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『GOLD~カミーユとロダン~』(3)

2011.12.22(Thu.) 19:00~22:00
シアタークリエ 2列目20番台前半

3回目観劇。
カミーユ役・新妻聖子さんが「今日GOLDを手にしたのかもしれない」と呟いた言葉が、この回によるものかは正直分からないのですが、「GOLD」の名に相応しい回でした。

正直、前日の彼女のコンディションが「らしく」なかったので心配していたのですが、要するにカミーユが一日新妻聖子さんに戻ったということだったのでした。

それにしたところで結果的に会期中一番前の回となったこの日の「2列目」の迫力は半端ないです。

それに、カミーユ役は下手側が定位置だと思い込んでいたのですが、実は時間的には上手側の方がずっと長く、実のところこの回のポジションがベストポジションでした。
つまるところ、「目の前のカミーユが狂ってるよぉ」であります(爆)。

今まで見た2回に比べて、身体がどっぷり疲れたということがなかったのですが、それはあえて登場人物の誰かに感情移入せずに見たからかなと思います。冷静に一歩引いて見ると、やっぱりロダン(←あくまで役)のクズさが半端ない(笑)。

1幕最後「人生を取り戻す」の歌詞をようやく認識できるようになったんですが(まだまだ全部は覚えてない)、ロダンさんってばカミーユ様に「なんで堕ろしたんだ」みたいなこと言ってるんですよ。「芸術家に子供は必要ない」と言ったその口でですよ(爆)。

愛した人の子供を身ごもり、「芸術家に子供はいらない」と言われた「冷たい声」に深く傷つけられ、ロダンを置いて単身ロンドンへ旅立ち、後々弟に責められることになる「命を摘み取った」カミーユ。
そこまでして「芸術家」で有り続けたいと願った彼女は、「ロダンの右腕」として居続けることを、よしとはしなかったわけです。

「女性だから」芸術家として認めてもらえない。
「女性だから」結婚して家庭を作らなくちゃいけない。

そんな他人の物差しにとらわれることに何の意味があるのか

既成の概念に囚われる必要性がどこにあるのか

そんな魂の叫びが歌われる「成し遂げていないこと」が最近のお気に入り。

前回、「カミーユはわざと狂っているように見せて周りに寄せ付けないようにしたんじゃないか」と書いたのですが、その感想は今回も変わっていなくて。

天賦の才能に恵まれた自分が、「女性だから」という”既成の概念”に従う必要が、どこにあるのかという思い。もう一方には「女性だから」という「他人の物差し」に囚われることで、自分が自分でなくなってしまう怖さを感じたんじゃないかと思うんです。

ただ未来を求めて、過去を切り捨てたカミーユ。
否定され続けることを怖れず、人生の意味を求めつづけた潔さ。
何百もの否定の末に辿りついた黄金、それは自分が求め続けた欠片。
周囲はいくらでも無責任に論評するけれども、自分の人生は自分の人生でしかない。

だから、「お前の人生はお前のものだ」と、カミーユの進むべき道をはっきり指し示した父親から、別れの時に「間違った夢を与えたのか」と聞かれても、はっきりと「私に生きる勇気をくれた」と答えられるカミーユがいるのだと。

カミーユが新妻さんとかぶるところがあるのだとすれば、実はここじゃないかと思うんです。

はっきりとした物言いは新妻さんの長所でもあり、また誤解を諸々招く部分でもあるわけですが、それすなわち、「自分の価値観が世間一般の最大公約数と一致する必要がない割り切り」と言いますか、むしろ「自分の価値観が世間一般の最大公約数と反する頑固さ」にあるような気もしたりします。

カミーユがなぜロダンと袂を分かったのか、そして最後まで父と弟とは全部とは言わないまでも分かり合えていたのか。

まだその「GOLD」にちょっと触った感触しかないのですが、「カミーユが大事にしたもの」に対する敬意がロダンに欠けていたからではなかろうかと思うのです。

一度は愛した男性として、ブリュッセルからパリに戻ったカミーユが、結局はロダンと分かれざるを得なかった結末。

カミーユの才能を誰よりも認めながら、実は世間一般の「女だから」よりもっと酷いカミーユへの見下し。

弟はただ一つの事実を責めていただけで、自分には出来ない姉の奔放さを、心底羨ましく思っていた分、姉に自分の夢の一部を分けていたんだろうなと思う。

カミーユはポールに「私が堕ろしたのは、彼がそう言ったからよ」と言えば、ポールはロダンをより憎むことになったでしょうが、それを言わなかったのはカミーユをカミーユをたらしめていたコア。

自分の行いを言い訳することは人生の否定。

「反省はするけど後悔はしない」

とはっきり言った新妻さんが、かぶさってかぶさってしょうがない。

ネットで見つけた「腕の中の女」英語バージョンをリピート中。
素敵な曲ですね。→こちら

それにしても、明日はマチネ。出演者連投どころか、こちらも連投観劇です。

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コメント

相変わらず言葉の隙間を埋めてくれる深い洞察力が素晴らしいです。
二回目を観るにあたって、自分の感覚で少し頭を整理してみたくて(それが文章になるかと言えばそれはまた別の話)、前回、前々回(つまりこの記事の回)の文は拝見しないで、昨日観て、帰りに読ませていただいたのですが、何か色々腑に落ちました。
特にロダンと袂を分かつことになった理由の部分。確かにひどいですね、それは。ロダンってどこまでも男性的な視点でしか見られないんだなと思ったり。
反省するけど後悔はしないとは、後悔ばっかりで反省が足りない私から見たら潔い(笑)

投稿: ぴらふ | 2011/12/24 13:18

ぴらふさん>

お褒めの言葉ありがとうございます。嬉しいです。

ロダンは男性であることを利用して、芸術家としての才能も利用している人ですからね。
女性であること、芸術家としての才能のあることを利用できなかった(利用しようとも思わなかった)カミーユにとって、勘に触って仕方なかったかと(苦笑)。

「あなたは自分がどれだけ恵まれているか分かっていないのよ!」と何度も叫びたかったでしょうけど、それを言うのはカミーユにとっては出来ないことだったのでしょうね。カミーユは生き方に不器用な人ですね。

子供の件は「芸術家に子供は必要ない」と言っておきながら、「自分の子供なら欲しい」と匂わせていて、だからこそカミーユは「あなたは自分のことしか大事じゃない。私(の才能も若さも)自分が光るために必要なだけ」と激高するわけですね。

投稿: ひろき | 2011/12/25 03:02

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