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2008年6月

『SHIROH』を語る(34)

2008.6.29(Sun.) 新宿バルト9 18:00~19:45、20:00~21:45

6月14日の東京メトロ副都心線開業により、新宿三丁目駅上にある新宿バルト9は、自宅最寄り駅から直通1本で行けるようになりました。

これで便利、『SHIROH』上映も楽々、とか思っていたら副都心線の新宿三丁目駅は、バルト9までは異常に離れており、400mとかいう表示があります。ほとんど新宿駅と同じ距離ですね(東京メトロ丸の内線の新宿~新宿三丁目駅間は日本で2番目に短い駅間で、300mです)。

新しくできたシネコンにしては、地下鉄駅と地下でつながっていないのも不思議です。
休館していた新宿松竹ビルもシネコンになり今年オープンということで、不夜城新宿に深夜も上映する新宿バルト9も、なかなか大変なようです。

帝劇+梅田で生の舞台を13回見て、ゲキシネは初回の渋谷・シネクイントと前回のバルト9で6回見て、DVDはもう5~6回見ているはずだから、多分そろそろ30回が近づいています。

DVDはこの作品の場合、副音声付でしか見ず、あまりの長さからゲキシネで気分転換に見るのがすわりのいい作品。
今回のゲキシネ2008ツアーは、今月頭からスタートしていますが、第1弾の「メタルマクベス」だけ見て、私は次がこの『SHIROH』でした。

今回は終日3回上映で(上映時間はバルト9公式を参照)、3つのシアターを使っています。今までにない試みとして、夜の回は早番と遅番のごとく、18時台スタートと19時台スタートを別シアターで上映していますが、この点についてはブラボーです(今日はアンケートを書く気力がなかったので次回書いてくるつもり)。

何しろ、1幕95分(他作品の予告がほぼなかったとはいえ実際には105分かかっていた)、2幕102分に休憩を足すと、フルで4時間近い作品ですから、前回のように19時台だけのスタートだと、夜が遅くなりなかなか稼働率が上がらないというわけで、実態に合ったいい上映時間設定だと思います。

この日見たのはシアター7。隣の「花より団子final」の大入りを横目で見つつ、シアター7のキャパからすれば9割近く入っています。実際に上映開始前の座席状況は「△」(満席間近)でした。

1年ぶりにバルト9の大スクリーンで見たこの作品ですが、まったく色褪せることなく心に突き刺さります。

1幕が長すぎて飽きてしまうのもまったく変わりがなく、「さんじゅあんの館」から猛烈にエンジンがかかり始めて、「光を我らに」の後の四郎の「なぜ私ではなく彼なのです」あたりからの悲劇への突入は何度見ても鳥肌が立ってしまう。

この日印象的だったのは、お蜜が幕府のスパイであることを皆が裁く席にシローを呼ばなかったことで彼が爆発し、その後お蜜に自らを盾にされてぼろぼろになるシーン。

お蜜が去り、甚兵衛が去り、お福が去り、舞台上には四郎とシローと寿庵だけ。
お蜜に裏切られ、呆然とするシローに言いかけようとする寿庵を止める四郎。

わずか2秒か3秒の芝居の濃度に思う存分酔いしれます。

四郎を演じる上川さんと寿庵を演じる由美子さんの芝居の相性の良さはこのシーンに余すところなく展開されていて。

四郎は身振りだけで「同情でシローを救うことはできない」と寿庵をたしなめます。

寿庵は「一揆軍を守るため」という目的があったとはいえ、”シローを傷つけてしまった”罪の深さにさいなまれながら、「実はかける言葉がなかった」自分の無力さに打ちひしがれ、その場を去っていきます。

シローが暴走し自滅していく、その過程を作り出してしまった後悔。
四郎中心に物事を動かしてきた寿庵ゆえに、意図的ではなくとも結果的に軽く見てきたシローの存在。

寿庵は、自らの罪から解放されることなく、「生きたまま十字架につながれた」存在なのかもしれない、と改めてその存在の重さを感じさせられます。

そして。

お蜜がシローの存在に心が揺れたのは、そのピュアさなんだろうなと思う。
知恵伊豆の横で腹心として存在していたくの一としての自分は、知恵伊豆のいう「必要悪」や「戦略」に囚われすぎていたと。
一揆軍は戦略的には素人に過ぎないし、粗も多い。しかしその思いは本物だということを、シローを通して知ってしまったことで、お蜜はくの一としては持たない「心」を持ち「女」になってしまった。

お蜜が知恵伊豆に対して嘆願するとき、シローだけではなく、他のメンバーについても同じく国外への脱出を嘆願しているのですね。
そのシーンは一揆軍首脳(四郎・寿庵)に知られることがなく、誤解されたまま断罪されることになるのですが。

その後、知恵伊豆との和睦シーンで四郎が暴走する時、お蜜はシローに助けに入るのですが、お蜜が四郎に言った「これで3万7千の意地が通るのかい、益田四郎時貞さんよ」という言葉。

これはお蜜が一揆軍に”憧れた”ピュアさが裏切られたことへの失望だったのか、と改めて認識させられます。

「闇討ち」とはくの一が取る”卑怯な”技、戦略的に素人であっても新しい世界を求めて戦った一揆軍にはあってはならない「卑怯な」技を使っているということを、お蜜は自分の命を賭して訴えたのだと。

一揆軍が一揆軍として存在するために必要なプライド。
一揆軍の中でただ一人正確に現状認識し、闇討ちを非難することであの場で孤立した寿庵。
その寿庵がおそらくもっとも大事にしたもの。

お蜜にとっての「死に場所」は、一揆軍が一揆軍として、勝利とか敗北とかと別の次元として、「守るべきものを再認識させる」ことではなかったかと。

お蜜の悲痛な叫びは、同じ思いである寿庵に届き、寿庵はお蜜の思いもともに現世に持っていることができた。

最後のシーンで寿庵が知恵伊豆に対して投げかけた
「あなたの作る世界がはらいそか、いんへるのか。3万7千の魂がしっかりと見ていますから」
という言葉を改めてかみ締めると、

その3万7千人の中には、知恵伊豆が自らの武器として使ったお蜜も含まれているということが、実は知恵伊豆にとっては一番ショックだったかもしれない、とふと、思ってしまったのでした。(お蜜の最期のシーンは、妙に恋愛感情を感じてしまう)

知恵伊豆にも、寿庵にも深く深く自らの存在を残したお蜜は、だからこそ「無駄死に」ではなく、「死に場所を見つけた」のだろう、と思うのでした。

※ちなみにこの日は東京芸術劇場でG2さんの『a midnight summer carol』を見てから新宿に行ったのですが、SAYAKA(神田沙也加)さんのぶち切れの活きのよさに感服した以外は見るべきところがなかったので、レポは割愛。
G2さん、何か合わない気がしてきました。
どっちも植本潤さんが出てたから色々と変な邪念は入ったけれども。

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『篤姫』(3)

このタイトルでブログを書くのは実に久しぶりです。

視聴を継続しているものの、心の中のわだかまりがどうしても取れずに、素直に楽しめない自分がいます。

本日は完全ネタバレで、かなり将来の出来事について記載しています。
かつ、否が応でも主観が混じっています。
贔屓の引き倒しと思われる方がいるかもしれません。
あらかじめ以上の通り申し上げますが、否定しません

一つでもそういうのが嫌な方は、即座に回れ右でお願いします。

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では。

生まれてこの方、大河を完全視聴したことない自分が初めて視聴継続中のこの作品、そのきっかけはこの作品にご贔屓の高橋由美子さんが唐橋役で出演することが決まったことでした。

唐橋という役は、NHK「篤姫」公式HP(6月30日現在)には以下のとおり記されています。

篤姫付き老女。
慶喜の将軍擁立失敗の責任をとって大奥を去る幾島に代わり、篤姫付きとなって幕末の大奥を支えた。


この説明は、第三次製作発表(2007年10月)から一貫して変更がないのですが、実はこの説明は、今となっては間違いで、幾島が大奥を去るにあたって後を託すのは、御年寄である重野(中嶋朋子さん)なのです。

原作では確かに幾島が後を託すのは唐橋なのですが、実はこの唐橋、史実ではこの時期に大奥にはいないのですね。

家斉(11代将軍)の御台所お付の御年寄で、その後水戸の徳川斉昭にお手つきにされて大奥の水戸嫌いに拍車をかけた話が有名ですが、ゆえに歴史ファンの方からは、「篤姫の時代に唐橋はいないのでオリジナルキャラ」と言われます。

拝察するに、製作発表時点でこの話に気づいた人はNHK内部にいなかったようで、今に至るまで公式HPも修正されていません。

ところが、唐橋の登板はずっと後、42話「息子の死」(10月19日放送)であることが今日発売のNHK出版「篤姫 ストーリーブック 後編」で明らかになりました。

※ちなみに先週発売となった新人物往来社刊の篤姫ガイドブックでは、いまだに重野が存在せずに唐橋がそのポジションに存在しています。

唐橋の原作での登場はもっとずっと前で、上巻の前半、篤姫が大奥に入った時にすでに登場しており、要は現時点で初瀬が担当しているポジションも、重野がこれから担当するポジションも、かなりの部分は唐橋のシーンだったのです。

まぁそれからすると、42話という極めて遅いシーンでの登場(おそらく最後の登場キャストでしょう)は、残念至極なのですが、そもそもの疑問があるのです。

原作どおりを想定して唐橋という役を受けたとしたら、今回の話は『仕打ち』という類以外の何者でもないのではないかと。

公式HPが現時点で製作発表時点の内容をそのまま踏襲している以上、当初、唐橋は相当前から登場する予定だったことは可能性が高いと思います。重野役の中嶋朋子さんの人物説明も顔写真もがいまだにないのも、同じ理由と思われます。

※追記
8月10日放送で幾島から重野にバトンタッチされた時点で、さすがに重野の人物説明も追加されました。
公式HPの人物相関図は、実に微妙です。

製作の都合上、原作に比べて役の大きさが前後するのは役者の宿命でしょうし、かつ役者のファンとしても甘受すべき部分だと、理性では分かってはいるのですが、明らかに「後から役が小さくなった」ことについては、違和感とともに憤りを感じざるを得ません。

現実問題として由美子さんは5月まで舞台をやっていて撮影をしていなかった(撮影は7月からの予定)ので、登場時期からして8月3日の幾島退任(31話「さらば幾島」)に間に合いません(大河はおおむね3~4ヶ月先撮りしています)。

舞台の休み期間である3月に撮影をやらなかった時点で、今回の事態は薄々予測できていましたし、重野役の中嶋朋子さんの撮影が始まった時点である程度予想していました(重野役は実在したモデルらしき人がいるのだそうです)。

大奥の位でいけば、重野が天璋院付の御年寄で唐橋が天璋院付の御中臈なので、2階層、重野の方が上にあたります。
その結論そのものに異論を唱えるつもりはあまりないのですね。
別に中嶋朋子さんに対してどうこうみたいな気持ちはないので。

そうではなく、後出しのごとく役が小さくなり、かつ公式HPにいまだに前の設定で人物説明が載っている、この一点がただ納得がいかないのです。

幾島が退任したときに、あの説明が存在すると、見ている人は何を思うかといえば、「何かの理由で唐橋の役は小さくなって重野に取って代わられた」と思うでしょう。

その理由が「唐橋はあの時代には存在しなかったことに製作発表後に気づいた」ということが事実なのであれば(自分は確信していますが)、その事実が公になることはNHKとして、宮尾先生として言い出すことはありえず、その被害は唐橋を演じる高橋由美子さんがただ一人被ることになります。

それは役者に対する『仕打ち』以外の何者でもないでしょう。

最初持ち込まれた時より役が小さくなることでさえ、役者にとっては不本意であり、侮辱以外の何物でもないでしょう。
しかし、それにも増して「幾島の後を託すには役者として力量が足りないから差し替えた」と思われかねない事実を『そのままにして放置する』ことが許しがたいのですね。

作品の進行上、どうしても設定を変えざるを得ない、これは許容されるべきだと思います。
原作どおりに一字一句やれなどと言うつもりなど毛頭ありません。

がしかし、プロの仕事というのは、お互いがお互いに敬意を払い、その力量をお互い借りながら、お互い高めあうものではないかと思うのです。

プロの仕事において、このような『仕打ち』、ある意味晒し者であるかようなことを、”そのままにしておく”「神経」そのものが自分には納得がいきません。

そういう意味で、楽しく見ていたこの作品を、色眼鏡で見るようになってしまったことは非常に残念ですが、作品自体は今後も楽しみに「は」しています。前ほど熱心には見られないけど。

ちなみに、最終的な唐橋の役どころは、ストーリーブックから引用すると・・・・

医者の娘で、医学に明るいことから天璋院の信頼を得て、天璋院付の御中臈となる。
徳川家の救済を願う天璋院の嘆願書を新政府軍の参謀・西郷隆盛に届けるべく、幾島とともに敵陣の真っただ中に飛び込んでいく。

最終的には「医者の娘」以外は原作通りなのですが、そもそも完全創作といえばその通りではあります。
どうせ創作だからどうにでもしようがあるとはいえ、わざわざ役を大きくする必要は感じなかったんでしょうが、それにしてもここまで変えるとねぇ。

今となって振り返れば、「空中ブランコ」の途中から「中途半端な役設定」に憤りを感じたのは、「篤姫」でのこの扱いがある程度見えていたからでもあります。

「空中ブランコ」のエリという役は、実は由美子さんでしか演じようがなかった極めて難度の高い役。
それなのにそれほどまでにフィーチャーされず、評価もされにくかった。
(あえて由美子さんがやる必要がないとも言えはしたけれど)

のにかかわらず、その舞台に拘束されたことが、「篤姫」における登場の遅れ、ひいては作品に対する比重の大幅な低下につながったとするならば、やり切れない思いでいっぱいなのが正直な気持ちです。

今年1年を無駄にしちゃったような気持ちが悔しさとともに湧き上がってくるので。

それこそ、「空中ブランコ」も「篤姫」もやらずに「レベッカ」やってたら納得したかもしれませんが(笑)
祐さんとは合うと思うんだけどなー、ちーちゃんも悪くないけどー(ぼそっ)

「篤姫」に関しては、「役どころが変わったけど、無理に出す場面作りました」みたいな、こんなお荷物扱いされるようなら、最初から選ばれない方が良かった気さえしてしまう自分がなんだか悲しい。

重野が幾島の跡を継ぐことがわかって3ヶ月、唐橋の存在意義がないとずっと思ってきたから。

今回はしょうがないけれど、次回こそはリベンジとしていい役で出て欲しいと思う。
役での悔しさはその役に全力投球して、その上で次の役につなげてこそ報われるというもの。
それだけのポテンシャルを持っている女優さんだと、信じています。

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『水平線の歩き方』

2008.6.15(Sun.) 14:00~15:00 シアターアプル センター後方
2008.6.19(Thu.) 19:00~20:00 シアターアプル 舞台上手側

ハーフタイムシアター2本立て、キャラメルボックス最後のシアターアプル公演となるこの公演。
「ハックルベリーにさよならを」との2本セット上演。

19日は通し券で両方見たのですが、「ハックルベリー~」の方は私的にぴんとこなかったので、こちらの作品に絞ります。

まずは19日ソワレ。

岡田達也さん、キャラメルボックス2000回出演おめでとうございます。

という記念公演だということなぞつゆ知らず、終演後の挨拶でそれを知りました。
記念のポストカード(裏面は真っ白。岡田さんもおっしゃってましたがそれはポストカードとは言わない(笑)、しかも定形最大(長3サイズ)ですし。
通し券の存在もあって、「ハックルベリー~」終演後も配られたこのポストカード、こういうのはうれしいですね。
予め予告されていたようで、この回の当日券は100人を超える人が並んだそうです。

物語は、天に召された母親が、なぜか家にいるところから始まります。

さてここからネタバレスタートです。いつものごとく回れ右推奨です。




小学6年生の時に母親に先立たれ、親戚に引き取られた少年は、1人でいることを選んで生きてきた。
ラグビーの選手として35歳まで活躍。日本代表に選ばれず、W杯にも行けなかったことに「一流でない」わだかまりを本人は持っているけれど、周囲に言わせれば「ラグビーをやってる人間でこの人間を知らない人はいない」と言われる成功した人生を送った男。

身体がそれほど頑丈なわけではなく、スピードを武器に長年やってきたこともあり、身体はボロボロ。
怪我が耐えないながらも何とかやってきたが、怪我が治らないまま、「もう一度ラグビーをやりたい」と出た試合で全ては運命が暗転して・・・・

自分は不幸、自分は孤独。そう言っている岡田達也さん演じる主人公は、周囲の愛情に気づけない。
むしろ気づかないようにすることで、「大切な人を失った痛み」をもう二度と失わないで済むと思っている。
大人なようで、子供な男。

母親は亡くなったまま年をとっていないので年齢が逆転しています。
岡田さつきさん演じる母親が34歳で、岡田達也さん演じる息子が35歳。

泣き言をいい、自暴自棄になる息子に母親は言います。

「何も変わってない。身体は大人になっても、中身は全然成長してない」
「身体が風邪を引いてるんじゃない。心がひいているのよ」

母親が知らない息子の23年を誇りに思い、その努力に敬意を払いながらも、母親として言うべきことはきちんと言う。そのしっかりした関係がとても素敵に見えます。

「人は一人では幸せにはなれないのよ」

深すぎる言葉だと思う。

岡田達也さんと岡田さつきさんは、キャラメルボックスでは「W岡田」という別名で呼ばれていますが、キャスト先行型の観劇にして、”共演して見に行かないことがない組み合わせ”ではこのW岡田がキャラメルボックス以外を含めてもトップかもしれません。それぐらい相性がすごくいい。

男性の俳優さんと女優さんの組み合わせで見ていて私的にしっくりくるのは、変な馴れ合いがない真剣勝負な感じ。

かといっておふざけがないわけでは全然なく、岡田さつきさんが「若い母親」である設定を生かしてポップな感じでおちゃらける感じはすごく楽しいです。

というか普段はカップル役で演じる2人が、母親と息子で普通に話が成立しているのが驚異的。

もうこれ以上の突っ込みはないよというぐらいのテンポで押してきます。
笑わせて泣かせて、1時間という時間があっという間に過ぎた感じ。

W岡田のあまりのはまり役ぶりに他キャストが霞んでしまいそうですが、それでも阿部先生役の前田綾さんはとてもいい感じ。ああいう男前さはいいなぁ。「小さい頃からませていて~」と「ハックルベリー~」を見ると思ってしまいますが、何と言うか性格というのはそうそう変わらないものなのですね。と実感。

6月29日まで公演中。

副都心線もできて行きやすくなった新宿(とはいえ副都心線新宿三丁目駅からシアターアプルは20分近くかかりますが)、来週末にゲキ×シネ「SHIROH」が始まると時間作るの難しくなりそうだから、来週前半にもう1回見ようかな。

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月9『CHANGE』

2008.6.16(Mon.) 21:00~21:54 CX系

自分の人生には縁がないと思っていた月9を見ることになるとは、とちょっとびっくりなのですが、実はこの枠はキムタク&松さんの「HERO」を見ていたので、そういえばそれ以来です。

現在放送中の番組はキムタク&深津さんの組み合わせでの政治ストーリードラマ「CHANGE」。

この今週放送分と来週放送分にゲスト出演される(た)のが、”篤姫組”といわれる高橋英樹さんと高橋由美子さん。

高橋英樹さんは「篤姫」の島津斉彬公として毎週拝見申し上げておりますが、この日は野党党首の役として登場。政治的なバックボーンを持たないキムタク演じる朝倉総理と、「政策での一致」を見るというストーリー。

その「政策での一致」のきっかけとなった「小児科医の不足」をストーリー付けるためのゲストが、高橋由美子さん。
深津さん演じる筆頭総理秘書官の財務省当時の同僚役。つまりキャリア官僚ということになります。

息子が急病で病院をたらい回しにされて悪化したという話を、美山秘書官を通じて朝倉総理が知ることになります。

由美子さんはデビュー以来約20年間、ドラマで各局を渡り歩きながら、月9だけは無縁な女優人生を送ってきていたのですが、ひょんなことから(この作品の演出は「ショムニ」の演出)月9初出演、かつ2週連続の登場になります。

深津さんと由美子さんは実は堀越の同級生(1992年卒)。生年は深津さんの方が1つ上なのですが、深津さんは専門高校(日本音楽高等学校)から堀越に入っており、同級になります。
正真正銘の初共演でして、堀越当時に特別に仲が良かった話は耳にしたことがないのですが、何でか分からないのですが異常なほど芝居の呼吸が合ってます。

深津さん演じる美山秘書官と朝倉総理の「恋愛スキャンダル」にやさぐれる美山秘書官。
夜のバーで振り返ったそこにいたのは、「財務省を辞めて以来会うのは初めて」の松井尚子さん(由美子さんの役名)。

挨拶するときの深津さんの反応も、応対する時の由美子さんの時の反応も、ちゃんとお互いキャリア官僚っぽい。お互いに一目置きながら同じ目線で話す感じが、妙にリアルです。
馴れ合うわけでもなく、無理に寄りかかるわけでもなく自立してる感じ。

いいシーンだなぁと思ったのが、由美子さん演じる松井さんが深津さん演じる美山さんにその「恋愛スキャンダル」に対して質問するシーン。

「総理と付き合ってるの?」
「あんなの信じないで下さいよ」
「やっぱり、ね」
「なんでですか」
「美山さんは仕事と結婚したんだもんね」
「仕事と結婚?」
「やだ、自分でそう言ってたじゃない」

わずか20秒弱のシーンなんですけどね、2人の芝居の呼吸が抜群で。

松井さんにしてみれば財務省で一緒に仕事をしていた美山さんがそんなわけないでしょ、と一笑に付しているけどあえて美山さんをからかってみた、みたいな感じがよくわかる。

で、美山さんにしてみても「松井さんまでそんな世間の戯言信じるんですか、松井さんは分かってくれてると思ったのに」と本気で嫌な顔した後に「やっぱり、ね」という返答で美山さんはほっとするんですね。
あぁ、松井さんはちゃんと松井さんなんだ、分かってくれてるんだ、みたいな表情が出ていて。

お互いが信頼する同士のやりとりという感じで、ある意味「総理秘書官」として孤独な役回りでしかも「恋愛スキャンダル」として公人かのごとく矢面に立つ美山さんにとって、心安らぐ空気があったのが、なんだか嬉しかったな。

この「仕事と結婚」というキーワードはこの回の後半、美山秘書官から朝倉総理に対して発せられて、総理が「どんびき」するのですが、ある意味、美山秘書官にとっての、朝倉総理に対する立ち位置を再認識させるポジションとしてのゲストということがわかります。

総理いわく「恋愛に異様に不得手」な美山さんにとって、「仕事と結婚」したということを松井さんに言われることで、「自覚はないけれど総理とプライベートな関係」を持たない、という”気持ちの整理”をしていますし。

そんな松井さんの苦しんだ「小児科医の問題」を急遽補正予算に組み込もうとする総理を止めようとする美山秘書官。
「一目置く松井さんのため」より、「総理に迷惑を掛けたくない」という気持ちの方が優先してるという点で、”美山さんの本当の気持ち”を浮き上がらせるのに一役買っています。

今回の出演はわずか5分足らずですが、来週も出演予定があり、公式発表はされていませんが、松井さんにとってとても不幸な出来事が起こるようです。大体の予測はついているのですが。

月9初出演なのにかかわらず2話ゲストになっているのは、物語の終結へのターニングポイント役という意味に思えます。

高橋英樹さんが総理の「政治的立場」に対する選択肢を広げることで、結果として総理の行動を広くしていますが、それが公的な面であるとするならば、由美子さん演じる松井さんの存在は、総理と美山秘書官のプライベートを含む結びつきに対する、後押し役という側面が大きいように思います。

普段の作品より1ヶ月遅れて始まったこのドラマ、今月中には大団円を迎える予定になっています。
そうなると、物語を収束させなきゃいけないけど、総理と美山秘書官をくっつけるには、官邸にいる面々ではやりようがなくて、ゲスト出演者の力を借りなければしょうがない、と。

ストーリーを壊すことなく物語を先に進めた、という点でゲスト出演者としての責任がきちんと果たしていた感じで何より。

来週、クールな感じの松井さんは、泣き叫ぶことになるのだろうか・・・
悲しみを乗り越えながらも、総理と美山秘書官の関係に、後押しになるメッセージを残すような、そんな気がします。

そういえば、話は最初に戻りますが、「篤姫組」と言われていた由美子さんですが、未だに撮影に入っていないようで。

6月早々に呼ばれると思ったのに、撮りはかなり先まで進んでいるようで、演じる唐橋とポジションがかぶると思われる重野(中嶋朋子さんが演じています)にずいぶん色んなシーンを持っていかれそうな気がするのですが。
(既に原作上の唐橋はずいぶん前から登場しており、篤姫お付の初瀬(29話まで)と重野(今週より登場)で役割を分け合っていますが)

衆参ねじれで確定が遅れてたNHKの平成20年度予算の影響なんでしょうかねぇ(というか確定した話を聞いてないのですが)。メインで撮影入ってない人、本当に少ないからなぁ。

6月30日に篤姫のストーリーブック後編が出るので、そこでさすがに話がわかるのでしょうが。

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『ミー&マイガール』(4)

2008.6.8(Sun.) 11:00~14:10 東京宝塚劇場1階4列目下手側

私が舞台を最初に見たのは1993年のことなので、今からもう15年も前の話(日本青年館での高橋由美子さん主演、『新アンの愛情』でした)なのですが、それ以来あまたの作品を見ながらも一度も縁のなかった世界が2つありまして、その1つが「宝塚」(もう1つは「四季」です)。

東宝作品を見ていると、何しろ「東京宝塚」が「東宝」ですので、宝塚OBはたくさん出ていますから、宝塚OBにはぜんぜん違和感はないんですが。
もう10人近くの宝塚OB見ているかなぁ。
森奈さん、一路さん、愛華さん、純名さん、涼風さん、月船さん、久世さん、香寿さん、思いつくだけで8人。

場所は日比谷の日生劇場の隣、シアタークリエの向かいということになるわけですが、いつも「有楽町」(要は帝国劇場)が多い自分にとって、この「日比谷演劇映画エリア」は心持ちいつもと違う気持ちになる空間です。

この作品は直近では2006年に東宝版として再演されており、その時は井上君&笹本さんのゴールデンコンビが定着するきっかけになったわけですが(共演自体は2004年の「ミス・サイゴン」のクリス&キムが最初)、ひたすらハッピーエンド、悪者一切出てこない、いかにもの古典的ミュージカルですが、好きなミュージカルの上位に確実に食い込む作品です。

そんなこともあり、初宝塚は月組で上演される、この『ミー&マイガール』になった次第。
ぶっちゃけてしまえば、東宝版の再演が待ちきれなくて宝塚版のチケットを取ったら、先月の帝劇『ルドルフ』でいきなり東宝版の再演(来年6月帝劇)が発表になって泡吹いたわけですが(笑)。

東宝版と宝塚版を比較するという禁じ手にトライしますが、予め申し上げておきますが、あくまで個人的な主観による好き好きですので、その辺はご了承いただきたく。

かつ、いつものネタバレモードです。

宝塚版を見てびっくりしたのが、東宝版と随所に歌詞が違うのですね。和訳そのままがどっちだかは存じ上げないのですが、東宝版に慣れたせいか、東宝版の方が好きかな。
(この文章は、東宝版お2人が「題名のない音楽会」で歌った動画を見ながら書いてます)

「ミー&マイガール」の「二人で『もっと』果てない旅へ」というところがこの作品では一番好きでして、『もっと』の物言いが笹本サリーのほとんどすべてを表現していると言っても過言ではないという…
ここ、宝塚版では「二人でハッピー」になってるんですね。
そういえば、この作品、「一人のラッキーより二人のハッピー」ってサブタイトルがあります。

ストーリーを簡単になぞってしまいますと、名門フェアフォード家の跡継ぎであることがわかった、下町育ちのビル(東宝版は井上芳雄さん、宝塚版は瀬奈じゅんさん)が愛するは同じ下町育ちのサリー(東宝版は笹本玲奈さん、宝塚版は彩乃かなみさん)。
マリア伯爵夫人からはサリーはこの家にふさわしくないと言われるが、ビルはサリーを忘れることなんてできず・・・

てな話。

東宝版を見ていたときは「一人のラッキーより二人のハッピー」ってサブタイトルは、あったことも忘れるぐらいだったんですが、宝塚版は歌詞にも「二人でハッピー」という言葉がある通り、ここがかなり重視されて演出されているような印象。

ビルは好みからすると宝塚版の瀬奈さんの方がいい感じ。来年の再演で井上君がどこまできっちり作ってくるかにもよると思いますが、2006年時点の井上君にはコメディはちょっと苦しい部分があって、笹本さんにずいぶん押されていたので、今段階で記憶を呼び覚ましても、ここは宝塚版に軍配を上げます。

サリーは非常に難しいところなんですが、1幕が東宝版の笹本さん、2幕が宝塚版の彩乃さんかな。

今回の宝塚のプレス冊子で彩乃さんがいみじくも語っておられるのですが、娘役の方にとって、1幕のような「下町じゃじゃ馬系」は苦手なようで、確かに見ていても魅力が前面に出ていないような気がしました。
笹本さんは「下町じゃじゃ馬系」は得意中の得意のキャラクター(地だからでしょうか(笑))ですから、ここはさすがに分が悪すぎ。

あの「すっげー」に笹本サリーのもう一つのコアがありますからねぇ(笑)

宝塚娘役出身で、あの手のを恥ずかしげもなくやれるのは、拝見したことがあるOBの中では森奈みはるさん(『花の紅天狗』でこれ以上のキャラをやってました)ぐらいかなぁ。
森奈さんの宝塚当時のことは存じ上げないのですが。

笹本さんは最近おっしゃられませんが、エポニーヌに受からなければ宝塚も考えた、と以前話していたことがあるのですが、基本は男役の系統だから、2幕の「女の子らしく」存在するところについては娘役トップの彩乃さんの方がどう見てもしっくり来ます。

つまるところ、彩乃さんが1幕で男っぽさを、笹本さんが2幕で女っぽさを上手く表現されれば、今まで以上に素敵な作品になるとは思うのですが、そんなことを言うのが超贅沢というぐらい、レベルの高い場所で東宝版、宝塚版ともに出来上がっているんですけどね。

宝塚版の銀橋も大階段もレビューも思った以上に楽しめて、音楽はもちろん好きなテンポの曲だし、「初宝塚」をほとんど意識することなく見られました。

彩乃さん演じるサリーはとにかく可憐で美しい。笹本さんの2幕最後の「おしとやかな女性として生まれ変わる」シーンが着せ替え人形的に似合っていなかった(大変失礼)のに比べれば、ありえないほどの可憐さはさすがにトップ娘役。


シーンによって男性と女性の役の区分けがわからなくなるのは、宝塚を見慣れていないからなのでしょうから、そこは致し方ないところではあるんですが。

この作品、東宝版含めて5回だか見ているんですが、今でも拍手のテンポがとりにくいのがこの作品のお楽しみソングにあたる「ランベス・ウォーク」(1幕トリ)。

客席に踊るように促すのは東宝版の塩田さんオリジナルなんだ(笑)と当たり前のことに感心しつつ、なんだか曲の動きに拍手がずれることにかけては私的にはこの曲の右に出る曲はない!と今のところ思ってます。

ビル、サリー以外ではジャッキーがいかにもな感じで良かったかな。
東宝版は宝塚出身・純名りささんで見たのですが、来年の再演版はジャッキーは樹里咲穂さんで見てみたい(実際に96年中日劇場版がそうだそうなのですが、これだけ映像化されていません)。

何しろあの「ウェディング・シンガー」のホリーですよ。井上君を誘惑するのにこれ以上の適任者がおりますでしょうか(爆)。ビルがスルーすることに違和感がないし(笑)。

宝塚版のジョンを見ていて、なぜか東宝版のジョンに石川禅さんが浮かんだ私。村井さんもジョンにぴったりだとは思うのですが、ご本人、ミュージカルはそろそろもういいみたいなことを劇場でおっしゃってたことがあるんですよね(ロビーでそういうことを語ってるといろんな人が聞いていますよ(笑)。その時のお話の相手はヒギンズ教授でおなじみ石井一孝さんでした。何の芝居だったか忘れたけど、笹本さんが出てた作品なのは間違いないです・・・と思ったら、日本青年館の「タナボタ」でした。岡さんが変な女装した年の(笑))

宝塚版はDVDがきちんと出るのが羨ましい。てかこの作品も宝塚大劇場での公演が今月DVD化されるのですが、欲しいとか思っちゃったりしてる自分(笑)。

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『ルドルフ』(4)

2008.5.31(Sat.) 12:30~15:00 帝国劇場1階最後列センター
2008.6.1(Sun.) 13:30~16:50 帝国劇場1階最後列上手側

「The Last Of Rudolf」となる予定だった5月31日のマチネ。

運試しに並んだ6月1日の朝10時、帝国劇場での抽選で70人枠に入り、無事千秋楽も観劇できることになりました。
当初千秋楽にこだわるほどには熱意がなかったこの公演ですが、なんでか作品が愛おしくなって、千秋楽をもって5回目の観劇になります。

まずは前々楽で気づいたことをいくつか。

前回も触れた「少しずつ死ぬぐらいなら、いっそひと思いに死ねばいい」の言葉、劇場前で老婆から吐き捨てられる言葉は、時を経てマリーから言われることで、2人の最期への引き金となるのですが、老婆から言われた直後、ルドルフはこの言葉を反芻しているのですね。

民衆の苦悩を皇族にありながら胸を痛めたルドルフにとって、この言葉は胸に突き刺さったわけですが、するとかなり早い、この段階からルドルフは「死」を視野に入れていたように思えます。

じわじわと真綿で首を絞められるように権限を失っていくルドルフの辛さにとって、「少しずつ死ぬ」ことより「ひと思いに死ぬ」ことへの共感のようなものが流れているような気がしました。

正直、この言葉を一言一句違えずにマリーに言わせるのは、ちょっと唐突というか偶然にも程があると思うので、ひとつ溜めというか間に一つあればよかったかなと、いつも思います。

笹本さん演じるマリーは、公演最初に比べていい具合に強さが消えてきて、やわらかさを出せるようになってきていて。ステファニーから逃れてマリーに救いを求めた理由が分かるようになってきました。最初はステファニーもマリーも「押し」一辺倒でキャラがずいぶん似通っていましたから。

確かに、「皇太子になれ」と「自分らしい皇太子になれ」という違いはあって、ルドルフの存在だけを必要としているステファニーと、ルドルフの人格までも必要としているマリーでは、マリーに惹かれた理由は分かったわけですけど。

この作品でルドルフがもっとも人格破綻に陥る娼婦の館ですが、ここでのマリーの服装がいまだ誰も言わないので言ってしまいますが、由美子さんが演じた「SHIROH」の寿庵の「さんじゅあんの館」の服装と色合いがほぼ一緒なのですね。

内側が赤で外側がエンジ色という組み合わせは、「赤」が指し示す情熱を、「エンジ」という理性と威厳をもって包み隠すというような意味合いがあるので、色が似ても全然不思議ではないのですが。

マリーは娼婦の館でルドルフに「あなたらしい皇太子を目指せばいいじゃない」と言っていますが、これは寿庵がさんじゅあんの館で益田四郎時貞に言った言葉に通じるものがあります。
「完璧でない」ことを許す気持ちといいますか、むしろ「完璧であることよりあなたらしさ」に惹かれている気持ちがどことなく似通っていて。

「SHIROH」の場合は四郎と寿庵は惹かれあっていたことをお互い言い出せなかっただけで、そこにいる誰もが止めてはいないわけで(むしろ皆が後押ししている)、「ルドルフ」の心中とは物語として似ては似つかないはずなんですけど、「責任」という名の牢獄の中で策謀家により自由を奪われた男が、暴走してしまうという本筋は瓜二つなだけに、どうしてもそこに共通点を見出して見てしまうのです。

恐らく「SHIROH」を見たときと「ルドルフ」を見たときの、満足度の差は、最後に女性が生きるか死ぬか、その一点でしかないように思われるのですね。

「SHIROH」の場合は戦いの中で命を落とした寿庵に四郎が命を吹き込み、寿庵が一人生き残り後世へ物語を語り継ぐ位置づけですが、「ルドルフ」はルドルフとともにマリーが命を落とすわけで、カタルシスに足りないというか、「ルドルフは結局死に場所を探していたのかも」という結論になってしまいます。

「死に場所を探していたルドルフは、マリーと出会うことにより生きた牢獄から出られた。マリーはルドルフの立場を慮ってこそ、一緒に死ぬことを選択した」ということではあるのですけれど。

ちなみにどうでもいいことですが、由美子さんと笹本さんは、井上君が舞台上でおんぶしようとしたのを、拒否した経験をもつ世界でただ2人の人です(笑)

※由美子さんは2005年の「モーツァルト」博多座楽。笹本さんは今回の「ルドルフ」初日。

以下は千秋楽観劇あとの話。

千秋楽の日の井上ルドルフは、その身に何か取り憑いたかのよう。

「私という人間」のぼろぼろになったルドルフは、リアリティ以外の何物ともいいがたく、全ての道を閉ざされたルドルフが、マリーの覚悟と言葉に支えられ、自らの力で立ち上がり、自らの目指す皇太子となるべく「明日への階段」へ駆け上っていく。

「私」を持ちたくてもてなかったルドルフが初めて知った自らの存在意義。
それが自らの立場を危うくするものであったとしても決して止められない、止めようもない意志の強さが、あの場には感じられました。

苦悩振りが凄まじく、「気の強さ」を捨てて「芯の強さ」で語りかける笹本マリーの進化とあいまって、それはそれは壮絶な説得力で観客に訴えかけてきて。

ことここに至って振り返ると、笹本マリーの不自然さは、もともと気の強い演技をする笹本さんに、より気の強い演技をさせたことによる、やりすぎ感だったのかもしれません。

それがいい方に出ていたターフェ首相とのシーンとかあるにはあるのですが、ことルドルフに対して見るなら、誰もが皆自分を責め立てる中で、ただ一つの救いとなったマリーが、タイプとしてステファニーと同じ強要型でいいのかどうか、という点はあるわけで。

トークショーとはいえ一度ダウンしたことで笹本さんの中でマリーのキャラが変わったようで、いい意味で柔らかく、「男を掴まえてのしあがる野心家」という原作の設定をばっさりと捨て、「何も知らなかった恋に恋する少女が、愛を知り強くなっていく」という心の動きに変わったことで、ルドルフがマリーに惹かれる様が実に自然になっていて。

ターフェと対峙するシーンも驚くほどにマリーが苛められモードで、かつステファニーの波状攻撃(爆)もピンポイントで喰らって、必死でルドルフにしがみつくかのようなマリーは、初日とは驚くほどの変わりようで、直後の「愛してる~リプライズ」は不覚にもうるっと来てしまった。

笹本さんはスタートダッシュと中だるみの併用型で、初日以降あまり芝居が変わらないのが今までだったのですが、「ウーマン・イン・ホワイト」といい今回といい、「芝居をすることで自分の芝居が変わる」いい役者となる一つの要素を身に付けつつあるように思えます。

ルドルフの話に戻ると、今回感じたのは存在の皮肉のようなもの。

オーストリア・ハンガリーの改革派から突き上げを食らったルドルフは「ハンガリー国王」となることを求められるが、ルドルフの答えは「ハンガリー皇帝」。

当初これはただの言い間違いだと思っていたのですが、これを言い間違いでないと仮定するなら、改革派とルドルフの間には、考え方のずれがあったのかなと。「呉越同舟」みたいな。

ルドルフ自身が「皇帝」と称しているのは、自らが「帝国」の中でしか変わらない現れであるわけだし、「国王」になる意思はない(そこまで変えようとは考えていない。むしろそこまで変わろうとは思いもしない)。

そこに「民主主義」と高らかに謳いあげたルドルフの若さゆえの危うさを見るのですね。

「民主主義」を唱えることで自らの「皇太子」としての立場が危ぶまれる皮肉。

帝国であればこそ保たれる自らの「皇太子」としての立場。守られることを信じて疑わないルドルフは、明確に自らの前に立ちふさがるターフェに利用される以上に、「改革派」という名の人々に利用されたのかもしれません。

自らリスクを負って発した決意表明、それがそのままターフェ、そして父であるフランツに明らかになったときのルドルフの落胆は、「政治的な自分」への決別以外にはなかったのでしょう。

思った以上に楽しませてもらったこの作品も、この日で一区切り。
千秋楽恒例の一言挨拶大会(特別カーテンコール)は50分に亘ります。
既に公式にほぼ全てのコメントが動画でupされていますので、ここで言葉にすることにあまりの意味はないのですが、印象に残った方のコメントをいくつか。

新納さん(英国皇太子エドワード役)
トークショー要員で配役されました(笑)
ルドルフが唯一心を許した友人として、2人が心中する様を初日から見続けて、どこで止めたらいいんだろうと思いながら、とうとう千秋楽まで来てしまいました。
次こそは、心中を止めたいと思います(笑)

壌さん(皇帝フランツ・ヨーゼフ役)
井上君に役の上とはいえ、怒ったり罵ったり・・・・気持ちよかったです(笑)
(笹本さんはツボにはまったのか、マイクに盛大に噴いてました(笑))

何を言ってもいいと言われたので次の舞台の宣伝をします(笑)
・・・これを言わせてもらったからには、「皆様これからも帝国劇場、東宝株式会社をよろしくお願いいたします」(笑)

笹本さんは冒頭、5月25日のトークショー欠席のお詫びをされていて、本当は拍手するシーンじゃないのかもしれませんが、自然に拍手が出ましたね。形通りなのかもしれないけど、ご本人の口から言ってもらえて、色んな意味で気持ちが納得できて嬉しかったです。

今回の作品、出色だったのはパンフレットの「別冊」。

通常、帝劇ミュージカルではパンフレットは初日には稽古場写真で発売され、その後舞台写真に差替えられて別の版が出るのですが、今回は舞台写真だけ別冊で600円。5月31日のソワレをもって5000部が完売しましたが、実にいい企画だったと思います。

たった1ヶ月の公演でパンフレットを2種類買わせること自体が毎度無謀だと思っていましたので、600円、しかも会場受付でエクスパック送料込み1000円(エクスパックは500円なので100円割引)というのもちょうどいい具合で、上手いこと実態にあった商売したなぁと、東宝さんらしくない小回りの効き方だったと思います。

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