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『SHIROH』を語る。(33)

2007.3.9(Fri.)19:20~23:15 15分休憩あり(90分/105分)
新宿バルト9 シアター5

当初の上映予定最終日、最終回だったこの日の上映も、あまりの好評さに、あれよあれよと延長、そして再延長。
3/16まで延長(1日2回)になったかと思いきや、帰ってきてみると3/30までの再延長(1日1回)。

3/17からは昼の回のみ、3/24からは夜の回のみという1日1回構成はこのゲキ×シネ『SHIROH』の客層に見事にマッチしてますね。
上川隆也さんファンの奥様方は午前中10時上映って、多少朝無理をすればいいからありがたいでしょうし。
勤め人は翌週見ればいいわけなので。それでも午後11時過ぎ終映って結構きついですけどね。

●「涙」の語るもの
この作品で涙を流すキャストは3人います。
リオ(大塚ちひろちゃん)、お蜜(秋山菜津子さん)、寿庵(高橋由美子さん)。
回数で言うと、リオが4回、お蜜が1回、寿庵も1回。

DVDで観た人の感想に良く出てくる話なのですが、リオがずいぶんと泣いてます。
四郎に対してもシローに対しても、果てはお蜜に対しても泣いてます。
リオの存在はこの作品を何度見ても立ち位置がわからないのですが、その一面にあるのはこの「泣きすぎ」という面にあるのではないかと思うのです。

涙を流すからには、それなりの理由があるはずなのに、登場人物誰に対しても泣いているのでは、「不幸な人に対しての同情」にしか見えなくなって、冷めてしまうのです。

自らがどうにもできなかったことに対する、悔しさから流した涙なのだろうけど、特に四郎にもシローにも泣いてると、リオは何のために存在していたのだろうと。四郎に天の御子になって欲しかったのか、シローに天の御子になって欲しかったのかさえ読み取れなくなって。

で、ふと思ったのは、「天の御子」というのはリオにとって、特定の個人を示すものではないんだな、ということ。
つまり実際に意味するところが四郎であろうとシローであろうと、リオにとってはどちらでも良かったと。
四郎を励まして天の御子に仕立て上げようとしたが、シローが出てきたので、四郎は寿庵に任せてシローに没入したと。
と・・・・考えてみるとお蜜にまで涙を流すのはどう考えても余分。
リオにとって寿庵が四郎に対する撹乱要素であったのと同様に、お蜜はシローに対する撹乱要素なわけだし。

リオが一切泣かずにただ見守る方が、リオの存在は昇華されたように思う。

それに対してお蜜さん。
シローの腕の中で果てるいまわの時に、正に”そのタイミング”で流す一筋の涙は壮絶に美しかった。(特にバルト9の大スクリーンであのシーンを見るのはものすごい迫力。)
誰も信じず、くの一として生きてきたお蜜が、最後に「女として」果てる一瞬の、幸せな「死に場所」に相応しい”涙”。
自分の弱さを表現できる術がなかった彼女が、その身を他人に委ねられた幸せ。

これより前のシーンでは涙を流すシチュエーションそのものがなかったお蜜ですが、後のシーンに1箇所だけ。
シローの歌声と共にはらいそに向かうシーンでセンターにキリスト教信者として存在するお蜜。
ここで涙を流さないのは、秋山さんさすがだと思う。あそこで涙を流されるといかにも安っぽい。

で寿庵。
たくさん涙を流すシーンがあるはずなのに、明らかな涙は一度だけ。シローが撃たれて皆が倒れた後、お福の歌い声が流れる直前のシーンだけなのです(ラストシーンも涙に見えなくないけど、あれは汗かと思われる・・・昔から汗はかかない人なのだけれど)。

四郎が暴走して伊豆守を暗殺しようとした後の悪夢としか思えないシーンの中でただ一度だけ寿庵が流した涙は、凛々しく振舞ってきた寿庵にとってみても、ただただ悲しむしかなかったということに、大きな「人間らしさ」を感じた。

厳しく振る舞った軍師であっても、根底には皆への平等な視線がある(もちろん四郎様に対する愛情は別)。
自然に皆に軍師として認めさせる、人間としての大きさをいつも感じる。

この回を見て感動したのは、その前のお蜜が絶命するシーン。
前述の通りお蜜は涙を流してるんですが、寿庵は涙を流してないんですね。
目にいっぱい涙を浮かべてはいるんだけど、涙を流すのをこらえてるように見えたのです。

お蜜と寿庵といえばお互いが牽制しあった関係で、直前のシーンでは「ユダ」「裏切りの使途」とまで、寿庵はお蜜のことを罵ってるわけです。
このシーンに至る前に、お蜜が四郎の闇討ちを諫めたことに、寿庵が同調するシーンがあります。

お蜜「それでキリシタン3万7千人の意地が通るのですか、益田四郎時貞さんよ」
四郎「言うな!」
寿庵「お蜜さんの言う通りだ、ここは我らの死に場所ではない!」

私にとっての「SHIROH」のクライマックスはある意味ここ。
寿庵の四郎に対するただ一度芽生えた不信、一揆軍の中から「おじけづいたか」とまで言われるほど寿庵は孤立。
が、その寿庵の心の中を、まさかお蜜が掬い上げるとは。

力量を知る人はライバルを瞬時に見分ける

とはよく言ったもので、寿庵の最後の叫びは、お蜜に対する限りないリスペクトで満たされているといつも思う。

そして”涙”。
寿庵はお蜜が死んでも涙を流していないのですね。
ここに、お蜜(を演じた秋山さん)と、寿庵(を演じた由美子さん)との、女優同士の本気を見るのです。

あそこで寿庵が涙を流すと、お蜜の死に様まで安っぽくなる。
寿庵が涙を流したとしたら、お蜜は「あんたに泣いてなんてほしくないんだよ」と言うだろうと。
「あんたに流された涙なんて同情でしかないんだろ」ということになりかねない。

でも、寿庵は必死で涙をこらえて手で十字を切るわけです。
お蜜は死ぬ直前にシローに洗礼を受けたことでマリアとなっていますが、寿庵は「洗礼は神父の仕事」と明言しているのですから、本来であれば洗礼は無効というスタンスのはず。
が、寿庵は十字を切ったということは、自らの前言を撤回し、お蜜のことをキリスト教信者、そして仲間と認め、その生き様に対する餞を捧げたということになるわけで、その姿はライバルに対する最も相応しい餞だったろうと。そう思うのです。

あそこで寿庵が涙を流せば、お蜜に対する最後の心情は同情になるわけで、最後のシーンで”お蜜も含めた”3万7千人の魂を受け継ぐ資格を寿庵は失いかねないと思う。
お蜜が最後、幕府側にいたら寿庵はその心まで受け継ぐことはないけれど、最後はキリシタン軍側で果てたのだから。

あの十字のシーンは副音声で由美子さんは「やっておいた方がいいと思って」とあっさり言ってたりするんですが、そういうことをあっさりやってしまう役者さんだからつくづく奥が深いと思ってしまったり。

由美子さんといえば、昔は泣くのがものすごく苦手だったらしい。

初主演した映画『時の輝き』(相手役は山本耕史さんだった)の時の涙を流すシーンで全然泣けずに、ミントだったかを塗ってそれでも泣けずに、「『そんなまでして泣けない自分が情けなくなって』涙が出てくる。その涙は本当の涙なんだけど、誰もそうは思ってくれない」というコメントにものすごい「らしさ」を感じたのが10年前。

なんか「涙」の話でそんなエピソードを思い出してしまった。

そんな寿庵殿とリオ嬢は、この日の昼の回を鑑賞されていたようですね。
由美子さんは東京ゲキ×シネ初回のシネクイントでも目撃されていたような・・・・
なんだか凄く嬉しいです。

●帰ってきてから
東京上映の延長が決まって喜んだのもつかの間、
この作品で松平伊豆守信綱役をされていた江守徹さんが脳梗塞で自宅療養中の報を聞き、凄くショックを受けています。
お酒好きの江守さん、もうお酒は飲めないかもしれませんが、快癒されますように祈っています。
ある意味、他人事ではないので・・・・
や、ホント、お酒は控えめに・・・・

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