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『MOZART!』(10)

2005.8.9(Tue) 12:30~15:50

再演帝劇公演、あんなに取ったチケットも残すところ今日含め5枚。
最後の1階席は3列目下手側。前方席で良いんですが、ふと気づいてしまいます。ご贔屓の登場場面はほとんど上手側ということに(笑)。
上手側は全然と言っていいほど取らなかったので、博多座公演への課題。

この日から帝劇パンフ第2版がお目見え。舞台写真でコンスタンツェ役の写真が7月の西田ひかるさんから8月の木村佳乃さんへ入れ替え。それ以外は大きな変更がなさそうなので、ざっと見本を見た上で購入は見送り。

幕間に流している予告編ビデオに、「眠れない音」が挿入となり、15分ヘッドに変更。『SHIROH』『ジキル&ハイド』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『眠れない音』の順。各3分30分前後の内容。『SHIROH』になるとあからさまに人が集まってくるので、早めの場所取りをお奨めする次第。

一時期配っていた『SHIROH』ゲキ×シネチラシは在庫切れか本日も入手できず。残念だなぁ。

●役のバランス、場面の色
前回・前々回はコンスタンツェ役の木村佳乃さんのことばかり、しかも辛口全開で飛ばしまくったので、今回はもう一方の新キャスト・香寿たつきさん(ヴァルトシュッテンテン男爵夫人)のことを。

ちなみに、木村さんへの苦言は今季初のアンケート投函にまで至りました。お金とって客に見せる芸じゃない上に、稽古も足りないは実力も足りないわなんて状態で、他のキャストと同じように評価されるなんて絶対に許せないから。

香寿さん、歌はもう期待通り以外の何物でもなく、「星から降る金」の最後の変なシャウトだけ止めてもらえば、安心して聞いていられるのですが(初日はここを「ミス」と書いたのですが、毎日ああ歌っておられるので、そういう歌い方みたいです)、演技と雰囲気がいまだに慣れません。
久世星佳さんの包み込み愛情表現の空気が好きだった自分としては、香寿さんの描く男爵夫人像が何も見えてこないぐらい薄いのです。

ヴォルフの才能を見抜いた人、ということはわかるのですが、男爵夫人のヴォルフへの接し方が、愛情重視なのか利用価値重視なのかが、どっちつかずで座りが良くない。多分、後者の色合いが強いのだとは思うけど、そうなのであれば、「ヴォルフガングは私がウィーンで大きい顔するために連れて行きます。コロレドも自分が大きい顔できるから首を縦に振ってくれましたよ」方向にもう少し軸が振れてもいいかな、とか思ってしまいます。
なんだか、そうは言うけれど、そんな人物造形で嫌われたくないな、みたいな中途半端さを演技に感じて、どうしても気持ちが乗っていかないのです。おかしいなぁ、屋根ヴァだと好きな女優さんだったはずなのに。

歌はいいとはいいましたけど、「星から降る金」は歌える人にありがちな歌謡ショーの色合いが濃くなっていて、シーンがぶつぎりになってすごーく居心地悪い。男爵夫人はそこまで強く自分を主張しなくていいんじゃない、しかも歌で、みたいなところがあります。

久世さん&高橋さんの組み合わせだと歌い終わった後に、「お姉さん、あとの説得は任せたわよ」「ありがとうございます」みたいな頷き合いの空気(実際に首縦に振ってた)が好きだったのですが、香寿さんが歌い終わった後はそういう空気にならない。
そこで一旦流れが止まっちゃって、「いい物を聞かせてもらいました。さー、頑張って説得しようっと」@お姉さん
(←しかも実際はこっちが本人に近いキャラ(笑))
 
みたいな空気が出てきてしまって、ちょびっとだけ淋しい。

(このあたりは、「お気楽ママの観劇日誌」さんのところのレポ読んで、そーなんですよ、って首を縦にぶんぶん振ってしまったので自分なりに咀嚼してコメント。)

あの大ナンバーを外さず歌えるだけで凄いとは思います。それだけに、後の芝居もひっくるめた歌であって欲しいのが本音かも。
市村さんの歌とか、シーンを創ることを最優先に歌ってるし、他のミュージカルに比べて、『MOZART!』の特徴はリサイタルに陥らない、歌声がコントロールする、場面場面のパワーのような気がするから(山口祐一郎さんのシーンはリサイタルとはいえストーリーを壊さないリサイタルだから、あれはあれでいいと思う。)。

●才能と言う名の悪魔
この回のアマデは黒沢ともよちゃん。中川ヴォルフ回はここのところ川綱アマデとの組み合わせに当たりまくっていたので、久々で新鮮。初演のアマデ三人衆や川綱アマデのあまりのキャラの立ち方にちょっぴり旗色が怪しいアマデ女の子キャスト陣ですが、あの中川ヴォルフの演技を受け止められるだけである意味天才。

アマデといえば、先月27日に読売新聞に掲載された『MOZART!』の全面広告に載っていた”お客様の声”で史上1・2を争うと思われる名言、

「誰にもアマデという存在はあるのではないか」

と言う言葉が、この作品を見るたびに胸に詰まります。

「才能と言う名の悪魔」は「影を逃れて」の1幕ENDでヴォルフの歌声にかぶさる他キャスト陣の歌詞から造られた言葉ではないかと思いますが(どっかの劇評だったかも)、キャラクターを上手く切り取る言葉があるとその役が深みを持って見えてくるから素敵です。

アマデはヴォルフガングの”才能”の部分を独立させた日本版『MOZART!』独自の造形なわけですが、それにもかかわらず、アマデは才能を生かす肉体だけを求めていたのかもしれない、とか想像してしまって、神が与えし天賦の才能も、授かりものというより神の操り人形のように見えてしまいます。

この辺は中川君が演じているからどうしても『SHIROH』とかぶりつつそう見てしまうんだろうけど、それこそ才能(+作品)を我々に与えた理由は何だったのですか、と叫んでしまいかねない。
音楽の魔術が神の摂理に敗北するはずはない、とど迫力で叫ぶコロレド大司教の姿が、しかしながら音楽の魔術を導き出す才能そのものが、神が遣わしものなのだとしたら、どことなく真理にあと一歩近づけなくてもがいている大司教の姿が、ものすごく納得がいって。

この2人のキャストの属性の違いでもあるのでしょうが、中川君が「才能に無自覚」なのに対して、井上君は「才能を自覚」しているようなところがあって、最後のシーンを感じると、中川君は才能というものの存在が実在することに驚き(それまで自分の力でやってきたようにも見えるからなおさら)、それに束縛されていること自体に驚いているようなのに対して、井上君は才能を利用し続けた人が、才能に復讐されるようなイメージをちょっと感じて。

この作品は要約してしまえばモーツァルトという奇才を、よってたかって利用し続けている人々の物語ではありますが、ヴォルフガングという役に対する2人の造形の違いを見ていると、「ヴォルフを生きる」中川君と「ヴォルフを演じる」井上君の違いが鮮明に浮き出てきます。

2幕最後で、ヴォルフがアマデと共に死に、その亡骸にいち早く近寄り金をせしめていくセシリアは相当な人でなしだとは思うけれど、「友だち甲斐」でナンネールにお金送らないヴォルフもそれとためを張るほど人でなし・・・・

なんだけど。中川君がそれを演じると、なぜか納得できてしまう。井上君だと、なぜかすごく腹が立ってしまう。それはきっと、中川君が「天然で目を背ける」のと、井上君が「分かってて目を背ける」の違いなのかなと思う。
本当に存在したら人間としては後者が嫌だけれど、あくまで役作りという側面でここの場面を見ると、2人の違いをよく表現してる場面のように思える。

この2人の描き出すヴォルフガングを見ていると、無自覚で才能に蝕まれる中川ヴォルフと、自覚的ゆえに才能に逆襲される井上ヴォルフと、結局どちらも幸せになれないような気がする。

初演の日生劇場のプログラムでキャストへのQ&Aの中に、「神童と呼ばれるとするなら、どんな分野で呼ばれたいですか」という問いがあって、その時、ナンネール(高橋由美子さん)とコンスタンツェ(松たか子さん)が2人して「神童と呼ばれたくない。普通に幸せになりたい」って答えていて、凄く印象的で。

ヴォルフガングを両面から見ていた2人が「才能を持つ人」と向かい合った時のこの感覚が、再演の今になるまで自分の頭の中にしっかりと根付いてしまっていて。
「才能を持つことによりあんなことになるのなら、才能なんていらない。平凡に生きたい」と思わせてしまうものが、どうしてもこの作品には付きまとってしまいます。

「誰にもアマデという存在はあるのではないか」

という問いは、別の面で、

「誰にもナンネールのような側面はあるのではないか」
(夢を持た(て)ずに現実と折り合いをつけて生きていく(※))

と思えてしまいます。

ヴォルフガングを羨みつつもそうなりたいとは願わず、現実と折り合いをつけて生きていく中に、自らの生きがいを求めていく。それでもいいかなと、思えてしまいます。

そんな私の『MOZART!』観劇は、常にそのスタンスで作品に生き続けるナンネール目線。波長が合っちゃったから、こんなにリピートしてしまうのですね。

そして、そんな私は、きっとドン・キホーテにはなれないんだろうなと思います(笑)


※『ラ・マンチャの男』にこれに類する台詞があります。

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コメント

はじめまして。トラックバックありがとうございました(^^)
ミュージカル初心者なのに、感想なんぞ書いたりしてホントおこがましいのですが・・・
ブログ数日間遡って読ませていただきましたが、私のように上っ面の感想でなく、すごく細かく一人一人の演技や表現の仕方について書かれていて改めて場面場面を思い出しました。私もこんな感想をいつか書けるようになりたいです。
さて、男爵夫人の役作りについて、共感いただけてうれしいです。「歌謡ショー」には笑わせていただきました。ホントその通りですね。あの歌い方だとヴォルフのために・・・というよりも、私のためにさぁ、ウィーンへ行きなさい!と言っている感じは否めません。そういう解釈で演じてらっしゃるならそれはそれでいいのですが、見る側にとっては男爵夫人ってうざい存在になってしまいますね。実はコロレドと組んでいるのね?なんて想像してしまったり。
もうM!は見る機会がないので、今後どう変わっていくかわかりませんが、その辺りの感想また書いてくださいね。時々ウォッチしています。
木村嬢に関しては、はっきり言ってびっくりしました。他の方のブログや某掲示板なんかも読んでいなかったので、前評判はさっぱりわからなかったんですが、あまりの歌の酷さにポカーン状態でした。一幕のウェーバー一家での絡みくらいまでは、このコンスタンツェいいんじゃない?なんてドキドキ感あったんですけどね。途中からの出演で大変なのはわかりますが、やはり客を舐めてはいけませんよね。
長文失礼致しました。

投稿: hikaru_kimi | 2005/08/10 14:49

コメントありがとうございます。

7月末のキャスト替えで自分の中に生じていたもやもやごとが、ブログを拝見させていただいて、なんだか晴れたような気がしました。考えるとっかかりをいただけて有り難かったです。
コロレドと組んだ、というのは妄想の産物ですが、香寿さんを見ていると素でそう思えてしまうところに苦笑してしまいます。「人は結局一人」と「残酷な人生」で歌ってるヴォルフが主役とはいえ、それでも男爵夫人は今までヴォルフの味方だと思って見てきただけに、一抹の淋しさを感じずにいられません。その辺は人それぞれの好みでもあるのでしょうし、8月バージョンに慣れてくれば、それもまた一つの味になるのかもしれませんが。

木村さんにはもう何も申しますまい・・全然進歩しそうにないし・・
2ヶ月前の今から稽古に入っている大塚ちひろちゃんの真面目さに一縷の望みをかけることにします。悪妻というにはキャラクター違いな気は今でもしていますけれども。

こちらこそ、また拝見させていただきます。

投稿: ひろき | 2005/08/11 02:09

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