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『SHIROH』を語る。(22)

『SHIROH』のCD、e.oshibaiさんのサイトで通信販売が開始されております。
CD話を載せてあります、第10回にも追記しましたが、情報として書きます。

こちらをご参照。

さて。
ふと、帝劇公演中に書き殴った文章が出てきました。
若干、以前の回の内容とだぶっているところもありますが、
情景を思い出すにはいいかなと思って、その時のまま載せてしまいます。
(特に第8回とかなり重複しています。)
テーマ別に書いている今までの回とは、また違った形で情景が思い出しやすいので。
その頃から文章は熱いなぁ・・・

2/16追記---
この文章、あまりに思い入れが強すぎたので、出すのをずっとためらっていたのですが、
『娯楽教養費の収支決算』さんのところに載ってました「吾はいかにしてまるちらーとなりしか。」の”熱さ”に共感してしまいまして。
(ちなみにこのタイトルが大好き。通りもいいし。)

『SHIROH』に触発されて出てきた”熱さ”とか、いつもは考えないのになんか考えちゃう”運命”とか”人生”とか、そないなことを書きたい放題書けるのは今しかないわけだしっ、と踏み切ってしまった次第。

なんだかんだ言いつつこんなに書いてる『SHIROHを語る。』
帝劇のうちに書き出してたら、かえって中途半端になっていたかも・・・


ちなみに、帝劇前半の時、舞台進行通りにレポ的な文章を個人的に書いていたのですが、
1幕の「さんじゅあんの館」に行った時点でA4で10枚超えていて、さすがに力尽きました(笑)。

●ちょっと振り返ります 『SHIROH』2幕

寿庵にとって四郎は絶対的な主君であり絶対的な愛情の注ぐ相手なのに対し、シローは極端な話”駒”にすぎず「力を持った若者」でしかなかったりする。
寿庵が四郎を諭すことはありえず、あくまで対等な立場で戦況を把握する軍師である。
四郎もそれを理解して寿庵との距離を保つ。
これに比べれば寿庵がシローを諭すのはやはり”子供”と見ている証拠であろう。
作品が違えど、寿庵はやっぱりシローの姉なのだ。(※)
多分、「敵わないなぁこの人には」と思ってる姉だが、
でもそれはそれ。
感情が爆発する瞬間、何もかもが信じられなくなる。
四郎が自らを斬ろうとするとき、
信頼していた寿庵は四郎との絆の方がはるかに太く、たとえ
”戦略”と言われても騙されたという想いは純粋だからこそ深く傷つく。

※ただの1回だけ「母」に見えた瞬間がありました。
12月28日ソワレでの寿庵からシローへの
「目を覚ましなさい、シロー」は、
まさに”戒めの念”を乗せた母の声に聞こえた。
由美子さんが超絶好調の日のこういうところ、”鳥肌”以外の表現で語りようがないです。

理性と現実を体現化した寿庵が、感情と理想を体現化したシローに、どう対応してよいかわからなくなる場面ともいえる。
寿庵はあくまで四郎の軍師でありシローはその下に仕える役どころに過ぎない。
そこを冷徹に規定していた寿庵の強さが、この転回した場面ではことごとく裏目に出る。

なぜならばシローを納得させる言葉を吐けない。
理屈でいくら言おうとも騙していた、黙っていた事実だけはどうしようもない。
噛みあっていたはずの歯車は、もしかすると寿庵の四郎とシローへの想いの違いが、それを狂わせて行ったのかもしれない。
「四郎がいれば何でもいい。四郎のためなら何でもできる」
寿庵の強みでもあり、弱さでもある。
シローは寿庵を頼りにしていた以外のものではなかったが、自らをここに連れてきたお蜜への感情を切って捨てられるほどの冷酷さにシローは戸惑ったのであろう。

感情は最後に悲劇を生み出し、しかしそこでの奇跡は皆をはらいそに連れ出でた。
理性は最後に奇跡を残し、そして寿庵は生かされる。
寿庵は、四郎が自らを遺した事実が一番重いとはいえ、
自らの選択が招いたシローの暴走を、言葉もなく振り返るのであろう。
敵は松平伊豆守。強敵ではあったが、
最後は一つにまとまることができずに崩壊した

目指したものは同じだったはずなのに、
四郎のためを願った寿庵と
お蜜のためを願ったシローでは
呉越同舟のそしりは免れないのだった。

とはいえライバル関係として火花を散らしつづけた寿庵とお蜜も、最後の瞬間ではお互いを認め合ったライバルにふさわしい終わりを迎える。

和睦の場で闇討ちを仕掛ける四郎を必死で止める寿庵

戦いの場でお互いが真っ当に認め合うために必要な要素
それはだまし討ちでないことだ。

史実にもあるが原城をオランダ船が砲撃したとき、
原城に立てこもる一揆勢はいきり立ったという。
当たり前である。
国の中の戦に外国の力を借りること自体が恥であり、戦いの上でのタブーである

兵糧攻めで困窮する中であっても必死に活路を求め、しかしそれ自体は敵の戦略としてその巧さを認めないわけにいかない。

優れた軍師は敵の戦略の是非を的確に把握するものである。
それ故に、それだからこそ敵に対して一目置くのだ。
和睦の提案があった時、四郎は寿庵に聞く。
その時、四郎は「罠かもしれない」と言っているがその時、寿庵は即答している

「袋の鼠のこの状況でなぜ罠をかけます。これが最後のチャンスかもしれない」

この判断は寿庵が松平伊豆守の力を、大きさを、憎憎しいながらも認めた上で、「松平伊豆守は卑怯なことはすまい。何かの理由があるはず」であることを認識していたということになる。

いきりたつシローを止め
四郎の闇討ちに即反応する

「松平伊豆守を討ったところで何も変わりはしない!ますます状況が悪くなるだけだ」

この寿庵の言葉は、自らの生きる道が松平伊豆守の胸先三寸にあることを明確に認識しているとも言える。
それは軍師として早くも敵に白旗を挙げる姿かと思えるがそうではない。

「おじけづいたか、寿庵!」

そうではない。戦いにはすべからくお互いに道理がありそれを守るからこそお互いが敵を立てて闘うことができるのだ。
敵と味方、重視する所も考える所も全然違うであろう。
違うから戦う 大切なものを守るために闘う。
一揆軍であれば自らの自由のためにであり松平伊豆守であれば自らの責任のもとに国を動かす責務がある。
だから殺戮が許されていいという意味ではない。

正々堂々という言葉がある。
戦いに勝つのは戦死者が少ないという意味ではない。
大将が死ぬかどうかという意味でもない。
戦いにおいて自らの正義を貫き通せたかどうかがすべてなのだ。

神のために死ぬなんて自己満足だ
神に命を捧げるなど何様のつもりだ

寿庵はシローにそう告げたかったであろう

「血を流したって何も変わりはしない」

意味がなく死ぬことこそ無駄死にだ
皆で生きたかった
そのために兵を挙げ全力を尽くした

そして軍師たるがゆえに戦いの先が見えてしまったこの時、残るのは松平伊豆守との和睦以外になかった

ここで四郎が闇討ちにでたことの寿庵の失望はいかばかりか
心が通っていたはずの
思いが同じはずの
四郎がこんな卑怯な手で敵に向かい合っている

卑怯な手で敵に向かうということはすなわち自らがその程度の集団であることを敵に知らしめることになる
敵を怯ませるための最大の要素は、自軍の目指すべき方向性が明確であることであり、ただものではないと思わせるだけのものがあってこそ

それが闇討ちでは「我が軍は戦のイロハも知らない、ただの寄せ集め所帯だ」
と言っているに等しい

だからこそ寿庵は必死で止めるのだ

しかし一揆軍には寿庵の言葉は届かない
寿庵の冷徹とも言える現実主義は、頭に血が上った一揆軍の中では、ただの負け犬に見えて不思議はない
ただでさえ総大将の四郎の命令なのだ
寿庵の存在は四郎を100%支えたからこその軍師であり
総大将と軍師の意向が違っては
闘うものは総大将の意向に添い、軍師の存在価値は一気に地に落ちる

「なぜわかってくれないの?」

必死で叫びたかったであろう
有能な軍師であるがゆえに闇討ちの先には無残な全滅の道しか見えない
最後まで求めつづけた蜘蛛の糸が、目の前で切れていく様に見えたであろう

絶望に苛まれたその時、寿庵は信じられない言葉を聞く

シローを救いに一揆軍に戻ってきたお蜜。
幕府の密偵として追放したくの一。
常に疑いの目で見ていたその素性はまぎれもなくスパイであった。
自らの見る目はその点では間違っていなかった。
シローがお蜜にそこまでの感情を持っていたことを計算に入れていなかったことだけが計算違いであったがー

「四郎さんよ。こんな所で斬りあってそれでキリシタン3万7千の意地は通るのかい」
「闇討ちなんてのはね、あたしらのような闇に生きる者にお似合いの卑怯な技なんだよ」

驚く寿庵。一揆軍のどの人間よりも、考え方が同じ人間が、こともあろうに
幕府のスパイで、しかもただの少し前まですぐ傍にいたとは。
お蜜はその立場故に苦しんだのだろう。そして最後はここに戻ってきて一揆軍側に加わっている。その思いはいかばかりであったか。
力量を知るライバルだからこそわかる感情。
お蜜の感情をあの時にわかっていれば。
原城でお蜜を糾弾したことは、取るべき策だったのか-
そのことを計算に入れられれば-と思ってしまうのは軍師としての悪い癖なのか。
利用できるものは何でも利用する冷徹さは、ひとえに寿庵の強みでもあり弱みでもあったのは、シローを暴発させたことで嫌というほど思い知らされている。

”感情”は制御できない-そんなことは分かっているが-

そんな思いが去来しようと、まず自らがやるべきことは一つだ。
寿庵にとっては名実共にこれが”最後のチャンス”だ。
四郎を止められれば、まだ先が見えるかもしれない。

「退きましょう四郎様。お蜜さんの言う通りだ。
ここは我らの死に場所ではない!」

松平伊豆守は柳生十兵衛を止める。
寿庵は四郎を止める。
一揆軍の軍師がこの場の停戦を申し出た以上、この場で斬り合うのは道理が通らない。
松平伊豆守はそう判断する。
無論、寿庵にとっても松平伊豆守が柳生十兵衛を止めることを計算に入れている。
それは、「正々堂々」にこだわる軍師としての寿庵の立場を、松平伊豆守であれば判断するための最大の材料として加味すると考えるからだ。

こちらが止めればあちらも止める。決戦は明日だ。今日ではない。
本当のことを言ってしまえば、寿庵は松平伊豆守に詫びたかったであろう。

「こんな卑怯なことをして申し訳なかった。今日のところはどうか許して欲しい。」

総大将である四郎の手前、そんなことが言えるはずがない。
だがしかし、四郎と十兵衛が切り合う中、松平伊豆守が寿庵に向かってくるところに
たじろぐのは、「闇討ち」という卑怯なことをしたことの後ろめたさに他ならないであろう。
普通に考えて、敵の歩みに怯んで後ずさりすることなど、軍師として本来あってはならないことだからだ。

そしてわずかな時間が過ぎる。
恐らく一日が過ぎたのだろう。
原城篭城最後の日。
皆死んでいく。
あてどもなく彷徨う寿庵。四郎を探している。
そして柳生十兵衛の惨斬が寿庵を襲う。
一瞬前で間に合わなかった後悔が、柳生十兵衛を一斬りで斬って捨てる。
四郎にとって救えなかった女性。

最初は名も知らぬ少女。
そして今度は最愛の女。
自らの腕の中で、苦しげに息も絶え絶えさせる姿に、とてつもない
後悔が襲ってくる。

寿庵、なぜ俺はお前の言うことを聞けなかったのだろう
寿庵、なぜ俺はお前を最後まで守ってやれなかったのだろう
こんなに信頼してくれ こんなに愛してくれた女一人救えない
それで何が救世主なのか

人一人救えない男が
どうして3万7千もの命を救えようか

悲しみと後悔が襲いくるその時に、寿庵から声がかけられる

「私は、そんな弱い四郎さんが好きでした」
「はじめて会ったときに言ったでしょう」
「私達の月は満ちました」

最愛の女を自らの手の中で喪う。
男にとってこれほどの絶望があろうか。
しかも引き金を引いたのは自分だ。
自分の弱さが、最愛の女の命を奪った。
どんなことをしても死にきれないというものだ。

そして気づく
自らの奇跡の力を
最初の愛した女を喪い
なくしてしまった奇跡の力を
最愛の女のために取り戻したい
その気持ちが神を通し
命を失った寿庵に注がれる

そして寿庵は目を覚ます
死んだはずの自分が生きている

最後の四郎の口づけにこめられた意味
深すぎる愛情
生かされた意味
どうしようもない絶望
課せられた使命の重さ
それらをすべて表現した、目に光る雫

すっくと立ち上がりしっかりとした足取りで暗闇に消えるー

天草・島原の乱から数年。江戸。
寿庵は天草・島原の乱のただ一人の生き残りとして、そこに立つ
自分の遺された意味は何だったのか
そして3万7千もの犠牲を、
そして自らの最愛の男を犠牲に、
この国がどうなっていくのか、
見つめていく責任が自分にはある

松平伊豆守にとっても、あの場で殺戮をする理由があったのであろう
しかし一揆軍にとっても、あの場で立ち上がる理由があったのである
それそのものに優劣を付けることなど誰にも出来ない

戦いは勝者が正義である
それは一面として確かに事実だ
しかし勝者が正義でありつづけるためには
戦うことの理由を明確に理解し
なぜ闘わなければならなかったのか
そして敵をなぜ粉砕しなければならなかったのか
を明確に意識していなければならないであろう

そして喪われた人命の重さは

生き残った者がその犠牲の上にどのようなものを
形作れるのかによって初めて報われるものなのだ

正義は絶対なものではない
勝利は表面的なものだけでは判断できない
勝利が本当の意味の勝利であるためには
敗れ去った者が敗れ去っただけの意味があるのだと
勝者が敗者の分まで生き
そして証明すべきものなのだ

強者が弱者をねじ伏せた以上
強者には責務が生じるのだ

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