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『SHIROH』を語る。(8)

大阪初日はCDが発売されていたそうですが・・・・
帝劇予約組の方がやっぱり遅かったですねぇ。
(追記 帝劇予約分も1月8日発送)


●正々堂々

・・・・本気でネタバレです。本当にご注意。
特に大阪公演待ちの方、くれぐれもご注意です。

2幕終盤、松平伊豆守と一揆軍の和睦の場面、砂浜。
ここで、一揆軍の両巨頭、四郎とシローはそれぞれ”らしからぬ”ところを見せる。
四郎は和睦の場所で闇討ちを仕掛け、
シローは伊豆守に憎悪と敵意を剥き出しにする。

松平伊豆守はシローに向かって「思っていた感じと違うな」
と話しかけているが、
「声で人の心を操る」のであれば、もっとピュアな感情の持ち主だと思っていたのではと思われる。
(ちょっと前までは確かにそうだったのだが)。
極端な話、もっと”手ごわい”相手だと思っていたように思えてならない。

ここで四郎は「我らは侍じゃない、キリシタンだ。お前らのしきたりなど知らない」と言っているが、その直後、
寿庵が「いま伊豆守を討ったところで何も変わりはしない」と諌めている。

寿庵の四郎を諌める態度に、”軍師としての「正々堂々」にこだわる姿勢”を感じる。
キリシタンであろうがそうでなかろうが、敵が強大であればあるほど、自らの立場が”卑怯”であってはならないし、そうでなくては戦う意味がない、という思いを感じる。

四郎が十兵衛と斬り合う目の前で、伊豆守と寿庵が対峙するシーンがある。
ここで、寿庵は伊豆守の前で2・3歩後ずさりする。
最初、「軍師が後ずさりするなんて」と思った。
だがしかし、よくよく見ると印象が変わった。
大将である四郎が闇討ちという”卑怯な”手を使った手前、一揆軍の軍師として胸を張る訳にはいかないということなのだろう。
伊豆守が寿庵に対して、目で訴えているように思えてならない。

「お前らの軍はこんなに”なっちゃいねえ”のか」

それが分かったから、寿庵が退いたように見えるのだ。

戦いで勝つというのはどういったことなのか、この場面を見るたびに考える。
それは戦死者が少ないとか、司令官が死んでいるとか、そういうことではなく、
「戦いで自らの正義を貫き通せたかどうか」
なのではないかということ。

「キリシタンとしての正義を通して、死んでいった」
のならまだ救いはあるが、闇討ちで敵の大将の首を取った所で、ただの卑怯者呼ばわりされるだけであろう。
「(伊豆守を討っても)ますます状況が悪くなるばかり」と寿庵が言ったのは、
この戦いの先を見つめた話だったのだろう、と思う。

卑怯な手で敵に向かうということはすなわち自らがその程度の集団であることを敵に知らしめること。
敵を怯ませるための最大の要素は、ただものではないと思わせるだけのものがあってこそである。

それが闇討ちでは「我が軍は戦のイロハも知らない、ただの寄せ集め所帯だ」
と言っているに等しい。

敵に”大した奴らではない”と思われて死ぬことほど、情けないことはない。
いわば「無駄死に」というものである。

死に場所が分からない奴より何ぼかマシ」

2幕前半、総大将・板倉重昌死亡の場面で、松平伊豆守が語っている台詞だ。

死に場所が見つかればいいな」

と同じく松平伊豆守が語ったお蜜は、シローの腕の中で息を引き取る。

そしてシローは暴走し3万7千の魂を犠牲にするが、最後はリオ(この場面は「神の使い」かと思うが)に赦され、皆を天国へ導いていく。
四郎は神に懺悔し、自らを投げ出すことで最愛の女性である寿庵を救い、天国に向かっていく。

「死に場所」を見つけた2人のSHIROH、そして3万7千の魂が見つめているもの。(そこには、お蜜も含まれている)
その思いを、寿庵が松平伊豆守にぶつけることに、この物語の重さがあると思う。


●「信じる」こと
 幕府の黒幕・松平伊豆守信綱は、2幕中盤、スパイとして放っていたお蜜が裏切っていたことを知り、「あんたは何を信じるんだ」と問われ、「俺は何も信じない。ただ仕事をするだけだ」と答えている。

 これを見ていると、「何かを信じた人々」と「何も信じなかった人」との戦いだったのかもしれない、と思えてくる。
 結果から見ると、「信じる」ことをはじめとする「感情」はどこかで「弱さ」につながっていたように思える。お蜜がスパイだということを知った一揆軍首脳陣はお蜜を指弾する。しかし、その場にシローを呼ばない。
 「シローのことを思って」呼ばなかったことが、シローには”裏切り”に思えた。一揆軍に入る深いひび。

 それゆえなのか、「感情」抜きで「戦いに勝つ」ことだけに徹した松平伊豆守が勝利を収める。

 寿庵が、四郎に対して「そんな弱さが好きでした」と吐露する最後の場面に、「人間らしさ」と「人としての感情」を感じる。生の気持ちとも言おうものが。
 だからこそ、その気持ちに引きずられて四郎も奇跡を祈り、神もそれに応えた。

 そしてなおさら、だからこそ一人生き残った寿庵は、「人間として」「人として」見つめていくべき大切なものを語るのだと。「感情」を抜きにして勝ち残った松平伊豆守にぶつけるのだと。そう思う。

 心なしに何が政だと。
 魂なしに何が治だと。

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貴方の《死に場所》はどんなところだと思いますか?『SHIROH』の中で、たびたび出てくる《死に場所》という言葉。例えば、松平のお殿様が、幕府軍のボンクラ総大将・... [続きを読む]

受信: 2005/01/22 11:10

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