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『MOZART!』(26)

2010.12.5(Sun.) 12:30~15:45
帝国劇場2階J列センターブロック

上演372回目(今期40回目)
観劇36回目(今期4回目)

アマデ:松田亜美

約2週間ぶりの帝劇「MOZART!」。12月に入っては初めて見ることになります。

月が変わったということでパンフレットも舞台写真版に模様替え。
価格は1500円のまま、稽古場写真が丸々舞台写真(16ページ)に入れ替わりました。


●喪服の占める位置

今回のパンフレット(舞台写真版)、一番印象に残った写真。

「パパが亡くなったわ」のシーンの由美子ナンネのバックに、アマデがいる写真が戦慄です。
色々な意味でこの世のものじゃない写真・・・・

あのシーンの喪服姿のナンネールって、今期は特にそう思うのですが、ナンネールが亡くなったわけではないのに、ヴォルフガングを迎えに来た死神のように思えるんですよ。

ナンネールはヴォルフガングを見送る側なのに、あのシーンではヴォルフガングの感情を地獄に引きずり込むようなただひたすらな怨念。

前期まではここは「あの優しかった姉が父の死と向き合い、ショックで弟を責める」だったので、その意味での衝撃は大きかったのですが、今期はここでは演じる由美子さんも一切の過去を引きずっていないので、「ナンネールの魂は父の死を持って死んでしまったのかもしれない」とまで思えたのが何より驚愕でした。

ナンネールがヴォルフを責めるシーンはここともう一つ「プリンスは出ていった」もそうなのですが、これは対人形なのでヴォルフには全ての感情が伝わっているわけではなくて(父親の手紙を通してなので)、ただシーンだけを切り取るなら、ナンネールがヴォルフ人形にぶつける感情は、実は前期の方がより怨念ぽかったなと。

女であるが故に音楽家として生きられずに、女としての幸せも掴めなかったナンネールにとって、不束な弟の存在は怨みの対象でしかないとはいえ、前期はここで「怨み」があって直接会って「怒り」、そして最後に「後悔」。
が、今期は「プリンス~」は「諦め」、直接会って「怨み」、そして最後に「無感情」となっているので、よくもまぁここまで演じ方を変えたものだと感心します。

開幕して以来、由美子さんの歌の調子は一進一退を繰り返していて、初見の人に調子が良くないのが分かるぐらいの日さえあったと見聞きするわけですが、7年越しで演じた役をこれだけ大きく変えるとなれば、その負荷の分だけ歌にしわ寄せがいくのはもう致し方ないとしか思えず、
でも、この日の由美子さんの歌の調子はまさに完璧の一言。

1ヶ月の稽古、1ヶ月の本番を経てようやく2010年版のナンネールの演技が完成したようで、歌にも2007年当時の余裕が戻ってきて、涙が出るぐらい嬉しかったです。

●心を解かす歌

この日の公演は井上ヴォルフ、涼風男爵夫人、松田アマデという初日公演と全くの同キャスト。個人的には4回観劇して3回までこの組合せ。今回、あまりヴォルフと男爵夫人を意識せずチケットを取ったもので(ゆえに山崎ヴォルフがいまだに未見)今期40回のうち、この組合せは少なくとも4回目(あと2回アマデが判明してない公演があるのですが)。公演10回に1回しかない組合せに3回当たって、でも全部で公演4回しか見ていないというのは結構な確率です。

なので、ヴォルフと男爵夫人との関係を全部見ているわけではないのですが、今期この井上ヴォルフと涼風男爵夫人は自分にとっては理想中の理想です。
今まで女優さんとしては涼風さんと香寿さんなら香寿さんだったのですが、どうも今期は涼風さんとの場面がしっくりくる。

以前も書いたのですが、涼風男爵夫人はちゃんとナンネールのことも見てくれてるんですね。打算じゃない何かをそこに感じるんです。
これ、2010年版のナンネールの立ち位置との関係もあるかと思うのですが、「星から降る金」のシーンの前後で、ナンネールの気持ちというのははっきり動いているのが見て取れて。

幼い頃の演奏旅行、成長してからの日々、そして落ちぶれた今。
時の変遷と共に、ナンネールは音楽家としての道がないことに鬱屈して、ヴォルフガングを心から応援する気持ちにもなれない。

だから、男爵夫人を案内して、「ヴォルフガングをウィーンに連れて帰りたい」と言われたときも、ヴォルフガングが認められたことは嬉しくても、なぜ自分が一緒に行けないのかということへのわだかまりが消えない。

どなたかが言及されていたのですが、ナンネールはヴォルフガングのために何かをすることはできない、男爵夫人はヴォルフガングのためにことをなしえる。では違うのは何かと言えば「貴族」という立場だけだと。(涼風さんご自身もインタビューのところでそれに近いことをおっしゃっています)

そんなナンネールなのだけれども、男爵夫人が歌う「星から降る金」の1番を聞いた時にみるみる変わっていく表情。

きっとあの曲は、ナンネールの頑なな気持ちを解かす曲だったんだと思えて、それを「打算」に見せない今期の涼風さんの演技とも相まって、階段を上る直前の、ナンネールと男爵夫人との見つめ合い、頷き合う様が、とにかく大好きなんです。

ヴォルフも、今期はまだ井上君しか見られていないけれど、「本心では自分を送り出すことに賛成してくれていないのでは」と懐疑的になって、父も賛成してくれていない・・・ところに”気持ちが変わった”姉からの「本心からの励まし」があり、だからこそ「父に理解してもらって家を出たい」という気持ちの動きが見えてくると。

そこまで言っておきながら星金でナンネールばかり見ていてごめんなさい(笑)。

●時の動きと言えば

これだけこの作品を見ていたのに、「若い頃の演奏旅行」と「赤いコート」の間に、年の経過が存在することを実感させられて、今さらながらにびっくり。

弟の演奏を褒められて、貴族の方の賛辞にはしゃぎまくって答えているナンネールが凄い新鮮。あのシーンのナンネールって16歳ぐらいだから、きゃぴきゃぴ(←死語すぎて噴いてしまう)という演じ方って確かにありなのかも。

この日は「お心ありがとうございます」のところで入場してきて目の前を通っていきやがりましたお客がいらっしゃいましたけどね。
帝劇の案内係、こういうところがいつまでたっても進歩しないんだよなぁ。
どこが案内しちゃいけないタイミングかぐらい、舞台見て認識しておかなきゃだめでしょ。
「人が忘れる」の直後にちゃんと暗転あるんだし。

赤いコートのところのナンネールが鏡に向かって顎突きだして、「ウホウホ」みたいなアクションしていて噴き出した。また遊んでるなぁ。

前後しちゃいますが、由美子さんの調子を測るもう一つの術、それは「若い頃の演奏旅行」の「楽器を持って数センチジャンプする」ところ(アマデに渡す更に前の、父親がナンネールを紹介した直後)。あそこでジャンプしてるとほぼ間違いなくその時の公演は無問題ですね。

●この日の小ネタ

アルコ伯爵「私のこの鋼鉄の腹筋が切れるかな~」
ヴォルフ「腹筋に力入れて!はっ!(ちゃかちゃかちゃか~)」

・・・・まったくこの2人の漫才は今日も全開ですかいな。

●どこぞの音楽劇とシンクロしてみる

「私の中にもアマデがいると思えて、私は今でもアマデを探してる。私は生きた意味をいつまでも追いつづける。モーツァルトの姉としてだけではない、一人の人間として、一人の女性として、一人の音楽家として。」

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こういうのを普通に思いついているあたり毒されているなぁと思うんでありますが(苦笑)、これ、シアタークリエの舞台「プライド」の麻見史緒・緑川萌の複数の台詞の改変なんですが、何か自分の中でものすごくしっくりきちゃいまして。

「誰の中にもアマデがいる」は小池先生の言葉で(阿知波さんがトークショーの時に言われています)が、ラストシーンで高橋由美子さん演じるナンネールが才能の小箱を開けたときの表情でこれを感じたと言いますか。

何しろ「アマデ(才能)」の実体を実際に目にすることができた、この舞台上で2人しかいいない人のうちの1人ですから。
才能を手にすることはできなかったけれども、箱から溢れたアマデというものを拾い集めようとしたかのような手の動きはとみに印象的で。

実際、ナンネールは40歳で弟ヴォルフガングを失い、78歳まで生きているので、ヴォルフガングがいたのはまさに半生でしかないんです。ヴォルフガングを失ってすべてをなげ打つには、不自然すぎて。

ちょっと前に見たナンネールは虚無以外の何者でもなくて、全てを失った姿だけが飛び抜けて強かったけど、この日のナンネールは更に先を見せていたように思う。

-全てを失っても明日はあるんだ、自分が希望を捨てなければ-

そう思えたのは、ヴォルフとの対比かなと思う。

才能を持ちながら「幸せ」を受け取れず、才能によって自らの人生を絶つ道しかなくなってしまったことと比べると、「幸せ」ってそもそも概念に過ぎなくて、与えることが出来ないものだと、改めて思えたりして。

「幸せが与えられうるもの」と、レオポルトは語っているけれど、実はそう思っているレオポルトこそが道化そのもの。

目に見えないものの存在を知っている男爵夫人(「時が流れて残るものは、目に見えないものだけ」-人は忘れる)、言葉にできないもどかしさを感じながらも薄々その存在に気づいている大司教。
実に印象的な対比だなぁと思った。

●カテコの話

ナンネール由美子さんの駆け足率がとみに高い今期のM!。

市村さんのポーズがいつにもまして面白くて、hiroちゃんが大撃沈。

由美子さんも笑いをこらえつつ、市村さんに近づいていって「パパ、あれ何なの(笑)」ってばかりに話しかけてたのがもうキュンとしすぎちゃいまして。

以前はカテコでも無理してよそよそしくしてるんじゃないかとさえ思ってた由美子さんと市村さんの心理的な距離ってすごい近いんですよね今期。市村さんの奥さん(篠原涼子さん)とも知らない仲じゃないし、なんかいい関係なんですよね。
これで本編の市村さんがせめて前期ぐらいならもっとよかったのになぁ・・・・

この日は緞帳前のヴォルフガング×アマデが印象的でした。

井上ヴォルフ「今日12月5日はモーツァルトの命日でした。
       今日、確かにモーツァルトは降りてきてくれていたと思います」
松田アマデ「ありがとう!モーツァルト!」

・・・・最後の最後で、もの凄いものを見せてもらった気がします。

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コメント

ナンネール目線?の感想とてもうれしいです。ナンネールの歌はすごく大変な上、演じ方を変えられたので、ブログでも悩んでいらしゃった様子でしたが、もう今期のナンネールの演じ方をつかまれた気がしています。カテコの笑顔全開でわかります。
重唱のシーン
特にパパが亡くなったわと、言いにきたシーンの歌、4日のソワレだったのですが
今まで以上にヴォレフガングに対して、咎めたので、怖さも感じました。すごかったです。

投稿: てるてる | 2010/12/06 01:10

てるてるさん、こんばんわ。

前回(11月23日)見たときも、調子的には絶好調な感じでしたが、その時は必死な結果としての絶好調という感じで。昨日は本調子としての絶好調という感じで、心底ほっとしました。

ヴォルフガングへの一片の優しさもない「パパが亡くなったわ」。前より意識して強く咎めていますよね。物語序盤が近い関係でしたから、かえって憎しみも強くなるのかと思うと、あの由美子さんの表情はぞっとするぐらい怖かったです。

投稿: ひろき | 2010/12/06 01:45

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