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『GOLD~カミーユとロダン~』(5)

2011.12.27(Tue.) 19:00~22:00
シアタークリエ21列10番台中盤

今年の観劇納めは「GOLD」の前楽。
日が変わってしまいましたが、「GOLD」の楽は今日12月28日。

どうしても抜けられない会議があり、休暇許可も出なかったので、その時のためにと取って置いたこの日が今年の観劇納め。

座席表的にはどセンターの番号なのですが、実はクリエさんってば、音響的には微妙に下手側に傾いているんです。この列あたりになると、10番あたりが音響的にはセンター。

新妻姫が完全な本調子でないのがどうしてもこの席だと聞いて取れてしまうのですが、それでもラストの「GOLD」の凄さは色んなことを補って余りありすぎます。

前回は「ロダンがどんだけクズ人間か」に焦点を当てて書いたのですが、今回はロダン寄り、つまりカミーユをねちねち(笑)責めてみます。

前々回、「カミーユは周囲の人を遠ざけるためにわざと狂っているふりをしたんじゃないか」と書いて、その感想はなくなってはいないのですが、今回聞いていて、うぉっと思った歌詞が。

カミーユが発狂して、「あの彫刻も私が作ったの。その彫刻もそうよ。」と歌っている横で、「彼のため息も私が作ったの」って歌詞があって・・・さすがにびっくり。

カミーユも人並みに「愛する」ことはしたい女性であることを初めて認識したのですが、カミーユという人物は「愛し方が分からないから愛され方も分からない」人物。それはまさにロダンも同じなのですが、それ故に「分かり合おうと思いもしないから、分かり合えるわけもない」2人。

あぁ、「愛していれば分かり合える」がしっくりこない理由はこれか・・・(をい)

2幕で2人が今までの自分たちの「愛する」ことを後悔して、「もし分かり合えることが愛ならば」と歌われる曲(邦題が「愛の学習」というのが何とも・・・歌ってる内容に比べて邦題が幼いというか(苦笑))も印象的なのですが、とにかくカミーユにとって全く価値を持たないもの、それが「愛」。

弟君が全身で神への信心を説こうとも、そこにある「愛」は、カミーユにとっての「石ころ」、つまり何の価値もないもの。

なぜそこまで頑なに弟の説得に耳を貸さないのか理解できなかったのですが、カミーユにとって「愛」というものの価値が何より低いのですから当たり前。

1幕の「腕の中の女」でカミーユは「腕の中に抱かれたらただの女」と歌っているのですが、カミーユのコアは「自分がただの女であっていいはずがない」ということと思われるわけで、「天才であるからには名誉も欲しい」って言ってるんですね。他人の評価なんて関係ないとか言っている割に一度だけ「名誉も欲しい」って言ってます。

この曲で「このままここに残ればどうなるのか」とカミーユが歌うのですが、やはりそこから読み取れるのは、「芸術家であり続けたいカミーユは、愛に溺れて無力になる」自分が何より怖かったんだろうなと。

この曲、リプライズでロダンが2幕で歌いますが、同じ歌詞なのに「カミーユが残ってくれなかったの悔しいよ-寂しいよー」と言う女々しさ満開の歌になっているのも面白い。

カミーユがカミーユとして有り続けるためには、またカミーユが芸術家として有り続けるためには、「愛」こそが最も自分から遠ざけるべきものだったと思うと、ロダンと通じ合えそうな最後の最後で自分から接点を断ち切ったことにも、納得がいくというか。

1幕の「人生を取り戻す」で「心も身体も私のもの」と言っているのは、「腕の中の女」での「愛」への没頭への後悔。
ロダンの弟子として、自分の作品を世に出せない不満ゆえと最初は思っていたのですが、それもちょっと違うなと。

ロダンの元に帰ってきたカミーユの前で、ロダンは自分のことしか言わない。カミーユのことを心配していたのは上っ面だけで、結局自分は「ロダンにとって必要なピース」でしかなくて、そうなると「自分を抱いたのも計算ずくでしょ」となる。
ロダンはカミーユを支配したつもりで、カミーユも一時はロダンの愛に甘えることを選択しようともしたわけだけれども・・・となる。

まぁ逆の考え方からすれば、カミーユは全てをロダンのせいにできて楽だなぁという面もあるのですが(苦笑)。

カミーユは本当は誰を愛してたのか、という話が上がっていて、私思うに、

カミーユが本当に愛したのは「自分」だけなのだろうなと。

カミーユはロダンを「自分のことばかり」って糾弾しているけど、カミーユだって実は全く一緒。

カミーユが男だったらロダンになってて、ロダンが女だったらカミーユになっていただろうし。

だからこそカミーユはロダンを見ていると「本当はそうしたいのにできない自分」が目の前にいるから、より頭にくる(笑)

人間というもの、自分と似たものには生理的な嫌悪感をもよおすものですし。

じゃあカミーユよりロダンが幸せだったかというと、必ずしもそうも思えないことが興味深い。

ロダンは「カミーユ以外の全てを手に入れ」てはいるけれども、結局一番手に入れたかったものを手に入れられなかったように思えるし。「自分の人生がいかに空虚なものか、後で振りかえってもそれはどうしようもない」という老いたロダンの語りは、「後悔なく人生を終えた人」のそれとは到底思えないし。

死の1週間前にローズと結婚したのも、長年寄り添ってくれたローズへのお礼という面より、カミーユと一緒になれなかった人生の、ロダンが自分自身の人生を納得させるために無理やり取った手段のようにも思えて。

カミーユはあれだけ狂って(見せて)、最後は彫刻もできずに精神病院で30年。
実際はどうだったかは判然としないとしても、精神病院のシスターに寄り添われ、温かい光に向かって「GOLD」を歌う姿は、「闘い続けた」自分への満足だろうし。

きっと現実というものは、カミーユほど闘えないし、ロダンほど守りに入っていられるわけではないし、ポールのような実直さも必要だし、カミーユとロダンとポールのブレンド(コーヒーか(笑))ではあるのでしょうけれども。

んー、カミーユ2、ロダン1、ポール7かな・・・自分の中身(爆)。



平日ソワレには珍しく3回のカーテンコール。

とにかくカミーユの2幕の狂気が凄かった。
初日とか何だったんだろうというぐらい、2幕の濃度が濃すぎる。

特に「分別盛り」がサロン出店を却下されたあとの「もしも」は圧巻過ぎました。

物語の構成的にしっくり来ないところもあったから、あと1回は見たかったなぁ。

カメラ入っていたらしいので、映像化に期待です。

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