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『SHIROH』を語る。(28)

ゲキ×シネ3回目。

2005.8.28(日) 15:00~18:25 シネクイント(渋谷)

灼熱の渋谷、今日のゲキ×シネは1・2回目とも前売り・当日券完売の満席状態。
前の2回がセンターか画面向かって左寄りだったので気にならなかったのですが、今日は画面向かって右寄り。意外に姿勢が不自然になり首が痛いです。
座席がいいのであまりストレスは感じないのはいいところですが。

感じるのはゲキ×シネの年齢層の若さ。帝劇の平均年齢って、客席全部ひっくるめると、だいたい40ぐらいかなと思うんですが(特に団体はお年の召した方が多い)、この作品の時の帝劇は35ぐらいに下がってて、このゲキ×シネは下手すると30ぐらいに見えます。演劇に若い人が来ない理由が値段、というのが良く分かります。

そして男性比率が低いのは変わらないですね。ゲキ×シネ公式で言われているお手洗い問題も、男性は完全に無縁でして、例えるなら帝劇の1Fお手洗いより空いています。それでも帝劇よりは比率高いけれど。
(ちなみにこの日、10分の休憩は若干伸びて、12分でした)

当ブログ、先週の後半まで『MOZART!』と『SHIROH』混じり合ってのヒット数でしたが、『MOZART!』帝劇楽を乗り越えると、まさに検索キーワードは『SHIROH』一色。1月もそういえばそんな感じだったなぁ・・・・

●ミュージカルスターのいないミュージカル
改めて今日感じてしまったのが、いわゆる「ミュージカルスター」が不在な作品だなぁ、ということ。

歌の主演の中川晃教君(シロー役)も、『MOZART!』初演で抜擢されたけれど、もともとというか今も本業は歌手だし、いわば「ミュージカル歌い」とは一線を画したポップス歌い。
4年連続の帝劇ミュージカル出演者である高橋由美子さん(寿庵役)でさえ、アイドル時代に「ミュージカル的な歌い方」(昔、「由美子節」と言われていました)だったのを伸ばしてきただけで、「ミュージカル歌い」とは別で、むしろ芝居系。

その2人が対談した時にお互い「ミュージカル歌いじゃないよね・・・・」って呟きあってたのに納得しちゃった記憶が。

この作品の中では明らかにミュージカル系に属する2人が今までのミュージカル本流とは違う味を醸し出している上に、上川隆也さん(益田四郎時貞役)を筆頭に、ミュージカル経験の薄い(もしくは初めて)の人の歌がかぶさる。

東宝系アンサンブルがコーラスで重厚な声をかぶせるところは他のミュージカルと同じだけれど、どことなく『SHIROH』が他の作品と違った空気を作った、大きな要因のような気がします。

そして以下はネタバレ付きです ご注意あれ


●闇に光を見失う
大塚ちひろさん演じるリオが歌う、この歌詞が今日はなぜか気になった。

心の闇から抜け出せない四郎に語りかけるけれども、四郎はリオの語りかけそのものを拒否する。なぜなら心の闇を作り出したのはリオとの出来事があったからだから。

リオは必死に四郎に訴えかけ、何とか光を取り戻してもらおうと、もう一人のSHIROH、シローをキリシタン軍に送り込み、重荷を共に支えられるようにする。

ところが四郎はシローの歌の力に自分の無力さを感じ始める。自分は何のためにいるのか、そんな迷いがどんどんと闇を深くしていく。
「自分は神に求められた人間ではないのか」という嫉妬の思いが増していく。

そして光の中で生きていた少年、シローもお蜜の断罪の場面に自らが呼ばれなかったことをきっかけに、周囲すべてが信じられなくなり、光を失い、闇に入っていってしまう。

信じていたお蜜にも裏切られ、ただ一人孤立するシロー。全てを失った少年は自らの歌の力を暴走させ、自らの仲間を先導していく。

そんな彼、そして仲間に我を取り戻した四郎は叫ぶ。キリシタンを捨てれば命は助かると。しかしその声を聞く者はいない、一人、また一人と銃に倒れ、最後は最愛の人・寿庵までも斬り付けられ、自らの腕の中で命を落としてしまう。

この作品で語っている物語で印象的なのが「心の闇」という部分。
神を信じることによって力を得ていた天の御子(=四郎)が、神を試したことによって力を失う。
神の声を持つ少年(=シロー)が、神に挑戦し、皆殺しの惨劇を導き出す。

神の声を持つシローの才能に嫉妬した四郎が、寿庵を失いそうになって初めて気づく自らの「心の弱さ」。しかしその「心の弱さ」を「好き」と言ってくれる寿庵だったからこそ、四郎はすべての後憂なく、その身を神に捧げてはらいそに行くことができた。

周囲のすべてが信じられなくなり暴走したシローが、リオの赦しの口づけにより光を取り戻し、皆をはらいそに導くエネルギーを持ち合わせた。

「闇」の中に自らを置いた2人の人物が、いかにして「光」を取り戻していったか、そこにこの作品の軸があるように感じた。

そしてそれをリオがコントロールしたように見えないところが・・・・もしかして落ちこぼれの天使様だったりするのでしょうか(苦笑)。
神の意思にしちゃえらい上手くいってないし、最後は結局1人以外全員が死んでしまう(はらいそには行けてるが)。

神の意思を借りているように見えて、実は神の意思は最初から決まってるのかも。その中で、四郎も、シローも、寿庵も、そしてリオも、自らのベストを尽くした。最後は決まってるかもしれないけれど、ベストを尽くしたこと、そのものが意味あることのように思えた。

信仰という名のもとに狂気に引きずられて死を選ぶことがいいこととは思わないけれど、今の時代からそれを遡って批判するようなことはできようはずもないし、だからこそああいう形であれ、皆が満ち足りた気持ちで天に召されていったのは、ある意味、悲劇という言葉ではつかまえきれないものがあるのかもしれません。

そして印象的だったのは四郎がリオのことを「私にしか見えない幻かと思った」と呟いた時の、リオの本当に悲しそうな表情。この時のちひろ嬢の表情が、やるせなさと悲しみとが入り混じった、絶品の表情でした。

大塚ちひろさん、劇場で見たときにオペラグラスで見ていたはずなのに、それでもここまで綺麗な女優さんだとは思っておらず、映像で映えたのは(失礼ながら)ちょっと意外。
シネクイントでは「SHIROH」上演開始前に「タッチ」の予告版が流れています(「SHIROH」終演後の9月10日から上映)。こちらのヒロインが大塚さんが東宝シンデレラの審査員特別賞を取ったときのグランプリ、長澤まさみさんなわけですが。(※他の回で審査員特別賞を取った人には水野真紀さんがいます)

正直、アップの映え方ではまったく遜色ないです。むしろ、演技はそれほどでもないと思っていた大塚嬢、予告の長澤嬢のなんだかぎこちなげな台詞回しに比べて段違いに上手に見えます。ものすごくびっくり。新たな発見です。

表情といえば、ゲキ×シネ版では恐らく一番おいしいところ持っていっているであろう、寿庵役の高橋由美子さん。私の観劇はこの方を中心に回っているのですが、ストーリーの幹になることが多いので、彼女の動きを追っていると舞台の流れがすごくわかりやすかったりします。
それもあって、見逃したシーンは1つ足りともなかったはずなのに、そしてゲキ×シネでは好きなシーンが多少カットされているみたいなところもありはしますが、ここまで映してもらって不満を言うのは物凄く贅沢な話だと思うので、この形で映像が残る、そのことだけにひたすら感謝したいです。

※ちなみにそんなこといいつつ見たかったものは「城を造ろう」で寿庵が盃を一気飲みしたのを四郎様に見つかって、いきなりかしこまっちゃったりするところだったりする(苦笑)。
何気に彼女の新感線的ニックネームは「酔いどれ堕天使」だったりする(キリシタン目付・三宅蔵人役の粟根まこと氏ご命名)。

最後の慟哭から、優しげな表情で歌う最後の歌なんて、どうしてこんな表情が出てくるんだろうってぐらい鳥肌立ってしまう。この表情を見た時に、「一人残されても、それでも、寿庵は幸せだったんだな」ということが、舞台以上に納得できたのがすごく嬉しかった。
舞台版の感想でこのシーンの寿庵のことを、「四郎様に一人残されたことを、なじるような女性でなかったことが救い」と書いたことがあるのですが、いやはや、一欠けらでもそんな感想を持ってしまったことを恥じるぐらい、そんな思いは全く感じず、なんだか『愛』という一言だけでは表現しきれようもない感情を抱いてしまいます。

「愛よりも深い入り口に、私(たち)は立っていたのかもしれない」

前も話題にしたことがあるのですが、彼女が主演した映画作品『時の輝き』で彼女が演じる女性が口にしたひとこと。シチュエーションは違うのですが、なんだかこの表情を見ていて思い出してしまった。

これだけ画面に映えるのだから、映画もやればいいのに、と思うのですが、なぜか上記主演作1作以降、ほとんど映画に出ていません。どうも本人的に回避する意識があるようで(正確に本人の言葉を借りると「舞台は完成されていないからこそ面白い。日によって少しずつ微妙に違うから生きてるんだな、ってわかるからいい。映画は完成されてるから・・・・」だそうです)、ちょっぴり残念。テレビではこんな表情、撮ってもらえないし。

閑話休題。作品全般の話へ。

ゲキ×シネ版だと、ストーリーを語ろうとするとやっぱり舞台の力に敵わないところはあって、要は視界が限定されてしまうので、舞台全体に目をやって何気に気づかないところにさりげない演出があったりするのが、たまに見えなかったりする。
演出家が選んだ映像ではないから、演出意図だと映して欲しいと思われるところが映っていなかったりする(むろんそういうもの抜きでこれだけの映像を作ったスタッフの力量には心底感服)。

例をあげてしまえば、1幕最後「握った拳に神は宿る」で、上手側(舞台右手)ぎりぎりに寿庵がいて、下手側(舞台左手)ぎりぎりにお蜜がいて、実は皆が歌っている中、2人は歌ってない、とかいうのも恐らく演出に思えましたが、映像版だけから感じることは無理だと思う。

2幕終盤にシローが狂気に走ってお福が死への道をなぞるところに、お福の「戦おう最後まで」の言葉に、止めに入る寿庵が大きく弧を描くように上手側から下手側へ大きく位置を変えたりするところとか、「死へ向かう一揆軍」と「ただ一人止める寿庵」の対比に、上から四郎様の「キリシタンを捨てれば命だけは助けると、松平伊豆守は言っている!」の檄が入ってくるあたりの動きが、ちょっと見えにくかったりする。

あのシーンは寿庵がただ一人、キリシタンと離れて別の方向へ向かい、「さんちゃご、四郎さま」とリオと同じ言葉を口にすると同時に斬りつけられて、四郎はその様を見て激高・懺悔するというシーンにつながってくのですが、初見だとその辺の流れが「凄いわ、これ」以上に感じるのは難しそうな気がする。

●ふと耳にしてなんか納得
「SHIROH」のハイライト版CDの選曲、出た当時にさんざ「物足りないよぉ」とか書いてたのですが、この日ゲキ×シネ観劇で来ていた方の会話をロビーで聞いていると、

「ネタバレの曲は入れてないのかも」

という声が聞こえてきて、全てのことが”すとーん”と納得がいってしまいました。

「幕府の犬に断罪を」なんて入れた日にゃ、お蜜さんが幕府のスパイだってことが一発でバレちゃいますもんね。まぁこの辺に関しては、DVDの売上促進、という面もあるのかもしれないですが、あの映像見る限り、CD買ったからDVDを買わない、という選択肢はあまりないような気がします。ハマったらどう見ても両方買うだろうなと。

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