« 『ウェディングシンガー』(2) | トップページ | 『新妻聖子FC みんなのお茶会9.5杯目』 »

『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』

2011.4.12(Tue.) 10:40~12:55
渋谷ル・シネマ(bunkamura)ホール1

もう一つのモーツァルトの物語。
といっても、マリア・アンナ、ナンネールこと
ナンネル・モーツァルトの生涯を脚色した物語です。

公式サイト
 
ミュージカルファンの中ではすっかり「ナンネール」の呼び名が定着していますが、もともとのニックネームは「ナンネル」(Nannel)が近いようで、映画もそのネーミングに沿っています。

今月9日が東京初日で、初回に行くとチョコレートが一粒貰えたらしいのですが(笑)、時間が取れずにこの日に。

平日1回目の回の割に、100席近い客席の7割強が埋まっていて、ロビーも予想外に賑やかです。
パンフレットは700円、サウンドトラックCDが2,000円です(こちらは買いませんでしたが)。

上演前日まで発売されていた前売り券を買っておいたのですが(クリアファイルが付いていた110116_182912_2 図← ので)、実はこの日は火曜日でサービスデー。1000円で見られた日だったので、ちょっぴりだけ損した気分。

ナンネルの物語は何十回となくミュージカルで見ていて、関係書籍もそれなりに読んではいるのですが、もともと「弟の影に隠れた存在」だっただけに、パンフレット1冊まるごとナンネルというのは嬉しいものがあります。

ストーリーは、モーツァルト一家のヨーロッパ演奏大旅行の3年間を拾い上げたもの。
ヴォルフガング(演じたのは実際音楽家の卵、神童だそうで)はやんちゃながきんちょです。
ナンネルは優れた音楽的才能を持ちながら、女性であるがゆえに作曲法も教えてもらえず、とこの辺りはミュージカルとほとんど同じシチュエーション。

ナンネルを演じるのはルネ・フェレ監督の長女、マリー・フェレ。
そして彼女の親友となるルイーザが監督の末女、リザ・フェレというわけで、女優さんが普通に身内という、家内制手工業的キャスティングではありますが、まぁ2人とも可愛いし(爆)、ナンネルの設定を借りて自由にイマジネーションしている作品なので、もろもろ突っ込みどころはあれ、興味深く拝見しました。

そういえば見ていて違和感があったのが、母親が意外に長生きしてる!ってことだったのですが、これは実は勘違いで、映画版の時期である演奏旅行中に母親がパリで亡くなったわけではなくて、ザルツブルグに帰った後、少し大人になったヴォルフガングと母親がパリにいた時に亡くなっているんですね。

ミュージカル版では演奏旅行って最初のM1(「奇跡の子」)だけですからね。
描いているスパンが違うことになり、その意味で新鮮に見られたのかもしれません。

この映画ではオリジナルストーリーとしてナンネルが王太子と恋におちるというシーンがずいぶん長い時間続きますが、この時代の女性ですから「女性にして音楽家」ということは許されることはなくて、男装して演奏なり作曲なりするわけですが、これが意外に似合っているという。
男装向きの顔立ちな気がしました。

この作品の論評記事で「モーツァルト、ナンネルの物語でありながらその両方ともの曲を使っていない」ことを書かれていた方がいらっしゃいますが、それを言えば実はミュージカル「MOZART!」もモーツァルトの曲を一切使っていなくて。

ナンネルの曲はそもそもが残ってもいないので当たり前で、この作品の音楽はナンネルを想像して新たに作られていますが、いわゆる中世風で、それでいて優しげで、「音楽からナンネルの人物像を感じさせる」ことには一定程度成功しているように思えます。

この作品、演奏旅行の3年間をほぼ2時間で見せるのですが、その3年間を「ナンネルにとってとても濃かった時間」として見せている代わりに、78歳というこの年代にしては長寿の年齢まで生きた、16歳からの62年間を、わずか2分弱で見せているところに、まさに「ナンネルの哀しみ」を感じずにはいられなくて。

女性であるが故に音楽家の道を閉ざされ、恋も成就することなく(この作品は創作としてそうなっていますが、現実にも最愛の人とは結ばれずに35歳まで独身、ようやく結婚した相手は子持ちのバツ一。ミュージカル版には登場しますが判事のベルヒトルト)、弟の名誉を守るため奔走し、父の支えとなって生涯を全うしたことが、ほんのわずかしか語られずに「2分」で語り切れてしまう側面を持っている、それこそがまさに「哀しみ」だなと。

「時代が違えば、あなたは音楽で、わたしは政治で、世界を変えられたかもしれない」とルイーザが語っていますが、ルイーザの聡明さも、ナンネルの才能も、それが嘘ではないと思わせるだけの描かれ方をしているのは、逆説的に、はかないものだなと思えてしまうのでした。

パンフレットの中で書かれていたことで改めて思い知らされたのがレオポルトとの関係。

息子・ヴォルフガングに惜しみない愛情という名の束縛をするけれども、ヴォルフガングからは必要とされず省みられることもなく、自らの限界を知らしめられることしかない。
比べてナンネルは音楽家としての道を閉ざされたとはいっても、それが父のただ勝手な思いでなかったことは分かっていて。自分の立場の弱さを嘆きはしても、それはある意味ではしょうがないことなのだと思っているからこそ、父の面倒を最後まで見ているのですね。
ちなみにナンネルがヴォルフガングの葬式に出てない話は今回初めて知りましたが、まぁミュージカル版の「決して許さない」がものすごくリアルに感じることからして、不思議でも何でもないですね。

レオポルトは何もしなくても伸びていく(逆に言うとどうしようもできない)ヴォルフガングを育てるより、ナンネルの音楽家への道を作ったら、別の意味で歴史に名を残したかも、とものすごくありえないことを想像したりもしたのでした。

この作品、公開前はチラシがA5両面でしたが、公開後はA4の中折り両面になっており、見開き面にはナンネルゆかりの皆さまのコメントが出ています。

ミュージカル版の出演者からは井上芳雄さん(ヴォルフガング役)、市村正親さん(レオポルト役)からのコメントが。

ここにご当人である高橋由美子さん(ナンネール役)のコメントがないのは、「一人称」になってしまうからなのかもしれないけれども、それはそれで、またまた「哀しみ」なのだなと思ってしまう。
日陰の存在の更に日陰の存在って、ちょっとシンクロし過ぎ(苦笑)。

|

« 『ウェディングシンガー』(2) | トップページ | 『新妻聖子FC みんなのお茶会9.5杯目』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』:

« 『ウェディングシンガー』(2) | トップページ | 『新妻聖子FC みんなのお茶会9.5杯目』 »