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『淫乱斎英泉』(2)

2009.4.12(Sun.) 12:30~15:15 東京千秋楽

東京初日から10日、早くも東京千秋楽です。
骨太にして刺激的なこの舞台と早くも個人的にお別れかと思うととても寂しい。

4月の平日がもう少し忙しくなかったら何回か増やしたのに、とか。

11日は当日券事前予約での席ですが、何とまぁA列ほぼど真ん中。要するに最前列です。あうるすぽっとは当日券に最前列を割り当てる、とは噂では聞いていたのですが、実際に体験するとめっさ驚きます。

まぁ、最前列って劇場によっては首が痛くなるし舞台全部が見えないしで、困ったときもありますしね。

(※)池袋初夏の陣こと「EVIL DEAD THE MUSICAL」(サンシャイン劇場)では海外版と同じなら最前列は着るもの要注意な気もするし(赤いものが飛んでくるという噂ちらほら・・・→こちら
ちなみに演出の河原さんいわく「この人に食われたいナンバー1は高橋由美子さん」だそうで。さすがです、兄貴。今回は期待してまっせ。こちら

はてさて、閑話休題。

この作品、舞台版を見る前に原作本を古本屋で入手して読んでいたのですが、舞台版を見る前は、とにかくものすごい量の記述(要は台詞量)に圧倒され、どれだけテンポを付けて見せられるかなのだろうなぁ、と思っていたことを思い出します。

そのテンポを引っ張っているのは何と言っても英泉役の山路和弘さん。
マシンガンのような台詞遣いが何の違和感もなくダイレクトに伝わってくるのはそんじょそこらの役者さんじゃ無理。

時代物なのに妙にポップな感じがあったのは、ひとえにお半を高橋由美子さんが演じたからですね。
山路さんのマシンガンテンポと妙に合ってる由美子さんの早台詞。重苦しいムードを吹き飛ばすいいエッセンスだったように思われました。

この芝居、タイトルロールが英泉なのに、無意識のうちに長英役の浅野和之さんを主役と思っていたのですが、展開側の主役は実際のところ英泉。

ただし、登場する人物全てが惹かれるという点においての主役は長英、といういささか両面的な芝居でもありました。


ここからいつものごとくネタバレですのでご注意くださいませ
まだまだ地方公演もありますので・・・





●なり損なった人たち

舞台版を見た上で原作版を読んでみると、「ずいぶんカットされている部分が少ないなぁ」と実感しますが、印象的だったのは解説にあった一言。

この作品は「なり損なった人たちでできあがっている」と言う言葉。

長英は「憂国の志士になり損なった男」だし、
英泉は「ユダになり損なった男」だし、
お峯もお半も「マリアになり損なった女」と。

それを見たときに、なるほどなぁと。

見終わったときにすっきり感がなかったのは、「やり遂げた」という形がなかったからなのだなと。
ただ、すっきりしないから悪いとかそういう話ではなくて、むしろそれでこそ人間だよなぁとも思う。
神でもない人間が全てを操って、全てを成し遂げるなんてそれこそ「夢物語」なわけで。

「成功」という目に見えない物に向かってもがき苦しんで、「自分なりの成功」を作るしかない、人間という生き物の限界を見るような気がします。

各blogの感想を漁っていると、由美子さん演じるお半について、「邪気がない故に女性として幸せを掴んだ」という表現が何カ所かにありまして、自分も初見ではそう思ったのですが、2幕後半に重点を置いてみてみると、もしかすると越後屋の旦那とお半は離縁しているのではないかと。

というのも、「ここだけの話」と言いながら自らが友人を救うために、阿片を密売人から買ったことがあると告白していますが、近い将来外国との貿易を拡大するため「一番大事な時期」と言う越後屋主人にとっては、大スキャンダルになりうる訳で。

「救うふりでもしなきゃ、この人(長英)はもっとダメになっちまう」と長英を膝枕に貸してみたり、抱きつかれても振り払わずに優しく包み込んでみたり。

そんなお半の様子を見ていて旦那はすっかり引きまくっていたわけですが、ここまで邪気の欠片もなかったお半の表情が、この辺りで変わったように思えて。

それはお峯の「女としての幸せ」を目にした故のことなのかもしれませんが、「当代きっての大商人・越後屋の正妻」という「体面としての成功」より、もっと別の「女としての幸せ、人間としての幸せ」を求めに行くような表情に見えました。

長英の最後を見送り、その時に見せた夫(越後屋主人)の商人とはいえ人間として軽蔑すべき有様を、どこか冷たい目で見ているような、そんな気がしました。
その意味では、あの場面が本当の意味で「お半が女になった瞬間」なのかなと思わされます。

●英泉とお峯
異母兄弟である2人の関係がこの「淫乱斎英泉」では主軸になっています。

お峯が長英に惚れていることを重々承知の上で、「長英に抱かれろ」と言いながら、その時苛立つように酒を煽る英泉。

人間と猫の魂が入れ替わるという寓話を作ってまで、自分が妹であるお峯に襲いかかろうとして我に返る英泉。陳腐な言葉で言えば「新しい生き甲斐を求めないと生きていけない」のだなと。

英泉はお峯を恐らく好きだったのだろうけど、それ故に歪んだ愛情として、「お峯を精神的に拘束し、悲劇を与える」ことしかできなかったのかと思うと、2幕、お峯の影となってしまうことも考え合わせると、英泉ほど「因果応報」の目に逢ってる人はいないと思えてきます。

英泉が「光」、お峯が「影」となっていた一幕が、一幕最後5分を境に逆転し、お峯が「光」、英泉が「影」となることで、お峯の艶やかさが突然増し、英泉はどんどんつまらない人間へと墜ちていきます。

一幕で英泉が仲間(人情本の為永春水)を売ったことを本心から面白かったと告白する場面で「いやぁな人になっちまったねぇ、おとうさんも」とお半が軽蔑するように言っています。

が、その実、二幕で「自分(長英)に夢を託す野郎に成り下がった」と長英が言及した英泉。
言葉には出さないものの、「つまんない人になっちまったねぇ、おとうさんも」と言い出しかねないほど、お半が半ば呆れた表情で見つめていたのが印象的でした。

●裏切る人々
この物語で特徴的なのは、主要登場人物5人は、他人を裏切ってばかりということ。

「裏切る」という定義を「他人を売ると言う行為」と極小化したとしても、英泉は為永春水と長英を売ってる(1幕の女郎屋で、脱獄してきた長英の存在をあからさまにしている以外にも、実は2幕で「お峯が売ったんなら俺は無罪放免どころがお峯の分の懸賞金も貰えるな」と言ってお半に呆れられている)し、お峯も長英を売ってる(岡っぴきの列に手配画を示してる)、越後屋主人も長英を売ってる。

ということは他人を売ってないのは長英とお半だけ。

2幕で長英がお半にすがったことに、何か腑に落ちるものを感じたのは、そんなせいもあったのかなと。

お半にとって長英は「苦しみが分かる」と言いながらも、『本当の意味では』苦しみが分からない、ことを分かっていた。

「せめて一緒に苦しんでる『ふり』でもしてあげなきゃ、この人本当に駄目になっちまう」と言う言葉は、人が人を救うことがどんなに難しいことなのか、理性ではなく感情で動いていたお半だからこそ言えた言葉なのだろうなと感じさせられます。

2幕から豹変したお峯が、人間として、英泉の妹としてよりも、女として生きることを選んだとするならば、お半は常に人間として生きることを選んでいて。
だからこそ謎の女の、「安全地帯からの侮辱」に対して「あたいの知り合いはみんな一生懸命生きてるんだ。ただ歯車がずれただけなんだ」と叫べたんだろうと思う。

どこぞの作品で聞いたけれど、女郎稼業は男と女と綺麗事以前の世界でつながるから、普通の人よりピュアになるとかいう話は、あながち外れていないのかも。

●お峯とお半
先ほども触れましたこの2人の関係。不思議だなぁと思うのがこの2人、女と女という割りに直接的に相手を忌み嫌うような関係がないのですね。対照的ゆえに、もはや自分はもう一人の女のように生きられないことを端から分かっているせいなのか。

つか、お半があっけらかんとしすぎてるのが全て悪いんですけど(笑)。

「お峯さんも若いうちにお嫁に行っとけば良かったのに。今からじゃ貰い手がないよ」とかお半に言われたのをお峯さんもやっぱり覚えていまして(当たり前)。

2幕で再会したときには「お久しぶりです」と勝ち誇ったように堂々と綺麗に立っておりまして・・・・あぁやっぱり背の高い女優さんって得だねぇ(しみじみ・・・苦笑)。

ここでお峯の綺麗さに圧倒されて、旦那の後にこそこそと隠れるお半がめっさ面白い。
ここのシーン、戯曲ではそんな面白いシーンじゃないんですが、女と女のぶつかり合いを上手く表現する辺りは、さすがに女性演出家さんらしいところですね。

ま、ここは「お半さん、自業自得です。諦めなさい。」ってところですが(笑)

長英と英泉が逆の役者さんというのも考えにくいですが、お峯とお半が逆の役者さんというのも考えにくいところ。

由美子さんは豹変する様は落差激しくインパクトが出せると思うけど、いかんせん美里さんのような色気はちょっと苦しいものがあるからなぁ・・・と贔屓に対してあるまじき暴言をしてみたりする(爆)。

ちなみに高橋由美子さんは田中美里さんより3つ年上。
・・・この芝居では完全にひっくり返ってましたね(爆)。

●芝居の評判というもの
1幕最後のちょっと前、英泉が「木曽街道六十九次」についてお峯に「評判良かった」と褒められながら、「評判なんて関係ねぇ」と断ずるシーンがあります。

「俺が納得しない絵は全部駄目なんだ、俺の誇りは俺にだけは嘘を付いていないってことだ。玄人ってのはそういうもんなんだ、覚えてやがれ」と。

この作品、何しろ最初は漢字5文字の堅苦しさとタイトルから、ちょっと物足りない動員でしたし、初日はカーテンコールも1回と、「どう反応して良いか分からない客席」状態ではあったのですが、その後見た回ではカーテンコールも2回が常道になり、ちょびっと笑いが0.5テンポ先行する辺り、リピーターがそれなりに発生した感じで。

blog巡ってみてもいい評判が多いようですが、ですがプロにしてみればそれこそ「評判なんて関係ねぇ」なのかもしれないと思わされます。

客席からしてみて同じ人間が演じているとは思えないほど、山路さん初めとした、いっちゃった役者さんたちの熱演ぶり。
熱演といいながら熱演さを見せないところが今回の5人の役者としての技量だなぁ、と。
つくづく羨ましい人生だなぁと、そんな技術を持たない客席の一人として羨望の目で見つめたくなるのでした。

素敵な作品に巡りあえたことを、感謝の念でいっぱいです。

そういえば、今回の作品は結果として女優2人が自社(東宝芸能)所属となったわけですが(由美子さんが今年1月から東宝芸能へ移籍)、これも色々な意味で幸運だったなと。

この芝居はある意味、お峯役の田中美里さんを光らせるための芝居と思われます(台詞数は多いとはいえ、なかなか美味しい役かと)ので、そこに印象を被らない賑やかし役として高橋由美子さんを持ってきたのは実に適材適所。

その上、客入りが微妙だったこともあってPRにテレビ・ラジオ・新聞等々奔走することになった由美子さんですが、それは自社所属になったからこそなのかもしれませんし、(作品の客引きへのてこ入れとして)逆に言えば東宝芸能に入れるきっかけにもなったわけで、実に幸運でありました。

前事務所のことをあえて悪く思うことも今までなかったわけですが、移籍してからの芝居への熱意とか活動の多さとか(PRの面が多分にあるとはいえ)を見ていると、実はずいぶん抑えられていた部分が多かったんだなということを実感して。
いい作品に出ることができて、役者としても大きな刺激を受けて、自分に合った事務所に入れて、いい仕事が入ってきて・・・という好循環の入口になったこの作品は、色々な意味で忘れられないありがたい作品にもなりました。


ここからは、ちょっとした超愚痴。舞台そのものへの話ではないので、少しでも不快になりたくない方は、絶対回避でお願いします。
文字も反転して白で行きます。

今回の舞台は、「プロの生き様」をまじまじと感じるきっかけとなったわけですが、ちょっと悲しかった話を一つ。
この舞台について感想を書いた拙文(『淫乱斎英泉』(1))の一部が、一言一句そのまま、某blogで丸ぱくりされていました。(文末の言葉遣いだけ変わってます)


このblogで自分が書いている文章にそれほどの権利を主張するほどのものがあるとも思っていませんが、自分の感じた感情を、それなりの思いをもとに自分の言葉で書いていることだけは事実で、それを何の断りもなく、あたかも自分が書いたかのように引用されるのはいささか悲しいです。


その方がただの素人なら、まぁそんなこともあるやね、と思うのですが、その方はプロの方で、舞台上に立ってる役者さんなのだそうで。


そこに気づいたとき、心底悲しくなりましたね。


「プロの矜持」を吐露した山路さん演じる英泉のメッセージは何も伝わっていないのかと。


作家さんとしてのプロではなくても、役者さんとしてblogをやっているならそれは役者としての活動の一部なわけで。役者が感想を書くのに、そこらの素人の感想をそのまま引用するって、プロとしてのプライドってどこにもないのかよ、と慄然としまして。


人間として、プロとして、超えてはいけない一線というのはあるのだなということを、この作品だからこそだぶって感じさせられたのは、皮肉といえば皮肉です。

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