて」の歌詞。
ここで、クローデル夫人は「石に閉じ込められて」と歌うのです。

カミーユが「私はママのようにならない」と言った言葉と重ね合わせるととても興味深くて。

母親は「石に閉じ込められた」日常を過ごし、娘と息子が(自分が思う通りに)一人前になることだけを望んだ。

カミーユはそんな母親のようにはなりたくないと、「自ら石を作り、そこを自分の無限の王国とした」わけで。

そう考えると、「石に閉じ込められた」母親と、「自分が作った石に閉じこもった」カミーユという対比がとても興味深く。

結局そこの差は「自分の意思」でしかないのだなと。

自分の運命をただ受け入れるのではなく、自分の力で切り開いていこうとしたカミーユ。
その姿は時代もあって、あたかもドンキホーテのようで(そういえば、「ラマンチャの男」歌ってますね新妻さん。何となく無関係とも思えない気が)。

そういえば、昨日たまたま去年の12月公演「プライド」の原作本を読み返していたのですが、新妻さんが演じた緑川萌がこんなことを言っています。

「他人に認めてもらえなければ、頑張った意味がないです」

・・・まさにカミーユと真逆。

カミーユは他人からの評価より、自分の中での「意味」をずっと重視した女性に思えるし、それが新妻さんとここまでシンクロすることを考えると、萌ってやっぱり真逆な役だったんだなと。

役者さんは真逆がやりやすい人とシンクロがやりやすい人に分かれる気がしますが、役にどっぷり浸かるタイプの新妻さんは真逆の方が精神的負担は小さいのかなと思うのでした。

ご当人自ら「誰かに褒められたいとかそんなこっちゃない」って言ってるところがもう(笑)。


この日のハプニングは、カミーユがロダンの元を去るシーン。アトリエから出て行くシーンで、あろうことかトランクの留め金が外れていて、カミーユが持って出ようとしたら客席側にどどーんと開いた(笑)。ロダンが慌てて追いかける振りをしてしがみついて閉じたという。

そういえば昨日書かなかったのですが、昨日ソワレはロダンが1幕最後「人生を取り戻す」の「あばずれ!」を一小節早く入ってしまって、とっさにカミーユがフォローしていました。

ここ数日、特にカミーユが彫刻にぶつかる回数がとみに増えていて、それは「狂ったカミーユの朦朧としたさま」に見えなくもないのですが、どうもそれだけではないような気が少し。きついんだろうなやっぱり・・・。

前回も書きましたが「偽善者!」と叫ぶときに彫刻を動かしたりってのは効果的で好きですけどね。

最近、カーテンコールでは上手側から出てくる石丸さんが手の平を差し出し、下手側から出てくる新妻さんが上から手を当てに行って、その後ぎゅっと握手するパターンですが、この日2回目(カーテンコール累計3回目)ではなんと新妻さんがジャンプしてタッチしに行っててどびっくり。とってもキュートでした。

相変わらず予測不能なキャラクターでした(締めがそれか)。

長いようで短い、クリエ12月の女こと新妻聖子さん年末の会、次がmy楽・12月27日ソワレです。

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コメント

「弟にとって姉は最初の恋人」かぁー・・・。
うちは構成こそカミーユちゃんのところと同じですが、そういう側面が全くなかったので(汗)なるほど、私が「姉と弟」に「萌える」理由がちょっとわかったような気がします(笑)結局ないものねだりなんですよね。

母上との差のところ、なるほど。
そして・・・「石」=「意思」って、うますぎますね。

投稿: ぴらふ | 2011/12/24 14:57

あえて「ある程度の率」と書いたのはその辺の理由です(笑)。
ないものねだりというのは確かにごもっともです。
人間にとって絶対に手に入れられないものは、世の中には「実兄」と「実姉」の2つしかないような。

今回の話、母上の歌に「石」という歌詞があったことを聞いた時に思いついた話なんです。

カミーユと母は実は似たもの同士と思っていて(だからロダンを娘に近づける危険を誰よりも分かっている)、クローデル氏がカミーユ母と結ばれたことと、父として娘のカミーユを溺愛しているのも、なんだかリンクしている気がして。

石と意思の掛け合わせは自分的にはガッツポーズものでした(爆)。

投稿: ひろき | 2011/12/24 23:46

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