« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005年9月

『銀盤カレイドスコープ』

集英社スーパーダッシュ文庫、今回(9月22日)発売分で第5巻。
ライトノベルの世界ではちょっとしたブームになったこの作品、
無名のレーベルとはいえ、もっと知られてもいいのになぁと思いながら読む次第。

主人公はフィギュアスケーターにして口の悪さとマスコミ受けの悪さは天下一品の桜野タズサ。フィギュアスケート界TOP4の一角を占める彼女を中心にしたストーリー。

新人賞受賞作となった1・2巻は彼女が成長するまでのストーリーを、突発的な事件でタズサの中に入り込んでしまった幽霊・ピートとの交流で見せ、3巻でペアパートナー・オスカーとのストーリーでは恋に玉砕。現世の男との心の交流が無理であることに悟りを開く。4巻は一転してタズサの妹・ヨーコから「凄すぎる姉」として仰ぎ見られる立場からタズサの「なんかいい奴」ぷりを表現。

以下、ネタバレ込みです。いつものとおりご注意。


1・2巻はタズサが成長するまでのストーリーだったのに対し、小休止的な3巻を挟んで、4・5巻は成長しきったタズサに周囲が付いていけない雰囲気。
実力は折り紙つき、精神世界は独特でもはや他人が理解できる範囲を超えてる感じがありあり。
いつも進行役となる、マスコミ内でほぼ唯一タズサが心を許す新田さんをしてさえ、「理解できない」哲学がちらほら。

今回の半ば主役となった今期ジュニアグランプリ、キャンディことキャンドル・アカデミア。ジュニアのトップにして芸能界デビューもしており、今やイギリスのトップアイドルと掛け持ちという設定。(現実世界でどっかで見たことがある設定ですね)

正直言っちゃいます。キャンディ、嫌な奴です(笑)。

この作品の主人公のタズサは「口の悪さとマスコミ受けの悪さは天下一品」とは書きましたが、タズサが世界でただ一人勝てない無敵の世界チャンピオン・リアに「あなたは相手が誰でも本音しか言わない」と信頼され、マスコミを通さずに接する周囲の人から一目も二目も置かれて尊敬されているし、いくらその口の悪さに罵倒されようとも、自らの哲学を貫き通す姿勢はある意味清々しさを感じます。
(まぁ、実際にマスコミ相手にガチで喧嘩するような人が実際にいたら、どう思うかは保証の限りではないのですけれど。)

キャンディは観客が審査員という大会・オーディエンスコートに出場し、表彰台を逃します。「人気」というものにことさら敏感な彼女にとって、侮辱に等しい仕打ち。あまつさえ、何をとち狂ったのかタズサに1対1での勝負を挑んだりします。そうすることしか、自分の悔しさを晴らす手段がないと思ったのだろうけれど。
スルーするつもり満々だったタズサが戦闘モードに入る世界でただ一つの言葉、それをいっちゃぁおしまいだよ(苦笑)。

この辺のストーリーがちょうど本の中盤あたりに出てきまして、ここから俄然面白くなります。が、前半は正直だれだれ。何つーかもう、惰性で書いてるのかなこれってぐらい、読み進めるのが辛い。
何より前半はキャンディが主役で、しかもその主役がどことなく好意を持てないと来てます。

この作品は「小生意気な少女」「振り回される男」がいっぱい出てきますので、口の悪い少女は慣れっこになってますが(タズサとかタズサとかヨーコとかヨーコとか・・・・)、性格がひん曲がっちゃった少女をなま温かく見守れるほど人間出来てないからなぁ。

そんなキャンディをことごとく奈落の底に叩き落すタズサも、らしくはないけれど、わざわざ回避しようとしてくれたタズサの地雷を踏んじゃったのはキャンディだし、勝負挑んでおいてあまりの実力差に恐怖に苛まれるといっても、それはキャンディの自業自得だし。

今回、1巻との対比が印象的。
1巻ではタズサが自分自身のことを「大人を喜ばせるようなチンケな存在にはなりたくない」「他人に媚びると自分が自分でなくなってしまう気がする」ことに居候幽霊・ピートに気づかされますが、タズサの「自分にとっては居心地のいい今の性格」と、キャンディの性格には、どことなく過去でつながる、表裏一体な面が見え隠れします。
2巻にも、今回の5巻と対比するようなシーンがいくつも出てきて、5巻を見たあとに1巻・2巻を読むとけっこう新鮮な感動がありました。

とりあえずタズサとキャンディの共通点=トラウマ系

たまたま本屋で手に取ってから見つづけてるこの作品、自分は突っ走り系の本音毒舌系統が嫌いじゃないということを少し実感。「目の離せなさ」ぐあいが何とも言えない。
(ただし、そんな人が周囲にいたら、素で引きますが(苦笑))

この作品、来年の冬季トリノオリンピックを控え、10月からテレビ東京深夜でアニメ化されます。どこまで深夜枠で華麗な演技シーンを作ってもらえるか、何気に楽しみにしていたりします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

井上芳雄コンサート

2005.9.18(日) 14:00~16:30 天王洲・アートスフィア

前売りを入手し損ねて、公演開始を迎えてしまったこの公演。
当日券に男一人で並ぶのは大層恥ずかしかったのですが(苦笑)、評判もなかなか良かったのと、曲目がツボに入ったのでちょっぴり躊躇いを感じつつも行ってきました。

アートスフィアに行くのは初めてで、りんかい線(東京臨海高速鉄道線)の天王洲アイル駅から入ったのですが、予想したより遠く、危うく迷うかと思いました。

当日券は1時間前からの発売でしたが、並んでた約30人のお客さん(ちなみに男性は私を含めて2人しかいませんでした)はほぼ購入できたようです。
当日券もかなり席が限定されていて、残念ながら一部見切れがある3階席だったのですが、歌を聞くのがメインだし、その辺は割り切って見ることにします。

曲目も出てくるので、一応ネタバレ注意。

井上芳雄氏は『MOZART!』『ミス・サイゴン』『バタフライはフリー』と3作でお目にかかってる役者さんですが、コンサートの場で拝見するのは初めて。

ミュージカル曲とそれ以外の曲の混在の構成ですが、やっぱりミュージカル曲の方が3割増しの存在感を醸し出しています。あとは英語歌詞の歌はちょっと聞くのが辛いというか、悪くはないと思うのですが(第2部の「If We Hold On Together」は仲々良いです)、あえて英語歌詞は積極的に聞きたいとは思わないかなぁと。

彼のソロ曲で一番良かったのは第1部の「星から降る金」(『MOZART!』)。
本来なら彼が舞台上で男爵夫人が歌ってるのを聞いてる立場なのに、この公演では立場ひっくり返して自分で歌っているのですが、上手いんですねこれが。
まぁ難易度超Aランクのヴォルフガングの曲をあそこまで歌えるようになった訳なので、これだけ歌えても不思議なわけでもないのですが、曲の空気にただ浸って流すわけでもなく、技術に凝りすぎることもなく、スマートに歌いきった様が流石です。

「Stars」(『レ・ミゼラブル』)、ご存知ジャベールのソロ曲ですが、彼のキャラクターは明らかにマリウス系なわけでいささかキャラ違いな面が否めません。単独で歌っている様子だけ聞けば、それなりにサマになってるのですが、まぁその辺りはいずれやる(であろう)役を先行してやる訳にいかないという大人の事情故なのでしょう。

ミュージカル以外の曲では「雪の華」は好きな曲だし聞けて良かった。

全体的に若いだけあって情感まで求めるのはきついのかなぁと思えど、あのテノールの語尾伸ばし歌いは心地よく聞けます。その分、後半のゆっくり目の曲は睡眠不足の人間にはそれはそれは大変ですが。

ただ、やっぱり『MOZART!』帝劇公演終了後、明日までの公演の直後に『エリザベート』を控え、余裕のなさは正直否めないところ。MCも自虐的な発言も多かった気が。前日にエリザベートのプロデューサーが見にきて「あのダンスで息上がってて、ルドルフは大丈夫なのか」と言われたとか(笑)。
まぁそのあたりは、わざわざ口に出してプレッシャーを軽減しようとするタイプと見てるので、あまり心配をするわけでもないのですが。

そしてそんな彼を結果的にフォローすることになってるゲスト役の笹本玲奈さん。
ご推察の通り、男一人で井上氏のソロだけなら、さすがにわざわざアートスフィアまではるばる行かないわけで、結局最終的に行くのを決めたのは彼女の存在。

彼女の出演作は『レ・ミゼラブル』『イーストウィックの魔女たち』『ミス・サイゴン』『屋根の上のヴァイオリン弾き』の東宝4作はコンプリート状態。
若さの勢いで井上氏をそこかしこでリードしてまして、2人でダンスする第2部「スチーム・ハート」では彼女は全然息が上がってないという。
結構激しいダンスだったのに、さすが本人自ら「ダンスは一通りやりました」と断言するだけのことはあります。
来月に『CLUB SEVEN』に登場ですが、踊りは全然心配なさそうです。

2人のデュエットは「TONIGHT」(ウェスト・サイド・ストーリー)と「真夏のシリウス」(書き下ろし)に「オペラ座の怪人」、そして「世界の終わる夜のように」(ミス・サイゴン)に上記「スチーム・ハート」を加えた5曲。

特筆されるのが2人の初共演になったサイゴンの曲。
正直言ってしまえば、この曲が歌われると聞いたから行ったのですが、帝劇で初めてこの組み合わせでこの曲を聴いたときの衝撃は忘れられません。「相性」って言葉はこの2人の、しかもこの役の為にあるだろうというぐらいどハマリで凄かったです。

井上クリスのどこか世の中甘く見てるようなキャラクター作りに、笹本キムの無邪気な特攻モードが「キムとクリスの間の”若い恋”を燃え上がらせてしまう」という場面を全開で表現しきってたから、また見れてすごく嬉しかった。

もう1曲楽しみだったのが「オペラ座の怪人」。今年1月に同作品の映画試写会イベントで披露された井上ファントム&笹本クリスティーヌのど迫力デュエット。抽選で外れて後日動画で拝見しましたが、これもビックリする位の凄みで、かつビジュアルも極めて妥当な組み合わせ、生で見れて眼福。

・・・・とすっかり誰のコンサートに行ったのか分からなくなってますが(苦笑)、9月のこれだけ厳しい時期にコンサートを入れるのにあたっては、ゲストに力量と相性を兼ね備えた彼女を入れたのは、井上氏にとってもかなり負担の軽減になったような気がします。
ソロコンサートに比べてしまえば、ずいぶんとおいしいところ持っていかれている気がするのは痛し痒しかもしれませんが。

2人のMCはなんだかとっちらかったまったりムードでしたが、一つ印象的だったのが、井上君・笹本さんともに、「日本語の役名をもらったことがない」というコメント。
井上君はヴォルフガングにルドルフ、マットetc、笹本さんがエポニーヌにチャバ、キムにピーターパンetc。厳密には井上君は蜷川さんのところで日本語の役名をもらってる気がするけど、それはともかく、ミュージカル俳優・女優として生きてると、外国のキャラクターを演じることになる、というのが現実なのだなぁ、と2人の売れっ子を前にしてさえちょっと複雑な思い。
作品の層の薄さってものはどうしてもあるのかもしれません。

DVDが12月16日に発売されますが、権利の関係で全曲の収録は無理とのことで、とりあえず曲目わかるまで保留。サイゴンとオペラ座の怪人のどっちかが入ったら即買いのつもりだけれど、どっちも厳しそうだなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『こちら本池上署』(3)

第5シリーズ(14回放送)も今週が最終回。
とか書いてますが、真面目に見たのは1・2・5・6・13・14話の6回。

見る人が見れば一発で分かるとは思いますが、今シリーズから登場した署長の奥さん・椎名英子役の高橋由美子さん出演回。我ながら現金なものだと思ったり。
他の回も撮ってはいるのですが、HDDプレイヤーはこういう時に他の回は後回しになるんだよなぁ。

今シリーズから初登場の英子さん、2話のメイン回に続いた準メイン扱いの今回。
『モーツァルト!』大阪公演&東京(帝劇)公演もあって、新キャストにも関わらず登場回数が少なく、帝劇公演終了直後に撮った最終回分は、「親子愛」を前面に押し出した内容。

警察の手入れが入ったカジノになぜか居合わせた署長の娘・由美(加護亜衣ちゃん)。署長は混乱して由美を問い質すが、由美は謝るばかりで理由を言おうとはしない。
しまいには、「取り調べされているみたい」と部屋に篭ってしまいます。

焦る署長を前に奥さんは妙に冷静。
「誰かをかばってるんじゃないかしら」、
「無理に聞き出そうとしちゃダメ」、
そう署長を諭す様はけっこうな長台詞なんですが、このあたりいやに上達したなぁと。
由美子さん、かの昔に長台詞を喋ると間が持たなくて困った記憶があるんですが、署長を上目遣いで見上げる所とか(実際に身長が20cm以上違うので、上目遣いで見ないとどうしようもないのですが(苦笑))も仲々。

奇妙にテンポがいい台詞回しは直前までミュージカルをやっていたせいなのか(?)、今回の台詞回しはどこか音符つきのリズミカルなところを感じたり。

加護ちゃん演じる娘に「信じて待つから」と告げるときの温かさはちゃんと母親していて、いい空気。

「どうしても困ったら相談して。由美と由美の守りたい人のために力になるから。」

そう話し掛けてる時に、実は由美がかばっている同級生との電話が通じてる。

ベタだなーと思いつつ、こういうこと照れもなく台本にしちゃう前時代的なところがいいなぁと思う。
そして何だかそれにぴったりはまってるのがちと不思議。

由美が隠し事をする→父親と母親がそれぞれ違った視点から見守る
由美の友人が由美を頼りにする→由美=いい子という話が崩れない
由美の母親の気持ちが友人に伝わる→由美の潔白が証明され、かつ母親の想いが伝わる

それぞれの登場人物の気持ちの持ち方の違いが、それぞれ「いい人」として浮かび上がる作りはなんだかほんわかして後味がいい。
極めつけは加護ちゃんが由美子さんに後から抱きついた場面。
予告編で分かってはいたものの、こんなに絵になると思わなかったなぁ(背は同じだけど(笑))。

この母娘の組み合わせ、実年齢の年齢差だけはいかんともしがたいのは変わらないのですが(31歳と17歳、今の日本ではありえない組み合わせ)、母親役をやり続けてるだけあって由美子さんの母親役もなかなか堂に入ってきたし、加護ちゃんの甘え上手なところとの空気がすごくほんわかしてる。

思った以上の相性を見せてくれてすごく嬉しい。

その分、前シリーズまでその役どころを演じてた星由里子さん(英子さんの母親、署長から見ると義母)の出番がなくなってしまうのは致し方ないところなのでしょうね(まぁ、星さんはテレ朝系に出ているという理由もあるのですが)。

今週にて第5シリーズは完結。今までのシリーズでは最終回に「また×月にお会いしましょう」という言葉があったのにもかかわらず、今回はなかったことで番組公式BBSでも、ちょっとした物議を醸しています。
平均視聴率12%というのも非常に微妙な数字で、本来なら次回は来年4月スタートですが、もしかすると今回が最後になる可能性もあるのかもしれません。

くしくも英子さん役の由美子さんが「このドラマに携わることができて本当にうれしかった」と語っていますが(TVガイド9/10号)、ここ、過去形にしてる深い意味、ないですよねぇ・・・・
せっかくいい空気が作れた感じだから次シリーズがあれば良いなと。
まぁまたそんなことになれば今回同様、舞台とのスケジュールのバッティングで一喜一憂するのでしょうが。

ちょいと余談------------------------------------------------
この日の悪役は黒田アーサー氏。そして昨日、安達祐実嬢の婚約会見・・・・
明暗なのか何なのか・・・・
その上、何というか、コゼット役は知念嬢に続いての妊娠付き婚約だし・・・・
コゼット役、中の人が幸せになりたい願望で突っ走る運命なのかなぁ。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

『SHIROH』を語る。(30)

2005.9.9(金)19:15~22:45 渋谷シネクイント

会社帰りでゲキ×シネ最終回を鑑賞。
定時間際に仕事が入って焦りまくりましたが、何とか滑り込みで会場入り。
シネクイントの入るパルコpart3の1Fの前は、翌日から公開される『タッチ』のポスターと花で溢れ返り、エレベーターだけが『SHIROH』の存在をアピールしていました(笑)。

とはいえ、
当たり前のように帝劇に見に行った日から、はや9ヶ月。
当たり前のように渋谷に通い詰める日々も、この日で終わり。
当たり前のように作品のクオリティの高さに触れ、
当たり前のように作り上げる役者の表情に背筋がぞくぞくした日々は、ひとまずこの日で終わりました。

最終回も中川君のコメントは「お友達をお誘いあわせて・・・・」でした。最終日パターン作らなかったんだ・・・ま、仕方ないかな。


●映像版の好きなところ
一つ目のポイントは、”帝劇C列12番の眺め”。
帝劇1,911席のうち、左にも右にも隣り合う座席がない席が、2席だけあります。
下手側のこの席と、上手側の1席(C列46番)。
明らかにここからの眺めであろう映像が、けっこうツボでした。
要は、舞台をすごーく左から眺める感じ。

左上から眺める映像も意外な視点でした。2階XA列の下手側かな。(XAとXB、2列だけ張り出しています)
「ヘイユー四郎」とか、「幕府の犬に断罪を」あたりで印象的。
正面から眺めるとか、左側から眺めるとかいうことは、実際に帝劇で経験がありますけど、今まで見たどんな作品よりも左に寄ってて、違う劇場を見てるみたいだった。
広さはいつも感じる帝劇だけど、横の大きさを感じたのはこの映像が初めてだったかも。
で、この”左側からの映像”で印象的なのは、キャスト陣の表情が重なる部分。
同じタイミングで舞台上に立つキャスト陣のそれぞれの表情が、一画面に切り取られてる。
新感線の舞台は動きは大きいけれど、静止画の綺麗さも特筆ものだと思う。

「さんじゅあんの屋敷」で立ち上がる決意をするシーン。
小左衛門の決意の表情、四郎の決意の表情の後側に見える凛々しさと喜びをないまぜにした寿庵の表情はいつ見てもぞくぞくするほど綺麗な絵。

緊迫感あふれる「幕府の犬に断罪を」のシーン。
舞台奥から撮ってほしかったカット(※)もあるのですが、客席側から見えるほぼ限界まで活かしきったカメラワークはさすが。
シローの怒り、四郎の達観(*)、寿庵の覚悟、お福の使命感、甚兵衛の力強さ、そしてもちろんお蜜の感情、暴露。様々な感情がわずか5分のシーンの中に渦のように巻き起こる様が絶品。
複数のキャストを静止画にして切り取ったことで、奥行きが増したように思えた。

舞台上で見て好きなシーンだったので、映像版になった時に落胆しなければよいなと思っていたけれど、臨場感に犠牲にせざるを得ない中、シーンの移り変わりを捉えきった映像スタッフの力量は並じゃないと思う。

映像版は細かい所で「このシーンが欲しかった」と思うところはあるけれど、全編見通してみれば、あれだけの作品をここまでの映像にできるのは凄い力量だと思う。観客ほど思い入れがあるわけではないだろう(★)に、作品の流れをつかみ、勢いを殺さない作りは、もう流石としか言えないです。

(※)具体的にはシローを説得する寿庵の表情は見たかった。
似たようなシーンでヴォルフガング@中川晃教氏を説得するナンネール@高橋由美子嬢の「覚えてる? 神様の次に大切なのは、パパだって」も客席から見えないシーンなので、ヴォルフ視点から見てみたい表情なんですけどね。どう見えてるんだろうって。

(★)とはいえ、この作品に関しては、スタッフの熱さも尋常じゃないというか。映像版プロデューサーの金沢さんは「はじめて仕事を忘れた」って言ってるし、「SHIROH」ゲキ×シネ公式サイトの末永さんのVOICE欄のメッセージも熱いし、何と言ってもイーオシバイの岡部さん。超アクセル全開でメルマガ書いてくれてます。悪い意味じゃなくどこかのファンサイトかと思ったぐらい(笑)。

(*)「これは戦だ、遊びじゃない」という四郎(上川隆也さん)の言葉は、この作品の「さんじゅあんの館」での「我々は遊びでやっているわけではない」@小左衛門 と 「私も遊びで闇市をやっているわけではない」@寿庵の言葉と絡み合って、どこか意味深。
四郎はシローに対して、力量は認めつつも「甘さ」を感じつづけていたのだろうなと。

四郎とは立場は違うけれど、「TRUTH」で上川さんが演じた役も同じようなテイストを感じた。
「『自らの』正義に対して一途」というのは、上川さんの演じる役に通じる一つの形のような気がする。


●跳べない四郎は、ただの男だ。
「はらいそ」のシロー・寿庵の歌声を聞いて、ふっと浮かんだこのことば。

雨に君は唄う
僕はツバサになる

何回も見ていろいろ考えたけれども、やっぱりこの作品の「君」は四郎だと思う。
そして、その「君」が過去を愛せなくなり、奇跡の力を失った時に、神がリオを通して与えた「ツバサ」がシローだったのだと思う。

雲の上から
君を守るために

ゲキ×シネの映像で初めて気づいたのですが、このあたりでシローは四郎に手をさしのべ、四郎はそれを頼って引き上げられていくんですね。更にその下には四郎の動きと同じように立ち上がる寿庵がいるわけですけれども。

君の弱さが好き
それがツバサになる

四郎の人間としての弱さ、それこそが寿庵が四郎を愛した理由であり、「人間味」そのもの。
寿庵にとっての「ツバサ」は、ただ一人現世に残されても、それでも自分の気持ちを支えてくれた「思いの強さ」。

シローは四郎のツバサとなり、
四郎は寿庵のツバサとなった。

人は支えあって生きる
死は別れじゃない
本当に心が通じ合った人のことは、
心の中に生きている

最後に、そう納得できたことは、何より幸せでした。

発売まで1ヶ月を切ったDVD発売まで、『SHIROH』の話題は封印になるかと思います。

ひとまず、2回目の区切りということで、この素晴らしい作品に心からの拍手を。
ゲキ×シネ地方上演が実現し、より多くの人がこの作品の凄さに触れてもらえますように。
イーオシバイさん、ティ・ジョイさん、期待しています。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

『SHIROH』を語る。(29)

2005.9.4(日) 15:00~18:25 渋谷シネクイント

ゲキ×シネ4回目にして、とうとうやってしまいました。
痛恨の20分遅刻。日曜日の明治通りをバスが定時運行してくれる読みは甘すぎました。
選挙演説(池袋)に買い物行列(新宿)、歩行者天国にお祭り(原宿)までやっている・・・・

今日の座席、通路側かと思ってまだ入りやすいか、と勘違いしていたら、なんとまぁ、こともあろうにどセンター。
時はあっきー登場直後、視界を遮ってしまった方々に深くお詫びします。

席に着いてみると、4回目で紛れもなく最良の席。素直にJRを使っていればと後悔しても後の祭りなので、さっさと17世紀の島原の空気へワープします。

●四郎様&寿庵殿
このお2方の話は途切れ途切れに書いてしまってるので、今日はツボだったところを2箇所ほど。

◆1幕23場「天の御子を我らに」
中川晃教さん演じるシローが同じく牢獄にいる仲間を奮い立たせて皆で牢を破る。
(今日見て気になったのですが、人が出入りできるぐらいの牢ですね(笑))
そんな中、兵を挙げた四郎(上川隆也さん)率いるキリシタン軍がキリシタン目付の屋敷に押し寄せる。

シローと同じく捕われていた四郎の父・甚兵衛(植本潤さん)&四郎の姉・お福(杏子さん)が絶体絶命になった時に助けに現れる四郎。

「良くぞ兵を挙げた」と甚兵衛に声をかけられた時の四郎の表情が何ともいえない表情。
はにかみながらも「俺の力だけじゃないけどな」みたいな、いたずらっぽい表情を寿庵(高橋由美子さん)に向けてる。そんな四郎の表情を見て、すかさず「いえいえ、四郎様のおかげですよ」と返す寿庵はさすがに如才がないというか何というか。

四郎様&寿庵殿は通じ合う場面が少なめ、ってのは舞台版からのお約束ですが、何気にこのシーンが一番ツボに入ったかも。他のシーンはあと一歩足りなかったり邪魔が入ったりするんで。

◆1幕18場「さんじゅあんの闇市(リプライズ)」
このシーンだけでゲキ×シネのチケ代払うよう言われても自分は納得します(笑)。
寿庵殿の四郎様説得シーン。

公演初日前の物語説明で、「寿庵が四郎を説得する」と言われて、言い知れない不安を感じた自分。あの上川さん相手に、どうやって由美子さんが説得できるのか、寒いシーンにならなければいいなーとか思ってたのも、今は昔のお話。

もっと昔だったら由美子さんもこんなには説得力のある歌い方もできなかっただろうなぁと、作品との巡り合わせの偶然さに思いを馳せたり。

ことごとく四郎様の逃げ道を潰してく手腕がさすが闇市の主。

幼い頃に知っていた四郎様からの、余りに変わってしまった彼に驚きながらも、それでも彼の偉業を思い出させるかのように語り、その中で発せられる彼の言葉から、なぜ彼が苦しんでいるのか、何に苦しんでいるのかを掴み取っていく。

このシーンを見ながらだと途中まで、寿庵殿に「そんなぁ~」というコミック風吹き出しを付けたくなってしまうのですが(笑)、四郎の苦悩の原因を掴み取ってからの押し返しが何度見ても華麗。

「あなたまで私を追いつめるのですか」と言っていた四郎が、何度も励まされた最後のとどめが「ただの人だからいいのかもしれませんよ」と言われた時の表情は、まさに「意表を突かれた」表情そのものでした。

神に選ばれた少年が追い続けさせられた「天の御子」という名の重し。奇跡の力を失った自分にとって、その言葉がどれだけの重さになってきたか。父親・姉・そしてキリシタンの仲間たち。首領になれと言われる度に苦しんだ、現実と理想の大きすぎる乖離。それは現在と過去の大きすぎる乖離とも言えるかもしれません。

「ただの人だからいいのかもしれませんよ」

寿庵のこの言葉は、”キリシタンの上に立つ”ということをもしかすると「人より力量を持つ」ことにより自らを安心させようとしていたかのような四郎にとって、突かれたくない部分のように聞こえます(「力のない自分は人の上には立てない」と思い込んでいる)。
もう一面として、四郎よりもシローよりも、キリシタンの戦いの本質を最初から見抜いていたということなのかもしれません。
「人の上に人が立つのではない、人の上に神だけがいる」という点において、寿庵は最後までキリシタンだったのでしょう。

そんな寿庵の思いは、実は四郎にもきちんと伝わっていなかったのかもしれない、と思うのが伊豆守の闇討ちの場面。
分かり合えたからと思うからこそ、四郎が暴走したのが毎回悲しくなる。
最期はそんな四郎に生かされて、結局生き残るのは彼女自身。悟りを開いてしまいそうな勢いですね。

●敬称の法則 そして例外
この作品の面白いところが、各役の敬称。標準パターンがそれぞれあって、みんな役の属性を一語で切り取っているところが秀逸。

四郎様:あの威厳は「様」以外の何物でもなし。
 法則に逆らった人:別名うざえもんこと、姉婿(河野まさとさん)の「しーちゃん」

シロー:ピュアな彼には呼び捨てが何よりの敬称。
 法則に逆らった人:「様」を付けて呼んだ寿庵(「幕府の犬に断罪を」)
  シローが聞く耳持たないと知るや、それ一回きりでその後呼び捨てに戻った寿庵、お蜜さん並に機を見るに敏です。

寿庵殿:この威厳も「殿」なしでは表現しようもないかも。本人が「こんな『こつぶっこ』がと言いたげですね」と言った時に笑いが起こらないのは、その威厳のせい?
 法則に逆らった人:四郎様。軍師として迎えて以降は全ての場面で呼び捨て。当然、寿庵喜ぶ(笑)。
  お蜜さん:「あの女」呼ばわりしてます(「海はつながってる」)

お蜜さん:実際に呼んでるのはシローだけ。他の人は名前を一度も呼んでない。
 法則に逆らった人:四郎様。「さん」を付けないことただ1回。そりゃ裏切り者断罪する場じゃ、敬称付きがおかしいのは自明ですが(「幕府の犬に断罪を」)
  シロー。彼女に裏切られて最後に感情むきだしで向かっていくシーン1回(同上)
  お紅さん。常に「姉さん」ですね。


はてさて、ゲキ×シネ観劇、あとは最終日最終回を残すのみになりました。
長いようで短かった3週間。最終日ちゃんと行けるように仕事がんばろ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »