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『MOZART!』(18)

2007.12.6(Thu.) 17:45~21:10 帝国劇場1階F列サブセンター(上手側)
 井上ヴォルフ/野本ほたるアマデ

2007.12.8(Sun.) 17:15~20:40 帝国劇場2階最後列サブセンター(上手側)
 中川ヴォルフ/田澤有里朱アマデ

 中1日での両ヴォルフ観劇、今期の観劇で最も短い間隔でのこの2回。
それなりに前方(M!では経験上一番前)の6日ソワレと、最後列の8日ソワレという違いはあれ、記憶が新しいうちに両ヴォルフを観れる機会。

 以前はマチソワで両ヴォルフを観るというのも、実は2005年に2回ほどやってますが(2005年はゲキシネ「SHIROH」との中川マチソワっていうのもやってる・・・昔は体力あったなぁ)、さすがに最近マチソワに体力の限界を感じるので、日を変えての観劇です。

 観る方でそんな感じなんだから、毎日マチソワやってる300回超キャストは、うちのご贔屓さん含め、井上君に「鉄人」呼ばわり@300回挨拶 されるだけのことはありますわ。

○大司教様の後悔
 今期版で特に中川ヴォルフ版に見える変化。
 コロレド大司教を侮辱して館を追い出されて、でもヴォルフは自由になれたことに喜ぶ場面。

 ここで、再演までは大司教は「ざまぁみろ」みたいな反応だったんですが、今期はどうも違います。
 アルコ伯爵に「そいつを放り出せ!蹴飛ばしてな!」と言った後に、「あ、言っちゃったよ。勢いで言っちゃったから取り消せないけど、本当はヴォルフガングは才能があるから自分の下に置いておきたいんだよな。」みたいな反応が

 妙に心配そうにヴォルフガングを見つめる大司教様がなんか優しいです(笑)。

 ヴォルフが「自由だ~」と叫んだ時に、「よしよし、打たれ強くて結構なことだ」と安心してる様子がなおさら面白くて。

 コロレド大司教って、貴族にしては才能を見抜く目には長けていたようで、最後までヴォルフガングを自らの手元に置こうとして、道化師のような役回りになってしまっていますが。

 レオポルトを呼び出した時に、レオポルトは「愚息にはそのような慈悲は値しません」と答えていますが、これは「プリンスは出ていった」で「彼を通し生きよう」と子離れしたレオポルトにとっての、せめてもの親心だったと思うのですね。

 自らの才能で生きていけるようになったヴォルフガングを、大司教の元に戻すことは、息子にとっても最善ではない、だからこそ自らが道化師として大司教の怒りを買うように仕向けたのだと。

 レオポルトにしたところで、才能はあった(と史実で言われている)ナンネールの息子だからといって、それ即ちヴォルフガング級の才能があるなんて、すぐさま信じようもないわけで。

 そもそもヴォルフガングの才能はレオポルトの血筋を引いたからとも言えないわけで(パンフあたりの解説では、レオポルトはモーツァルトに比べれば、才能豊かな音楽家とはとても言えないわけで)、「レオポルトの血を引いているから才能がある」という理屈は変なわけで。

 レオポルトが妄想癖に入り込んでる、と思いつづけてみてきたこのシーンですが、そう思うと、「ヴォルフガングに大司教を近づけさせない親心」として見えてきて、レオポルトってすごい人だ、とじーんとしてしまったのです。

○ナンネールとヴォルフガング
 今期ますます演じ分けがはっきりしてきたナンネール。

 「赤いコート」の井上版、小悪魔的反応(←なんなんだこの命名(笑))はこの日(12月6日ソワレ)は鳴りを潜めていて残念だったけど、マチソワで中川君がマチネだと、ソワレの井上君はある程度ノーマルバージョンになるように見えます。マチネの感触が残ってるというか。

 そして、2人を見ていて思いついた印象。

 井上ヴォルフ版は、ナンネールが恋愛感情のある姉、レオポルトは父親。
 中川ヴォルフ版は、ナンネールが年上のいとこ、レオポルトは面倒見のいい叔父さん。

 我ながらなんという喩えをしているのだろうと思いますが、井上版は「才能より家族」という印象が強いのですね。

 「星から降る金」のシーンでナンネールが叫ぶ「あんたいつも言ってたじゃない。神様の次に大切なのは、『パパ』だって」という言葉に、井上ヴォルフは反応するのですね。父親の大切さを思い出したかのように、ナンネールの言葉に頷くんですが(そんなこんなでここは井上版が大好きなんですが)、このシーン、中川版では少なくとも12月8日ソワレで見た限り、一顧だにしないのです。

 中川版は「家族より才能」という感じで、直接的に自分の才能の障壁になっているレオポルトはもちろん、ナンネールにしろ「同じ屋根の下で暮らしている」けれども、肉親の情のようなものはかなり薄く思えます。

 井上版の場合、ここでナンネールの言葉にぐらっときながらも、アマデに引っ張られるように男爵夫人の敷いたレールのもとウィーンへ。そしてウィーンで成功するわけですが、父親にはその成功を認めてもらえずに。

 父親と真にわかりあえる機会を逃したまま、父親の死を、それも大切に思っていた姉から知らされ、「裏切った、許さない」とまで言われて、支えられる幹を崩されたかのようにぼろぼろになっていくわけで、井上ヴォルフ。それは、「家族のために成功しようとした音楽家」のようにさえ見えて。
 そんな感じもあって、井上版はコンスタンツェの存在価値が驚くほどに薄くて。
 コンスタンツェいなくてもこのストーリー成立するんじゃ、って思えてしまって。

 ただでさえこの舞台で新人ということで厳しい評価を与えられることが多いhiroコンスタンツェにとって、さぞかしやりにくい感じに思えます。

 12月2日ソワレでhiroコンスタンツェに感じた、「丁寧な台詞遣い」が、12月6日ソワレではほとんど感じられなくて、愕然としていたのですが、12月8日ソワレで見た時には、それなりに魅力ある、筋の通ったコンスタンツェが見えた(もっと上を目指して欲しいけど)。

 で、何でかなぁと思ったのですが。

 中川版の場合、コンスタンツェを求めた理由が、分かる気がするのですね。
 「家族より才能」で生きた中川ヴォルフは、寂しさを和げてもらう相手がいなかったと。その心の隙間を、コンスタンツェが埋めたんだなと思うと、史実というか、モーツァルトの人物としての物語からすると、もしかするとこっちが正しいのかもと思った次第。

○拍手というものの悪魔
 ミュージカルたるもの、曲の間とカーテンコールに、演じる役者への「拍手」をする時間というものが存在します。

 今回、初演続投キャストがほとんどの中、hiroさんへの拍手が、心なし少な目という意見をよく耳にします(実際に劇場で聞いてもそうです)。

 この作品は公演毎に女性キャストのカーテンコールの順序が変わっていて、今年の順番は「男爵夫人→コンスタンツェ→ナンネール」の順で、2002年以来の「MOZART!」ファンとしては(つかナンネール推しとしては)、涙なしには見られない順序だったりします。

 由美子さんが2002年に東宝のデビューをして以来、女性キャストのトリは「レ・ミゼラブル」(ファンテーヌ役/エポニーヌと手を繋いで出てくる)、「SHIROH」に続き3度目(つまり「ミス・サイゴン」だけがトリを経験していません)。

 「MOZART!」でのトリは2002年以来の初演キャストでありながら、常にコンスタンツェがトリを占めていて、初演の松さんの格がずっと継続。
 んで、1回り下の大塚ちひろちゃんがコンスタンツェをやった時に今度こそと思ったら、一路さんが男爵夫人ということで格上になり、それでカテコ組替え。
 よくよく考えると「よく不快にならんなこれで」と思ってしまうような扱いをされておりまして。

 で今回の順序だと、男爵夫人(香寿さん→涼風さん、キャスト代わり後もほとんど拍手は同じ)で大きくなった拍手がhiroさんで小さくなって、由美子さんで大きくなって、祐一郎さんで更に大きくなって・・・という図式になるわけで、まぁその場でそんな立場になったら正直凹むだろうなぁ、と同情を禁じえないわけですが。

 が、よくよく振り返ってみると、コンスタンツェは劇中ではずいぶん拍手ポイントがあります。
 「ダンスはやめられない」もそうですし、忘れられがちですが「まともな家庭」(ウェーバ家一家のすちゃらかシーンです)も、拍手シーンです(最近はお義理が多い印象ですが)。

 それに対して、「裏ヒロイン@小池先生命名」のナンネールは、拍手ポイントがほぼ皆無です。

 「赤いコート」:先に退場。
 「まぁ、モーツァルトの娘さん(野菜市場)」:上がりまくったテンションがアルコ伯爵の妨害で超低テンションで終わる。すぐ「心を鉄に閉じ込めて」へ移行。
 「星から降る金」:男爵夫人への拍手。
 「終わりのない音楽」、「プリンスは出て行った」:後にいずれも大司教様を控え、めったなことで拍手は起こらない(たまに発生するのは「終わりのない音楽」)
 「ウィーンからの手紙」:別名「夫のベルヒトルトとの仮面夫婦大会」は歌ではなく。
 「パパが亡くなったわ」:踵を返すようにいなくなる。
 「影を逃れて」:絶妙な泣き顔への拍手はしようがなく、カーテンコールへ持ち越されます。

 これだけ出ていて拍手ポイントが事実上一度もないというのも、よく考えると凄いもんで、初演時に由美子さん自身、「ストレスの溜まる役」「地と違いすぎてどう作っていいものか悩む」と言っていた気持ちがよくわかる気がします。
 それなのに、既に300回出演を超えて、いまだに連続出演更新中。

 由美子さん自体、どんな作品でもカーテンコールが超あっさり目というのが他の役者さんに比べると顕著なのですが、本編でも拍手をもらうポイントに恵まれず、カーテンコールでもことさらに拍手を浴びることに固執しない、不思議な女優さんでして、ふと思ったのが、「拍手される(ない)ことに気にするぐらいだと、この役は続けられなかったんだろうな」ということ。

 本編こそが役者の本領みたいなところを地で行っているところは、この作品の初演でコンスタンツェを演じた松さんに通じるところがあるような気がします。

 ま、何がいいたいかといえば、「拍手はもらえるに越したことはないけど、拍手に一喜一憂する必要がないのが役者」ではないかなぁ、と。
 目に見えるところだけで仕事の評価はされるものではない、というのは自分にも言い聞かせるべきものなのかもなぁと自答してみたりします。

 はてさて、明日(日が変わって今日)は「ライト・イン・ピアッツァ」ということで「MOZART!」は中休み。
 評判が良さそうなので、楽しみに今年最後の新作へ行ってまいります。

○ちょびっと余談
 12/6ソワレと12/8マチネ、前述の通り、1F前方と2F最後部という、極端な席の違いでの観劇でしたが、由美子さんの声はほとんど同じに聞こえました。1Fでは「この音小さいんじゃないの?」と思う音が、2Fで「同じように聞こえる!」というのはちょっとした驚きでした。

 1Fでも2Fでも同じ大きさで響くのは祐一郎氏も、ですけれども。

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