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2005年8月

『SHIROH』を語る。(28)

ゲキ×シネ3回目。

2005.8.28(日) 15:00~18:25 シネクイント(渋谷)

灼熱の渋谷、今日のゲキ×シネは1・2回目とも前売り・当日券完売の満席状態。
前の2回がセンターか画面向かって左寄りだったので気にならなかったのですが、今日は画面向かって右寄り。意外に姿勢が不自然になり首が痛いです。
座席がいいのであまりストレスは感じないのはいいところですが。

感じるのはゲキ×シネの年齢層の若さ。帝劇の平均年齢って、客席全部ひっくるめると、だいたい40ぐらいかなと思うんですが(特に団体はお年の召した方が多い)、この作品の時の帝劇は35ぐらいに下がってて、このゲキ×シネは下手すると30ぐらいに見えます。演劇に若い人が来ない理由が値段、というのが良く分かります。

そして男性比率が低いのは変わらないですね。ゲキ×シネ公式で言われているお手洗い問題も、男性は完全に無縁でして、例えるなら帝劇の1Fお手洗いより空いています。それでも帝劇よりは比率高いけれど。
(ちなみにこの日、10分の休憩は若干伸びて、12分でした)

当ブログ、先週の後半まで『MOZART!』と『SHIROH』混じり合ってのヒット数でしたが、『MOZART!』帝劇楽を乗り越えると、まさに検索キーワードは『SHIROH』一色。1月もそういえばそんな感じだったなぁ・・・・

●ミュージカルスターのいないミュージカル
改めて今日感じてしまったのが、いわゆる「ミュージカルスター」が不在な作品だなぁ、ということ。

歌の主演の中川晃教君(シロー役)も、『MOZART!』初演で抜擢されたけれど、もともとというか今も本業は歌手だし、いわば「ミュージカル歌い」とは一線を画したポップス歌い。
4年連続の帝劇ミュージカル出演者である高橋由美子さん(寿庵役)でさえ、アイドル時代に「ミュージカル的な歌い方」(昔、「由美子節」と言われていました)だったのを伸ばしてきただけで、「ミュージカル歌い」とは別で、むしろ芝居系。

その2人が対談した時にお互い「ミュージカル歌いじゃないよね・・・・」って呟きあってたのに納得しちゃった記憶が。

この作品の中では明らかにミュージカル系に属する2人が今までのミュージカル本流とは違う味を醸し出している上に、上川隆也さん(益田四郎時貞役)を筆頭に、ミュージカル経験の薄い(もしくは初めて)の人の歌がかぶさる。

東宝系アンサンブルがコーラスで重厚な声をかぶせるところは他のミュージカルと同じだけれど、どことなく『SHIROH』が他の作品と違った空気を作った、大きな要因のような気がします。

そして以下はネタバレ付きです ご注意あれ


●闇に光を見失う
大塚ちひろさん演じるリオが歌う、この歌詞が今日はなぜか気になった。

心の闇から抜け出せない四郎に語りかけるけれども、四郎はリオの語りかけそのものを拒否する。なぜなら心の闇を作り出したのはリオとの出来事があったからだから。

リオは必死に四郎に訴えかけ、何とか光を取り戻してもらおうと、もう一人のSHIROH、シローをキリシタン軍に送り込み、重荷を共に支えられるようにする。

ところが四郎はシローの歌の力に自分の無力さを感じ始める。自分は何のためにいるのか、そんな迷いがどんどんと闇を深くしていく。
「自分は神に求められた人間ではないのか」という嫉妬の思いが増していく。

そして光の中で生きていた少年、シローもお蜜の断罪の場面に自らが呼ばれなかったことをきっかけに、周囲すべてが信じられなくなり、光を失い、闇に入っていってしまう。

信じていたお蜜にも裏切られ、ただ一人孤立するシロー。全てを失った少年は自らの歌の力を暴走させ、自らの仲間を先導していく。

そんな彼、そして仲間に我を取り戻した四郎は叫ぶ。キリシタンを捨てれば命は助かると。しかしその声を聞く者はいない、一人、また一人と銃に倒れ、最後は最愛の人・寿庵までも斬り付けられ、自らの腕の中で命を落としてしまう。

この作品で語っている物語で印象的なのが「心の闇」という部分。
神を信じることによって力を得ていた天の御子(=四郎)が、神を試したことによって力を失う。
神の声を持つ少年(=シロー)が、神に挑戦し、皆殺しの惨劇を導き出す。

神の声を持つシローの才能に嫉妬した四郎が、寿庵を失いそうになって初めて気づく自らの「心の弱さ」。しかしその「心の弱さ」を「好き」と言ってくれる寿庵だったからこそ、四郎はすべての後憂なく、その身を神に捧げてはらいそに行くことができた。

周囲のすべてが信じられなくなり暴走したシローが、リオの赦しの口づけにより光を取り戻し、皆をはらいそに導くエネルギーを持ち合わせた。

「闇」の中に自らを置いた2人の人物が、いかにして「光」を取り戻していったか、そこにこの作品の軸があるように感じた。

そしてそれをリオがコントロールしたように見えないところが・・・・もしかして落ちこぼれの天使様だったりするのでしょうか(苦笑)。
神の意思にしちゃえらい上手くいってないし、最後は結局1人以外全員が死んでしまう(はらいそには行けてるが)。

神の意思を借りているように見えて、実は神の意思は最初から決まってるのかも。その中で、四郎も、シローも、寿庵も、そしてリオも、自らのベストを尽くした。最後は決まってるかもしれないけれど、ベストを尽くしたこと、そのものが意味あることのように思えた。

信仰という名のもとに狂気に引きずられて死を選ぶことがいいこととは思わないけれど、今の時代からそれを遡って批判するようなことはできようはずもないし、だからこそああいう形であれ、皆が満ち足りた気持ちで天に召されていったのは、ある意味、悲劇という言葉ではつかまえきれないものがあるのかもしれません。

そして印象的だったのは四郎がリオのことを「私にしか見えない幻かと思った」と呟いた時の、リオの本当に悲しそうな表情。この時のちひろ嬢の表情が、やるせなさと悲しみとが入り混じった、絶品の表情でした。

大塚ちひろさん、劇場で見たときにオペラグラスで見ていたはずなのに、それでもここまで綺麗な女優さんだとは思っておらず、映像で映えたのは(失礼ながら)ちょっと意外。
シネクイントでは「SHIROH」上演開始前に「タッチ」の予告版が流れています(「SHIROH」終演後の9月10日から上映)。こちらのヒロインが大塚さんが東宝シンデレラの審査員特別賞を取ったときのグランプリ、長澤まさみさんなわけですが。(※他の回で審査員特別賞を取った人には水野真紀さんがいます)

正直、アップの映え方ではまったく遜色ないです。むしろ、演技はそれほどでもないと思っていた大塚嬢、予告の長澤嬢のなんだかぎこちなげな台詞回しに比べて段違いに上手に見えます。ものすごくびっくり。新たな発見です。

表情といえば、ゲキ×シネ版では恐らく一番おいしいところ持っていっているであろう、寿庵役の高橋由美子さん。私の観劇はこの方を中心に回っているのですが、ストーリーの幹になることが多いので、彼女の動きを追っていると舞台の流れがすごくわかりやすかったりします。
それもあって、見逃したシーンは1つ足りともなかったはずなのに、そしてゲキ×シネでは好きなシーンが多少カットされているみたいなところもありはしますが、ここまで映してもらって不満を言うのは物凄く贅沢な話だと思うので、この形で映像が残る、そのことだけにひたすら感謝したいです。

※ちなみにそんなこといいつつ見たかったものは「城を造ろう」で寿庵が盃を一気飲みしたのを四郎様に見つかって、いきなりかしこまっちゃったりするところだったりする(苦笑)。
何気に彼女の新感線的ニックネームは「酔いどれ堕天使」だったりする(キリシタン目付・三宅蔵人役の粟根まこと氏ご命名)。

最後の慟哭から、優しげな表情で歌う最後の歌なんて、どうしてこんな表情が出てくるんだろうってぐらい鳥肌立ってしまう。この表情を見た時に、「一人残されても、それでも、寿庵は幸せだったんだな」ということが、舞台以上に納得できたのがすごく嬉しかった。
舞台版の感想でこのシーンの寿庵のことを、「四郎様に一人残されたことを、なじるような女性でなかったことが救い」と書いたことがあるのですが、いやはや、一欠けらでもそんな感想を持ってしまったことを恥じるぐらい、そんな思いは全く感じず、なんだか『愛』という一言だけでは表現しきれようもない感情を抱いてしまいます。

「愛よりも深い入り口に、私(たち)は立っていたのかもしれない」

前も話題にしたことがあるのですが、彼女が主演した映画作品『時の輝き』で彼女が演じる女性が口にしたひとこと。シチュエーションは違うのですが、なんだかこの表情を見ていて思い出してしまった。

これだけ画面に映えるのだから、映画もやればいいのに、と思うのですが、なぜか上記主演作1作以降、ほとんど映画に出ていません。どうも本人的に回避する意識があるようで(正確に本人の言葉を借りると「舞台は完成されていないからこそ面白い。日によって少しずつ微妙に違うから生きてるんだな、ってわかるからいい。映画は完成されてるから・・・・」だそうです)、ちょっぴり残念。テレビではこんな表情、撮ってもらえないし。

閑話休題。作品全般の話へ。

ゲキ×シネ版だと、ストーリーを語ろうとするとやっぱり舞台の力に敵わないところはあって、要は視界が限定されてしまうので、舞台全体に目をやって何気に気づかないところにさりげない演出があったりするのが、たまに見えなかったりする。
演出家が選んだ映像ではないから、演出意図だと映して欲しいと思われるところが映っていなかったりする(むろんそういうもの抜きでこれだけの映像を作ったスタッフの力量には心底感服)。

例をあげてしまえば、1幕最後「握った拳に神は宿る」で、上手側(舞台右手)ぎりぎりに寿庵がいて、下手側(舞台左手)ぎりぎりにお蜜がいて、実は皆が歌っている中、2人は歌ってない、とかいうのも恐らく演出に思えましたが、映像版だけから感じることは無理だと思う。

2幕終盤にシローが狂気に走ってお福が死への道をなぞるところに、お福の「戦おう最後まで」の言葉に、止めに入る寿庵が大きく弧を描くように上手側から下手側へ大きく位置を変えたりするところとか、「死へ向かう一揆軍」と「ただ一人止める寿庵」の対比に、上から四郎様の「キリシタンを捨てれば命だけは助けると、松平伊豆守は言っている!」の檄が入ってくるあたりの動きが、ちょっと見えにくかったりする。

あのシーンは寿庵がただ一人、キリシタンと離れて別の方向へ向かい、「さんちゃご、四郎さま」とリオと同じ言葉を口にすると同時に斬りつけられて、四郎はその様を見て激高・懺悔するというシーンにつながってくのですが、初見だとその辺の流れが「凄いわ、これ」以上に感じるのは難しそうな気がする。

●ふと耳にしてなんか納得
「SHIROH」のハイライト版CDの選曲、出た当時にさんざ「物足りないよぉ」とか書いてたのですが、この日ゲキ×シネ観劇で来ていた方の会話をロビーで聞いていると、

「ネタバレの曲は入れてないのかも」

という声が聞こえてきて、全てのことが”すとーん”と納得がいってしまいました。

「幕府の犬に断罪を」なんて入れた日にゃ、お蜜さんが幕府のスパイだってことが一発でバレちゃいますもんね。まぁこの辺に関しては、DVDの売上促進、という面もあるのかもしれないですが、あの映像見る限り、CD買ったからDVDを買わない、という選択肢はあまりないような気がします。ハマったらどう見ても両方買うだろうなと。

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『MOZART!』(12)

2005.8.26(金) 13:00~16:20 帝国劇場(東京楽)

2ヶ月間続いた帝劇公演も、この日が最終日。
この週の火曜日の公演で200回目の公演を迎え、この日は203回目。
個人的には仕事が超が付くほど忙しかったけれど、東京の最後は見届けたくて、いそいそと台風一過の帝劇に向かいます。

帝劇の表玄関から入るとそこにはこの作品の作曲家、シルヴェスタ・リーヴァイさんをはじめとして、演出の小池修一郎さんもいらっしゃいます。さすが東京楽(リーヴァイさんは前日の東京の井上ヴォルフの楽でも挨拶されています)。

今日の座席は2階3列目センターブロック。しかも、なぜか2階2列目の方が来場されないという、音響・視界ともに最良の席。
この作品はチケットのことで苦労することとは無縁でしたが、さすがにこの東京楽だけは、ことごとく全滅で、何とか譲ってもらったチケット。

●中川晃教さん(ヴォルフガング役)
 ちょっとした印象の違いなのかもしれませんが、いつも通りの歌唱を通しながら、なんだかいつもと違う空気を、1幕では感じてしまいます。緊張してる感じ。

 2幕最後、「レクイエム」で死の影に怯えて表情をぷるぷるさせる(この表現はなんだか緊迫感を表現し切れていない気がするけど)ところは毎回鳥肌が立つ。
 この直後、今日のアマデだった川綱アマデがちょっと中途半端な位置でヴォルフガングにかぶさってしまったのですが、あの体勢で30秒以上耐えた2人のプロ根性はさすがに「並みの男じゃない」((C)コンスタンツェ)のでありました。

●市村正親さん(レオポルト役)
 この日のレオポルトでなんと言っても白眉だったのが、2幕でヴォルフガングの活躍をウィーンに見に行き、最終的に親子の関係が断裂するシーン。
 このお方の演技はいつ見ても「魂」を感じるのですが、今回はそのいつもの演技の上をいく、全ての感情をこめたかのような心の叫び。
 語弊を恐れず言うと、このお方の演技は主役でずっと見つづけると、過剰な思い入れに立脚したようなところがあって、奇妙にいたたまれなくなることがある。(特に『デモクラシー』にそれを感じたかも)それからすると、この作品は市村氏の良いところをエッセンス的に抽出した、バランスの良い役に見えてきます。

●高橋由美子さん(ナンネール役)
 8月以来定着した「赤いコート」の遊びが今日は控え目。小池先生の前であれは見せられないという自主規制なのでしょうか(苦笑)。
 今日はマチネにも関わらず声の伸びも抜群、席も良かったので歌声を存分に堪能。

 彼女は長期間の公演でムラがあるのが今までの悪癖だったのですが、今回は梅芸から帝劇に至るまで、時によっては1週間おきに見たのに、出来のイマイチさを感じることが一度も無く、地力が付いてきたことを実感します。
(『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』では出来のいい日と悪い日の差が極端だった)

 舞台の出来とハイライト版CDの出来がほとんど差がないのも彼女の特徴。舞台女優として押し出しが足りないということなのかもしれないけど。
 200回記念カテコ、その場の勢いで「2000回目指して頑張ります」と言ってしまった彼女の、今後に幸あれ(笑)。

●山口祐一郎さん(コロレド大司教役)
 ミュージカルという世界を見る前は、噂だけで聞いていたこの方の歌声。この作品初演で初見、その後レミゼのバルジャン役も拝見。
 この方が出ている作品はチケ取りが大変なのですが、それでも、贔屓見に行ってこのお方の歌声も一緒に聞けるのはすごく幸せ。
 自分にとっての舞台作品は、「舞台でしか聞けない、感じられない」ものを見にいけてこそ。
 この役は市村さん同様、山口さんのおいしい所を上手く切り取ってる。歌い上げ系、威厳系、おまけに暴走気味のコメディライン。

 200回記念カテコで私の贔屓さん(↑)を妙な紹介をされたのは、天然ですか・・・?

●香寿たつきさん(ヴァルトシュッテンテン男爵夫人役)
 7月までの久世星佳さんに比べ、”冷たい”という印象が拭えなかった彼女。
 しかしこの日の彼女は少し違いました。
 「星から降る金」の歌唱一辺倒でない、温かみの加わった「天からの歌声」。モーツァルト一家との空気とのフィット感が素晴らしいです。こういうのを待ってました。本当に嬉しい。

 この役は中日劇場公演(10月)・博多座公演(11月)は一路真輝さん。つい先日発売されたハイライト版CDで、言葉にならない感想を持ってしまったのが悲しい・・・(1番はいいけど2番はちょっと・・・・)。歌が上手いと言われる人はどうして自分に酔って、突っ走ってしまうのだろうか・・・。

●木村佳乃さん(コンスタンツェ役)
 キャスト順で一番最後に来るところに彼女のこの作品での位置が窺えます。
 いやもう、今月1ヶ月、よく客が暴動起こさなかったものだとある意味感服します。
 今日はそれでも今までに比べてかなりまともだった方の歌だけど、この方の場合、演技はいいのに、台詞回しがいちいち現実世界に戻らされてしまう。甲高い地声をそのまま持ち込んでるんで、感情が読み取りにくい。

 まぁ要は、喋らず歌わずにいれば、いい女優さんということです。それってアマデのことか(苦笑)

 あと象徴的だったのは、1幕の「マトモな家庭」のシーン。派手な爆発して鍋から飛び出してきた風船の切れ端をヴォルフに投げつけちゃってます。
 ・・・・そんなの舞台の前方に投げちゃったら拾う人が大変なんですが・・・
 舞台なんだから、こんなことやったら周りに迷惑かけるとか、ちょっとは考えましょうよ・・・・

 拾う人のウェーバー家四女・ゾフィー(徳垣友子さん)、本当にフォローお疲れ様です。こういう人が舞台を支えているんだよなぁ。

 再演梅芸・帝劇の西田ひかるさんの成長を目の当たりに目にしてきただけに、8月公演、ただ一つの心残りではありました。

●吉野圭吾さん(シカネーダー役)
 今日の舞台にアドリブ発生。

 「私が誰だかご存知か?」→「エマニュエル・シカネーダー!」

 ・・・・やっぱりやったんだ・・・初演帝劇楽に不意打ちで出たアドリブは、帝劇楽のお約束とするのか、今回も登場です。

 前回の返しも最高でしたが(「私も有名になったものだなぁ、そう、その有名な、俳優にして偉大な劇作家、プロデューサー・・・・」という風に本線に戻っていった)、今回は「気分がいいなぁ~ じゃぁもう一回」の一声に会場中が爆笑。

 「チャンチャンチャララのところから」という指定までしてるのですが、それでシーンがすぐ想像がつく妙な擬音語だ・・・

◆カーテンコール編
 通常のカーテンコールが終了後、帝劇楽の特別カーテンコール。
 まずは、ヴォルフガング役の中川君からの挨拶。
 「初演でキャスト、スタッフ、オーケストラの皆さん、そしてお客様に助けていただき、『舞台は1人で作っていくものではないんだ』ということを痛感した作品。」という主旨のコメント。

 そして、この日で千秋楽となる2人からの挨拶。
 男爵夫人・香寿さん。
 「最後の男爵夫人であることを気にせずに平常心で、と思ったが(ここで声を詰まらせて、会場内から満場の拍手を受ける)、素敵な衣装で素敵な歌を歌わせてもらって嬉しかった。またぜひ、男爵夫人をやりたい」とのコメントがあり、大拍手を浴びます。

 この方の男爵夫人は歌が安定していて、千秋楽は醸し出す空気も良くて、今後もぜひ見てみたいキャストです。会場を埋めた満員の観客の皆さんの見守る様子の温かいこと。

 コンスタンツェ・木村さん。
 「1ヶ月という短い期間でしたが、もっとやりたいです。途中からの参加でしたが、キャスト、スタッフの皆さまに支えられました。客席の皆さまに背中を向けてごめんなさい、キャストの皆さまにお礼を言わせてください。ありがとうございました。オーケストラの皆さま、歌がたまに変になってしまったことがあってごめんなさい(会場内爆笑、キャストも苦笑を通り越してみんな笑ってる)。いやいや、そこそんなに笑う所じゃないですから(会場内失笑が止まらない)。私事ですが、20代最後の夏でした。とても素敵な夏になりました。ありがとうございました。」

 この人も天然なのでしょうか・・・。わざわざこんなこと言わないでもいいのに、と思わないでもないですが、その時の反応が客席・キャストともども「多少は分かったのかい」みたいな冷笑だったところが、ある意味象徴的。

 客席に背を向けてキャストにお礼言ってる辺り、会場から拍手が上がっていたのですが、それはその木村さんの行為に対してではなく、初演キャストに対する満場の拍手であったと。
(カーテンコールで客に背中見せるキャストなんて聞いたことないし。)

 お2人のご挨拶終了後、演出家の小池先生登場。中川ヴォルフが川綱アマデに耳打ちし、小池先生を呼びに行くよう伝えるのですが、ここで川綱アマデの本領発揮。何と、

山祐コロレドのおトイレシーンの真似をして呼びにいく(爆)。

彼は伝え聞く所によれば、前回エリザのカテコである意味「神」になってしまった役者ですが、さすが期待は裏切らない、お笑い志望。

 今回のアマデ4人が登場し、小池先生が順番に紹介していきます。200回記念カテコと異なり、アマデからの挨拶はなし。川綱アマデまで4人紹介し終わった後で、すぐ右隣にいた高橋由美子さんがかがむポーズをして会場から笑いが。200回記念カテコで初演アマデにことごとく身長を抜かれてたのを市村パパ・阿知波母・井上ヴォルフに指摘されてしまった彼女の、お遊びだったようなのですが、その構図が面白すぎた上に、小池先生もすかさず気づいて

「高橋由美子、準子役でした」

と紹介する辺りが秀逸。(自称、子役のアンダーだそうです。『ミス・サイゴン』でも同じことパンフで言ってた)

 前日の井上ヴォルフ楽と同様、リーヴァイさんからの挨拶もあり、「素晴らしい。また日本に来たい」という言葉はリップサービスかもしれないけど嬉しい。
 一度幕が上がった後、セットの上に座った記念撮影風の光景になって幕。

 本音を言えばカテコで歌があって欲しかったところだけど、大楽でないから仕方ないのかもしれないですね。

 この作品、10月は名古屋・中日劇場、11月は福岡・博多座で公演されます。
 個人的には新キャストにそそられるところは少ないのだけれど(一路真輝さんが男爵夫人、大塚ちひろさんがコンスタンツェ)、音響の良さに度肝を抜かれた博多座、最終日から遡って3公演を狙います。
そろそろチケット先行始まりますねー

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『SHIROH』を語る。(27)

ゲキ×シネ第3弾『SHIROH』が東京・渋谷シネクイント(パルコpart3 8F)にて開幕(9月9日まで)

作品については、(1)~(26)もご参照。
(ただしネタバレがいっぱいあるので要注意)

舞台公演中にはさんざん書いた作品、また語れるのが嬉しいです。

20日が初日ということで、アクセス解析を拝見すると、昨日の真夜中にレポが上がると思っていただけたようで大変恐縮です。なぜ昨日の真夜中に上がらなかったというと、私の昨日と今日の行状。

8月20日(土)10:45~14:20 『SHIROH』(渋谷シネクイント)
       17:45~21:00 『MOZART!』(帝国劇場)
8月21日(日)15:00~18:25 『SHIROH』(渋谷シネクイント)

・・・・えーと、結果として体力・気力の限界に挑戦しておりました。
『SHIROH』のゲキ×シネが発表される前、帝劇の井上ヴォルフを見れる最終回としてチケット取ってあった20日ソワレの存在がここまできついスケジュールを強いるとは・・・・贅沢な悩みとはいえ、命削って演じられるこの2作品に、どっぷり漬かると、その夜にレポを書く気力は一欠けらも残っていませんでした。

●公演データ
 2005.8.20~9.9 渋谷シネクイント
 パルコpart3(パルコpart1から5Fで連絡通路で連絡)8階
 10:45、15:00、19:15上映(8/31のみ10:45休演)
 1幕1時間38分、休憩10分、2幕1時間37分

●キャストデータ(主要キャスト)
 シロー   (中川晃教)
           :「神の声を持つ男」。声で人の心を操る。
 益田四郎時貞(上川隆也)
         :「神の声を待つ男」。奇跡の力を失ってしばし経つ。
 山田寿庵  (高橋由美子)
         :闇市の主。キリシタン軍の軍師として四郎を支える。
 レシーナお福(杏子)
           :四郎の姉。
 リオ    (大塚ちひろ)
           :シロー・四郎にしか見えない少女。
 柳生十兵衛 (橋本じゅん)
           :剣豪。
 お蜜    (秋山菜津子)
     :くの一。隠密として天草に入るがシローの声に魅せられる。
 松平伊豆守信綱(江守徹)
           :島原天草の乱を鎮圧した実務政治家。


 以下、内容的なネタバレを含んでおります。ご注意ください。

●作品の印象
 舞台をご覧になった方向けに一言で要約してしまいますと、

 帝劇の2階席1列目から全体を俯瞰しつつ
 帝劇の1階席最前列から視力2.0で役者の表情を見つつ
 (ただしこの2者は自動切り替え)
 梅コマの2階席1列目の音響を重ね合わせた作品

 かと。
 
 舞台の勢いを殺ぐことなく、あの空間をしっかりと映像に納めきっているカメラワークと編集技術の高さにまず脱帽。そして役者のアップが場面場面で極めて有効に入ってきて、スケール感に説得力が上乗せになっているのが素晴らしい。

 あえて苦言を呈してしまうとすれば、殺陣シーンに妙にスローモーションを多用してるので、あの四郎と十兵衛の真剣勝負の緊迫感が妙に薄れてしまっているのが残念。(でもじじいが飛び上がるシーンのスローモーションだけはすごくはまっていて爆笑)

 シネクイントは座席が千鳥配置。5列目センター辺りがベストかと思われます。
(2回見た分は、2列目・3列目でしたが、2列目はやや首を上に上げる必要があり、3列目はあまり気にならないとはいえ全体がたまに見にくい。4列目は千鳥配置の結果、どセンターの中線から外れるので、まぁ5列目ぐらいかなと)

●舞台の存在感と映像の存在感
 映像版を見て思ったのが、「お蜜と寿庵とリオって同じ存在感だっけ?」という点。

 映像版ではお蜜さんの存在感が控え目。寿庵も劇場版より更に存在感出した作り(アップとして入り込むのは寿庵が多い)だし、それ以上に何と言ってもリオの目立ち方が舞台版の比でないぐらい大きい。
 でも改めて考えてみると、もしかして最初に作ろうとした『SHIROH』ってこの映像版で出来上がったものじゃなかったのかなと思った。お蜜さんを秋山菜津子さんという稀有な実力の女優が演じたから、舞台では存在感がすごく強く出ていたけど、改めて映像版で見てみると、舞台の上での存在感が、そこまでは表現されていない。

 それは逆の見方もあって、秋山さんが持っている舞台上のオーラというものが、寿庵役の高橋由美子さんとは少しく差があって、リオ役の大塚ちひろさんとは更に差があって、その辺りが後者お2人がパンチに欠けると言われてしまう部分なんだろうな、と思ったりもする。
それでコンスタンツェ、ねぇ・・・・(と、ぼそっとひとり言)

●映像版オススメシーンの羅列

M1「約束の地」:寿庵の声で始まる幕開けシーン。大阪では抑え気味になったので、この映像版で帝劇バージョンが残ったのは嬉しい。

M8「ヘイユー四郎」:甚兵衛のジャンプシーン(前述)。笑えます。

M9「なぜに奪われし光」:四郎とリオの表情が左右に来るシーンがうるうるポイント。

M12「かっちゃん&しげちゃん」:寿庵の登場シーンは何度見ても「野獣郎見参」の晴明塚しか思い出さない。

M13「ROCK’Nイズノカミ」:映像版、音が凄いのは良いんだけど、江守氏の歌だけはキツイ・・・・劇場では何とか聞き流せる範囲だったけど、映像版は本気で耳栓欲しい・・・

M17「さんじゅあんの闇市」:シロー&ゼンザがキリシタン目付・津屋崎主水(池田成志さん)に捕らえられる場面。なぜか、ゲキ×シネ公式チラシには「柳生十兵衛に捕らえられ、役人の詰め所に連れて行かれる」と書いてあったりする(笑)。

M18「さんじゅあんの闇市(リプライズ)」:CDに入らなかったのが今でも謎。四郎と寿庵のデュエットはタッパの差(ほぼ20cm差)を物ともせずに成立しております。

M21「キリシタン目付に国境はない」:キリシタン目付2人が戯れてる間、なぜあなたはそんなにつまらなそうなんですか(笑)>ゼンザ殿(泉見洋平さん)さすがにあくびまでしてたのは大笑いでした。

M22「まるちり」:ここはリオが唯一微笑む(シローに対して)ところが好き。ちひろ嬢のアップはすごく綺麗。さすが若さだと思う。中川君とちひろ嬢、あまり背の差がないのは今後に向けて朗報なのかも。

M28「お蜜と寿庵」:お蜜さん、寿庵の胸の十字架を取り上げようとして、CDでは寿庵の「ぎゃー」という声だけ残ってますが(笑)、映像版ではどう見ても胸を鷲掴みにしてるようにしか見えません(苦笑)。
(※ハイライト版CDとDVDの収録日は同じです。CDもDVDも昼・夜の混成ですが)
寿庵の啖呵にギョッとする四郎様の表情が秀逸。
お蜜と寿庵のど派手な喧嘩にまったく手を出せず、両手をひらひらさせてるシロー。
あっきー、何なんだその変なリアクションは(笑)。

M33「板倉重昌A GoGo!」:松倉勝家殿(右近健一さん)がここの映像にバリバリ入ってくるのはどうなのかなぁ・・・・
ここは板倉重昌最後の見せ場なんだし、吉野圭吾さんオンステージで良かったと思うけどな。
予告版にも出てるけど、なぜか妙にピンぼけしてるし。

M35「主よ、なぜ彼なのですか」:ここの直前でシローと四郎が話すところ。四郎様の「リオをリオと名付けた理由」のシーンは壮絶で見ていていつも胸が詰まる。中川君もここのシーンの上川さんとの対峙について、「圧倒されるほどの迫力」と表現してた意味がよくわかる。これだけの人と当たってる中川君、幸せな人だよね(帝劇でも当たってる相手は山口祐一郎さんに市村正親さんだもんなぁ)。

M38「幕府の犬に断罪を」:ここも大好きなシーン。大好きと言えば変な話だけど、真剣勝負のバチバチ感が壮絶。M28と対になって、疑惑が確信に変わったお蜜に対する詰問、そして一人蚊帳の外に置かれたシローの暴走のきっかけになるシーン。どんな集団も内部分裂から崩壊が始まるんだな、と思わせてしまうシーン。

M39「お蜜の真実」:伊豆守の剣で貫かれ、「女・・・・ですか」と呟いて倒れるお蜜。M15「忍法・水鏡」で妹のお紅(高田聖子さん)と一緒に伊豆守に接してるのに、お紅は手で払われてたのに反して、お蜜は伊豆守のお気に入りぽかったっけ。
伊豆守はお蜜を愛していたのかも。くの一としか見てもらえなかったお蜜が、伊豆守の手により散る、その時に女として認められ、最後は自分を女に戻してくれたシローの腕の中でキリシタンとして洗礼されて息絶える。
お蜜さんは死の寸前に涙流して息絶える、それもすごく感動。
お蜜は、任務に生きたお紅に「あんたにはわかんないよ」と言い残し、人間の心を取り戻して神に召されたのかもしれない、とか思える。
最後のM46「はらいそ」でお蜜がキリシタンの服を着て十字架を握り締めながら神に召されていく姿は、ある意味究極の幸せなのかもしれない。

M42「最後の談判」:「ここは我らの死に場所でない!」@寿庵 の一番いいパターンが収録されているだけでもう何も言う気がありません。あの鳥肌がこれからいつでも立てられるかと思うと、それだけで嬉しい。

M45「四郎の懺悔」:四郎様の慟哭、寿庵殿の表情、あの帝劇・梅コマの迫力そのままで素晴らしい。寿庵を失いそうになって初めてわかる気持ちは、もう少し前に気づいて欲しかったけれど、それでも最後に思いを告げて逝けたのだから、寿庵も幸せだったと思う。
その寿庵を生き返らせるというのは何というのか四郎様も残酷というか何というか・・・
ここはいつ見ても悲しくなるシーンだけど、以前も書いたけど、あそこで一人生き残るとしたらやっぱり寿庵になるんだとは思う。
表情変化から見届ける感情の起伏がしかもここまでどアップで来られると、思いっきり魂揺さぶられます。

M46「はらいそ」:四郎が寿庵に口付けし(※)、その瞬間に寿庵が目を開けて四郎が倒れこむ。四郎が立ち上がるとほぼ同時に寿庵が立ち上がって、虚空を彷徨うような目線、何かを探すような視線から、すべてを理解した視線、そして泣き叫ぶ寸前で全てを覚悟する表情。もう絶品です。
改めて映像版で見て好きになったのはその後の、伊豆守と対峙した直後、四郎様に訴えかけるような歌のシーン。

愛しげに、優しく歌いかける。涙は振り切ったけど、思い出は色褪せない。
あなたという人がいたことを、あなたが残してくれた思い出を、いつまでも忘れない。
仲間が残してくれた大切な役目をこれからも果たしていけるように、生きていく。

そんな力強さは、映像版でもより表現されていて、素敵でした。
ここ、いつも寿庵しか見てなかったので、登って行く四郎を迎えるシローが、手を伸ばしているのが初めてわかりました。

(※)口付けしているかどうかが公演当時、議論百出でしたが、お2方とも舞台上で回避するような方ではないと思っていたら・・・・予想通りでございました。個人的には上川さんほどの方なら幸せでございます。

●昼は寿庵、夜はナンネール
 前述のようなとんでもスケジュールを組んでしまった結果、ゲキ×シネ初日は何の因果かこんな変な体験をしてしまいました。片や映像作品とはいえ、同一人物(この役は高橋由美子さん)の2役を1日で見るようなことは、今後も恐らくないことでしょう。
 このスケジュールではもうお一人、吉野圭吾さん(昼は板倉重昌、夜はシカネーダー)もそうでした。
 『MOZART!』側がマチネだと、中川晃教さんもそれに当たる(シロー&ヴォルフガング)ことになります。(8月後半に5回だけチャンスがあります。もう『MOZART!』のチケットは全売り切れですが)

 3人とも当たり役で堂々と演じております。さすがです。

●その他もろもろ
その1・お手洗いが少ない
 男性用は8F、4F、B1F。
 女性用は8F、5F、4F、2F、B1F、B2F。
 但し、3回目上映は下階のお手洗いは使用不可と思われます。
 何せ休憩が10分間しかありません。
 しかも、エレベーターとお手洗いは反対側です(エレベーターを降りて左側をひたすら奥に突き進んだ一番奥です)。4Fを例に取ると、劇場最前列から上手くいって3分かかると思って下さい。つまるところ、2幕最初の「さんちゃご」を見逃す覚悟が必要です。これは辛い。
 それ故に、ドリンクホルダーが座席横にあるのですが、飲み物を飲む気がしません。
 ほぼ、帝劇仕様で臨んでいます(ほんの少しの食事しか開演前に入れず、幕間は何も取らず、終わった後に普通の食事をする)。

その2・予告編をパルコで流してる
 公園通りからパルコpart3に入る通りの、パルコpart1の壁に「パルコメディアインフォメーション」というTV画面があるのですが、そこで「SHIROH」の予告編を流しています。何分間隔かは不明。

その3・カーテンコールがない
 素晴らしい演技をした後は役者に拍手を送りたくなるもの。
 ありません(笑)。
 当たり前ではありますが、その分アンケートを書くことにしましょう・・・
 なお、次回への入れ替え時間が長い(45分)関係で、終わってから席でアンケートが書けます。で実は、その間、映像なしで「SHIROH」の本編が音声だけ流れてます(ロビーでも聞けます)。
 1幕最初ぐらいなら普通に聞けるので、アンケート書きながら再び「SHIROH」の世界に浸れます。なかなかいい趣向です。

その4・役者がとちる心配がない
 言わずもがなですね。
 寿庵殿の「食料の調達ぐらいやってくれるツテはあります」(←実際言ってみるとすごくいいづらい台詞です)に毎回心配してたクチなので、その点はすごく精神的に楽ですね(こらこら)。

●最後まで見ましょう
 e.oshibaiのマークが映るまでが本編ですが、その後も30秒だけ席に座っていましょう。きっといいことがあるでしょう。かつ、苦笑いか笑うことができるでしょう。
 私ですか・・・・「らしいなぁ」、とまさにそういう感想でした。

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『MOZART!』(11)

2005.8.13(土) 17:45~21:00 帝国劇場

この日は新国立劇場『星の王子さま』とマチソワで2公演の観劇。

M!話に入る前に旬の話題を。

帝劇内は至る所に『ジキル&ハイド』のキャスト変更告知が貼られています。
チラシは継続して配っていますが、これも当然作り直しになります(ちなみに、新国立でもこのチラシが配られていました)。

知念里奈さん、『屋根の上のヴァイオリン弾き』(ホーデル役)、『ミス・サイゴン』(キム役)、『レ・ミゼラブル』(コゼット役)と拝見してきましたが、これだけいい役を立て続けにやらせてもらって、それなのに恩を仇で返すような妊娠降板はプロとしてどうなのかと、首をかしげざるを得ません。

結婚だけならレミゼでもシルビア・グラブさんがされましたが、舞台の時期は外していたし祝福したいと思うもんですが、今回のケースの場合、製作発表直前で団体予約も入っていて、しかもレミゼで先行予約までしていたわけで、自覚がないんだか意図的なのか、どちらにしても淋しい話です。

知念さんは歌唱はさすがだと思ってましたけど、演技で伝わってくるものは3作ともにあまり感じなかったから、今から考えるとあぁなるほど、と思わざるを得ないけれど、それでも、いくらいい役をもらえても、なんだか全てが空しく色褪せて見えてしまう。
レミゼのコゼット役も2000回記念スペシャルシリーズにも継続キャストを差し置いて選ばれていて、殊勝なこと言ってたけど、今までのキャストの思いを受け継ぐからこそあそこにいる意味があったのに、それでこういうことしてちゃ。

特に好きな役者さんではなかったけれど、知名度と実力がそこそこバランスが取れていた役者さんだっただけに、残念に思いますし、何より今までの役としての実績をすべて無にしてしまうような(何があっても、過去の実績が絵空事にしか聞こえない)、今回の一件は、なんだか言い知れない悲しさを感じてしまいます。
今まで応援してきた人なんか、耐えられないだろうな。

1階入り口側で放映されている予告版も、『ジキル&ハイド』が除かれ、『SHIROH』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『眠らない音』のリピートに変更。なお、この予告版は1F売店奥と2Fロビーでも時間をずらして同じ物が放送されており、見ている人も少ないので、画面は小さいもののけっこうお奨め。

1F入り口すぐ左のカウンターで『SHIROH』のゲキ×シネチラシも配られておりますので、これから見に行かれる方は注目です。(奥の階段前にも置いてありますが、こちらは目に付くのですぐなくなり、特にソワレは置かれていることの方が少ないです)

●そしてここからM!話
今日の席は2階席2列目センターブロック。改めて帝劇の音の聞こえ方の違いに絶句。
音響と見易さではさすがのベストポジション。
たまたま前の席の人がよく寝ていて首を左にかしげてくれるので、視界が開けるのも良(笑)。もったいないよ、2階席1列目・・・
いつも凄いコロレド大司教殿(山口祐一郎さん)の「音楽のまじゅつ~」なんぞこの世のものと思えない響き方。

その分、コンスタンツェ(木村佳乃さん)の抑えの効かない声もびんびん響いてきて非常に耳障りだったりするけれど。
「ヴォルフガングの混乱」のシーンで叫びすぎ。
見ている方はヴォルフガングの狂い方に没頭しようとしているのに、その視界にも耳にも邪魔に入り込んでくる。あそこでコンスタンツェも狂ってるのはわかるんですが、あれは明らかにバランスが取れてない、やりすぎの演技にしか思えない。初演の松さんも声的にはそれに近い部分はあったにせよ、演技としてはヴォルフガングを邪魔しないように一歩引いてた。一人で演じるのはいい役者さんなのかもしれないけど、周囲を見れない役者さんは、舞台には向いていないと思う。

●全年齢対応型
2幕第6場、「ウィーンからの手紙」。
父レオポルトからの手紙に書かれた弟ヴォルフガングの活躍に嬉しそうなナンネール。
そんな姿を憮然としつつ聞く夫ベルヒトルト。
この場面のナンネールの演技がどんどん変わってきて、この回はある意味究極に到達。

「それで、弟は幸せなのかい?」訊ねるベルヒトルト。
「もちろんよ。」大きく頷くナンネール。

あ、そんなこと言っちゃ夫に悪いわよね・・・と夫に近づくナンネール。
そしてつぶやく。
「私も幸せですよ」ベルヒトルトに感謝を告げるナンネール。

初演ではこの場面は、ナンネールはヴォルフの活躍に浸っていて、そこから抜け出せずにいる痛々しい部分が強調されていて。夫からの突っ込みに、ある面、喧嘩ごしみたいなところがあって。(「なんでそんな野暮なこと言うのよ!」みたいな感じですね)

再演では日が過ぎるごとにだんだんベルヒトルトへの感謝の表現が増してきて、「弟を思いながらも、自分と一緒に過ごしてくれる夫への気遣い」がどんどん増えて、あぁ、とうとうナンネールも弟離れできたんだな、とか思ってた。

1幕で『星から降る金』の時に、父と弟が分かり合えない中、自分も弟を縛り付けているんだ、ってことに気づいて、自分の思いを押し殺して弟を勇気付けるシーンが再演では特に印象的で。ここで、弟のことを振り切ったんだろうなと思った。

この日の「私も幸せですよ」って台詞はもちろん台本にないものだし、こんだけ見て初めて聞いたパターンで、呟いたかのような一言。
夫の不満げな視線に咄嗟に出たアドリブのように思えたけど、何というか、由美子さんはアドリブ苦手なことに関しては右に出る人がいない人だし(苦笑)、だからこそ咄嗟に出た一言に演技プランが見て取れて、なんだか色んなことが腑に落ちて嬉しかった。

夫役をされている森田浩平さんも公式HPでなかなかいい味出してます。公式HPで募集していたプリンシパル分のQ&Aはもう掲載されないだろうから、由美子さん本人からこの辺のコメントはもう聞けないと思われるので。

年下の井上君と中川君からは「姉」で、年上の森田さんとは「夫婦」で、市村さんとは「父娘」で、全年齢対応型の役づくりは見ていてとても安心できる。
年上の男性俳優と上手く空気を作れるのは今後にもつながりそう。
『SHIROH』での上川隆也さんとか、『こちら本池上署』での高嶋政伸さんとか。
しまいにはもっと年下とは「母」だし。
全然想像できないのは「妹」役だけかも。

●他の方々
印象に残ったのは父レオポルト役の市村正親さん。
1幕でコロレド大司教に、ヴォルフが書いた譜面を投げ捨てられる場面。
ここで、ヴォルフはその行為に反発します。アマデも、投げ捨てられた譜面に、驚いたかのように駆け寄っていきます。
が。
レオポルトがコロレド大司教に食って掛かりそうになってるのを初めて見た気が。
もちろん息子の手前、一緒になって食って掛かるわけにはいかないとはいえ、レオポルト自身、コロレド大司教に散々虐げられてきた分、ヴォルフに妙に共感してしまう部分があるんでしょうか、何だかずいぶん立ち位置が変わってきてる印象があります。

レオポルトもコロレド大司教には鬱屈したところがあるけれど、自分が生きるためには、渋々ながらも従う、そんな苦労をお前も少しはわかれ、みたいな投げかけに聞こえてきて、ちょっと意外な変化。

レオポルトは、やりたい放題やれて、コロレド大司教を実力でねじ伏せたヴォルフガングに対する嫉妬があったのかもしれない、とふと思えた。
自分の言うことを何一つ聞かない。家族も省みない。だけれども名声は得ている。
自分にとって誇らしくはあっても、それは自分には返ってこない。
それが物足りなかったのかもしれない。
才能を見つけてしまった人間の、そこから離れては生きられない哀れさを、ふと感じてしまいました。

アンサンブル、今日気になったのはウェーバー家四女・ゾフィー役の徳垣友子さん。
1幕「マトモな家庭」でアロイジアの歌を邪魔すべく、コンスタンツェが鍋に野菜を入れるわけですが、何でかわからないのですが、見た回すべてで木村さんはニンジンを鍋に入れ損ねます。コロコロと転がっていくニンジンが哀れ。
で、鍋を煽って爆発まで持っていくわけですが、爆発の調整を誤ったのか、風船の切れ端がはるか舞台前方まで飛び出てしまいました。
黒い舞台にオレンジのニンジン2本と、風船の切れ端(これもオレンジ)1つ。
2階から見たので、それが目立つ目立つ。
張本人のコンスタンツェが拾うのかなーと思って見てると、そんな気配もなく。
コンスタンツェとゾフィーが目で会話したものの、どうもゾフィーはコンスタンツェに拾う気がないことを察知したらしく(もしかすると気づいてないのが分かったのかも)、ゾフィーはその瞬間、舞台の左へ右へ、とにかく飛び散った具材を拾いまくります。

2幕の「ダンスはやめられない」でバラの花が飛び散りすぎた時に、アンサンブルさんが必死で片付ける、って話が公式HPに載ってましたが、今回も徳垣さんがさすがの働きをしていただきました。
こういう、舞台をきちんと見ている人が支えているから、問題なく物語は進んでいくのですね。

●思わず噴き出した
12日テレビ東京系「たけしの誰でもピカソ」、小池修一郎さんのことをコメントした松たか子さん。

「今まで出会った演出家さんで、一番しゃべる人。演じている役者を、絶対に嫌な気持ちにさせない人。・・・・でも、目は笑ってない。(笑)

さすが松さん、本質を突いてるかも。

「有名どころをキャスティングできない場合に、どこか秀でている人を見つけ、その才能に賭ける、みたいなところはある」と語られていた小池さん。
井上君、中川君をいきなり主演として独り立ちさせちゃう力量ってつくづく凄い。
男性を発掘して育てる技量は日本一だと思う。

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『星の王子さま』

2005.8.13(土) 12:30~15:40 新国立劇場中ホール

初演の時仲々良さそう、と思いながらも見に行かなかった作品。
岡田浩暉さんも出るし、ということで行ってきました新国立劇場。
この劇場での観劇は1年ぶり3度目(『新・地獄変』『透明人間の蒸気』)。
帝劇とはまた違う、洗練された小奇麗さが好き。
そして何より音響の良さでは自分が見た中では東京芸術劇場と1・2を争う。

宮崎あおいちゃん演じる王子様はさすがのピュアさでまんま「王子さま」という感じでいいんだけど、なぜか歌にすごく腰が引けてるのに苦笑。

岡田浩暉さん演じる飛行士はストーリーテラー役。
相手役の女性の良さを絶対に壊さないこの方の演技は凄く好き。ほんわかした独特の包み込む空気が絶妙。2003年のレミキャストはここのところあちらこちらにバラけだしてるけど、やっぱり「役者育てるミュージカル」だよなぁ、と改めて痛感。

一幕。予想よりプッシュが弱くて眠い・・・

王子様が”自分のことしか考えていない”「大人」の姿を見るなかで、ただ一人いいなと感じるのは宮川浩さん演じる点灯夫(この人も元マリウスですね)、一幕では観客から見ても人物造形的に一番好きな方です。

ブラザートムさん演じる王様は、何と言うかコメディキャラなのに、なんだかちょっとだけ遠慮がち。悪くはないんだけど、なぜにそんなに中途半端におどおどしてコメディやるのかちょっと疑問。話的にオチは良かったけどね(王子様を大使に任命して、色々な星を訪ね歩かせるってのはストーリー的に無理がなくて良)

安寿ミラさん演じるバラの役は、同じ新国立劇場中ホールでやった『透明人間の蒸気』で秋山菜津子さんがやったマダムを思い出した。(頭の上に乗せてる物が赤くなっただけのような気がしてしょうがない。)

正直言っちゃえば、1幕微妙でした。が、2幕、地球に降り立ってから編は抜群に良かった。岡田さんのゆったりとしながら意志の強さを感じさせる歌は冒頭から引きずり込まれるし、なんといっても2幕に引き込まれたのはROLLY氏演じるキツネ。

この作品にまつわる一番有名な台詞、

「大事なものは、目には見えないんだよ」

という言葉を、王子にあげるのはこのキツネ。俗世間的で、飄々としていて、でもだからこそ”自分のことしか考えていない”大人には言えない言葉を王子にあげられる。
作品に一人こういう当たり役がいると、話が俄然説得力を増して聞こえてくるから素敵。
王子も、飛行士を除けばこのキツネにだけは自分の心を全開に開いて一言一句聞き逃すまいとしてる、ピュアな心の持ち主だからこそ見分けられる、”ホンモノ”かどうかがわかる。

そのキツネが去って、砂漠に不時着したことにより出合った飛行士との時も、飛行機の修理が終わったことで終焉に近づく。
飛行機の修理が終わったことを察した王子が、自分から別れを告げるところがいじらしくてもう。強がって強がって涙を出す手前で悲しみを見せずにいて。それを見ている飛行士も、そんな気持ちが手に取るようにわかるから、あえて余計なことも言わなくて。

自分の星に向かって去っていく王子と、それを見送る飛行士。
飛行士が主導して歌うフィナーレの歌は、鳥肌が立つぐらいすばらしかった。

最初から最後まで、「これって音楽座ミュージカル?」って勘違いするぐらい似ていたけれど(音楽座でもこの作品やってるし。)音の重厚さで物語を広げるのは似てたけど、その割に歌で押し切るタイプのキャストが想像以上に少ないので、なんだか「音楽劇」みたいなイメージあり。

終わりよければ全て良しではないけれど、最後はすごく素敵だった。
だからというわけでもないですが、1幕が長くて各シーンの存在価値がいまいち薄いのが残念かも。

この作品、TBSが協賛に入っているため、DVDの発売が決定しています。
2階どセンターで見たけど、細かい表情は見切れなかったから、勢いで買ってしまうかも。

閑話休題。

チラシの配りがあり、『SHIROH』ゲキ×シネチラシ(B5判)は何とここでゲット。
初台から渋谷にバスで出て、シネクイントまで貰いにいこうと思ってたけど、いい方に誤算。
その上、夕方に帝劇に行ったら、ここにも何気なく置いてあったりで、入手に苦労した割には簡単に入手できて拍子抜け。ちなみに、デザインは書き下ろしのため、本公演時のものと異なります。
しかし、あと1週間を切っちゃいましたよ・・・・

DVDの副音声収録レポも出てたりして、副音声も期待大。
しかし高橋由美子さん、いったいどんな服装で登場したのでせう。

東宝系のチラシも山と入っていて意外。『ジキルとハイド』、大変だよねぇ。

青山劇場でやる島田歌穂さんのコンサートにも食指が動く。
『アニーよ銃を取れ』『レ・ミゼラブル』、しかも「夢やぶれて」に、本人出てない『ミス・サイゴン』の「世界が終わる夜のように」(デュエット相手は東山義久さん?)「命をあげよう」と来た日には・・・・なんかよさげ。

この日夜の『MOZART!』レポはまた半日ほど後に。

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『MOZART!』(10)

2005.8.9(Tue) 12:30~15:50

再演帝劇公演、あんなに取ったチケットも残すところ今日含め5枚。
最後の1階席は3列目下手側。前方席で良いんですが、ふと気づいてしまいます。ご贔屓の登場場面はほとんど上手側ということに(笑)。
上手側は全然と言っていいほど取らなかったので、博多座公演への課題。

この日から帝劇パンフ第2版がお目見え。舞台写真でコンスタンツェ役の写真が7月の西田ひかるさんから8月の木村佳乃さんへ入れ替え。それ以外は大きな変更がなさそうなので、ざっと見本を見た上で購入は見送り。

幕間に流している予告編ビデオに、「眠れない音」が挿入となり、15分ヘッドに変更。『SHIROH』『ジキル&ハイド』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『眠れない音』の順。各3分30分前後の内容。『SHIROH』になるとあからさまに人が集まってくるので、早めの場所取りをお奨めする次第。

一時期配っていた『SHIROH』ゲキ×シネチラシは在庫切れか本日も入手できず。残念だなぁ。

●役のバランス、場面の色
前回・前々回はコンスタンツェ役の木村佳乃さんのことばかり、しかも辛口全開で飛ばしまくったので、今回はもう一方の新キャスト・香寿たつきさん(ヴァルトシュッテンテン男爵夫人)のことを。

ちなみに、木村さんへの苦言は今季初のアンケート投函にまで至りました。お金とって客に見せる芸じゃない上に、稽古も足りないは実力も足りないわなんて状態で、他のキャストと同じように評価されるなんて絶対に許せないから。

香寿さん、歌はもう期待通り以外の何物でもなく、「星から降る金」の最後の変なシャウトだけ止めてもらえば、安心して聞いていられるのですが(初日はここを「ミス」と書いたのですが、毎日ああ歌っておられるので、そういう歌い方みたいです)、演技と雰囲気がいまだに慣れません。
久世星佳さんの包み込み愛情表現の空気が好きだった自分としては、香寿さんの描く男爵夫人像が何も見えてこないぐらい薄いのです。

ヴォルフの才能を見抜いた人、ということはわかるのですが、男爵夫人のヴォルフへの接し方が、愛情重視なのか利用価値重視なのかが、どっちつかずで座りが良くない。多分、後者の色合いが強いのだとは思うけど、そうなのであれば、「ヴォルフガングは私がウィーンで大きい顔するために連れて行きます。コロレドも自分が大きい顔できるから首を縦に振ってくれましたよ」方向にもう少し軸が振れてもいいかな、とか思ってしまいます。
なんだか、そうは言うけれど、そんな人物造形で嫌われたくないな、みたいな中途半端さを演技に感じて、どうしても気持ちが乗っていかないのです。おかしいなぁ、屋根ヴァだと好きな女優さんだったはずなのに。

歌はいいとはいいましたけど、「星から降る金」は歌える人にありがちな歌謡ショーの色合いが濃くなっていて、シーンがぶつぎりになってすごーく居心地悪い。男爵夫人はそこまで強く自分を主張しなくていいんじゃない、しかも歌で、みたいなところがあります。

久世さん&高橋さんの組み合わせだと歌い終わった後に、「お姉さん、あとの説得は任せたわよ」「ありがとうございます」みたいな頷き合いの空気(実際に首縦に振ってた)が好きだったのですが、香寿さんが歌い終わった後はそういう空気にならない。
そこで一旦流れが止まっちゃって、「いい物を聞かせてもらいました。さー、頑張って説得しようっと」@お姉さん
(←しかも実際はこっちが本人に近いキャラ(笑))
 
みたいな空気が出てきてしまって、ちょびっとだけ淋しい。

(このあたりは、「お気楽ママの観劇日誌」さんのところのレポ読んで、そーなんですよ、って首を縦にぶんぶん振ってしまったので自分なりに咀嚼してコメント。)

あの大ナンバーを外さず歌えるだけで凄いとは思います。それだけに、後の芝居もひっくるめた歌であって欲しいのが本音かも。
市村さんの歌とか、シーンを創ることを最優先に歌ってるし、他のミュージカルに比べて、『MOZART!』の特徴はリサイタルに陥らない、歌声がコントロールする、場面場面のパワーのような気がするから(山口祐一郎さんのシーンはリサイタルとはいえストーリーを壊さないリサイタルだから、あれはあれでいいと思う。)。

●才能と言う名の悪魔
この回のアマデは黒沢ともよちゃん。中川ヴォルフ回はここのところ川綱アマデとの組み合わせに当たりまくっていたので、久々で新鮮。初演のアマデ三人衆や川綱アマデのあまりのキャラの立ち方にちょっぴり旗色が怪しいアマデ女の子キャスト陣ですが、あの中川ヴォルフの演技を受け止められるだけである意味天才。

アマデといえば、先月27日に読売新聞に掲載された『MOZART!』の全面広告に載っていた”お客様の声”で史上1・2を争うと思われる名言、

「誰にもアマデという存在はあるのではないか」

と言う言葉が、この作品を見るたびに胸に詰まります。

「才能と言う名の悪魔」は「影を逃れて」の1幕ENDでヴォルフの歌声にかぶさる他キャスト陣の歌詞から造られた言葉ではないかと思いますが(どっかの劇評だったかも)、キャラクターを上手く切り取る言葉があるとその役が深みを持って見えてくるから素敵です。

アマデはヴォルフガングの”才能”の部分を独立させた日本版『MOZART!』独自の造形なわけですが、それにもかかわらず、アマデは才能を生かす肉体だけを求めていたのかもしれない、とか想像してしまって、神が与えし天賦の才能も、授かりものというより神の操り人形のように見えてしまいます。

この辺は中川君が演じているからどうしても『SHIROH』とかぶりつつそう見てしまうんだろうけど、それこそ才能(+作品)を我々に与えた理由は何だったのですか、と叫んでしまいかねない。
音楽の魔術が神の摂理に敗北するはずはない、とど迫力で叫ぶコロレド大司教の姿が、しかしながら音楽の魔術を導き出す才能そのものが、神が遣わしものなのだとしたら、どことなく真理にあと一歩近づけなくてもがいている大司教の姿が、ものすごく納得がいって。

この2人のキャストの属性の違いでもあるのでしょうが、中川君が「才能に無自覚」なのに対して、井上君は「才能を自覚」しているようなところがあって、最後のシーンを感じると、中川君は才能というものの存在が実在することに驚き(それまで自分の力でやってきたようにも見えるからなおさら)、それに束縛されていること自体に驚いているようなのに対して、井上君は才能を利用し続けた人が、才能に復讐されるようなイメージをちょっと感じて。

この作品は要約してしまえばモーツァルトという奇才を、よってたかって利用し続けている人々の物語ではありますが、ヴォルフガングという役に対する2人の造形の違いを見ていると、「ヴォルフを生きる」中川君と「ヴォルフを演じる」井上君の違いが鮮明に浮き出てきます。

2幕最後で、ヴォルフがアマデと共に死に、その亡骸にいち早く近寄り金をせしめていくセシリアは相当な人でなしだとは思うけれど、「友だち甲斐」でナンネールにお金送らないヴォルフもそれとためを張るほど人でなし・・・・

なんだけど。中川君がそれを演じると、なぜか納得できてしまう。井上君だと、なぜかすごく腹が立ってしまう。それはきっと、中川君が「天然で目を背ける」のと、井上君が「分かってて目を背ける」の違いなのかなと思う。
本当に存在したら人間としては後者が嫌だけれど、あくまで役作りという側面でここの場面を見ると、2人の違いをよく表現してる場面のように思える。

この2人の描き出すヴォルフガングを見ていると、無自覚で才能に蝕まれる中川ヴォルフと、自覚的ゆえに才能に逆襲される井上ヴォルフと、結局どちらも幸せになれないような気がする。

初演の日生劇場のプログラムでキャストへのQ&Aの中に、「神童と呼ばれるとするなら、どんな分野で呼ばれたいですか」という問いがあって、その時、ナンネール(高橋由美子さん)とコンスタンツェ(松たか子さん)が2人して「神童と呼ばれたくない。普通に幸せになりたい」って答えていて、凄く印象的で。

ヴォルフガングを両面から見ていた2人が「才能を持つ人」と向かい合った時のこの感覚が、再演の今になるまで自分の頭の中にしっかりと根付いてしまっていて。
「才能を持つことによりあんなことになるのなら、才能なんていらない。平凡に生きたい」と思わせてしまうものが、どうしてもこの作品には付きまとってしまいます。

「誰にもアマデという存在はあるのではないか」

という問いは、別の面で、

「誰にもナンネールのような側面はあるのではないか」
(夢を持た(て)ずに現実と折り合いをつけて生きていく(※))

と思えてしまいます。

ヴォルフガングを羨みつつもそうなりたいとは願わず、現実と折り合いをつけて生きていく中に、自らの生きがいを求めていく。それでもいいかなと、思えてしまいます。

そんな私の『MOZART!』観劇は、常にそのスタンスで作品に生き続けるナンネール目線。波長が合っちゃったから、こんなにリピートしてしまうのですね。

そして、そんな私は、きっとドン・キホーテにはなれないんだろうなと思います(笑)


※『ラ・マンチャの男』にこれに類する台詞があります。

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『MOZART!』(9)

2005.8.4(木) 17:45~21:05 井上ヴォルフ
2005.8.7(日) 17:45~21:05 中川ヴォルフ

 先週は辛かったです。体調が優れずに観劇中に咳をすること複数回。特に4日の回は咳止めを持っていかずに、2階席で観劇された方には大変失礼なことをしてしまいました。演者の方には聞こえないと思いますが、大変失礼をしました。この場をお借りしてお詫びを。
 2階席のセンター辺りはちょうど空調の出てくる場所に当たっておりまして、身体が冷えたのが理由らしく、素直に週明けに病院に行ってこようと思います(今週火曜日マチネが良席なので何とかしたい)。

 4日の回が井上ヴォルフ&木村コンスの初観劇。
 先月30日マチネの散々な出来を目の当たりにしているだけに、相当の覚悟をもって臨みましたが、意外や意外、まっとうにラブシーンだったし、まっとうに演技は噛み合ってました。むしろ、井上ヴォルフとしか合わせ稽古をしてなかったんじゃないか?と思わせるような結果でした。

 7日の中川ヴォルフが木村コンス初日以来1週間ぶりだったのですが、中川ヴォルフが過度に抑えることなく良さを出し切っていたので、要は1週間かけてプレビューやったのと同じ結果になったよう。
 ほかの共演者陣が一定以上の結果を残しているだけに、こんな中途半端な状態で舞台の上に上げるというのは、観客に対しても失礼に思いますし、かつ、この舞台をずっとやってきている共演者に対しても失礼極まりなく思います。

 初演以来の共演者は2002年9月から数えて、7ヶ月も接してきたこの作品に、7月10日から個人稽古入り、合わせは数日前から数えるほど、それで上手くできると思うほうがどうかしているわけで、木村嬢・演出家双方に憤りを感じざるを得ません。

●役者さんの力量で見せる作品
 6月の梅田芸術劇場公演で初登板、現在帝国劇場公演にも出演中の香寿たつきさん(ヴァルトシュッテン男爵夫人役)が、『月刊ミュージカル』2005年8月号でいみじくも語っている言葉が、この作品の本質を見事に言い当てているように思います。

 例えば『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』はストーリー先行、曲先行、役者は与えられた範囲で最善を尽くす、といった雰囲気が強いのに対して、『MOZART!』は演出サイドの意向がそれほどまでに感じられない作品です。
 もちろん、作品の根幹であるヴォルフとアマデの関係をはじめとして、どうしてもずらせない軸はぶれませんが、それ以外の演技や歌については、ずいぶんと演じる側に任せている印象を持ちます。

 コロレド大司教のトイレシーンなど、外国の演出家が見たら速攻でダメ出しが入りそうですが(笑)、客もそれを望んでいるしいいじゃん、みたいな、いい意味のアバウトさがおよそミュージカルらしくなく、格式ばってない。
 ミュージカルと言えば歌い上げ系のキャストが揃う、という想定を覆して、歌派のキャストは中川君と山口さん、それに香寿さんぐらい。井上君、市村さん、高橋さん、久世さんはじめ、芝居派の人が多い。(井上君は微妙に中間派かも)

 キャストに共通してるのは、1つのシーンを任せられる力量を持つという点で、いわゆる「間が持たない」ことがない。
 で、7月末に木村佳乃さんを見て、『MOZART!』に出る大前提が、「役者として力量がある」ことだったということに改めて気づかされて。

 1幕の『マトモな家庭』はまぁいいんだけど(とはいえここのシーンの拍手は1幕で1・2を争う少なさです)、2幕の『ダンスはやめられない』の酷さと来たらもう言葉にしようもなく。

 この曲の段取りを感じさせることなく上手くこなしていた西田ひかるさんの凄さにあらためて感服しながら、しかもそこに感情までプラスされていた松たか子さんの壮絶さにあらためて絶句。

 この曲、「愛してるのに愛してくれない、だから好きでもないダンスに行って踊るの、それでも気持ちは満たされない、夫に何も与えられない、でも何とかしなければ、ともがく」物語だったはず。なんだけど、そんなストーリーを思い浮かばせる以前の問題として、歌として成立していない上にとにかく聞き苦しい。

 「がなる、叫ぶ、夢に出てくる」(※)って感じで叫ばれてみれば、この曲はメロディーラインの綺麗な曲じゃなかったんだろうか、と首をかしげることしばし。

※日本版原詩は「燃えて 載せて 夢に溶ける」

 この曲のソロさえなければ、芝居はまぁまぁ上手いんですが、これが全てをぶち壊しているというか。

 あとは「引っ込み思案で目立つのが嫌いな少女」という役どころが、帰国子女2連発の西田さん(アメリカ)・木村さん(イギリス)という2人とは似ても似つかず、かといえばその素と違うところを演じきる演技力があるわけでなく、どうにも消化不良な思いだけが残るのです。

 不倫現場(ではないんだけど)押さえて激怒するところも”怒り”一辺倒だし、もう少しやるせなげなところがあってもいいと思うんだけど、歌にも演技にも強弱が足りないというか、とにかく引く演技が全然出来ない人みたいですね。

 芝居は良いと言っておいて難なのですが、2幕、セシリア&トーアヴァルトがヴォルフの家に押しかけ、署名を強要する場面の話。ヴォルフに結婚&年金支給の署名をさせた後、コンスタンツェを連れて行きますが、ここでなぜか自分からスタスタ行ってしまうコンスタンツェってあり得なかろう・・・・
 セシリアに連れて行かれそうになって、それこそ力いっぱい抵抗して引きずられていく場面だと思うんだけどな。

 同じ場面、トーアヴァルトが署名を強要する文書を読み上げ、「300グルデンの年金を支払います」の後、「そんな馬鹿なっ!」とヴォルフが反論する掛け合いがあるのですが、何でか「年金を」あたりでヴォルフのかけ声がかぶさってました(7日ソワレ)。
入りミスというより、むしろトーアヴァルトの台詞が終わってもいないのにヴォルフの反論するための音楽に入っちゃった指揮ミスの感じが濃厚。
 8月に入って指揮が西野さんから塩田さんに変わってからというもの、あらゆる意味で進行が早いんだよなぁ。
(2幕の終わりが確実に5分近く早いです。7月はカーテンコール終わりは21時10分だったのに、8月は21時5分)

 もう一つ気づいたところ。
 2幕最後『影を逃れて』のシーンで、直前にヴォルフの死に直面して呆然としたままのナンネール(高橋由美子さん)は、泣きそうな表情で声もたどたどしく歌ってる、のが今まででした。正確には「歌えないぐらい涙ぐんでる」とでも申しますか。
 4日ソワレで見た時に気づいたのですが、ヴォルフガングの声が聞こえてきた瞬間に、それに背中を押されたかのように精一杯の熱唱に変わって、ちょっと「うっ」と来てしまいました。
 ヴォルフの姿が見えるわけではないけど、ヴォルフの声は心に届いたんだな、と思うと、ただ最初から力いっぱい歌うよりも、ヴォルフとの心のつながりを感じて、気持ちに迫るものがありました。

 そういえば、ふと初演帝劇のパンフを見ていたら、最後の『影を逃れて』の並び順が初演・再演では変わってるんですね。
 初演は下手側から、男爵夫人・大司教・コンスタンツェ・レオポルト・ナンネールの順
 再演は下手側から、男爵夫人・レオポルト・コンスタンツェ・大司教・ナンネールの順

 山口祐一郎さんと高橋由美子さんの背の差(30cm以上あります)って、レミゼのカーテンコールでは記憶にあったけど、MOZART!でこんなのあったっけなぁ?と思ってパンフを見てみたら、初演とは違ってた、というお話。

●「SHIROH」ゲキ×シネ予告版放映中
 幕間の休憩中に、帝劇入り口側に一番近い場所にあるテレビ(1階6扉前)にて、8月20日から放映される『SHIROH』ゲキ×シネの予告版が流れています。
 休憩時間は25分(一部30分)ですが、「SHIROH」→「ジキル&ハイド」→「屋根の上のヴァイオリン弾き」の順でリピートで、1周り10分。8/7ソワレ観劇時は、19:16と19:26の2回流れていました。(休憩は19:10~19:35)

 上川さんの表情さすが、中川君の十字架ビックリ顔ちょっと変(笑)、杏子さんの歌声あの曲はすごく好き、由美子さんの呆然と見送るアップは2列目で見たときの迫力以上。 メインの登場人物ほとんど全部映ってる秀逸な出来の予告版。

 公式HPに載っているものと同じなのですが、このレベルの「大画面」(ワイドテレビです)でもかなりの迫力なので、映画館で見たらどんなことになるのやら、始まる前からけっこう期待です。

 そして『SHIROH』ゲキ×シネのチラシ、帝劇では7日マチネを持って一旦在庫切れ。
 果てさて入手できる日が来るのやら、なんだかちょっと心配。

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『マドモアゼル・モーツァルト』

2005.7.31(日)18:00~20:35 パルコ劇場

もう一つのモーツァルトのストーリー、演目と主演に釣られて見に行ってしまいました。
今月2回目のパルコ劇場。まず見終わっての第一の感想。

2作続けてこんな凄い作品持ってきて、パルコ劇場はあなどれん。

でした。

脚本に若干の非一貫性は感じられる(後述)ものの、重厚感のある音楽、流れが切れない役者の動き、染み渡る歌声に的確な演技、どれも相当の完成度です。

現在リピート中の東宝・帝国劇場『MOZART!』と同一人物を描いた物語だけに、どうしても同じところ・違うところが気になってしまいます。

ネタバレが入りますので、お気になさる方は回れ右をお願いします。


役柄的な違い
・ヴォルフガング・モーツァルトは女である。(但し、大部分男のふりをしている)
 役中の呼び名は男では「ヴォルフィ」、女では「エリーザ」である。
・サリエリが出てくる。(準主役、ストーリーテラー)
・レオポルト、ナンネールの影は相当薄い。
・大司教、男爵夫人は影も形もない。
・コンスタンツェはもちろん出てくる。
 役中の呼び名はなぜか「コンス」が除外されて「タンツェ」である。

物語的な違い
・喪服姿のナンネールが父の死をヴォルフに知らせる所で、1幕が終わる。
・コンスタンツェが全然悪女に見えない。
 弟子と関係を持って子どもまで産むが、”世界三大悪女”の一角を占めるほどの悪女には見えず。

帝劇のヴォルフ2人と、この作品のヴォルフガングをイメージで表現すると、
 ドラマチック・モーツァルト(井上芳雄さん@帝劇)
 ダイナミック・モーツァルト(中川晃教さん@帝劇)
 エキゾチック・モーツァルト(新妻聖子さん@パルコ)

という違い。
どことなく包み込むような音楽が、優雅さを醸し出していて滑らかな感じ。

主演・ヴォルフガング役の新妻聖子さん。彼女のミュージカルデビューは『レ・ミゼラブル』(2003年7月6日、帝国劇場)のエポニーヌ役ですが、実は初日から拝見しており、2003年シリーズで5回、2005年シリーズで1回観劇。その後、『ミス・サイゴン』(2004年、帝国劇場)のキム役で5回観劇。今回が3役目となりますが、今のところ、出演舞台コンプリートであります。

贔屓でさえ全作品見てないのに変な話ですが、今まで贔屓とずっと共演してきてたので、たまたまずっと見ているお方。

一時期は今年の帝劇の『MOZART!』のコンスタンツェ役が噂されたこともあった彼女ですが、こちらの方が圧倒的に当たり役でしょう。いずこかで見たかのような、「台詞を喋るより歌ってるほうが説得力がある」というところは「僕こそ音楽」なヴォルフガングにぴったり。
歌声も一本調子で伸ばすばかりだったところが、今回の作品では強弱をうまくつけた歌いまわし、かつ、声量はさすがとしか言いようのないもので、帝劇以外初お目見えに近い(厳密には『レ・ミゼラブル・イン・コンサート』があります)ところにしては、自身に合ういい役に巡りあえて何より。

台詞回しはまぁ仲々上達しないもので、コメディチックなところが寒かったりはしたのですが、2幕で面白かったシーンが1つ。

1幕の最後でナンネールから父の死を知らされるヴォルフガングは、2幕ではそのショックからか、女性として登場します。当然、コンスタンツェは慌てます。
しかも困ったことに、ライバルであるサリエリがヴォルフガングの女性の姿・エリーザに恋をしてしまい、求婚までする始末。
そんな時ヴォルフィが言うこんな一言。

「ほら、モーツァルトも落ち目だし。サリエリの奥さんになるよ。」

会場中爆笑であります。テンポいいし笑わせどころはさすがに抑えてますね。

準主役であり、モーツァルトのライバルでもあるサリエリ。
このお方が話した言葉に、この作品中最も印象的だった一言があります。

ヴォルフィには「尊敬する人をパパと呼ぶ癖がある」(と本人が言っています)。
愛するエリーザの姿で「パパ」と呼ばれたサリエリはショックを受けます。
(ここでエリーザがヴォルフィであることにも気づくのですが)

そして咄嗟に言い放ってしまうのです。

「お前は父親しか愛せないのか!」

この言葉にエリーザはショックを受け、男(ヴォルフィ)として生きていくことを決めます。

で、このシーンが印象的だったのは、音楽座作品を見ていて申し訳ないのですが、リピートしてる東宝作品とのシンクロでむしろ複眼的に見えてしまったというか。

ヴォルフガングは、愛することに不得手だった人なんだなぁ

ということ。

東宝作品では、ヴォルフガングは父親の愛情を受け入れることが出来ず、父親の死をもって初めてその愛情に気づくこととなります。
一方、コンスタンツェはヴォルフガングに対して、「あなたが愛しているのは自分の才能だけ」と言います。

でも実際には父親も愛していたし、コンスタンツェも(ひと時は)愛していた、当然、才能も愛してはいた。とあれ、自分が愛することと、自分が愛されることのベクトルが、最後まで噛み合わなかったように見て取れた。

自分の愛し方が相手に伝わらず、相手の愛し方が自分に伝わらなかった、それが天才とそうでない人の溝だったのかな、と思えて少しく神妙な気持ちになった。

それはそれとして、「父親しか愛せない」という指摘は、ヴォルフガングにとっては図星以外の何物でないなと痛感する。
東宝作品の『MOZART!』をもう2桁に乗るほど見て、自分なりに消化できなかったところが、なんだかすごく腑に落ちた。

そして耳の中では「私ほどお前を愛する者はいない」がリフレインしたと。

閑話休題。
この音楽座作品、実はメインテーマはモーツァルトではなく、「戦争」であります。
銃弾の音とか、荒野を彷徨う少女の姿とか、「戦争」を印象づけようとしているシーンがたまに割り込むのですが、モーツァルトとの関連性が正直、まったく分からず。

モーツァルトの作品がことさらに好戦的だったとかいう話でもあろうはずがないし、実際にパンフの対談で「戦争」について出演者で語ってるんだけど、ストーリーと噛み合ってないように見えて、単独で聞けばそれなりに意味があることを語っているのですが、この作品の構成としてなんだかちょっと浮いてしまっている気がした。

でもパンフの史実的な部分は大変出来がよく、「10分で分かるモーツァルト講座」として大層役に立ちました。今後の観劇(帝劇だったりしますが)の参考にさせていただきます。

この作品自体は、機会があればもう一度見てみたい。

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